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第1章 民間伝承研究部編
十二乗音の悪足掻き4
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「うふふふ……これからよろしくね……いひひひひひ」
我ながら気持ちの悪い笑い声だ。だが仕方ないと思う。何故ならついに届いたからだ。ボーカロイドのソフトウェアが。薄い直方体の箱を抱きしめながら部屋でニタニタするのも無理の無い話だろう。
「早速パソコンに入れたげるね。グヘへへへ」
この風景が晒されたら私は叫ぶ。「ぎゃー!」と叫ぶ。そんな状況下で私は愛しの歌姫を我がPCにお迎えした。早速参考書片手に操作を開始する。
数分後、その瞬間が訪れた。
『あー』
冗談抜きで泣いた。私の託した言葉を喋ってくれた。そのことが嬉しくて嬉しくて、私は顔を両手で覆ってボロボロと涙を溢していた。
「今夜は赤飯か。あ、八百屋にも寄らないと」
この後画面に釘付けになりながら「むずぃぃ……」とさらに涙を流す羽目になること、その涙が決して感動のせいじゃないことはまた別のお話だ。
「よし、一旦休憩だ」
5分未満の間隔で挟まれる休憩がこの世界にあっただろうか。どうやら私はまだまだ根性が足りていないようだ。脳みそが疲れて、思いっきり脚を伸ばしたときのあれみたいな感覚に襲われている。大の字になって畳の上に寝転がった。
「……うん、どんな曲にするか考えよう」
断じて調声がめんどくさくて方針転換したのではない。どのみち通る道だ。誰がなんと言おうと現実逃避なんかじゃない。
「私が作りたい曲…………何だろう」
SNSとかだと「好きなものを作れ」という意見はよく見かける。だけど私の好きなものとは何なのだろう。あの曲か?いや、あれはきっかけではあるがこの場合の「好き」とは少し趣旨が違う気がする。
セミの声がやかましい。頭の中にすっと入ってくる。水分はしこたま補給して冷房の効いた部屋にいるはずなのに目眩がする。手足を動かすと伝わってくる畳の畝みたいな凹凸が不思議と心地良かった。
目蓋が重くなってくる。眠気に晒され仕方なく上体を起こした時、ある物が目に入った。ゴミ箱だ。私の部屋に前から置いてある何の変哲も無い白いゴミ箱。
「……あ」
嫌な中身を思い出した。
「これ、『優』って書いてるんだ……読めねぇ」
あの紙切れをゴミ箱から救出したくはなかった。だが作品と本人の人柄は別物だ。仮にも芸術に当てはまるものに足を突っ込もうとしている身、参考になるかもという淡い期待を抱いてしまったのだ。
「上手いんだよなあ、多分」
書道のことなんてよくわからない。確かクラスに習っている子がいたと思うが、会話なんて当然した事が無い。
それからおよそ1時間、あても無く綺麗な黒の流れが飾られた空間を行ったり来たりしていた。あまりに達筆なので私に読める字はほとんど無く、作品の下に飾られたプレートの解説だけが頼りである。
何となく作品を眺める。たまに気分次第で解説を読む。これを繰り返しながら1時間を過ごしたのだ。
もう何周目かも分からない周回だ。たまたま目の前の作品の解説はまだ読んでいなかったため、さらりと飾られたプレートに目を向けた。
タイトルは「救」だった。
『……尚、三谷氏は次のようなコメントをしている。
これは私の過去と関係の深い作品なんです。
あれは私が中学生の頃の話です。当時の私はまだ書道に触れておらず、バドミントンに青春を捧げていました。練習漬けの日々は大変でしたが、仲間たちと助け合い競い合う時間が私は大好きでした。その中でも特に仲の良いある女の子がいたんです。とっても頑張り屋さんで彼女の姿に私も勇気を貰いました。
ところが、中学3年のある日、彼女は帰らぬ人となってしまいました。自殺でした。彼女が死を選んだ理由は今でも分かりません。私は彼女の死がただただショックで、それ以来ラケットを握る手に力が入らなくなりました。友達とバドミントン、同時に大切なものを2つも失ってしまったのです。正直これから何をしたらいいのかさっぱり分かりませんでした。
そんな時でした。叔父に書道を勧められたんです。作者の想いが鮮明に浮かび上がった書の数々を見ているうちに、私の想いも吐き出せるのではないかと思うようになりました。
私なんかにできることは限られています。それでももし何かに思い悩んでいる人がいてその人が私の書を見たとき、救われるといいなと願っています。』
どうやら校閲は入らなかったらしい。書道を進めたのは確かに彼女の叔父だが、彼女はこんな文章に書かれているような人間ではない。『彼女が死を選んだ理由は今でも分かりません』とは『理解できない』なのだろうか。
結局この日、曲のアイデアが来てくれることは無かった。
我ながら気持ちの悪い笑い声だ。だが仕方ないと思う。何故ならついに届いたからだ。ボーカロイドのソフトウェアが。薄い直方体の箱を抱きしめながら部屋でニタニタするのも無理の無い話だろう。
「早速パソコンに入れたげるね。グヘへへへ」
この風景が晒されたら私は叫ぶ。「ぎゃー!」と叫ぶ。そんな状況下で私は愛しの歌姫を我がPCにお迎えした。早速参考書片手に操作を開始する。
数分後、その瞬間が訪れた。
『あー』
冗談抜きで泣いた。私の託した言葉を喋ってくれた。そのことが嬉しくて嬉しくて、私は顔を両手で覆ってボロボロと涙を溢していた。
「今夜は赤飯か。あ、八百屋にも寄らないと」
この後画面に釘付けになりながら「むずぃぃ……」とさらに涙を流す羽目になること、その涙が決して感動のせいじゃないことはまた別のお話だ。
「よし、一旦休憩だ」
5分未満の間隔で挟まれる休憩がこの世界にあっただろうか。どうやら私はまだまだ根性が足りていないようだ。脳みそが疲れて、思いっきり脚を伸ばしたときのあれみたいな感覚に襲われている。大の字になって畳の上に寝転がった。
「……うん、どんな曲にするか考えよう」
断じて調声がめんどくさくて方針転換したのではない。どのみち通る道だ。誰がなんと言おうと現実逃避なんかじゃない。
「私が作りたい曲…………何だろう」
SNSとかだと「好きなものを作れ」という意見はよく見かける。だけど私の好きなものとは何なのだろう。あの曲か?いや、あれはきっかけではあるがこの場合の「好き」とは少し趣旨が違う気がする。
セミの声がやかましい。頭の中にすっと入ってくる。水分はしこたま補給して冷房の効いた部屋にいるはずなのに目眩がする。手足を動かすと伝わってくる畳の畝みたいな凹凸が不思議と心地良かった。
目蓋が重くなってくる。眠気に晒され仕方なく上体を起こした時、ある物が目に入った。ゴミ箱だ。私の部屋に前から置いてある何の変哲も無い白いゴミ箱。
「……あ」
嫌な中身を思い出した。
「これ、『優』って書いてるんだ……読めねぇ」
あの紙切れをゴミ箱から救出したくはなかった。だが作品と本人の人柄は別物だ。仮にも芸術に当てはまるものに足を突っ込もうとしている身、参考になるかもという淡い期待を抱いてしまったのだ。
「上手いんだよなあ、多分」
書道のことなんてよくわからない。確かクラスに習っている子がいたと思うが、会話なんて当然した事が無い。
それからおよそ1時間、あても無く綺麗な黒の流れが飾られた空間を行ったり来たりしていた。あまりに達筆なので私に読める字はほとんど無く、作品の下に飾られたプレートの解説だけが頼りである。
何となく作品を眺める。たまに気分次第で解説を読む。これを繰り返しながら1時間を過ごしたのだ。
もう何周目かも分からない周回だ。たまたま目の前の作品の解説はまだ読んでいなかったため、さらりと飾られたプレートに目を向けた。
タイトルは「救」だった。
『……尚、三谷氏は次のようなコメントをしている。
これは私の過去と関係の深い作品なんです。
あれは私が中学生の頃の話です。当時の私はまだ書道に触れておらず、バドミントンに青春を捧げていました。練習漬けの日々は大変でしたが、仲間たちと助け合い競い合う時間が私は大好きでした。その中でも特に仲の良いある女の子がいたんです。とっても頑張り屋さんで彼女の姿に私も勇気を貰いました。
ところが、中学3年のある日、彼女は帰らぬ人となってしまいました。自殺でした。彼女が死を選んだ理由は今でも分かりません。私は彼女の死がただただショックで、それ以来ラケットを握る手に力が入らなくなりました。友達とバドミントン、同時に大切なものを2つも失ってしまったのです。正直これから何をしたらいいのかさっぱり分かりませんでした。
そんな時でした。叔父に書道を勧められたんです。作者の想いが鮮明に浮かび上がった書の数々を見ているうちに、私の想いも吐き出せるのではないかと思うようになりました。
私なんかにできることは限られています。それでももし何かに思い悩んでいる人がいてその人が私の書を見たとき、救われるといいなと願っています。』
どうやら校閲は入らなかったらしい。書道を進めたのは確かに彼女の叔父だが、彼女はこんな文章に書かれているような人間ではない。『彼女が死を選んだ理由は今でも分かりません』とは『理解できない』なのだろうか。
結局この日、曲のアイデアが来てくれることは無かった。
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