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第二章 N+捜査官
8. 犯人はあなたです
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車は午前中に通った道をなぞる様に進み、大黒寺家に着いた。先ほどと何ら変わらないこの場所ではあるが樹の足は重い。
「何かお忘れ物でも?」
呼び鈴を押す前に現れた綾乃に樹は僅かに顔を強張らせた。「ちょっと確かめたいことがありまして」と青砥が答えると綾乃は表情を変えることなくリビングへと二人を通した。
「おや? お忘れ物ですか? 今度は柚木の葉を煎じた薬草茶にしましょうかね」
綾乃とは対照的に木島はどこか嬉しそうだ。きっと誰かの為に料理を作ることが好きでこの仕事を選んだのだろう。木島が厨房へ引っ込むと青砥の視線がゆっくりと綾乃を捉えた。綾乃も真っすぐに青砥を見ている。
「大黒寺さんを殺したのは綾乃さんですよね?」
静かな声だと思った。この部屋が青砥の声以外の音を全部吸収したかのように、青砥の声だけが響いた。
ほんの少しの間の後、綾乃は目を伏せた。
「どうしてそう思うのですか?」
「最初に疑問を持ったのは棚の上にある写真盾を樹が倒した時です。大道寺家のご主人と思われるその写真盾の背後には被害者の写真盾が置いてありました。普通、写真を重ねて置くことはしません。まるで隠しているようだなと思ったのです」
「それは掃除をするときにずらして、戻し忘れただけですよ」
「勿論、その可能性もあります」
綾乃が無言のまま部屋の入り口に顔を向けるとすぐに木島がお茶を持って部屋に入ってきた。どうぞとお茶を配り終えた木島は、室内の張り詰めた空気を感じたのか「私は厨房におりますので何かございましたら」と言ったが、それを止めたのは綾乃だ。
「木島さん、急ぎの用が無いのならここにいて貰えませんか?」
「あ、はい。では失礼して」
持ち帰ろうとしていた自分の分のお茶をテーブルに置いて、木島が綾乃の隣に座る。
「それだけではありません。そこの段ボールにも疑問を持ちました。通常であれば食器は食器、衣類は衣類など品物ごとに箱詰めするのが一般的です。実際、他の段ボールは品物ごとに片付けているのに、そこの段ボールだけは被害者の日用品がまとめてあります」
「奥様の物は奥様の物でまとめただけです。そこに何の意味もありません」
「そうです。全ては私が感じたちょっとした違和感、ただそれだけです。でも、もしも、この二つのことが被害者を思わせる物をできるだけ見たくないという気持ちの表れだったらどうなるのだろうと思いました」
「ちょ、ちょっと待って下さいよ。そんなまるで奥様を殺した犯人が綾乃さんみたいな言い方をして」
驚きのあまり焦ったような声を出した木島を綾乃が窘める。
「いいんです、刑事さん、続けて下さい」
それはまるで真実が明らかにされるのを待つかのようでもあり、何が分かったのか話してみてという挑戦の様にも思えた。
「綾乃さんのN+能力は耳にありますよね? ロボットのリサイクル業者が呼び鈴を押す前に来ることを知っていたので、もしやと思い政府のデータベースで調べさせていただきました」
「えぇ、その通りです。奥様にこの能力を買われメイドとして雇って頂きました。大きな声を出したり、道具を使わなくても聴こえるのが良いとおっしゃられて」
「そうですよ。だから奥様は綾乃さんを頼りにしていて、どこに行くにも一緒でした。私や美幸にも勿論良くしてくださいましたが、綾乃さんには私たち以上に優しく接していたと思います」
言っておきますがこれはやっかみではなくて、と木島は続けた。
「二人が寄り添う姿を微笑ましく思っていたのです」
綾乃は木島を見ると眉毛を寄せて、すまなそうな、それでいて悲しそうななんとも言えない表情をした。
「綾乃さんの過去についても調べさせていただきました。この屋敷に来る前のことです」
「お子さんを亡くされていますよね?」と青砥が言った瞬間、綾乃の唇がきゅっと真一文字になった。綾乃の感情の乱れを感じながらも青砥は続ける。
「その日は雨が降っていました。7歳の娘さんは綾乃さんと一緒に買い物に行こうと家を出たところで降りてきた車の下敷きになってしまった。本来なら車についているセンサーが人がいることを感知して忠告をするはずだったのに、運悪くセンサーが壊れていたために起こってしまった悲しい事故でした」
ここで初めて綾乃が姿勢を崩して前かがみになった。背中を丸めてグッと握りこぶしを作って、自身の内に閉じ込めていたものを必死に抑えているかのようだ。
「救急車は!? この世界は医療が発達しているのでしょう? 助けられないんですか!!」
救急車、この世界、不可解な言葉を使っていると気付かない程に樹の心は揺さぶられていた。大切な人を亡くした綾乃の痛みが樹の痛みとなって心をかき乱していく。
青砥が静かに首を振った。
「娘さんは臓器の多くを損傷していた。沢山の臓器を交換するには自分の臓器のクローンを持っている必要がある。そしてそれが出来るのは、高額な維持費を払うことができる人たちだけなんだ」
「そんな……」
樹がいた世界よりもずっと進んでいると言われるこの世界。
一般人の平均寿命は100歳、お金を持っていれば200歳、その話を聞いた時から命の格差がある世界なのだと思ってはいた。それでも100歳というのは樹からすれば長寿に数えられる年齢で、それ以上生きるという事に魅力を感じていない樹にとって、あまり意識することではなかったのだ。
「娘を亡くしてからは針の筵を歩くような日々でした」
「何かお忘れ物でも?」
呼び鈴を押す前に現れた綾乃に樹は僅かに顔を強張らせた。「ちょっと確かめたいことがありまして」と青砥が答えると綾乃は表情を変えることなくリビングへと二人を通した。
「おや? お忘れ物ですか? 今度は柚木の葉を煎じた薬草茶にしましょうかね」
綾乃とは対照的に木島はどこか嬉しそうだ。きっと誰かの為に料理を作ることが好きでこの仕事を選んだのだろう。木島が厨房へ引っ込むと青砥の視線がゆっくりと綾乃を捉えた。綾乃も真っすぐに青砥を見ている。
「大黒寺さんを殺したのは綾乃さんですよね?」
静かな声だと思った。この部屋が青砥の声以外の音を全部吸収したかのように、青砥の声だけが響いた。
ほんの少しの間の後、綾乃は目を伏せた。
「どうしてそう思うのですか?」
「最初に疑問を持ったのは棚の上にある写真盾を樹が倒した時です。大道寺家のご主人と思われるその写真盾の背後には被害者の写真盾が置いてありました。普通、写真を重ねて置くことはしません。まるで隠しているようだなと思ったのです」
「それは掃除をするときにずらして、戻し忘れただけですよ」
「勿論、その可能性もあります」
綾乃が無言のまま部屋の入り口に顔を向けるとすぐに木島がお茶を持って部屋に入ってきた。どうぞとお茶を配り終えた木島は、室内の張り詰めた空気を感じたのか「私は厨房におりますので何かございましたら」と言ったが、それを止めたのは綾乃だ。
「木島さん、急ぎの用が無いのならここにいて貰えませんか?」
「あ、はい。では失礼して」
持ち帰ろうとしていた自分の分のお茶をテーブルに置いて、木島が綾乃の隣に座る。
「それだけではありません。そこの段ボールにも疑問を持ちました。通常であれば食器は食器、衣類は衣類など品物ごとに箱詰めするのが一般的です。実際、他の段ボールは品物ごとに片付けているのに、そこの段ボールだけは被害者の日用品がまとめてあります」
「奥様の物は奥様の物でまとめただけです。そこに何の意味もありません」
「そうです。全ては私が感じたちょっとした違和感、ただそれだけです。でも、もしも、この二つのことが被害者を思わせる物をできるだけ見たくないという気持ちの表れだったらどうなるのだろうと思いました」
「ちょ、ちょっと待って下さいよ。そんなまるで奥様を殺した犯人が綾乃さんみたいな言い方をして」
驚きのあまり焦ったような声を出した木島を綾乃が窘める。
「いいんです、刑事さん、続けて下さい」
それはまるで真実が明らかにされるのを待つかのようでもあり、何が分かったのか話してみてという挑戦の様にも思えた。
「綾乃さんのN+能力は耳にありますよね? ロボットのリサイクル業者が呼び鈴を押す前に来ることを知っていたので、もしやと思い政府のデータベースで調べさせていただきました」
「えぇ、その通りです。奥様にこの能力を買われメイドとして雇って頂きました。大きな声を出したり、道具を使わなくても聴こえるのが良いとおっしゃられて」
「そうですよ。だから奥様は綾乃さんを頼りにしていて、どこに行くにも一緒でした。私や美幸にも勿論良くしてくださいましたが、綾乃さんには私たち以上に優しく接していたと思います」
言っておきますがこれはやっかみではなくて、と木島は続けた。
「二人が寄り添う姿を微笑ましく思っていたのです」
綾乃は木島を見ると眉毛を寄せて、すまなそうな、それでいて悲しそうななんとも言えない表情をした。
「綾乃さんの過去についても調べさせていただきました。この屋敷に来る前のことです」
「お子さんを亡くされていますよね?」と青砥が言った瞬間、綾乃の唇がきゅっと真一文字になった。綾乃の感情の乱れを感じながらも青砥は続ける。
「その日は雨が降っていました。7歳の娘さんは綾乃さんと一緒に買い物に行こうと家を出たところで降りてきた車の下敷きになってしまった。本来なら車についているセンサーが人がいることを感知して忠告をするはずだったのに、運悪くセンサーが壊れていたために起こってしまった悲しい事故でした」
ここで初めて綾乃が姿勢を崩して前かがみになった。背中を丸めてグッと握りこぶしを作って、自身の内に閉じ込めていたものを必死に抑えているかのようだ。
「救急車は!? この世界は医療が発達しているのでしょう? 助けられないんですか!!」
救急車、この世界、不可解な言葉を使っていると気付かない程に樹の心は揺さぶられていた。大切な人を亡くした綾乃の痛みが樹の痛みとなって心をかき乱していく。
青砥が静かに首を振った。
「娘さんは臓器の多くを損傷していた。沢山の臓器を交換するには自分の臓器のクローンを持っている必要がある。そしてそれが出来るのは、高額な維持費を払うことができる人たちだけなんだ」
「そんな……」
樹がいた世界よりもずっと進んでいると言われるこの世界。
一般人の平均寿命は100歳、お金を持っていれば200歳、その話を聞いた時から命の格差がある世界なのだと思ってはいた。それでも100歳というのは樹からすれば長寿に数えられる年齢で、それ以上生きるという事に魅力を感じていない樹にとって、あまり意識することではなかったのだ。
「娘を亡くしてからは針の筵を歩くような日々でした」
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