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第2章 スウガク部編
ゲンカクエンカウンター【1】
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「っん、はっ……はあっ……はあっ……」
少女の息はとっくに切れていた。こんな状態ならば一度走るのをやめて休憩した方がいい。そんなことは分かっている。しかし少女の足は止まらない。今ここで止まってしまえば、もっと苦しくなるからだ。
「この……ままじゃ…………っ、やばい!」
茶色い癖っ毛を乱れさせながら、少女は腕を振り足を動かし続けた。
こんなことになるなど数十分前は思いもしなかった。少なくとも家族と朝食を食べていた時点ではこうはならない筈だった。
どうしてこうなったのだろう。何を間違えたのだろう。いつまでだったら今の状況に至るのを防げたのだろう。いや、そんなことは分かりきっていた。今更考えても仕方ないことだ。今は過去を振り返ってる場合じゃない。最悪の結末になるのを防ぐためにも走るのだ。
「い、そ、げ!」
別にこんな事態は初めてではない。似たようなことなら前にも経験している。このままだとどうなってしまうかもよく知っている。
それ故の恐怖が、少女の喉に焦りを詰め込んだ。
「しゅ……週に5回遅刻は流石にやべーっすぅーーー!」
梶尾心音――どこにでもいる中学1年生。また遅刻しそうになっていた。
「あーくそっ、何でこんなことになったんすか! ああそうだ。新作の団子食べてたからだ! あの店長絶対許さねーっす!」
責任転嫁は状況を変えない代わりに心を少し軽くしてくれる。虚しくもするが。
「確か、この角を曲がれば、近道ッ!」
遅刻を免れるためだけに脳が全力を尽くす中、彼女は目標達成のための重要な情報を掘り当てた。
右足に重心を置き、体を足から捻るようにして角を曲がる。その様子はさながらコーナーで差をつける陸上選手のようだ。だがしかし、角を曲がった瞬間、彼女は大いに焦った。
「わあっ⁉︎ どいて!」
「え?」
曲がり角では注意を怠ってはならない。角の向こうに誰かがいるかもしれないからだ。
曲がった先に人がいる。目と鼻の先だ。近すぎて胴体しか視界に入らない程に。体が反応する間も無いような一瞬の中で、これはぶつかってしまうだろうと心音は予感した。
「おっと危ない。大丈夫? 怪我してない?」
しかしその予感は外れた。心音の足は地面についておらず、背中に体重が預けられていた。たった今ぶつかりそうになった人物の顔がすぐ近くにあり、彼女の両手の感触が背中と太ももから伝わってくる。心音の体は目の前の人物の腕に支えられていた。俗にお姫様抱っこと呼ばれる状態だ。
「え? え……?」
「あ、ワタシは大丈夫だよ。君は?」
「だ、大丈夫っすけど」
「そっか。よかった」
心音を抱き抱えた人物は微笑んだ。目線を彼女の顔から外してみると、心音のリュックは既に彼女が背負っていた。どうやらぶつかりそうになった拍子に回収したらしい。さっきの一瞬でそのような芸当ができるなど心音にとっては信じ難い事だったが、同時にそれが心音の考えうる唯一の可能性でもあった。
「君の制服さ」
「へ?」
心音は自分の着ているブレザーからスカートにかけて彼女の視線が這うのを感じた。
「九ノ東学園の生徒だよね。見た感じ中等部?」
「あ、はい。中等部の1年っす」
「ふーん」
「あの、そろそろ下ろして」
「頼みがあるんだけど」
心音を抱き抱える両手がより強く彼女の体に食い込んだ。
「用があるんだ。君の通ってる学園に」
「そうっすか」
「案内してくれないかな? 引き受けてくれたら君の足より早く着くよ。遅刻しそうなんでしょ?」
下ろしてもらうよう頼んだ時の口調で焦っているのがバレたようだ。彼女の言う心音の足より早く着く手段というのがどんな物か心音にはさっぱり分からなかった。しかし遅刻が濃厚となった今はその怪しさすらかき消されるぐらい、彼女の提案が魅力的だった。
「分かりました。じゃあ案内をするので下ろしt」
「オーケー。飛ばすね」
「は?」
次の瞬間、加速した。
「――で、また遅刻しそうになったわけだ」
「うぅ……」
ホームルームが始まる前の教室には力の抜けた雰囲気が漂っていた。そんな教室で心音は幼馴染たちに今朝の体たらくを糾弾されていた。
「ヨーちゃん、ココちゃんだって大変だったんだよ」
「うぅ、ススキぃ~」
「ふふ、よしよし」
母性の溢れる優しい声で話すのは心音の幼馴染の少女ススキ。こういうときは大抵彼女がクッションとなってくれている。
「ススキ、こういうときによく言っとかないとこいつは懲りないぞ」
「それはそうかもしれないけど……」
「うっ!」
冷酷なまでに淡々と喋る少年の名はヨータロー。ススキと同じく心音の幼馴染だ。彼がここまで遠慮なく話すのは彼が心を開いているから。その事を心音はよく知っている。
「はぁ、まあお前への説教も今週になってもう5回目だしな。流石に懲りたと信じてこのくらいにしとくか。それよりもさっき言ってためちゃくちゃ足が速い人ってのが気になるし」
「そうね。確か高校生ぐらいの人だったのよね」
「うん。『セキモト先輩って呼んでちょうだい』って言ってたっす」
心音は結局セキモト先輩なる人物に抱き抱えられたまま学園に着く羽目になった。恥ずかしいからこんな姿を見ないで欲しいという心音の意思に同調するかのように周りの生徒や教師らが全員彼女の方を見ていなかったことが救いだったが、移動中のジェットコースターのような疾走感も含めてこんな目に遭うなら遅刻した方がマシだと心音は強く思った。
「何故かあの速さでも周りの物がはっきり見えたおかげでちゃんと道案内できたっすけど、もうあんな目は懲り懲りっす。ヨータローの説教なんかより100倍は怖かったっす」
「ほう」
「その人とは入り口で別れたのよね?」
「そうっす。何でか知らないけど小等部の場所訊かれたっすから、多分そっちに用があったんだと思うっす」
「じゃあ誰かのお姉さんとかか? 忘れ物届けに来たとか」
「思いっきり手ぶらだったっすけどね」
「小等部だったら、またあの子に訊いてみたらいいんじゃないかしら」
「確かに! 名案っすね」
善は急げとばかりに椅子から立ち上がった心音を「おい」と呼び止める声がした。
「昼休みにしろ」
「はーいみんな席に着いてー!」
ヨータローと担任の声が重なった。
少女の息はとっくに切れていた。こんな状態ならば一度走るのをやめて休憩した方がいい。そんなことは分かっている。しかし少女の足は止まらない。今ここで止まってしまえば、もっと苦しくなるからだ。
「この……ままじゃ…………っ、やばい!」
茶色い癖っ毛を乱れさせながら、少女は腕を振り足を動かし続けた。
こんなことになるなど数十分前は思いもしなかった。少なくとも家族と朝食を食べていた時点ではこうはならない筈だった。
どうしてこうなったのだろう。何を間違えたのだろう。いつまでだったら今の状況に至るのを防げたのだろう。いや、そんなことは分かりきっていた。今更考えても仕方ないことだ。今は過去を振り返ってる場合じゃない。最悪の結末になるのを防ぐためにも走るのだ。
「い、そ、げ!」
別にこんな事態は初めてではない。似たようなことなら前にも経験している。このままだとどうなってしまうかもよく知っている。
それ故の恐怖が、少女の喉に焦りを詰め込んだ。
「しゅ……週に5回遅刻は流石にやべーっすぅーーー!」
梶尾心音――どこにでもいる中学1年生。また遅刻しそうになっていた。
「あーくそっ、何でこんなことになったんすか! ああそうだ。新作の団子食べてたからだ! あの店長絶対許さねーっす!」
責任転嫁は状況を変えない代わりに心を少し軽くしてくれる。虚しくもするが。
「確か、この角を曲がれば、近道ッ!」
遅刻を免れるためだけに脳が全力を尽くす中、彼女は目標達成のための重要な情報を掘り当てた。
右足に重心を置き、体を足から捻るようにして角を曲がる。その様子はさながらコーナーで差をつける陸上選手のようだ。だがしかし、角を曲がった瞬間、彼女は大いに焦った。
「わあっ⁉︎ どいて!」
「え?」
曲がり角では注意を怠ってはならない。角の向こうに誰かがいるかもしれないからだ。
曲がった先に人がいる。目と鼻の先だ。近すぎて胴体しか視界に入らない程に。体が反応する間も無いような一瞬の中で、これはぶつかってしまうだろうと心音は予感した。
「おっと危ない。大丈夫? 怪我してない?」
しかしその予感は外れた。心音の足は地面についておらず、背中に体重が預けられていた。たった今ぶつかりそうになった人物の顔がすぐ近くにあり、彼女の両手の感触が背中と太ももから伝わってくる。心音の体は目の前の人物の腕に支えられていた。俗にお姫様抱っこと呼ばれる状態だ。
「え? え……?」
「あ、ワタシは大丈夫だよ。君は?」
「だ、大丈夫っすけど」
「そっか。よかった」
心音を抱き抱えた人物は微笑んだ。目線を彼女の顔から外してみると、心音のリュックは既に彼女が背負っていた。どうやらぶつかりそうになった拍子に回収したらしい。さっきの一瞬でそのような芸当ができるなど心音にとっては信じ難い事だったが、同時にそれが心音の考えうる唯一の可能性でもあった。
「君の制服さ」
「へ?」
心音は自分の着ているブレザーからスカートにかけて彼女の視線が這うのを感じた。
「九ノ東学園の生徒だよね。見た感じ中等部?」
「あ、はい。中等部の1年っす」
「ふーん」
「あの、そろそろ下ろして」
「頼みがあるんだけど」
心音を抱き抱える両手がより強く彼女の体に食い込んだ。
「用があるんだ。君の通ってる学園に」
「そうっすか」
「案内してくれないかな? 引き受けてくれたら君の足より早く着くよ。遅刻しそうなんでしょ?」
下ろしてもらうよう頼んだ時の口調で焦っているのがバレたようだ。彼女の言う心音の足より早く着く手段というのがどんな物か心音にはさっぱり分からなかった。しかし遅刻が濃厚となった今はその怪しさすらかき消されるぐらい、彼女の提案が魅力的だった。
「分かりました。じゃあ案内をするので下ろしt」
「オーケー。飛ばすね」
「は?」
次の瞬間、加速した。
「――で、また遅刻しそうになったわけだ」
「うぅ……」
ホームルームが始まる前の教室には力の抜けた雰囲気が漂っていた。そんな教室で心音は幼馴染たちに今朝の体たらくを糾弾されていた。
「ヨーちゃん、ココちゃんだって大変だったんだよ」
「うぅ、ススキぃ~」
「ふふ、よしよし」
母性の溢れる優しい声で話すのは心音の幼馴染の少女ススキ。こういうときは大抵彼女がクッションとなってくれている。
「ススキ、こういうときによく言っとかないとこいつは懲りないぞ」
「それはそうかもしれないけど……」
「うっ!」
冷酷なまでに淡々と喋る少年の名はヨータロー。ススキと同じく心音の幼馴染だ。彼がここまで遠慮なく話すのは彼が心を開いているから。その事を心音はよく知っている。
「はぁ、まあお前への説教も今週になってもう5回目だしな。流石に懲りたと信じてこのくらいにしとくか。それよりもさっき言ってためちゃくちゃ足が速い人ってのが気になるし」
「そうね。確か高校生ぐらいの人だったのよね」
「うん。『セキモト先輩って呼んでちょうだい』って言ってたっす」
心音は結局セキモト先輩なる人物に抱き抱えられたまま学園に着く羽目になった。恥ずかしいからこんな姿を見ないで欲しいという心音の意思に同調するかのように周りの生徒や教師らが全員彼女の方を見ていなかったことが救いだったが、移動中のジェットコースターのような疾走感も含めてこんな目に遭うなら遅刻した方がマシだと心音は強く思った。
「何故かあの速さでも周りの物がはっきり見えたおかげでちゃんと道案内できたっすけど、もうあんな目は懲り懲りっす。ヨータローの説教なんかより100倍は怖かったっす」
「ほう」
「その人とは入り口で別れたのよね?」
「そうっす。何でか知らないけど小等部の場所訊かれたっすから、多分そっちに用があったんだと思うっす」
「じゃあ誰かのお姉さんとかか? 忘れ物届けに来たとか」
「思いっきり手ぶらだったっすけどね」
「小等部だったら、またあの子に訊いてみたらいいんじゃないかしら」
「確かに! 名案っすね」
善は急げとばかりに椅子から立ち上がった心音を「おい」と呼び止める声がした。
「昼休みにしろ」
「はーいみんな席に着いてー!」
ヨータローと担任の声が重なった。
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