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第二章 異世界に来たけど、自分は平民になりました
第三十八話
しおりを挟むアレクサンダーたちと別れたあと、海は宿まで大急ぎで帰ってきた。今夜はルイザと共にジェシカの流動食を作る予定だ。
包丁などでペースト状になるまで切り続けてもいいのだが、作業の簡略化はなるべくしたい。時間と手間が増えると、作る側に結構な負担がかかる。負担を減らすためには、作業が楽になる道具を使うしかない。ミキサーなどがない場合、すり潰せるものといったらすり鉢だろう。
「ヴィンス! すり鉢とかってある?」
「すり鉢?」
「うん。ものをすり潰す為の棒と鉢のことなんだけど」
「すり潰す? なんだそれは」
海の期待を裏切るようにヴィンスは怪訝そうな顔をした。すり鉢の存在を知らないということは、この国にはないということだ。
「すり鉢もないのか……やっぱ包丁しかないか」
「さっきから何ぶつぶつ言ってるんだ」
「実は、ルイザの従姉妹のジェシカさんって人が寝込んでるんだ。原因はまだ分からないんだけど、食欲がだいぶ落ちてて、多分固形物が食べれないと思う。簡単に、でもちゃんと栄養が取れるように液体状のご飯を作ろうかなって」
「それですり潰すもんが必要ってことなのか」
「それがあると作るのが楽になるからね」
すり鉢が無いとしたらもう代用品は無いだろう。こうなったら包丁で頑張るしかない。今日のところは海が潰そう。ルイザはジェシカの家を掃除してきてるはずだ。疲れているジェシカにもっと疲れるような作業をさせたくない。
「ごめん、ヴィンス。俺、ルイザの所に行ってジェシカのご飯作るの手伝ってくる」
二階の部屋に本を取りに行き、海は宿の扉へと手をかけた。
「待て。そのすり鉢ってもんの詳しい形状を教えてくれ」
「どうしたの?」
テーブル席に座ってお茶を飲んでいたヴィンスが紙とペンを自室から持ってくると、そのまま海に手渡した。
「よく一緒に魚を取りに行ってるやつにな、物作りが得意な奴がいる。そいつに頼んで作れそうであれば作ってもらえばいいだろう」
「そんな簡単に作れるもんじゃないと思うよ? てか、そんなこと頼んで平気なの?」
「いつも魚を分けてやってるやつだ。漁師のくせに釣りは下手でな。そのくせ、針を作るのは上手い。手先が器用なやつだ。似てるようなもんは作れるだろ」
だから早く書けと海を促す。海は戸惑いながらも渡された紙にすり鉢の詳細を書いた。
すり鉢の形状を紙に書く機会機会なんてそんなにない。間違って伝わらないように、すり鉢を思い出しながら一つずつ丁寧に書いた。
「ヴィンス、出来たよ。これでいい?」
「ふむ。すり鉢ってのはこういうもんなのか」
「出来そうかな」
ただの棒と鉢ならいいのだが、すり鉢は器の内側に放射状の溝がある。櫛目と呼ばれる溝が作れるか否かで変わってきてしまう。
すり鉢の製造工程なんて知らない海には櫛目の作り方までは伝えることが出来ない。説明できる所まではしたのだが、あとは作る側の想像力と腕になってしまう。
「出来るか出来ないかはあいつ次第だ。お前さんこれからルイザのところに行くんだろ?なら、わしもこれ持ってそいつの所に行ってくる」
「今から行くの!?」
まだ釣りから帰ってきたばかりだというのに、ヴィンスはまた出かけると言うではないか。疲れているのだから明日にしてはどうかと言ってみたが、ヴィンスは今日行くと言ってきかない。
「早くルイザのところに行ってこい。女は待たすもんじゃないぞ」
しっしっと手で追い払われて海は宿を出た。
「なんか……言われてみればっていうやつ?」
ヴィンスは浮気癖が酷いってアレクサンダーが言っていた。それほど女性にモテていたのだろう。だとしたら、女性の扱いも上手いわけで。
「人を待たせるのは良くないのはわかるけど、なんかヴィンスの言い方がなんというかなぁ」
アレクサンダーから聞いた話のせいで、先入観に囚われてしまっているのか。なんだかこの先、ヴィンスが女性に気を遣う度に浮気癖という単語を思い出しそうだ。
それよりも今はルイザの元へ行くのが先決だ。
ヴィンスの浮気癖は頭の片隅へと追いやり、海はルイザの家へと歩き出す。
ルイザに食事を渡しに行った時のように勝手口の方へと回る。勝手口の扉を数回ノックして、ルイザが開けてくれるのを待った。
「来てくれたのね。ありがとう! さぁ、上がって」
「お邪魔します」
ノックをしてから数分と待たずに、ルイザは戸を開けてくれた。勝手口から家の中へお邪魔すると、焦げ臭い匂いが鼻についた。
「ルイザ、何か作ってたの?」
「ええ。でも、上手くいかなくて」
キッチンへと行くと、いくつもの皿が並べられていた。どれも液体状の何か。中には黒くてドロっとした物もある。あれは一体なんだ。
「流動食って言うから、いつもの食事を作って全部煮たのよ。そしたら焦げちゃって」
「焦げるまで煮たんだ……」
「だって煮れば柔らかくなるでしょ?」
「水分があるからね。でも、これから作るのはちょっと違うよ」
早速作りたいところだが、まずはこの並べられている失敗作たちをどうにかしなくては。焦げて黒くなっているのはもう食べれないとしても、まだ白っぽいやつなら食べれそうだ。
ルイザにスプーンをもらって、手近にあったものを掬って口に入れた。
「うん!?」
「どうしたの? 美味しくない?」
「ルイザ、これしょっぱい!」
「え、そう?」
味がどうのというよりも、しょっぱ過ぎて舌がピリピリする。何を入れたらこんなにしょっぱくなるんだ。
「これ何入れたの?」
「魚よ。味付けに塩を少し入れたけど」
それだ。原因は塩だ。塩を少し入れた、と言ったルイザは海から顔を逸らした。少し入れたというもんではない。舌が痛むほど塩を入れたのか。
「ルイザ、これじゃ飲み込むのも辛いし塩分過多になる」
「気をつけるわ」
手伝いに来てよかった。ルイザ一人に任せていたらどうなっていたことやら。ジェシカの体調悪化が塩分過多なんて洒落にならない。
気を取り直して、海はキッチンの周りにある皿を一旦リビングのテーブルへと運んだ。ルイザが運び出されていく皿を見て、残念そうにしていたが気にしていられない。一通り全部食べてみたのだが、どれも過度にしょっぱいか甘いのだ。味を薄めて食べるか、これから作るものに少し付け足すくらいにしか使えないだろう。
せっかくルイザが作ったものだ。無駄にはしない。
「よし、綺麗になったから作ろうか」
「ええ、よろしく! 先生」
「俺が先生なの?」
「先生じゃない。料理の先生」
「先生と呼ばれるほど料理作れないんだけど……」
料理はしていたけど、レパートリー自体は少ない。今回作る流動食だってワンパターンになってしまうかもしれない。
野菜や果物がないのであれば、作れるものも限られてしまうからだ。
「作れるだけ作ってみようか」
冷蔵保管庫から魚を一匹取り出す。ルイザの家にある魚はヴィンスが取ってきた魚だ。宿の冷蔵保管庫のように、色んな魚が入っていた。これだけ入っていれば、ルイザのご飯もジェシカのご飯も賄えるだろう。
取り出した魚をまな板の上に置き、海は手にした包丁で魚の頭を切り落とす。三枚におろして、出汁をとるために骨と身とで分ける。
骨と頭の方には塩を振りかけて放置。その間に身の方を茹でる。
「すごくテキパキしてるわね。前にも作ったことあるの?」
「いや、魚の流動食はないよ。野菜とかならあるけど」
全て手作業で作ったこともない。
寝たきりとなった父親のために、喉に詰まることの無い柔らかい食事として流動食を作った。その時はミキサーが使って、全てペースト状にしていた。
あの頃は毎日大変だったけど、楽しかった。
あれはやだ、これはやだと言う父親に海は頭を悩ませた。何を出しても食べてくれなくて、どうしたら食べてくれるのかを散々考えた記憶がある。
食べやすくなるようにと介護用のソフト食や赤ちゃんの離乳食の動画を見たり、レシピ本を買ってきたりと忙しかった。
だが、誰かのために忙しく動き回るのはとても有意義だった。自分の存在意義がそこに見い出せた。悪い依存の仕方をしていると思いつつも、そうしている事で"自分"というものを確立させていた。
あの頃は本当に。
「身に火が通ったら包丁で柔らかくするから、ルイザは骨と頭で出汁をとってくれる?」
「わかったわ。でも、魚の頭で出汁なんてとれるの?」
「とれるよ。あぁ、塩を振りかけてあるから一度お湯で洗い流してから出汁をとって」
「はーい!」
言われた通りにルイザはお湯で洗い流し、骨と頭を鍋に入れて煮込む。海は茹で終わった身を温かいうちに包丁で柔らかくする。手作業でどこまで柔らかくなるかは分からないが。
細かく切り刻んでいる内に出汁ができ、海の方もペースト状とまではいかなかったが、噛まなくても大丈夫なくらいには柔らかくなった。
解した身と出汁を合わせて混ぜると、流動食の出来上がり。試しに自分で一口食べてみると、中々の出来栄えだった。
「これなら喉につまらず食べれるな」
「結構時間かかるわね。二時間経ってる」
一食分にこんなに時間をかけていては毎日が大変になってしまう。一度に沢山作って、冷凍保存をした方が良さそうだ。
「今日のところはこれをジェシカさんに持っていこう。食べてくれるといいけれど」
「大丈夫よ、きっと」
作った流動食を蓋付きの器に入れ、ルイザとともにジェシカの家へと向かう。
「……なんだ?」
「どうしたの?」
「なんか今誰かに見られてた気がして……」
「誰かに?」
ジェシカの家目前で背後に人の気配がした。咄嗟に振り返ってみるもそこには誰もいない。ただ、暗く静かな道。今日も慌ただしかったから疲れたんだろうな。ルイザに気のせいだったと声をかけて、海たちはジェシカの家へと入った。
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