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第二章 N+捜査官
46. ここにいた理由
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「なんでそんな……」
続きの言葉を探していると、樹の視界が滲み始めた。滲んでぼやけ、溢れて、ユーリの顔が少し歪んで映る。
「タツキ、泣かないで」
臨戦態勢を崩せないまま、涙がぽろぽろと零れていく。樹の中の小さな樹が、事態が飲み込めないとパニックを起こしているかのようだ。
何で俺、こんなに泣いてるんだろう……。
樹がユーリと会ったのはたった2回しかない。しかもその両方とも数十分という短い時間だ。それでもその短い時間の間にユーリは樹の感情を揺さぶり、樹が隠していた一番深い部分に優しく触れた。それはいつまでも忘れられない短編映画のように樹の心に色を残したのだ。
タツキ、と名前を呼びながらユーリが近づいてくる。
「近づくな!」
「どうしてそんなに怒るの? 僕は誰でも良く殺しているわけじゃないよ。罰を受けるべきだと思う人間に罰を与えているだけなのに」
樹はハッと天井を見上げた。
「もしかして今日ここに来たのもその為? 夢野先生に罰を」
「違うよ。全く見当はずれってわけでもないけど。説明するから近くに行っていい? 君に危害を与えないってことは分かってるでしょ?」
樹が吹き矢から手を離すとユーリはさっと樹のもとへやってきた。手を樹の頬へと伸ばし、涙を拭う。
「こんなに泣いちゃって」
目の前で見てもユーリはユーリだ。モザイクのマスクもなく、出会った時と同じ。ユーリは樹の頬を両手で包むと、未だ混乱している樹の唇に小さなキスを落とした。皮膚と皮膚が触れるだけのキスを1つ、樹の唇の弾力を確かめる様に啄んだキスを1つ。
泣いている樹を慰めるように触れるその行為に樹はなすがままになっていた。こんな風に甘やかされるのは心地がよい。小さな樹に引きずられるまま薄く目を閉じていると、唇の中央に温度の高いものが触れた。それは樹の唇を割って侵入してこようとする。
「ん……ばっ、何やって!!」
樹がユーリの体を押しのけると「残念」とユーリが笑った。
「……で、ここに来た理由は?」
ユーリに対する自分の立ち位置が分からないままだ。どんな風に接したらいいのか、どう接するべきなのか、こんなにも迷う。その迷いのまま樹は話を続けることにした。
「上地卓也を止める為、かな」
「止める為!?」
想像していたのとは真逆の答えに樹が驚くと「だから誰でも良く罰を与えているわけじゃないって言ったでしょ」とユーリが苦笑いをした。
「上地卓也は僕の依頼人なんだよ」
「依頼人ってお金貰って代わりに罰を与えるとかそういう……」
「お金は貰ってないよ。僕がこれをやっているのはある意味生きる為だから」
「生き……っ」
ユーリの人差し指が樹の唇に触れた。
「依頼があったら僕は対象を調査する。それで僕は夢野を調べてたんだけど待ち切れなくなった卓也君がどこからか怪しげな物を手に入れたと聞いてね。嫌な予感がしたから卓也君を探しに来たんだ」
遅かったけど、とユーリは続けた。
「何も彼が罪を背負うことは無かったのに」
「どういう意味?」
「上地君が手を下さなくても僕がやったのにって意味」
ユーリから放たれる殺気に押されほんの少しユーリから体が離れると「怖い?」とユーリが聞いたが、樹は答えることはしなかった。
「二人は不倫をしてた?」
「不倫はしてないよ。夢野が言い寄ってた。言い寄って無理やり関係を持って、動画を撮って脅す。そうやって夢野が飽きるまで離れられない」
「ひどい……」
「でしょう? そんな男なんて死んでも構わないと思わない?」
「……」
「否定も肯定もしないんだ。というか、肯定を口にできないから無言なんだよね。否定ならきっと言葉にしてる」
「でもっ、夢野先生みたいな人にもその人を大切に思っている人がいて、その人たちが剣を持ったら復讐の連鎖が……」
何かで聞いた言葉だった。復讐の連鎖は止めなくてはならないと、憎しみを抱いたまま立ち止まる人たちがいる。
「それはタツキが思っていることなの? 自分の中で納得して話している言葉?」
ユーリに言われて樹は唇を噛んだ。そんな言葉に1ミリも納得していない。頭では理解できても感情が無理だと叫んでいる。第一、そうできているのならこの世界に樹が来ることはなかったのだ。
「復讐の連鎖を止めたいというのなら、もう一つ方法があるよ」
樹が顔を上げてユーリを見ると、ユーリはどこか儚げな表情で樹を見つめた。
「全部の憎しみを一人が受ければいい。誰かの憎しみを受け取って果たす。そうしていけば憎しみはその人にしか返らない。依頼だと知られなければいいだけ」
あまりにも消えてしまいそうなユーリの表情に樹が慌ててユーリの名前を呼んだ時、樹たちのいる部屋のドアが開いた。
「樹!! 大丈夫か!?」
「大丈夫です!」
「よし、とりあえず避難するぞ。そっちの方……ユーリさん!? 大丈夫ですか? 動けますか?」
「はい、動けます」
建物の外に出ると爆発した建物を見ようと人だかりができていた。3台のパトカーに消防、救急車も来ていて物々しい雰囲気だ。青砥は二人を安全な場所に座る様に促すと「これでスキャンして」と簡易診察機を樹に手渡した。
「ユーリさん、怪我はありませんか?」
「はい、大丈夫です」
「どうしてここに? 大学生ではないですよね?」
「この大学に友人が通っているのでその人に会いに来たんですよ。そしたらタツキを見つけて声をかけようと後を追ったら、こうなっちゃいました」
「そうですか。この簡易診察機でスキャンして異常がなかったら帰っても大丈夫です。もしかしたら今日のことで連絡することがあるかもしれません。その時はご協力お願いします」
「あの、青砥さん。僕がここに来た時、確か教室には先生がいたと思うのですがその方はどうなりました?」
「骨を折るなどの重傷で救急搬送されましたが命に別状はないそうですよ」
「それは良かった」
ユーリがDだと青砥に告げるチャンスはいくらでもあった。むしろ今だってチャンスだ。だがそれが出来ないまま、樹は軽く手を上げて帰るユーリを黙って見送った。
「上地卓也はどうなりました?」
「警察で保護したよ。入手方法も動機もこの後の聴取で分かるだろうな。と言っても想像つくけど」
「罪はどうなりますかね?」
「殺人未遂には問われると思うよ」
「そう、ですか」
続きの言葉を探していると、樹の視界が滲み始めた。滲んでぼやけ、溢れて、ユーリの顔が少し歪んで映る。
「タツキ、泣かないで」
臨戦態勢を崩せないまま、涙がぽろぽろと零れていく。樹の中の小さな樹が、事態が飲み込めないとパニックを起こしているかのようだ。
何で俺、こんなに泣いてるんだろう……。
樹がユーリと会ったのはたった2回しかない。しかもその両方とも数十分という短い時間だ。それでもその短い時間の間にユーリは樹の感情を揺さぶり、樹が隠していた一番深い部分に優しく触れた。それはいつまでも忘れられない短編映画のように樹の心に色を残したのだ。
タツキ、と名前を呼びながらユーリが近づいてくる。
「近づくな!」
「どうしてそんなに怒るの? 僕は誰でも良く殺しているわけじゃないよ。罰を受けるべきだと思う人間に罰を与えているだけなのに」
樹はハッと天井を見上げた。
「もしかして今日ここに来たのもその為? 夢野先生に罰を」
「違うよ。全く見当はずれってわけでもないけど。説明するから近くに行っていい? 君に危害を与えないってことは分かってるでしょ?」
樹が吹き矢から手を離すとユーリはさっと樹のもとへやってきた。手を樹の頬へと伸ばし、涙を拭う。
「こんなに泣いちゃって」
目の前で見てもユーリはユーリだ。モザイクのマスクもなく、出会った時と同じ。ユーリは樹の頬を両手で包むと、未だ混乱している樹の唇に小さなキスを落とした。皮膚と皮膚が触れるだけのキスを1つ、樹の唇の弾力を確かめる様に啄んだキスを1つ。
泣いている樹を慰めるように触れるその行為に樹はなすがままになっていた。こんな風に甘やかされるのは心地がよい。小さな樹に引きずられるまま薄く目を閉じていると、唇の中央に温度の高いものが触れた。それは樹の唇を割って侵入してこようとする。
「ん……ばっ、何やって!!」
樹がユーリの体を押しのけると「残念」とユーリが笑った。
「……で、ここに来た理由は?」
ユーリに対する自分の立ち位置が分からないままだ。どんな風に接したらいいのか、どう接するべきなのか、こんなにも迷う。その迷いのまま樹は話を続けることにした。
「上地卓也を止める為、かな」
「止める為!?」
想像していたのとは真逆の答えに樹が驚くと「だから誰でも良く罰を与えているわけじゃないって言ったでしょ」とユーリが苦笑いをした。
「上地卓也は僕の依頼人なんだよ」
「依頼人ってお金貰って代わりに罰を与えるとかそういう……」
「お金は貰ってないよ。僕がこれをやっているのはある意味生きる為だから」
「生き……っ」
ユーリの人差し指が樹の唇に触れた。
「依頼があったら僕は対象を調査する。それで僕は夢野を調べてたんだけど待ち切れなくなった卓也君がどこからか怪しげな物を手に入れたと聞いてね。嫌な予感がしたから卓也君を探しに来たんだ」
遅かったけど、とユーリは続けた。
「何も彼が罪を背負うことは無かったのに」
「どういう意味?」
「上地君が手を下さなくても僕がやったのにって意味」
ユーリから放たれる殺気に押されほんの少しユーリから体が離れると「怖い?」とユーリが聞いたが、樹は答えることはしなかった。
「二人は不倫をしてた?」
「不倫はしてないよ。夢野が言い寄ってた。言い寄って無理やり関係を持って、動画を撮って脅す。そうやって夢野が飽きるまで離れられない」
「ひどい……」
「でしょう? そんな男なんて死んでも構わないと思わない?」
「……」
「否定も肯定もしないんだ。というか、肯定を口にできないから無言なんだよね。否定ならきっと言葉にしてる」
「でもっ、夢野先生みたいな人にもその人を大切に思っている人がいて、その人たちが剣を持ったら復讐の連鎖が……」
何かで聞いた言葉だった。復讐の連鎖は止めなくてはならないと、憎しみを抱いたまま立ち止まる人たちがいる。
「それはタツキが思っていることなの? 自分の中で納得して話している言葉?」
ユーリに言われて樹は唇を噛んだ。そんな言葉に1ミリも納得していない。頭では理解できても感情が無理だと叫んでいる。第一、そうできているのならこの世界に樹が来ることはなかったのだ。
「復讐の連鎖を止めたいというのなら、もう一つ方法があるよ」
樹が顔を上げてユーリを見ると、ユーリはどこか儚げな表情で樹を見つめた。
「全部の憎しみを一人が受ければいい。誰かの憎しみを受け取って果たす。そうしていけば憎しみはその人にしか返らない。依頼だと知られなければいいだけ」
あまりにも消えてしまいそうなユーリの表情に樹が慌ててユーリの名前を呼んだ時、樹たちのいる部屋のドアが開いた。
「樹!! 大丈夫か!?」
「大丈夫です!」
「よし、とりあえず避難するぞ。そっちの方……ユーリさん!? 大丈夫ですか? 動けますか?」
「はい、動けます」
建物の外に出ると爆発した建物を見ようと人だかりができていた。3台のパトカーに消防、救急車も来ていて物々しい雰囲気だ。青砥は二人を安全な場所に座る様に促すと「これでスキャンして」と簡易診察機を樹に手渡した。
「ユーリさん、怪我はありませんか?」
「はい、大丈夫です」
「どうしてここに? 大学生ではないですよね?」
「この大学に友人が通っているのでその人に会いに来たんですよ。そしたらタツキを見つけて声をかけようと後を追ったら、こうなっちゃいました」
「そうですか。この簡易診察機でスキャンして異常がなかったら帰っても大丈夫です。もしかしたら今日のことで連絡することがあるかもしれません。その時はご協力お願いします」
「あの、青砥さん。僕がここに来た時、確か教室には先生がいたと思うのですがその方はどうなりました?」
「骨を折るなどの重傷で救急搬送されましたが命に別状はないそうですよ」
「それは良かった」
ユーリがDだと青砥に告げるチャンスはいくらでもあった。むしろ今だってチャンスだ。だがそれが出来ないまま、樹は軽く手を上げて帰るユーリを黙って見送った。
「上地卓也はどうなりました?」
「警察で保護したよ。入手方法も動機もこの後の聴取で分かるだろうな。と言っても想像つくけど」
「罪はどうなりますかね?」
「殺人未遂には問われると思うよ」
「そう、ですか」
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