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*外伝 …スピンオフ…*
Episode.my friend
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「はぁっ?何言ってんだ?お前…」
「何って、事実を話しただけ、それに事後報告だと怒るだろ?奈津は」
俺はたった今、耳に入ってきた情報を脳が理解しきれていないのを全身で感じていた。俺はただ、目の前で涼しい顔をして天体関係の雑誌に目を通している、心友の佐野奏太に掛ける言葉を探す余裕すらない。
「奈津にしては、リアクションがいいね…奈津は何を話しても自分の興味のある事以外、無頓着なのに…やっぱり、血の通った姪の話だとそんな表情になるんだ…長い付き合いだけど知らなかった」
佐野は、雑誌を片手にガラス張りのテーブルに置かれている、アイスコーヒーを手に取り、口に含んだ。
俺は、何回か深呼吸を繰り返して漸く、口を開いた。
「あのさ…平さんは何て言ってるんだ?…怒るだけじゃ済まない話だろ…」
佐野は雑誌から俺に視線を合わすと、涼しい顔をしたまま、こう告げる。
「当たり前に怒られた、そして本気で殴られたし、土下座もした…だけど俺はそれ以上に千愛紀の事を大切にしたい気持ちを話してきた、愛美さんの元に一週間通って、漸く許してもらえたよ」
「漸くって…平さんが落ち込んでたのはそれかよ…すぐに分かるから何て言ってたけど…それは平さんにはダメージだな」
佐野は雑誌を読み終えたのか、新しい雑誌を足元にある袋から取り出して眺め始めた。昔から、そうだけどこいつはイマイチ感情表現が下手である。今だって本当は緊張しているくせに、顔は涼しいままだけど、深く息を吸うタイミングの音が少し震えていたりする。
俺は佐野に自分の思った事を口にした。
「佐野と千愛紀って似てるよな…本当は誰よりも感情的なのに、それを表す術を知らない…特に佐野は昔からそうだよな」
俺の言葉に反応した佐野は呟いた。
「そうかな」
俺の佐野を見つめながら頷いた。
佐野がもっと感情表現が豊かだったら、今日の話も泣きながらしてくれたのかもしれない。本当はどう思っているのか、表情には現れない、この心友は、本当は愛美兵という人間にどれ程必死で千愛紀への愛を伝えたのか、俺には想像がつかなかった。
俺は再び、佐野に視線を合わせて口を開いた。
「それで、千愛紀は残りの学校はどうするんだ?体調とか、周りの生徒にバレたらお前だってクビになるんじゃねーの?それに悠人辺りが友達にぽろっと口を零したりしたら…」
俺の問いに佐野は表情を変えずに答えた。佐野の視線は、二冊目の天体関係の雑誌に注がれたままだ。
「悠人と千幸紀は大丈夫だ、俺がもしクビになったら、今まで貯金してきた金で新しい事業でも始めるさ、千愛紀の事は千愛紀と話して決めたけど、残りの高校生活を楽しみたいから、自宅学習期間に入るまで体調が悪くても通う事にしたから、それが千愛紀の意思だったから」
俺は佐野が俺の部屋に来て一番に口にした事を思い出した。彼は俺の顔を見つめてこう口にした。
「千愛紀と卒業したら結婚する…それと、千愛紀が俺の子を妊娠した」
そんな大ニュースを涼しい顔で告げた後、すぐにアイスコーヒーを度々、口に運ぶ彼に驚きが隠せなかった。
俺はそんな事を思い返しながら、自分用のミルクティーに口をつけた。
「奈津は変わらないよね…昔から奈津の好きな物はあの人に合わせてる…今もだろ?本当は紅茶よりコーヒーが好きなくせに、あの人に合わせていくうちに、自分の好きな物が変わってしまうんだ…奈津はいつまでそうやっているんだい?」
俺は佐野の言葉を聞いて、鼻で笑って返した。
「あの人の好きな物は僕の物なんだ、俺とあの人は一緒でなければならない」
俺はそう思っていた。本心から。
「ふふっ、相変わらずだね奈津は…生物学的に反する事は動物としてはいけないけど、俺は奈津の恋愛について口出しする気はないよ」
俺は佐野の言葉に頷いた。生物学に反する…か。
佐野の言葉の通り、俺の好きな人は異性ではない。男性なのだ。それも年齢も一回りくらい離れている。
この事は、佐野と平さんにしか話していない。それに、俺には二人しか信頼を寄せる相手はいなかった。
平さんは妙な縁で高校二年生の時に知り合った。本当に妙な縁だった。
獄中にいる腹違いの兄…千幸さんと千愛紀の父親に当たる人の心友が平さんで、兄さんの考えた計画を遂行する為に平さんと知り合ったのがきっかけで、今では平さんには仕事やプライベートで親しくしてもらうようになった。
そして、目の前いる佐野とは小学校の時に知り合って、今現在も心友として存在してくれている。
俺は昔の事を思いながらミルクティーを、ちびちびと喉へ流していた。
そんな俺に雑誌から視線を上げた佐野が儚げに呟いた。
「本当に不思議だよな…俺は奈津と出会ってなければ千愛紀と知り合えなかった、もっと言うと平さんと咎愛さんが知り合ってなかったら、俺は恋愛感情を知らずに死んだかもしれないな…」
「本当だな、巡り合わせって不思議だな…」
俺は佐野の言葉を聞いて、自分の過去についてゆっくりと振り返る。
あれは、俺が高校に入学したばかりの頃。
父親と仕事の関係者の会食に招かれた俺は、食べ飽きたフレンチ料理を口に運びながら、高層ビルから見えるつまらない夜景に目を馳せていた。
「では、失礼します」
「萩野目さん、ありがとうございます」
父親に深々と頭を下げて、媚びを売る。そんな大人達の会話を耳にしながら、俺は濃厚な葡萄ジュースを口にする。
「はぁ…俺もあぁなるのか…」
ポツリと漏らした本音は、誰の耳にも入る事はなく、虚空へと寂しく消えていく。
会食も終わりが近付き、フロアの中に客人が数えきれる程に減った時、俺の肩をよく知った人が二回、トントンと叩いてきた。
俺は、ゆっくりと背後を振り返り、その人物に対して口を開いた。
「お疲れ、父さん」
「あぁ、すまないな奈津、学業の傍ら遅い時間まで付き合わせたくはないのだが、家が主催のパーティーだと次期当主も参加させないと周りが煩いからな…本当にすまないな」
すまないといいながら、眉根を下げた父親に俺は愛想笑いをしながら呟く。
「大丈夫だよ父さん、これも俺にとっては、立派な社会なんだ、俺の中で学業に分類されるから謝られる必要はないよ」
俺は自分の家庭が世界規模で有名で、そんな大きなものを背負わされて生きる事に目を背けず、幼い頃から経営や、社会的マナーを学び、父親の仕事の知り合いには顔を売って生きてきた。
だからこそ、こうして自分の意志を持たずに萩野目家という家庭の決められた人生を歩んでいけるのだろう。
そんな事を考えながら、父親に視線を合わせた時、父親は何かを決意したように拳を強く握りしめ、唇を小さく震わせていた。
「父さん?どうかしたの?」
俺の問い掛けに父は苦し気な笑みを浮かべてから口を開いた。
「奈津、お前に話しておきたい事があるんだ、本当は一生黙っておくつもりだったが、やはり、打ち明けておくべきだと思ったんだ」
「父さん?」
今まで生きてきた中で、父さんのこんなに苦しそうな顔は見たことがなかった。
父さんは今にも崩れ落ちそうなくらい、身体を震わせながら僕に背を向けて歩き出した。萩野目家の事なら幾らでも聞いてきた、隠し財産、萩野目家の為に命を落とした人間、裏切りを働いた人間…。どんな黒い話も聞いてきたから今更、父さんがあんなにも感情的になる話が思い浮かばなくて首を傾げるしかなかった。
パーティーも静かに幕を閉じ、僕は父さんに呼び出された、ビルの最上階まで足を進めていた。
「失礼します…」
俺は二回ノックをした後、返事を待たずに室内に足を侵入させた。室内は会議室という名目だが、中には机はなく室内中を取り囲むように様々な水槽が置かれ、水槽の中を色鮮やかな複数の魚がヒラヒラと舞を踊るように泳いでいた。
父さんは俺の視界の一番奥に見える水槽を覗き込みながら、電子タバコを吹かしていた。
「パーティー、お疲れ様…それで、さっきの話って何かな?」
いつもと纏っている雰囲気の違う父に戸惑いを覚えながらも、俺は父の背中に向かって声を掛けた。
父さんは俺の声に振り向かないまま口を動かした。水槽越しに見える父の表情は、まるで別の世界の住民になってしまったような、そんな切なさを感じさせた。
「なぁ、奈津…父さんはお前の産まれる前に、母さんを一度裏切っているんだ…」
「うん…?」
母さんを裏切る…。
萩野目家の当主である父は、愛妻家で有名で、俺の生きてきた中で喧嘩をしている姿を見た事はない。それに、一人息子である俺の事も俺が遠慮するくらい愛してくれている。
そんな父が母を裏切るなんて事は信じ難いが、だけど、それをここまで深刻なムードで打ち明ける必要はあるのだろうか?
「奈津…裏切る…の言葉の意味は分かっているだろう?そして…それがどういう意味を孕んでいるのかも…」
「はっきり言ってしまうと、浮気をしたって事でしょう?だけどその言葉の意味が俺には分からない…ましてや父さんが一度の浮気をここまで悔いる理由も分からないよ」
俺の言葉に父さんは項垂れながら呟いた。低く、暗い、沈んだ声で。
「奈津…お前の産まれる前に、父さんは風俗の女性と関係を持ち、そして…」
暫くの間があった。
暫くの躊躇いがあった。
そして、父は自分で作り上げた沈黙を打ち破る。
「そして…彼女には子供が出来た…」
俺は、父の告白に生唾をゴクリと飲み込んだ。そして、父は言葉を続ける。
「情け無い事に俺は彼女から逃げ出した、子供を下ろすように説得したが、彼女は首を縦には振らなかった、当時、俺の頭には萩野目家の名誉を傷付けられる事への恐怖が渦巻いていた…」
「…………うん、」
それしか思いつく言葉がなかった。俺はただ、悪い夢のような話を無表情で淡々と聞いているしか出来なかった。
「俺は彼女の前から姿を消した、連絡先も変えて、 彼女がもし俺を訪ねて来るようなら、裏の手を借りて始末する事も考えた…だけど、彼女はあの日から俺の前には、現れなかった…美しい女だった…透けるほどに肌が白く、赤い紅の似合う、ブラウンの髪の女…今でも忘れられないよ…」
俺は、目の前にいる父を遠く感じながらそっと唇を動かした。そっと、掠れた声で問い掛けた。
「…その人は今、どうしているの…?」
父さんは唇を強く噛み締めた後、煙草の煙を体内に送り込んだ。
そして、重たい唇を動かす。
「彼女はもう…亡くなったよ…自殺だった…それで、俺が何故こうして今更、後悔をしているかを話そう…彼女だけなら、忘れられていたんだ…昔の過ちだと決めて生きてこれた、だが、俺の過ちは自分が思っていたより大きいものだった…」
「それって」
「俺と彼女の息子の存在だよ…」
「そんなっ、もしかして、父さんの後継に関与してきたの?だけど…そんな事…」
後継、仮にも萩野目家の息子なら、息子だと気が付いたならきっとこの莫大な財閥の権力を手に入れたがるだろう。
だがら俺の考えを否定するように、父は首を横に振った。
「後継で済むなら良かったんだ…そうじゃないのさ…彼は今、罪人として悪魔の鳥籠にいる…」
罪人…。カナリア…。
俺は言葉を失って俯いた。
「俺の腹違いの兄さんの犯した罪は何?家の名誉の為にも大金叩いて保釈してもらうべきじゃないの?口止め料だって払えば世間には広まらないだろ…」
「それが可能ならもうそうしているさ…奈津…お前の思っているような軽い罪ではないんだ…彼が犯した罪は、償いきれない…」
父さんはゆっくりと深く煙草の煙を吸い込んだ。そして、躊躇うように小さく煙を吐き出す。
「彼が犯したのは、殺人だ…それも一人ではない…お前も記憶に新しいだろう?十七人連続殺害事件…」
「父さん…何を言っているんだ?…あの事件…が…嘘だろ…?なぁっ…何か言えよ!何なんだよっ!?」
取り乱す俺を鎮める事もなく、父さんは口を開いた。
「彼が…俺の息子だと、最初は気が付かなかった…だけど…あの名前…松雪咎愛…気になって調べたんだ…施設育ちのブラウン…あの時の彼女を連想させた…」
俺は父の言葉を理解出来ずに口を噤んだ。
俺と父さんはこの日から僅かにだが距離が産まれた。それは母には伝わらなかったが、俺と父さんには確実に感じ取れる何かだった。
それから一週間が経ち、気持ちの整理をする為に持っていた革張りの手帳に、父の話してくれた出来事を箇条書きにして書き記した。
「なんで父さんは俺にこんな事を話したのだろう…俺に話さなければ、平穏なまま暮らせたのに…、平穏なまま…俺は…」
不意に自分の口から出た言葉をそっと掌で捕まえたくなるような衝動に駆られた。
平穏、このまま。
俺は何で気が付かなかったのだろう。
俺の平穏が存在しているせいで、異母兄弟には平穏がなかった。
母は自殺、幼い頃施設暮らし、父の顔も知らずに平穏とは掛け離れた毎日を過ごしていたかもしれない…。
謝らないと。
俺はそう強く思った。
そして俺は彼に、会いに行く事を決めた。
自分の口で謝る為に。
* 「奈津、何考えてんの?その顔は咎愛さんの事かな?」
俺の前で寛いでいる心友は俺の表情を見て、クスリと笑みを漏らした。俺は兄さんの事を考えていると顔に出てしまうらしい。
佐野には隠し通せないみたいだ。
「あぁ、兄さんの事考えてた、兄さんは俺の事どうでもよかったみたいだけど、俺は兄さんの事、それなりに大切に思ってた…いや、大好きだった」
佐野は涼しい顔で笑う。
そして、こう呟いた。
「奈津らしいな」
それは俺の胸にじんわりと広がっては消えていく泡のような感覚を与える言葉だった。
らしい、なんて俺の事をよく知る人しか使えない言葉だから…。
こうしてこの日は穏やかに過ぎていった。
俺は今は亡き兄さんに想いを寄せる…。
来世では兄さんと一緒に平穏な日常を送れますように…と。
「何って、事実を話しただけ、それに事後報告だと怒るだろ?奈津は」
俺はたった今、耳に入ってきた情報を脳が理解しきれていないのを全身で感じていた。俺はただ、目の前で涼しい顔をして天体関係の雑誌に目を通している、心友の佐野奏太に掛ける言葉を探す余裕すらない。
「奈津にしては、リアクションがいいね…奈津は何を話しても自分の興味のある事以外、無頓着なのに…やっぱり、血の通った姪の話だとそんな表情になるんだ…長い付き合いだけど知らなかった」
佐野は、雑誌を片手にガラス張りのテーブルに置かれている、アイスコーヒーを手に取り、口に含んだ。
俺は、何回か深呼吸を繰り返して漸く、口を開いた。
「あのさ…平さんは何て言ってるんだ?…怒るだけじゃ済まない話だろ…」
佐野は雑誌から俺に視線を合わすと、涼しい顔をしたまま、こう告げる。
「当たり前に怒られた、そして本気で殴られたし、土下座もした…だけど俺はそれ以上に千愛紀の事を大切にしたい気持ちを話してきた、愛美さんの元に一週間通って、漸く許してもらえたよ」
「漸くって…平さんが落ち込んでたのはそれかよ…すぐに分かるから何て言ってたけど…それは平さんにはダメージだな」
佐野は雑誌を読み終えたのか、新しい雑誌を足元にある袋から取り出して眺め始めた。昔から、そうだけどこいつはイマイチ感情表現が下手である。今だって本当は緊張しているくせに、顔は涼しいままだけど、深く息を吸うタイミングの音が少し震えていたりする。
俺は佐野に自分の思った事を口にした。
「佐野と千愛紀って似てるよな…本当は誰よりも感情的なのに、それを表す術を知らない…特に佐野は昔からそうだよな」
俺の言葉に反応した佐野は呟いた。
「そうかな」
俺の佐野を見つめながら頷いた。
佐野がもっと感情表現が豊かだったら、今日の話も泣きながらしてくれたのかもしれない。本当はどう思っているのか、表情には現れない、この心友は、本当は愛美兵という人間にどれ程必死で千愛紀への愛を伝えたのか、俺には想像がつかなかった。
俺は再び、佐野に視線を合わせて口を開いた。
「それで、千愛紀は残りの学校はどうするんだ?体調とか、周りの生徒にバレたらお前だってクビになるんじゃねーの?それに悠人辺りが友達にぽろっと口を零したりしたら…」
俺の問いに佐野は表情を変えずに答えた。佐野の視線は、二冊目の天体関係の雑誌に注がれたままだ。
「悠人と千幸紀は大丈夫だ、俺がもしクビになったら、今まで貯金してきた金で新しい事業でも始めるさ、千愛紀の事は千愛紀と話して決めたけど、残りの高校生活を楽しみたいから、自宅学習期間に入るまで体調が悪くても通う事にしたから、それが千愛紀の意思だったから」
俺は佐野が俺の部屋に来て一番に口にした事を思い出した。彼は俺の顔を見つめてこう口にした。
「千愛紀と卒業したら結婚する…それと、千愛紀が俺の子を妊娠した」
そんな大ニュースを涼しい顔で告げた後、すぐにアイスコーヒーを度々、口に運ぶ彼に驚きが隠せなかった。
俺はそんな事を思い返しながら、自分用のミルクティーに口をつけた。
「奈津は変わらないよね…昔から奈津の好きな物はあの人に合わせてる…今もだろ?本当は紅茶よりコーヒーが好きなくせに、あの人に合わせていくうちに、自分の好きな物が変わってしまうんだ…奈津はいつまでそうやっているんだい?」
俺は佐野の言葉を聞いて、鼻で笑って返した。
「あの人の好きな物は僕の物なんだ、俺とあの人は一緒でなければならない」
俺はそう思っていた。本心から。
「ふふっ、相変わらずだね奈津は…生物学的に反する事は動物としてはいけないけど、俺は奈津の恋愛について口出しする気はないよ」
俺は佐野の言葉に頷いた。生物学に反する…か。
佐野の言葉の通り、俺の好きな人は異性ではない。男性なのだ。それも年齢も一回りくらい離れている。
この事は、佐野と平さんにしか話していない。それに、俺には二人しか信頼を寄せる相手はいなかった。
平さんは妙な縁で高校二年生の時に知り合った。本当に妙な縁だった。
獄中にいる腹違いの兄…千幸さんと千愛紀の父親に当たる人の心友が平さんで、兄さんの考えた計画を遂行する為に平さんと知り合ったのがきっかけで、今では平さんには仕事やプライベートで親しくしてもらうようになった。
そして、目の前いる佐野とは小学校の時に知り合って、今現在も心友として存在してくれている。
俺は昔の事を思いながらミルクティーを、ちびちびと喉へ流していた。
そんな俺に雑誌から視線を上げた佐野が儚げに呟いた。
「本当に不思議だよな…俺は奈津と出会ってなければ千愛紀と知り合えなかった、もっと言うと平さんと咎愛さんが知り合ってなかったら、俺は恋愛感情を知らずに死んだかもしれないな…」
「本当だな、巡り合わせって不思議だな…」
俺は佐野の言葉を聞いて、自分の過去についてゆっくりと振り返る。
あれは、俺が高校に入学したばかりの頃。
父親と仕事の関係者の会食に招かれた俺は、食べ飽きたフレンチ料理を口に運びながら、高層ビルから見えるつまらない夜景に目を馳せていた。
「では、失礼します」
「萩野目さん、ありがとうございます」
父親に深々と頭を下げて、媚びを売る。そんな大人達の会話を耳にしながら、俺は濃厚な葡萄ジュースを口にする。
「はぁ…俺もあぁなるのか…」
ポツリと漏らした本音は、誰の耳にも入る事はなく、虚空へと寂しく消えていく。
会食も終わりが近付き、フロアの中に客人が数えきれる程に減った時、俺の肩をよく知った人が二回、トントンと叩いてきた。
俺は、ゆっくりと背後を振り返り、その人物に対して口を開いた。
「お疲れ、父さん」
「あぁ、すまないな奈津、学業の傍ら遅い時間まで付き合わせたくはないのだが、家が主催のパーティーだと次期当主も参加させないと周りが煩いからな…本当にすまないな」
すまないといいながら、眉根を下げた父親に俺は愛想笑いをしながら呟く。
「大丈夫だよ父さん、これも俺にとっては、立派な社会なんだ、俺の中で学業に分類されるから謝られる必要はないよ」
俺は自分の家庭が世界規模で有名で、そんな大きなものを背負わされて生きる事に目を背けず、幼い頃から経営や、社会的マナーを学び、父親の仕事の知り合いには顔を売って生きてきた。
だからこそ、こうして自分の意志を持たずに萩野目家という家庭の決められた人生を歩んでいけるのだろう。
そんな事を考えながら、父親に視線を合わせた時、父親は何かを決意したように拳を強く握りしめ、唇を小さく震わせていた。
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「父さん?」
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父さんは俺の視界の一番奥に見える水槽を覗き込みながら、電子タバコを吹かしていた。
「パーティー、お疲れ様…それで、さっきの話って何かな?」
いつもと纏っている雰囲気の違う父に戸惑いを覚えながらも、俺は父の背中に向かって声を掛けた。
父さんは俺の声に振り向かないまま口を動かした。水槽越しに見える父の表情は、まるで別の世界の住民になってしまったような、そんな切なさを感じさせた。
「なぁ、奈津…父さんはお前の産まれる前に、母さんを一度裏切っているんだ…」
「うん…?」
母さんを裏切る…。
萩野目家の当主である父は、愛妻家で有名で、俺の生きてきた中で喧嘩をしている姿を見た事はない。それに、一人息子である俺の事も俺が遠慮するくらい愛してくれている。
そんな父が母を裏切るなんて事は信じ難いが、だけど、それをここまで深刻なムードで打ち明ける必要はあるのだろうか?
「奈津…裏切る…の言葉の意味は分かっているだろう?そして…それがどういう意味を孕んでいるのかも…」
「はっきり言ってしまうと、浮気をしたって事でしょう?だけどその言葉の意味が俺には分からない…ましてや父さんが一度の浮気をここまで悔いる理由も分からないよ」
俺の言葉に父さんは項垂れながら呟いた。低く、暗い、沈んだ声で。
「奈津…お前の産まれる前に、父さんは風俗の女性と関係を持ち、そして…」
暫くの間があった。
暫くの躊躇いがあった。
そして、父は自分で作り上げた沈黙を打ち破る。
「そして…彼女には子供が出来た…」
俺は、父の告白に生唾をゴクリと飲み込んだ。そして、父は言葉を続ける。
「情け無い事に俺は彼女から逃げ出した、子供を下ろすように説得したが、彼女は首を縦には振らなかった、当時、俺の頭には萩野目家の名誉を傷付けられる事への恐怖が渦巻いていた…」
「…………うん、」
それしか思いつく言葉がなかった。俺はただ、悪い夢のような話を無表情で淡々と聞いているしか出来なかった。
「俺は彼女の前から姿を消した、連絡先も変えて、 彼女がもし俺を訪ねて来るようなら、裏の手を借りて始末する事も考えた…だけど、彼女はあの日から俺の前には、現れなかった…美しい女だった…透けるほどに肌が白く、赤い紅の似合う、ブラウンの髪の女…今でも忘れられないよ…」
俺は、目の前にいる父を遠く感じながらそっと唇を動かした。そっと、掠れた声で問い掛けた。
「…その人は今、どうしているの…?」
父さんは唇を強く噛み締めた後、煙草の煙を体内に送り込んだ。
そして、重たい唇を動かす。
「彼女はもう…亡くなったよ…自殺だった…それで、俺が何故こうして今更、後悔をしているかを話そう…彼女だけなら、忘れられていたんだ…昔の過ちだと決めて生きてこれた、だが、俺の過ちは自分が思っていたより大きいものだった…」
「それって」
「俺と彼女の息子の存在だよ…」
「そんなっ、もしかして、父さんの後継に関与してきたの?だけど…そんな事…」
後継、仮にも萩野目家の息子なら、息子だと気が付いたならきっとこの莫大な財閥の権力を手に入れたがるだろう。
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「彼が犯したのは、殺人だ…それも一人ではない…お前も記憶に新しいだろう?十七人連続殺害事件…」
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「彼が…俺の息子だと、最初は気が付かなかった…だけど…あの名前…松雪咎愛…気になって調べたんだ…施設育ちのブラウン…あの時の彼女を連想させた…」
俺は父の言葉を理解出来ずに口を噤んだ。
俺と父さんはこの日から僅かにだが距離が産まれた。それは母には伝わらなかったが、俺と父さんには確実に感じ取れる何かだった。
それから一週間が経ち、気持ちの整理をする為に持っていた革張りの手帳に、父の話してくれた出来事を箇条書きにして書き記した。
「なんで父さんは俺にこんな事を話したのだろう…俺に話さなければ、平穏なまま暮らせたのに…、平穏なまま…俺は…」
不意に自分の口から出た言葉をそっと掌で捕まえたくなるような衝動に駆られた。
平穏、このまま。
俺は何で気が付かなかったのだろう。
俺の平穏が存在しているせいで、異母兄弟には平穏がなかった。
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謝らないと。
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「あぁ、兄さんの事考えてた、兄さんは俺の事どうでもよかったみたいだけど、俺は兄さんの事、それなりに大切に思ってた…いや、大好きだった」
佐野は涼しい顔で笑う。
そして、こう呟いた。
「奈津らしいな」
それは俺の胸にじんわりと広がっては消えていく泡のような感覚を与える言葉だった。
らしい、なんて俺の事をよく知る人しか使えない言葉だから…。
こうしてこの日は穏やかに過ぎていった。
俺は今は亡き兄さんに想いを寄せる…。
来世では兄さんと一緒に平穏な日常を送れますように…と。
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