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私の初恋
* ゆずのかおり
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がばっと布団を剥いで起き上がった私は目覚まし時計がならなかったから事にひどく不安を覚えた。
「いっ今何時っ!?」
慌てて目覚まし時計を確認してみると時刻は朝の六時を示していた。
「はあ…よかった…」
ホッと胸を撫で下ろした私は、パジャマから制服に着替えてそれを丁寧に畳んでベッドに置いた。
肌寒くなってきたからクローゼットからクリーム色のカーディガンを羽織ってリボンを止めた。
私は階段を勢いよく駆け下りると一番最初に出迎えてくれたココアの頭を優しく撫でた。
「おはよう、ココア!」
私はリビングでコーヒーを飲んでいた母に声をかけた。
「お母さんおはよう!今からお弁当作ろう!」
急かす私に母は苦笑いしながら立ち上がった。
「そんなに慌てなくても大丈夫よ、柚子は昔からせっかちなんだから!さあっ作ろっか」
「ありがとうお母さん!」
私はエプロンを着けてキッチンに入った。
お母さんとおにぎりを握った。
中身は鮭と梅とおかかにしてみた。
卵焼きは…先輩は甘いのと塩っぱいのどっちが好きかな…。
なんて、散々迷った挙句、甘い味付けにしてみた。
先輩、喜んでくれるかな。
お弁当のおかずには卵焼きの他にミートボールとウインナーとひじきの煮物とミニトマトを飾って蓋を閉めた。
二人分のお弁当を詰める私をみた母が横から。
「柚子、彼氏出来た?」
「ええっ!?なっ何で!?お母さん!?」
いきなりの母からの質問に誤魔化すこともできずに素直な反応を返してしまった。
これでは、いますと宣言しているのと変わらない。
「やっぱりね!柚子ってば最近幸せそうなんだもん!柚子もそういう歳になったのね、母さんなんだか嬉しいわ!で、どんな人なの」
母は私に顔を寄せて嬉しそうに聞いてきた。
恥ずかしいけど母が喜んでいるのが分かると話したくなった。
「えっと…一つ上の先輩で、優しくて格好良くて、体育祭の時に好きになったんだけど…」
話し始めると上崎先輩の姿が頭に浮かんで思わず頬が緩んだ。
「ああ、だから体育祭の写真を見せてくれなかったのね!父さんと何でだろうって話してたのよ、今度母さんには見せてね!まだ父さんには内緒にしておきましょう。きっと、寂しくて泣いちゃうから」
駅から学校まで歩いている途中で私はカバンから柚子味のキャンディーを取り出して乙葉に一つ渡した。
「ありがとう、柚子から柚子味いただきました」
「えへへ、この間スーパーで見つけたの!ついつい買っちゃいました」
私は昔から柚子と付くものに弱かった。
自分の名前が柚子だから惹かれるものがあるからだった。
「柚子は変わらないよね…一部を除いて」
私を横目で眺めながら乙葉は呟いた。
一部を除いてという言葉が私に引っかかった。
「一部?」
「ああ、もう!中身は変わらないくせに胸だけでっかくなって…少し分けなさいよ」
乙葉はそう言って私の胸を小突いてきた。
「わぁっ乙ちゃん、何するの!?」
自分では意識したことがないが、乙葉やクラスメイトから胸の大きさについて話しかけられることがあった。
制服を着ていると全くと言っていいほど皆と変わらないし、強いて言うなら体操服の時に目立つくらいだ。
「胸なんて脂肪の集まりだから!あってもなくて大丈夫だよ」
私の力説に乙葉は悲しそうな目で私を見つめていた。
教室に着いて荷物を置くと私たちは部室に足を運んだ。
ガラガラッ
「おはようございます」
二人で声を重ねて挨拶をすると部室から三人分の返答が帰ってきた。
「おはよう」
「おはよー!」
「おはようございます」
愛理先輩と穂乃果先輩と葉月先生が私たちを見て微笑んだ。
三人は展示用のパネルを部室に並べて今日の用意をしていた。
この部室も今日は展示用の部屋に変身する。
物販用の写真と写真をプリントしてあるハガキは体育館に運んで生徒会の人が販売を担当する。
葉月先生が物販用の用品は持ち出してくれる予定だからお任せして、私たちは部室の飾り付けを急いだ。
「出来た!」
30分かけて仕上がった部室はいつもの素朴な部屋とは違い、キラキラして可愛い仕上がりになった。
「よおし、最後はみんなで写真撮ろっ」
愛理先輩が提案をして葉月先生にシャッターを押して貰い四人が写った写真をプリントアウトして飾り付けた。
「先生、後で四人分プリントして下さい!」
愛理先輩の提案に葉月先生は細い指でオーケイサインを作って答えた。
「わあい!ありがとうございまあす!」
嬉しそうに飛び跳ねる愛理先輩は可愛かった。
飛び跳ねるたびに二つに結ばれた髪もウサギの耳のように揺れていた。
「僕は生徒会に物販用の写真を預けて来ますね、それじゃあホームルームに間に合うように教室に戻ってくださいね」
私たちは葉月先生の言葉に返事をして教室に急いだ。
ホームルームが終わると乙葉と乙葉の彼氏の木村くんと三人で教室を出た。
木村くんとは話したことがないから少し緊張している自分がいた。
「乙葉、今日はどこから行く?二組のお化け屋敷は本格的らしいぜ!花白さんも行くの?」
木村くんの問いに私は首を横に振った。
昔から私は心霊とかサスペンスとかそういう系統が苦手だった。
「お化け苦手だから行かないかも…」
お化け屋敷なんて想像しただけで身震いする。
上崎先輩がどうしてもと言うならついていくかもしれない…。
そう、今日は上崎先輩と二人で文化祭を楽しむ予定なのだ。だから今こうして乙葉だけではなく木村くんも一緒に歩いていた。
人が賑わっている正面玄関に着くと私は乙葉たちに手を振って一人になった。
五分ほど待っていると。
「花白さーん!」
いつもの優しい大好きな声と一緒に大好きな先輩が息を切らして走って来た。
「ごめん、待たせて」
「だっ、大丈夫です!私こそ焦らせてしまってすみません!」
「花白さんは悪くないよ、葉月先生の話が長かったから恨むなら葉月先生だよ、じゃあ、行こっか!」
先輩の隣を歩き始めた私は先輩の手が触れそうな位置にあることを意識してしまいドキドキした。
先輩の指は、ところどころ絆創膏がまかれていた。
バイトで火傷やあかぎれになってしまうと、この間聞くことができた。
少しでもよくなってほしくて薬局で簡単なハンドクリームと塗り薬を買ってみたがまだ渡せてはいなかった。
「花白さん、どこか行きたいところある?」
「あのっ、お化け屋敷以外なら…」
お化けが怖いなんて、幼い印象を与えてしまっただろうか…。
不安に駆られて先輩の顔をゆっくり見つめた。
私の目には優しく微笑む上崎先輩がいた。
優しい目と私の目が合うと胸がギュッと締め付けられた。
「花白さん安心して、俺も怖いの苦手だからお化け屋敷は避けようか、あっ!俺写真部の展示見たい!花白さんが撮った写真見たいし案内して」
「はっはい!行きましょう!体育館と部室の二箇所あるんですけど…どっちから行きますか?」
「うーん、体育館から回ろっか」
「はい!」
私たちは歩き出した。
今日は土曜日ということもあり他校の生徒も来ていた。私たちの周りは恋人だらけで皆が手を繋いで歩いていた。
私は先輩と一緒にいるだけで幸せなのに、欲張りな私がもっと先輩に近付きたいと思ってしまう…。
いつからこんな私がいたんだろう。
恋をするとこんなに欲張りになってしまうのだろうか…。
「先輩…あの…手…」
「ん?」
頭で考える前に勝手に出た言葉に私が一番驚いた。
「あっやっ…何でもないです」
慌てて何事も無かったように誤魔化して深呼吸をした。
「花白さん、どうかした?具合悪い?」
私の挙動不審な態度に上崎先輩が心配してくれたらしい。
大丈夫です。と言うはずの私の口は自分でも恐ろしいことを口走る。
「先輩と手を繋ぎたいです」
ハッとして口元を押さえた私は体中が沸騰しそうなほど熱くなっていた。
昔からそうだけど何でも思っていることを言ってしまう癖は治せないらしい…。
きっと先輩に嫌われてしまった。
図々しい女だと思って嫌われてしまったかもしれない。
言ってしまった言葉は戻せないことはよく分かっているから覚悟を決めて先輩を見つめた。
すると。
「先輩!?鼻血出てます!大丈夫ですか!?」
私は慌ててハンカチを取り出し先輩の鼻に当てた。
「ごめん、花白さん!ハンカチ汚しちゃった…」
「大丈夫です!そんなことより止血しなきゃ!」
私たちは近くのベンチに腰掛けた。
先輩大丈夫かな…。
鼻が弱いのかな…。
それとも具合が悪かったのかな…。
ベンチに腰掛けて先輩の様子を伺っていると先輩の様子を見た生徒が近寄ってきた。
「樹発見!おいおい、また鼻血かよ…こんな昼間っからエロいこと考えるからだろ」
この人達は見たことがあった。
左から中村先輩にその隣は初めてみる他校の女子生徒、そのまた隣は山崎先輩、山崎先輩の腕にはこの間の音無先輩。
ダブルデートというシチュエーションなのかもしれない。
私は先輩達に向かって頭を下げた。
「樹の彼女可愛いー!よしよし」
音無先輩が私の頭を優しく撫でてきた。
私も照れくさくなってされるがままになっていた。
「めぐみ、花白さんに迷惑かけんなよ!それから宏樹、俺はお前みたいにそんなこと考えてる暇はないんだよ!」
「いいじゃない、花白ちゃんだって嫌がってないんだし!ねっ?」
私は頷いた。
この間は迫力満点だった音無先輩は別人のように優しくてお姉ちゃんみたいだった。
それにいい匂いがしてお洒落な人だな、なんて思っていた。
「宏樹、私お腹空いちゃった!そろそろ行きましょう」
他校の女子生徒が私達に手を振って歩き出した。
慌てて追いかける中村先輩とそれに続く山崎先輩達。
「樹!花白ちゃん泣かしたら私が叩きのめすからね!分かった?早く鼻血止めて花白ちゃんとのデート再開しなさいよね!全く情けない…そんなんじゃいつか愛想尽かされるんだから!」
「うるせーな!放っておけよ」
「はあ…全く…。花白ちゃん、またね!何かあったら話しにきてね!」
音無先輩は笑顔で私に手を振ってくれた。
私も手を振り返した。
「先輩、鼻血止まりましたか?」
上崎先輩と二人きりになった私は先輩がちゃんと止血できたか気になっていた。
先輩は鼻を触って止血出来たことを確認すると手を洗いに走っていった。
「本当にごめんね、花白さん」
申し訳なさそうに頭を下げた上崎先輩に頭をあげるようにお願いした。
「謝らないでください!」
「俺…嬉しくて…手を繋ぎたいですって言ってもらえたことが…」
「ふぇっ!?」
すっかり忘れていた私の問題発言を先輩によって思い出し、顔から湯気が出そうなくらい赤面した。
「本当に嬉しかった!花白さん…手繋いでもいいですか?」
上崎先輩は顔を真っ赤にしながら私に向かって手を差し伸べていきた。
「いっ…いいんですか?」
私は恐る恐る先輩の手に自分の手を重ねた。
初めて触れた先輩の手は細いように見えて、大きくて暖い。
「先輩…私とっても嬉しいです…夢みたい」
いつか話がしたいから気持ちを伝えたいと思うようになって、今はこうして恋人として手を繋いでいることが嬉しくてたまらない。
先輩の手をそっと握ると先輩は優しく握り返してくれた。
恥ずかしさから俯いた私の耳に先輩の小さな声が届いた。
「花白さん…可愛い…」
「えっ!?」
「あっ、思わず声に出てた…」
恥ずかしそうに顔を背けた先輩に何か言わないと、と焦り始めた。
「先輩、嬉しいです!」
やっと紡ぎ出した言葉に上崎先輩が嬉しそうに微笑んだ。
「あのさ…花白さん…」
「何ですか!?」
「やっぱり何でもない!行こうか!」
先輩の言葉の続きが気になるが無理に聞くのは失礼だから深く追求はしなかった。
学校内を手を繋いで歩くことがこんなに恥ずかしくて、だけど嬉しいことだったなんて思わなかった。
体育館に着くと沢山の人と展示物で賑わっていた。
私は先輩の手を引き写真部の展示物がある場所に連れて行った。
「先輩、この写真は私が撮った写真です!」
「これはいつ撮った写真?」
「この写真は中学生の時に家族でスキーに行って、そこでスキーより写真撮るのに夢中になって撮った写真です!」
「俺も行ってみたい!綺麗な写真だね」
私は先輩から誉めてもらえたことが嬉しくて笑顔がこぼれた。
先輩に見てもらった写真は去年、プライベートで撮った写真だった。
雪景色の中に大きな氷柱があり、氷柱から滴る水を写したものと雪景色を全体的に収めた写真の二枚だった。
「先輩が行ってみたい思ってくれて良かったです!誰かの心に少しでも響く写真が撮りたくて頑張っているので、目標達成できた気がしました!」
「お世辞じゃなくて本当に行きたいと思った!花白さんの撮った写真他にはないの?」
「ここにはなくて後は部室の方です」
「そっか、せっかくだし体育館の中見ていこうか」
私たちは体育館の展示物を一つ一つ見て回った。
そんな私たちの方に前方から見知った人影が歩いていた。
「上崎君に花白さん」
「葉月先生!」
私より先に上崎先輩が葉月先生に返答した。
「二人とも仲良しですね」
私たちは忘れていたがずっと手を繋いだままだった。恥ずかしさから二人で顔を合わせて慌てて手を離した。
少しだけ離れた手を追いかけたくなった。
私たちの様子を見ていた先生は優しく微笑んだ。
「お気になさらずに、二人は会場見学ですか?物販はもうご覧になりましたか?」
「まだ見てないです!展示物は大方見終わりました!」
「そうでしたか、おっと、そろそろ行かないと…お昼前のステージ設営をしてきますね、二人とも文化祭楽しんでくださいね」
ひらひらと手を振って葉月先生は歩いて行った。
「はあ…神様ってなんで不平等なんだろうな」
唐突に呟いた上崎先輩の言葉の意味が分からずに首を傾げた。
先輩は私に微笑むと答え合わせをしてくれた。
「葉月先生みたいな格好いい人と俺みたいなちんちくりん…同じ男なのに悲しくなるって意味」
私は更に首を傾げた。
「私は葉月先生のこと格好いいなって思ったことありません、先輩はいつも格好いいです!確かに葉月先生は人気がありますけど、私は先輩にしかドキドキしません!」
ここまで言い切ってから恥ずかしくなって俯いた。
今日はよく口が勝手に動く日だ。
穴があったら入りたい…。
「花白さん…天使だ!」
「えっ!?」
「花白さんは天使だ!」
一回目によく聞こえなかった言葉を先輩が今度ははっきり告げた。
「初めて言われました、よく天然とか間抜けとかドジとか言われますけど、天使は初めてです!嬉しいです」
すごく、嬉しかった…。
「先輩、私が天使なら先輩は神様です!」
「俺が!!?」
「はい!先輩がいないと私の世界はダメになります!」
「花白さん可愛い!こんなところで話してるのも何だから写真部の部室に行こう!」
私は大きく頷いた。
先輩は照れているのか耳まで真っ赤だった。
そんな先輩を見つめていると、私の右手が先輩の左手に重なった。
重なった体温は先輩の大きな手によって包まれた。
ドキドキと心臓が破裂しそうな程動き出す。
先輩…格好いい。
先輩にしばらく見とれていた私は優しく手を引かれて写真部の部室に足を運んだ。
いつもは質素な部室は私たちの頑張りによって可愛らしく仕上がっていた。
部室には私達以外誰もいなかった。
「へえー写真部の部室って初めて来た!」
「そうなんですか!?良かったです!」
「こっちに今日私たちが撮った写真があるんです!朝、葉月先生に撮ってもらって、ほら!」
私は背伸びして飾ってある写真を指差した。
「花白さん可愛い!写真部って四人なんだ、げっ松川…俺松川苦手なんだよな」
「穂乃果先輩と知り合いですか?」
確かに穂乃果先輩も上崎先輩を知っている風に話していた。
学年も同じだから知り合いでもおかしくない。
「中学が一緒でよく馬鹿にされてたんだ、男のくせにチビとか」
確かに穂乃果先輩は女子にしては背が高い。中学時代はバスケ部だったと話していた気がしたが、上崎先輩よりは背が低いはずだ。
「でも、穂乃果先輩より、上崎先輩の方が背は高いですよね?」
「俺さ、中学二年まですんごい小さくて、中学三年の時にいきなり10センチ伸びたんだ、それまでずっと馬鹿にされてて、いい思い出がないんだよ」
「そうなんですか、二人が話してる姿は想像つかないです」
私の感想に上崎先輩は苦笑いした。
私たちは部室から出ると昼食を食べに教室に向かった。先輩にはお弁当を作ってきたことはまだ知らせていない、学校に来る屋台で何か食べようかという話で落ち着いていたからだ。
「先輩、私の教室に寄ってくれますか?」
「えっ?いいけど」
先輩と私は教室の前までやってきた。誰もいないガランとした教室を手を引いて中に入った。
自分の席まで歩いてくると先輩の手を一度離し、鞄からお弁当を二つ取り出した。
「あのっ先輩、お口に合うか分かりませんが作ったのでよかったら食べてください!」
今朝作ったお弁当を先輩に手渡した。先輩はキョトンとしていたが我に返った瞬間に嬉しそうに微笑んだ。
「花白さんが作ってくれたの!?」
私は静かに頷いた。
「わあ…俺って幸せ者だ…夢みたいだ」
「そんなっ!大袈裟ですよ」
「大袈裟じゃないよ、彼女の手料理を食べれるなんて幸せだよ」
先輩のあまりにも嬉しそうな表情に私の頬も緩んだ。
「このまま、ここで食べる?それともどこかにいく?」
「うーんと、先輩がよければ、先輩の教室に行ってみたいです!」
私の提案に先輩はオーケイを出してくれた。一年二組の教室から出ると、二年四組の教室を目指して歩き始めた。
階段を上がり二年生のフロアに上がる。たまに先輩に会いに来ていたから初めてではないけれど新鮮な気持ちは変わらなかった。
二年四組の教室に入ると先輩のいつも座ってる席に案内してもらった。
「私、先輩の席に座りたいです、ダメですか?」
先輩がいつも見ている景色や先輩の過ごしている場所を私も知りたくてお願いしてみた。
先輩は快く承諾してくれて、私は先輩の席に、先輩は私の前の席に座って、お弁当を広げた。
「うまそう!いただきます!」
「どうぞ…」
先輩が一番初めに口にしたのは卵焼きだった。散々迷って甘味にしたけれど…お口に合うかな。
不安気に見つめていた私に先輩は笑顔でうまい!と言ってくれた。
「花白さん、うまいよ!卵焼き甘いのが好きだから嬉しいし、やっぱり俺幸せ者だ」
「よかったです、甘味にするか塩を強くするか悩んだんです、喜んでもらえてよかった。先輩、また時々お弁当作ってもいいですか?」
「本当に!?嬉しい…。ぜひ、作ってください!」
「はい!喜んで」
先輩はその後も勢いよくお弁当を平らげ、私もそんな先輩を眺めつつお弁当を箸でつついていた。
乙葉と食べるお弁当も好きだけど先輩と食べるお弁当は違った楽しさがあった。
「ご馳走さまでした、お弁当箱洗って返すから」
「いいえ、大丈夫です!お気になさらずに」
「でも、食べるだけ食べて返すのも悪いし…ハンカチだって汚しちゃったし…」
「いいんですよ!気にしないでください!」
考え込む先輩に私は母との約束を思い出し提案した。
「先輩…あのっ交換条件みたいで申し訳ないのですが…お母さんに先輩の写ってる写真を見せてもいいですか?」
先輩は私の顔をじっと見つめた。
「いっいいけど、俺なんかを見せていいの?」
「はい!朝、お母さんに彼氏ができたって話したんです、そしたら見せて欲しいってことになって…」
「分かった、花白さんがいいなら俺は全然構わないよ、むしろ彼氏として紹介してくれることが嬉しくて、なんか泣きそうになってきた」
「先輩、泣かないでください」
冗談かと思ったら本当に泣き出しそうになっている先輩を慌てて宥めた。先輩は本当に情緒が豊かで一緒にいて退屈な時がない。
「花白さんが彼女になってくれてよかった」
「私も先輩が彼氏でよかったです!」
私たちは照れて俯いた。俯いた時にカバンの中にある柚子味のキャンディーが視界に入った。
このまま二人で俯いてるのも何だから、私はキャンディーを取り出して先輩に渡した。
「先輩、これどうぞ」
「ありがとう、花白さんと同じ名前だ!」
「はい!昔から柚子味とか柚子の香りとか書いてあると勝手に親近感が湧いちゃって惹かれちゃうんです」
「花白さんらしくて可愛い、いただきます」
先輩はよく私に可愛いと言ってくれる。お世辞でも嬉しいし、恥ずかしくていつも上手く返答できないけど内心はドキドキして踊り出してしまいそうだ。
私も口の中にキャンディーを入れた。優しい柚子の香りが広がった。
「柚子っていい匂いだよな」
先輩が何気なく放った一言に胸が熱くなった。私のことじゃないのに、私が言われてるみたいでなんだか恥ずかしい。
柚子って、柚子、柚子…。先輩に名前を呼ばれてるみたいで、胸が苦しくなる。
「ん?花白さんどうかした?顔が赤いけど」
「先輩が、先輩が…。」
「ん?俺!?」
「先輩が柚子っていい匂いって言ったから、名前を呼んでもらえたみたいで嬉しくて…もう一回、柚子って言ってくれませんか?」
私の言葉を聞いた上崎先輩は目を見開いていた。
「花白さん、じゃなくて、名前で呼んで欲しいんです…私…わがままですみません」
先輩と付き合って二ヶ月間、ずっと言いたかったけど我慢していたことだった。
私はいつからこんなに欲張りな人間になったんだろう。こんなにわがままでいつか先輩に嫌われてしまう。
「花白さんがいいなら名前で呼びたい、それに俺のことも上崎先輩じゃなくて樹って呼んで」
「先輩を呼び捨てなんて出来ません!!」
「じゃあ、君付けでもいいから!先輩とか苗字だとなんか、恋人らしくない気がするんだ。俺、もっと花白さんじゃなかった、柚子と仲良くなりたいから、わがままなんて思わないからなんでも言って欲しい。」
先輩の優しさに涙が溢れる。
先輩がどんどん好きになっていく。
先輩に呼ばれた名前が耳に響いて体中が熱くなる。
「先輩…好きです」
溢れ出した涙は頬を伝い先輩の机に落ちた。先輩は優しく私の頭を撫でてくれた。
「先輩は卒業しようぜ、もっと踏み込んで欲しい」
「分かりました、い…樹君」
初めて口にする樹君という言葉は震えていて、だけど力強かった。
「ありがとう、俺のわがまま聞いてくれて。よし、泣き止んだらあちこち回ろうか!」
「はい!」
私たちは手を繋いで教室から飛び出した。
大好きな先輩と過ごした一日は幸せで満ち溢れていた。初めて手を繋いだり、頭を撫でられたり、名前を呼んでもらったり。
絶対に忘れられない日、今日は私の恋が動き出した、そんな大切な日。
昨日の私より今日の私が好き、だって先輩を昨日より好きになれるから。
樹君、今日も大好きです。
「いっ今何時っ!?」
慌てて目覚まし時計を確認してみると時刻は朝の六時を示していた。
「はあ…よかった…」
ホッと胸を撫で下ろした私は、パジャマから制服に着替えてそれを丁寧に畳んでベッドに置いた。
肌寒くなってきたからクローゼットからクリーム色のカーディガンを羽織ってリボンを止めた。
私は階段を勢いよく駆け下りると一番最初に出迎えてくれたココアの頭を優しく撫でた。
「おはよう、ココア!」
私はリビングでコーヒーを飲んでいた母に声をかけた。
「お母さんおはよう!今からお弁当作ろう!」
急かす私に母は苦笑いしながら立ち上がった。
「そんなに慌てなくても大丈夫よ、柚子は昔からせっかちなんだから!さあっ作ろっか」
「ありがとうお母さん!」
私はエプロンを着けてキッチンに入った。
お母さんとおにぎりを握った。
中身は鮭と梅とおかかにしてみた。
卵焼きは…先輩は甘いのと塩っぱいのどっちが好きかな…。
なんて、散々迷った挙句、甘い味付けにしてみた。
先輩、喜んでくれるかな。
お弁当のおかずには卵焼きの他にミートボールとウインナーとひじきの煮物とミニトマトを飾って蓋を閉めた。
二人分のお弁当を詰める私をみた母が横から。
「柚子、彼氏出来た?」
「ええっ!?なっ何で!?お母さん!?」
いきなりの母からの質問に誤魔化すこともできずに素直な反応を返してしまった。
これでは、いますと宣言しているのと変わらない。
「やっぱりね!柚子ってば最近幸せそうなんだもん!柚子もそういう歳になったのね、母さんなんだか嬉しいわ!で、どんな人なの」
母は私に顔を寄せて嬉しそうに聞いてきた。
恥ずかしいけど母が喜んでいるのが分かると話したくなった。
「えっと…一つ上の先輩で、優しくて格好良くて、体育祭の時に好きになったんだけど…」
話し始めると上崎先輩の姿が頭に浮かんで思わず頬が緩んだ。
「ああ、だから体育祭の写真を見せてくれなかったのね!父さんと何でだろうって話してたのよ、今度母さんには見せてね!まだ父さんには内緒にしておきましょう。きっと、寂しくて泣いちゃうから」
駅から学校まで歩いている途中で私はカバンから柚子味のキャンディーを取り出して乙葉に一つ渡した。
「ありがとう、柚子から柚子味いただきました」
「えへへ、この間スーパーで見つけたの!ついつい買っちゃいました」
私は昔から柚子と付くものに弱かった。
自分の名前が柚子だから惹かれるものがあるからだった。
「柚子は変わらないよね…一部を除いて」
私を横目で眺めながら乙葉は呟いた。
一部を除いてという言葉が私に引っかかった。
「一部?」
「ああ、もう!中身は変わらないくせに胸だけでっかくなって…少し分けなさいよ」
乙葉はそう言って私の胸を小突いてきた。
「わぁっ乙ちゃん、何するの!?」
自分では意識したことがないが、乙葉やクラスメイトから胸の大きさについて話しかけられることがあった。
制服を着ていると全くと言っていいほど皆と変わらないし、強いて言うなら体操服の時に目立つくらいだ。
「胸なんて脂肪の集まりだから!あってもなくて大丈夫だよ」
私の力説に乙葉は悲しそうな目で私を見つめていた。
教室に着いて荷物を置くと私たちは部室に足を運んだ。
ガラガラッ
「おはようございます」
二人で声を重ねて挨拶をすると部室から三人分の返答が帰ってきた。
「おはよう」
「おはよー!」
「おはようございます」
愛理先輩と穂乃果先輩と葉月先生が私たちを見て微笑んだ。
三人は展示用のパネルを部室に並べて今日の用意をしていた。
この部室も今日は展示用の部屋に変身する。
物販用の写真と写真をプリントしてあるハガキは体育館に運んで生徒会の人が販売を担当する。
葉月先生が物販用の用品は持ち出してくれる予定だからお任せして、私たちは部室の飾り付けを急いだ。
「出来た!」
30分かけて仕上がった部室はいつもの素朴な部屋とは違い、キラキラして可愛い仕上がりになった。
「よおし、最後はみんなで写真撮ろっ」
愛理先輩が提案をして葉月先生にシャッターを押して貰い四人が写った写真をプリントアウトして飾り付けた。
「先生、後で四人分プリントして下さい!」
愛理先輩の提案に葉月先生は細い指でオーケイサインを作って答えた。
「わあい!ありがとうございまあす!」
嬉しそうに飛び跳ねる愛理先輩は可愛かった。
飛び跳ねるたびに二つに結ばれた髪もウサギの耳のように揺れていた。
「僕は生徒会に物販用の写真を預けて来ますね、それじゃあホームルームに間に合うように教室に戻ってくださいね」
私たちは葉月先生の言葉に返事をして教室に急いだ。
ホームルームが終わると乙葉と乙葉の彼氏の木村くんと三人で教室を出た。
木村くんとは話したことがないから少し緊張している自分がいた。
「乙葉、今日はどこから行く?二組のお化け屋敷は本格的らしいぜ!花白さんも行くの?」
木村くんの問いに私は首を横に振った。
昔から私は心霊とかサスペンスとかそういう系統が苦手だった。
「お化け苦手だから行かないかも…」
お化け屋敷なんて想像しただけで身震いする。
上崎先輩がどうしてもと言うならついていくかもしれない…。
そう、今日は上崎先輩と二人で文化祭を楽しむ予定なのだ。だから今こうして乙葉だけではなく木村くんも一緒に歩いていた。
人が賑わっている正面玄関に着くと私は乙葉たちに手を振って一人になった。
五分ほど待っていると。
「花白さーん!」
いつもの優しい大好きな声と一緒に大好きな先輩が息を切らして走って来た。
「ごめん、待たせて」
「だっ、大丈夫です!私こそ焦らせてしまってすみません!」
「花白さんは悪くないよ、葉月先生の話が長かったから恨むなら葉月先生だよ、じゃあ、行こっか!」
先輩の隣を歩き始めた私は先輩の手が触れそうな位置にあることを意識してしまいドキドキした。
先輩の指は、ところどころ絆創膏がまかれていた。
バイトで火傷やあかぎれになってしまうと、この間聞くことができた。
少しでもよくなってほしくて薬局で簡単なハンドクリームと塗り薬を買ってみたがまだ渡せてはいなかった。
「花白さん、どこか行きたいところある?」
「あのっ、お化け屋敷以外なら…」
お化けが怖いなんて、幼い印象を与えてしまっただろうか…。
不安に駆られて先輩の顔をゆっくり見つめた。
私の目には優しく微笑む上崎先輩がいた。
優しい目と私の目が合うと胸がギュッと締め付けられた。
「花白さん安心して、俺も怖いの苦手だからお化け屋敷は避けようか、あっ!俺写真部の展示見たい!花白さんが撮った写真見たいし案内して」
「はっはい!行きましょう!体育館と部室の二箇所あるんですけど…どっちから行きますか?」
「うーん、体育館から回ろっか」
「はい!」
私たちは歩き出した。
今日は土曜日ということもあり他校の生徒も来ていた。私たちの周りは恋人だらけで皆が手を繋いで歩いていた。
私は先輩と一緒にいるだけで幸せなのに、欲張りな私がもっと先輩に近付きたいと思ってしまう…。
いつからこんな私がいたんだろう。
恋をするとこんなに欲張りになってしまうのだろうか…。
「先輩…あの…手…」
「ん?」
頭で考える前に勝手に出た言葉に私が一番驚いた。
「あっやっ…何でもないです」
慌てて何事も無かったように誤魔化して深呼吸をした。
「花白さん、どうかした?具合悪い?」
私の挙動不審な態度に上崎先輩が心配してくれたらしい。
大丈夫です。と言うはずの私の口は自分でも恐ろしいことを口走る。
「先輩と手を繋ぎたいです」
ハッとして口元を押さえた私は体中が沸騰しそうなほど熱くなっていた。
昔からそうだけど何でも思っていることを言ってしまう癖は治せないらしい…。
きっと先輩に嫌われてしまった。
図々しい女だと思って嫌われてしまったかもしれない。
言ってしまった言葉は戻せないことはよく分かっているから覚悟を決めて先輩を見つめた。
すると。
「先輩!?鼻血出てます!大丈夫ですか!?」
私は慌ててハンカチを取り出し先輩の鼻に当てた。
「ごめん、花白さん!ハンカチ汚しちゃった…」
「大丈夫です!そんなことより止血しなきゃ!」
私たちは近くのベンチに腰掛けた。
先輩大丈夫かな…。
鼻が弱いのかな…。
それとも具合が悪かったのかな…。
ベンチに腰掛けて先輩の様子を伺っていると先輩の様子を見た生徒が近寄ってきた。
「樹発見!おいおい、また鼻血かよ…こんな昼間っからエロいこと考えるからだろ」
この人達は見たことがあった。
左から中村先輩にその隣は初めてみる他校の女子生徒、そのまた隣は山崎先輩、山崎先輩の腕にはこの間の音無先輩。
ダブルデートというシチュエーションなのかもしれない。
私は先輩達に向かって頭を下げた。
「樹の彼女可愛いー!よしよし」
音無先輩が私の頭を優しく撫でてきた。
私も照れくさくなってされるがままになっていた。
「めぐみ、花白さんに迷惑かけんなよ!それから宏樹、俺はお前みたいにそんなこと考えてる暇はないんだよ!」
「いいじゃない、花白ちゃんだって嫌がってないんだし!ねっ?」
私は頷いた。
この間は迫力満点だった音無先輩は別人のように優しくてお姉ちゃんみたいだった。
それにいい匂いがしてお洒落な人だな、なんて思っていた。
「宏樹、私お腹空いちゃった!そろそろ行きましょう」
他校の女子生徒が私達に手を振って歩き出した。
慌てて追いかける中村先輩とそれに続く山崎先輩達。
「樹!花白ちゃん泣かしたら私が叩きのめすからね!分かった?早く鼻血止めて花白ちゃんとのデート再開しなさいよね!全く情けない…そんなんじゃいつか愛想尽かされるんだから!」
「うるせーな!放っておけよ」
「はあ…全く…。花白ちゃん、またね!何かあったら話しにきてね!」
音無先輩は笑顔で私に手を振ってくれた。
私も手を振り返した。
「先輩、鼻血止まりましたか?」
上崎先輩と二人きりになった私は先輩がちゃんと止血できたか気になっていた。
先輩は鼻を触って止血出来たことを確認すると手を洗いに走っていった。
「本当にごめんね、花白さん」
申し訳なさそうに頭を下げた上崎先輩に頭をあげるようにお願いした。
「謝らないでください!」
「俺…嬉しくて…手を繋ぎたいですって言ってもらえたことが…」
「ふぇっ!?」
すっかり忘れていた私の問題発言を先輩によって思い出し、顔から湯気が出そうなくらい赤面した。
「本当に嬉しかった!花白さん…手繋いでもいいですか?」
上崎先輩は顔を真っ赤にしながら私に向かって手を差し伸べていきた。
「いっ…いいんですか?」
私は恐る恐る先輩の手に自分の手を重ねた。
初めて触れた先輩の手は細いように見えて、大きくて暖い。
「先輩…私とっても嬉しいです…夢みたい」
いつか話がしたいから気持ちを伝えたいと思うようになって、今はこうして恋人として手を繋いでいることが嬉しくてたまらない。
先輩の手をそっと握ると先輩は優しく握り返してくれた。
恥ずかしさから俯いた私の耳に先輩の小さな声が届いた。
「花白さん…可愛い…」
「えっ!?」
「あっ、思わず声に出てた…」
恥ずかしそうに顔を背けた先輩に何か言わないと、と焦り始めた。
「先輩、嬉しいです!」
やっと紡ぎ出した言葉に上崎先輩が嬉しそうに微笑んだ。
「あのさ…花白さん…」
「何ですか!?」
「やっぱり何でもない!行こうか!」
先輩の言葉の続きが気になるが無理に聞くのは失礼だから深く追求はしなかった。
学校内を手を繋いで歩くことがこんなに恥ずかしくて、だけど嬉しいことだったなんて思わなかった。
体育館に着くと沢山の人と展示物で賑わっていた。
私は先輩の手を引き写真部の展示物がある場所に連れて行った。
「先輩、この写真は私が撮った写真です!」
「これはいつ撮った写真?」
「この写真は中学生の時に家族でスキーに行って、そこでスキーより写真撮るのに夢中になって撮った写真です!」
「俺も行ってみたい!綺麗な写真だね」
私は先輩から誉めてもらえたことが嬉しくて笑顔がこぼれた。
先輩に見てもらった写真は去年、プライベートで撮った写真だった。
雪景色の中に大きな氷柱があり、氷柱から滴る水を写したものと雪景色を全体的に収めた写真の二枚だった。
「先輩が行ってみたい思ってくれて良かったです!誰かの心に少しでも響く写真が撮りたくて頑張っているので、目標達成できた気がしました!」
「お世辞じゃなくて本当に行きたいと思った!花白さんの撮った写真他にはないの?」
「ここにはなくて後は部室の方です」
「そっか、せっかくだし体育館の中見ていこうか」
私たちは体育館の展示物を一つ一つ見て回った。
そんな私たちの方に前方から見知った人影が歩いていた。
「上崎君に花白さん」
「葉月先生!」
私より先に上崎先輩が葉月先生に返答した。
「二人とも仲良しですね」
私たちは忘れていたがずっと手を繋いだままだった。恥ずかしさから二人で顔を合わせて慌てて手を離した。
少しだけ離れた手を追いかけたくなった。
私たちの様子を見ていた先生は優しく微笑んだ。
「お気になさらずに、二人は会場見学ですか?物販はもうご覧になりましたか?」
「まだ見てないです!展示物は大方見終わりました!」
「そうでしたか、おっと、そろそろ行かないと…お昼前のステージ設営をしてきますね、二人とも文化祭楽しんでくださいね」
ひらひらと手を振って葉月先生は歩いて行った。
「はあ…神様ってなんで不平等なんだろうな」
唐突に呟いた上崎先輩の言葉の意味が分からずに首を傾げた。
先輩は私に微笑むと答え合わせをしてくれた。
「葉月先生みたいな格好いい人と俺みたいなちんちくりん…同じ男なのに悲しくなるって意味」
私は更に首を傾げた。
「私は葉月先生のこと格好いいなって思ったことありません、先輩はいつも格好いいです!確かに葉月先生は人気がありますけど、私は先輩にしかドキドキしません!」
ここまで言い切ってから恥ずかしくなって俯いた。
今日はよく口が勝手に動く日だ。
穴があったら入りたい…。
「花白さん…天使だ!」
「えっ!?」
「花白さんは天使だ!」
一回目によく聞こえなかった言葉を先輩が今度ははっきり告げた。
「初めて言われました、よく天然とか間抜けとかドジとか言われますけど、天使は初めてです!嬉しいです」
すごく、嬉しかった…。
「先輩、私が天使なら先輩は神様です!」
「俺が!!?」
「はい!先輩がいないと私の世界はダメになります!」
「花白さん可愛い!こんなところで話してるのも何だから写真部の部室に行こう!」
私は大きく頷いた。
先輩は照れているのか耳まで真っ赤だった。
そんな先輩を見つめていると、私の右手が先輩の左手に重なった。
重なった体温は先輩の大きな手によって包まれた。
ドキドキと心臓が破裂しそうな程動き出す。
先輩…格好いい。
先輩にしばらく見とれていた私は優しく手を引かれて写真部の部室に足を運んだ。
いつもは質素な部室は私たちの頑張りによって可愛らしく仕上がっていた。
部室には私達以外誰もいなかった。
「へえー写真部の部室って初めて来た!」
「そうなんですか!?良かったです!」
「こっちに今日私たちが撮った写真があるんです!朝、葉月先生に撮ってもらって、ほら!」
私は背伸びして飾ってある写真を指差した。
「花白さん可愛い!写真部って四人なんだ、げっ松川…俺松川苦手なんだよな」
「穂乃果先輩と知り合いですか?」
確かに穂乃果先輩も上崎先輩を知っている風に話していた。
学年も同じだから知り合いでもおかしくない。
「中学が一緒でよく馬鹿にされてたんだ、男のくせにチビとか」
確かに穂乃果先輩は女子にしては背が高い。中学時代はバスケ部だったと話していた気がしたが、上崎先輩よりは背が低いはずだ。
「でも、穂乃果先輩より、上崎先輩の方が背は高いですよね?」
「俺さ、中学二年まですんごい小さくて、中学三年の時にいきなり10センチ伸びたんだ、それまでずっと馬鹿にされてて、いい思い出がないんだよ」
「そうなんですか、二人が話してる姿は想像つかないです」
私の感想に上崎先輩は苦笑いした。
私たちは部室から出ると昼食を食べに教室に向かった。先輩にはお弁当を作ってきたことはまだ知らせていない、学校に来る屋台で何か食べようかという話で落ち着いていたからだ。
「先輩、私の教室に寄ってくれますか?」
「えっ?いいけど」
先輩と私は教室の前までやってきた。誰もいないガランとした教室を手を引いて中に入った。
自分の席まで歩いてくると先輩の手を一度離し、鞄からお弁当を二つ取り出した。
「あのっ先輩、お口に合うか分かりませんが作ったのでよかったら食べてください!」
今朝作ったお弁当を先輩に手渡した。先輩はキョトンとしていたが我に返った瞬間に嬉しそうに微笑んだ。
「花白さんが作ってくれたの!?」
私は静かに頷いた。
「わあ…俺って幸せ者だ…夢みたいだ」
「そんなっ!大袈裟ですよ」
「大袈裟じゃないよ、彼女の手料理を食べれるなんて幸せだよ」
先輩のあまりにも嬉しそうな表情に私の頬も緩んだ。
「このまま、ここで食べる?それともどこかにいく?」
「うーんと、先輩がよければ、先輩の教室に行ってみたいです!」
私の提案に先輩はオーケイを出してくれた。一年二組の教室から出ると、二年四組の教室を目指して歩き始めた。
階段を上がり二年生のフロアに上がる。たまに先輩に会いに来ていたから初めてではないけれど新鮮な気持ちは変わらなかった。
二年四組の教室に入ると先輩のいつも座ってる席に案内してもらった。
「私、先輩の席に座りたいです、ダメですか?」
先輩がいつも見ている景色や先輩の過ごしている場所を私も知りたくてお願いしてみた。
先輩は快く承諾してくれて、私は先輩の席に、先輩は私の前の席に座って、お弁当を広げた。
「うまそう!いただきます!」
「どうぞ…」
先輩が一番初めに口にしたのは卵焼きだった。散々迷って甘味にしたけれど…お口に合うかな。
不安気に見つめていた私に先輩は笑顔でうまい!と言ってくれた。
「花白さん、うまいよ!卵焼き甘いのが好きだから嬉しいし、やっぱり俺幸せ者だ」
「よかったです、甘味にするか塩を強くするか悩んだんです、喜んでもらえてよかった。先輩、また時々お弁当作ってもいいですか?」
「本当に!?嬉しい…。ぜひ、作ってください!」
「はい!喜んで」
先輩はその後も勢いよくお弁当を平らげ、私もそんな先輩を眺めつつお弁当を箸でつついていた。
乙葉と食べるお弁当も好きだけど先輩と食べるお弁当は違った楽しさがあった。
「ご馳走さまでした、お弁当箱洗って返すから」
「いいえ、大丈夫です!お気になさらずに」
「でも、食べるだけ食べて返すのも悪いし…ハンカチだって汚しちゃったし…」
「いいんですよ!気にしないでください!」
考え込む先輩に私は母との約束を思い出し提案した。
「先輩…あのっ交換条件みたいで申し訳ないのですが…お母さんに先輩の写ってる写真を見せてもいいですか?」
先輩は私の顔をじっと見つめた。
「いっいいけど、俺なんかを見せていいの?」
「はい!朝、お母さんに彼氏ができたって話したんです、そしたら見せて欲しいってことになって…」
「分かった、花白さんがいいなら俺は全然構わないよ、むしろ彼氏として紹介してくれることが嬉しくて、なんか泣きそうになってきた」
「先輩、泣かないでください」
冗談かと思ったら本当に泣き出しそうになっている先輩を慌てて宥めた。先輩は本当に情緒が豊かで一緒にいて退屈な時がない。
「花白さんが彼女になってくれてよかった」
「私も先輩が彼氏でよかったです!」
私たちは照れて俯いた。俯いた時にカバンの中にある柚子味のキャンディーが視界に入った。
このまま二人で俯いてるのも何だから、私はキャンディーを取り出して先輩に渡した。
「先輩、これどうぞ」
「ありがとう、花白さんと同じ名前だ!」
「はい!昔から柚子味とか柚子の香りとか書いてあると勝手に親近感が湧いちゃって惹かれちゃうんです」
「花白さんらしくて可愛い、いただきます」
先輩はよく私に可愛いと言ってくれる。お世辞でも嬉しいし、恥ずかしくていつも上手く返答できないけど内心はドキドキして踊り出してしまいそうだ。
私も口の中にキャンディーを入れた。優しい柚子の香りが広がった。
「柚子っていい匂いだよな」
先輩が何気なく放った一言に胸が熱くなった。私のことじゃないのに、私が言われてるみたいでなんだか恥ずかしい。
柚子って、柚子、柚子…。先輩に名前を呼ばれてるみたいで、胸が苦しくなる。
「ん?花白さんどうかした?顔が赤いけど」
「先輩が、先輩が…。」
「ん?俺!?」
「先輩が柚子っていい匂いって言ったから、名前を呼んでもらえたみたいで嬉しくて…もう一回、柚子って言ってくれませんか?」
私の言葉を聞いた上崎先輩は目を見開いていた。
「花白さん、じゃなくて、名前で呼んで欲しいんです…私…わがままですみません」
先輩と付き合って二ヶ月間、ずっと言いたかったけど我慢していたことだった。
私はいつからこんなに欲張りな人間になったんだろう。こんなにわがままでいつか先輩に嫌われてしまう。
「花白さんがいいなら名前で呼びたい、それに俺のことも上崎先輩じゃなくて樹って呼んで」
「先輩を呼び捨てなんて出来ません!!」
「じゃあ、君付けでもいいから!先輩とか苗字だとなんか、恋人らしくない気がするんだ。俺、もっと花白さんじゃなかった、柚子と仲良くなりたいから、わがままなんて思わないからなんでも言って欲しい。」
先輩の優しさに涙が溢れる。
先輩がどんどん好きになっていく。
先輩に呼ばれた名前が耳に響いて体中が熱くなる。
「先輩…好きです」
溢れ出した涙は頬を伝い先輩の机に落ちた。先輩は優しく私の頭を撫でてくれた。
「先輩は卒業しようぜ、もっと踏み込んで欲しい」
「分かりました、い…樹君」
初めて口にする樹君という言葉は震えていて、だけど力強かった。
「ありがとう、俺のわがまま聞いてくれて。よし、泣き止んだらあちこち回ろうか!」
「はい!」
私たちは手を繋いで教室から飛び出した。
大好きな先輩と過ごした一日は幸せで満ち溢れていた。初めて手を繋いだり、頭を撫でられたり、名前を呼んでもらったり。
絶対に忘れられない日、今日は私の恋が動き出した、そんな大切な日。
昨日の私より今日の私が好き、だって先輩を昨日より好きになれるから。
樹君、今日も大好きです。
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