転生遺族の循環論法

はたたがみ

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第1章 民間伝承研究部編

転生遺族と音階少女6

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 頭が冷えるという言葉は今の音に何よりふさわしいだろう。全てを吐き出し切った反動かもしれない。取り返しのつかない事を言ってしまったという罪悪感に襲われると同時に、あの両親への本音に罪の意識が芽生えている自分自身にも負の感情が渦巻いていた。

 親の顔が見れない。言葉も紡げない。なので――

「それじゃ」

 音は帰ることにした。

「待ってくれ」
「待ってちょうだい、音」

 それを止める父と母。

「来ないで」

 それでも拒む音。

「怖いんだよ」
「待ってくれ、頼む」
「せめて話だけでも聞いてちょうだい」
「………………はぁ」

 落ち着いたせいか、嫌悪は減らずとも落ち着いた。その後釜のようにやって来たのは「面倒くさい」という気持ちだった。
 そのせいか思考も道を変えていた。恐怖の対象を退けようとするものから面倒くさいものを早く片付けようとする方へ。

「話だけね。ここで済ませて」

 音は渋々折れた。

「それとまずこっちが質問するわ。あんたたち何があったのよ?」

 娘と話ができる。音の父はそのことを静かに喜び、とても穏やかに言葉を紡いだ。

「原前先生とお前の友達――縦軸君のおかげだよ」
「虚ねえ」

 目の前の2人がのは縦軸と作子が訪問した後。2人の話は自然だった。

「んで、あいつらのありがたいお話を聞いて心を入れ替えたと?」
「ああ。馬鹿な話かもしれんがな」
「それに信じられないかもだけど、でも本当よ」
「…………ふーん」

 音とて目の前のヒトたちのことは16年間見てきている。嘘はついていない。

「音、父さんと母さんは変わったんだ。お願いだからチャンスをくれ。お前のために、お前の親として出来ることをするためのチャンスを」

 彼らは理想の親になった。もうあの苦しい日々に戻ることは無いだろう。自分の夢だって応援してくれるに違いない。

「音お願い。私たちに、今度こそあなたを愛するための時間をちょうだい」

 縦軸と作子はよくやってくれた。何をどうやったかは分からないが。

 全て解決だ。こうして十二乗家は絆を取り戻しいつまでも幸せに暮らしました、と宣言するために必要なものは全て揃ったはずだった。

 そのはずなのに、音は嫌な気分になった。

「……前のあんたたちにはいて欲しくなかった」

 口が動いた。動きながら答えを知ればいいと。

「でも今のあんたたちを見てても何も嬉しくない」

 この矛盾の答えを。

「きっと理にかなった理由じゃない! でも確かに私は思ってしまった!」

 受け入れる。そして気づく。目の前の新しい2人なら絶対抱かなそうな感情に。

「私は……お前らが罰を受けるべき人間じゃなくなったのが悔しいんだ! 苦しまなくていい奴になったのが嫌なんだ!」

 髪をかき乱し、涙で顔をぐしゃぐしゃにした十二乗音。

「ふざけんなよ。何でそんなのになってんだよ。罰を受けろよ! 酷い目に遭え! 娘を愛する権利なんてお前らにはもう無いんだ!」

 天邪鬼、捻くれ者、我儘、全て違う。心に傷をつけた相手を嫌いになった。それだけのことだ。

「何で……どうして……」

 その場に崩れ落ちる。発狂寸前の有様。

 音の両親が動けたのは何故なのか。

 父が音へ歩み寄り、音をそっと抱き寄せる。母も気持ちの悪い嗚咽を続ける彼女を優しく包み込んだ。

「音、すまなかった」
「ごめんね、ごめんなさい……」
「ひぐぃっ、謝るなよ。お前らはそんなのじゃないだろ」

 音が泣きやむまでのいつまでかかるのかと思える間――皮肉なことに――娘への愛に満ち溢れた2人が決して彼女の側を離れることはなかった。



「……薄いわ」
「薄いですね」
「縦軸君、味薄いよ?」
「分かりました。じゃあ塩足しますね」
「虚君、それは砂糖よ」
「あっ」

 音はまだ帰ってきていなかった。彼女が十二乗家に戻る決断をしたとしても虚家に置いてある荷物は取りに帰るはず。なのにまだ帰ってきていなかった。
 夕飯は縦軸たちで作っている。素子と秀樹は帰ってきていたが、微が自分たちで作りたいと言い出したためだ。
 ちなみに微は包丁と火元には近づいていない。というかできない。ていりが包丁を離さず、成が微を上手いこと誘導している。

「でも何で3人ともウチに?」
「はいっ! 私が呼びました」
「先輩、ウチは民研第2の拠点じゃないんですよ? そしてどうして呼んだんですか」
「だって、音ちゃんが心配で……! 1人でいられなかったから」

 台所が静かになった。「三角さんと平方さんもですか?」と縦軸は訊かなかった。
 既に外は暗くなっている。どこかから野良犬らしき遠吠えが聞こえてくる。

 ドアの開く音がした。

「ただいまー」
「あっ! 音ちゃん!!!」

 微が玄関へ駆け出す。縦軸たちも流石に火を止めて微について行った。

「十二乗! 連絡も無いから心配し……どうした?」

 見れば分かる。ボロボロだ。肉体や衣服ではなく精神が。そんな顔をしている。

「虚ぉ、ご飯できてるぅ~?」
「お、おい、どうしたんだ? 何があった?」
「あの両親を説得するのは世界一骨が折れる。更生したと思ったら今度は親バカになりやがって。まだこっちに住みたいってだけでどうしてあんなに粘らなくちゃいけないのよ」

 縦軸はとりあえず音の手を引いてリビングまで連れて行き、されるがまま状態の彼女をソファに座らせた。

「虚君は相手よろしく。ご飯は私たちで作っておくから」
「分かった。ありがとう」

 音は自我でも無くしたのかというほどボーッとしていたが、台所から漂ってくるいい匂いを嗅いでるうちにだんだんと目の輝きを取り戻していった。

「何があったんだ? 大体想像つくけど」
「多分想像通りよ。まだここに住むからってあいつら説得させるのに時間かかっちゃって、気づいたらこんな時間よ。帰り道じゃ大型犬に絡まれるし」
「さっきの遠吠えお前のせいか」

 台所が騒がしい。どうやらもうすぐ出来上がりのようだ。

「取り敢えずまだこっちにいるのは許してもらえたわ。まあよろしくね」
「ああ、よろしく。そりゃいいけど、でも何で戻らないんだ? 今のあの2人なら別にいいだろ」
「まだ会いたくないのよ。あれはあれでしんどいから」
「…………そうか」

 ていりたちが料理をテーブルに並べ始めた。器がコトコトと置かれていく。

「じゃあご飯にしよう。お前も疲れただろうしたくさん食べろ」
「そうね。そうさせてもらうわ」

 ソファから立ち上がり晩ご飯の並んだテーブルに向かう。と思いきや、音は何か思い出したように縦軸に向き直った。

「言い忘れてた。私、あの2人と約束してもらったわ」
「約束? 何を?」
「音楽は辞めない。あと、あの従姉妹が戻ってきたらあいつに会社を継がせる。私は嫌だから」

 何故そんなことを縦軸に報告するのか。その答えは縦軸本人もとっくに分かっていた。

「だから手伝ってくれない? あいつ見つけて連れ戻すのを。最悪死んでたら〈転生師トラックメイカー〉でどうにかしてさ」

 それへの答えは縦軸の中では決まりきっていた。

「分かった。三角さんたちにも手伝ってもらおう。できればあんな奴に僕のスキルは使いたくないけど」
「ひひ、頼りにしてるわよ。虚」

 その後、音は自分の分の料理をすべて平らげてしまった。
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