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Chapter1 日常
Scene19
しおりを挟む<ラファエロ・サンティ、フランチェスコ・マリーア・デッラ・ローヴェレ(ウルビーノ公)、教皇ユリウス2世、ミケランジェロ・ブオナローティ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、マルガリータ・ルティ>
対ヴェネツィアで各国(フランス、神聖ローマ帝国、スペイン、フェラーラ、マントヴァ、フィレンツェなど)が参戦したカンブレー同盟戦争は、ヴェネツィアが和睦を申し入れたことで、あらぬ方向に進むことになる。
教皇ユリウス2世は、「ヴェネツィアを叩きつぶす」と、噛みつくような調子でまくし立てたにも関わらず、ヴェネツィアの破門を解き、和睦に応じることにした。領地の返還や聖職者への税負担をなくすなど教皇側が提示した数々の条件をヴェネツィアがのむというのが前提である。
ヴェネツィアはのんだ。しかし、心底から履行するつもりはなかった。
いずれにしても、敵国がいなくなったのだから、これでカンブレー同盟戦争も当初目的を達成して終了ということになるのが自然だろう。しかし、そうはならなかった。敵国がいなくなったことで、新たな敵国ができるのである。
カンブレー戦争は主体である同盟が水のように流動的な状態で8年も続くことになるのだ。
おおもとはユリウス2世である。強硬な態度に出ておいて徹頭徹尾通せない。すぐ変更しまうというのは、この教皇に見られる特徴かもしれない。それが戦争を長く泥沼化させる要因にもなる。しかし、教皇にも不変のものがあった。芸術への愛である。アレクサンデル6世がこの世を去り、続いて短い任期で終わったピオ3世のあとにローマの宮殿(教皇庁)のあるじとなったユリウス2世は、キリスト教の精神を荘厳に伝えるような芸術作品でローマを埋め尽くしたいと思っていたのだ。
それだけのものを描ける芸術家がいたということでもある。
この頃、ミケランジェロ・ブオナローティをはじめ、多くの芸術家がローマに集められている。何度か書いているが、このときレオナルド・ダ・ヴィンチはミラノにいて、シャルル・ダンボワーズ伯の庇護を受けて活動している。なのでローマにはいない。そして彼はじきにフランスに去ることになる。
1509年、ミケランジェロは34歳である。すでにその高名は10代後半には確固となっていた。ダ・ヴィンチ不在の今、彼が頂点の位置にある芸術家である。
このとき、彼はシスティーナ礼拝堂の天井画の制作に入っている。この天井画は1508年から1512年まで、4年の月日をかけて描かれた。
この天井画はフレスコ画という技法で描かれている。天井壁面に漆喰(しっくい)を塗り、それが生乾きのうちに絵を描いていくのである。したがって、一度にたくさんの絵は描けない。その間に漆喰が乾いてしまうからである。少しずつ漆喰を塗り、そこに少しずつ絵を描いていくのである。従来は下絵を元に穴を開けてマーキングしておくのだが、ミケランジェロはそれもせず直接描いていたという。頭の中に正確な完成図がなければできないことであろう。「天地創造」の重要なモチーフがひとつひとつ天井に描かれ、まだ新しいこの礼拝堂(築30年である)に天地創造の色を添えていく。しかし、高所に足場を組んでずっと頭を天井に向けての作業だったので、首と背中にかかる負担と疲労は並大抵のものではなかった。
一方、フィレンツェから呼ばれた一人の芸術家がローマに到着し、活動を始めたところである。
彼はローマの中心を流れるティベレ川のほとりを歩く。
向こう岸には堅牢な教皇庁の城、カスタル・サンタンジェロが見える。それに沿って歩いていくとサン・ピエトロ大聖堂をはじめとする教皇庁の建造物群を見渡すことができる。フィレンツェからここに呼ばれた画家はその道を散歩することが好きだった。サン・ピエトロ大聖堂は少し古くなっており、教皇庁でも改修の設計案を建築の専門家に作らせているところだった。
これからこの景色はどんどん変わるのだろう。新しい聖堂ができて、新しい広場ができて、そしていたるところに自分の作品が置かれることになる。26歳になったばかりの、まだ若い画家はふっとつぶやいた。
「壮大な仕事だ。もし自分の頭の中で描いた通りにこの聖なる街を隅々まで作り変えることができたら、どんなに素晴らしいだろう」
画家は背筋がゾクゾクするような感覚を覚える。そして、その作業に携わっているもう一人の芸術家のことを思う。偉大な先駆者、ミケランジェロ・ブオナローティだ。
実はまだこの画家はミケランジェロとそれほど懇意(こんい)ではない。システィーナ礼拝堂の別の装飾はこの若い画家も後で依頼されることになるものの、仲良くなるのはなかなか難しそうだった。誰に聞いても、「天才、しかし偏屈、頑固者」という評価しか出てこないのだ。実際、そのような評判通りの人なのだが、そうでなければあれだけ表現することに執着できなかったのかもしれない。
「でも、あの人と一緒に仕事ができたら、本当に、本当にすごいものができると思うんだけどな……」
ふと、自分を呼ぶ声がしたような気がして、彼は振り返る。
「サンティ様、ウルビーノ公がお越しですので、すぐにお戻りください」
自分の工房の職人が呼びに来たのだ。画家は少し慌てた。
「それはいけない、うっかり忘れていた」
画家の名はラファエロ・サンティという。
1483年、ウルビーノ公国で生まれる。彼の父ジョヴァンニ・サンティはウルビーノ公国の宮廷画家だった。ウルビーノ公国はフェデリーコ3世(さきにあげた有名な傭兵隊長)、グイドバルド(チェーザレに敗北した)と続いて、現在フランチェスコ・マリーア(男性)が当主を継いでいる。グイドバルドの代にはチェーザレのイタリア半島中部攻略戦の中で追放の憂き目にもあったのだが、血縁者でもあるユリウス2世が教皇についたことにより、甥にあたるフランシスコ・マリーアの現在の立場は安定している。
グイドバルドはその平穏を長く享受する間もなく、この前年、1508年に亡くなった。
ラファエロは、早くからその才能を花開かせ、20代になるまでウルビーノで、21歳から25歳までフィレンツェに招かれて仕事をした。フィレンツェではレオナルド・ダ・ヴィンチが滞在していた時期と2年ほど重なっており、その間にラファエロはダ・ヴィンチの工房に何度も顔を出した。その作品をみずからの血肉にしようと努めたのだ。ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」に影響を受けたと思われるものも含めて、聖母子像をここでいくつも描いている。そして、ウルビーノに縁のある教皇に招かれてローマで仕事をすることになったのである。
さすがにその待遇は素晴らしいものだった。前金をたっぷりと持たされ、工房も用意された。勝てば官軍、ということである。
その工房に戻ると、フランチェスコ・マリーアが待っていた。そして工房にあるたくさんのデッサン画を眺めている。
「お待たせしてすみません。ちょっとティベレ川のほとりを散歩していました」とラファエロが遅れたことを詫びる。
「ああ、構わない。ここにいると時間をつぶすのに困らない。しかし、また使っている職人が増えたような気がするが」とフランチェスコ・マリーアは笑う。
この時代の芸術家は工房を構え、たくさんの画家や職人を雇っていた。完成した作品は工房として出している。現在残っている絵画でも、「有名な画家の工房の誰それが制作した」あるいは「有名な画家の工房で作者未詳」というクレジットが見られる。それは上記のような事情による。ラファエロの工房はかなり大きいもので職人もたくさんいる。
今日における漫画やアニメーション制作と共通する部分があるかもしれない。
その例外はミケランジェロで弟子も取らず、ひとりでいることを好んだ。
ラファエロは人好きのする性格である。宮廷画家の息子で、小さい頃から上流階級のサロンに馴染んでいたことが大きく影響しているのかもしれない。つぶらな瞳が印象的で美しく、華奢な少年のような相貌である。本人が意図するまでもなく、権力を持つ者に可愛がられ、女性を惹き付けるという術を自然に身に付けていた。
ただ、それは持って生まれた性格や環境によるものなので、本質的な才能までそこに帰するものではない。
ラファエロは美しいものを見る目と、それを描くだけの腕と、偉大な先達(せんだつ)のすべてを吸収して自らに昇華しようとする情熱を持っている。それがここで見るべきいちばんの点である。
「どうですか、ヴェネツィアとの戦争は。ヴェネツィアには素晴らしい絵や彫刻がたくさんあると聞いていますから、それが破壊されなければいいのですが」とラファエロが尋ねる。
「教皇様はヴェネツィアをお赦しになるつもりだよ。しばらくは平穏なのではないか。ルイ12世が何と言うか分からないが」とフランチェスコ・マリーアは答える。
「それならいいのですけれど……」とラファエロ。少し疲れた様子である。
フランチェスコ・マリーアは椅子に腰掛けてラファエロも座るように言う。
ウルビーノの当主はラファエロより7歳下でまだ19歳、ラファエロは子どもの頃から知っている。フランチェスコ・マリーアの肖像画を描いたこともあるのだ。礼節を踏まえてではあるが、二人は気心の知れた友人のようなものだった。
二人はテーブルをはさんで向かい合う。
「どうだ? 進捗は順調? 疲れているようだが、工房は上手く回せているのか」
ウルビーノ公のねぎらうような言葉にラファエロは笑う。
「ああ、大丈夫です。仕事の大きさを考えると武者震いするというか……だって光栄じゃありませんか。この永遠の都に自分の仕事を刻み込むことができるのですよ。今描いている絵が完成すれば……一息つけるかもしれませんね」
その絵とは「アテナイの学堂」である。今日も残るこの有名な絵は、ギリシア時代のアカデメイア(学園)を模したと思われる建物の中央にプラトンとアリストテレスが議論をしながら歩き、周囲に多くの人間が集まっているという構成である。後世までラファエロの最高傑作と評する人も多い。
「あの絵はもうかなり進んでいるだろう。指定された期限より早くできるのではないか」
「まだ細部の詰めがありますので、相応にかかるでしょう」とラファエロが微笑む。
「あれは……寓意画というか、どことなくギリシア人ではないようにも思えるが」とフランチェスコ・マリーアが言葉を選びながら言う。その様子を見て、ラファエロは微笑んでうなずく。そしてひょうきんな調子で答える。
「そうですよ。あれは学舎(アカデメイア)の絵ですが、実のところ…………ギリシアの偉大な学者たちと、ここイタリア半島の比類なき芸術家を重ねているのです」
「ああ、やっぱり…………教皇様は何か言っていなかったか?」
ウルビーノ公は心配らしい。教皇庁内の広間に飾られる絵なのだから、それなりの格式が必要なことは自明の理だ。ラファエロの言うような趣旨がおおっぴらに言われたら、悪くすれば描き直しである。それだけは避けたい事態である。
「大丈夫です。プラトンとアリストテレスをご覧になって褒めていただきました。ギリシアの学者は網羅していますから、安心してください。他の人間の絵はあまり見ておられなかったかと思いますよ。そうそう、フランチェスコ・マリーア様ももちろん描いてあります」
「えっ、気付かなかったぞ。どこに?」と公爵は仰天する。
「お探しになってみてください」とラファエロは笑っている。
フランチェスコ・マリーアはそろそろ、と言って席を立つ。ラファエロが見送りに出る。
外では馬と馬丁が待ちかねている。工房の出口で、フランチェスコ・マリーアはラファエロにつぶやいた。
「聖母子のデッサンがあったが……ウルビーノやフィレンツェの頃とだいぶ変わったな」
ラファエロは首をかしげて彼を見る。
「聖母の顔、前はこう、無表情で少し年長の、僕らの母親と言った雰囲気のものが多かったけれど、今は若くてふっくらとして、純粋さに満ちた女性の顔になっている」とフランチェスコ・マリーアは言う。
「そうですか……」とラファエロはふっと暗い表情をした。フランチェスコ・マリーアはそれを見て苦笑いする。
「ラファエロ、シエナのパン屋の娘は結婚したそうだよ。じゃ、また」
ラファエロはフランチェスコ・マリーアが去るのを見送って工房に戻った。もう夕刻になったので、職人たちは帰りはじめている。それを横目に見ながら、ラファエロは真新しい紙を取って、椅子にどかっと腰掛けた。少しいらだっているようだ。彼は赤いチョークを握ると、取り憑かれたようにそれを紙に走らせ続けた。
みるみるうちに、彼が走らせた軌跡は美しい女性、聖母ではない女性の姿になっていく。
「マルガリータ、マルガリータ、マルガリータ……」
ラファエロはそうつぶやいてから、自分が描いた絵の想い人に唇をそっと押し付ける。
そして、テーブルに突っ伏して呻くように泣き始めた。
ローマの夜が静かに過ぎていく。
対ヴェネツィアで各国(フランス、神聖ローマ帝国、スペイン、フェラーラ、マントヴァ、フィレンツェなど)が参戦したカンブレー同盟戦争は、ヴェネツィアが和睦を申し入れたことで、あらぬ方向に進むことになる。
教皇ユリウス2世は、「ヴェネツィアを叩きつぶす」と、噛みつくような調子でまくし立てたにも関わらず、ヴェネツィアの破門を解き、和睦に応じることにした。領地の返還や聖職者への税負担をなくすなど教皇側が提示した数々の条件をヴェネツィアがのむというのが前提である。
ヴェネツィアはのんだ。しかし、心底から履行するつもりはなかった。
いずれにしても、敵国がいなくなったのだから、これでカンブレー同盟戦争も当初目的を達成して終了ということになるのが自然だろう。しかし、そうはならなかった。敵国がいなくなったことで、新たな敵国ができるのである。
カンブレー戦争は主体である同盟が水のように流動的な状態で8年も続くことになるのだ。
おおもとはユリウス2世である。強硬な態度に出ておいて徹頭徹尾通せない。すぐ変更しまうというのは、この教皇に見られる特徴かもしれない。それが戦争を長く泥沼化させる要因にもなる。しかし、教皇にも不変のものがあった。芸術への愛である。アレクサンデル6世がこの世を去り、続いて短い任期で終わったピオ3世のあとにローマの宮殿(教皇庁)のあるじとなったユリウス2世は、キリスト教の精神を荘厳に伝えるような芸術作品でローマを埋め尽くしたいと思っていたのだ。
それだけのものを描ける芸術家がいたということでもある。
この頃、ミケランジェロ・ブオナローティをはじめ、多くの芸術家がローマに集められている。何度か書いているが、このときレオナルド・ダ・ヴィンチはミラノにいて、シャルル・ダンボワーズ伯の庇護を受けて活動している。なのでローマにはいない。そして彼はじきにフランスに去ることになる。
1509年、ミケランジェロは34歳である。すでにその高名は10代後半には確固となっていた。ダ・ヴィンチ不在の今、彼が頂点の位置にある芸術家である。
このとき、彼はシスティーナ礼拝堂の天井画の制作に入っている。この天井画は1508年から1512年まで、4年の月日をかけて描かれた。
この天井画はフレスコ画という技法で描かれている。天井壁面に漆喰(しっくい)を塗り、それが生乾きのうちに絵を描いていくのである。したがって、一度にたくさんの絵は描けない。その間に漆喰が乾いてしまうからである。少しずつ漆喰を塗り、そこに少しずつ絵を描いていくのである。従来は下絵を元に穴を開けてマーキングしておくのだが、ミケランジェロはそれもせず直接描いていたという。頭の中に正確な完成図がなければできないことであろう。「天地創造」の重要なモチーフがひとつひとつ天井に描かれ、まだ新しいこの礼拝堂(築30年である)に天地創造の色を添えていく。しかし、高所に足場を組んでずっと頭を天井に向けての作業だったので、首と背中にかかる負担と疲労は並大抵のものではなかった。
一方、フィレンツェから呼ばれた一人の芸術家がローマに到着し、活動を始めたところである。
彼はローマの中心を流れるティベレ川のほとりを歩く。
向こう岸には堅牢な教皇庁の城、カスタル・サンタンジェロが見える。それに沿って歩いていくとサン・ピエトロ大聖堂をはじめとする教皇庁の建造物群を見渡すことができる。フィレンツェからここに呼ばれた画家はその道を散歩することが好きだった。サン・ピエトロ大聖堂は少し古くなっており、教皇庁でも改修の設計案を建築の専門家に作らせているところだった。
これからこの景色はどんどん変わるのだろう。新しい聖堂ができて、新しい広場ができて、そしていたるところに自分の作品が置かれることになる。26歳になったばかりの、まだ若い画家はふっとつぶやいた。
「壮大な仕事だ。もし自分の頭の中で描いた通りにこの聖なる街を隅々まで作り変えることができたら、どんなに素晴らしいだろう」
画家は背筋がゾクゾクするような感覚を覚える。そして、その作業に携わっているもう一人の芸術家のことを思う。偉大な先駆者、ミケランジェロ・ブオナローティだ。
実はまだこの画家はミケランジェロとそれほど懇意(こんい)ではない。システィーナ礼拝堂の別の装飾はこの若い画家も後で依頼されることになるものの、仲良くなるのはなかなか難しそうだった。誰に聞いても、「天才、しかし偏屈、頑固者」という評価しか出てこないのだ。実際、そのような評判通りの人なのだが、そうでなければあれだけ表現することに執着できなかったのかもしれない。
「でも、あの人と一緒に仕事ができたら、本当に、本当にすごいものができると思うんだけどな……」
ふと、自分を呼ぶ声がしたような気がして、彼は振り返る。
「サンティ様、ウルビーノ公がお越しですので、すぐにお戻りください」
自分の工房の職人が呼びに来たのだ。画家は少し慌てた。
「それはいけない、うっかり忘れていた」
画家の名はラファエロ・サンティという。
1483年、ウルビーノ公国で生まれる。彼の父ジョヴァンニ・サンティはウルビーノ公国の宮廷画家だった。ウルビーノ公国はフェデリーコ3世(さきにあげた有名な傭兵隊長)、グイドバルド(チェーザレに敗北した)と続いて、現在フランチェスコ・マリーア(男性)が当主を継いでいる。グイドバルドの代にはチェーザレのイタリア半島中部攻略戦の中で追放の憂き目にもあったのだが、血縁者でもあるユリウス2世が教皇についたことにより、甥にあたるフランシスコ・マリーアの現在の立場は安定している。
グイドバルドはその平穏を長く享受する間もなく、この前年、1508年に亡くなった。
ラファエロは、早くからその才能を花開かせ、20代になるまでウルビーノで、21歳から25歳までフィレンツェに招かれて仕事をした。フィレンツェではレオナルド・ダ・ヴィンチが滞在していた時期と2年ほど重なっており、その間にラファエロはダ・ヴィンチの工房に何度も顔を出した。その作品をみずからの血肉にしようと努めたのだ。ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」に影響を受けたと思われるものも含めて、聖母子像をここでいくつも描いている。そして、ウルビーノに縁のある教皇に招かれてローマで仕事をすることになったのである。
さすがにその待遇は素晴らしいものだった。前金をたっぷりと持たされ、工房も用意された。勝てば官軍、ということである。
その工房に戻ると、フランチェスコ・マリーアが待っていた。そして工房にあるたくさんのデッサン画を眺めている。
「お待たせしてすみません。ちょっとティベレ川のほとりを散歩していました」とラファエロが遅れたことを詫びる。
「ああ、構わない。ここにいると時間をつぶすのに困らない。しかし、また使っている職人が増えたような気がするが」とフランチェスコ・マリーアは笑う。
この時代の芸術家は工房を構え、たくさんの画家や職人を雇っていた。完成した作品は工房として出している。現在残っている絵画でも、「有名な画家の工房の誰それが制作した」あるいは「有名な画家の工房で作者未詳」というクレジットが見られる。それは上記のような事情による。ラファエロの工房はかなり大きいもので職人もたくさんいる。
今日における漫画やアニメーション制作と共通する部分があるかもしれない。
その例外はミケランジェロで弟子も取らず、ひとりでいることを好んだ。
ラファエロは人好きのする性格である。宮廷画家の息子で、小さい頃から上流階級のサロンに馴染んでいたことが大きく影響しているのかもしれない。つぶらな瞳が印象的で美しく、華奢な少年のような相貌である。本人が意図するまでもなく、権力を持つ者に可愛がられ、女性を惹き付けるという術を自然に身に付けていた。
ただ、それは持って生まれた性格や環境によるものなので、本質的な才能までそこに帰するものではない。
ラファエロは美しいものを見る目と、それを描くだけの腕と、偉大な先達(せんだつ)のすべてを吸収して自らに昇華しようとする情熱を持っている。それがここで見るべきいちばんの点である。
「どうですか、ヴェネツィアとの戦争は。ヴェネツィアには素晴らしい絵や彫刻がたくさんあると聞いていますから、それが破壊されなければいいのですが」とラファエロが尋ねる。
「教皇様はヴェネツィアをお赦しになるつもりだよ。しばらくは平穏なのではないか。ルイ12世が何と言うか分からないが」とフランチェスコ・マリーアは答える。
「それならいいのですけれど……」とラファエロ。少し疲れた様子である。
フランチェスコ・マリーアは椅子に腰掛けてラファエロも座るように言う。
ウルビーノの当主はラファエロより7歳下でまだ19歳、ラファエロは子どもの頃から知っている。フランチェスコ・マリーアの肖像画を描いたこともあるのだ。礼節を踏まえてではあるが、二人は気心の知れた友人のようなものだった。
二人はテーブルをはさんで向かい合う。
「どうだ? 進捗は順調? 疲れているようだが、工房は上手く回せているのか」
ウルビーノ公のねぎらうような言葉にラファエロは笑う。
「ああ、大丈夫です。仕事の大きさを考えると武者震いするというか……だって光栄じゃありませんか。この永遠の都に自分の仕事を刻み込むことができるのですよ。今描いている絵が完成すれば……一息つけるかもしれませんね」
その絵とは「アテナイの学堂」である。今日も残るこの有名な絵は、ギリシア時代のアカデメイア(学園)を模したと思われる建物の中央にプラトンとアリストテレスが議論をしながら歩き、周囲に多くの人間が集まっているという構成である。後世までラファエロの最高傑作と評する人も多い。
「あの絵はもうかなり進んでいるだろう。指定された期限より早くできるのではないか」
「まだ細部の詰めがありますので、相応にかかるでしょう」とラファエロが微笑む。
「あれは……寓意画というか、どことなくギリシア人ではないようにも思えるが」とフランチェスコ・マリーアが言葉を選びながら言う。その様子を見て、ラファエロは微笑んでうなずく。そしてひょうきんな調子で答える。
「そうですよ。あれは学舎(アカデメイア)の絵ですが、実のところ…………ギリシアの偉大な学者たちと、ここイタリア半島の比類なき芸術家を重ねているのです」
「ああ、やっぱり…………教皇様は何か言っていなかったか?」
ウルビーノ公は心配らしい。教皇庁内の広間に飾られる絵なのだから、それなりの格式が必要なことは自明の理だ。ラファエロの言うような趣旨がおおっぴらに言われたら、悪くすれば描き直しである。それだけは避けたい事態である。
「大丈夫です。プラトンとアリストテレスをご覧になって褒めていただきました。ギリシアの学者は網羅していますから、安心してください。他の人間の絵はあまり見ておられなかったかと思いますよ。そうそう、フランチェスコ・マリーア様ももちろん描いてあります」
「えっ、気付かなかったぞ。どこに?」と公爵は仰天する。
「お探しになってみてください」とラファエロは笑っている。
フランチェスコ・マリーアはそろそろ、と言って席を立つ。ラファエロが見送りに出る。
外では馬と馬丁が待ちかねている。工房の出口で、フランチェスコ・マリーアはラファエロにつぶやいた。
「聖母子のデッサンがあったが……ウルビーノやフィレンツェの頃とだいぶ変わったな」
ラファエロは首をかしげて彼を見る。
「聖母の顔、前はこう、無表情で少し年長の、僕らの母親と言った雰囲気のものが多かったけれど、今は若くてふっくらとして、純粋さに満ちた女性の顔になっている」とフランチェスコ・マリーアは言う。
「そうですか……」とラファエロはふっと暗い表情をした。フランチェスコ・マリーアはそれを見て苦笑いする。
「ラファエロ、シエナのパン屋の娘は結婚したそうだよ。じゃ、また」
ラファエロはフランチェスコ・マリーアが去るのを見送って工房に戻った。もう夕刻になったので、職人たちは帰りはじめている。それを横目に見ながら、ラファエロは真新しい紙を取って、椅子にどかっと腰掛けた。少しいらだっているようだ。彼は赤いチョークを握ると、取り憑かれたようにそれを紙に走らせ続けた。
みるみるうちに、彼が走らせた軌跡は美しい女性、聖母ではない女性の姿になっていく。
「マルガリータ、マルガリータ、マルガリータ……」
ラファエロはそうつぶやいてから、自分が描いた絵の想い人に唇をそっと押し付ける。
そして、テーブルに突っ伏して呻くように泣き始めた。
ローマの夜が静かに過ぎていく。
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