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第三章 異世界に来たけど、自分は慈善活動を始めました
第七十二話
しおりを挟む「ウォレスは寝た?」
「うん。もうぐっすり」
アレクサンダーにブチ切れて二階へと逃げたウォレスはそろりと一階へと戻ってきた。一人になるのが心細かったのか、食器を片付けていた海の元へと飛び込んできてひしっと抱きついてきた。どうしたの?と聞いてもウォレスは何も答えず、ただ海にくっつくだけ。そのうち、海の服を掴んでいたウォレスの手から徐々に力が抜けていった。
パタン、と床に倒れたウォレスに海は瞠目し、その場から動けなかった。慌てる海をクインシーとアレクサンダーが宥め、ウォレスはただ眠っているだけだと教えられた海は何事も無かったと安心し、全身の力が一気に抜けて床にへたりこんでしまった。
「眠れてなかったのかもね」
ウォレスを自分の部屋のベッドに寝かせてきた海は、どさっと椅子に座る。「お疲れ様」とクインシーから飲み物をもらって一息ついた。
「ダメだ……俺、運動でもしようかな」
「え? なんで? そのままで良くない?」
「ウォレス一人二階に上げるのにも一苦労だったんだよ。体力無さすぎて笑えない……」
ウォレスを抱き上げ、二階の階段を上がっていくのは本当にしんどかった。意識のない人間は重たいと聞いたことはあるけど、ウォレスくらいなら大丈夫だと思っていたのだ。自分より二十センチほど低く、やせ細ってしまっている彼ならと。
それでもダメだった。上に上がった時には息があがってしまい、ウォレスを落としそうになった。なんとかベッドへと運び入れた後、海は暫く動けず、その場で荒くなった息を整えた。
「アレクサンダーは俺の事軽々と持ち上げて二階まで運んでくれたのに」
「鍛え方が違う」
涼しい顔で答えるアレクサンダーに海の唇は尖っていく。自分もそういう風に言ってみたい。ウォレスを涼しい顔で二階まで運べるようになりたい。
「アレクサンダー!」
「なんだ……」
「俺も鍛えたい!」
海は勢いよく椅子から立ち上がると、隣にいるクインシーの後ろ通って向かいに座っていたアレクサンダーの元へと駆け寄った。
「俺もアレクサンダーやクインシーみたいに強くなりたい。二人を守れるくらいに、ウォレスやヴィンスを助けられるくらいに」
守るためには力が必要だ。今の海には二人を守れるほどの力などない。力をつけるにはアレクサンダーやクインシーに手伝ってもらった方がいいだろう。
だから海は必死に訴えた。
必死に訴えたつもりだった。
「あー、もう! 何この子! 可愛すぎない!?」
「力をつける必要は無い。カイはそのままでいい」
「ちょ、キツい!!」
前からアレクサンダーに抱きしめられ、後ろからはクインシーに抱きしめられる。二人の屈強な胸板に押しつぶされて、海はグエッとカエルが潰されたような声を漏らした。
「カイは鍛える必要なんてないよ。今のままでも十分強いからさ」
「全然強くない! 俺はアレクサンダーを背負い投げできるくらい強くなりたいの!」
「無理だな。諦めろ」
「そこまで言うかッ!」
ぎゅうぎゅうぎゅうぎゅう。
もういい加減離してほしい。胸板の主張はわかったから。二人が強いのはわかったから!
「もう! しつこい!!」
⋆ ・⋆ ・⋆ ・⋆
「それで、聖女の話だけれど」
「うん」
「……ああ」
大人しく椅子に座っている二人は海に叩かれた頬を痛そうに撫でていた。
「俺は……聖女なの?」
聖女のシステム的なものを作った女性は、聖女が浄化の力を使った時に過去の聖女の記憶が引き継がれるようにした。それは、ラザミアから一人でも多くの聖女を逃がすために。地面の下に作られた監禁場所に聖女が連れてこられることのないようにと、一番最初に幽閉されてしまった彼女の願い。
となると、過去の記憶が引き継がれた海は聖女ということになる。国王や魔導師は海をおまけとして扱ったが、実は海が聖女でした!なんてことがバレたら。
「まさか城に連れ戻される?」
「かもね。だから、カイが力を使わないように見張ってたんだよ」
「何をするのもどこに行くのも相談しろってやつ?」
「そ。常に俺たちの目の届く範囲にいてもらった。また、ジェシカ・ペイジみたいなことにならないようにね」
「ジェシカのときに使ったの!?」
使った覚えは海にはない。ジェシカが突然元気になったことには驚いたが、まさか自分が聖女の力を使って治したとは。
「じゃあ、なんであの時に記憶が継承されなかったんだ?」
「んー、力の使い方とか?」
「無意識下では継承されることはない、ということか」
「多分? 自分の意思で誰かを助けたいって思った時に力を使うじゃん? でも、ジェシカ・ペイジの時はカイはまだ力を持ってるなんて知らなかったわけだし。カイがジェシカ・ペイジを助けたいと思った、でも力を使うつもりはなかった。カイのこの人を助けたいって気持ちに力が反応しちゃった、っていうならまだ分かるかなぁって」
クインシーは聖女の力が勝手に作動したということを言いたいのだろう。その仮説ならば、海に記憶が継承されなかった理由がつく。
「んで、怪我をした時に力を使ったんでしょ? それはカイが死にたくない、まだ、生きていたいって思った。この傷を治さなきゃって意識した。だから力を使った、とか?」
「俺その時の記憶が曖昧なんだ。力を使ったっていう実感もないし……」
「いや、あの時は確実に使った」
「そう、なの?」
「ああ。傷が治り始めた時、お前は"これでいい?"と俺に聞いてきたからな」
覚えに無い言葉だが、アレクサンダーが言っているのだからそうなのだろう。確認をしたということは海が自分で力を使ったということになる。自力で怪我を治したことにより聖女の記憶が継承された。まだ気になる所があるが、今はそれでいいだろう。
「……カイは何を見たの?」
「ラザミアに召喚された何十人もの聖女の記憶。これから話すよ。全員となるとあれだけど」
一番強く残っている三人の記憶を海は語り始めた。
話している間はとても心苦しかったが、二人が一切口を挟まずに聞いてくれたし、話すのが辛くなった時は手を握って勇気づけてくれた。その手を握り返して、海はゆっくりとだが話し続けた。
全て話したあと、クインシーとアレクサンダーは黙り込んでいた。二人の表情は怒りに染っていて、怒られているわけでもないのに海は首をすくめた。
「じゃあ、あの地下には聖女たちの遺骨があるってことか」
「あそこに行ったの!?」
「うん。たまたま見つけてね」
「中に……入ったの?」
「入ったよ。カイが見た壁も見てきた」
あの場所にクインシーが入ったという事が恐ろしい。
実際に海が入った訳でもないのに、あの地下には嫌な思いしかない。聖女の恨み言が響く空間。外に出ようと必死に天井を爪で引っ掻く音が頭から離れてくれない。
彼女たちを出してあげたいのは山々なのだが、あの場所に入るのにはかなり勇気がいる。
今の海にはそんな勇気はない。
「カイ、実は壁にこんな文字が書いてあったんだけど……」
「文字? あぁ、多分それは……最初に閉じ込められた人が書いたものだと思う」
「なんて書いてあるか聞いてもいい? 嫌だったら言わなくてもいいからね?」
「ううん、言うよ。もしかしたら、城下町の闇は彼女の力を元にして出来たものかもしれないから」
彼女はラザミア全体に呪いをかけた。
呪いを残したくないと思っていた彼女は、死ぬ直前まで耐えていた。散々悩んで、悩み抜いた結果、彼女は遅効性の呪いを残したのだ。
今すぐにこの国を滅ぼしたいと願ったが、自分の子供たちの安否がどうしても気になる。ならば子供たちが寿命などで亡くなったあとに災いが降り注げばいいと。
「これなんだけど」
クインシーの上着の胸元から出てきた手帳を受け取り、書かれている文章を見る。海が記憶の中で見たものと同じ文章だった。
「死に絶えろ。これから先、この国に平和など訪れるな。私が死した後、私の苦しみが空気に溶け、水に溶け、国全体に広がればいい。いつか、この国に災いをもたらすように。いつか私の苦しみがこの国を覆うように」
「呪いか」
「うん。彼女がラザミアから受けた仕打ちは酷かったんだ。他の聖女たちも酷かったけど、彼女は特に。聖女が子供を産めばその子供にも聖女の力が受け継がれると思ったんだろうね。何人も知らない男が部屋に来ては毎晩犯された。嫌だって言っても聞いてくれなくて、何度も何度も」
聖女の記憶は五感も受け継がれる。彼女が受けた痛みも苦しみも海は感じていた。男の海にはわからない痛みだったが、何度も下腹部を突かれているあの感覚は気持ち悪かった。好きでもない男に身体を触れられるのも、舐め回されるのも。
「サクラギ」
「大丈夫。ちょっと……思い出しただけ」
この感覚を早く塗り潰したい。出来ることならアレクサンダーに上書きされたい。
そう願いながら海はアレクサンダーをじっと見つめた。
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