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25. センチメンタル
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【返事は待ってって言ってある】
翌朝に見た阿川からの返事はこの一言だった。直ぐに断ったりしないという事は前向きに検討しているという事だ。胸の奥のところが氷でも置いてあるかのように冷たい。その氷が溶けた水は決して体を温めるようなものではなくて、むしろ蝕んでいくような冷たさだ。
入れ替わることもなく平和にバイトをしていると閉店間際に村上さんがやってきた。飲みに行かない?と絶妙なタイミングで言う。
「行きます。丁度飲みたいなって思ってたんですよ」
仕事が終わるまで待っていてもらって一緒に向かったのは前回行ったのと同じ居酒屋だ。ほっけの塩焼きと卵焼き、軟骨のから揚げ、ビールが二杯。
「橘君ってビール飲めたっけ?」
「正直言うとあんまり得意じゃないかも。苦くって」
「でも今日はビールなんだ?」
「更に大人になろうと思いまして」
ビールを手にしてCMみたいに大きくぐびぐびぐびっと半分ぐらい一気に飲んだ。炭酸がしゅわしゅわっと喉の奥を荒らして、込み上げる苦みを飲み込む。
「うー……苦いっ」
「ぷっ、飲んでいればそのうち慣れるよ」
村上さんは大人だ。俺に振られたって言うのにこうして一緒にお酒を飲んで、平気な顔して過ごす。この間何て恋愛の相談にも乗ってくれた。今の俺なら、その行動がどれだけ凄いことか良く分かる。俺はこの心境で阿川の恋愛相談に乗るのは無理だ。
「よし、生ひとつ!」
「大丈夫? ちょっとペース早いみたいだけど」
「平気、平気。全然酔っぱらってないし。そんなことより、村上さんの話して下さいよ。仕事、なんでしたっけ、ほら、あの」
「不動産屋」
「そうそう、やっぱあれっすか? 事故物件とかもあるんですか?」
「そりゃあねー。ココだけの話、結構怖い物件もあるよ」
「えー、マジっすか!!」
話す内容なんて何でもよかった。その場の空気に酔って、頭の回転を鈍らせて。何も考えたくない。少しの隙間があればきっと考えてしまうから。
「生ひとつ!!」
「ちょっと橘君、そろそろ飲みすぎなんじゃない? 酔っぱらってきてると思うけど」
「えぇ~、ぜんぜんそんなこと、ないれすよー」
「酔っぱらってる人ほど酔っぱらってないって言うんだよ。ったく、僕の前でそんなに酔っぱらって手を出されても知らないよー」
「手を出したいんすかー?」
「そりゃあね。でも、そんなことしたら彼に怒られちゃうでしょ」
「……彼なんていないっすよ。もうねー、振られちゃいました。村上さんの言う通り。村上さんって預言者なんじゃないですかーっ。あははははは」
テーブルに頭をもたれさせてケラケラと笑うと村上さんの手が俺に伸びてきて、頭を撫でる。
「いいよ、今日は好きなだけ付き合ってあげる」
居酒屋を出て寒空の下、公園に向かった。空気は冷たいのに体の中心があったかい。うわー、懐かしいと声を上げて小さな滑り台に上った。
「村上さんはさー、振られた時、どうやって立ち直るの?」
びゅーっと滑る。思っていた以上に滑り台が良く滑って尻もちをついて着地、可笑しくて笑った。
「どうかなぁ。初日はやっぱり橘君みたいにお酒飲むかも」
「ぷっ、じゃあ俺の行動は皆が通る道なんですね。その後は? どのくらいで忘れられる?」
もう一度滑り台に上る。滑ると鼻の頭が冷たくて、顔に触れたら頬もキンキンに冷えていた。
「どのくらいか……か。人それぞれだからな」
「よくさー、失恋には時間が薬よ、なんていうじゃないですか」
「あー、いうねー」
滑り台の階段を上ると、靴底に着いた砂がザッザっと音を立てた。
「忘れるまで眠り続けられたらいいのにね、なんて。ガラにもないか」
あまりにセンチメンタルな自分の言動に笑いながら滑り台を滑ると、その先に村上さんが立っていた。立ち上がると同時に抱きしめられる。
「今は忘れられなくてもいいから、僕と一緒にいない?」
村上さんに抱き締められた部分が少し苦しくて、心地よい。一人で立っているよりずっと楽だ。
「もう一回告白させてよ。僕は……」
カチン
こんなことってあるのだろうか。音と同時に俺は温かな布団の中にいた。先ほどまでの寒さとは雲泥の違いだ。あったかい。阿川の匂いがする。阿川だ……。阿川。
俺は阿川に抱きしめられている気持ちになりながら目を閉じた。
ドンドンドンドン
けたたましくドアをノックされて跳び起きると同時に殴りかかるような声が響いた。
「お兄ちゃん、今日、撮影でしょ!! 起きなくて大丈夫なの?」
「え、うそっ、まじ、ど、どこ?」
「もしかして圭太さん?」
「あ、うん」
「場所まで分からないよ。お兄ちゃんに連絡してみれば」
「いや、大丈夫。ファイル見れば分かるから」
俺は阿川の予定をチェックすると5分で準備を整え、家を飛び出した。
Aスタジオで良かった……。
Aスタジオは阿川の体になって一番多く行ったことのある仕事先だ。メイクと着替えを済ませスタジオに入るとギリギリじゃん、と声が聞こえた。
「す、すみませんっ」
阿川の顔に泥を塗ってはいけないと慌てて頭を下げると、くすくすとした笑い声が聞こえた。この声……。
「咲也さん!?」
「そ、今日は俺と撮影だよ。知らなかった?」
「し、知ってました!!」
ぶっ、と噴き出した咲也さんは俺の耳元に口を近づけると「今日は圭太なんだ」と囁いた。耳を手で隠しながら、ハッと目を見開いて咲也さんを見る。
ご、誤魔化しても無駄だろうな……。それに、今後のことも考えると協力してもらった方が良いだろうし、咲也さんが何か言ったところで、中身が入れ替わっているだなんて誰にも証明できないし。
「そうですよ。知ったからには協力して下さいよ。阿川の顔に泥を塗るわけにはいかないんで」
周りに聞こえない様に話すと咲也さんは可笑しそうに目を細めた。
さすが咲也さんと言うべきか、撮影は今まで俺が変わったどの撮影よりも順調に進んだ。カメラマンさんの要望に応えつつ、小さな声で俺に的確に指示を出してくれる。
「阿川、手を俺の首に回して」
「右足に体重かけて気だるい感じで」
「右手上、顔傾けて」
その通りに動けば、パシャパシャとシャッター音は絶え間なく続いて、あっという間にOKサインが出るのだ。
9時半から始まった撮影は12時に昼休憩を挟み、午後3時に終了した。
「阿川くん、時間あるならお茶しようよ。ね、いいでしょ」
「いいですけど……」
翌朝に見た阿川からの返事はこの一言だった。直ぐに断ったりしないという事は前向きに検討しているという事だ。胸の奥のところが氷でも置いてあるかのように冷たい。その氷が溶けた水は決して体を温めるようなものではなくて、むしろ蝕んでいくような冷たさだ。
入れ替わることもなく平和にバイトをしていると閉店間際に村上さんがやってきた。飲みに行かない?と絶妙なタイミングで言う。
「行きます。丁度飲みたいなって思ってたんですよ」
仕事が終わるまで待っていてもらって一緒に向かったのは前回行ったのと同じ居酒屋だ。ほっけの塩焼きと卵焼き、軟骨のから揚げ、ビールが二杯。
「橘君ってビール飲めたっけ?」
「正直言うとあんまり得意じゃないかも。苦くって」
「でも今日はビールなんだ?」
「更に大人になろうと思いまして」
ビールを手にしてCMみたいに大きくぐびぐびぐびっと半分ぐらい一気に飲んだ。炭酸がしゅわしゅわっと喉の奥を荒らして、込み上げる苦みを飲み込む。
「うー……苦いっ」
「ぷっ、飲んでいればそのうち慣れるよ」
村上さんは大人だ。俺に振られたって言うのにこうして一緒にお酒を飲んで、平気な顔して過ごす。この間何て恋愛の相談にも乗ってくれた。今の俺なら、その行動がどれだけ凄いことか良く分かる。俺はこの心境で阿川の恋愛相談に乗るのは無理だ。
「よし、生ひとつ!」
「大丈夫? ちょっとペース早いみたいだけど」
「平気、平気。全然酔っぱらってないし。そんなことより、村上さんの話して下さいよ。仕事、なんでしたっけ、ほら、あの」
「不動産屋」
「そうそう、やっぱあれっすか? 事故物件とかもあるんですか?」
「そりゃあねー。ココだけの話、結構怖い物件もあるよ」
「えー、マジっすか!!」
話す内容なんて何でもよかった。その場の空気に酔って、頭の回転を鈍らせて。何も考えたくない。少しの隙間があればきっと考えてしまうから。
「生ひとつ!!」
「ちょっと橘君、そろそろ飲みすぎなんじゃない? 酔っぱらってきてると思うけど」
「えぇ~、ぜんぜんそんなこと、ないれすよー」
「酔っぱらってる人ほど酔っぱらってないって言うんだよ。ったく、僕の前でそんなに酔っぱらって手を出されても知らないよー」
「手を出したいんすかー?」
「そりゃあね。でも、そんなことしたら彼に怒られちゃうでしょ」
「……彼なんていないっすよ。もうねー、振られちゃいました。村上さんの言う通り。村上さんって預言者なんじゃないですかーっ。あははははは」
テーブルに頭をもたれさせてケラケラと笑うと村上さんの手が俺に伸びてきて、頭を撫でる。
「いいよ、今日は好きなだけ付き合ってあげる」
居酒屋を出て寒空の下、公園に向かった。空気は冷たいのに体の中心があったかい。うわー、懐かしいと声を上げて小さな滑り台に上った。
「村上さんはさー、振られた時、どうやって立ち直るの?」
びゅーっと滑る。思っていた以上に滑り台が良く滑って尻もちをついて着地、可笑しくて笑った。
「どうかなぁ。初日はやっぱり橘君みたいにお酒飲むかも」
「ぷっ、じゃあ俺の行動は皆が通る道なんですね。その後は? どのくらいで忘れられる?」
もう一度滑り台に上る。滑ると鼻の頭が冷たくて、顔に触れたら頬もキンキンに冷えていた。
「どのくらいか……か。人それぞれだからな」
「よくさー、失恋には時間が薬よ、なんていうじゃないですか」
「あー、いうねー」
滑り台の階段を上ると、靴底に着いた砂がザッザっと音を立てた。
「忘れるまで眠り続けられたらいいのにね、なんて。ガラにもないか」
あまりにセンチメンタルな自分の言動に笑いながら滑り台を滑ると、その先に村上さんが立っていた。立ち上がると同時に抱きしめられる。
「今は忘れられなくてもいいから、僕と一緒にいない?」
村上さんに抱き締められた部分が少し苦しくて、心地よい。一人で立っているよりずっと楽だ。
「もう一回告白させてよ。僕は……」
カチン
こんなことってあるのだろうか。音と同時に俺は温かな布団の中にいた。先ほどまでの寒さとは雲泥の違いだ。あったかい。阿川の匂いがする。阿川だ……。阿川。
俺は阿川に抱きしめられている気持ちになりながら目を閉じた。
ドンドンドンドン
けたたましくドアをノックされて跳び起きると同時に殴りかかるような声が響いた。
「お兄ちゃん、今日、撮影でしょ!! 起きなくて大丈夫なの?」
「え、うそっ、まじ、ど、どこ?」
「もしかして圭太さん?」
「あ、うん」
「場所まで分からないよ。お兄ちゃんに連絡してみれば」
「いや、大丈夫。ファイル見れば分かるから」
俺は阿川の予定をチェックすると5分で準備を整え、家を飛び出した。
Aスタジオで良かった……。
Aスタジオは阿川の体になって一番多く行ったことのある仕事先だ。メイクと着替えを済ませスタジオに入るとギリギリじゃん、と声が聞こえた。
「す、すみませんっ」
阿川の顔に泥を塗ってはいけないと慌てて頭を下げると、くすくすとした笑い声が聞こえた。この声……。
「咲也さん!?」
「そ、今日は俺と撮影だよ。知らなかった?」
「し、知ってました!!」
ぶっ、と噴き出した咲也さんは俺の耳元に口を近づけると「今日は圭太なんだ」と囁いた。耳を手で隠しながら、ハッと目を見開いて咲也さんを見る。
ご、誤魔化しても無駄だろうな……。それに、今後のことも考えると協力してもらった方が良いだろうし、咲也さんが何か言ったところで、中身が入れ替わっているだなんて誰にも証明できないし。
「そうですよ。知ったからには協力して下さいよ。阿川の顔に泥を塗るわけにはいかないんで」
周りに聞こえない様に話すと咲也さんは可笑しそうに目を細めた。
さすが咲也さんと言うべきか、撮影は今まで俺が変わったどの撮影よりも順調に進んだ。カメラマンさんの要望に応えつつ、小さな声で俺に的確に指示を出してくれる。
「阿川、手を俺の首に回して」
「右足に体重かけて気だるい感じで」
「右手上、顔傾けて」
その通りに動けば、パシャパシャとシャッター音は絶え間なく続いて、あっという間にOKサインが出るのだ。
9時半から始まった撮影は12時に昼休憩を挟み、午後3時に終了した。
「阿川くん、時間あるならお茶しようよ。ね、いいでしょ」
「いいですけど……」
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