転生遺族の循環論法

はたたがみ

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第1章 民間伝承研究部編

観測少女の修学旅行3

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「やって来ました、十彩町!」

 駅に降りた微は高らかに宣言した。
 暖房の効いた車内からとは違い、怪獣の吐息ブレスのように息が白い。流石の彼女も制服の上からパーカーを羽織っているが、先程までの弱体化ぶりは嘘のようだ。

「んーっ、やっと着きましたか」
「あ、成ちゃん起きた!」
「はいはいおはようございます」

 成の装備は微のそれよりモコモコしていた。外の気温から考えれば妥当な服装である。

「ところで先輩、1つ訊きたいんですが」
「うん。何?」
「あの人はなんです?」

 成の指差すすぐ先、彼女はいた。

「ヘェーイお前たち! 1年焦らされた念願の修学旅行、盛り上がってっかーい!」

「「「…………」」」

「……微、平方さん、心做しか群衆が冷たいんだけど」
「ええ、冷たいですね。で?」
「追加を求めないで! せめて否定しておくれよ!」
「何そんな格好ではしゃいでるのかって話ですよ。原前先生」

 小学生のときに見たことのある人も多いだろう。何重にも着込まないと風邪をひいてしまいそうな極寒の中、健康的であまりにも眩しい肌を大胆に露出した服装――半袖短パンで登校してくる人物を。
 作子の格好もそれに近い、というか下半身だけなら件の学童そのものだ。上は薄めの上着を羽織っているが、下は教師がそんな服装で大丈夫なのかと不安になる程に美脚を見せつけている。

「後でその服装注意されても知りませんよ」
「問題無い。君らが忘れてくれればいいだけだ」
「ほぼ箝口令じゃないですか……」
「せんせー、寒くないの?」
「おう! この程度どうということもないのだよ」
「おおー!」

 目キラキラさせる程のことですか、とツッコむことにすら気怠さを覚えてしまう成。

「ていうか先生も来てたんですね、修学旅行。いいんですか、しばらく虚さん家のご飯食べれないですよ」
「いやいや、私毎日あいつん家で食わしてもらってるわけじゃないから」

 それに、と作子。

「こっちで用があるのよ。個人的なね。だからついでに来ちゃった」
「公私混同です。公務員としてあるまじき……」
「まあまあ、そう固いこと言わない。生徒会もいいって言ってるし」
「公私混同どころか権力の濫用ときましたか」

 次の生徒会選挙ではていりを推そう。あの3人を落としてやろう。成は心の中で強く誓った。

「ところでさ」
「はい」
?」
「へ……?」

 ついさっきまで隣に立っていた先輩の姿が無い。生徒会がとてもとても激怒するまで、大して時間はかからなかった。



 人の流れを呆然と立って眺めている人間は実在する。例えば、先程から1人の少女が駅で立ち尽くしていた。忙しなく行き交う人々モブに、どこか敵意の篭った虚な目を向けながら。
 ところで、少女の周りには保護者と思わしき大人が見当たらない。はぐれたのか、何かの用事でどこかへ行っている間そこで待つよう言ったのか、いずれにしても少女へ声をかけるのが駅員の役目だ。

「親御さんはいるかな? お母さんとかお父さんとか」
「……」

 しかしずっとこの調子だ。表情ひとつ変えず、一言も発さず。
 怖がらせてしまったのだろうか。まあ仕方ない。自分のような見ず知らずの中年に話しかけられたのだから、むしろそれくらい警戒してくれた方が何かと安全というものだ。相手は10歳前後の女の子なのだから。

「怖がらせちゃったかな? おじさんはこの駅でお仕事してるんだ。お嬢ちゃんは迷子かな?」
「……」
「迷子だったら一緒に親御さんを探そう。だからおじさんについて来……あっ、ちょっと!」

 少女が途端に駆け出した。彼女の目線に合わせるために半腰になっていた駅員、そのすぐ脇をすり抜けるかのように。体格差が活きていた。

 駅員の声で気づいたのだろう。周りから少女へと、一斉に視線が注がれる。
 少女はここにいたくなくなった。

 走る。駆け抜ける。すり抜ける。人混みも、小さな少女の前には大した障害にならなかった。
 さっきの駅員はもうついて来れないだろう。少女は上がった息を整えるべく歩みを遅くしようとし、やめた。また走り出した。

 ついて来てる。気配で分かった。誰かは分からない。ずっと後ろを振り返っていないのだから。
 少女は怖くなった。息がもたない。足も限界だ。しかし恐怖が止まるのを許してくれない。

 もうダメ――何がどうとかもなくそんな言葉が心に浮かぶ。そのせいだろうか。足がもつれた。

「うあっ!」

 転ぶ。たぶん痛い。しかし、

「ほいっ」

 免れた。体が後ろから腹に手を回されて支えられている。
 ああそうか、自分は捕まったのか。そう気づいても怖くなかったのは、相手が相手だったからだろう。

「やっと捕まえた。大丈夫? 息ハアハアしてるよ」
「だい……丈夫」
「わかった」

 解放された。少女を捕まえていたのは、彼女からすると『お姉さん』に当たる年頃の少女だった。

「ちょっと歩こっか。一緒に」
「……分かった」

 逃げようとは思わなかった。逃げる理由も無いし、仮に逃げたとしてもまた捕まってしまいそうだったからだ。

「ねえ、名前は?」

 制服の少女が唐突に訊ねた。

「私はかすか。こんな字だよ」

 そう言って彼女――微はポケットから財布を取り出した。百均で売られているような、名前を書くためのキーホルダーがぶら下がっている。『積元微』と書いてある中の『微』の字を微が指差していた。

「君は?」
「……カンナ」
「よろしくね、カンナちゃん。ところでさ、寒いから何かあったかい飲み物でもどう?」
「……分かった」

 しばらくうろついた後、自販機を見つけた。微はカンナと自分にココアを買った。中身を飲み干すのは、カンナの方が少し早かったらしい。
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