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1巻
1-2
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父さんと一緒に家の中に戻ると、食卓にはすでに朝食が並べられていた。
鍛錬で喉が渇いていたらしい父さんに、母さんが冷たいミルクを注いで渡しながら尋ねる。
「ヒューゴ。今日ハルカゼ草を採ってきてもらえる?」
「ん? いいけどあれって薬になるのか?」
「そろそろ聖獣様の祠に行く準備をしないといけないでしょ? まさか忘れてたの?」
父さんはハッとした顔になる。
「忘れてない! 忘れてないが、思い出せなかっただけだ!」
言ったそばから矛盾しているな。母さんも「全く……」と呆れている。
聖獣様とは、俺たちが住む村の裏に広がる森の主のような存在だ。聖獣様がいることで森の気が整い、聖獣様が強力な魔物を餌とすることで森の生態系が安定すると言われている。
そこまではライルとしての記憶でわかっていたが、祠があるというのも、そこに行くというのも初耳だった。
俺は母さんに尋ねる。
「聖獣様の祠に何しに行くの?」
「ライルはもうすぐ三歳になるでしょ。この村ではその年になると聖獣様に日頃の感謝を伝えて、これからもずっと健康で幸せでいられますようにってお願いをするのよ」
ふむ、どうやら七五三的なものらしい。
「ライルは初めて村から出るんだぞ。楽しみか?」
俺が「うん!」と頷くと、父さんは頭を撫でてくれた。
朝食を終えると父さんは狩りに行き、母さんは診療所の支度に向かった。
俺はその間一人になるが、診療所と家は繋がっているので何かあればいつでも母さんを呼べるようになっている。
俺は自分の部屋に戻った。
やはり不思議な感覚だ。俺は転生するにあたり詳しくこの世界の説明を受けたわけではなかった。だけど、昨日までのライルの記憶があるので、この世界を当たり前のように受け入れることができている。ふと、自分の体の中に意識を向けると前世にはなかった温かい力を感じる。それが魔力なんだということは感覚でわかった。知識がなくとも常識として受け止めているのだ。
それとは別に顔に火照りを感じて枕に顔を埋めた。
「お母さん……お父さん……」
俺は今日、初めて誰かをそう呼んだんだ。
ライルは昨日もその前の日も当たり前のように呼んでいたけど、前世の記憶が戻った今日の俺には特別なことだった。緊張して声がうわずってしまうほどだ。部屋にあった鏡を見ると、そこには母さんと同じ銀色の髪の男の子がいた。瞳の色はグリーン。母さんも薄いグリーンだけど、俺のは父さんと同じ緑だ。
俺は自分の顔を見て嬉しくなった。この顔があの人たちの子どもである証明だったから。
俺には前世の記憶がある。だけど紛れもなくヒューゴとリナの子どもだ。なんだかくすぐったいけれど、温かい気持ちになった。
「家族なんだ……」
そう口に出した瞬間に胸の奥がズキッとした。
一人にしてしまった大切な家族のことを思い出した。
朝食後、俺は少し休んでから部屋を出た。リビングに行き、壁に並ぶ母さんの本を手に取ってみる。まず俺に必要なのは情報だ。
別に俺にはこの世界でのし上がりたいとか、有名になりたいという考えはない。
島にいた時のように田舎でゆっくり過ごしたい。だからカムラにものどかな場所への転生を希望した。
のんびり過ごすだけなら情報とか必要ないじゃん、なんて思ったら大間違いだ。スローライフを守るために情報と力は必須である。なぜなら田舎で無知だと、知らないうちに損をするから。
価値のある土地を買い叩かれるかもしれない。
都会には作りたくない施設や使えない人材を押しつけられるかもしれない。
不利な条件で商取引させられるかもしれない。
前世でいた島にも離島ブームの影響でそういう輩がちょくちょく現れて、その度にお引き取りいただいた。
俺はまだこの世界の仕組みどころか村の情勢もわからないが、のんびりしているだけではダメなのは確かだ。田舎だからこそ、自分たちの生活は自分たちで守らなきゃいけない。
だが情報収集といっても、俺はまだ三歳にもなっていない。
前の世界のようにネットがあるわけでもない。転生してなんでも調べられる便利なスキルを得た……なんてこともなかった。だったらやはり本を読むしかないだろう。
幸いにもこの世界は識字率が高く、紙の本が普及していた。
そしてカムラが言った通り、俺は言語習得が得意だったようですでに文字を読むことができた。というか昨日までのライルよりもスムーズに読める。これがカムラの言っていた経験の引き継ぎなのだろう。
この世界には魔力を使う魔法の他に、スキルが存在する。スキルは血統、鍛錬などで習得する力で魂に刻まれるものらしい。カムラは【言語習得】や【速読】など、こちらの世界での取得条件を満たしているものをスキルに変換して残しておいてくれたのだ。
前世では独学で習得した速読だが、スキル【速読】はそれとはまるで違う。やっていることは似ているのだが、意識しなくてもできるというか、オートメーション化されている感じだ。多分これがスキルを発動している感覚なのだろう。よし! まずはうちにある本の読破だ。
お昼になって母さんが診療所から戻ってきた。
「お昼ご飯を用意するわねー。あら? 本を読んでるの?」
「うん。きれいなお花がいっぱいだよ」
今読んでいるのは、森の草花に関する本だ。
草花の特徴や利用方法、採取や処理の仕方が挿絵入りで書かれている。
うちには百冊ほど本があり、多くは母さんの仕事に関わる医療や聖魔法に関するものだ。
魔法や医学に関する専門用語がたくさん出てくる。
その本を読むにあたっては、昨日までのライルの記憶がおおいに役に立った。例えば一人でいるのが寂しくて、診療の様子をこっそり覗いた記憶。昨日まではその会話をあまり理解できていなかったが、今の俺なら文脈などから、意味を推測することができるのだ。他にも家族の何気ない会話や寝る前に聞かせてくれた御伽噺、村の人が魔法を使って遊んでくれた記憶が、これからこの世界で生きていくヒントを与えてくれていた。
それでも全部を理解するには程遠いが、そういう部分も今は暗記しておけばいいと割り切って読み進めている。そうやって朝から三時間くらいページをめくり続け、やっと四冊目に入ったところだ。さすがに前世にはなかった分野ばかりなので、読むのに時間がかかってしまう。これはうちの本を読破するだけで二週間くらいかかりそうだ。
夕方になり、父さんが帰ってきた。
「ハルカゼ草はここに置いておくぞ」
父さんはそう言ってテーブルに採ってきた植物を置き、お風呂へと向かった。
俺はさっき本で見たハルカゼ草の実物が見たくて、椅子の上に立ってその植物を覗き込んだ。
細い茎に小指の爪くらいの小さな葉がいくつもついていた。新芽のような黄緑の葉だが、輪郭部分がうっすらピンク色をしている。
ハルカゼ草は一年中生えている草だが、風になびく姿が春風を思わせるのでそう呼ばれるようになったみたいだ。
本に書いてあった説明通りの見た目だなぁと眺めていると、ふと違和感を覚えた。本に載っていたハルカゼ草の絵と目の前にある植物では、茎の見た目が違ったのだ。ハルカゼ草は細くて丸い茎だが、父さんが採ってきたものの中には、平べったい茎の草が何本か交ざっていた。
風呂から上がってきた父さんが、俺に尋ねてくる。
「どうした? 真剣な顔でハルカゼ草なんか眺めて」
「お父さん。この三本だけハルカゼ草じゃないよ」
俺は父さんに平べったい茎の植物三本を渡した。
「あれ? 本当だ。ハルカゼモドキだ。採取の時に気をつけてたんだが、交じってしまってたな」
ハルカゼ草は燃やすと炎がピンク色になりいい香りがするので、森の神事ではよく使われるそうだが、ハルカゼモドキは違う。炎の色は同じくピンクだが、ものすごく臭いらしい。俺が読んだ本にも「間違えて採らないように」と注意書きがしてあった。
「ライル、気付いてくれてありがとうな!」
得たばかりの知識が役に立って、父さんに褒められ、俺はとても嬉しくなった。
◆
――その日の夜。ヒューゴとリナの寝室にて。
「なぁリナ。いつの間にライルに薬草の見分け方を教えたんだ?」
「えっ? 教えてないわよ。何かあったの?」
「ハルカゼ草を採ってきただろ? うっかりハルカゼモドキも一緒に持ってきちゃったんだけど、ライルが気付いてくれたんだよ。だからリナに教わったのかなぁって」
首を傾げるヒューゴに対し、リナは思い当たることがあったので納得したように言う。
「今日ね、ライルが私の薬草の本を読んでたの。たぶんそれで覚えたのよ」
「えっ? もうそんなに難しい本を読めるようになったのか?」
ライルは言葉を覚えるのが早かった。だから試しに文字を教えてみたらすぐに覚えてしまった。
だけどさすがに……そう思っていたヒューゴを、リナが笑う。
「ふふっ……さすがに内容を理解するのは無理よ。あの本一冊読むだけで何日もかかるわ。絵本みたいにパラパラめくってただけ。たまたまハルカゼ草のページを見つけたから、そこだけ一生懸命読んだんじゃないかな。今朝話をしたばかりだったし」
確かにハルカゼ草の説明だけなら難しいことは書いていないから、似ている草があることくらいはわかったかもな。そう考えたヒューゴは安心したように息を吐く。
「でも薬草の本を絵本みたいに読むなんて、将来はリナと同じ医療の道に進むかもな」
「親バカねぇ……同世代の子もいない村だし、他にすることがないからよ、きっと」
そう言いながら、リナはライルに寂しい思いをさせているかもしれないと少し心配になった。
ヒューゴとリナは元々王都を拠点に活動する冒険者だったが、ライルを授かった時に冒険者を引退し村で暮らすことを決意した。村に来た時はずっとライルと一緒にいられると思っていたが、リナの診療所は想像以上に繁盛してしまい、昼間はライルを一人にしてしまうことが多くなった。
そんなリナの考えを察したのか、ヒューゴは「じゃあ兄弟でもいればいいかな」とスケベに笑い、リナに小突かれてしまうのだった。
◆
記憶が覚醒して一週間が経った。
俺――ライルがいつものように一人で本を読んでいると、玄関をノックする音が聞こえた。
誰だろう? 村の人ならこの時間は診療所側から来るはずだけど……
とりあえず対応しなきゃと思い、玄関に向かう。
ドアを開けると、イケメンが立っていた。肩に届きそうなウェーブのかかった銀髪の横からは、尖った耳が飛び出している。
エルフだ。初めて見た。
「えっと……こんにちは。何かご用ですか?」
「ライルだね? 生まれた時に会ったきりだから覚えてないかな?」
質問したのに質問で返されたので反応に困っていると、後ろから声が聞こえてくる。
「お父さん!」
振り向くと、母さんが診療所から顔を覗かせていた。
ん……お父さん? 母さんのお父さん? それって……
「僕は君のおじいちゃんだよ」
イケメン改めイケ祖父は、青い目を細めて俺にニッコリと微笑んだ。
「お父さん、来るなら言ってよ! ライルのお祝いはまだ先だよ」
「わかってるよ、リナ。だけど滅多に来られないから今回はライルとゆっくり過ごしたくて、フィリップに仕事を押しつけて早めに来たんだ」
「はぁ……とりあえずまだ診療があるから、ライルと待ってて」
母さんはため息交じりにそう言うと、診療所に戻っていった。
その後、少し話したところによると、イケ祖父の名前はシャリアスというらしい。
前に会ったのは俺が生後一ヵ月の時だったみたいで、さすがに統合された記憶にも残っていなかった。普段は森の深いところにある村に住み、そこで仕事をしているのでなかなか来られないそうだ。
「おじいちゃんはなんのお仕事をしているの?」
「森の民の長をしていてね。聖獣様の森を管理して守るのが仕事なんだよ」
なんだかとても偉い、というか重要な立場っぽい。俺はさらに尋ねる。
「森の民ってエルフ?」
「昔はエルフのことを指したんだけど、今では種族に関係なく僕の村に住む者は森の民って呼ばれてる。僕はエルフだけど、君のおばあちゃんは君と同じヒューマンだったんだよ」
つまり母さんはハーフエルフなのか。ということは、俺にもエルフの血が流れてるんだな。
そういえば、のんびり話しているけど、聖獣様の森を管理するなんていう大切な役目を放り出してきたようなことをさっき言っていたな。
「お仕事は大丈夫なの?」
「リナの兄のフィリップに任せてきたから大丈夫さ。僕は君に会いたくて来たんだよ。もうすぐ三歳のお祝いがあるだろう? それまでずっといるからね」
顔は若いのに、笑うと優しいおじいちゃんに見えるから不思議だ。
おじいちゃんは僕に興味津々といった様子で、聞いてくる。
「ライルは一人でいる時、何をしてるんだい?」
「本を読んでるよ」
俺はさっきまで読んでいた本をおじいちゃんに見せた。
『聖魔法と属性魔法の混合による瘴気感染症へのアプローチ』という本だ。
「もうそんな難しい本を読んでいるのかい? じゃあこれだと簡単すぎたかな?」
そう言っておじいちゃんは、鞄からたくさん本を出した。
絵本や算数の本に世界地図、さらには魔法の基礎や魔物に関する本まである。
「これ僕にくれるの? 嬉しい!」
これは俺の素直な感想だった。家にあるのは母さんが仕事で使う専門書ばかりで、この世界の基礎知識をどうやって学ぶかが課題だったのだ。
「じゃあおじいちゃんと一緒に読もうか」
おじいちゃんは俺を抱き上げて自分の膝に乗せた。前世のじいちゃんを少し思い出した。
しばらくして夕食の時間になり、家族全員が揃う。
「お義父さんがこんなに早く来ると思ってなかったので、驚きましたよ。相変わらずお忙しいんでしょ?」
父さんはおじいちゃんが持ってきたお土産の酒を飲みながら聞いた。
「聖獣様がお隠れになったからね。こっちも影響はあるだろう?」
「強力な魔物を少し見かけるようになりましたね。まだ問題はないですが、早く新しい聖獣様が現れると助かります」
聖獣様はだいたい二百年から三百年ほどで代替わりするそうで、僕が生まれた頃に先代の聖獣様がいなくなったらしい。
代替わりは早い時は一年かからないが、過去には五年以上聖獣様が不在だったこともあるらしく、その間は森の民が中心となって森の生態系を維持するんだと、おじいちゃんが教えてくれた。
「まだ長引くようなら冒険者を雇うことも検討しなくてはいけないんだけどねぇ」
「冒険者はイヤなの?」
おじいちゃんが悩ましげに言ったので、俺は尋ねた。
「嫌じゃないんだよ。冒険者は強いし助かるんだ。でもね、すぐに恋しちゃうから」
エルフは容姿端麗だ。そんな村に冒険者が長期滞在すると、エルフの女性に心を奪われてしまう。
森の民の方も村から出たことがない者が多く、恋愛への免疫があまりない。だから恋に発展することがよくあるそうだ。
おじいちゃんは続ける。
「昔と違って他種族との婚姻にうるさい人は少なくなってるし、今やエルフだって世界中でいろいろな仕事をしてる。森の民には好きなところで好きなことをしてほしいと僕も思ってるんだけど、あんまり数が減りすぎるのも困るんだよ」
過疎化か……田舎の問題は異世界でも同じだな。
「僕が君のおばあちゃんのマーサと結婚する時にも、一部の人が反対しようとしてたんだよ。僕が村を出ていくんじゃないかってね。だけどマーサが『私は森の民になります』って言ったから大歓迎されたんだ」
おじいちゃんはおばあちゃんのことが大好きだったというのが、話している姿からよく伝わってきた。俺は母さんに話を向ける。
「お母さんは大丈夫だったの?」
「私は小さい時から森を出ることに憧れてたのよ。お母さんや、たまに来る冒険者の人がしてくれる外の世界の話が大好きでね。それを知っていたフィリップ兄さんが『森には僕が残るから、リナは好きなことをやりな』って言ってくれたの」
「フィリップおじさんって優しいんだね。僕も会ってみたいな」
そう言うとみんなが笑い、和やかな空気になった。今度は父さんに尋ねる。
「お父さんはフィリップおじさんやマーサおばあちゃんに会ったことあるの?」
「フィリップ義兄さんには何度か会ってるけど、最後に会ったのはライルが生まれる前だな。お義母さんはもう五十年くらい前に亡くなってるから、俺も会ったことないんだよ」
ん? マーサおばあちゃんが亡くなってから五十年? ってことは……
「お母さんって――」
ピシャッ!
俺の言葉を遮るように母さんが箸を置いて、俺を見た。微笑んでいるが目が笑ってない。
「ライル? 女性に年齢の話をするのはマナー違反よ」
和やかな空気が一瞬で終わりを迎えた。
お風呂に入って寝室に戻った。俺は、おじいちゃんの持ってきた魔法の基礎の本をベッドの中で読んだ。
魔法の基本は己の魔力をコントロールすること。一流の魔法使いは意識しなくても体の隅々まで均一に魔力を巡らせることができる、か。
試しにやってみると、魔力を巡らせること自体はそんなに難しくなかった。これは前世で座禅をしながら島の気を自分の中で循環させるトレーニングに似ている。もちろん当時は魔法を使うために座禅をしていたわけではなく、日に日に強くなっていく自分の力を制御するために行っていた。
正直それに比べれば魔力操作なんて百倍楽だった。だって自分の力そのものだから。
だけど無意識にっていうのは難しそうだ。明日からは座禅の習慣を復活させるか。
そう決めて、俺は眠りについた。
それから俺は毎日おじいちゃんと一緒にいた。
おじいちゃんはすごくお喋りだった。絶えず喋ってるし、一聞くと十も二十も返してくる。
その様子には母さんも驚いていて「ジジバカだったのね」と呟いていた。
また、おじいちゃんはお喋りなだけじゃなく、話が上手だった。
魔物一匹の話から、森で行う狩りや村に来た冒険者、他の国の料理や文化などに話をどんどん膨らませていくのだ。
俺が本を好きだと思ったのか、魔法の本や、瘴気を封印した英雄の絵本なんかも読み聞かせてくれた。膝に座らされるのはちょっと恥ずかしかったけど……
天気の良い日には外に出て、村の中に生えている草を摘んで薬膳茶の淹れ方を教えてくれたり、村に来ていた商人をつかまえて珍しい魔道具や特産品を見せてもらったりした。
一人で出かけることをまだ許してもらってなかった俺にとっては、本当に楽しい時間だ。
そんな風に毎日を過ごしていたら、あっという間に三歳の誕生日の前日になった。
「ライルは大きくなったら何になりたいんだい?」
庭で本を読んでいる時におじいちゃんが急に聞いてきた。
「まだわかんない」
子どもらしく答えたが、本当に決めていないので嘘ではない。
「ライルは賢いし、なんにでもなれそうだけどなぁ。本に出てくるような英雄や大魔導師になりたいとか、王都の町に住みたいとか思わないのかい?」
相変わらずジジバカだなぁ。少し賢く見えるのは前世の記憶でズルしているだけだ。
「考えたこともないよ。王都は行ったことがないから興味はあるけど、住むのはいいや。僕は自然が好きだし、家族と一緒にいたいし」
「そっか。ライルは森に愛されそうだね」
なぜかはよくわからないけど、おじいちゃんは嬉しそうだった。
「おじいちゃんはもうすぐ帰っちゃうの?」
「そうだね。三日後には帰ろうと思うよ」
「そっか……寂しいな」
本当に寂しいと思った。心はいい大人のはずなのに……
そんな俺の様子を見たおじいちゃんは、笑って言う。
「また来るよ。仕事はフィリップにやらせればいいからね。それに五歳になったら、今度はライルが僕の村に来るんだよ」
「そうなの?」
「毎年五歳になる子を集めて神殿で儀式をやるんだ。この国で神殿があるのは、僕の村と王都とあと一ヵ所だけだからね。ライルはうちの村にある聖獣様の神殿で儀式をする予定だよ」
それなら遅くとも二年後にはまた会えるのか。
「でも、その前にまた遊びに来てね」
おじいちゃんは必ず来ると約束して頭を撫でてくれた。
鍛錬で喉が渇いていたらしい父さんに、母さんが冷たいミルクを注いで渡しながら尋ねる。
「ヒューゴ。今日ハルカゼ草を採ってきてもらえる?」
「ん? いいけどあれって薬になるのか?」
「そろそろ聖獣様の祠に行く準備をしないといけないでしょ? まさか忘れてたの?」
父さんはハッとした顔になる。
「忘れてない! 忘れてないが、思い出せなかっただけだ!」
言ったそばから矛盾しているな。母さんも「全く……」と呆れている。
聖獣様とは、俺たちが住む村の裏に広がる森の主のような存在だ。聖獣様がいることで森の気が整い、聖獣様が強力な魔物を餌とすることで森の生態系が安定すると言われている。
そこまではライルとしての記憶でわかっていたが、祠があるというのも、そこに行くというのも初耳だった。
俺は母さんに尋ねる。
「聖獣様の祠に何しに行くの?」
「ライルはもうすぐ三歳になるでしょ。この村ではその年になると聖獣様に日頃の感謝を伝えて、これからもずっと健康で幸せでいられますようにってお願いをするのよ」
ふむ、どうやら七五三的なものらしい。
「ライルは初めて村から出るんだぞ。楽しみか?」
俺が「うん!」と頷くと、父さんは頭を撫でてくれた。
朝食を終えると父さんは狩りに行き、母さんは診療所の支度に向かった。
俺はその間一人になるが、診療所と家は繋がっているので何かあればいつでも母さんを呼べるようになっている。
俺は自分の部屋に戻った。
やはり不思議な感覚だ。俺は転生するにあたり詳しくこの世界の説明を受けたわけではなかった。だけど、昨日までのライルの記憶があるので、この世界を当たり前のように受け入れることができている。ふと、自分の体の中に意識を向けると前世にはなかった温かい力を感じる。それが魔力なんだということは感覚でわかった。知識がなくとも常識として受け止めているのだ。
それとは別に顔に火照りを感じて枕に顔を埋めた。
「お母さん……お父さん……」
俺は今日、初めて誰かをそう呼んだんだ。
ライルは昨日もその前の日も当たり前のように呼んでいたけど、前世の記憶が戻った今日の俺には特別なことだった。緊張して声がうわずってしまうほどだ。部屋にあった鏡を見ると、そこには母さんと同じ銀色の髪の男の子がいた。瞳の色はグリーン。母さんも薄いグリーンだけど、俺のは父さんと同じ緑だ。
俺は自分の顔を見て嬉しくなった。この顔があの人たちの子どもである証明だったから。
俺には前世の記憶がある。だけど紛れもなくヒューゴとリナの子どもだ。なんだかくすぐったいけれど、温かい気持ちになった。
「家族なんだ……」
そう口に出した瞬間に胸の奥がズキッとした。
一人にしてしまった大切な家族のことを思い出した。
朝食後、俺は少し休んでから部屋を出た。リビングに行き、壁に並ぶ母さんの本を手に取ってみる。まず俺に必要なのは情報だ。
別に俺にはこの世界でのし上がりたいとか、有名になりたいという考えはない。
島にいた時のように田舎でゆっくり過ごしたい。だからカムラにものどかな場所への転生を希望した。
のんびり過ごすだけなら情報とか必要ないじゃん、なんて思ったら大間違いだ。スローライフを守るために情報と力は必須である。なぜなら田舎で無知だと、知らないうちに損をするから。
価値のある土地を買い叩かれるかもしれない。
都会には作りたくない施設や使えない人材を押しつけられるかもしれない。
不利な条件で商取引させられるかもしれない。
前世でいた島にも離島ブームの影響でそういう輩がちょくちょく現れて、その度にお引き取りいただいた。
俺はまだこの世界の仕組みどころか村の情勢もわからないが、のんびりしているだけではダメなのは確かだ。田舎だからこそ、自分たちの生活は自分たちで守らなきゃいけない。
だが情報収集といっても、俺はまだ三歳にもなっていない。
前の世界のようにネットがあるわけでもない。転生してなんでも調べられる便利なスキルを得た……なんてこともなかった。だったらやはり本を読むしかないだろう。
幸いにもこの世界は識字率が高く、紙の本が普及していた。
そしてカムラが言った通り、俺は言語習得が得意だったようですでに文字を読むことができた。というか昨日までのライルよりもスムーズに読める。これがカムラの言っていた経験の引き継ぎなのだろう。
この世界には魔力を使う魔法の他に、スキルが存在する。スキルは血統、鍛錬などで習得する力で魂に刻まれるものらしい。カムラは【言語習得】や【速読】など、こちらの世界での取得条件を満たしているものをスキルに変換して残しておいてくれたのだ。
前世では独学で習得した速読だが、スキル【速読】はそれとはまるで違う。やっていることは似ているのだが、意識しなくてもできるというか、オートメーション化されている感じだ。多分これがスキルを発動している感覚なのだろう。よし! まずはうちにある本の読破だ。
お昼になって母さんが診療所から戻ってきた。
「お昼ご飯を用意するわねー。あら? 本を読んでるの?」
「うん。きれいなお花がいっぱいだよ」
今読んでいるのは、森の草花に関する本だ。
草花の特徴や利用方法、採取や処理の仕方が挿絵入りで書かれている。
うちには百冊ほど本があり、多くは母さんの仕事に関わる医療や聖魔法に関するものだ。
魔法や医学に関する専門用語がたくさん出てくる。
その本を読むにあたっては、昨日までのライルの記憶がおおいに役に立った。例えば一人でいるのが寂しくて、診療の様子をこっそり覗いた記憶。昨日まではその会話をあまり理解できていなかったが、今の俺なら文脈などから、意味を推測することができるのだ。他にも家族の何気ない会話や寝る前に聞かせてくれた御伽噺、村の人が魔法を使って遊んでくれた記憶が、これからこの世界で生きていくヒントを与えてくれていた。
それでも全部を理解するには程遠いが、そういう部分も今は暗記しておけばいいと割り切って読み進めている。そうやって朝から三時間くらいページをめくり続け、やっと四冊目に入ったところだ。さすがに前世にはなかった分野ばかりなので、読むのに時間がかかってしまう。これはうちの本を読破するだけで二週間くらいかかりそうだ。
夕方になり、父さんが帰ってきた。
「ハルカゼ草はここに置いておくぞ」
父さんはそう言ってテーブルに採ってきた植物を置き、お風呂へと向かった。
俺はさっき本で見たハルカゼ草の実物が見たくて、椅子の上に立ってその植物を覗き込んだ。
細い茎に小指の爪くらいの小さな葉がいくつもついていた。新芽のような黄緑の葉だが、輪郭部分がうっすらピンク色をしている。
ハルカゼ草は一年中生えている草だが、風になびく姿が春風を思わせるのでそう呼ばれるようになったみたいだ。
本に書いてあった説明通りの見た目だなぁと眺めていると、ふと違和感を覚えた。本に載っていたハルカゼ草の絵と目の前にある植物では、茎の見た目が違ったのだ。ハルカゼ草は細くて丸い茎だが、父さんが採ってきたものの中には、平べったい茎の草が何本か交ざっていた。
風呂から上がってきた父さんが、俺に尋ねてくる。
「どうした? 真剣な顔でハルカゼ草なんか眺めて」
「お父さん。この三本だけハルカゼ草じゃないよ」
俺は父さんに平べったい茎の植物三本を渡した。
「あれ? 本当だ。ハルカゼモドキだ。採取の時に気をつけてたんだが、交じってしまってたな」
ハルカゼ草は燃やすと炎がピンク色になりいい香りがするので、森の神事ではよく使われるそうだが、ハルカゼモドキは違う。炎の色は同じくピンクだが、ものすごく臭いらしい。俺が読んだ本にも「間違えて採らないように」と注意書きがしてあった。
「ライル、気付いてくれてありがとうな!」
得たばかりの知識が役に立って、父さんに褒められ、俺はとても嬉しくなった。
◆
――その日の夜。ヒューゴとリナの寝室にて。
「なぁリナ。いつの間にライルに薬草の見分け方を教えたんだ?」
「えっ? 教えてないわよ。何かあったの?」
「ハルカゼ草を採ってきただろ? うっかりハルカゼモドキも一緒に持ってきちゃったんだけど、ライルが気付いてくれたんだよ。だからリナに教わったのかなぁって」
首を傾げるヒューゴに対し、リナは思い当たることがあったので納得したように言う。
「今日ね、ライルが私の薬草の本を読んでたの。たぶんそれで覚えたのよ」
「えっ? もうそんなに難しい本を読めるようになったのか?」
ライルは言葉を覚えるのが早かった。だから試しに文字を教えてみたらすぐに覚えてしまった。
だけどさすがに……そう思っていたヒューゴを、リナが笑う。
「ふふっ……さすがに内容を理解するのは無理よ。あの本一冊読むだけで何日もかかるわ。絵本みたいにパラパラめくってただけ。たまたまハルカゼ草のページを見つけたから、そこだけ一生懸命読んだんじゃないかな。今朝話をしたばかりだったし」
確かにハルカゼ草の説明だけなら難しいことは書いていないから、似ている草があることくらいはわかったかもな。そう考えたヒューゴは安心したように息を吐く。
「でも薬草の本を絵本みたいに読むなんて、将来はリナと同じ医療の道に進むかもな」
「親バカねぇ……同世代の子もいない村だし、他にすることがないからよ、きっと」
そう言いながら、リナはライルに寂しい思いをさせているかもしれないと少し心配になった。
ヒューゴとリナは元々王都を拠点に活動する冒険者だったが、ライルを授かった時に冒険者を引退し村で暮らすことを決意した。村に来た時はずっとライルと一緒にいられると思っていたが、リナの診療所は想像以上に繁盛してしまい、昼間はライルを一人にしてしまうことが多くなった。
そんなリナの考えを察したのか、ヒューゴは「じゃあ兄弟でもいればいいかな」とスケベに笑い、リナに小突かれてしまうのだった。
◆
記憶が覚醒して一週間が経った。
俺――ライルがいつものように一人で本を読んでいると、玄関をノックする音が聞こえた。
誰だろう? 村の人ならこの時間は診療所側から来るはずだけど……
とりあえず対応しなきゃと思い、玄関に向かう。
ドアを開けると、イケメンが立っていた。肩に届きそうなウェーブのかかった銀髪の横からは、尖った耳が飛び出している。
エルフだ。初めて見た。
「えっと……こんにちは。何かご用ですか?」
「ライルだね? 生まれた時に会ったきりだから覚えてないかな?」
質問したのに質問で返されたので反応に困っていると、後ろから声が聞こえてくる。
「お父さん!」
振り向くと、母さんが診療所から顔を覗かせていた。
ん……お父さん? 母さんのお父さん? それって……
「僕は君のおじいちゃんだよ」
イケメン改めイケ祖父は、青い目を細めて俺にニッコリと微笑んだ。
「お父さん、来るなら言ってよ! ライルのお祝いはまだ先だよ」
「わかってるよ、リナ。だけど滅多に来られないから今回はライルとゆっくり過ごしたくて、フィリップに仕事を押しつけて早めに来たんだ」
「はぁ……とりあえずまだ診療があるから、ライルと待ってて」
母さんはため息交じりにそう言うと、診療所に戻っていった。
その後、少し話したところによると、イケ祖父の名前はシャリアスというらしい。
前に会ったのは俺が生後一ヵ月の時だったみたいで、さすがに統合された記憶にも残っていなかった。普段は森の深いところにある村に住み、そこで仕事をしているのでなかなか来られないそうだ。
「おじいちゃんはなんのお仕事をしているの?」
「森の民の長をしていてね。聖獣様の森を管理して守るのが仕事なんだよ」
なんだかとても偉い、というか重要な立場っぽい。俺はさらに尋ねる。
「森の民ってエルフ?」
「昔はエルフのことを指したんだけど、今では種族に関係なく僕の村に住む者は森の民って呼ばれてる。僕はエルフだけど、君のおばあちゃんは君と同じヒューマンだったんだよ」
つまり母さんはハーフエルフなのか。ということは、俺にもエルフの血が流れてるんだな。
そういえば、のんびり話しているけど、聖獣様の森を管理するなんていう大切な役目を放り出してきたようなことをさっき言っていたな。
「お仕事は大丈夫なの?」
「リナの兄のフィリップに任せてきたから大丈夫さ。僕は君に会いたくて来たんだよ。もうすぐ三歳のお祝いがあるだろう? それまでずっといるからね」
顔は若いのに、笑うと優しいおじいちゃんに見えるから不思議だ。
おじいちゃんは僕に興味津々といった様子で、聞いてくる。
「ライルは一人でいる時、何をしてるんだい?」
「本を読んでるよ」
俺はさっきまで読んでいた本をおじいちゃんに見せた。
『聖魔法と属性魔法の混合による瘴気感染症へのアプローチ』という本だ。
「もうそんな難しい本を読んでいるのかい? じゃあこれだと簡単すぎたかな?」
そう言っておじいちゃんは、鞄からたくさん本を出した。
絵本や算数の本に世界地図、さらには魔法の基礎や魔物に関する本まである。
「これ僕にくれるの? 嬉しい!」
これは俺の素直な感想だった。家にあるのは母さんが仕事で使う専門書ばかりで、この世界の基礎知識をどうやって学ぶかが課題だったのだ。
「じゃあおじいちゃんと一緒に読もうか」
おじいちゃんは俺を抱き上げて自分の膝に乗せた。前世のじいちゃんを少し思い出した。
しばらくして夕食の時間になり、家族全員が揃う。
「お義父さんがこんなに早く来ると思ってなかったので、驚きましたよ。相変わらずお忙しいんでしょ?」
父さんはおじいちゃんが持ってきたお土産の酒を飲みながら聞いた。
「聖獣様がお隠れになったからね。こっちも影響はあるだろう?」
「強力な魔物を少し見かけるようになりましたね。まだ問題はないですが、早く新しい聖獣様が現れると助かります」
聖獣様はだいたい二百年から三百年ほどで代替わりするそうで、僕が生まれた頃に先代の聖獣様がいなくなったらしい。
代替わりは早い時は一年かからないが、過去には五年以上聖獣様が不在だったこともあるらしく、その間は森の民が中心となって森の生態系を維持するんだと、おじいちゃんが教えてくれた。
「まだ長引くようなら冒険者を雇うことも検討しなくてはいけないんだけどねぇ」
「冒険者はイヤなの?」
おじいちゃんが悩ましげに言ったので、俺は尋ねた。
「嫌じゃないんだよ。冒険者は強いし助かるんだ。でもね、すぐに恋しちゃうから」
エルフは容姿端麗だ。そんな村に冒険者が長期滞在すると、エルフの女性に心を奪われてしまう。
森の民の方も村から出たことがない者が多く、恋愛への免疫があまりない。だから恋に発展することがよくあるそうだ。
おじいちゃんは続ける。
「昔と違って他種族との婚姻にうるさい人は少なくなってるし、今やエルフだって世界中でいろいろな仕事をしてる。森の民には好きなところで好きなことをしてほしいと僕も思ってるんだけど、あんまり数が減りすぎるのも困るんだよ」
過疎化か……田舎の問題は異世界でも同じだな。
「僕が君のおばあちゃんのマーサと結婚する時にも、一部の人が反対しようとしてたんだよ。僕が村を出ていくんじゃないかってね。だけどマーサが『私は森の民になります』って言ったから大歓迎されたんだ」
おじいちゃんはおばあちゃんのことが大好きだったというのが、話している姿からよく伝わってきた。俺は母さんに話を向ける。
「お母さんは大丈夫だったの?」
「私は小さい時から森を出ることに憧れてたのよ。お母さんや、たまに来る冒険者の人がしてくれる外の世界の話が大好きでね。それを知っていたフィリップ兄さんが『森には僕が残るから、リナは好きなことをやりな』って言ってくれたの」
「フィリップおじさんって優しいんだね。僕も会ってみたいな」
そう言うとみんなが笑い、和やかな空気になった。今度は父さんに尋ねる。
「お父さんはフィリップおじさんやマーサおばあちゃんに会ったことあるの?」
「フィリップ義兄さんには何度か会ってるけど、最後に会ったのはライルが生まれる前だな。お義母さんはもう五十年くらい前に亡くなってるから、俺も会ったことないんだよ」
ん? マーサおばあちゃんが亡くなってから五十年? ってことは……
「お母さんって――」
ピシャッ!
俺の言葉を遮るように母さんが箸を置いて、俺を見た。微笑んでいるが目が笑ってない。
「ライル? 女性に年齢の話をするのはマナー違反よ」
和やかな空気が一瞬で終わりを迎えた。
お風呂に入って寝室に戻った。俺は、おじいちゃんの持ってきた魔法の基礎の本をベッドの中で読んだ。
魔法の基本は己の魔力をコントロールすること。一流の魔法使いは意識しなくても体の隅々まで均一に魔力を巡らせることができる、か。
試しにやってみると、魔力を巡らせること自体はそんなに難しくなかった。これは前世で座禅をしながら島の気を自分の中で循環させるトレーニングに似ている。もちろん当時は魔法を使うために座禅をしていたわけではなく、日に日に強くなっていく自分の力を制御するために行っていた。
正直それに比べれば魔力操作なんて百倍楽だった。だって自分の力そのものだから。
だけど無意識にっていうのは難しそうだ。明日からは座禅の習慣を復活させるか。
そう決めて、俺は眠りについた。
それから俺は毎日おじいちゃんと一緒にいた。
おじいちゃんはすごくお喋りだった。絶えず喋ってるし、一聞くと十も二十も返してくる。
その様子には母さんも驚いていて「ジジバカだったのね」と呟いていた。
また、おじいちゃんはお喋りなだけじゃなく、話が上手だった。
魔物一匹の話から、森で行う狩りや村に来た冒険者、他の国の料理や文化などに話をどんどん膨らませていくのだ。
俺が本を好きだと思ったのか、魔法の本や、瘴気を封印した英雄の絵本なんかも読み聞かせてくれた。膝に座らされるのはちょっと恥ずかしかったけど……
天気の良い日には外に出て、村の中に生えている草を摘んで薬膳茶の淹れ方を教えてくれたり、村に来ていた商人をつかまえて珍しい魔道具や特産品を見せてもらったりした。
一人で出かけることをまだ許してもらってなかった俺にとっては、本当に楽しい時間だ。
そんな風に毎日を過ごしていたら、あっという間に三歳の誕生日の前日になった。
「ライルは大きくなったら何になりたいんだい?」
庭で本を読んでいる時におじいちゃんが急に聞いてきた。
「まだわかんない」
子どもらしく答えたが、本当に決めていないので嘘ではない。
「ライルは賢いし、なんにでもなれそうだけどなぁ。本に出てくるような英雄や大魔導師になりたいとか、王都の町に住みたいとか思わないのかい?」
相変わらずジジバカだなぁ。少し賢く見えるのは前世の記憶でズルしているだけだ。
「考えたこともないよ。王都は行ったことがないから興味はあるけど、住むのはいいや。僕は自然が好きだし、家族と一緒にいたいし」
「そっか。ライルは森に愛されそうだね」
なぜかはよくわからないけど、おじいちゃんは嬉しそうだった。
「おじいちゃんはもうすぐ帰っちゃうの?」
「そうだね。三日後には帰ろうと思うよ」
「そっか……寂しいな」
本当に寂しいと思った。心はいい大人のはずなのに……
そんな俺の様子を見たおじいちゃんは、笑って言う。
「また来るよ。仕事はフィリップにやらせればいいからね。それに五歳になったら、今度はライルが僕の村に来るんだよ」
「そうなの?」
「毎年五歳になる子を集めて神殿で儀式をやるんだ。この国で神殿があるのは、僕の村と王都とあと一ヵ所だけだからね。ライルはうちの村にある聖獣様の神殿で儀式をする予定だよ」
それなら遅くとも二年後にはまた会えるのか。
「でも、その前にまた遊びに来てね」
おじいちゃんは必ず来ると約束して頭を撫でてくれた。
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