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第1章 民間伝承研究部編
転生遺族と少女の覚醒6
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問題集の開かれたページ、その最後の解答欄に答えを書き込み縦軸は顔を上げた。
「終わった」
「よし見せたまえ」
作子の握る赤のボールペンが一定の間隔で丸を描く音がする。途中で1度彼女の手が止まったが、再び丸を描く音が発せられると共に作業はリズムを取り戻した。その後は縦軸の想定していた通りの光景が引き続き繰り広げられた。
「この調子なら中学になっても勉強ついていけるっしょ」
「うん」
「でも油断すんなよ? 私だって春からはこうして面と向かって教えてやれないんだから」
「手はあるだろ。電話とか」
「そりゃそうなんだけどさ」
縦軸が中学生になるのを機に虚家は引っ越すことになっていた。彼が試験に落ちれば元も子もない計画ではあったが、作子の個人授業があったためにその心配は最初から最後まで杞憂に過ぎなかった。
彼の両親である素子と秀樹が縦軸の合格を自分のことのように喜んだ。一緒にいた作子には涙を溢れさせながら延々と感謝を伝え続けていた。縦軸はそのことをよく覚えている。
「もしや私に会えないのが寂しいのかい?」
「さあ。どうだろう」
目も合わせず適当な返事を返した縦軸に対し、作子は一切の予告無く彼の頭を髪が乱れるくらい雑に撫でた。
「何だよ」
「素直じゃないなーって思って」
「うっさい」
作子は何も言わず縦軸の頭を撫で続けた。縦軸は止めようとしない。時計の針が進む音だけが聞こえる。
1分程経過した。
「作子」
縦軸が口を開く。
「また――」
「会えるかな……」
縦軸は目を開いた。
ベッドか布団の上。掛け布団の重みを感じる。顔には札らしき物が貼られている。
起き上がった。しばらく気を失っていたようだ。久しく体験していなかった魔力切れによる気絶に縦軸はどこか懐かしさを覚えた。
しかしそんな懐かしさに浸る間も無く、彼の目には不安げな顔で自分を見つめる少女の姿が映った。
「縦軸! 気がついたんですね」
「……お姉ちゃん?」
「はい。お姉ちゃんです」
少女が自分の手を強く握っていることに縦軸は気づいた。眼鏡越しの少女の眼は今にも涙が溢れ出そうとしており、言葉も嗚咽が入り混じったような発音になっていた。
「ここは?」
「私の部屋です。縦軸の部屋も用意されていたんですけど、こっちに運んでもらいました」
「そっか」
「あとその札は剥がさないで下さいね。とても大事な物なんです」
「うん。分かった」
「……あの、そのっ」
リリィは言葉に詰まり、視線も泳いでいた。このままでは本当に泣き出してしまう。縦軸でも分かった。頭は必死に何かのための策を考えてくれるが、ぼんやりとしたモヤのようなものが浮かんでは消えていくだけだった。
とうとうリリィは俯いてしまい、両目からは何か熱い液体が滲み出そうとしていた。
最初の一滴が零れ落ちようとしたまさにその時、少女はふわりと抱きしめられた。縦軸の左手はリリィの体を引き寄せ、彼女の手をすり抜けた右手はそっと頭を撫でている。あまりに近すぎて顔が見えない。
結局リリィが何か大事なことを言い出す前に縦軸が先に口を開いた。
「大好きだよ」
安心させるかのように、縦軸は何よりも先にそう言った。
「ずっと会いたかった。あの日からずっと、僕は寂しかったんだよ。ずっとずっと、お姉ちゃんに会いたかった」
リリィはその言葉のせいで認識出来てしまった。あの日――前世で最も勇気を振り絞った8月31日――に自分が何をしたのかを。誰をどれだけ傷つけてしまったのかを。遺された弟の幸せを願うなどという手段で紛らわせた罪悪感がついに、心の奥底に抑えつけようとする力に勝ってしまったと思い知ったのだ。
「ごめんなさい……ごめんなさい」
謝らずにはいられなかった。ここまで来て涙を堪える方法などあるはずも無かった。
「ううん、いいんだよ。1番辛かったのはお姉ちゃんなんだから。僕の方こそ、頼ろうと思える人になれなくてごめんなさい」
「そんな……別にいいんです。私だって、あなたのこと置いて、1人で勝手に……最低ですよね」
「そんなこと無い。僕はお姉ちゃんのことがずっと大好きだから。嫌いになったことなんて無いから。だから――久しぶり、お姉ちゃん」
「はい、久しぶりです、縦軸。大きくなりましたね」
結局リリィはその後10分間泣き続けた。それが罪悪感からなのかそれとも安心からなのか。それは分からなかったが、縦軸が頭を優しく撫でながら背中をさすってくれる度に少しずつ気持ちが落ち着いていくのはよく分かった。
ようやく泣き止んだリリィは恐る恐る縦軸に訊ねた。
「ねえ、縦軸」
「ん?」
「縦軸のこと、お姉ちゃんに教えてくれませんか。何をしてきたかとか、今どうしてるかとか、何でもいいから教えて欲しいんです」
自分が死んでから今日再会するまで、縦軸の時間が自分の中でぽっかり抜け落ちているのがリリィは嫌だった。
唐突な話題ながらも縦軸は戸惑うことなく笑顔で応えた。
「分かった。長くなるけどいい?」
「それって長い時間縦軸の声が聞けるってことですよね? お姉ちゃん嬉しいです」
「ありがと。じゃあ話すね。えっと……まずお姉ちゃんが転生した後のことなんだけど」
「うっ」
通夜のような雰囲気になった。
「あああ! そんな顔しないで! 確かに悲しかったけど、今こうしてお姉ちゃんに会えてるから! だからもっと笑って、お願い」
「ぐすん。はい、分かりました」
「ありがとう。ゴホン、話を戻すね。実はあの後――」
縦軸が小学生から中学生までの間のことに関する話はあまり長くならなかった。そもそも話す内容が少なかったからだ。作子がよく家に来て勉強を見てくれたことや〈転生師〉のこと以外には大した思い出も無かった。
一方この1年間のことはたくさん喋った。初めての友達、微や傾子のこと、皆で何処へ行って何をしたか。息を弾ませながら語って聞かせ、それがどれだけ楽しい思い出だったかが縦軸の様子からリリィにもよく分かった。
「そうですか。いっぱい友達出来たんですね」
「うん。自分でもびっくりしてる」
「にしてもリムノさんが一児の母ですか。きっと素敵なお母さんだったんでしょうね」
「そうだね。先輩ともとっても仲良しだったみたい」
「あ、そうそう。その先輩さんもだけど縦軸も。まさかスキルを覚えてるなんてお姉ちゃんびっくりですよ。しかもあんな量の魔力、この世界でも魔王とかじゃないと持ってないと思いますよ」
リリィの知る限り最も多くの魔力を保有しているのは自分、母、そしてエーレだ。特にセシリアやエーレは元々豊富な魔力に加えて奥の手をそれぞれ持っている。だが仮にそれを使ったとしても、この弟の宿す化け物じみた魔力には遠く及ばないだろう。指数が狂っている。
「魔力を鍛える方法は異世界にもそりゃありますよ? とはいえあの量は無理です。どうやったんですか?」
「どうやったって……ちなみにお姉ちゃんたちはどうやってるの?」
「簡単です。毎日沢山魔力を消費するんです。筋肉と一緒で使えば強くなりますから」
学園でも魔法の授業でそれをやらされた。魔力量Sのリリィは中々バテることは無かったが、カールやイデシメを含め大抵の生徒は部活でも終えたかのようにぐったりしていた。終わったことだからこその懐かしい思い出だ。
「――それが授業でやってた方法です」
だがそれでも効果には限りがある。カタツムリはどうやっても馬より速くは走れないのだ。自分の弟はどうやってカタツムリを馬より速くしたのか。その答えはとてもあっさりしていた。
「じゃあ僕のやってたのと一緒だよ。お姉ちゃんの方法」
「んんん?」
首を傾げながら縦軸は答えた。リリィは首を傾げた。
「それだけ?」
「それだけ」
「ちなみに魔力の使い道は?」
「〈転生師〉だけだよ。魔法なんて知らなかったから」
「もしかしてとっても魔力消費の激しいスキルとか?」
「僕の使い方のせいでそうなってるだけだよ」
「ほえ?」
この方法を姉に話すのは躊躇われた。彼女を心配させるのが嫌だったからだ。だが隠し事をするのはもっと嫌だった。縦軸はゆっくりと口を開いた。
「お姉ちゃん、僕はね、1日に何十万とスキルを使い続けたんだ」
「……今、なんて?」
「お姉ちゃんたちは毎日授業で魔力がほぼ無くなるまで魔法を使ったのかもしれない。でも僕は魔力が0になるまで魔力を使い続けたんだ。一日中ね」
魔力が底をつけば気絶する。しかも物理的な肉体よりも魂と繋がっているとされる魔力は精神状態に大きな影響力を持つ。魔力切れは安静にしていれば自然に回復するが、万が一その状態が慢性的に続けばどうなるか。
リリィには、縦軸が今こうして正気を保っていられる理由が分からなかった。
そんなことどうでもいいとリリィは自分に言い聞かせた。今こうして縦軸が元気でいることだけで十分だ。学校での毎日を楽しげに語る彼を見ていれば、それだけでいいと思っていられる。
――だが一方で、リリィには自分の血の気が引く感覚があまりにもはっきりと分かった。疑問に思ってしまったらだ。縦軸はそんなことをしないと確信していても、ならば何があったのかと心配したからだ。
「縦軸」
姉は訊ねる。
「あなたは〈転生師〉で、何を転生させたんですか? 何十万とスキルを使い続けられる程、何が死んだんですか?」
ああ、やっぱりか。縦軸は心配の的中に心の中でため息を吐くと共に、説明の仕方が悪かったかもしれないと反省していた。姉を不安にさせてしまったという事実がそれ程に重たかったら。
だからこそ、縦軸は笑って答えることにした。不安になっている相手に大丈夫だと言って聞かせるときはこちらも大丈夫なように振る舞う。それなりに当たり前のことだ。
「お姉ちゃん。お姉ちゃんは人やその他動物を特別扱いしすぎだよ」
「特別、扱い?」
「そう。僕のスキルは『生命を生まれ変わらせる能力』。ここでいう生命は人や動物とは限らないんだ」
ある意味これが、縦軸が積元傾子を転生させるまで本格的に〈転生師〉を使ったことが無かった理由のひとつだ。
傾子こそ縦軸が初めて生まれ変わらせたヒトだった。ちなみに近所の犬が死んだ時に使ったことがあるが、インフルエンザで意識が朦朧としていたため縦軸自身もその犬をどんな風に生まれ変わらせたのかは把握していない。
「じゃあ植物? 近所の草全部刈ったとか?」
「そこまではやってないよ。学校の草むしりでは全部転生させたけど。それに近所の草じゃ桁が足りないし」
「だったら一体……」
「定義の問題だよ」
それに気づけたのは本を読み漁ったからだった。人の体の細胞はたった1日でも果てしない量が死んでいる。ではそれらは果たして生命かどうか。仮に細胞1つ1つを1つの生命と見做せば、魔力などいくらあっても足りない。体内だけでなく外の世界まで、生命かどうかがあやふやなものにまで手を伸ばせば規模はさらに大きくなる。
この世界は生命で溢れかえっている。それが虚縦軸の行き着いた答えであり、彼が魔力という一点において化け物に押し上がったきっかけだった。
「――ていう訳なんだ。要するに何を生命と見做し何を以て死とするかっていう定義の問題だよ。これのおかげで最近は気絶しなくなるぐらい魔力が多くなったんだ。お姉ちゃん?」
何故か息を飲んで涙腺を緩ませていた。
「そこまで調べるなんて、なんて勉強熱心なんでしょう」
「そこ⁉︎」
「ちょっと待ってください。無理。真面目なのが愛おしいです。ぎゅうしたいです」
「お姉ちゃん落ち着いて。ぎゅうだったらいくらでもしていいから。何なら僕の方からお願いしたいぐらい――」
その時、縦軸は感じ取った。鍛え続けたそのスキルによって。
「おや、下が騒がしいですね。誰か帰って来たのでしょうか?」
「……」
「どうしたんです?」
「お姉ちゃん、急ごう」
「縦軸? あ、待って!」
〈転生師〉――死んだ命を転生させるスキル。それはスキルを行使するかもしれない相手、すなわち死にかけている命を探知する力を持っている。
「終わった」
「よし見せたまえ」
作子の握る赤のボールペンが一定の間隔で丸を描く音がする。途中で1度彼女の手が止まったが、再び丸を描く音が発せられると共に作業はリズムを取り戻した。その後は縦軸の想定していた通りの光景が引き続き繰り広げられた。
「この調子なら中学になっても勉強ついていけるっしょ」
「うん」
「でも油断すんなよ? 私だって春からはこうして面と向かって教えてやれないんだから」
「手はあるだろ。電話とか」
「そりゃそうなんだけどさ」
縦軸が中学生になるのを機に虚家は引っ越すことになっていた。彼が試験に落ちれば元も子もない計画ではあったが、作子の個人授業があったためにその心配は最初から最後まで杞憂に過ぎなかった。
彼の両親である素子と秀樹が縦軸の合格を自分のことのように喜んだ。一緒にいた作子には涙を溢れさせながら延々と感謝を伝え続けていた。縦軸はそのことをよく覚えている。
「もしや私に会えないのが寂しいのかい?」
「さあ。どうだろう」
目も合わせず適当な返事を返した縦軸に対し、作子は一切の予告無く彼の頭を髪が乱れるくらい雑に撫でた。
「何だよ」
「素直じゃないなーって思って」
「うっさい」
作子は何も言わず縦軸の頭を撫で続けた。縦軸は止めようとしない。時計の針が進む音だけが聞こえる。
1分程経過した。
「作子」
縦軸が口を開く。
「また――」
「会えるかな……」
縦軸は目を開いた。
ベッドか布団の上。掛け布団の重みを感じる。顔には札らしき物が貼られている。
起き上がった。しばらく気を失っていたようだ。久しく体験していなかった魔力切れによる気絶に縦軸はどこか懐かしさを覚えた。
しかしそんな懐かしさに浸る間も無く、彼の目には不安げな顔で自分を見つめる少女の姿が映った。
「縦軸! 気がついたんですね」
「……お姉ちゃん?」
「はい。お姉ちゃんです」
少女が自分の手を強く握っていることに縦軸は気づいた。眼鏡越しの少女の眼は今にも涙が溢れ出そうとしており、言葉も嗚咽が入り混じったような発音になっていた。
「ここは?」
「私の部屋です。縦軸の部屋も用意されていたんですけど、こっちに運んでもらいました」
「そっか」
「あとその札は剥がさないで下さいね。とても大事な物なんです」
「うん。分かった」
「……あの、そのっ」
リリィは言葉に詰まり、視線も泳いでいた。このままでは本当に泣き出してしまう。縦軸でも分かった。頭は必死に何かのための策を考えてくれるが、ぼんやりとしたモヤのようなものが浮かんでは消えていくだけだった。
とうとうリリィは俯いてしまい、両目からは何か熱い液体が滲み出そうとしていた。
最初の一滴が零れ落ちようとしたまさにその時、少女はふわりと抱きしめられた。縦軸の左手はリリィの体を引き寄せ、彼女の手をすり抜けた右手はそっと頭を撫でている。あまりに近すぎて顔が見えない。
結局リリィが何か大事なことを言い出す前に縦軸が先に口を開いた。
「大好きだよ」
安心させるかのように、縦軸は何よりも先にそう言った。
「ずっと会いたかった。あの日からずっと、僕は寂しかったんだよ。ずっとずっと、お姉ちゃんに会いたかった」
リリィはその言葉のせいで認識出来てしまった。あの日――前世で最も勇気を振り絞った8月31日――に自分が何をしたのかを。誰をどれだけ傷つけてしまったのかを。遺された弟の幸せを願うなどという手段で紛らわせた罪悪感がついに、心の奥底に抑えつけようとする力に勝ってしまったと思い知ったのだ。
「ごめんなさい……ごめんなさい」
謝らずにはいられなかった。ここまで来て涙を堪える方法などあるはずも無かった。
「ううん、いいんだよ。1番辛かったのはお姉ちゃんなんだから。僕の方こそ、頼ろうと思える人になれなくてごめんなさい」
「そんな……別にいいんです。私だって、あなたのこと置いて、1人で勝手に……最低ですよね」
「そんなこと無い。僕はお姉ちゃんのことがずっと大好きだから。嫌いになったことなんて無いから。だから――久しぶり、お姉ちゃん」
「はい、久しぶりです、縦軸。大きくなりましたね」
結局リリィはその後10分間泣き続けた。それが罪悪感からなのかそれとも安心からなのか。それは分からなかったが、縦軸が頭を優しく撫でながら背中をさすってくれる度に少しずつ気持ちが落ち着いていくのはよく分かった。
ようやく泣き止んだリリィは恐る恐る縦軸に訊ねた。
「ねえ、縦軸」
「ん?」
「縦軸のこと、お姉ちゃんに教えてくれませんか。何をしてきたかとか、今どうしてるかとか、何でもいいから教えて欲しいんです」
自分が死んでから今日再会するまで、縦軸の時間が自分の中でぽっかり抜け落ちているのがリリィは嫌だった。
唐突な話題ながらも縦軸は戸惑うことなく笑顔で応えた。
「分かった。長くなるけどいい?」
「それって長い時間縦軸の声が聞けるってことですよね? お姉ちゃん嬉しいです」
「ありがと。じゃあ話すね。えっと……まずお姉ちゃんが転生した後のことなんだけど」
「うっ」
通夜のような雰囲気になった。
「あああ! そんな顔しないで! 確かに悲しかったけど、今こうしてお姉ちゃんに会えてるから! だからもっと笑って、お願い」
「ぐすん。はい、分かりました」
「ありがとう。ゴホン、話を戻すね。実はあの後――」
縦軸が小学生から中学生までの間のことに関する話はあまり長くならなかった。そもそも話す内容が少なかったからだ。作子がよく家に来て勉強を見てくれたことや〈転生師〉のこと以外には大した思い出も無かった。
一方この1年間のことはたくさん喋った。初めての友達、微や傾子のこと、皆で何処へ行って何をしたか。息を弾ませながら語って聞かせ、それがどれだけ楽しい思い出だったかが縦軸の様子からリリィにもよく分かった。
「そうですか。いっぱい友達出来たんですね」
「うん。自分でもびっくりしてる」
「にしてもリムノさんが一児の母ですか。きっと素敵なお母さんだったんでしょうね」
「そうだね。先輩ともとっても仲良しだったみたい」
「あ、そうそう。その先輩さんもだけど縦軸も。まさかスキルを覚えてるなんてお姉ちゃんびっくりですよ。しかもあんな量の魔力、この世界でも魔王とかじゃないと持ってないと思いますよ」
リリィの知る限り最も多くの魔力を保有しているのは自分、母、そしてエーレだ。特にセシリアやエーレは元々豊富な魔力に加えて奥の手をそれぞれ持っている。だが仮にそれを使ったとしても、この弟の宿す化け物じみた魔力には遠く及ばないだろう。指数が狂っている。
「魔力を鍛える方法は異世界にもそりゃありますよ? とはいえあの量は無理です。どうやったんですか?」
「どうやったって……ちなみにお姉ちゃんたちはどうやってるの?」
「簡単です。毎日沢山魔力を消費するんです。筋肉と一緒で使えば強くなりますから」
学園でも魔法の授業でそれをやらされた。魔力量Sのリリィは中々バテることは無かったが、カールやイデシメを含め大抵の生徒は部活でも終えたかのようにぐったりしていた。終わったことだからこその懐かしい思い出だ。
「――それが授業でやってた方法です」
だがそれでも効果には限りがある。カタツムリはどうやっても馬より速くは走れないのだ。自分の弟はどうやってカタツムリを馬より速くしたのか。その答えはとてもあっさりしていた。
「じゃあ僕のやってたのと一緒だよ。お姉ちゃんの方法」
「んんん?」
首を傾げながら縦軸は答えた。リリィは首を傾げた。
「それだけ?」
「それだけ」
「ちなみに魔力の使い道は?」
「〈転生師〉だけだよ。魔法なんて知らなかったから」
「もしかしてとっても魔力消費の激しいスキルとか?」
「僕の使い方のせいでそうなってるだけだよ」
「ほえ?」
この方法を姉に話すのは躊躇われた。彼女を心配させるのが嫌だったからだ。だが隠し事をするのはもっと嫌だった。縦軸はゆっくりと口を開いた。
「お姉ちゃん、僕はね、1日に何十万とスキルを使い続けたんだ」
「……今、なんて?」
「お姉ちゃんたちは毎日授業で魔力がほぼ無くなるまで魔法を使ったのかもしれない。でも僕は魔力が0になるまで魔力を使い続けたんだ。一日中ね」
魔力が底をつけば気絶する。しかも物理的な肉体よりも魂と繋がっているとされる魔力は精神状態に大きな影響力を持つ。魔力切れは安静にしていれば自然に回復するが、万が一その状態が慢性的に続けばどうなるか。
リリィには、縦軸が今こうして正気を保っていられる理由が分からなかった。
そんなことどうでもいいとリリィは自分に言い聞かせた。今こうして縦軸が元気でいることだけで十分だ。学校での毎日を楽しげに語る彼を見ていれば、それだけでいいと思っていられる。
――だが一方で、リリィには自分の血の気が引く感覚があまりにもはっきりと分かった。疑問に思ってしまったらだ。縦軸はそんなことをしないと確信していても、ならば何があったのかと心配したからだ。
「縦軸」
姉は訊ねる。
「あなたは〈転生師〉で、何を転生させたんですか? 何十万とスキルを使い続けられる程、何が死んだんですか?」
ああ、やっぱりか。縦軸は心配の的中に心の中でため息を吐くと共に、説明の仕方が悪かったかもしれないと反省していた。姉を不安にさせてしまったという事実がそれ程に重たかったら。
だからこそ、縦軸は笑って答えることにした。不安になっている相手に大丈夫だと言って聞かせるときはこちらも大丈夫なように振る舞う。それなりに当たり前のことだ。
「お姉ちゃん。お姉ちゃんは人やその他動物を特別扱いしすぎだよ」
「特別、扱い?」
「そう。僕のスキルは『生命を生まれ変わらせる能力』。ここでいう生命は人や動物とは限らないんだ」
ある意味これが、縦軸が積元傾子を転生させるまで本格的に〈転生師〉を使ったことが無かった理由のひとつだ。
傾子こそ縦軸が初めて生まれ変わらせたヒトだった。ちなみに近所の犬が死んだ時に使ったことがあるが、インフルエンザで意識が朦朧としていたため縦軸自身もその犬をどんな風に生まれ変わらせたのかは把握していない。
「じゃあ植物? 近所の草全部刈ったとか?」
「そこまではやってないよ。学校の草むしりでは全部転生させたけど。それに近所の草じゃ桁が足りないし」
「だったら一体……」
「定義の問題だよ」
それに気づけたのは本を読み漁ったからだった。人の体の細胞はたった1日でも果てしない量が死んでいる。ではそれらは果たして生命かどうか。仮に細胞1つ1つを1つの生命と見做せば、魔力などいくらあっても足りない。体内だけでなく外の世界まで、生命かどうかがあやふやなものにまで手を伸ばせば規模はさらに大きくなる。
この世界は生命で溢れかえっている。それが虚縦軸の行き着いた答えであり、彼が魔力という一点において化け物に押し上がったきっかけだった。
「――ていう訳なんだ。要するに何を生命と見做し何を以て死とするかっていう定義の問題だよ。これのおかげで最近は気絶しなくなるぐらい魔力が多くなったんだ。お姉ちゃん?」
何故か息を飲んで涙腺を緩ませていた。
「そこまで調べるなんて、なんて勉強熱心なんでしょう」
「そこ⁉︎」
「ちょっと待ってください。無理。真面目なのが愛おしいです。ぎゅうしたいです」
「お姉ちゃん落ち着いて。ぎゅうだったらいくらでもしていいから。何なら僕の方からお願いしたいぐらい――」
その時、縦軸は感じ取った。鍛え続けたそのスキルによって。
「おや、下が騒がしいですね。誰か帰って来たのでしょうか?」
「……」
「どうしたんです?」
「お姉ちゃん、急ごう」
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