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第四章 異世界に来たけど、自分は反逆します
第八十七話
しおりを挟む海が倒れた日から数日が経った。
聖女の声は日増しに多くなっているし、ただ語りかけていただけだったのが、怒りや悲しみを纏うようになっている。なるべくその声を意識しないようにしていたのだが、大勢の声の中で一番恨みの強い聖女が海を怒鳴り散らしてきた。
"お前は聖女としてこの国に来たのに何もしないのか。私たちは命を削って尽くしたのに。お前はのうのうと暮らしているだけなのか! それならお前も許さない。苦しめ! 私たちと同じ思いをしてしまえばいい!"
彼女達の声を無視していたわけじゃない。頼まれた通りに海は動いている。まだ城の中への侵入経路は見つかっていないけど、いつかは絶対城の中へ入るつもりでいる。でないと彼女たちはいつまでも海に語りかけてくるだろう。
誰かと話している間もずっと海に向けて言葉を投げかけてきており、たまに聖女の声なのか話している相手の声なのかがわからなくなる。こんなことがこの先続くとなると、海の精神がもたない。今の時点でもとても辛い状態だ。海が起きて、寝るまで休む間もなく訴えかけられる。助けて欲しい、あそこから出して欲しい、恨みを晴らしたい、同じ目に合わせたい。海に突きつけられているのは全て負の感情だ。
こんなの耐えられるわけがない。
だから早く城の中に入らなければならないのだが、入る方法が見つからず途方に暮れていた。アレクサンダーたちに頼めばひっそりと入れてくれるだろうか。でも、それじゃ二人に迷惑がかかってしまう。
「どうすればいいんだ……」
椅子の背もたれに背中を預けて天井を見上げる。古い椅子はそれだけでミシッと軋んだ。
「強固な城の侵入方法……抜け道がなく、正面から堂々と入るしかない……」
正面から入るにはそれなりの理由が必要になる。
国王に謁見したいからくらいでは通してはもらえない。それ以上の理由……国王や魔導師が興味を示すこと。
「……一つしかない、か」
彼らが海を城の中に入れることを許す理由。それは海が聖人だと名乗り出ることだ。そうすれば国王は海を城に戻すはず。
そんな事をしたら海の身の安全が保障されなくなるが。
「でも、それしかないんだよな」
城に戻ったら素早くことを済ませればいい。魔導師たちの目を盗んで教会の召喚印を壊し、国王と魔導師たちをあの地下へと誘き出す。彼らと共に中へ入ったら海のやるべき仕事は終わりだ。
「行くか」
善は急げ。机の上に広げていたノートや本をリュックの中にしまった。唯一の私物であるそれを持っていこうかと思ったがやめておこう。きっとこれは向こうで処分されてしまいそうだ。捨てられてしまうくらいなら、ウォレスの持ち物になったほうがいい。
中の本は読めないかもしれないけど、ノートはきっと使ってもらえるはず。お古をあげるのは心苦しいが、まだ使えるものだから受け取ってもらえたら嬉しい。
「闇が払えたら沢山遊びに行くといいよ。その時にこれ使ってくれ」
軽くホコリを払って机の上に置いた。ウォレスは今、ヴィンスと共に海に行っている。今頃、初めての釣りに大はしゃぎしている頃だろう。帰ってきたら感想を聞こうと思っていたが、それは出来なさそうだ。
「病気や怪我をせずに元気に過ごせよ? ヴィンスも……もうそんな若くないんだから無理はしないように。ルイザとは喧嘩別れみたいになっちゃったけど……まだ友達だと思っていてくれるかな。またジェシカとお茶飲みたかった……な」
もう二度とここには戻ってこられない。戻ってくるつもりもなかった。城の中を掃除し、城下町の闇を払ったら、海はもう外に出ることは無いだろう。
「……っ……うっ……」
ここで生活していた日々は楽しかった。大変なこともあったけど、それを上回る程の幸せな時間だったんだ。
たった一人でこの先生きていくんだと思っていた海が、異世界に飛ばされたことによって人との繋がりをまた得ることが出来た。短い間だったけど、海にとってはかけがえのないものだ。出来るはずがないと思っていた大切な人にも出会えた。彼のそばに居られたことは忘れない。絶対に。
「……死にたくない……死にたくないッ!!」
泣きながら何度も叫んだが、彼女たちは許してはくれない。己と同じ道を、と海に囁き続けてくる。
聖女たちも海と同じように死にたくないと願ったんだ。でも、その願いは叶えられなかった。飢えと孤独と憎しみの中で彼女たちは死んだ。その恨みは幸せな日々を送っていた海にも向けられている。これ以上、良い思いはさせないと言うように。
どれだけ泣いても変わらない。袖で涙を乱暴に拭って、海は部屋を後にした。静かに宿を出て鍵を閉める。
鍵は宿のポストの中に入れて返した。ポストに鍵を半分入れては、また手の中に戻すというのを何度も繰り返して。これを手放してしまったらヴィンスの宿との繋がりが消えてしまうような気がした。返さずに持っていきたいところだが、もう海には必要の無いものになる。
未練が残るような事はしたくない。地下へ入る時は空の状態がいい。でないと、海と関わった人達に悪影響が出そうだ。だからこうして一つずつ捨てていく。
「……さよなら」
物は捨てても思い出だけは持っていきたい。宿での記憶を目に焼きつけるように眺めてから城下町の大通りへと歩き出した。
この道ももう二度と歩くことは無いのだと思うと辛い。打ち捨てられた彼らをきちんと埋葬したかったのに。
「ごめんなさい。やると言ったのに出来なくて」
彼らから目を逸らし、俯きながら城へと向かう。全部済んだら、アレクサンダーたちが彼らをどうにかしてくれると信じて。
城の前についた海は橋の前にいた騎士団の人に声をかけた。アレクサンダーとの約束で、ここに毎日来ていた時に彼とは顔見知りとなった。とてもノリの良い人で、話していて楽しいからついつい話し込んでしまう。
「どうしたんだ? 今日はカイがこっちに来たのか?」
「ちょっと用が会ってね。国王に謁見したいのだけれど……」
「国王に? 理由を聞いてもいいか?」
「"おまけじゃなかったのは気づいてるだろう?"って言ってくれれば分かるよ」
もう彼らは気づいているはずだ。なんせ海を襲ったのは魔導師なのだから。あの男は海が聖女の力を持っていることを知っていて襲ってきたのだ。ということは、もう海のことは国王たちに知れていることになる。聖女とされていた杉崎の状態が気になるところだが、城に入ってしまえば全てわかること。
「城に入ること、団長と副団長は知ってるのか?」
「知らないよ」
「ならやめておけよ。こんなところにわざわざ戻ってくることはないって」
「やらなきゃいけないことがあるからさ」
団員はなんとか海を引き留めようと説得を試みるが、団員の思いを裏切るように橋が下ろされた。
「なっ! まだ誰にも下ろせって言ってないのに!」
「見られてみたいだから仕方ないよ」
ゆっくりと下りてくる橋の奥が見えた時、こちらをじっと見つめている魔導師と目が合った。
「よくぞ来たな」
「来たくて来たわけじゃない」
「ふん。生意気なところは変わらぬか」
海を出迎えたのは白顎髭のおっさん。久しぶりに会うが、相変わらず顎髭は長かった。
無愛想な顔でこちらに来いと顎をしゃくられる。海は大人しくおっさんに従った。
「カイ!」
「ありがと、団員さん」
それだけ言い残して海は城門の奥にある階段を上り始めた。これを上りきったら城の中に入れる。国王と魔導師に会い、全て話す。それから……。
「教会を壊すのに何か道具が必要になるな」
召喚印を壊すだけなら金槌とかでいいのだが、教会そのものをとなると考えなくてはならない。木造だったら簡単に燃やせたのに。燃やすのがダメなら、粉々に崩すしかない。
教会のある方を眺めている海をおっさんは訝しげに見つめる。その視線に気づき、そっと目を逸らした。
でも、一つ目の目標は達成出来そうだ。魔導師が強い結界を張っていたせいで城まで闇は届かなかったけれど、呪いをその身に宿している海が中に入れば一瞬にして広まる。
「……馬鹿なヤツら」
聖女だと言えばこうも簡単に城の扉を開けるのか。
彼らは知らないのだろう。聖女たちを監禁していたあの地下の扉が開かれたことを。呪いを封じ込めていた祠が壊されていることを。
『さぁ、始めましょう? 復讐を』
海の声と被るように女の声が混ざる。楽しげに笑いながら海は城を見上げた。
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