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第二章 N+捜査官
38. 孤児院
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ドアを開けると髪の毛を頭のてっぺんで結いジグザグに固めた20代前半の女が立っていた。まるで頭からジグザグな鉄塔を生やしたような髪型である。
「アンタ誰? 武は?」
「君こそ誰?」
「あたしは武の彼女。ねぇ、それより武呼んでよ。今日、服を買ってくれる約束になってるんだから」
樹がジグザグ女と話をしていると樹の背後から青砥が顔を出した。
「私たちは警察の者です。森山さんは昨日お亡くなりになりました」
「え? 嘘でしょ」
嘘でしょと言いながら女の目は二人を見ずに下を向いた。肩に掛けたバッグに添えた指先が震えている。真実を確かめようとするとき人は無意識に相手の目を見る。そうでなくても表情を見て真実かどうかを探ろうとするものだ。
「へぇ、殺された理由に心当たりがあるんですね。何を知っているんですか?」
樹が言うと女は明らかに動揺した様子を見せた。
「っ……知らないわよっ」
「彼女なのに?」
「彼女って言っても、何人もいる女の一人だし。色々買ってくれるから時々こうして会いに来るだけだもん。言っとくけどお金目的なのは私だけじゃないからね」
警察に対する緊張からか、女は一度話し始めると堰を切ったように話し出した。
「あんな地味で暗い男、すき好んで一緒にいた女はいないと思う。一緒にいたって面白い話をするわけでもないし私の後ばっかりついてきて、子供と一緒にいるみたいでちょっとキモかったんだよね。友達もいないっぽいし」
キモかった、か……。
他に複数女性がいたとしても、彼女とも一緒にいたいと思ったから一緒にいただろうにその相手にキモいと思われている。樹が居たたまれない気持ちになっていると、青砥が質問を続けた。
「それで、殺された理由に心当たりがあるとは?」
「いつも家にいるのにお金は持ってるから危ない仕事でもしてるの? って聞いたことがあって。そしたらなんて言ったと思う?」
「何ですか?」
「すごく楽しい仕事だよ、って。俺みたいな小さな人間が世界を反転させるハンドルを握ってるんだって言って、今まで見たことも無いような顔で笑っててちょっと怖かったんだよね」
そう言って顔を引きつらせた女に樹は犯人の心当たりを聞いてみたが、返事は「知らない」だった。
「仲の良い友達や女性はいなかったですか? ちょっと特別な人とか」
「うーん、そう言えば孤児院には定期的に行ってたみたい。自分にとって実家みたいなものだからって」
「孤児院か……」
孤児院に向かう車内で樹は森山のことを考えていた。孤児院出身ということは森山に家族はいない。物の少ないあの部屋で自分は質素な暮らしをしながら女性には物を買い与えていた。実際の部屋の大きさよりも広く見える空間が重苦しくて、樹は大きく息を吐き出した。
「……寄ってきた女性たちがお金目当てだって、森山は気が付かなかったのかな」
樹から漂うしんみりとした空気に感化されたのか青砥が呟いた。
「気付いていたと思いますよ。それでも誰かに傍にいて欲しかったんだと思います」
母親がいて父親がいて、笑い声が聞こえる食卓を樹も何度想像したことか。体だけ傍にいても内側の空白は埋まらず、心だけを繋げてもまだ足りない。樹にとっては優愛だけがその両方を満たしてくれる存在だった。
「一人で生きていけるほど、埋まってなかったんでしょうね。森山も」
孤児院【みどりの家】は森山の自宅からそう遠くない場所にあった。大きな切り株をイメージさせる温かな建物で、出迎えてくれたのは管理長だという60代のおばあちゃんだ。青砥が森山について教えて欲しいと言うと管理長は快く建物の中に入れてくれた。
「森山君は火葬されて明日にはここに帰ってくるんです。帰ってきたら皆でお別れ会をするんですよ。森山君はここの子供たちにとってはお兄さんのような存在でしたから」
「慕われてたんですね」と樹が言うと管理長は遠くを見つめて「えぇ」とだけ言った。
「森山さんと仲の良かった方を誰かご存じないですか?」
「仲の良かった……ですか。森山君は特別に誰かと、という感じではなかったですね。昔から部屋の隅で一人遊びをするような子供で、人と接するのは好きでしたけど、コミュニケーションをとるのは苦手な様子でした」
お昼前のこの時間、館内には1歳~3歳になったばかり子供たちが数人おり、キャッキャとした声が響いていた。館内をゆっくりと歩きながら話を続ける。
「森山さんはこちらによく来ていたと聞いていますが、何をしに来てたんですか?」
「子供たちの様子を見たりとか、私と話をしたり、子供たちに差し入れを持ってきてくれたりもしました。ここは森山君のような子供たちにとっては実家のような存在ですから、出て行ってからも顔を見せに来てくれる子供たちは珍しくはありません」
青砥はふと管理長から視線を逸らすと、あの、と言葉を続けた。
「定期的にこちらに顔を出している方を教えて貰えませんか?」
なるほど、と樹は思った。森山のようにこの孤児院が接点となり時空マシーンのメンバーに選ばれた人が他にもいるかもしれないということだ。
「いいですよ。今も来ている方だけでいいのよね?」
「誰か気になる方でもいるのですか?」
「実は2年前から急に来なくなってしまった子がいてちょっと心配しているの。坂崎要君。イケメンで賢くてね。そう言えば2年前に森山君とこの家で再会して楽しそうに話していたわ。元気にしているといいのだけど」
ちょっと名簿を用意するわね、と管理長がブレスレットを操作しているとキャっと甲高い声が聞こえた。反射的にその声の方を見る。長身の男がしゃがみ込んで小さな女の子と笑い合っていた。濃いブラウンの髪の毛が光に透けて所々が金髪のようになっている。
「ユーリ?」
その言葉は相手を呼ぶものではなく驚きのあまりに零れた音だったが、まるで声が聞こえたかのようにユーリが立ち上がった。
「タツキ!?」
「アンタ誰? 武は?」
「君こそ誰?」
「あたしは武の彼女。ねぇ、それより武呼んでよ。今日、服を買ってくれる約束になってるんだから」
樹がジグザグ女と話をしていると樹の背後から青砥が顔を出した。
「私たちは警察の者です。森山さんは昨日お亡くなりになりました」
「え? 嘘でしょ」
嘘でしょと言いながら女の目は二人を見ずに下を向いた。肩に掛けたバッグに添えた指先が震えている。真実を確かめようとするとき人は無意識に相手の目を見る。そうでなくても表情を見て真実かどうかを探ろうとするものだ。
「へぇ、殺された理由に心当たりがあるんですね。何を知っているんですか?」
樹が言うと女は明らかに動揺した様子を見せた。
「っ……知らないわよっ」
「彼女なのに?」
「彼女って言っても、何人もいる女の一人だし。色々買ってくれるから時々こうして会いに来るだけだもん。言っとくけどお金目的なのは私だけじゃないからね」
警察に対する緊張からか、女は一度話し始めると堰を切ったように話し出した。
「あんな地味で暗い男、すき好んで一緒にいた女はいないと思う。一緒にいたって面白い話をするわけでもないし私の後ばっかりついてきて、子供と一緒にいるみたいでちょっとキモかったんだよね。友達もいないっぽいし」
キモかった、か……。
他に複数女性がいたとしても、彼女とも一緒にいたいと思ったから一緒にいただろうにその相手にキモいと思われている。樹が居たたまれない気持ちになっていると、青砥が質問を続けた。
「それで、殺された理由に心当たりがあるとは?」
「いつも家にいるのにお金は持ってるから危ない仕事でもしてるの? って聞いたことがあって。そしたらなんて言ったと思う?」
「何ですか?」
「すごく楽しい仕事だよ、って。俺みたいな小さな人間が世界を反転させるハンドルを握ってるんだって言って、今まで見たことも無いような顔で笑っててちょっと怖かったんだよね」
そう言って顔を引きつらせた女に樹は犯人の心当たりを聞いてみたが、返事は「知らない」だった。
「仲の良い友達や女性はいなかったですか? ちょっと特別な人とか」
「うーん、そう言えば孤児院には定期的に行ってたみたい。自分にとって実家みたいなものだからって」
「孤児院か……」
孤児院に向かう車内で樹は森山のことを考えていた。孤児院出身ということは森山に家族はいない。物の少ないあの部屋で自分は質素な暮らしをしながら女性には物を買い与えていた。実際の部屋の大きさよりも広く見える空間が重苦しくて、樹は大きく息を吐き出した。
「……寄ってきた女性たちがお金目当てだって、森山は気が付かなかったのかな」
樹から漂うしんみりとした空気に感化されたのか青砥が呟いた。
「気付いていたと思いますよ。それでも誰かに傍にいて欲しかったんだと思います」
母親がいて父親がいて、笑い声が聞こえる食卓を樹も何度想像したことか。体だけ傍にいても内側の空白は埋まらず、心だけを繋げてもまだ足りない。樹にとっては優愛だけがその両方を満たしてくれる存在だった。
「一人で生きていけるほど、埋まってなかったんでしょうね。森山も」
孤児院【みどりの家】は森山の自宅からそう遠くない場所にあった。大きな切り株をイメージさせる温かな建物で、出迎えてくれたのは管理長だという60代のおばあちゃんだ。青砥が森山について教えて欲しいと言うと管理長は快く建物の中に入れてくれた。
「森山君は火葬されて明日にはここに帰ってくるんです。帰ってきたら皆でお別れ会をするんですよ。森山君はここの子供たちにとってはお兄さんのような存在でしたから」
「慕われてたんですね」と樹が言うと管理長は遠くを見つめて「えぇ」とだけ言った。
「森山さんと仲の良かった方を誰かご存じないですか?」
「仲の良かった……ですか。森山君は特別に誰かと、という感じではなかったですね。昔から部屋の隅で一人遊びをするような子供で、人と接するのは好きでしたけど、コミュニケーションをとるのは苦手な様子でした」
お昼前のこの時間、館内には1歳~3歳になったばかり子供たちが数人おり、キャッキャとした声が響いていた。館内をゆっくりと歩きながら話を続ける。
「森山さんはこちらによく来ていたと聞いていますが、何をしに来てたんですか?」
「子供たちの様子を見たりとか、私と話をしたり、子供たちに差し入れを持ってきてくれたりもしました。ここは森山君のような子供たちにとっては実家のような存在ですから、出て行ってからも顔を見せに来てくれる子供たちは珍しくはありません」
青砥はふと管理長から視線を逸らすと、あの、と言葉を続けた。
「定期的にこちらに顔を出している方を教えて貰えませんか?」
なるほど、と樹は思った。森山のようにこの孤児院が接点となり時空マシーンのメンバーに選ばれた人が他にもいるかもしれないということだ。
「いいですよ。今も来ている方だけでいいのよね?」
「誰か気になる方でもいるのですか?」
「実は2年前から急に来なくなってしまった子がいてちょっと心配しているの。坂崎要君。イケメンで賢くてね。そう言えば2年前に森山君とこの家で再会して楽しそうに話していたわ。元気にしているといいのだけど」
ちょっと名簿を用意するわね、と管理長がブレスレットを操作しているとキャっと甲高い声が聞こえた。反射的にその声の方を見る。長身の男がしゃがみ込んで小さな女の子と笑い合っていた。濃いブラウンの髪の毛が光に透けて所々が金髪のようになっている。
「ユーリ?」
その言葉は相手を呼ぶものではなく驚きのあまりに零れた音だったが、まるで声が聞こえたかのようにユーリが立ち上がった。
「タツキ!?」
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