僕が学校帰りに拾ったのは天然で、大食いな可愛い女勇者でした

茜カナコ

文字の大きさ
上 下
21 / 35

21、ユイ、髪を切る

しおりを挟む
私の母は幼い。

〝若い〟ではなく〝幼い〟。

もちろん、実年齢の話じゃない。

母は、境界知能、と呼ばれる知能レベルにあるそうだ。
(私はそれを、数週間前に知った。ナースステーションで主治医と看護師さんが私の家庭について話をしているのが、たまたま聞こえてきたのだった)

境界知能って何なのか、ネットで調べてみたら、こんなことが書いてあった。

〝境界知能とは、IQが70~84で、知的障害の診断が出ていない人の通称として使われる言葉〟

〝IQの平均は、85~115。
70未満の場合には知的障害と診断される。
境界知能は、知的障害と診断はされないが、平均的なIQの人よりは勉強やコミュニケーションや社会生活に困難さを感じやすい〟

〝学習や社会生活でつまずきやすく、失敗を重ねて自尊心が低くなることがある。また、感情をうまく表現できないので、ストレスをうまく処理できないことがある〟

〝障害者と診断されないので、本人の抱える生活上の困難さをまわりは気づきづらい〟

境界知能について書かれた記事はたくさん見つかった。世の中には境界知能の人がたくさんいるそうだ。

そして、私の母も境界知能だというーー。

母のIQが正常より低いという事実にショックを感じたが、やっぱり、と思う気持ちもあった。

母は、予想外のことがあるとすぐにパニックになる。
不安なことがあると、感情をコントロールできなくなって、周りの人に八つ当たりする。
風邪を引いて病院にいっても、受付事務員や医者の説明を理解できず、怒って病院スタッフとケンカになり、薬をもらわずに帰ってくる。
事務員のパートをしていたことが何度かあるが、いずれも仕事が覚えられずに数ヶ月でクビになった。
両親(私からいうと祖父母)とはそりがあわず、絶縁している。親しい友人もいない。
父ともよくケンカをしている。
家事はひととおりできるけれど、キャパオーバーになりやすい。一度そうなると、いらだちがおさえられず、かんしゃくを起こした子供みたいになる。
そんなとき、母は私に対して一方的に怒鳴ることもあったし、食事を作ってくれないこともあった。叩かれたことも何度もあった。

ヒドイ母親だと思う。
常識的に言って、母は母親になるべき人じゃなかった。
それだけど、私は母を嫌いになれなかった。
むしろ、私の心の中にはいつも母がいた。
母の機嫌が私の世界の中心で、私は母から嫌われることがどんなことよりも怖かった。 
小さい頃からずっとそうだった。
まるで、母というより妹みたいな人だけど、それでも私には母が必要だった。

私を産んだ人。
たった一人の母。
私の命の源。
その人から愛されなくて、誰から愛されるだろう。
私の頭にはそういう考えが強くあって、心の奥深くまでその考えが根を張っていた。

それから、父のこと。

父もまた、感情のコントロールが難しい人だった。
怒ると怖くかった。
怒った時の父の目は、何をしでかすかわからないような目をしていた。例えていうなら猛った獣みたいな、理性の欠落したような目をしていた。

両親がそんなふうだったから、私の家には何度も児童相談所の職員がやってきた。
そして、私が小学生の時、私の両親は児童虐待の認定を受けた。

虐待と認定されたあと、私は両親から分離され、さくら園という施設で暮らすことになった。

私はその時小さかったので、なぜ自分が施設で暮らすことになったのか理解ができなかった。
自分の両親が虐待の認定を受けていると知ったのは、ずっとあとのことだ。

それを知った時、私は心をえぐられるような気持ちがした。

自分が受けてきたことは、誰がどう見ても虐待だったけれど、私はそれを受け入れたくなかったのだ。

ーー私の両親は、私を愛している。
ーー私の両親は、普通の親だ。
ーーうちは普通の家庭だ。
そう信じたい気持ちが私の中にはあった。
そう信じれるわけがない現実があっても、そう思っていたかった。
だけど、その気持ちは打ち砕かれてしまった。

入所してから二年後ーー、
週末だけ両親のもとで暮らせるようになった。しかし、それから一年後、私はまた両親から暴力を受け、週末の外泊がとりやめになった。

私がさくら園で暮らしていた数年の間に、私の両親にはいろんなことが起こった。
近所の人に警察を呼ばれるくらい派手なケンカをしたり、
離婚したり、
またよりをもどして再婚したり、
二人そろってアルコール依存症になったり、
抑うつ状態になったり、
精神科に通い出したり、
過量服薬して救急車で運ばれたりーー、
数え上げたらきりがないくらい、いろんな珍事が起きていたそうだ。

私はというと、中学生になった頃から不眠や抑うつ症状など、精神症状が現れるようになった。
高校生になると精神症状はさらに悪化した。学校にもほとんど通えなくなった。それに、リストカットを繰り返すようになった。それで、今、こうして精神科病院に入院しているわけだった。

「でも、もう,そんなこと関係ないよ」
とレンは言った。

トンネルの下を、私とレンは歩いていた。
車通りの少ないトンネルだった。
オレンジの明かりがともるドーム型の屋根に、レンの声が反響する。

「思い出したくないことなんて、全部忘れたらいいよ」

レンはそう言って私にキスをした。
いたわるような長いキスだった。
一台の車が、キスをしている私たちの横を通り過ぎた。車の運転手が、私たちを横目で眺めていた。

レンは車がそばを通過しても恥ずかしがらなかった。
離すまいとするように、私を抱き寄せる腕。
私の心から悲しみを遠ざけてくれる唇の感触。

「リコが好きだよ」

レンは欲しい言葉をくれた。
母がくれなかった言葉。
父もくれなかった言葉。
私をすっぽり包んでくれる言葉。
私は、レンになら自分の心を預けられると思った。

私たちは、トンネルを抜け、大通りへ出て、ポケットの中にあった小銭で電車に乗って繁華街に向かった。

繁華街を私たちはぶらぶらと歩いた。
時刻は夕方の六時。
早くも酔っ払っているスーツ姿のおじさんたちが、何人か固まって歩いていた。

繁華街には絵を描いている人や、
歌を歌っている人、
踊りを踊っている人がいた。

会社帰り風の人、学生、何の仕事をしているのかわからないような外観の人もたくさんいた。

いろんな人がそこにいた。
誰も私たちのことに気を止めなかった。
私たちは、ここでなら野良猫のように生きられる気がした。

ポケットの中のわずかなお金でゲームセンターで遊んだ。
クレーンゲームやエアーホッケーをした。
あっという間にポケットは空になった。
楽しかったけど、刹那的な楽しさだった。
私たちはすぐに何もすることがなくなった。

街の上にだんだんと夜が訪れる。

私たちには行くあてがなかった。
病院に帰るとひどく叱られることはわかっていた。
無鉄砲に病院を飛び出したことへの後悔と不安が、暗くなるほど心につのってきて私をそわそわとさせた。

本当に野良猫みたいだった。
私たちは何も持っていなかった。
お金も食事も居場所も。
私たちの前には、先の予定がたっていない時間だけがあった。
それは、ぽっかりと空いた穴に似ていた。
そして、私の心の中にも、ぽっかりと穴が空いていた。きっと、レンの中にもーー。
私たちはそれを埋め合わせたくて、
繁華街の外れにある公園のベンチで、しばらく互いの体を抱き寄せ合っていた。
互いの肌の感触が与えてくれる幸福感だけが、私たちの持っているものだった。
私はレンに触れた。
レンも私に触れた。
そうしないといられなかった。
私たちは空っぽだったから。

夜の公園で触れた異性の体の感触は、
いつも過ごしている場所で触れた感触とは違っていた。
指の一本一本が、レンの感触を覚えようとしていた。

「俺が好き?」
とレンは尋ねた。
レンはよくそう尋ねる。

レンは不安がっているのだ。
今、こんなにそばにいるのにーー、
互いに触れあっているのに、それでも不安なのだ。

私はレンの不安な気持ちがとてもよく分かった。
私も同じようにレンに尋ねてしまうからだ。

私たちは、たぶん、互いの気持ちを確認しあっていないと不安になるのだ。

私たちの心には、愛情や幸福の貯蓄がない。
きっとそれを貯める貯金箱に穴が空いてしまっている。
いつでも、そのときに愛情を与えてもらわないと不安になる。
そして、どんなに幸せな時間も、過ぎてしまえば心に残らない。
心には、ぽっかりと穴。
心を包丁で縦にすっぱり切り開くと、
心は薄皮だけになっていて中はがらんどうだ。
だからこそ、私たちは心の穴をうめるために互いに触れたがった。

刹那的な夜だった。

ここが幸福のはじまりであってほしいと思った。

でも、そう願うこと自体、
内心では不幸の始まりを予感しているということかもしれない。

私たちの幸福はどこにあるんだろう。
私は脱走した病院の夏祭りの景色を思い浮かべる。
提灯の暖色の灯りに照らされた中庭、
並ぶ夜店。
屋台に並ぶ焼きそばやわたあめ、たこ焼きのにおい。
それは、あたたかく幸福そうな光景だった。
ほんの少し、帰りたいような気持ちも感じた。
脱走する前はさほど愛着を感じなかった場所なのに、一度離れてしまうと愛着を感じるのはどういうわけなんだろう。

いつもいたはずの病院が、すごく遠い場所みたいに感じた。

幻みたい。

川の対岸に見える明かりみたい。

見えるけど、渡れない場所にある明かりみたい。

私たちはそこを捨てて、どこに向かおうとしているんだろう。

星が静かにまたたいていた。
私たちの呼吸にあわせるみたいに。

私の腕の中でレンの胸が、
レンの腕の中で私の胸が、
ゆっくりとふくらんだり、しぼんだりした。

星あかりの下では、不完全な私たちも、ちゃんとした生き物みたいに感じられた。
心も体も、どこも欠けたところがない生き物みうに。

レンが私のシャツをはだけて、肩にキスをした。
時が止まればいいのに、と、
私は星がまたたくのを見上げて思った。




続く~






しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

COLOR CONTACT 〜『堕天使』と呼ばれた最強の悪魔の血を引く女子高生は、平凡な日常を取り戻したい〜【1巻】

平木明日香
ファンタジー
年に一度の筆記試験に失敗した『見習い天使』勅使河原サユリは、下界への修行を言い渡される。 下界での修行先と住まいは、夏木りんという先輩天使の家だった。 りんは彼女に天使としての役目と仕事を指導する。 魔族との戦い。 魔法の扱い方。 天使の持つ「属性」について。 下界に転送され、修行を重ねていく最中、街に出現した魔族が暴走している場面に遭遇する。 平和だったはずの烏森町で暗躍する影。 人間の魂を喰らう魔族、「悪魔」と呼ばれる怪物が彼女の目の前に飛来してきた時、彼女の中に眠る能力が顕現する。 ——痛快バトルファンタジー小説 ここに開幕!!

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活

昼寝部
ファンタジー
 この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。  しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。  そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。  しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。  そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。  これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

欲張ってチートスキル貰いすぎたらステータスを全部0にされてしまったので最弱から最強&ハーレム目指します

ゆさま
ファンタジー
チートスキルを授けてくれる女神様が出てくるまで最短最速です。(多分) HP1 全ステータス0から這い上がる! 可愛い女の子の挿絵多めです!! カクヨムにて公開したものを手直しして投稿しています。

はずれスキル念動力(ただしレベルMAX)で無双する~手をかざすだけです。詠唱とか必殺技とかいりません。念じるだけで倒せます~

さとう
ファンタジー
10歳になると、誰もがもらえるスキル。 キネーシス公爵家の長男、エルクがもらったスキルは『念動力』……ちょっとした物を引き寄せるだけの、はずれスキルだった。 弟のロシュオは『剣聖』、妹のサリッサは『魔聖』とレアなスキルをもらい、エルクの居場所は失われてしまう。そんなある日、後継者を決めるため、ロシュオと決闘をすることになったエルク。だが……その決闘は、エルクを除いた公爵家が仕組んだ『処刑』だった。 偶然の『事故』により、エルクは生死の境をさまよう。死にかけたエルクの魂が向かったのは『生と死の狭間』という不思議な空間で、そこにいた『神様』の気まぐれにより、エルクは自分を鍛えなおすことに。 二千年という長い時間、エルクは『念動力』を鍛えまくる。 現世に戻ったエルクは、十六歳になって目を覚ました。 はずれスキル『念動力』……ただしレベルMAXの力で無双する!!

【完結】ご都合主義で生きてます。-商売の力で世界を変える。カスタマイズ可能なストレージで世の中を変えていく-

ジェルミ
ファンタジー
28歳でこの世を去った佐藤は、異世界の女神により転移を誘われる。 その条件として女神に『面白楽しく生活でき、苦労をせずお金を稼いで生きていくスキルがほしい』と無理難題を言うのだった。 困った女神が授けたのは、想像した事を実現できる創生魔法だった。 この味気ない世界を、創生魔法とカスタマイズ可能なストレージを使い、美味しくなる調味料や料理を作り世界を変えて行く。 はい、ご注文は? 調味料、それとも武器ですか? カスタマイズ可能なストレージで世の中を変えていく。 村を開拓し仲間を集め国を巻き込む産業を起こす。 いずれは世界へ通じる道を繋げるために。 ※本作はカクヨム様にも掲載しております。

処理中です...