転生遺族の循環論法

はたたがみ

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第1章 民間伝承研究部編

転生遺族の日常

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 6月、季節は梅雨となりその日も朝から雨が降り続けていた。そんな中、外界の気象如きでは微動だにしない家屋という空間の中で、縦軸は今日も目覚まし時計によって起こされた。

 着替えを済ませ、まだ完全に起動しきっていない頭で思考しながら、縦軸は同じく2階にある別の部屋の前にやってきた。3度ノックをしてこう言う。

「おーい、朝だぞ。起きろー、遅刻するぞー」

 縦軸の間延びした声に対する返答は返ってこない。どうやら部屋の主はまだ寝ているようだ。

「……」

 何となくドアノブを回してみる。鍵が掛かっていない。入ろうと思えば入れる。だがそれに関しては色々と憚られる。何を隠そう相手は年頃の女の子なのだ。

「めんどくさい……」

 そう言いながら縦軸はスマホの画面をつける。こういうときの対処法は既に確立されている。
 スマートフォンのタイマーを10秒後に設定する。そして音量は最大限まで上げておく。幸い近所迷惑にはならない。アラーム音は先日ダウンロードした曲に設定しておく。

 タイマーを起動し、その直後にドアを少しだけ開けてスマホを投げ入れる。もちろん傷つかないように床に近い高さで、だ。

 10秒後、縦軸も詳しく知らない人物の作った曲が爆音で部屋に鳴り響く。ドアを挟んでいてもかなりうるさい。
 アラームが聞こえなくなった後ドアが開き、彼女が目が半開きの状態で現れる。

「ふわぁ、うっさいわねぇ。好きな曲でもこんな大音量で毎日流されたら飽きるっての」
「いや、こうしないと起きないだろ」

 着替えてすらいないパジャマ姿で現れたのは、訳あって虚家に住む少女、十二乗ひとめぐりおとである。

 彼女が虚家に住み始めた直後に判明した事実、彼女は朝が弱かったのだ。原因は夜更かしである。目覚まし時計はもちろん点けているがそれでも起きず、縦軸たちがあれやこれやと試行錯誤した結果、先程の方法が有効と判明したのだ。

「だってぇ、全然寝てないんだもの」
「真夜中にパソコンつついてるからだろ」
「分かってないわねー、深夜1時を過ぎてからがー、いっちばんが捗るのよ」

 音には何やら夢があるらしく、それに関係したなるものを夜な夜なやっているのだ。縦軸も詳しくは知らないが、パソコンを使って何かをやっているらしい。

「とにかく早く着替えて降りてこい。母さんと父さんもう朝飯食べてると思うぞ」
「はいはい分かったわよ。すぐ行く」
「二度寝するなよ」
「わーってるわよ。早くドア閉めて。着替えるから」

 縦軸は音の部屋のドアを閉めると、母が朝食を準備している1階に向かう。

 朝ならではの混濁した頭は、こんなタイミングでも突拍子のないことを思い出させることがある。

「姉さん、元気かな……」

 かつて死に別れ、今はどんなテクノロジーですらたどり着けない程遠くで暮らしているであろう姉の情報が、ふと浮上してきた。やはり思い出すと少し苦しい。以前ていりたちに話すのを躊躇ったのは、この感覚の不快さが嫌だったからだ。

「はぁ……他のこと考えよう」

 そう思い至ったところで、縦軸はあることを思い出した。所謂忘れ物だ。このときばかりは縦軸も、自分の脳のとっさの閃きを褒めたものだ。

「危ない危ない、忘れてた」


 朝というのは脳が本領を発揮できない。起きてすぐの状況で完璧な思考をしろという方が無茶な話だ。
 故に縦軸は気付かなかった。彼女が、何故縦軸にドアを閉めさせたのかに。

「十二乗、スマホ返しt……」

 あるいは、もっと気付くのが遅ければ良かったかもしれない。そしたら勝手に部屋に入ったことを咎められるだけで済んだであろう。どれほどきつい口調でも、物理的ダメージは無い方がそりゃあいい。

 タイミングがいけなかったのだ。せめてあと十数秒遅くに開けていたら、音の下着姿を覗かずに済んだかもしれない。

 縦軸は殴られた。正確にいうと、まず足を薙ぎ払うかのようなローキックでバランスを崩され、その後倒れている最中に顔面に正拳突きを食らったのだ。ちなみにその拳に感謝はこもっていない。



「縦軸、その鼻血どうしたんだ?どこかにぶつけたのか?もう血は止まってるみたいだが」
「うん、大丈夫だよ。ありがとう父さん、心配してくれて」
「音ちゃん、なんか機嫌悪そうだけど大丈夫?学校とか、ご両親のことで何かあった?」
「ふん!何でもありません、気にしないでください」

 先程2階で起きたことなど知る由もない素子と秀樹はすこしきょとんとしていた。



「……あんた、今朝のこと誰かに話したら承知しないわよ」
「いや、言わないよ。僕を何だと思ってるのさ」
「魔力モンスター、転生bot、シスコン賢者」
「やめろ!事実で固められてるから『嘘だ!』じゃなくて『黙れ!』としか反論できないじゃないか!」

 縦軸も一緒に暮らし始めてから知ったが、音は口調がきつい。しかも気心が知れているほどその度合いが増すという始末だ。俗っぽい言い方だと、ツンが9.9999……割なのである。

「あんた、今の全部事実だとシスコン賢者ってのも認めることになるわよ」
「賢者はともなくシスコンで結構。僕の姉さんはそれだけ素敵な人なんだ」
「うわぁ……多様性ね」

 音も一緒に暮らし始めてから知ったが、縦軸はかなりのシスコンである。何というか、姉という存在の彼の中での地位が高すぎるのだ。もはや彼は姉に対して姉弟以上の感情を抱いてるのではないかとさえ思えてしまうのだ。



「おはよう、虚君、十二乗さん。酷い雨ね」

 いつもの場所でていりと会った。雨音が騒がしいはずなのに、彼女の声はその音の間を透過しているかのようによく響いてきた。

「にしても十二乗さん機嫌悪そうね。虚君と何かあったかしら?」
「うっさい!あんたに関係無いでしょ!」
「……虚君、あなたたちは確かにラノベのような状況にあるわ。でも物事には順序ってのがあって、異性と関係を気づいていくときは……」
「待て、三角さん。君は何か勘違いをしている。そもそも作子はそんなことにはならないって僕のことを信じて十二乗をウチに住まわせたんだ。そんな彼女の信頼を裏切るなんて、彼女の親友である姉さんに顔向けできない真似するわけないだろ」
「姉に着地するんかい!」



 鳩乃杜高校職員室にて

「ぶえっくしゅ!」
「おや?原前もとさき先生、風邪気味ですか?」
「いえ、何だか今、オチに向けての踏み台にされた気がして」
「はい?」



 一方その頃、縦軸は同じく登校中の微と出会ったのだが……

「ねえねえ縦軸君、見て見て、あめー!」
「うわぁ!水たまりで飛び跳ねないでください!」

傘ではなく合羽ではしゃぎ回っていた。その様子はまるで小学生である。

「先輩、これ以上濡れたら風邪ひいちゃいます!はしゃぐのはいいですけど他人に迷惑かけちゃダメじゃ無いですか!」
「た、縦軸君が風邪に⁉︎ごごごごご、ごめんなさい!大丈夫?頭ボーッとしない?お熱があったらすぐ言って!」
「いや大丈夫ですから。それよりほら、早く学校行きますよ」
「はーい!」

「……ねえ三角」
「何かしら?」
「先輩って、?」
「……虚君って、意外と面倒見良いかもしれないわね」
「何で話逸らすのよ!」


 他愛のない会話だ。この程度のやりとりでは地球も異世界も微動だにしない。しかしそんな時間が、縦軸にとっては不思議だった。

 音の遅刻を防ぎ、ていりや微に振り回されている。思えば、入学式以来ていりが話しかけてくるようになったことが、微のスキルのレベル上げを手伝って感謝してもらったことが、音が死なずに生きようとしてくれたことが、縦軸を引っ張っていた。

 姉が死んだとき、もう生きる意味は無いと思った。その後スキルが発現してからも、縦軸が生きるのはただ姉のためだけであった。小学校では一時期不登校気味になり、中学に上がってからもレベルを上げるのに必死にだったので、嫌われてはいなくとも誰も関わろうとしなくなった。故に縦軸にとって友達と呼べるような者はいなかった(まあ作子は偶に世話を焼いていたが)。

 そんな時、ていりに出会った。彼女が異世界という単語を口にしたとき、もしかしたらと思った。結果としてていりがスキルを持っていたり転生者だったりといった話は聞いていない。しかし縦軸の日常の変化は間違いなく、彼女との出会いからだった。民研への入部も、彼女が巻き込んだ故であった。


 姉だけいれば良かった縦軸の心の中に、微や音を無理矢理引き連れてきた。その先陣に、三角ていりは立っていたのだ。


「……邪魔だなぁ。これからもよろしくね」

 誰にも聞かれないように呟いた。傘を打つ雨音が縦軸の期待に応えてかき消していく。

 実は聞こえていたていりだが、彼女は何も言わなかった。
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