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12-2.
しおりを挟むどのくらいの間、そうしていたのか。
「ありがとう。」
遙香は小さく呟いて、アルベルトの胸をそっと押して離れた。下を向いたまま言う。
「帰ろう。」
弱々しい声は、魔法陣が描かれ四方を壁で囲まれた地下通路に吸い込まれるように消えた。
言葉とは裏腹に、遙香は、アルベルトの前で下を向いたまま動く様子がない。
「ハルカ。」
アルベルトの声に、遙香はびくっと肩を揺らす。アルベルトは、安心させるように、遙香の頭に手を載せて言った。
「この国を出るか。」
「・・・」
「何も背負わなくていい。魔の森も国も聖女も関係なく、ハルカが生きたいように生きれる場所を探さないか?」
「・・・」
聖女の母であるが故に召喚された遙香に、それを投げ出す選択肢はあるのだろうか?
たとえ、遙香を「ひとりの人間」として見てもらえない世界でも、遙香はそれを受け入れなければいけないと思っていた。
ディードリヒは、彼の矜持と遙香への「親切心」から本邸へ遙香を呼び、話をしてくれた。
しかし、そんな彼であっても、遙香に望むのは結局のところ「聖女の母」としての役割だった。
ディードリヒの考えを聞いて、遙香は、国の思惑にのまれてものまれなくても、いずれにしても聖女の母として生きるしかないと悟ったのだった。
そう理解してはいても、遙香は、「自分」を諦めきれずにいた。日本で生れて育てられ生きてきた自分。この世界では、全く必要とされていない、「遙香」というアイデンティティ。
アルベルトの優しさに甘え、別邸に帰る前に「聖女の母」であることを受け止める時間をもらったつもりだった。
しかし、実際にアルベルトから離れ、別邸に帰ろうとしても、気持ちはそちらに向かわなかった。
再び頭に置かれたアルベルトの手が、そんな遙香を許すかのように温かく優しく感じられた。
遙香の頬を、一筋の涙が流れた。
「自分で生きていきたい。。。」
遙香の声は震えていた。
「聖女の母として生かされるのではなく、自分の足で立って生きていきたい。でも、」
遙香は、消え入るような声で続けた。
「私から、召喚された意味を取ったら、この世界で生きている価値がない。」
アルベルトが遙香を引き寄せ、強く抱きしめた。
「そんなことはない。」
頭と背中を抱き止め、腕に力を込めながら言う。
「そんなことは、ないんだ。」
本邸での話の中で、アルベルトも感じていた。ディードリヒが言う「国民」の中に、遙香が含まれていないことを。
歴代の聖女も、「この世界に暮らす人々」の安寧のために、聖女本人の生活も何もかも関係なく召喚され、「使われて」きたのだろう。
しかも、その元凶は、この国が生み出した魔術兵器の魔法陣の残骸だった。
聖女を、神からの恩恵と教えられその力を崇めることに、なんの意味があったのだろうか。
知ってしまった以上、アルベルトはその「犠牲」の上に成り立つ国が、もう正常なものだとは思えなかった。
腕の中にいる遙香を、その輪の中に置いておくことはもう出来そうになかった。
「国を出るぞ。」
アルベルトは、決意を固めて遙香に言った。
「お前は、道具じゃない。ひとりの人間として生きていいんだ。このままこの国にいてはだめだ。」
アルベルトの気持ちが、抱きしめられた全身から伝わってくる。
嬉しかった。
「自分」を認めてくれる人がいる。当たり前のことだと思っていた。召喚され、環境が変わって、遙香を知る人がいなくなって、それがこんなにも貴重なことなのだと初めて知った。
遙香はアルベルトの腕の中で、静かに目を閉じた。心臓や呼吸の音が伝わってくる。
知り合って、僅か10日余り。たったそれだけの期間しか経っていないのに、アルベルトの腕の中にいても、全く緊張も嫌悪もなかったことに遙香は少し驚いていた。
遙香にとって、アルベルトの側は、この世界でどこよりも安心できる場所なのだと自覚した。
気持ちが落ち着くと、気恥ずかしさが生まれた。
「アルベルト、苦しいよ。」
そんな気持ちを誤魔化すように、遙香が言った。
遙香を抱きしめる力が僅かに緩む。しかし、アルベルトには、遙香を離す気がないのか、遙香はアルベルトの腕に囲いこまれたままだ。
「返事を聞くまで、離さない。」
アルベルトの声が、頭の上から降ってくる。
聖女がいなくなったあと、浄化の力に頼ることができなくなったと分かったあと、この国はどうなるのか。魔物となる者が増えたあと、平穏な暮らしを奪われる人はどれだけになるのだろうか。
遙香は、後ろ髪が引かれる思いがした。
だが、決めた。
「この国を、離れる。」
遙香は、答えた。
「使命から逃げることの罪悪感も、全部背負って行く。自分として生きていける場所を探したい。」
遙香の言葉を聞いて、アルベルトは遙香を腕に乗せるように抱き上げた。
急に視線が高くなったことに遙香は慌てる。
「わわっ!」
「よし、よく決めた。ハルカのことは、絶対に俺が護る。」
抱き上げた遙香を見上げるアルベルトの顔は、初めて見る満面の笑みだった。
「ちょっと、降ろして!子どもみたいに抱き上げないで!」
「悪い。嬉しくて、つい。」
遙香を、地面に降ろしながらアルベルトが言った。
お互いに顔を見合わせて、小さく笑う。
「とりあえず、別邸に帰ろう。色々準備しなくちゃ。」
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[ご案内]
遙香の結婚半年前のクリスマスの一夜を書いた番外編SSを、別の小説としてアップしました。
恋愛[R18]のため、本編とジャンルが異なりますが、そちらもお読み頂けたら僥倖です。
なお、番外編SSは、本編の進行とは一切関係がありません。
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