64 / 121
第三章 異世界に来たけど、自分は慈善活動を始めました
第六十一話
しおりを挟む翌日の朝、海は自室のベッドに寝転んでいた。ヴィンスと朝食を終えた後、海は頭が重いと言って部屋に引っ込んだ。ヴィンスは既に釣りに出掛けていて、宿には海しかいない。「今日は出かけるなよ」とヴィンスに口酸っぱく言われているため、今日は部屋でゆっくりする予定。
この世界に来る前は一人でも寂しくなかったが、ここに来てからは誰かが側にいてくれないと孤独感を感じてしまう。常にヴィンスやアレクサンダー、クインシー、ルイザとかが話しかけに来てくれるから寂しくはなかったが、こうして部屋に一人でいるとしみじみと思ってしまう。寂しさを紛らわせる為に海は扉を開け放ち、隣室にいる鶏の鳴き声を部屋に招き入れた。
「今日も元気だなぁ」
コケコケと鳴いている鶏の声に海の口元が緩む。一時はどうなるかと思っていたが、海の予想に反して彼らは元気に部屋の中を走り回っている。しかも、知らない間に雛鳥も生まれていた。新たな生命の誕生がこんなにも人を幸せにするのか。人であれ、動物であれ、赤子が生まれてくることはとても喜ばしいことだ。
「これからも……元気に……」
ベッドの上でコロコロしているうちに段々と眠気に襲われてきた。今日も遅くまで書物を見ていたせいで寝不足気味の海は鶏の鳴き声を子守唄にして夢の中へと旅立った。
うたた寝してからどれくらい経ったか。
自分の名前を呼ぶ声がした気がして、海はゆっくりと目を開ける。伸びをしながら起き上がると、海の部屋の前に人影が現れた。
「ここにいたのね!」
「ルイザ? どうしたんだよ、そんなに慌てて」
髪を振り乱し、荒れた息でルイザは部屋に入ってきた。
「大変よ! ジェシカの知り合いの旦那さんの体調が悪くなったの!」
「旦那さんって……昨日は平気だったのに!」
慌てて海もベッドから立ち上がり、ルイザと共に階段を駆け下りる。下にはジェシカもいて、不安気な顔でうろうろしていた。
「ジェシカ! カイ見つけたから戻るわよ!」
「え、ええ……」
「何があったんですか?」
「実は……」
小走りで老夫婦の家に向かう途中、ジェシカは今日の早朝のことを話し始めた。
早朝、ジェシカは自宅でルイザと二人で朝食を作っていた。老夫婦の分も用意し、作り終わったら老夫婦宅に行くつもりだった。
食事の用意が出来た二人は老夫婦の家へ向かった。
奥さんと会話をし、持ってきた食事をテーブルに広げた。ルイザと奥さんが楽しげに話していたから、ジェシカだけが旦那さんが寝ている部屋へと入ったらしい。
旦那さんはまだ眠っていたのか、目を閉じたまま動かなかった。海になるべく食事は取るようにして欲しいと言われていたから、ジェシカは旦那さんを起こそうと肩を揺すった。だが、どれだけ揺すっても旦那さんは起きない。嫌な予感がしたジェシカは、慌ててリビングに戻ってルイザを呼んだ。
ルイザと奥さんも旦那さんに声をかけてみたが、それでも起きない。これはまずいと思い、ジェシカたちは海の元へと来たというわけだ。
「でも、俺が行ったところで何が出来るのか……」
「できるできないじゃないのよ。もし、旦那さんの最期だったとしたら、皆で見守ってあげたいじゃない。旦那さんも一人で逝きたくはないと思うわ」
「それは……」
まるで死んでしまうのが前提のような話し方に、旦那さんの容態はかなり悪いことがわかる。ジェシカたちは海に何かをしてもらいたくて呼びに来たのではなく、もしかしたら旦那さんが亡くなるかもしれない、海も旦那さんと知り合いになったのだから、最期を看取るなら共に。そう思って海を宿から連れ出した。
「ジェシカ!」
「おばさん! おじさんは!?」
「ダメ。もう私の声が聞こえないみたいなの!」
家の前では奥さんが暗い顔でしゃがみこんでいた。
奥さんにジェシカが寄り添い、海はルイザと一緒に旦那さんの部屋へと駆け込む。
昨日、食事をしていた時は軽くだが笑っていた。これならすぐに良くなるだろうと思っていた。
海は見誤ったのだ。人の命はそんな簡単に失われるものでは無いと。
「旦那……さ、ん?」
ベッドに寝ている旦那さんから生気を感じられない。
もう寝ているだけとは思えなかった。
「そんな……だって昨日は!」
「カイ! しっかりして!」
旦那さんに縋りつこうとした海をルイザが引き止める。ルイザも苦しそうな顔をして、旦那さんを見つめていた。
「わからないのよ。昨日は元気だったとしても、明日はどうなるかわからない。だからカイのせいじゃないわ」
自然の摂理なのよ、と悲しげにルイザは呟いた。
それは海も知っていることだったが、頭から抜け落ちていた。両親が亡くなった時、この世は理不尽だと海は嘆いた。
母は事故死、父は病死。母は父のために頑張って仕事をしていた。父の病院費はかなり高く、貯金だけでは賄えなかったからだ。父はそんな母のために必死に病気を治そうとした。
そんな二人を神は簡単に見放したのだ。
そんな理不尽な事があってたまるか。両親が亡くなったあと、海は何度も神を呪い、神を崇めている人たちを疎ましく思っていた。見たことも、声を聞いたことも無い存在にはもう二度と縋らない、と。
「……カイ?」
「ごめん。もっと早く来ていればよかった。もっと早く俺が動いていればよかったんだ」
旦那さんのベッドに近づき、床に膝をついて頭を下げる。海が悪いわけじゃないことは重々承知している。それでも、海は謝ることをやめなかった。もっと何かしてあげられたんじゃないか、誰かに頼むんじゃなくて、自分で最後まで見るべきだったのではないか。
後悔なんていくらでも出てくる。そんなの今はもう意味が無いことも。
「私……ジェシカたち呼んでくるわ」
ルイザは気まずそうに部屋を出て行った。自分を責める海にかける言葉が見つからなかったのだろう。
「……苦しかったよね。まさか、昨日は無理して笑ってたの?」
心配させないようにと昨日は頑張って笑っていたのかもしれない。そう思ったらやるせなかった。
「…………あ……あ」
ベッドのシーツを握りしめて泣き出さないようにしていた海の耳に聞こえた苦しげな声。ハッと顔を上げると、旦那さんが目を開けて海を見ていた。
「旦那さん!」
弱々しい力で旦那さんは海を掴もうと手を伸ばした。
海はその手をしっかりと握りしめる。握った手に力はほぼ入っていなかった。最後の力を振り絞って、海に向けたのか。
「旦那さん、俺……ごめんなさい。苦しい思いをさせただけだった。もっと、もっと何か出来たはずなのに!」
意識がある内にと必死に謝る。旦那さんはそんな海に何も言わず、ただ見つめていただけだった。
「カイ! おじさん起きたの!?」
そのタイミングでジェシカたちが部屋へと入ってきた。目を開けている旦那さんに奥さんは涙を流して喜んでいたが、ジェシカとルイザはまだ悲しげに顔を歪めていた。これが最期だと察していたのかもしれない。
「……あたたかい……なぁ」
「え……?」
「まるで……たい……ようみたいだ」
呻くことしかできなかった旦那さんがぽつりぽつりと喋る。目を見開いて驚く海に緩やかな笑みを浮かべ、海から奥さんへと目を向けた。
「すま……んな、さいご……まで」
「そんな事言わないでください! そう思うならまだ……!」
生きていてほしい。それがここに居る人間の願い。
「お前は……ほんと……うに、なき……むし」
「しょうがないじゃないですか! いつも貴方が泣かせるんですから!」
ボロボロと涙を流す奥さんに旦那さんは力なく笑った。
「ああ……幸せだった」
こんなにたくさんの人に見守られて逝けるなんて幸せだ。
そう言って旦那さんは静かに目を閉じた。
「あなた……? あなた!!」
海は旦那さんから手を離して奥さんに場所を譲る。
旦那さんは言葉通り幸せそうな顔をしていた。苦しかったはずなのに、表情は不思議なくらい安らかだ。
「カイ、ルイザ。二人きりにしてあげましょう?」
「ええ」
「うん」
奥さんに気づかれないように海たちは部屋を退出し、落ち着いた時にでもと、テーブルの上にメモ書きを残して家を出た。
60
お気に入りに追加
3,214
あなたにおすすめの小説

聖女の兄で、すみません!
たっぷりチョコ
BL
聖女として呼ばれた妹の代わりに異世界に召喚されてしまった、古河大矢(こがだいや)。
三ヶ月経たないと元の場所に還れないと言われ、素直に待つことに。
そんな暇してる大矢に興味を持った次期国王となる第一王子が話しかけてきて・・・。
BL。ラブコメ異世界ファンタジー。


転生したけどやり直す前に終わった【加筆版】
リトルグラス
BL
人生を無気力に無意味に生きた、負け組男がナーロッパ的世界観に転生した。
転生モノ小説を読みながら「俺だってやり直せるなら、今度こそ頑張るのにな」と、思いながら最期を迎えた前世を思い出し「今度は人生を成功させる」と転生した男、アイザックは子供時代から努力を重ねた。
しかし、アイザックは成人の直前で家族を処刑され、平民落ちにされ、すべてを失った状態で追放された。
ろくなチートもなく、あるのは子供時代の努力の結果だけ。ともに追放された子ども達を抱えてアイザックは南の港町を目指す──
***
第11回BL小説大賞にエントリーするために修正と加筆を加え、作者のつぶやきは削除しました。(23'10'20)
**

ブレスレットが運んできたもの
mahiro
BL
第一王子が15歳を迎える日、お祝いとは別に未来の妃を探すことを目的としたパーティーが開催することが発表された。
そのパーティーには身分関係なく未婚である女性や歳の近い女性全員に招待状が配られたのだという。
血の繋がりはないが訳あって一緒に住むことになった妹ーーーミシェルも例外ではなく招待されていた。
これまた俺ーーーアレットとは血の繋がりのない兄ーーーベルナールは妹大好きなだけあって大いに喜んでいたのだと思う。
俺はといえば会場のウェイターが足りないため人材募集が貼り出されていたので応募してみたらたまたま通った。
そして迎えた当日、グラスを片付けるため会場から出た所、廊下のすみに光輝く何かを発見し………?

田舎育ちの天然令息、姉様の嫌がった婚約を押し付けられるも同性との婚約に困惑。その上性別は絶対バレちゃいけないのに、即行でバレた!?
下菊みこと
BL
髪色が呪われた黒であったことから両親から疎まれ、隠居した父方の祖父母のいる田舎で育ったアリスティア・ベレニス・カサンドル。カサンドル侯爵家のご令息として恥ずかしくない教養を祖父母の教えの元身につけた…のだが、農作業の手伝いの方が貴族として過ごすより好き。
そんなアリスティア十八歳に急な婚約が持ち上がった。アリスティアの双子の姉、アナイス・セレスト・カサンドル。アリスティアとは違い金の御髪の彼女は侯爵家で大変かわいがられていた。そんなアナイスに、とある同盟国の公爵家の当主との婚約が持ちかけられたのだが、アナイスは婿を取ってカサンドル家を継ぎたいからと男であるアリスティアに婚約を押し付けてしまう。アリスティアとアナイスは髪色以外は見た目がそっくりで、アリスティアは田舎に引っ込んでいたためいけてしまった。
アリスは自分の性別がバレたらどうなるか、また自分の呪われた黒を見て相手はどう思うかと心配になった。そして顔合わせすることになったが、なんと公爵家の執事長に性別が即行でバレた。
公爵家には公爵と歳の離れた腹違いの弟がいる。前公爵の正妻との唯一の子である。公爵は、正当な継承権を持つ正妻の息子があまりにも幼く家を継げないため、妾腹でありながら爵位を継承したのだ。なので公爵の後を継ぐのはこの弟と決まっている。そのため公爵に必要なのは同盟国の有力貴族との縁のみ。嫁が子供を産む必要はない。
アリスティアが男であることがバレたら捨てられると思いきや、公爵の弟に懐かれたアリスティアは公爵に「家同士の婚姻という事実だけがあれば良い」と言われてそのまま公爵家で暮らすことになる。
一方婚約者、二十五歳のクロヴィス・シリル・ドナシアンは嫁に来たのが男で困惑。しかし可愛い弟と仲良くなるのが早かったのと弟について黙って結婚しようとしていた負い目でアリスティアを追い出す気になれず婚約を結ぶことに。
これはそんなクロヴィスとアリスティアが少しずつ近づいていき、本物の夫婦になるまでの記録である。
小説家になろう様でも2023年 03月07日 15時11分から投稿しています。
婚約破棄されて捨てられた精霊の愛し子は二度目の人生を謳歌する
135
BL
春波湯江には前世の記憶がある。といっても、日本とはまったく違う異世界の記憶。そこで湯江はその国の王子である婚約者を救世主の少女に奪われ捨てられた。
現代日本に転生した湯江は日々を謳歌して過ごしていた。しかし、ハロウィンの日、ゾンビの仮装をしていた湯江の足元に見覚えのある魔法陣が現れ、見覚えのある世界に召喚されてしまった。ゾンビの格好をした自分と、救世主の少女が隣に居て―…。
最後まで書き終わっているので、確認ができ次第更新していきます。7万字程の読み物です。

魔法学園の悪役令息ー替え玉を務めさせていただきます
オカメ颯記
BL
田舎の王国出身のランドルフ・コンラートは、小さいころに自分を養子に出した実家に呼び戻される。行方不明になった兄弟の身代わりとなって、魔道学園に通ってほしいというのだ。
魔法なんて全く使えない抗議したものの、丸め込まれたランドルフはデリン大公家の公子ローレンスとして学園に復学することになる。無口でおとなしいという触れ込みの兄弟は、学園では悪役令息としてわがままにふるまっていた。顔も名前も知らない知人たちに囲まれて、因縁をつけられたり、王族を殴り倒したり。同室の相棒には偽物であることをすぐに看破されてしまうし、どうやって学園生活をおくればいいのか。混乱の中で、何の情報もないまま、王子たちの勢力争いに巻き込まれていく。

光る穴に落ちたら、そこは異世界でした。
みぃ
BL
自宅マンションへ帰る途中の道に淡い光を見つけ、なに? と確かめるために近づいてみると気付けば落ちていて、ぽん、と異世界に放り出された大学生が、年下の騎士に拾われる話。
生活脳力のある主人公が、生活能力のない年下騎士の抜けてるとこや、美しく格好いいのにかわいいってなんだ!? とギャップにもだえながら、ゆるく仲良く暮らしていきます。
何もかも、ふわふわゆるゆる。ですが、描写はなくても主人公は受け、騎士は攻めです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる