7 / 15
7背負った十字架
しおりを挟む
カーテンをあけると良く晴れた初冬の日差しが眩しい。
空に真っ白い鳩の群れが旋回している。
校長が飼っている鳩だ。手ずから世話をしていると聞いた。
窓も開けて新鮮な空気を吸い込む。
今日は忙しくなる。
大事なリハだ。
着替えてドレッサーの前で丁寧にシニヨンを結った。
子供の頃はお団子難しかったな。
他の子たちはママがやってくれてた。
パートに行く途中でママに「しっかりね!」と毎回教室の回転扉に押し込まれてた。
どうしてか他の子のようにママが髪をお団子にしてくれないは恨めしかった。
大人クラスの知らないおばさんがいつも可哀そうにって私の髪を結ってくれてたんだわ。
すっごく恥ずかしくってありあとうの一言もでてこなかったっけ。
おばさん達は私のママに怒ってた。
「勝手な親だよね。支度する暇もないなら習わせるなってぇの」
「なんでだろうね。考えらんない。子供がかわいそう」
「帰ってくる子の髪が変わってるのどう思ってのかな」
「先生がやるものと勘違いしてんじゃない?」
「ありえん。ちゃっかりしてるわ」
同世代の子たちのレオタードは短いスカートにひらひらの飾りがあったり、パフスリーブの可愛い袖がついていた。
玲於奈のレオタードはいつも紺色の同じものを毎日洗濯して着ていた。
天気が悪いと生乾きのまま着ることもあった。
引け目を感じるほどレッスンでは誰にも負けまいと頑張ったっけ。
首をぶんぶん振って過去の追憶を追い払った。
仕上げにハードスプレーを頭全体にたっぷりかける。ほつれ毛一本も残さない。
しっかしねえ。
オモシロくなってきたじゃないの。
不知火偕子がメールの内容を信じて校医室に行ったということは?
―ーーー西園寺翔とは婚約してない。
もしそうなら?
―ーーーひっかからなかったはず。普通の恋人同士ならラインを使うのが当たり前だわ
もうひとついえることは?
ーーーー偕子は西園寺翔に気が在る。相当に熱をあげている。
玲於奈が張った蜘蛛の巣に不知火偕子は引っかかった。
校医室で少し飲ませた酒で、
ぐでんぐでんに酔った彼女は意識を失った。
「こんな女は初めてだ」と早乙女「どうにもならんよ。ここに朝まで寝かせておけんし」
「だからって私を呼んだの?どうしよう。
この子も初めてだったのね。シーツに血がついてるし」
「ほんとかね。大分遊んどるなと思った」
「ひとりでやってたらしいわ。ずっと」
「なるほど。男を知る前に大きなのでか。バレエガールのくせに締まりが無かった。客には出せんわ」
玲於奈は力無く笑った。
翔を携帯で呼び出した。
「あんたのこと好きなんですってこの子。あんたと勘違いして早乙女先生に処女を捧げたの。責任とって。部屋に運ぶから手伝って。言う通りにしないと後々大変よ。この子」
うへぇ。この子の第一印象。細い蛇みたいな目の子だって思った。僕とランデブーって設定?!
偕子をけなす言葉に玲於奈は子気味良さを感じて笑った。
本番を二日後に控えての舞台の場当たりが早朝から始まった。
客席の真ん中に女校長がかくしゃくとして座っている。
ドン!と床を叩く杖はいつもと同じ。
舞台装置や幾重にも下がる背景のスクリーン。
天井ライトも舞台をぐるりと囲むフットライトも何もかもが一斉にテストを繰り返す。
様々な装置を一手に操作する髭ずらのスタッフが怒鳴っている。
ひとつだけライトが切れて点滅している。
一回の演目のためにステージで踊る出演者はほんの一部。
舞台の肝は裏方に在る。
何層にもなった奥の奥まで続く舞台裏に立った玲於奈は裏を覗くのが怖くなった。
どこまでも闇が広がっているような気がする。
光で満ちているステージにだけいたい。
リハーサルの高揚感が好き。
わくわくする。
お客でもバレエを良く知らない子達は私を主役だと思うわね。
マイクを持った総裁が指示してストーリーを追う。
館でのパーティーでクララとその友人たちが踊る。
弟のフリッツがクララからくるみ割り人形を奪い取る。
葛西扮するドロッセルマイヤーが次々手品をみせるとリハーサルなのに場が沸いた。
ドン!
出だしから校長の杖が鳴った。
「何してるの!不知火さん!右へバランセ・アントールナン。左へパ・ド・ブレ。ポーズでしょ
簡単なステップ。あなたひとりだけさっきから逆よ!」
顔を真っ赤にして不知火偕子は謝った「頭が真っ白になってしまって」泣きそうだ。
しかしそれからも彼女の凡ミスが連続した。
ドン!
「いいわ!もう。時間がもったいない!
友人役の先頭を、そう、ね。前後入れ替え。
下村さん先頭に。いいえ。不知火さんも前がいれば忘れた振りもできるでしょ。
言い訳は結構。振りが飛んでも前の下村さんがいれば少なくとも間違わないでしょ。
本当なら降りてもらうところよ」
周囲のひそひそ声も止んだ。
カーテンのジョーゼットをいじる振りをして口元を隠した玲於奈は笑っていた。
そうよね。昨日の今日ですもん。
ここに出てくるだけ大したものよ。
顔から血の気が引くんじゃなくて集まってる。
真っ赤。トマトみたい。
「パーティーでの友人たちの場は自主練にします。
クララだけ残ってあとはレッスン室へ移動して。葛西先生ご指導おねがいね」
今日のためにクララの友人のパートナーとして集まったボーイズクラスの男の子たちも不満気にぞろぞろ舞台を降りていった。
クララと王子のパ・ド・ドゥは端折られた。
王子役が遅刻している。渋滞にはまったらしい。
その後も玲於奈は袖で舞台を眺めていた。
団のソリストやゲストプリンシパルの踊りはみたい。
雪が始まった。
白い衣装の雪の精達が青白いライトの中で舞う。
幻想の世界に玲於奈はうっとりする。
お菓子の国も好き。
スペインの踊りはチョコレートだし。アラビアはコーヒー。
中国のお茶の踊りを前にやったことがあった。両手の人差し指を立てて踊るの面白かったな。
ロシア、フランス、道化の踊り。
小さい子でも飽きないよね。
花のワルツの音楽が流れてくる。
今年の花の精は得したわね。
翔がいるイギリスのバレエ団からおさがりを貰ったのだ。
新品ではないがお金のかけかたが違う海外の団の衣装は煌びやかで美しい。
式部様の金平糖の精が登場すると
小さく拍手が起こった。
袖にいた玲於奈には全部みえていた。
舞台にでる直前に
下村鞠が手提げバッグを片手に下げて式部様の肩からさっとショールを取り去っていた。
ぼやぼやしてたらショールをしたまま金平糖が出るところだ。
御付きの人として下村鞠は優秀なんだと思う。
オルゴールのキラキラした音が流れだす。
なめらかに美しく何回も観ているはずのすべてのパが新鮮だ。どこを切り取っても完璧に美しい。
舞台用メイク道具は殆ど使わないと噂できいた。
普通のデパコスで手にいれたものだけだとか。
見惚れている束の間に金平糖のバリエーションが終わった。
パリからの客演の王子が登場して、パ・ドゥ・ドゥがーーーーー
バシン!!
衝撃音がした。
下手の玲於奈にもよく解った。
なに?
きゃあああ!!
窓際にいた誰かが悲鳴をあげる。
なに??
小ホールにはいつも開けている窓は無い。
たまたま今日は非常用のドア付近の窓をあけて
外の天気を気にしているだけのスタッフがブラインドを上までからげていたのだ。
それで外がかろうじて視えた。小さな長方形の窓だ。
辺りは騒然となった。
ホールの小窓の下には駐車場スペースだった。
ハンドルを引いて小窓をあけた女性の事務職員が外を確認して、次の瞬間気絶した。
職員を抱えて窓から首を出した総裁が叫んだ。
「未華子!!」
天地がひっくり返った。
小ホールの屋上部分はビル四階ぐらいの高さだった。
ただそこに設置されている貯水タンクの梯子を登れば五階ほどになる。
誰も飛び降り自殺など想定して造ってない。
だが飛び降りには格好の場所になったのだと後できかされた。
ホールにいた全員が駐車場に出た。
未華子の躰は右横顔が上向いてうつぶせていた。
地面に血だまりが出来ている。
左足があり得ない方向に曲がっているのが玲於奈の記憶に焼き付いてしまった。
「多分。公演は延期ね」樹里がこともなげにつぶやく「ねえ。へんよねえ」
「なにが?」
樹里の視線の先には、紫雨カノンが取り巻きと泣いていた。
駐車場もそれにつづく庭も立ち入り禁止になって全員が小ホールに戻された。
自殺に間違いないか簡単な捜査があるという。
「誰もここから出ないでください!」警察の大声にみんなが従った。
ホールの入り口八か所のうちひとつだけ使えるようにしてあと残りは鍵をかけられた。
紫雨は10列ほど前の赤いビロードの客席に俯き座っている。
周りの取り巻きが懸命になだめている。
彼女の真後ろに鞠が座りもしないで通路に立っていた。
手にはいつもの籠をさげている。
「なによ。変て?」玲於奈は自分の声が自分のものでないく遠くから聞こえる機械音のようだと感じた。
自分のせいだろうか?それしかない!
自分が未華子をはめた。
あのデブオヤジに強姦された事実に耐えられなかったんだ。
その結果、婚約も無しになった。
溢れる涙をぬぐってたハンカチで洟もかんだ。
ファンデーションがべったりハンカチについた。
鼻の頭がひりひりする。
必要もないのに樹里が声を落として「ねえ。ねえ。きいてよ」
噂話をするためにうまれてきたような娘だと樹里を睨んで「なによ。さっきから」
「信じられん噂。でもぉ。事実かも。玲於奈。ほら。式部様みて。見てよあの泣きよう」
はあ?
金平糖の衣装の肩にショールをした式部様は号泣していた。
「ちょ。やばくない」と樹里。
紫雨が立ち上がろうとするのを周囲が押さえつける。
座ると狂乱の体で泣き出した。
玲於奈は「同じ大学でしょ。後輩だったんだから。未華子とは」と吐き捨てる。今はそれどころでない。
「だよね。でも。同窓生だけの仲じゃないって噂よ」
樹里の声音には言外の意味が込めらている
「それはないでしょ。未華子には婚約者がいたんだし。式部様がそういう嗜好でも相手は鞠だったじゃない。一緒に見たでしょ」
「まあね。あの時はね、鞠だった。でも。でもさあ。本気の本気があの小間使い?そばかすだらけの」
確かに。未華子、可哀そう。しっかし、
あんた結構あの子の悪口叩いてたくせに。そんなに悲しいの?」
「別に。同室だったし。ずっと。ほっといてよ、もう」玲於奈はハンカチの濡れてない場所を探した。
樹里は蚤の様に飛び回って噂話をしたり噂を集めて回っった。
玲於奈は座席に深く座って、長い息を吐いた。
ここは息苦しい。
視線の先には式部様とその取り巻きがいた。
紫雨がからだをひねって後ろの鞠に何か告げた。
「例の」という紫雨の声がだけが、ざわめきを縫って玲於奈の耳まで届いた。
驚いたような顔で鞠が首を振る。
だめだと反対してるようだ。
涙に濡れた式部様と鞠は険しい顔で睨みあっている。
言い合いになったるの?
主人に折れた鞠が、籠から黒っぽい小さな箱を主人の手に滑らして渡したのが判った。
なんだろ?争い合うようなものなの??
ーーーいい加減にーーー禁止ーーされてーーーこれーーー
鞠は真剣に主人に歯向かっているようだ。
もっと驚いた事に鞠は後ろからすぐその箱のようなものを取り上げ籠に仕舞うと代わりにセンスを渡した。
紫雨はセンスを開いて形だけ扇ぎだした。
警察の調査は長引いていた。
未華子の部屋は隅々まで調べられたが遺書は無かった。
ルームメイトということで玲於奈は呼び出された。
校長室に入ると応接セットに二人の刑事がいた。
物調面の鬼瓦を思わせる男と優男。
「中務さんとは親しかったの?」鬼瓦の口調は厳しい。
「ええ。まあ」
「自殺するような原因、思い当たるかな?そんなに緊張しなくていいんだよ。
思い出したことがあったら話して」優男が続ける。
玲於奈は瞳を閉じて両手で頭を支えソファーから前のめりに倒れそうになった。
校長が「大変なショックですのよ。玲於奈さんも他のみなさんも。
大事な公演も控えておりますし。緊張の日々の連続。そこへこんな事件。おわかり?」
優男が名刺をついとテーブルに置いて、
「何か思い出したら連絡ください」
「もういいわ。戻りなさい」校長が玲於奈に付き添った。
廊下を歩いてエレベータの前に来た。
「先生。私、あのーーー」
西園寺校長は、玲於奈が喋ろうとするのを封じた「いいの。黙ってていいのよ。ちょっとした仲たがいとか、
まあ。虐めとかあるわ。こういう世界ですもの。
それを乗り越えて大成するの。あなたの『姫体質』期待してるわ。
もっと上にのぼりましょうね」
玲於奈はわっと泣き出し校長の骨ばった胸に顔をうめた。
骨ばった手が優しく背中を撫でてくれた。
この人はあらゆるスキャンダルが決壊するのを止めたいだけの打算で動くだけの人。
何もかも白状して楽になろうなんて甘かった。
また。小ホールに戻るとあちこちで三々五々集まって何か騒いでる。異様な空気になっていた。
玲於奈の姿をみつけると樹里が走り寄って来て
「大変!自殺の原因解ったのよ!!これ!」
樹里が寄越したのはスマホで画面だった。
モザイクがかかった男にレイプされている未華子の動画が再生されている。
「これ!凄いの。見つけちゃったの。それで今、みんなして大騒ぎよ」
玲於奈は目を伏せた。
自分は何もしてない。
早乙女が自分で撮ったものだろう。
どういうつもりで流したのか?
嬉々として他人の不幸を喜んでいる樹里。
彼女だけじゃない。小ホールにいるそこかしこで聞こえてくる声音には
樹里と同じものが混じっている気がした。
「ねえ。もう。そんなのみないでよ」
「あのさぁ。あたし前にYouTube動画作ってたんだけど。この未華子の動画は切れ切れに編集してあるね。ほら。最初はマジなレイプ現場だけど。ここは、ほら!『法悦のマリア像』みたい。
絶対気持ちよくてカンジテル顔だよ。ふたつかーーみっつの動画を繋げてあるね上手に。なんかデジャブ」
玲於奈も見直した。
確かにそうだ。
完全に襲われているのと、その真逆。
「デジャブって?前にも同じことあったっていうの?」
「うーん。見覚えがあるようなないようなーーー」
あの早乙女がここまで手の込んだことをするとは思えない。
一体だれが??
空に真っ白い鳩の群れが旋回している。
校長が飼っている鳩だ。手ずから世話をしていると聞いた。
窓も開けて新鮮な空気を吸い込む。
今日は忙しくなる。
大事なリハだ。
着替えてドレッサーの前で丁寧にシニヨンを結った。
子供の頃はお団子難しかったな。
他の子たちはママがやってくれてた。
パートに行く途中でママに「しっかりね!」と毎回教室の回転扉に押し込まれてた。
どうしてか他の子のようにママが髪をお団子にしてくれないは恨めしかった。
大人クラスの知らないおばさんがいつも可哀そうにって私の髪を結ってくれてたんだわ。
すっごく恥ずかしくってありあとうの一言もでてこなかったっけ。
おばさん達は私のママに怒ってた。
「勝手な親だよね。支度する暇もないなら習わせるなってぇの」
「なんでだろうね。考えらんない。子供がかわいそう」
「帰ってくる子の髪が変わってるのどう思ってのかな」
「先生がやるものと勘違いしてんじゃない?」
「ありえん。ちゃっかりしてるわ」
同世代の子たちのレオタードは短いスカートにひらひらの飾りがあったり、パフスリーブの可愛い袖がついていた。
玲於奈のレオタードはいつも紺色の同じものを毎日洗濯して着ていた。
天気が悪いと生乾きのまま着ることもあった。
引け目を感じるほどレッスンでは誰にも負けまいと頑張ったっけ。
首をぶんぶん振って過去の追憶を追い払った。
仕上げにハードスプレーを頭全体にたっぷりかける。ほつれ毛一本も残さない。
しっかしねえ。
オモシロくなってきたじゃないの。
不知火偕子がメールの内容を信じて校医室に行ったということは?
―ーーー西園寺翔とは婚約してない。
もしそうなら?
―ーーーひっかからなかったはず。普通の恋人同士ならラインを使うのが当たり前だわ
もうひとついえることは?
ーーーー偕子は西園寺翔に気が在る。相当に熱をあげている。
玲於奈が張った蜘蛛の巣に不知火偕子は引っかかった。
校医室で少し飲ませた酒で、
ぐでんぐでんに酔った彼女は意識を失った。
「こんな女は初めてだ」と早乙女「どうにもならんよ。ここに朝まで寝かせておけんし」
「だからって私を呼んだの?どうしよう。
この子も初めてだったのね。シーツに血がついてるし」
「ほんとかね。大分遊んどるなと思った」
「ひとりでやってたらしいわ。ずっと」
「なるほど。男を知る前に大きなのでか。バレエガールのくせに締まりが無かった。客には出せんわ」
玲於奈は力無く笑った。
翔を携帯で呼び出した。
「あんたのこと好きなんですってこの子。あんたと勘違いして早乙女先生に処女を捧げたの。責任とって。部屋に運ぶから手伝って。言う通りにしないと後々大変よ。この子」
うへぇ。この子の第一印象。細い蛇みたいな目の子だって思った。僕とランデブーって設定?!
偕子をけなす言葉に玲於奈は子気味良さを感じて笑った。
本番を二日後に控えての舞台の場当たりが早朝から始まった。
客席の真ん中に女校長がかくしゃくとして座っている。
ドン!と床を叩く杖はいつもと同じ。
舞台装置や幾重にも下がる背景のスクリーン。
天井ライトも舞台をぐるりと囲むフットライトも何もかもが一斉にテストを繰り返す。
様々な装置を一手に操作する髭ずらのスタッフが怒鳴っている。
ひとつだけライトが切れて点滅している。
一回の演目のためにステージで踊る出演者はほんの一部。
舞台の肝は裏方に在る。
何層にもなった奥の奥まで続く舞台裏に立った玲於奈は裏を覗くのが怖くなった。
どこまでも闇が広がっているような気がする。
光で満ちているステージにだけいたい。
リハーサルの高揚感が好き。
わくわくする。
お客でもバレエを良く知らない子達は私を主役だと思うわね。
マイクを持った総裁が指示してストーリーを追う。
館でのパーティーでクララとその友人たちが踊る。
弟のフリッツがクララからくるみ割り人形を奪い取る。
葛西扮するドロッセルマイヤーが次々手品をみせるとリハーサルなのに場が沸いた。
ドン!
出だしから校長の杖が鳴った。
「何してるの!不知火さん!右へバランセ・アントールナン。左へパ・ド・ブレ。ポーズでしょ
簡単なステップ。あなたひとりだけさっきから逆よ!」
顔を真っ赤にして不知火偕子は謝った「頭が真っ白になってしまって」泣きそうだ。
しかしそれからも彼女の凡ミスが連続した。
ドン!
「いいわ!もう。時間がもったいない!
友人役の先頭を、そう、ね。前後入れ替え。
下村さん先頭に。いいえ。不知火さんも前がいれば忘れた振りもできるでしょ。
言い訳は結構。振りが飛んでも前の下村さんがいれば少なくとも間違わないでしょ。
本当なら降りてもらうところよ」
周囲のひそひそ声も止んだ。
カーテンのジョーゼットをいじる振りをして口元を隠した玲於奈は笑っていた。
そうよね。昨日の今日ですもん。
ここに出てくるだけ大したものよ。
顔から血の気が引くんじゃなくて集まってる。
真っ赤。トマトみたい。
「パーティーでの友人たちの場は自主練にします。
クララだけ残ってあとはレッスン室へ移動して。葛西先生ご指導おねがいね」
今日のためにクララの友人のパートナーとして集まったボーイズクラスの男の子たちも不満気にぞろぞろ舞台を降りていった。
クララと王子のパ・ド・ドゥは端折られた。
王子役が遅刻している。渋滞にはまったらしい。
その後も玲於奈は袖で舞台を眺めていた。
団のソリストやゲストプリンシパルの踊りはみたい。
雪が始まった。
白い衣装の雪の精達が青白いライトの中で舞う。
幻想の世界に玲於奈はうっとりする。
お菓子の国も好き。
スペインの踊りはチョコレートだし。アラビアはコーヒー。
中国のお茶の踊りを前にやったことがあった。両手の人差し指を立てて踊るの面白かったな。
ロシア、フランス、道化の踊り。
小さい子でも飽きないよね。
花のワルツの音楽が流れてくる。
今年の花の精は得したわね。
翔がいるイギリスのバレエ団からおさがりを貰ったのだ。
新品ではないがお金のかけかたが違う海外の団の衣装は煌びやかで美しい。
式部様の金平糖の精が登場すると
小さく拍手が起こった。
袖にいた玲於奈には全部みえていた。
舞台にでる直前に
下村鞠が手提げバッグを片手に下げて式部様の肩からさっとショールを取り去っていた。
ぼやぼやしてたらショールをしたまま金平糖が出るところだ。
御付きの人として下村鞠は優秀なんだと思う。
オルゴールのキラキラした音が流れだす。
なめらかに美しく何回も観ているはずのすべてのパが新鮮だ。どこを切り取っても完璧に美しい。
舞台用メイク道具は殆ど使わないと噂できいた。
普通のデパコスで手にいれたものだけだとか。
見惚れている束の間に金平糖のバリエーションが終わった。
パリからの客演の王子が登場して、パ・ドゥ・ドゥがーーーーー
バシン!!
衝撃音がした。
下手の玲於奈にもよく解った。
なに?
きゃあああ!!
窓際にいた誰かが悲鳴をあげる。
なに??
小ホールにはいつも開けている窓は無い。
たまたま今日は非常用のドア付近の窓をあけて
外の天気を気にしているだけのスタッフがブラインドを上までからげていたのだ。
それで外がかろうじて視えた。小さな長方形の窓だ。
辺りは騒然となった。
ホールの小窓の下には駐車場スペースだった。
ハンドルを引いて小窓をあけた女性の事務職員が外を確認して、次の瞬間気絶した。
職員を抱えて窓から首を出した総裁が叫んだ。
「未華子!!」
天地がひっくり返った。
小ホールの屋上部分はビル四階ぐらいの高さだった。
ただそこに設置されている貯水タンクの梯子を登れば五階ほどになる。
誰も飛び降り自殺など想定して造ってない。
だが飛び降りには格好の場所になったのだと後できかされた。
ホールにいた全員が駐車場に出た。
未華子の躰は右横顔が上向いてうつぶせていた。
地面に血だまりが出来ている。
左足があり得ない方向に曲がっているのが玲於奈の記憶に焼き付いてしまった。
「多分。公演は延期ね」樹里がこともなげにつぶやく「ねえ。へんよねえ」
「なにが?」
樹里の視線の先には、紫雨カノンが取り巻きと泣いていた。
駐車場もそれにつづく庭も立ち入り禁止になって全員が小ホールに戻された。
自殺に間違いないか簡単な捜査があるという。
「誰もここから出ないでください!」警察の大声にみんなが従った。
ホールの入り口八か所のうちひとつだけ使えるようにしてあと残りは鍵をかけられた。
紫雨は10列ほど前の赤いビロードの客席に俯き座っている。
周りの取り巻きが懸命になだめている。
彼女の真後ろに鞠が座りもしないで通路に立っていた。
手にはいつもの籠をさげている。
「なによ。変て?」玲於奈は自分の声が自分のものでないく遠くから聞こえる機械音のようだと感じた。
自分のせいだろうか?それしかない!
自分が未華子をはめた。
あのデブオヤジに強姦された事実に耐えられなかったんだ。
その結果、婚約も無しになった。
溢れる涙をぬぐってたハンカチで洟もかんだ。
ファンデーションがべったりハンカチについた。
鼻の頭がひりひりする。
必要もないのに樹里が声を落として「ねえ。ねえ。きいてよ」
噂話をするためにうまれてきたような娘だと樹里を睨んで「なによ。さっきから」
「信じられん噂。でもぉ。事実かも。玲於奈。ほら。式部様みて。見てよあの泣きよう」
はあ?
金平糖の衣装の肩にショールをした式部様は号泣していた。
「ちょ。やばくない」と樹里。
紫雨が立ち上がろうとするのを周囲が押さえつける。
座ると狂乱の体で泣き出した。
玲於奈は「同じ大学でしょ。後輩だったんだから。未華子とは」と吐き捨てる。今はそれどころでない。
「だよね。でも。同窓生だけの仲じゃないって噂よ」
樹里の声音には言外の意味が込めらている
「それはないでしょ。未華子には婚約者がいたんだし。式部様がそういう嗜好でも相手は鞠だったじゃない。一緒に見たでしょ」
「まあね。あの時はね、鞠だった。でも。でもさあ。本気の本気があの小間使い?そばかすだらけの」
確かに。未華子、可哀そう。しっかし、
あんた結構あの子の悪口叩いてたくせに。そんなに悲しいの?」
「別に。同室だったし。ずっと。ほっといてよ、もう」玲於奈はハンカチの濡れてない場所を探した。
樹里は蚤の様に飛び回って噂話をしたり噂を集めて回っった。
玲於奈は座席に深く座って、長い息を吐いた。
ここは息苦しい。
視線の先には式部様とその取り巻きがいた。
紫雨がからだをひねって後ろの鞠に何か告げた。
「例の」という紫雨の声がだけが、ざわめきを縫って玲於奈の耳まで届いた。
驚いたような顔で鞠が首を振る。
だめだと反対してるようだ。
涙に濡れた式部様と鞠は険しい顔で睨みあっている。
言い合いになったるの?
主人に折れた鞠が、籠から黒っぽい小さな箱を主人の手に滑らして渡したのが判った。
なんだろ?争い合うようなものなの??
ーーーいい加減にーーー禁止ーーされてーーーこれーーー
鞠は真剣に主人に歯向かっているようだ。
もっと驚いた事に鞠は後ろからすぐその箱のようなものを取り上げ籠に仕舞うと代わりにセンスを渡した。
紫雨はセンスを開いて形だけ扇ぎだした。
警察の調査は長引いていた。
未華子の部屋は隅々まで調べられたが遺書は無かった。
ルームメイトということで玲於奈は呼び出された。
校長室に入ると応接セットに二人の刑事がいた。
物調面の鬼瓦を思わせる男と優男。
「中務さんとは親しかったの?」鬼瓦の口調は厳しい。
「ええ。まあ」
「自殺するような原因、思い当たるかな?そんなに緊張しなくていいんだよ。
思い出したことがあったら話して」優男が続ける。
玲於奈は瞳を閉じて両手で頭を支えソファーから前のめりに倒れそうになった。
校長が「大変なショックですのよ。玲於奈さんも他のみなさんも。
大事な公演も控えておりますし。緊張の日々の連続。そこへこんな事件。おわかり?」
優男が名刺をついとテーブルに置いて、
「何か思い出したら連絡ください」
「もういいわ。戻りなさい」校長が玲於奈に付き添った。
廊下を歩いてエレベータの前に来た。
「先生。私、あのーーー」
西園寺校長は、玲於奈が喋ろうとするのを封じた「いいの。黙ってていいのよ。ちょっとした仲たがいとか、
まあ。虐めとかあるわ。こういう世界ですもの。
それを乗り越えて大成するの。あなたの『姫体質』期待してるわ。
もっと上にのぼりましょうね」
玲於奈はわっと泣き出し校長の骨ばった胸に顔をうめた。
骨ばった手が優しく背中を撫でてくれた。
この人はあらゆるスキャンダルが決壊するのを止めたいだけの打算で動くだけの人。
何もかも白状して楽になろうなんて甘かった。
また。小ホールに戻るとあちこちで三々五々集まって何か騒いでる。異様な空気になっていた。
玲於奈の姿をみつけると樹里が走り寄って来て
「大変!自殺の原因解ったのよ!!これ!」
樹里が寄越したのはスマホで画面だった。
モザイクがかかった男にレイプされている未華子の動画が再生されている。
「これ!凄いの。見つけちゃったの。それで今、みんなして大騒ぎよ」
玲於奈は目を伏せた。
自分は何もしてない。
早乙女が自分で撮ったものだろう。
どういうつもりで流したのか?
嬉々として他人の不幸を喜んでいる樹里。
彼女だけじゃない。小ホールにいるそこかしこで聞こえてくる声音には
樹里と同じものが混じっている気がした。
「ねえ。もう。そんなのみないでよ」
「あのさぁ。あたし前にYouTube動画作ってたんだけど。この未華子の動画は切れ切れに編集してあるね。ほら。最初はマジなレイプ現場だけど。ここは、ほら!『法悦のマリア像』みたい。
絶対気持ちよくてカンジテル顔だよ。ふたつかーーみっつの動画を繋げてあるね上手に。なんかデジャブ」
玲於奈も見直した。
確かにそうだ。
完全に襲われているのと、その真逆。
「デジャブって?前にも同じことあったっていうの?」
「うーん。見覚えがあるようなないようなーーー」
あの早乙女がここまで手の込んだことをするとは思えない。
一体だれが??
0
お気に入りに追加
33
あなたにおすすめの小説
完結【R―18】様々な情事 短編集
秋刀魚妹子
恋愛
本作品は、過度な性的描写が有ります。 というか、性的描写しか有りません。
タイトルのお品書きにて、シチュエーションとジャンルが分かります。
好みで無いシチュエーションやジャンルを踏まないようご注意下さい。
基本的に、短編集なので登場人物やストーリーは繋がっておりません。
同じ名前、同じ容姿でも関係無い場合があります。
※ このキャラの情事が読みたいと要望の感想を頂いた場合は、同じキャラが登場する可能性があります。
※ 更新は不定期です。
それでは、楽しんで頂けたら幸いです。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子
ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。
Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。
サディストの飼主さんに飼われてるマゾの日記。
風
恋愛
サディストの飼主さんに飼われてるマゾヒストのペット日記。
飼主さんが大好きです。
グロ表現、
性的表現もあります。
行為は「鬼畜系」なので苦手な人は見ないでください。
基本的に苦痛系のみですが
飼主さんとペットの関係は甘々です。
マゾ目線Only。
フィクションです。
※ノンフィクションの方にアップしてたけど、混乱させそうなので別にしました。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる