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第一章 もう一つの世界
1. 碧色の空
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右腕を強く掴まれたような気がした。
樹は振りほどこうと手に力を入れたが、腕は何かに挟まったかのように動かない。体の内側からメキメキと音が鳴り、視界に映るのは沢山の色の残像だ。
理解不能。
漠然とした恐怖に体が強張った。
腕が熱い。
体全体が大きな濁流にのまれ呼吸もままならない。濁流が体をあり得ない方向に曲げようとするのに逆らって必死に体を小さく丸めた。
「ううわぁあああああっ、ぐっ、はぁあああっ」
痛みというよりも衝撃だった。腕の熱に体が飲み込まれ、ぐるぐる回る視界に平行感覚を失う。正常を取り戻そうと脳が必死になれば今度は痛みが感覚を支配した。
その痛みから逃れようと樹は叫んだ。
叫んで、叫んで……一瞬だけ碧が見えた瞬間に樹は気を失った。
一面グリーンの天井、太陽の温もり。意識を取り戻した樹が最初に見て感じたのはこの二つだ。真っ白な掛け布団、かすかな消毒の香りがする。
「病院……か? 右腕がない……」
右腕がないことにそれほど驚きはしなかった。あの声、そして言いようのない衝撃と痛みを覚えていれば当然のことだ。
「痛くは、ないな?」
言いながら首を捻る。首元を引っ張って患部を確認すれば肩の関節の少し下に金属のアームレットのような物がついていた。
「機械の接続部分みてぇ」
夢か、現実か、いやこの際どっちでもいい。
ベッドから抜け出した樹はこの部屋に唯一ある窓に向かって歩いた。トイレの窓かと思うくらい小さい窓だったが樹が窓に触れると窓は大きさを変え、壁一面が透明になった。そこから見えた景色に樹は渇いた笑みを零した。
「はっ、はは……ここは、なんだ?」
どこだ? ではない。
この世界は樹の知っている世界とはあまりに違い過ぎる。樹のいる場所は前の世界でいうところの高層ビル20階程度だ。だがそこから見えるのは樹がいた世界とは明らかに異なるものだった。
最初に目に入ったのは碧色の空だ。青と呼ぶには緑に近すぎるし、緑と呼ぶには不安定すぎる。樹が今まで見た空には無い色だ。その上、電車や車のような乗り物が巨大な植物の間を縫うように飛んでいた。
植物は本物に見えるものもあるし、窓がある物もある。地面は土で出来ており、車や電車が飛んでいることを除けば、整備された植物園の中に体を縮小されて放置されたような感じだ。
「あ、目が覚めたんですね。今、先生を呼びますね!」
ウィンとドアの開く音と共に白いレーシングスーツのようなものを着た女性が部屋に入ってくると、ドア脇のモニターを操作した。
「どこか痛いところはありますか?」
「ないです。あのここは……」
樹はそこまで言って言葉を詰まらせた。ここがどこかと聞いたところできっと分からない。年代や日付を聞いたところで役には立たないだろう。言葉を探していると何かを察したように女性が話しを続けた。
「何も覚えていませんか?」
「はい……」
「大丈夫ですよ。あんな目にあったんですもの、記憶が抜け落ちることもあります。ここはセント中央病院です。今、先生がきますからね」
間もなくすると樹にも馴染みのある白衣を着た優しそうな50代の男と、30代半ばのチャラついた雰囲気のある男が部屋に入ってきた。30代の男は体にフィットしたスーツを着ている。こちらも元の世界のスーツによく似た物だった。
「体調はどうかな?」
「腕が無くなっていることを除けば、悪くはないです」
「腕はどうしようもなかったからね。他に痛みがないなら良かった。ちょっとベッドに座ってくれるかい?」
言われるまま樹がベッドに座ると、医師は15㎝ほどの蛍光灯のような物をポケットから取り出した。
「一応、体の中も診ておこうね」
医師が棒を樹の前にかざし、スキャンでもするかのように手を動かすと医師と樹の間に半透明の人型データが現れた。血液の流れや骨の状態なども診ることができるらしい。
「うん、問題はないようだね。私はセント中央病院の医院長で榊慎吾と言います。こちらにいるのはN+捜査課の加賀美室長。君の名前は? 覚えているかい?」
「名前は藤丘樹です」
「年齢は?」
「19です」
「自分のことは分かるんだね?」
その言葉に樹が頷く。
「その他に何か覚えていることはないかい? 君はヤン公園で倒れていたところを発見されたんだ。腕はまるで引き千切られたようになっていて出血も多くて危険な状態だったんだよ」
「そうなんですか。すみません、何も覚えていないです」
樹の身に起こったことを話していい相手なのか分からない以上、そうとしか言いようがなかった。
「榊医院長、すみません。彼と二人にしていただいても大丈夫ですか? 記憶もないとのことですし、彼のこれからを決めなければなりませんので」
「わかりました。でも長くはダメですよ。5日間意識を失っていたのです、退院は明日以降になりますからね」
「重々承知いたしました」
榊が部屋を出て加賀美と二人きりになると、加賀美は「さて何から話しましょうか?」と言ってほほ笑んだ。きっと樹を安心させようと微笑んだに違いないが、樹の脳内はそれどころではない。
「アンタは俺がどうしてここにいるのか知っているのか?」
「まぁ、そうですね。大体は知っています」
「あの男はっ……優愛を殺した犯人はどこだ!!」
掴みかかろうとした樹の手をあっさり掴むと、加賀美は樹の背中をなだめる様に叩いた。
「少し落ち着きなさいな。まずはこっちの世界に慣れるのが先決。でないと犯人を捕まえるどころか返り討ちにされますよ」
微笑んだ加賀美が窓に向かって手をかざす。すると、窓際に飾ってあった花瓶がびゅんっと飛んできて加賀美の手の中に収まった。
直後、中身は勢いのまま花瓶から飛び出し加賀美の顔を濡らして床に落ちはしたが……。
「想定内です」
ポケットから取り出したハンカチで加賀美が顔を拭う。
「……」
「とりあえず、退院後のことは私に任せて今は体を休めて下さいね。あ、そうだ。樹君にこれを渡しておきましょう」
差し出したのは黒のメタリックなプレスレットだ。素材は何で出来ているのかは不明だが腕にはめると伸縮して樹の腕にピッタリとハマった。
「これは外部と連絡をとったり、インターネット使用したり、君自身の健康を記録したりと実に様々なことが出来る機械なのです。自身の声を登録すれば音声で動かすことも可能です。この世界の必需品ですね。差し上げますよ」
樹は振りほどこうと手に力を入れたが、腕は何かに挟まったかのように動かない。体の内側からメキメキと音が鳴り、視界に映るのは沢山の色の残像だ。
理解不能。
漠然とした恐怖に体が強張った。
腕が熱い。
体全体が大きな濁流にのまれ呼吸もままならない。濁流が体をあり得ない方向に曲げようとするのに逆らって必死に体を小さく丸めた。
「ううわぁあああああっ、ぐっ、はぁあああっ」
痛みというよりも衝撃だった。腕の熱に体が飲み込まれ、ぐるぐる回る視界に平行感覚を失う。正常を取り戻そうと脳が必死になれば今度は痛みが感覚を支配した。
その痛みから逃れようと樹は叫んだ。
叫んで、叫んで……一瞬だけ碧が見えた瞬間に樹は気を失った。
一面グリーンの天井、太陽の温もり。意識を取り戻した樹が最初に見て感じたのはこの二つだ。真っ白な掛け布団、かすかな消毒の香りがする。
「病院……か? 右腕がない……」
右腕がないことにそれほど驚きはしなかった。あの声、そして言いようのない衝撃と痛みを覚えていれば当然のことだ。
「痛くは、ないな?」
言いながら首を捻る。首元を引っ張って患部を確認すれば肩の関節の少し下に金属のアームレットのような物がついていた。
「機械の接続部分みてぇ」
夢か、現実か、いやこの際どっちでもいい。
ベッドから抜け出した樹はこの部屋に唯一ある窓に向かって歩いた。トイレの窓かと思うくらい小さい窓だったが樹が窓に触れると窓は大きさを変え、壁一面が透明になった。そこから見えた景色に樹は渇いた笑みを零した。
「はっ、はは……ここは、なんだ?」
どこだ? ではない。
この世界は樹の知っている世界とはあまりに違い過ぎる。樹のいる場所は前の世界でいうところの高層ビル20階程度だ。だがそこから見えるのは樹がいた世界とは明らかに異なるものだった。
最初に目に入ったのは碧色の空だ。青と呼ぶには緑に近すぎるし、緑と呼ぶには不安定すぎる。樹が今まで見た空には無い色だ。その上、電車や車のような乗り物が巨大な植物の間を縫うように飛んでいた。
植物は本物に見えるものもあるし、窓がある物もある。地面は土で出来ており、車や電車が飛んでいることを除けば、整備された植物園の中に体を縮小されて放置されたような感じだ。
「あ、目が覚めたんですね。今、先生を呼びますね!」
ウィンとドアの開く音と共に白いレーシングスーツのようなものを着た女性が部屋に入ってくると、ドア脇のモニターを操作した。
「どこか痛いところはありますか?」
「ないです。あのここは……」
樹はそこまで言って言葉を詰まらせた。ここがどこかと聞いたところできっと分からない。年代や日付を聞いたところで役には立たないだろう。言葉を探していると何かを察したように女性が話しを続けた。
「何も覚えていませんか?」
「はい……」
「大丈夫ですよ。あんな目にあったんですもの、記憶が抜け落ちることもあります。ここはセント中央病院です。今、先生がきますからね」
間もなくすると樹にも馴染みのある白衣を着た優しそうな50代の男と、30代半ばのチャラついた雰囲気のある男が部屋に入ってきた。30代の男は体にフィットしたスーツを着ている。こちらも元の世界のスーツによく似た物だった。
「体調はどうかな?」
「腕が無くなっていることを除けば、悪くはないです」
「腕はどうしようもなかったからね。他に痛みがないなら良かった。ちょっとベッドに座ってくれるかい?」
言われるまま樹がベッドに座ると、医師は15㎝ほどの蛍光灯のような物をポケットから取り出した。
「一応、体の中も診ておこうね」
医師が棒を樹の前にかざし、スキャンでもするかのように手を動かすと医師と樹の間に半透明の人型データが現れた。血液の流れや骨の状態なども診ることができるらしい。
「うん、問題はないようだね。私はセント中央病院の医院長で榊慎吾と言います。こちらにいるのはN+捜査課の加賀美室長。君の名前は? 覚えているかい?」
「名前は藤丘樹です」
「年齢は?」
「19です」
「自分のことは分かるんだね?」
その言葉に樹が頷く。
「その他に何か覚えていることはないかい? 君はヤン公園で倒れていたところを発見されたんだ。腕はまるで引き千切られたようになっていて出血も多くて危険な状態だったんだよ」
「そうなんですか。すみません、何も覚えていないです」
樹の身に起こったことを話していい相手なのか分からない以上、そうとしか言いようがなかった。
「榊医院長、すみません。彼と二人にしていただいても大丈夫ですか? 記憶もないとのことですし、彼のこれからを決めなければなりませんので」
「わかりました。でも長くはダメですよ。5日間意識を失っていたのです、退院は明日以降になりますからね」
「重々承知いたしました」
榊が部屋を出て加賀美と二人きりになると、加賀美は「さて何から話しましょうか?」と言ってほほ笑んだ。きっと樹を安心させようと微笑んだに違いないが、樹の脳内はそれどころではない。
「アンタは俺がどうしてここにいるのか知っているのか?」
「まぁ、そうですね。大体は知っています」
「あの男はっ……優愛を殺した犯人はどこだ!!」
掴みかかろうとした樹の手をあっさり掴むと、加賀美は樹の背中をなだめる様に叩いた。
「少し落ち着きなさいな。まずはこっちの世界に慣れるのが先決。でないと犯人を捕まえるどころか返り討ちにされますよ」
微笑んだ加賀美が窓に向かって手をかざす。すると、窓際に飾ってあった花瓶がびゅんっと飛んできて加賀美の手の中に収まった。
直後、中身は勢いのまま花瓶から飛び出し加賀美の顔を濡らして床に落ちはしたが……。
「想定内です」
ポケットから取り出したハンカチで加賀美が顔を拭う。
「……」
「とりあえず、退院後のことは私に任せて今は体を休めて下さいね。あ、そうだ。樹君にこれを渡しておきましょう」
差し出したのは黒のメタリックなプレスレットだ。素材は何で出来ているのかは不明だが腕にはめると伸縮して樹の腕にピッタリとハマった。
「これは外部と連絡をとったり、インターネット使用したり、君自身の健康を記録したりと実に様々なことが出来る機械なのです。自身の声を登録すれば音声で動かすことも可能です。この世界の必需品ですね。差し上げますよ」
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