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第2章 スウガク部編
整数タイムアップ【1】
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心音たちが怪獣に遭遇する少し前に遡る。
整数環名は焦っていた。いつも通り両親と仲良く朝食を済ませて時間に余裕のある通学をしていたところ、彼女の携帯電話にとても面倒と思われる案件が飛び込んできたからだ。
「今どこにいる? 分からない? そこから推定しろというのか」
電話の相手は知り合いの教師だ。今日は彼女の教え子が受験勉強の息抜きで十彩町を訪れていた筈だったのだが、何故か先に来ていた彼女と合流することなく迷子になってしまったという。
「とにかくあいつの母に連絡……今は不在か」
探している人物の母親は世間一般で千里眼と呼ばれる類の能力を持っており、人探しの成功率は100パーセントを誇る。愛娘のピンチとあらば迷わずその力を使ってくれることだろう。故に環名としても今まさに頼りたい人物筆頭だった。
しかし彼女は仕事の関係上出張が多い上、出張中は連絡が取れなくなる。今はまさに連絡の取れない時期だった。
小説、アニメ、その他諸々の創作物において、人の感情を他の何かで表現する手法はたくさんある。例えば音を利用する場合、風の吹く音や僧侶が葬式などで鳴らす「チーン」というあの音を用いたとするなら、虚しかったり残念だったりする様子を表現できることだろう。環名の頭の中では今、夏はまだ先にも拘らず蝉の声が響き渡っていた。
「善処する。期待するな」
電話を切り、端末をぱたりと畳み、呼吸を整えた。
「はあ」
断じてため息ではない。
学園までのルートを外れ、環名は歩き出した。
捜索対象の少女――積元微は環名にとって自分と真逆のような人物だ。
彼女と出会ったのは昨年の12月。駅を彷徨いていたら捕まった。修学旅行で十彩町に来ていたらしい。帰る前に連絡先を交換し、現在に至るまで彼女と時折連絡を取る生活が続いている。
そうして交流を続けている環名から見て、微の性格は良く言えば臨機応変、悪く言えば考え無しの馬鹿だった。面白そうなもの、放って置けないもの、そういった事物を見かけたら考え無しに飛び出していく。色々考えて行動する理論派の自分とは何ひとつ共通点が見当たらず、故に環名にとっては予測不可能な存在と言えた。
「分からん」
微はどこにいる? どんな道を通った? 迷子になったということは教えた道から外れてそこから繋がる別の道に迷い込んだ可能性が高い。いや、微ならそもそも正しいルートを辿っているにも拘らず迷ったと勘違いしている可能性もある。しかも微の身体能力なら建物の1つや2つは軽々飛び越えて訳の分からない場所に着地していてもおかしくない。
要するに、見当がつかない。
「やっぱり分からん」
「どうしたの?」
「微が迷子なんだ。そもそもあいつが変な道に迷い込みそうになったとして何故ディファレが……は?」
さも当たり前のように会話が始まっていた。自分がいるのは何もおかしなことではないとでもいうかのように、その人物は環名の隣に並んで立っていた。
九ノ東学園とは違う制服を着た少女だ。環名が今まさに探している微と同じ服を身に纏い、微と同じ髪型で、顔立ちも背格好もその他身体的な特徴も全く同じだった。とても不思議なことだ。まるで迷子の人物を探していたら本人が何食わぬ顔で現れたかのようだ。
果たしてそのようなことはあり得るのか。
「微! 何をしている!」
意外とあり得る。
「そもそもどうしてここにいるんだ」
「えへへ。そういえば環名ちゃんってこの道通ってたなって」
「どうしてそういうことは覚えて……はあ、もういい。ちょっと代われ」
「かわる?」
「ディファレに代われ! 他に何がある」
「分かった。ちょっと待っててね」
一瞬、微の目から光が失われた。糸の切れた操り人形のように全身から力が抜け落ち、生きてるのか死んでるのかすらもまるで分からなくなってしまうかのような姿がほんのごく僅かな間だけ晒された。
再び目に光が宿る。指がぴくりと動き、次にまるで今初めてその体の感触を確かめたかのように、彼女は両手を何度か握ったり広げたりした。
「代わったか?」
「代わったよ」
変わっていない。外見は何も変わっていない。しかし確かに代わっていた。
彼女の名はディファレ。積元微のもう1人の人格だ。かつては表に出ることなく微を見守ることに徹していたが、最近は以前に比べると顔を出す機会も多くなっている。主人格の微とはとても仲がいい。
「ワタシに何か用?」
「九ノ東学園までの道のりは既に教えた筈だ。どうして微が迷子になっている? お前はあいつが正しい道を外れるのを黙って見ていたとでも言うのか」
「いやーはっはっはー」
ディファレは目を細め、いかにも褒められて照れているかのように自分の後頭部を撫でるか掻くかしていた。現実でこんな仕草をする人がいるのかと疑いたくなる程わざとらしい。
「ちょっと知らない人がいてさ」
「当たり前だろ。大衆だぞ」
「いやいやそれでさ、その知らない人ってのがどうも気になったんだよね」
「というと?」
「動きがもうほんっとうに洗練されてた。あと気づかれないようにこっちの様子を伺ってた」
積元微は日常的に犯罪に出会す訳でもない平和な国の一般家庭で育ったどこにでもいる普通の女子高生だ。しかし彼女の別人格であるディファレは訳あって歴戦の兵士にも匹敵する戦闘能力等を有している。彼女を基準に強いと判断できる人間など1つの国家に1人いれば十分異常事態である。
「まあワタシには遠く及ばないだろうけど、少なくともあれを一般人と思い込むのはお気楽過ぎると思うよ」
「つまり強い不審者がいたということか」
「それでいいと思う」
それでいいのか――喉の7合目辺りまで一瞬押し寄せてきた言葉はしかし環名の口を出られなかった。どうせそんなことをいちいち指摘しても疲れるだけ。環名なりに学習能力を発揮した結果である。
「でさ、微の身に万が一ってことがあったから許されないでしょ? だから微にお願いして、少しだけ代わってもらったの」
「待て。まさかとは思うがお前、その不審者に接触したのか?」
「その通り。よく分かってるね」
やはりこいつは危なっかしい。常に目の届くところに置いておかなければ。環名はそんな使命感に駆られたもの、同時にそういえば自分はこいつの保護者でも何でもなかったと思い出して原因不明の虚しさに襲われた。
「それで話してみたらさ、怪獣のこと調べてるって言ったんだ。だから環名ちゃんの意見を聞きたくて」
「何故わたしだ? 他のやつでいいだろ。というか電話なりメールなりで伝えればいいじゃないか。何故わざわざ会いに来た」
「だってその人、環名ちゃんのことも調べてるって言ってたから」
「…………は?」
硬直。
汗。汗。汗。
体がまるで、冷えていくかのよう。
「実際に会って――」
「そいつはどこに?」
「案内してあげる」
「分かった。それと微、聞こえてるだろ。悪いがわたしがいいと言うまで目は閉じててくれ。耳は塞がなくていい」
もう片方の人格に主導権を譲っている間、外の世界を見るかどうかは自由である。そして微にとって環名は友達であり、そんな彼女の頼みならば微は何も訊かず疑わず二つ返事で受け入れる。
「何のつもり?」
「いずれ分かる。まずは連れて行け」
「はいはい」
ディファレは環名をおんぶし、来た道を不審者の元まで走り出した。
整数環名は焦っていた。いつも通り両親と仲良く朝食を済ませて時間に余裕のある通学をしていたところ、彼女の携帯電話にとても面倒と思われる案件が飛び込んできたからだ。
「今どこにいる? 分からない? そこから推定しろというのか」
電話の相手は知り合いの教師だ。今日は彼女の教え子が受験勉強の息抜きで十彩町を訪れていた筈だったのだが、何故か先に来ていた彼女と合流することなく迷子になってしまったという。
「とにかくあいつの母に連絡……今は不在か」
探している人物の母親は世間一般で千里眼と呼ばれる類の能力を持っており、人探しの成功率は100パーセントを誇る。愛娘のピンチとあらば迷わずその力を使ってくれることだろう。故に環名としても今まさに頼りたい人物筆頭だった。
しかし彼女は仕事の関係上出張が多い上、出張中は連絡が取れなくなる。今はまさに連絡の取れない時期だった。
小説、アニメ、その他諸々の創作物において、人の感情を他の何かで表現する手法はたくさんある。例えば音を利用する場合、風の吹く音や僧侶が葬式などで鳴らす「チーン」というあの音を用いたとするなら、虚しかったり残念だったりする様子を表現できることだろう。環名の頭の中では今、夏はまだ先にも拘らず蝉の声が響き渡っていた。
「善処する。期待するな」
電話を切り、端末をぱたりと畳み、呼吸を整えた。
「はあ」
断じてため息ではない。
学園までのルートを外れ、環名は歩き出した。
捜索対象の少女――積元微は環名にとって自分と真逆のような人物だ。
彼女と出会ったのは昨年の12月。駅を彷徨いていたら捕まった。修学旅行で十彩町に来ていたらしい。帰る前に連絡先を交換し、現在に至るまで彼女と時折連絡を取る生活が続いている。
そうして交流を続けている環名から見て、微の性格は良く言えば臨機応変、悪く言えば考え無しの馬鹿だった。面白そうなもの、放って置けないもの、そういった事物を見かけたら考え無しに飛び出していく。色々考えて行動する理論派の自分とは何ひとつ共通点が見当たらず、故に環名にとっては予測不可能な存在と言えた。
「分からん」
微はどこにいる? どんな道を通った? 迷子になったということは教えた道から外れてそこから繋がる別の道に迷い込んだ可能性が高い。いや、微ならそもそも正しいルートを辿っているにも拘らず迷ったと勘違いしている可能性もある。しかも微の身体能力なら建物の1つや2つは軽々飛び越えて訳の分からない場所に着地していてもおかしくない。
要するに、見当がつかない。
「やっぱり分からん」
「どうしたの?」
「微が迷子なんだ。そもそもあいつが変な道に迷い込みそうになったとして何故ディファレが……は?」
さも当たり前のように会話が始まっていた。自分がいるのは何もおかしなことではないとでもいうかのように、その人物は環名の隣に並んで立っていた。
九ノ東学園とは違う制服を着た少女だ。環名が今まさに探している微と同じ服を身に纏い、微と同じ髪型で、顔立ちも背格好もその他身体的な特徴も全く同じだった。とても不思議なことだ。まるで迷子の人物を探していたら本人が何食わぬ顔で現れたかのようだ。
果たしてそのようなことはあり得るのか。
「微! 何をしている!」
意外とあり得る。
「そもそもどうしてここにいるんだ」
「えへへ。そういえば環名ちゃんってこの道通ってたなって」
「どうしてそういうことは覚えて……はあ、もういい。ちょっと代われ」
「かわる?」
「ディファレに代われ! 他に何がある」
「分かった。ちょっと待っててね」
一瞬、微の目から光が失われた。糸の切れた操り人形のように全身から力が抜け落ち、生きてるのか死んでるのかすらもまるで分からなくなってしまうかのような姿がほんのごく僅かな間だけ晒された。
再び目に光が宿る。指がぴくりと動き、次にまるで今初めてその体の感触を確かめたかのように、彼女は両手を何度か握ったり広げたりした。
「代わったか?」
「代わったよ」
変わっていない。外見は何も変わっていない。しかし確かに代わっていた。
彼女の名はディファレ。積元微のもう1人の人格だ。かつては表に出ることなく微を見守ることに徹していたが、最近は以前に比べると顔を出す機会も多くなっている。主人格の微とはとても仲がいい。
「ワタシに何か用?」
「九ノ東学園までの道のりは既に教えた筈だ。どうして微が迷子になっている? お前はあいつが正しい道を外れるのを黙って見ていたとでも言うのか」
「いやーはっはっはー」
ディファレは目を細め、いかにも褒められて照れているかのように自分の後頭部を撫でるか掻くかしていた。現実でこんな仕草をする人がいるのかと疑いたくなる程わざとらしい。
「ちょっと知らない人がいてさ」
「当たり前だろ。大衆だぞ」
「いやいやそれでさ、その知らない人ってのがどうも気になったんだよね」
「というと?」
「動きがもうほんっとうに洗練されてた。あと気づかれないようにこっちの様子を伺ってた」
積元微は日常的に犯罪に出会す訳でもない平和な国の一般家庭で育ったどこにでもいる普通の女子高生だ。しかし彼女の別人格であるディファレは訳あって歴戦の兵士にも匹敵する戦闘能力等を有している。彼女を基準に強いと判断できる人間など1つの国家に1人いれば十分異常事態である。
「まあワタシには遠く及ばないだろうけど、少なくともあれを一般人と思い込むのはお気楽過ぎると思うよ」
「つまり強い不審者がいたということか」
「それでいいと思う」
それでいいのか――喉の7合目辺りまで一瞬押し寄せてきた言葉はしかし環名の口を出られなかった。どうせそんなことをいちいち指摘しても疲れるだけ。環名なりに学習能力を発揮した結果である。
「でさ、微の身に万が一ってことがあったから許されないでしょ? だから微にお願いして、少しだけ代わってもらったの」
「待て。まさかとは思うがお前、その不審者に接触したのか?」
「その通り。よく分かってるね」
やはりこいつは危なっかしい。常に目の届くところに置いておかなければ。環名はそんな使命感に駆られたもの、同時にそういえば自分はこいつの保護者でも何でもなかったと思い出して原因不明の虚しさに襲われた。
「それで話してみたらさ、怪獣のこと調べてるって言ったんだ。だから環名ちゃんの意見を聞きたくて」
「何故わたしだ? 他のやつでいいだろ。というか電話なりメールなりで伝えればいいじゃないか。何故わざわざ会いに来た」
「だってその人、環名ちゃんのことも調べてるって言ってたから」
「…………は?」
硬直。
汗。汗。汗。
体がまるで、冷えていくかのよう。
「実際に会って――」
「そいつはどこに?」
「案内してあげる」
「分かった。それと微、聞こえてるだろ。悪いがわたしがいいと言うまで目は閉じててくれ。耳は塞がなくていい」
もう片方の人格に主導権を譲っている間、外の世界を見るかどうかは自由である。そして微にとって環名は友達であり、そんな彼女の頼みならば微は何も訊かず疑わず二つ返事で受け入れる。
「何のつもり?」
「いずれ分かる。まずは連れて行け」
「はいはい」
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