転生遺族の循環論法

はたたがみ

文字の大きさ
上 下
117 / 126
第1章 民間伝承研究部編

転生遺族と少女の覚醒7

しおりを挟む
 イデシメたちの前に現れたスライム。それに視線を向けられてから真っ先に動いたのはイデシメだった。

「縛ります!」
「あ、おい待て!」

 ゴードンの静止が間に合わない程早く、イデシメの糸はスライムをがんじがらめにした……筈だった。

 スライムの体が溶けていく。液体に近くなったそれは糸をすり抜け、糸そのものを駆けるように伝い始めた。

「っ!」
「イデシメ! 糸を」

 捨てないと手元まで一気に来られる。そんなゴードンの忠告は一歩遅かった。
 スライムは既に糸を通じてイデシメの手に接触していた。彼女の手を掴んだまま再び人の形となる。左腕の先だけがイデシメの腕を飲み込むように青い粘液のままである。虚な目がイデシメを捉える。

「しまっ……」
「返しなさいッ!」

 次の瞬間、イデシメは糸と共にはセシリアの隣に転移していた。スライムは一瞬キョロキョロと辺りを見渡した。
 リリィの十八番、空間魔法の全てを彼女に教えた人物らしい手際だった。

「ごめんなさい」
「反省は後。奴にあなたとゴードンの武器は相性が悪そうだわ。私が仕留める。支援をお願い」
「分かりました。コヨ」
「アウッ!」
「俺も行くぜ!」

 イデシメがコヨに飛び乗り、ゴードンとコヨがスライムを挟んで左右逆に走り出す。

「おらぁっ!」

 振り下ろされるゴードンの剣。スライムの足元ギリギリを狙うように弧を描き、スライムはそれを跳んで回避した。だがその先で、

「えいっ!」

 イデシメの糸が飛んでくる。向かって右から1本。スライムを斜めに切り裂くように。
 迫りくる糸を視認しながら、スライムは記憶の中の経験を探る。
 あの糸は今さっき見た。今のままだと縛られるかもしれない。体をバラバラにすれば助かる。糸を伝ってイデシメあれに接近できる。じゃあ体をバラバラにしよう。

 スライムは再び体を崩し、糸に絡み付く。しかしそれは悪手だった。

「そうくると思ったき!」

 スライムが糸に纏わり付いた瞬間、糸が素早く振り上げられた。剣についた血が払われるように、スライムは木々を越えて上空へ放り投げられる。

「コヨ!」
「グワウッ!」

 コヨがイデシメの右手の糸の端を咥える。そしてそのままハンマー投げの要領でイデシメごと糸を上空へ放り投げた。吹っ飛ばされたイデシメは上空で体勢を整えつつ、途中でスライムを追い抜いた。眼下にスライムを捉える。

「ふんっ!」

 イデシメが腕を伸ばし、糸が真っ直ぐと真下のスライム目掛けて放たれた。糸は獲物を貫こうとする槍のように凄まじい勢いでスライムに近づいていき、眼前で静止した。〈念動〉を利用した空間固定ホバリングだ。

 そして固定されていない方――イデシメの掴んでいる方が急速に縮みだす。

「はあああああ!」

 彼女なりの敵に素早く近づく方法だ。糸を掴んでいない方の手にはもう1本の糸が巻きついている。それに「速く動け」と命じれば、彼女の腕も連動して素早く動く。いわばパワードスーツだ。

「去ィねえええええッ!!!」

 吐息が伝わりそうなほどすぐ近くにイデシメの顔が見えた刹那、反応すら出来ないほどの左ストレートがスライムを叩き落とした。隕石よりもずっと速く、限りなく垂直に近い角度で。

 スライムは落ちた先で大の字に寝そべっていた。流石に今のダメージは想定外だった。実際は動けないくらいの負傷などしていないが、自身の思考では読めなかった現象に頭が混乱していた。まだこの器官は使いこなせていないらしい。

「すごいわイデシメちゃん。こんなにピンポイントで落としてくれるなんて」

 光り出す地面。この中で魔法陣を描ける人物は1人しかいない。セシリアは家に伝わる中でも、特に使った回数が少ない魔法を唱えた。

「我は乞う。果てしない眠りを。何人の干渉をも拒む停止を。
 封印魔法 意識暗転ハウメニーシープ

 単なる闇魔法とは格の違う力。一度食らえば三日三晩、場合によっては何十年と眠り続ける魔法。上位互換ともいうべき呪文がスライムの意識を刈り取った。

「……」
「成功ね。実戦で使ったのなんて初めてだわ」
「セシリア!」
「セシリアさん!」

 イデシメも夫も安堵の表情を浮かべている。間違いなく一件落着だ。

「セシリアさん、ゴードンさん、このスライムって」
「上位個体。信じられないけど、そう判断するしかないわね」
「スライムの進化なんて初めて聞いたけどな」

 氾濫スタンピードとはいえ異例の事態。直ちにギルドへの報告が必要と考えられた。

「このスライムはどうするんですか」
「理想は生け捕り。だがそれは難しいだろうな」
「強いし捕らえにくい。死体を持って帰るしかないでしょうね」
「でもどうやって」
「セシリア、吸っちまえ」
「分かった」

 そのスキルは封印魔法程ではないが使わないようにしている。魔術師としてはかなりのアドバンテージを得られるスキル。しかし一歩加減を間違えば、どれほどの命を奪えてしまうか分かったものではないからだ。ちなみにその中にはセシリア自身も含まれている。

 セシリアは眠りにつくスライムのそばにひざをつき、そっと手をスライムの胸に置いた。それで大抵の敵は終わる。大抵の敵は。

「スキル発動 めいm……え?」

 だがこのスライムは例外だった。セシリアも動揺のあまり手を離してしまった。

「おい、どうした?」
「セシリアさん?」
「こいつ……死なない」

 イデシメたちに衝撃が走った。確かに長命な種族はいる。だがとなると話は別だ。アンデット系の魔物も死んだ後に捻くれた形で復活しただけであって、殺せばちゃんと死ぬ。死なない生物などあり得ないのだ。

「おいおいいくらなんでもあり得ないだろ。上位個体といってもたかがスライムだぜ?そんな頭のおかしい性能が……」
「あるんだよなーこれが」

 反応しようとした時には既に、ゴードンの四肢は射抜かれていた。矢は見当たらず、ただ貫かれた彼の両腕と両脚だけが血を垂れ流し続けていた。

「ゴードン!」
「アッハッハッハッハ! わーい、うまくいったぞー」
「グルルル……」
「分かっちゅう。あいつは危険や」

 どこからともなく現れたのは子どもの姿をしたエルフだった。見た目だけなら10歳になるかどうか。だがエルフが長命という常識、そしてその少年から放たれる狂気じみた雰囲気が全てを物語っていた。

「魔術師に、吸血鬼っぽい人間に、フェンリルか。うん。勝てるね」
「あなた、よくもゴードンを……」
「おーい、ニコラ。そんなとこで寝てないで早く起きろよ」
「……!」

 その時、不思議なことが起きた。活動を強制停止した筈のスライム――ニコラの体が溶け出し、再び動き始めたのだ。そしてニコラは再び人型となっている。

「あ、ふわああ~、オイラァ、寝てたぁ~」
「なっ! こいつ喋っ」
「殺れ」

 エルフの少年がこの上なく冷徹な声で命じた。セシリアとイデシメが情報を処理し終えたのは、ニコラが彼女らを殴り飛ばした後だった。

「ぐあっ!」

 木に叩きつけられる。腹と背中から始まった痛みがイデシメの全身を駆け巡る。セシリアも同様だ。強いて言えば、糸が手に巻きついたままのイデシメと違って彼女は杖を手放してしまった。

「アウッ!」
「……コヨ……来ちゃ、ダメ」

 今奴らから目を離してはならない。そう伝えようとしても声を出すのすら辛い。糸を操ろうにも思考が纏まらない。イデシメは無力だった。
 そして、そんな彼女らに容赦しない者たちがいる。

「オイラァ~、勝つねぇ~」

 のんびりとした口調とは裏腹に、ニコラの目には先程とは打って変わって生き生きとした光が宿っていた。子どもというのは、おもちゃをどう使うかを決めて初めてその楽しさを知る。

「グルルル……グァ!」

 その牙で引きちぎるために、コヨはニコラめがけて突き進んだ。そんなコヨに比べたら遥かにゆっくり、ニコラは振り返る。

「お前ぇ~つぅよぉい~」

 眼前に迫っていた牙を体を崩して回避。コヨの胴体の真下で再び人型となり、拳を低く構える。アッパーが一撃。

「でもぉ~」

 殴られてから地面に落ちるまでのわずかな対空。コヨに与えられたはずのその貴重な静寂に、ニコラはサマーソルトキックをコヨのわき腹へと撃ち込んだ。

「ガァッ……⁉︎」

 地面に叩きつけられる。吐血。内臓をやられたらしい。

「おいらぁ~もっと強い~。わぁ~い!」
「うんうん。問題なく動けるみたいだね。いい子だ」

 そのエルフにしてみれば想定内の結果だった。それだけこのスライムには期待していた。ニコラに賭けろと訴えたのが自身の知性だったのも大きかった。

「魔術師の女はか。それじゃあこのまま王都目指して――」
「ま……待ちや……」
「ん? へえ、立ち上がるんだ」

 美しい銀髪を泥まみれにし、生まれたての小鹿のように拙い動きで立ち上がりながら、少女の目はまだ戦うという意思を宣言していた。
しおりを挟む

処理中です...