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第二章 異世界に来たけど、自分は平民になりました
第二十六話
しおりを挟むヴィンスが釣りに行っている間、海は自室にこもって医学本と睨めっこをしていた。調べているのは貧血について。
ルイザの貧血を少しでも良くするために。
「ルイザの場合は鉄欠乏性貧血か」
鉄欠乏性貧血。ヘモグロビンを構成するための鉄分が不足することで起きる貧血。貧血といっても色んな種類の貧血があるのだが、この鉄欠乏性貧血になる人が圧倒的に多い。
原因も単純で、体内に鉄分が不足しているからという理由だ。
鉄分は食事で補給するしかない。主に肉や魚、卵などに含まれている。ただそれらを摂取すればいいということでもない。肉や魚であれば赤身。卵であれば卵黄と部位によって鉄の含有量は違う。
「あれ、そういえばこの国って家畜はいるのか?」
野菜と魚の印象しかなかったが、牛や鶏などの畜産物は聞いたことがない。城下町をふらついていた時は、猫や犬は見かけた。倒れている人に寄り添うように体を丸くして息絶えていた。きっと飼い主だったんだろう。最期の時まで共に居ようとしていた。あの子たちだって餓死は辛かっただろうに。
「ヴィンスに聞くか……最近、ヴィンスに色々聞いてばっかで申し訳ないな」
医者のことも国のこともヴィンスに聞いてばかりだ。少しは自分で外に出て調べることもしなくては。でもいつ行こうか。
「あ、今日昼の約束ないんだっけ?」
カウンターにある時計を見ると、時間は10時頃。外に出て周辺を調べるくらいなら余裕だった。
「今日しかない、行くか!」
ガタッと椅子から立ち上がって出かける準備を始めた。リュックにノートとペンを詰め込んで部屋を出る。一応、もう一つの部屋の方を覗き、窓の鍵がちゃんとかかっているかを確認してから、階段をドタバタと駆け下りていった。
こんな風に突発的に出掛ける前に、宿の鍵をヴィンスからもらっておいてよかった。ヴィンスはどうせこんなボロ宿に盗みに入るやつなんていないから、出かける時は開けっ放しで出て行っていいと言っていた。どうせ盗るものなんてないのだからとヴィンスは笑っていたが、海はどうしてもと食い下がった。
家主のヴィンスがそう言っているのだから合わせればいいのだが、なんとなく嫌だ。家を留守にする時は鍵をかける。それは子供の頃から染み付いているものだ。家にいても、玄関の扉は鍵をかける。己の身の安全を確保するために。
ダメだというなら海は二階の窓から出ると言った。海が使っている右側の部屋は窓の近くに木がある。手を伸ばせば太い枝を掴むことが出来るのだ。それを伝っていけば外に出られる。宿の中の鍵を全て掛け終えたあと、窓から出ればいい。そう考えたのだが、ヴィンスに「そしたら俺が帰ってきた時に入れないじゃないか」と真顔で言われた。
鍵を持ち歩く癖がないヴィンスからすれば、宿から閉め出されたも同然だ。それから鍵について押し問答をし結果、ヴィンスが折れた。
互いに鍵を持ち歩くことにしたのだ。
「二階の窓は大丈夫。勝手口も閉めた、キッチンも平気、一階も大丈夫」
よし、大丈夫全部掛け終えた。一人、一階の扉の前で頷いてから外に出る。最後に宿の出入口の鍵を閉めた。
「まずはどこから行くか」
この国の地図は手元にない。城にいた時ならば、城下町の詳しい地図があった。誰かが来賓室に入ってくる前にスマホで写真を撮っておこうと思ったが、こちらに来た時に壊れてしまったのか電源が入らなかった。
スマホはスーツの上着のポケットに入れていた。床に落ちてきた時にスマホも叩きつけてしまったのかもしれない。電源を何度押してもうんとすんとも言わないスマホに少なからずショックは受けた。
新しい機種に買い替えてから一ヶ月経ってなかったから。
「勘で行けばなんとかなるだろ。目印だけ覚えておけば行ける行ける」
まずは大通りに出てみよう。腐敗臭漂う大通りに出るのは気が引けるが、そこに出ないと他の通りには行けない。
「マスクが欲しくなるな」
亡くなってる人には失礼な言い分ではあるが、だからといってずっと嗅いでいたい臭いでもない。彼らのこともいつかきちんと埋葬出来ればいい。いつまでもこんなところでは報われないだろう。
もう少し、もう少しだけ我慢して欲しいと彼らに謝りながら、海は大通りを歩き出した。
最初にこの町に来た時と変わらない光景に海の足はすくみそうになった。でも、あの時とは違う。あの時はただ見ているだけで何も出来ないと決めつけて絶望していたが、今は出来ることからやっていくと決めた。それが些細なことであっても。
「そういえば何でこんなに使命感を感じてるんだ?」
この国に来てからというものの、元の世界に帰るという気持ちよりも、この国を助けたいという思いの方が強かった。困っている人がいる、見捨てるのは心苦しいというのもあったが。
「ま、いっか。今は家畜の有無の確認だ」
今は気にするべきではないと思考を切り離した。ルイザの為に家畜を探すのが先決だ。
大通りをひたすら歩き、宿からだいぶ離れたころにそれは見つかった。大通りから横道の方に入る手前に木製の看板が立っていた。随分と前から置かれているものなのか、釘はサビつき、所々カビもついていた。書かれていた文字も掠れているのだが、かろうじて読み解くことは出来る。
"ウィンドファーム"
ファームってことは牧場という意味で合ってるか?多分あってはいるはず。行ってみて違かったらまたここまで引き返してくればいいだろう。
カバンが差す方へと歩を進める。道の奥へと進みに連れて住宅は少なくなっていった。あの看板からどれだけ歩いただろうか。感覚的に二百メートルくらい?といっても、中学の頃にやったあの短距離走を思い返しながらの感覚だが。
「今はもうあんな早く走れないよなぁ」
百メートル走を何秒で走れるかを友人と競いあった記憶。あの頃は楽しかったなぁなんて浸っていると、海の視界に広々とした空間が映った。学校の校庭くらいの広さだろうか。
白い柵で囲われた土地。やはりここは牧場だったのかもしれない。ただ、闇のせいなのか、芝生は枯れ果ててしまっていた。
柵と土地があるだけで、中には動物の姿はない。これだけ広いなら牛が居るはずだ。
「いたとしたら牛舎の方か」
道の突き当たりにある大きな建物。そこがきっと牛舎になっているのだろう。海は緊張した面持ちで建物へと近づいていく。
建物入口は鍵が掛かっていて入れなかった。中に誰かいるかもしれないと、呼び鈴を鳴らしてみたが応答はない。
「勝手に中に入るのはやばいかな」
ルイザの時のようになるかもしれない。たまたまルイザが優しい人物だったからよかったものの、同じことをしてまた見逃してもらえるとは思えない。
でも、気になる。
「すみませーん! 誰かいらっしゃいますかー?」
建物に向かって叫んでみたが無反応。
「誰かいれば返してくれるはず……だよな?」
返事ないということは誰もいないのではないか。なら中に入ってみても。いや、不法侵入で訴えられたら厄介だ。ここはもう少し待ってみて、それでもダメだったらまた日を改めて。
建物の前でうんうん唸りながらあれやこれやと考えていると、不意にズボンの裾を何かに引っ張られた。最初は風かなにかだろうと無視していたが、段々とそれは強くなっていく。
「なに……って、え。鶏!?」
やたらズボンが引っかかるなと足元を見下ろすと、そこには一羽の鶏。ひたすらズボンの裾を嘴で引っ張っていた。
「どこから出てきたんだ?牧場の中から?」
鶏を驚かせないようにゆっくりとその場にしゃがみこむ。鶏はズボンの裾を引っ張るのに夢中になっていて、海の手が近づいてきていることに気づいていなかった。
「ここじゃ危ないから中へ戻ろう? きっと牧場の人も心配してるよ」
優しく鶏を抱き上げ、海は仕方なく建物の裏へと回った。これで不法侵入だなんだと言われても仕方ない。鶏が一羽脱走していて、中へ戻そうとしたと言い訳しよう。うん、そうしよう。
腕の中でコケコケ鳴いている鶏を微笑ましく見つめながら、海は養鶏場を探した。
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