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第二章

54. 失ったもの

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なぜ明日が来ると頑なに信じていたのだろう。
今日の続きの、変わらない明日が来ると信じて疑わなかった。


レイに連れられて帰ったその日、家には先生がいて私の顔を見るなり抱きしめてくれた。今まで見たこともない悲しく優しい表情をして私を抱きしめ、そしてグラントさんにも声をかけた。

「温かいお風呂を用意しておいたわ。さぁ、いらっしゃい。」

先生はグラントさんにうちのお風呂を使うようにいうと、ライファは私の家で入りなさいとハートランドへ連れていった。

「先生、わたし、何もできなかった。何も、できなかったの。」
先生は私の言葉を真っ直ぐな眼差しで聞き、一度目を伏せてからまた真っ直ぐに私を見た。

「あなたは生きて帰ってきた。今は、それだけでいい。」
その言葉にまた涙があふれる。

心の中にあった大事なモノ、私を形成していた大きな核が欠けて崩れそこに空洞ができた。空洞になったそこを何で埋めればいいのかも、何かで埋まるものなのかも、埋めるべきものなのかも分からない。
シャワーを浴びた。

雨のように注ぐ水が皮膚の表面で跳ね、床にぶつかって跳ね、ザーッというその音が思考を鈍らせていく。それは今の私にとってはありがたいことだった。


先生が入れてくれたお茶を飲む。ふわっとハクの花の香りが漂い、温かいお茶が食堂を通り胃まで落ちていく。グラントさんが息を吐いた音が聞こえた。血を洗い流してサイズの合わない服を羽織ったグラントさんは少しだけ落ち着いたように思えた。

「グラントさん・・・。」

私の声にこちらを向いたグラントさんは、ハッとしたように「世話になってすまない」と先生に言った。

「気にしなくてもいいのですよ。」
優しく温かい声のトーン。

「グラント・・・グラントと申します。」
「私はマリア、そしてこちらがレイ。」

二人の顔を見てグラントさんが頭を下げた。そして何か言おうとして口を噤んだ。

「無理に話そうとしなくても大丈夫ですよ。今はゆっくり休みなさい。何か食べますか?ずっと食べていないでしょう?」

先生が珍しく果物を切ってくれる。ほんのり甘く、優しくとろけるような味わいのグラッシャという果物だ。手のひらくらいの果物で半分に切ってスプーンで食べる。体調を崩した時にお母さんが良く切ってくれたっけ。

「ライファの家族には無事だという知らせはしておきました。後で連絡をしてあげなさい。きっとすごく心配しているだろうから。」

先生の言葉に頷いた。グラッシャをスプーンですくい、口の中に入れる。

「うっ・・・ゴホッ。ゴホッ。」

食べ物を口の中に入れた瞬間、砂にでもなったかのような感触と飲み込ませまいと拒否する喉の動きに耐え切れずに吐き出してしまった。

「大丈夫か?」
レイが背中をさすってくれる。

「すみません、せっかく切ってくれたのに。」
「いいのですよ。ゆっくり、ゆっくりいきましょう?」

グラントさんを見ると泣きながらグラッシャを食べていた。

「・・・キイナが好きな果物なんだ。雑に食べると叱られてさ、こうやって食べるんだって食べ方を教えてくれたんだ。」

グラントさんの姿を見て私も果物を口に入れた。先ほどと同じような砂のような感触と拒否する喉の動きに抗って、何度も餌付きながら無理やりに飲みこむ。キイナが何度も何度も私に微笑んだ。お客さんに呼ばれてテキパキ動く姿、グラントさんが来た時だけ嬉しそうに微笑んで、少しだけ声が高くなるキイナ。
あの姿をもう見ることはない。キイナだけじゃない。厨房でガハハと笑うガロンさんも、いつも優しく声をかけてくれるナターシャさんも、ライファ!と笑うキヨの笑顔も、もう見ることは無い。

「うぅ、うぅっ」
あれほど泣いたというのにまだ涙が枯れることはなかった。



 報告のためにレイが帰宅して、その日の夜には師匠が帰ってきた。

「少しは落ち着いたか?」

「・・・はい。」
師匠の顔を見上げる。聞きたくて聞きたくなくて、返事を限定したくなる質問をした。

「師匠、研究所のみんなは大丈夫でしょうか?騎士団のみんなは・・・・アレン王子は・・・。」

師匠が目を閉じる。その動作ですべて分かってしまった。

「みんな・・・死んじゃった?」

喉にグッと重さがかかって、言葉にするのも怖い言葉。事実を確認したくて絞り出せば、か細く掠れた声になった。

「あぁ。ターザニア全体を魔力で見てみたが、人間のものと思われる魔力は無かった。」
「なん・・・だと?」

グラントさんが驚きの声を上げて立ち上がった。

「・・・どうして?どうして・・・みんな・・・どうして?」

体から力が抜けて座り込んだ。
私たちが何をしたというのだろう。ターザニアの民が何をしたというのだろう。それからは泣いて、食事をしては吐き、泣いて泣き疲れて少しだけ眠って。見かねた先生が調合してくれた薬を飲んで、ようやくぐっすり眠った。

そうして3日目。
レイが持ってきてくれたリトルマインでクオン王子と話をした。私の顔を見てクオン王子があからさまに安心したような表情をする。

「ご飯はちゃんと食えているのか?痩せたみたいだが・・・。」

気遣うような声。ずっと分かっている。レイにも師匠にも先生にも心配をかけていること。クオン王子にも、か。

「・・・あんまり食べられてない・・です。」
「だろうな。スキルを使わなくてもバレバレだ。オーヴェルに来るか?美味い物、用意しておくぞ?」
「王子はかわりませんね。」
「ん。」

王子がなんとか私を元気づけようとしてくれるのを感じつつも、笑おうとしては顔が引きつってしまう。

「ライファ、グショウは生きているぞ。」
「え?」
「ターザニアは本当に滅んだのかとジョンに連絡が来たそうだ。あの日、ターザニアにいなかったのだろうな。」
「・・・良かった。生きていてくれて・・・良かった。」

掠れた音が声になり、胸の奥から安堵がせりあがってくる。ポロポロと溢れてくる涙に構わずにベルをぎゅっと抱きしめた。

「クオン王子、教えてくれてありがとうございます。」
きっと涙でぐしゃぐしゃであろう顔を上げられずに、ベルにくっついたままお礼を言った。

「あぁ。」

何か話そうとした王子の背後でガサガサと音がする。

「ライファ、また、連絡する。お前が生きていてくれて・・・良かった。」

王子も忙しいのだろう。クオン王子にお礼を言い、レイの元へと走った。




 リビングのソファには先生、グラントさん、レイ、師匠が揃っていた。

「ライファ、グラント聞きたいことがある。あの日のこと話せるか?」

師匠の言葉に頷いた。生き残ったのが私とグラントさんだけなのであれば尚更、あの日のことを話さなければいけないということは分かっていた。話すということはあの日の出来事を思い出すということ。頭の中で再生してもう一度経験するということに他ならない。だからこそ話すことがきでなかったし、師匠たちも聞かずにいてくれたのだ。

「あの日、夜の9時頃だったと思います。私もグラントさんもフォレストの地下にある食堂に居ました。地震のよう
な揺れを感じて、その揺れが続いたままたくさんの叫び声が・・・。ガロンさんが外に見に行ってくれてたくさんの魔獣が攻めてきていることを伝えられました。逃げ場はないから、戦う準備をするようにと。その直後、魔獣が目の前に現れたのです。」

甲羅のように硬い皮膚に覆われた大きな体、足から生えた牙のような突起、赤い目。思い出して体が震える。レイが私の手を握って、その温かさに現実はこちらだと呼び戻された。

「魔獣は2mくらいの大きさなんだな。足の突起物はどこについていたんだ?攻撃方法は?何でもいい、他に気付いたことは?」

私が告げた魔獣の姿を師匠が確認したり質問したりする。

「あいつら・・・店の食べ物も食べていた。俺たちを攻撃するやつもいれば、食事をしている奴もいた。」

グラントさんの言葉に師匠がまた質問をする。

「人間は食べていたか?」
「いや、店にあった料理だ。人間は食べなかった。」
「そうか・・・。マリア、魔獣に心当たりはあるか?」

先生は記憶をたどる様に少し目を閉じる。

「ないですね。」
「私もだ。新種か?」

「新種が一体だけならまだしも、突然こんなに大量に発生することは考えられませんわ。新種は遺伝子の突然変異。まず一体から始まり増えていくのです。これだけの量を自然発生させるには時間が必要ですし、魔力の高い魔獣であれば早いうちに発見されているはずです。」

「人の手によるものだとしか考えられんな。魔獣が人間以外を襲っているのを見たか?」
「見ていない。」

グラントさんが答え、私は首を振った。

「あの日ターザニアを見たけど魔獣の死体すらなかったのはなぜだ?」

レイが疑問を口にする。

「それだ。魔獣はどこに消えたんだ?二人とも、何か分かるか?」
「わからない。襲ってきた魔獣に俺は牙で刺された。そこから記憶がない。」
「刺された?グラントの体にそんな傷は無かったが・・・。」

師匠は考えるような顔をしたが、何も言わなかった。

「魔獣は死ぬと爆発するのだと思います。」

私の一言に全員が一斉に振り向いた。

「どういうことだ?」
「ガロンさんと魔獣を一体倒したんです。死んだと思った瞬間、魔獣の体が膨らんで爆発しました。」

その後のガロンさんとナターシャさんの姿が脳裏に浮かんで、レイの手をぎゅっと握りしめた。私はここにいる。今日はあの日ではない、心に言い聞かせる。

「その後も、あちこちで爆発音が聞こえました。私を執拗に襲っていた魔獣も夜が明けるころには爆発しました。そのあとで、グラントさんを見つけたのです。」

「マリア、どう思う?」

「死ぬと爆発する魔獣なんて聞いたことありませんわ。まるでそうなる様に仕組まれたみたいで不気味ですわね。死ぬと爆発する、証拠を残さないように薬でも調合されたかのよう・・・。」

「これは・・・。」

魔女二人が絶句して固まった。手を顎に当てて何かを考えている師匠に対し、先生は考えをまとめるかのようにお茶を飲んだ。その後、大きく息を吐き出してから師匠がグラントさんに向き合った。

「グラント・・・。お前の体に傷はひとつもなかった。魔獣に刺されたのは確かだな?」

師匠の言葉にグラントさんがはい、と答える。師匠は何を言うつもりなのだろう。その意図の想像がつかず、私もレイも師匠とグラントさんを見つめた。

「今まで怪我をして短時間で傷が治ったことはあるか?」
「ありません。」

師匠の質問を聞いて、その意図が分かったのだろう。先生がハッと顔をあげてグラントさんを見た。

「まさか・・・。」

先生を見て師匠が頷く。

「グラント、お前は多分、生き返りのスキルを持っている。」

「なんだと!?」

そう言葉を発したのはレイだ。グラントさんは呆然と混乱の中にいるかのようだ。

「そのスキルの詳細は私でもわからない。一度生き返るだけなのか、死ねないものなのか、もしくは回数制限があるのか・・・。」

「はっ、くくくくく。ははっ!」

グラントさんが乾いた声で笑った。

「死ねないだと?この記憶を持ったまま、キイナのいない世界を生き続けるのか!?死んで会うという願いさえも叶わないのか!!」

グラントさんはそう叫ぶと立ち上がり、それと同時にレイの腰にあった刀を引き抜いた。そしてそのまま、自身の首を掻き切った。一瞬にして血が飛び散り、ソファやテーブル、師匠やレイに飛び散る。グラントさんの体が斜めになり、そのまま大きな音を立てて倒れた。

「きゃあああああああ!!」

思わず叫んだ私をレイが強く抱きしめる。

「・・・神とは残酷なものだな。」

師匠が倒れたグラントさんを見つめていた。

「師匠、グラントさんを早く、治療を、はやく。」

今も血が流れ続けているグラントさん。顔は青白くなり呼吸をしているのかどうかも分からない。

「大丈夫だ。見ていろ。」

グラントさんの傷がしゅるしゅると治っていく。部屋は血だらけのままだが、グラントさんの傷だけが綺麗に治った。

「死なない程度の怪我は治らないが、死んでしまえば怪我さえ治って生き返るか。」
グラントさんが静かに目を開けた。

そして両手で顔を隠して泣きながら笑った。

「何度死ねば死ねる?」

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