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第三章
32. 畑中武史
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それは唐突な気配だった。誰もいない学校の廊下に響き渡る靴音のような存在感、音など聞こえるはずもないのに吸い寄せられるように樹は振り返った。歌舞伎の連獅子を思われる真っ赤な髪の毛、鍛え抜かれたマッチョな体に大きな吊り目、悪役を体現した様な容姿だ。
「だ、誰だ?」
男は「誰って……」と呟いた後、ふと考えるような仕草を見せ「警察官でーすっ」と極めて明るく答えた。
「んなわけあるかっ!」
「あれ、もうバレた」
明るい声とは裏腹なドス黒い雰囲気に押され樹は後退る。視覚から見切れた位置にある樹の変化にいち早く気付いたのはやはり霧島だった。
「樹、そいつから離れてこっちへ!」
「ようやく来たか。じゃ、あとはごゆっくり」
眉にピアスをした男はそう言うと緑色の髪の毛を階下の柵へと伸ばし、髪の毛をロープのようにして逃げた。
「あの男、髪の毛にN+があったのか。自在に操れるとしたら、あのまま突っ込んでいたらヤバかったな」
「状況は今の方がヤバそうだけどね」
ユーリの視線を追いかけるようにしてその先を見た山口は声を震わせた。
「畑中武史……」
「ほう、俺を知っているか。嬉しいねぇ。久しぶりに部屋の外に出たらこんなにも歓迎してくれるとはな」
「部屋に戻りなさい。あなたはここから出るべきではない」
毅然とした如月の態度に畑中は声を上げて笑った。
「あんな退屈なところに戻るわけなかろう? 久しぶりに外を楽しみたい」
「それは許可するわけにはいきません」
「許可? そんなものは必要ないね。本当はもっとお喋りでもと思っていたんだがな」
畑中は運動前の体操とでも言うように首を左右に傾けた。それから「まぁ、外でもお喋りはできるか」と続け、次に樹たちを見た時には鋭い眼光に殺意を滲ませていた。如月がリングを起動する。
「指令室、部屋に避難している民間人を連れて直ちに外へ避難してください。畑中が部屋の外に出ています」
リングの向こうから了解しました、の声が響いた。
畑中のN+能力は危険人物リストでも最上位に位置する毒霧だ。空気に潜ませる毒霧は簡単に大勢の生き物を殺すことが出来る。最悪の場面を脳裏に描きそうになって、如月はそっと自身の太ももに爪を立てた。きっとこの混乱に乗じて何人かの受刑者は脱走するだろう。だが畑中を外に出す事の方が犠牲者の数は膨れ上がる。歯がゆさに揺すぶられる心をなんとか平静に近づける。今はこの状況をどう打破するかだ。畑中を外に出すわけにはいかないのだから。
畑中のいた単独室のあたりには毒霧対策のマスクが装備されているはず。取りに行くか?
思い浮かんだが一瞬にして打ち消した。狡猾な畑中のことだ。マスクを破壊せずにここまで来たとは思えない。
「茜さん、あなたも避難してください」
「いえ、私は」と口を開いた霧島の声を打ち消すように如月は続けた。
「あなたの能力は戦闘向きではない。ここは私たちに任せて、部屋に置いてきた民間人の避難をお願いします。民間人の避難が最優先ですよ」
「分かりました。必ず戻ってきてくださいね」
如月は正面を見据えたまま、樹の名前を呼んだ。
「本当は怪我をしている君も避難を、と言いたいところだけど」
畑中の能力が毒霧なら、空気の流れを作ることができる樹の能力は重要な戦力だ。樹は力強く「大丈夫です」と答えた。体の痛みよりも自分がここで必要とされていることが嬉しかった。
「僕は僕の意思でここに残りますよ。もし死んだら収容されていた受刑者だとでも言えばいい」
ユーリの言葉に如月は「困った人ですね」と苦笑いをした。もはやユーリを追い払っている余裕などなかった。畑中の足元からぼんやりとした紫色の煙が立ち上っている。その煙は畑中の膝のあたりまで立ち上ると色を捨てた。
「色が消えた!?」
「あれが畑中がヤバイと言われる理由の一つだ。あんなのを外で放出されたら何が起こったか分からないまま死ぬことになる」
山口の額に汗が滲んでいた。
「樹君は向こうの空気がこちらに流れて来ないように空気の流れを作って下さい。強く吹かなくて大丈夫です」
「はい」
「我々は彼の傍では息を吸わないように。あの毒は吸ったら死にます」
4対1、数の利はこちら側にあるのに追い詰められている感が拭えない。先手必勝とばかりに樹は麻酔薬を入れた吹き矢を畑中に放った。
「痛ぇな。チクッどころじゃねぇ、グサッときたわ」
畑中は腕に刺さった吹き矢を引き抜くと床に放り投げた。通常の人間なら既によろけても良いはずだ。だが畑中の体はぐらりともしない。
「麻酔薬が効かない!?」
「畑中は体内で毒を生成します。毒に対する耐性があるのでしょう」
「痛ぇもんは痛ぇし、ちょこまかされるのは鬱陶しいな」
畑中の足が床を蹴る。大きな筋肉を纏った体とは思えない程の俊敏な動きで樹との距離を詰めた。樹が息を吐きながら後ろに飛びのく。畑中はもうひと足踏み込んでしゃがみ、着地する樹の足を払おうと右足を軸にコンパスのように回転した。
しまった!
樹が目を見開く。
畑中の足が樹の足を捉えるかと思われた時、樹の体が後ろに引っ張られるように動いた。間に入ったのはユーリだ。畑中の足を回転方向へ蹴り上げ飛びのく。畑中から距離をとり、ようやく呼吸をした。
「助かった。ありがとう」
手短に礼を言い、首を左右に振りながら畑中の方へ息を吐き出す。まるで人間扇風機だ。畑中の足者と煙が畑中の背後へと流れていく。
吹き矢が通用しない……何か他に方法は。
「君の吹き矢、何度も撃てるの?」
樹は頷いてから「でも効力はないんじゃ」と続けた。
「痛みは与えられる。あのスピードじゃ君の弾は避けづらいし、大きなダメージはなくても相当ストレスになると思うよ。ストレスを与え続けて
「だ、誰だ?」
男は「誰って……」と呟いた後、ふと考えるような仕草を見せ「警察官でーすっ」と極めて明るく答えた。
「んなわけあるかっ!」
「あれ、もうバレた」
明るい声とは裏腹なドス黒い雰囲気に押され樹は後退る。視覚から見切れた位置にある樹の変化にいち早く気付いたのはやはり霧島だった。
「樹、そいつから離れてこっちへ!」
「ようやく来たか。じゃ、あとはごゆっくり」
眉にピアスをした男はそう言うと緑色の髪の毛を階下の柵へと伸ばし、髪の毛をロープのようにして逃げた。
「あの男、髪の毛にN+があったのか。自在に操れるとしたら、あのまま突っ込んでいたらヤバかったな」
「状況は今の方がヤバそうだけどね」
ユーリの視線を追いかけるようにしてその先を見た山口は声を震わせた。
「畑中武史……」
「ほう、俺を知っているか。嬉しいねぇ。久しぶりに部屋の外に出たらこんなにも歓迎してくれるとはな」
「部屋に戻りなさい。あなたはここから出るべきではない」
毅然とした如月の態度に畑中は声を上げて笑った。
「あんな退屈なところに戻るわけなかろう? 久しぶりに外を楽しみたい」
「それは許可するわけにはいきません」
「許可? そんなものは必要ないね。本当はもっとお喋りでもと思っていたんだがな」
畑中は運動前の体操とでも言うように首を左右に傾けた。それから「まぁ、外でもお喋りはできるか」と続け、次に樹たちを見た時には鋭い眼光に殺意を滲ませていた。如月がリングを起動する。
「指令室、部屋に避難している民間人を連れて直ちに外へ避難してください。畑中が部屋の外に出ています」
リングの向こうから了解しました、の声が響いた。
畑中のN+能力は危険人物リストでも最上位に位置する毒霧だ。空気に潜ませる毒霧は簡単に大勢の生き物を殺すことが出来る。最悪の場面を脳裏に描きそうになって、如月はそっと自身の太ももに爪を立てた。きっとこの混乱に乗じて何人かの受刑者は脱走するだろう。だが畑中を外に出す事の方が犠牲者の数は膨れ上がる。歯がゆさに揺すぶられる心をなんとか平静に近づける。今はこの状況をどう打破するかだ。畑中を外に出すわけにはいかないのだから。
畑中のいた単独室のあたりには毒霧対策のマスクが装備されているはず。取りに行くか?
思い浮かんだが一瞬にして打ち消した。狡猾な畑中のことだ。マスクを破壊せずにここまで来たとは思えない。
「茜さん、あなたも避難してください」
「いえ、私は」と口を開いた霧島の声を打ち消すように如月は続けた。
「あなたの能力は戦闘向きではない。ここは私たちに任せて、部屋に置いてきた民間人の避難をお願いします。民間人の避難が最優先ですよ」
「分かりました。必ず戻ってきてくださいね」
如月は正面を見据えたまま、樹の名前を呼んだ。
「本当は怪我をしている君も避難を、と言いたいところだけど」
畑中の能力が毒霧なら、空気の流れを作ることができる樹の能力は重要な戦力だ。樹は力強く「大丈夫です」と答えた。体の痛みよりも自分がここで必要とされていることが嬉しかった。
「僕は僕の意思でここに残りますよ。もし死んだら収容されていた受刑者だとでも言えばいい」
ユーリの言葉に如月は「困った人ですね」と苦笑いをした。もはやユーリを追い払っている余裕などなかった。畑中の足元からぼんやりとした紫色の煙が立ち上っている。その煙は畑中の膝のあたりまで立ち上ると色を捨てた。
「色が消えた!?」
「あれが畑中がヤバイと言われる理由の一つだ。あんなのを外で放出されたら何が起こったか分からないまま死ぬことになる」
山口の額に汗が滲んでいた。
「樹君は向こうの空気がこちらに流れて来ないように空気の流れを作って下さい。強く吹かなくて大丈夫です」
「はい」
「我々は彼の傍では息を吸わないように。あの毒は吸ったら死にます」
4対1、数の利はこちら側にあるのに追い詰められている感が拭えない。先手必勝とばかりに樹は麻酔薬を入れた吹き矢を畑中に放った。
「痛ぇな。チクッどころじゃねぇ、グサッときたわ」
畑中は腕に刺さった吹き矢を引き抜くと床に放り投げた。通常の人間なら既によろけても良いはずだ。だが畑中の体はぐらりともしない。
「麻酔薬が効かない!?」
「畑中は体内で毒を生成します。毒に対する耐性があるのでしょう」
「痛ぇもんは痛ぇし、ちょこまかされるのは鬱陶しいな」
畑中の足が床を蹴る。大きな筋肉を纏った体とは思えない程の俊敏な動きで樹との距離を詰めた。樹が息を吐きながら後ろに飛びのく。畑中はもうひと足踏み込んでしゃがみ、着地する樹の足を払おうと右足を軸にコンパスのように回転した。
しまった!
樹が目を見開く。
畑中の足が樹の足を捉えるかと思われた時、樹の体が後ろに引っ張られるように動いた。間に入ったのはユーリだ。畑中の足を回転方向へ蹴り上げ飛びのく。畑中から距離をとり、ようやく呼吸をした。
「助かった。ありがとう」
手短に礼を言い、首を左右に振りながら畑中の方へ息を吐き出す。まるで人間扇風機だ。畑中の足者と煙が畑中の背後へと流れていく。
吹き矢が通用しない……何か他に方法は。
「君の吹き矢、何度も撃てるの?」
樹は頷いてから「でも効力はないんじゃ」と続けた。
「痛みは与えられる。あのスピードじゃ君の弾は避けづらいし、大きなダメージはなくても相当ストレスになると思うよ。ストレスを与え続けて
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