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*外伝 …スピンオフ…*
Don't cry
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「おぉっ!!!それでっ!それで、どうなったのよ!?早く早く!」
テーブルに向かい合わせで座っている友達の迫力に負けそうになりながら、私は友達の田中沙織に苦笑いをして返した。
「沙織、落ち着いて…ちゃんと、話すから!」
「もうっ、焦らさないでよ!それで、例の彼とはどうなったのよ!?」
沙織の言う、例の彼とは私が想いを寄せている素敵な男性…愛美平さんの事だった。
平さんは私が教育実習生の頃から双子の娘さん達を預かっていて、知り合ってから約五年程の関係になる。
「えっと…連絡先を交換して…来週、家族旅行に一緒に来ませんか…って誘ってもらったの…」
「えぇっ!?やったね!紅花!!!これで紅花のヴァージンもさようならか…」
沙織は私の言葉に大袈裟に反応しながら、目の前の大きなパフェにスプーンを突き刺しては口に運んでいる。
「ヴァージン卒業なんて分からないよ!それに愛美さんはそんな人じゃないし…それに、私が楽しみにしてるのは千幸紀ちゃんと千愛紀ちゃんと一緒にいれることが大きいんだから!そんな不謹慎な事、一切考えてないんだからねっ」
沙織が私の事を心配してくれているのも理解しているし、有難いとも思ってる。だけど、私だっていつまでも過去に囚われているわけではない。
「えっ…つまんないの…紅花も早く卒業しないと…変な人に付けられたりしたら嫌じゃない?愛美さんはそこら辺、大丈夫そうなの?」
沙織のいう、大丈夫…の意味は私の中でずっと居座っている恐怖感の事だった。
その恐怖感を開けてみると、以前の恋人からの暴力行為が根源として存在している。
同棲するまで知らなかった、彼の一面を私は未だに引きずっては怯えているのだった。
私は心配そうに、私の顔を覗き込んでいる沙織に笑顔でこう答えた。
「愛美さんは大丈夫だと思う…きっと…」
沙織はパフェに添えられていたミントの葉っぱを指でつまんで、口に運んだ。
「紅花が幸せになれるなら、私はそれでいいの…今度こそ、幸せになってよね!」
パフェに添えられている葉っぱを好んで頬張る人は、この世の中に何パーセント存在するのだろうか?妥協ではなく、自ら好んで口に入れる人間は、何パーセント存在しているのだろう…?
その疑問と同じで、私のような変わった人間を相手にしてくれる人間は…踏み込んで言えば、男性は、何人いるのだろうか…?
愛美平さんは、その対象になるんだろうか…。
私には、以前の恋愛関係だけではなく、色々な柵が多過ぎて、時に自分に自信がなくなる。それなのに、こうしてまた、人を好きになってしまう…。
これは私の弱いところなのだ…。
愛美さんにはお子さんもいる、それは重々理解しているけれど、だけど…好きになってしまっていた。
「沙織はさ、旦那さんとどうなの?」
私は、自分の恋愛話をするのが恥ずかしくなって、沙織の旦那さんについて話を振って逃げ出した。
「んー?普通だよ!夜の方も普通だし、日常生活も普通、でも、そろそろ私も二十六歳だから子供の事を考え始めたかな…」
沙織は私の強引な話題転換を気にしていないようでホッと胸を撫で下ろした。
* 沙織と別れてから私は一人で花屋に立ち寄り、生花を購入してから車を一時間程走らせていた。
明日は平日の為、仕事で赴けない母の墓参りに向かっているのだ。正確に言えば、母と父の。
父は私が幼い頃に病気で亡くなってしまった。母は五年前に事故で亡くなった。こうして両親を亡くした私には、兄弟もいない為、墓の管理は私と親戚で行なっていた。
親戚は県外に住んでいて中々、足を運べない為、私が月に一回、二人の眠る墓標に出向いている。
そして、明日は母の命日だから、どうしても今日、二人の元へ出向きたかった。
私は車を止めて、貸出用の柄杓とバケツ、生花と線香を手に持つと、二人の元へ足を運ぶ。
『市原家』と書かれた墓標に辿り着くと、活けられていた花を交換し、柄杓で水を入れる。
暮石に水を掬って流して、少しでも二人の眠る場所を綺麗にする為に手を動かす。
備え付けの蝋燭に火を灯して、線香に灯を灯す。
私はゆっくりと屈んで、二人の眠る墓標に手を合わせる。
「お母さん、お父さん、明日は仕事だから一日早く会いに来たよ…いつもありがとう…ゆっくり休んでね」
私はそっと立ち上がると、身の回りの片付けを済ませてからその場を後にした。
歩きながら私の脳内には、いつか聞いた、愛美さんの言葉が浮かんでは流れていく。
『千幸紀と千愛紀の両親はもういない…』
愛美さんは二人の事を本当に心から愛している。園内で妙な噂がたっても、顔色一つ変えず、凛としていて…。
亡くなった両親に変わって、二人を産まれたての状態から育てるなんて…誰もが出来る事ではない。ましてや、愛美さんは二人と一滴の血の繋がりもない…。心友の子だから、という理由で二人を預かり、日々を過ごしている。
二人の両親の事は知らない…。
だけど…私にも何か出来る事があるのではないか…。その考え自体が浅はかなのか…。
私はあの日から自問自答を繰り返しては、未回答のまま曖昧に現実を過ごしている。
それでいいのか…何が正しいのか分からないまま…。
*「これで全員か?八人だよな?佐野君と俺と奈津で運転手は回そうぜ、紅花先生はすみませんが、三人のチビ達をよろしくお願いします…はしゃいで怪我しないように見ておいて下さい…悠人なんか、悠人のお父さんから聞いたけど…昨日から大騒ぎだったらしいから…」
そう言いながら苦笑いを零す愛美さんは、今日もとびきり素敵だった。そんな愛美さんに視線が定まったまま、ぽうっと見惚れていると、私の顔をこっそりと覗いてクスクスと笑う声が三つ。
「こらっお前達、何笑ってんだ?早く車乗らないと歩いて来てもらうからな!」
愛美さんの声に、私を揶揄っていた千幸紀ちゃんと千愛紀ちゃん、悠人君の声はピタリと止んで車の方へ駆けて行った。
「ふふっ可愛い!」
私は三人の後ろ姿を見送りながら笑みを零した。
愛美さんは三人を車に乗せると、自分は運転席に乗り込んだ。私も車に乗り込んで、三人の隣に腰を下ろした。
こうして、楽しみにしていたゴールデンウィークの旅行が始まった。
三人の子供達は小さなリュックの中からお菓子を取り出してはニコニコと笑みを零していた。
「べにかせんせいっ!パパにはナイショだよ!」
「ないしょ…」
「はやくたべないとばれるぜっ!おじさんはおこるとこわいから」
三人の小さな手から私に宝石のようなグミが一粒ずつ渡されて、私も思わず笑みを零す。愛美さんには悪いけれど、ここは三人の共犯になってしまおう…。
私はグミを頬張りながら、運転席にいる愛美さんに視線を送った。運転する姿もなかなか様になっていて、見ていると引き込まれてしまいそうになる。
助手席に座る男性…萩野目奈津さんは、千幸紀ちゃんと千愛紀ちゃんの叔父に当たる人になると、愛美さんから聞かされていた。そして私達の座る席の後ろ…後部座席に座っているのは、奈津さんの心友の佐野奏太さんで、大学生と聞かされていた。
佐野さんも奈津さんも男性なのに、人形の様な綺麗な顔立ちをしていて、迂闊には話し掛けにくいオーラを纏っていた。特に佐野さんは黙っていると、本当に彫刻と見紛う程に生きているような…生命活動をしていないような気がした…もっとはっきり言ってしまえば、佐野さんからは覇気を感じられなかった。
そんなメンバーで車に揺られる事、一時間。
三人の子供達は愛らしい寝息を立て、肩を並べて夢の世界に入っていた。
佐野さんは涼しい顔で読書をしていたが、疲れたのか本を閉じ、瞳を閉じていた。
そんな静まり返った車内に奈津さんと愛美さんの親しげな会話が聞こえて来た。
「兄さんとアリスさんは旅行とかしなさそうだよね…二人で図書館に行ってそう…
「んっ!確かに!咎愛達は静かな人だからな…人気が多い場所は嫌いそうだな…咎愛に関しては、水辺も嫌いだし!まぁ、チビ達がいれば、二人も外出したのかもな…想像付かねーけど」
愛美さんは奈津さんに優しく笑い掛ける。きっと二人には、もう、此処にはいない二人の姿が見えているのだろう…。
二人の表情は懐かしい者に想いを寄せている 。そんな表情を浮かべていた。
二人には私の知らない誰かが存在しているんだ…。
そんな事を気にしても、どうしようもないのに、私の役立たずな脳みそはいつまでも、二人の表情を記憶してはちらつかせた。
そんな私に気が付いていたのか、奈津さんが柔らかい声色で、私に声を掛ける。
「市原さん、紅花先生?なんて呼ぶべきなのかな?取り敢えず、市原さん、何か飲みますか?喉乾いたでしょ?」
「えっ、あのっ」
戸惑っている私を見て、奈津さんは涼しい顔で笑みを零した。そして、後ろに座っている佐野さんに声を掛けて、佐野さんの眠りを遮った。
「佐野、市原さんにお茶と、僕は炭酸水、平さんはアイスコーヒーでいい?」
「ああ、頼む」
佐野さんが私にペットボトルを三本渡してくれて、二人にお茶以外のドリンクを手渡した。
「市原さん、ありがとうございます」
佐野さんと奈津さんからお礼を言われて、私も二人に会釈で返した。
「いただきます」
私達は、子供達の寝息を聞きながら冷たいドリンクを味わった。愛美さんから、車に乗ると眠って起きないとは聞いていたけれど、本当に魔法にかけられたように眠る、三人の姿は愛らしくて、いつまでも見ていられた。
三人はどんな夢を見ているのだろう…。
そんな事を考えていると、私もいつの間にか眠りについてしまっていた。
*「着いたぞ!長旅ご苦労様!今日は此処でキャンプ体験して、夜は旅館に泊まる予定だ、チビ達はやりたい事沢山やって、いい思い出作ろうぜ」
愛美さんは爽やかな笑みを浮かべながら、子供達を一人ずつ車から降ろしていった。
「紅花先生も、降りれますか?疲れてないですか?」
「全然大丈夫ですっ!ありがとうございます」
走り回る子供達にチラチラと視線を送りながら、愛美さんは私に笑みを向けてくれた。
「それなら良かった!先生も肩の力抜いて楽しんで下さいね」
愛美さんの優しさに心臓がドキドキと音を立て、顔から湯気が出そうな程、顔が紅潮しているのを感じる。
いつから、こんなに好きになってしまってたのだろう…。
そもそも、この感情を初めて自覚したのは去年の今頃だった。お迎えに来ていた、愛美さんと話していた時に、千幸紀ちゃんに『せんせい、パパのことすきなの?おかおがまっかだよ』と言われたのがきっかけだった。
私は紅潮する頬を両手で抑えながら、歩き出した。
「大丈夫ですか?手、貸しますか?顔、赤いですけど、無理しないで下さいね」
「いえっ、大丈夫ですっ!ちょっと私もはしゃいじゃって、川辺に来るの久しぶりだし、キャンプ体験なんて、したことないから」
愛美さんは私の顔を綺麗な瞳でじっと見つめながら口を開いた。
「俺も、川遊びは久しぶりです、先生も喜んでくれて良かったです!それじゃあいきますか」
愛美さんは、私の手を勢いよく引っ張ると、先を歩いていた皆の元へ駆け出した。私も縺れそうになる足を動かして愛美さんについて行く。愛美さんに手を掴まれている…。これだけで心臓が破裂しそうなくらいにバクバクして、息も苦しくなる。
『好き…』
絶対に口にしてはいけないワードが溢れそうになっては、泡のように消えていく。
「べにかせんせい!パパ!はやくはやく!あっちにおさかなさんがいるよ!」
俯いていた、私の目の前にはいつの間にか、先に移動していたはずの皆の姿が迫っていた。
その中でも、ポニーテールにピンクのリボンをした千幸紀ちゃんが私の前にやって来て、小さな手で私の手を握りしめた。いつの間にか愛美さんの手は離れていて、愛美さんは私の方に笑みを向けながら前方に歩いて行ってしまった。
「べにかせんせい?」
千幸紀ちゃんの声にハッとして私は我に返って、口を動かした。
「あっ!どうしたの千幸紀ちゃん?」
千幸紀ちゃんは小さな可愛らしいツヤツヤの唇を尖らせて私に告げる。
「だーかーら!おさかなさんがいるの!だからきて!」
私は千幸紀ちゃんに苦笑いしながら口を開く。
「ごめん、ごめん、ぼーっとしてた!よしっおさかなさん見に行こう!」
「うんっ!いくよっ!」
私は千幸紀ちゃんの小さな手に導かれて、川の中が見える位置までやって来た。
「わぁ…綺麗…キャンプ場ならではだよね…ううん、自然だからかな…癒される…」
独りでに呟いた私は、目の前に広がる広大な自然に言葉を失った。
キャンプ体験が出来る場所に相応しい居心地の良い場所…。川があり、森があり、耳を澄ませば、小鳥の囀りや虫の鳴き声が聞こえ、目の前には済んだ川の上を色鮮やかな蝶が舞うように揺らめいている。
目の前に広がる壮大な光景に言葉を失っていると、私の足元の小さなお姫様が不思議そうに首を傾げながら口を動かした。
「せんせい?どうしたの?」
「ううん…こんなに素敵な場所に皆と来れて良かったなって思って…」
私の言葉を聞いた千幸紀ちゃんは、ポツリと驚く事を口にした。
「ちゆきもべにかせんせいといっしょにこれてよかった…あのね…ないしょだよ…ほんとはね、パパね…べにかせんせいのことすきなんだよ」
「っえ!!!え?そんな事ないよ…愛美さんは私なんか好きじゃないよ」
しどろもどろになってしまった私にニカっと歯を見せて笑いながら、千幸紀ちゃんはツヤツヤの唇を動かした。
「ちゆきもべにかせんせいにあたらしいママになってほしいの…あきちゃんもそういっていたよ」
子供は素直、この言葉が本心から来るものだというのは、この子達と五年間共にしてきた経験から確信があった。だからこそ、私の心は震え上がる程に熱くなって苦しくなる。終わらせたい恋のピリオドが打てずに遠くに消えていきそう…。そんな、不思議な感覚に包まれて呆然と立ち尽くしていた時。
「おーい!紅花先生?千幸紀?魚獲るのか?どれっパパが大物を獲ってやるぞ」
笑顔でこちらに歩いてくるステキな男性に視線を移せないまま、私は千幸紀ちゃんの深緑色の瞳を見つめ続けた。そんな、私のことを機にする事もなく、千幸紀ちゃんは愛美さんの元へ小走りで駆け寄って行ってしまった。
「あっ!パパ!よくきたね!あっそうだ、ちゆきはゆうとくんのところにいくからあとでまたくるね」
無邪気な笑みを向けながら、千幸紀ちゃんは私と愛美さんを置いて、遠くに走り去って行ってしまった。
「あっ!千幸紀ちゃんっ!」
「なんだ、あいつ…」
急に駆け出した千幸紀ちゃんの背中を見送りながら、愛美さんは不思議そうに首を傾げてから、困ったように頭を掻いていた。
「すみません…なんだか、私なんかと取り残されてしまって…」
心の中から、込み上げてくる恥ずかしさと気まずさから、小さくなる私に愛美さんは優しく微笑むと、何かを決心したかのように唇をキュッと結んでから口を開いた。
「あのっ!紅花先生、改めてお礼が言いたくて…懇談会の日の事、ありがとうございました!俺、千幸紀が母を恋しがってたなんて知らなくて、改めて子供との向き合い方を見直すことが出来ました、本当に感謝しています…」
そう言って頭を下げた愛美さんに私はふふっと微笑んだ。
「頭を上げて下さい、私は何もしていません、愛美さんの日々の優しさや努力が、二人を幸せにしてるんです…だから、二人にお母さんがいなくても寂しい思いをさせなくて済んでいるんです、私は、ただ千幸紀ちゃんと千愛紀ちゃんの担任として二人の事を伝えただけですから」
愛美さんはゆっくりと下げていた頭を上げると、私の顔を見てにこりと笑みを零した。娘達を思う優しい笑顔、娘達を心から愛しているからこそ、溢れる笑顔だった。その顔があまりにも美しくて私はこの笑顔を一生忘れる事はないだろうと、そう思った。
「こんな機会もないですし、魚釣ったりしてみませんか?」
にこりと笑う愛美さんの提案に首を縦に振って、私は用意された釣竿を手に取った。人生で釣りなんてした事はないので、釣竿を手にするのはこれが初めての経験だった。
「ここにこうして、擬似餌を付けて…」
丁寧に説明をしてくれる愛美さんを横目に捉えつつ、私は恐る恐る糸にに餌になる疑似餌を付けてみる。
「いいですね!完璧です!あとはこうやって遠くに釣竿を送るイメージで、投げてみましょうか」
私は、愛美さんの指示に従って、釣竿を水面に向かって飛ばしてみた。
ぽちゃん…。と可愛らしい水音が響き、私の投げた釣竿は私の目の前の浅瀬にポツンと浮かんでいた。
「うーん…うまくいかないな…」
「貸して下さい!遠くに飛ばしますから」
にこっと爽やかに笑った愛美さんは、私の手から釣竿を受け取ると、いとも簡単に流れのある場所まで浮かべて見せた。
「凄い…」
感嘆の声を漏らした私に愛美さんは親指を立ててニッと笑って見せた。
「紅花先生は肩に力が入り過ぎてたのかな、リラックスしましょう!なんつって俺も釣りなんて子供の頃以来だから、偉そうな口は聞けないんですけどね」
「子供の頃はよく釣りをされていたんですか?」
私の問いに愛美さんはポツリと呟くように答えてくれた。
「小さい頃は、父さんとよく此処に来たんですよ、近くの川にも行きましたね、それから海にも行きました、夏は日に焼けて真っ黒に染まりながら夢中でした…まぁ、それも中学までなんですけど…」
言葉が終わった後の愛美さんの表情は少し儚げだった。そういえば、千幸紀ちゃんや千愛紀ちゃんから、お爺ちゃんやお婆ちゃんの話は聞いた事がない。愛美さんの言う、中学までというのはもしかして…。
その時に…中学生の時に、ご両親を亡くしている。という事なのだろうか…。
「はぁ…何かすみません…顔に出ちゃってますよね、俺って隠し事が下手なんですよ…咎愛にもよく言われたな…平は全部顔に出るよって、あはは…本当にもう…恥ずかしいな」
私は愛美さんの言葉に大きく首を横に振って答える。
「全然、恥ずかしい事なんかじゃありません…誰かを亡くしてしまう悲しみや寂しさはずっと胸の中にあるんですから…私も…両親を亡くしてるんです…社会人になって初めてお金を稼いで暮らしていく事の大変さを知りました…そして、ここまで私を育ててくれた大変さも…だから、恩返しも出来ないままお別れした事を後悔しているんです…毎日、毎日後悔しているんです…」
私の言葉を噛みしめるように聴きながら、愛美さんは口を開いて言葉を紡いだ。
「紅花先生は強い人ですね…俺は弱かった…両親を亡くしてから引きこもるようになって…姉さんにも迷惑かけて…そして、俺もお礼が言えないまま姉さんも亡くしてしまった…本当に俺は何もかも中途半端な人間だ…」
「そんな事ないですよ…愛美さんは中途半端なんかじゃない!私は、それをよく知っています…!だから、だからっ!そんな事言っちゃダメです!」
私は一体、何を言っているんだろう…。勢いに任せて、とんでもない事を言ってしまったような気がする。これでもし、愛美さんを怒らせて残りの旅行を楽しめなかったらどうしよう…。そんな事が脳裏を過ぎった時だった。
「少しだけ、肩借りてもいいですか…?」
ポツリと放たれた寂しさを含んだ、甘い声に頭が働かなくてそっと頷く事しか出来なかった。
それから十分くらい、愛美さんは何も語る事もなく、私の肩に顔を埋め続けていた。
「あっ!!」
突然訪れた竿の振動に思わず大きな声を上げてしまい、愛美さんは重たい顔を一気に上げた。
「紅花先生、魚が掛かりましたよ!頑張ってあげて下さい!」
愛美さんはさっきに暗い表情を明るいものに切り替えて、竿を握る、私の手の上に自分の手を重ねて、一気に釣竿を引き上げた。
「鱒だな!大きい!先生上出来です…あっ、なんかすみません…男のくせにナヨナヨして、もう大丈夫ですから!!本当にすみませんでした!!」
思い出したように頭を下げた愛美さんに私はニコリと微笑んだ。
「大丈夫です、人は助け合って生きていく生き物ですから…だから、私も誰かに頼りたくなったら…そしたら…そしたら、愛美さんに頼ってもいいですか?」
私の子供じみた発言を愛美さんは真剣な表情で聞いてくれた、そして大きく縦に頷いてくれた。
「優しいですね、愛美さん」
「優しくないです、これが等身大の愛美平ですから!」
「優しんです…だから…好きになっちゃう…」
「えっ!?」
しまった…。と思った時には余計な事を口走ってしまっていた。これ以上、愛美さんとの関係を壊したくないのに…。
きょとんと目を丸くして驚く愛美さんに申し訳なくなり、目を伏せて顔を両手で覆って隠した。愛美さんはこんな私の事をどう思っているのだろうか…。
暫くの沈黙の後、愛美さんの口からポツリと突然の告白への回答が出された。
「紅花先生、顔を上げて下さい!俺、凄く嬉しかったです!だけど…先生は俺を知れば知る程…嫌いになっていきますよ?」
「えっ?」
愛美さんは困ったように頭を掻きながら笑っていた。知れば知る程…。その言葉にどんな意味があるのか、この時の私はよく分からなかった…。
その言葉の意味を知るのは直ぐ後の事なのだが、私はこの時覚えた不安以上の湧き上がる理由のない自信に戸惑いを感じていたのだった。
*「おやすみなさーい」
三人の子供達がそれぞれの布団に入り、キラキラした瞳をゆっくりと閉じて夢の世界に向かっていく中、私は、自身の告白によって産まれた、モヤモヤした気持ちを抑えられずに綺麗な旅館の窓辺に腰掛け、ビールをちびちび飲みながら望まない月光浴をしていた。
愛美さんの用意してくれた旅館は大きな旅館で、私達の借りた部屋広々としていた。襖で仕切り、子供達と私、後の三人という風に布団についた。
私の居る窓辺のガラスに反射して、三人の天使の寝顔が視界に入る。
「はぁ…あんな事言わなきゃよかった…時間が戻ってくれればいいのに…」
私の脳内では愛美さんの零した言葉が繰り返し再生され、有りもしないタムマシンの存在に想いを馳せていた。
「あぁ…あの時に戻れたら…」
そんな呟きを零した時、ガラス窓に写っている襖がそっと開くのが視界に入り、驚きのあまり口に含んでいたビールが気管の方に入ってしまってゴホゴホと噎せ込んでしまった。
「紅花先生っ!大丈夫ですか?俺が驚かしちゃったから…先生ももう寝てるかと思って…チビ達の顔を見に来たんですけど…すみません」
慌てて私に近付いて背中を優しく摩ってくれた。情けない事に私は、涙目になりながら愛美さんに謝罪の言葉を贈る。
「すみません…こんな醜態を晒してしまって…驚いてビールが変なところに…ごほっ」
「こちらこそ、すみません、連絡しておくべきでした」
愛美さんは頭を掻きながら困り笑顔で私を見つめた。
私も愛美さんを見つめ返して、深呼吸を一つする。
「愛美さんもビールいかがですか?何か眠れなくて…月を見ながらビールを飲んでいたんです…」
私は何か言わないと、と焦った結果、愛美さんに缶ビールを手渡して再び握っていたビールを口に運んだ。
「ありがとうございます、それじゃあ遠慮なく」
愛美さんも私の手渡したビールの缶を心地の良い音を立てながら開けて、グッと口に当てた缶を傾けた。
「あぁ!旨い!大人になるってこういう事なのかな…成人したばかりの頃は酒なんて死んでも飲まないと思ってたのに、今じゃ寝る前に一杯は必ず飲んでますから…俺も歳を取ったな…」
愛美さんは夜空に浮かぶ、綺麗な月を眺めながら口を零した。私は、愛美さんの言葉ににこりと笑って、頷いて返した。
それから、私達は夜空に浮かぶ月に視線を送っていた。
暫くの沈黙の後、先に口を開いたのは愛美さんの方だった。
「あの、紅花先生、昼間の事…」
「あの事はいいんです!忘れて下さいっ!」
私は愛美さんの言葉を慌てて遮って終わりにしようとした。だけど、愛美さんは穏やかな表情のまま言葉を紡いだ。
「俺は、忘れたくないんです…ただ、先生が俺を知ってどう思うのかちょっと臆病になってしまって…」
「えっ…?」
愛美さんは形の良い唇をキュッと噛んでから口を開いた。
「俺の事知りたいですか?」
「愛美さんの事ですか?」
私の返答に愛美さんはゆっくりと頷いた。愛美さんの表情は、ほんのりと緊張が浮かんでいた。その緊張は私にも伝わってきて、私のビールを握る右手はうっすらと汗が滲み始める。
そして、数秒の間を開けてから、私はゆっくり頷いた。
愛美さんは意を決したように形の良い唇を動かして言葉を紡ぎ始めた。
「俺、隠し事は下手だし、嫌いなんです…だから、まずは話せる範囲から俺の事話します…まず最初に俺は、六年前までカナリア(罪人)として、悪魔の鳥籠に居ました…」
私は愛美さんの話に生唾を飲み込んだ。愛美さんは、遠くの月を見つめながら小さく息を吸った。
「何故…俺があの場所にいたのかは、誤解を解くために結論だけ急ぐと、悪魔の鳥籠の秘密漏洩防止って言うのが一番分かりやすいですね…俺は当時、姉と記者の仕事をしていて、姉は悪魔の鳥籠の情報に狙いを定めて俺の前から姿を消しました…」
「愛美さんのお姉さんが先にあの監獄に潜入したんですか?」
私の問いに愛美さんは頷いた。
「俺は姉の本心を知りながらも追いかけました…」
「本心?」
愛美さんは苦笑いを浮かべてから唇を動かした。
「先生には言いたくないんですけど…俺、実の姉と恋愛関係にあったんです…両親を失って、精神的におかしくなってた俺を介抱してくれた二つ歳の上の灯の事、好きだったんです」
普通なら、どんなリアクションをしていいのか考えるシチュエーションなのかもしれない…。だけど私は迷う事なく、言葉を発した。
「それだけ素敵なお姉さんだったんですね…愛美さんが虜になるような、素敵な女性…それで、お姉さんは?」
愛美さんは私に向かって柔らかく笑いながら呟いた。
「姉は俺の事、好きになり過ぎたんだと思います…こんな事を話して嫌われるのは分かってますけど…男女の関係もありました…姉は俺を独占したい気持ちと俺から離れたい気持ちがあったんでしょうね…知り合いから聞きましたけど…姉の最期は自殺だったみたいです…」
愛美さんは困ったように口を噤んでから、ビールの缶を口に運んだ。そして、ビールをグッと飲み干してから言葉を紡ぐ。
「それにっ…俺は灯を忘れるために姉の知り合いを抱いたり…千幸紀達の父親に銃を向けた事もある…だから、先生が思ってるような良い奴じゃないんですよ…ははっ、なんかすみません…」
私は愛美さんの話を聞いて一つの結論を出した。
夜空の月は二人の影を照らしながら微笑むように光を届ける。
私は大きく深呼吸をして、愛美さんの顔をじっと見つめた。そして、ゆっくりと愛美さんに気持ちを伝える。
愛美さんに…この気持ちが届くと良いな…。
「愛美さんのお話、真摯に受け止めたいと思いました、だけど、こんな事、口では簡単に言えます…だから、これから私の気持ちが真剣だと証明したいと思ってます!だからっ、私とお付き合いして下さいませんか?」
普段はお酒で酔う事はないけど、今日は酔ってしまったのか、私らしくない程に素直だった。自分でも驚く程に。
「紅花先生…俺で良いんですか?子持ちです
よ?」
私は頷いた。私は愛美さんがいい…。
それに、二人の母親にもなりたい…。
「私、昔付き合っていた人に暴力を振るわれていたんです…だから、もう恋はしないって思っていたんです…だけど…だけど、千幸紀ちゃんと千愛紀ちゃんと接する愛美さんを見ていて、この人と、この子達と家族になれたらなって…勝手に思ってしまって…私…私…」
自分でも抑えられない感情が溢れて涙が溢れ始めた。
「紅花先生…泣かないで…!あのっ!紅花先生…これから、俺の隣にいて下さい!」
愛美さんの長い指が私の涙を優しくそっと拭ってくれた。
これ以上、好きになったら心臓が壊れちゃいそうなのに…。
この日から私は愛美さんの隣にいる。
きっとどちらかが深い眠りに落ちるまで…。
テーブルに向かい合わせで座っている友達の迫力に負けそうになりながら、私は友達の田中沙織に苦笑いをして返した。
「沙織、落ち着いて…ちゃんと、話すから!」
「もうっ、焦らさないでよ!それで、例の彼とはどうなったのよ!?」
沙織の言う、例の彼とは私が想いを寄せている素敵な男性…愛美平さんの事だった。
平さんは私が教育実習生の頃から双子の娘さん達を預かっていて、知り合ってから約五年程の関係になる。
「えっと…連絡先を交換して…来週、家族旅行に一緒に来ませんか…って誘ってもらったの…」
「えぇっ!?やったね!紅花!!!これで紅花のヴァージンもさようならか…」
沙織は私の言葉に大袈裟に反応しながら、目の前の大きなパフェにスプーンを突き刺しては口に運んでいる。
「ヴァージン卒業なんて分からないよ!それに愛美さんはそんな人じゃないし…それに、私が楽しみにしてるのは千幸紀ちゃんと千愛紀ちゃんと一緒にいれることが大きいんだから!そんな不謹慎な事、一切考えてないんだからねっ」
沙織が私の事を心配してくれているのも理解しているし、有難いとも思ってる。だけど、私だっていつまでも過去に囚われているわけではない。
「えっ…つまんないの…紅花も早く卒業しないと…変な人に付けられたりしたら嫌じゃない?愛美さんはそこら辺、大丈夫そうなの?」
沙織のいう、大丈夫…の意味は私の中でずっと居座っている恐怖感の事だった。
その恐怖感を開けてみると、以前の恋人からの暴力行為が根源として存在している。
同棲するまで知らなかった、彼の一面を私は未だに引きずっては怯えているのだった。
私は心配そうに、私の顔を覗き込んでいる沙織に笑顔でこう答えた。
「愛美さんは大丈夫だと思う…きっと…」
沙織はパフェに添えられていたミントの葉っぱを指でつまんで、口に運んだ。
「紅花が幸せになれるなら、私はそれでいいの…今度こそ、幸せになってよね!」
パフェに添えられている葉っぱを好んで頬張る人は、この世の中に何パーセント存在するのだろうか?妥協ではなく、自ら好んで口に入れる人間は、何パーセント存在しているのだろう…?
その疑問と同じで、私のような変わった人間を相手にしてくれる人間は…踏み込んで言えば、男性は、何人いるのだろうか…?
愛美平さんは、その対象になるんだろうか…。
私には、以前の恋愛関係だけではなく、色々な柵が多過ぎて、時に自分に自信がなくなる。それなのに、こうしてまた、人を好きになってしまう…。
これは私の弱いところなのだ…。
愛美さんにはお子さんもいる、それは重々理解しているけれど、だけど…好きになってしまっていた。
「沙織はさ、旦那さんとどうなの?」
私は、自分の恋愛話をするのが恥ずかしくなって、沙織の旦那さんについて話を振って逃げ出した。
「んー?普通だよ!夜の方も普通だし、日常生活も普通、でも、そろそろ私も二十六歳だから子供の事を考え始めたかな…」
沙織は私の強引な話題転換を気にしていないようでホッと胸を撫で下ろした。
* 沙織と別れてから私は一人で花屋に立ち寄り、生花を購入してから車を一時間程走らせていた。
明日は平日の為、仕事で赴けない母の墓参りに向かっているのだ。正確に言えば、母と父の。
父は私が幼い頃に病気で亡くなってしまった。母は五年前に事故で亡くなった。こうして両親を亡くした私には、兄弟もいない為、墓の管理は私と親戚で行なっていた。
親戚は県外に住んでいて中々、足を運べない為、私が月に一回、二人の眠る墓標に出向いている。
そして、明日は母の命日だから、どうしても今日、二人の元へ出向きたかった。
私は車を止めて、貸出用の柄杓とバケツ、生花と線香を手に持つと、二人の元へ足を運ぶ。
『市原家』と書かれた墓標に辿り着くと、活けられていた花を交換し、柄杓で水を入れる。
暮石に水を掬って流して、少しでも二人の眠る場所を綺麗にする為に手を動かす。
備え付けの蝋燭に火を灯して、線香に灯を灯す。
私はゆっくりと屈んで、二人の眠る墓標に手を合わせる。
「お母さん、お父さん、明日は仕事だから一日早く会いに来たよ…いつもありがとう…ゆっくり休んでね」
私はそっと立ち上がると、身の回りの片付けを済ませてからその場を後にした。
歩きながら私の脳内には、いつか聞いた、愛美さんの言葉が浮かんでは流れていく。
『千幸紀と千愛紀の両親はもういない…』
愛美さんは二人の事を本当に心から愛している。園内で妙な噂がたっても、顔色一つ変えず、凛としていて…。
亡くなった両親に変わって、二人を産まれたての状態から育てるなんて…誰もが出来る事ではない。ましてや、愛美さんは二人と一滴の血の繋がりもない…。心友の子だから、という理由で二人を預かり、日々を過ごしている。
二人の両親の事は知らない…。
だけど…私にも何か出来る事があるのではないか…。その考え自体が浅はかなのか…。
私はあの日から自問自答を繰り返しては、未回答のまま曖昧に現実を過ごしている。
それでいいのか…何が正しいのか分からないまま…。
*「これで全員か?八人だよな?佐野君と俺と奈津で運転手は回そうぜ、紅花先生はすみませんが、三人のチビ達をよろしくお願いします…はしゃいで怪我しないように見ておいて下さい…悠人なんか、悠人のお父さんから聞いたけど…昨日から大騒ぎだったらしいから…」
そう言いながら苦笑いを零す愛美さんは、今日もとびきり素敵だった。そんな愛美さんに視線が定まったまま、ぽうっと見惚れていると、私の顔をこっそりと覗いてクスクスと笑う声が三つ。
「こらっお前達、何笑ってんだ?早く車乗らないと歩いて来てもらうからな!」
愛美さんの声に、私を揶揄っていた千幸紀ちゃんと千愛紀ちゃん、悠人君の声はピタリと止んで車の方へ駆けて行った。
「ふふっ可愛い!」
私は三人の後ろ姿を見送りながら笑みを零した。
愛美さんは三人を車に乗せると、自分は運転席に乗り込んだ。私も車に乗り込んで、三人の隣に腰を下ろした。
こうして、楽しみにしていたゴールデンウィークの旅行が始まった。
三人の子供達は小さなリュックの中からお菓子を取り出してはニコニコと笑みを零していた。
「べにかせんせいっ!パパにはナイショだよ!」
「ないしょ…」
「はやくたべないとばれるぜっ!おじさんはおこるとこわいから」
三人の小さな手から私に宝石のようなグミが一粒ずつ渡されて、私も思わず笑みを零す。愛美さんには悪いけれど、ここは三人の共犯になってしまおう…。
私はグミを頬張りながら、運転席にいる愛美さんに視線を送った。運転する姿もなかなか様になっていて、見ていると引き込まれてしまいそうになる。
助手席に座る男性…萩野目奈津さんは、千幸紀ちゃんと千愛紀ちゃんの叔父に当たる人になると、愛美さんから聞かされていた。そして私達の座る席の後ろ…後部座席に座っているのは、奈津さんの心友の佐野奏太さんで、大学生と聞かされていた。
佐野さんも奈津さんも男性なのに、人形の様な綺麗な顔立ちをしていて、迂闊には話し掛けにくいオーラを纏っていた。特に佐野さんは黙っていると、本当に彫刻と見紛う程に生きているような…生命活動をしていないような気がした…もっとはっきり言ってしまえば、佐野さんからは覇気を感じられなかった。
そんなメンバーで車に揺られる事、一時間。
三人の子供達は愛らしい寝息を立て、肩を並べて夢の世界に入っていた。
佐野さんは涼しい顔で読書をしていたが、疲れたのか本を閉じ、瞳を閉じていた。
そんな静まり返った車内に奈津さんと愛美さんの親しげな会話が聞こえて来た。
「兄さんとアリスさんは旅行とかしなさそうだよね…二人で図書館に行ってそう…
「んっ!確かに!咎愛達は静かな人だからな…人気が多い場所は嫌いそうだな…咎愛に関しては、水辺も嫌いだし!まぁ、チビ達がいれば、二人も外出したのかもな…想像付かねーけど」
愛美さんは奈津さんに優しく笑い掛ける。きっと二人には、もう、此処にはいない二人の姿が見えているのだろう…。
二人の表情は懐かしい者に想いを寄せている 。そんな表情を浮かべていた。
二人には私の知らない誰かが存在しているんだ…。
そんな事を気にしても、どうしようもないのに、私の役立たずな脳みそはいつまでも、二人の表情を記憶してはちらつかせた。
そんな私に気が付いていたのか、奈津さんが柔らかい声色で、私に声を掛ける。
「市原さん、紅花先生?なんて呼ぶべきなのかな?取り敢えず、市原さん、何か飲みますか?喉乾いたでしょ?」
「えっ、あのっ」
戸惑っている私を見て、奈津さんは涼しい顔で笑みを零した。そして、後ろに座っている佐野さんに声を掛けて、佐野さんの眠りを遮った。
「佐野、市原さんにお茶と、僕は炭酸水、平さんはアイスコーヒーでいい?」
「ああ、頼む」
佐野さんが私にペットボトルを三本渡してくれて、二人にお茶以外のドリンクを手渡した。
「市原さん、ありがとうございます」
佐野さんと奈津さんからお礼を言われて、私も二人に会釈で返した。
「いただきます」
私達は、子供達の寝息を聞きながら冷たいドリンクを味わった。愛美さんから、車に乗ると眠って起きないとは聞いていたけれど、本当に魔法にかけられたように眠る、三人の姿は愛らしくて、いつまでも見ていられた。
三人はどんな夢を見ているのだろう…。
そんな事を考えていると、私もいつの間にか眠りについてしまっていた。
*「着いたぞ!長旅ご苦労様!今日は此処でキャンプ体験して、夜は旅館に泊まる予定だ、チビ達はやりたい事沢山やって、いい思い出作ろうぜ」
愛美さんは爽やかな笑みを浮かべながら、子供達を一人ずつ車から降ろしていった。
「紅花先生も、降りれますか?疲れてないですか?」
「全然大丈夫ですっ!ありがとうございます」
走り回る子供達にチラチラと視線を送りながら、愛美さんは私に笑みを向けてくれた。
「それなら良かった!先生も肩の力抜いて楽しんで下さいね」
愛美さんの優しさに心臓がドキドキと音を立て、顔から湯気が出そうな程、顔が紅潮しているのを感じる。
いつから、こんなに好きになってしまってたのだろう…。
そもそも、この感情を初めて自覚したのは去年の今頃だった。お迎えに来ていた、愛美さんと話していた時に、千幸紀ちゃんに『せんせい、パパのことすきなの?おかおがまっかだよ』と言われたのがきっかけだった。
私は紅潮する頬を両手で抑えながら、歩き出した。
「大丈夫ですか?手、貸しますか?顔、赤いですけど、無理しないで下さいね」
「いえっ、大丈夫ですっ!ちょっと私もはしゃいじゃって、川辺に来るの久しぶりだし、キャンプ体験なんて、したことないから」
愛美さんは私の顔を綺麗な瞳でじっと見つめながら口を開いた。
「俺も、川遊びは久しぶりです、先生も喜んでくれて良かったです!それじゃあいきますか」
愛美さんは、私の手を勢いよく引っ張ると、先を歩いていた皆の元へ駆け出した。私も縺れそうになる足を動かして愛美さんについて行く。愛美さんに手を掴まれている…。これだけで心臓が破裂しそうなくらいにバクバクして、息も苦しくなる。
『好き…』
絶対に口にしてはいけないワードが溢れそうになっては、泡のように消えていく。
「べにかせんせい!パパ!はやくはやく!あっちにおさかなさんがいるよ!」
俯いていた、私の目の前にはいつの間にか、先に移動していたはずの皆の姿が迫っていた。
その中でも、ポニーテールにピンクのリボンをした千幸紀ちゃんが私の前にやって来て、小さな手で私の手を握りしめた。いつの間にか愛美さんの手は離れていて、愛美さんは私の方に笑みを向けながら前方に歩いて行ってしまった。
「べにかせんせい?」
千幸紀ちゃんの声にハッとして私は我に返って、口を動かした。
「あっ!どうしたの千幸紀ちゃん?」
千幸紀ちゃんは小さな可愛らしいツヤツヤの唇を尖らせて私に告げる。
「だーかーら!おさかなさんがいるの!だからきて!」
私は千幸紀ちゃんに苦笑いしながら口を開く。
「ごめん、ごめん、ぼーっとしてた!よしっおさかなさん見に行こう!」
「うんっ!いくよっ!」
私は千幸紀ちゃんの小さな手に導かれて、川の中が見える位置までやって来た。
「わぁ…綺麗…キャンプ場ならではだよね…ううん、自然だからかな…癒される…」
独りでに呟いた私は、目の前に広がる広大な自然に言葉を失った。
キャンプ体験が出来る場所に相応しい居心地の良い場所…。川があり、森があり、耳を澄ませば、小鳥の囀りや虫の鳴き声が聞こえ、目の前には済んだ川の上を色鮮やかな蝶が舞うように揺らめいている。
目の前に広がる壮大な光景に言葉を失っていると、私の足元の小さなお姫様が不思議そうに首を傾げながら口を動かした。
「せんせい?どうしたの?」
「ううん…こんなに素敵な場所に皆と来れて良かったなって思って…」
私の言葉を聞いた千幸紀ちゃんは、ポツリと驚く事を口にした。
「ちゆきもべにかせんせいといっしょにこれてよかった…あのね…ないしょだよ…ほんとはね、パパね…べにかせんせいのことすきなんだよ」
「っえ!!!え?そんな事ないよ…愛美さんは私なんか好きじゃないよ」
しどろもどろになってしまった私にニカっと歯を見せて笑いながら、千幸紀ちゃんはツヤツヤの唇を動かした。
「ちゆきもべにかせんせいにあたらしいママになってほしいの…あきちゃんもそういっていたよ」
子供は素直、この言葉が本心から来るものだというのは、この子達と五年間共にしてきた経験から確信があった。だからこそ、私の心は震え上がる程に熱くなって苦しくなる。終わらせたい恋のピリオドが打てずに遠くに消えていきそう…。そんな、不思議な感覚に包まれて呆然と立ち尽くしていた時。
「おーい!紅花先生?千幸紀?魚獲るのか?どれっパパが大物を獲ってやるぞ」
笑顔でこちらに歩いてくるステキな男性に視線を移せないまま、私は千幸紀ちゃんの深緑色の瞳を見つめ続けた。そんな、私のことを機にする事もなく、千幸紀ちゃんは愛美さんの元へ小走りで駆け寄って行ってしまった。
「あっ!パパ!よくきたね!あっそうだ、ちゆきはゆうとくんのところにいくからあとでまたくるね」
無邪気な笑みを向けながら、千幸紀ちゃんは私と愛美さんを置いて、遠くに走り去って行ってしまった。
「あっ!千幸紀ちゃんっ!」
「なんだ、あいつ…」
急に駆け出した千幸紀ちゃんの背中を見送りながら、愛美さんは不思議そうに首を傾げてから、困ったように頭を掻いていた。
「すみません…なんだか、私なんかと取り残されてしまって…」
心の中から、込み上げてくる恥ずかしさと気まずさから、小さくなる私に愛美さんは優しく微笑むと、何かを決心したかのように唇をキュッと結んでから口を開いた。
「あのっ!紅花先生、改めてお礼が言いたくて…懇談会の日の事、ありがとうございました!俺、千幸紀が母を恋しがってたなんて知らなくて、改めて子供との向き合い方を見直すことが出来ました、本当に感謝しています…」
そう言って頭を下げた愛美さんに私はふふっと微笑んだ。
「頭を上げて下さい、私は何もしていません、愛美さんの日々の優しさや努力が、二人を幸せにしてるんです…だから、二人にお母さんがいなくても寂しい思いをさせなくて済んでいるんです、私は、ただ千幸紀ちゃんと千愛紀ちゃんの担任として二人の事を伝えただけですから」
愛美さんはゆっくりと下げていた頭を上げると、私の顔を見てにこりと笑みを零した。娘達を思う優しい笑顔、娘達を心から愛しているからこそ、溢れる笑顔だった。その顔があまりにも美しくて私はこの笑顔を一生忘れる事はないだろうと、そう思った。
「こんな機会もないですし、魚釣ったりしてみませんか?」
にこりと笑う愛美さんの提案に首を縦に振って、私は用意された釣竿を手に取った。人生で釣りなんてした事はないので、釣竿を手にするのはこれが初めての経験だった。
「ここにこうして、擬似餌を付けて…」
丁寧に説明をしてくれる愛美さんを横目に捉えつつ、私は恐る恐る糸にに餌になる疑似餌を付けてみる。
「いいですね!完璧です!あとはこうやって遠くに釣竿を送るイメージで、投げてみましょうか」
私は、愛美さんの指示に従って、釣竿を水面に向かって飛ばしてみた。
ぽちゃん…。と可愛らしい水音が響き、私の投げた釣竿は私の目の前の浅瀬にポツンと浮かんでいた。
「うーん…うまくいかないな…」
「貸して下さい!遠くに飛ばしますから」
にこっと爽やかに笑った愛美さんは、私の手から釣竿を受け取ると、いとも簡単に流れのある場所まで浮かべて見せた。
「凄い…」
感嘆の声を漏らした私に愛美さんは親指を立ててニッと笑って見せた。
「紅花先生は肩に力が入り過ぎてたのかな、リラックスしましょう!なんつって俺も釣りなんて子供の頃以来だから、偉そうな口は聞けないんですけどね」
「子供の頃はよく釣りをされていたんですか?」
私の問いに愛美さんはポツリと呟くように答えてくれた。
「小さい頃は、父さんとよく此処に来たんですよ、近くの川にも行きましたね、それから海にも行きました、夏は日に焼けて真っ黒に染まりながら夢中でした…まぁ、それも中学までなんですけど…」
言葉が終わった後の愛美さんの表情は少し儚げだった。そういえば、千幸紀ちゃんや千愛紀ちゃんから、お爺ちゃんやお婆ちゃんの話は聞いた事がない。愛美さんの言う、中学までというのはもしかして…。
その時に…中学生の時に、ご両親を亡くしている。という事なのだろうか…。
「はぁ…何かすみません…顔に出ちゃってますよね、俺って隠し事が下手なんですよ…咎愛にもよく言われたな…平は全部顔に出るよって、あはは…本当にもう…恥ずかしいな」
私は愛美さんの言葉に大きく首を横に振って答える。
「全然、恥ずかしい事なんかじゃありません…誰かを亡くしてしまう悲しみや寂しさはずっと胸の中にあるんですから…私も…両親を亡くしてるんです…社会人になって初めてお金を稼いで暮らしていく事の大変さを知りました…そして、ここまで私を育ててくれた大変さも…だから、恩返しも出来ないままお別れした事を後悔しているんです…毎日、毎日後悔しているんです…」
私の言葉を噛みしめるように聴きながら、愛美さんは口を開いて言葉を紡いだ。
「紅花先生は強い人ですね…俺は弱かった…両親を亡くしてから引きこもるようになって…姉さんにも迷惑かけて…そして、俺もお礼が言えないまま姉さんも亡くしてしまった…本当に俺は何もかも中途半端な人間だ…」
「そんな事ないですよ…愛美さんは中途半端なんかじゃない!私は、それをよく知っています…!だから、だからっ!そんな事言っちゃダメです!」
私は一体、何を言っているんだろう…。勢いに任せて、とんでもない事を言ってしまったような気がする。これでもし、愛美さんを怒らせて残りの旅行を楽しめなかったらどうしよう…。そんな事が脳裏を過ぎった時だった。
「少しだけ、肩借りてもいいですか…?」
ポツリと放たれた寂しさを含んだ、甘い声に頭が働かなくてそっと頷く事しか出来なかった。
それから十分くらい、愛美さんは何も語る事もなく、私の肩に顔を埋め続けていた。
「あっ!!」
突然訪れた竿の振動に思わず大きな声を上げてしまい、愛美さんは重たい顔を一気に上げた。
「紅花先生、魚が掛かりましたよ!頑張ってあげて下さい!」
愛美さんはさっきに暗い表情を明るいものに切り替えて、竿を握る、私の手の上に自分の手を重ねて、一気に釣竿を引き上げた。
「鱒だな!大きい!先生上出来です…あっ、なんかすみません…男のくせにナヨナヨして、もう大丈夫ですから!!本当にすみませんでした!!」
思い出したように頭を下げた愛美さんに私はニコリと微笑んだ。
「大丈夫です、人は助け合って生きていく生き物ですから…だから、私も誰かに頼りたくなったら…そしたら…そしたら、愛美さんに頼ってもいいですか?」
私の子供じみた発言を愛美さんは真剣な表情で聞いてくれた、そして大きく縦に頷いてくれた。
「優しいですね、愛美さん」
「優しくないです、これが等身大の愛美平ですから!」
「優しんです…だから…好きになっちゃう…」
「えっ!?」
しまった…。と思った時には余計な事を口走ってしまっていた。これ以上、愛美さんとの関係を壊したくないのに…。
きょとんと目を丸くして驚く愛美さんに申し訳なくなり、目を伏せて顔を両手で覆って隠した。愛美さんはこんな私の事をどう思っているのだろうか…。
暫くの沈黙の後、愛美さんの口からポツリと突然の告白への回答が出された。
「紅花先生、顔を上げて下さい!俺、凄く嬉しかったです!だけど…先生は俺を知れば知る程…嫌いになっていきますよ?」
「えっ?」
愛美さんは困ったように頭を掻きながら笑っていた。知れば知る程…。その言葉にどんな意味があるのか、この時の私はよく分からなかった…。
その言葉の意味を知るのは直ぐ後の事なのだが、私はこの時覚えた不安以上の湧き上がる理由のない自信に戸惑いを感じていたのだった。
*「おやすみなさーい」
三人の子供達がそれぞれの布団に入り、キラキラした瞳をゆっくりと閉じて夢の世界に向かっていく中、私は、自身の告白によって産まれた、モヤモヤした気持ちを抑えられずに綺麗な旅館の窓辺に腰掛け、ビールをちびちび飲みながら望まない月光浴をしていた。
愛美さんの用意してくれた旅館は大きな旅館で、私達の借りた部屋広々としていた。襖で仕切り、子供達と私、後の三人という風に布団についた。
私の居る窓辺のガラスに反射して、三人の天使の寝顔が視界に入る。
「はぁ…あんな事言わなきゃよかった…時間が戻ってくれればいいのに…」
私の脳内では愛美さんの零した言葉が繰り返し再生され、有りもしないタムマシンの存在に想いを馳せていた。
「あぁ…あの時に戻れたら…」
そんな呟きを零した時、ガラス窓に写っている襖がそっと開くのが視界に入り、驚きのあまり口に含んでいたビールが気管の方に入ってしまってゴホゴホと噎せ込んでしまった。
「紅花先生っ!大丈夫ですか?俺が驚かしちゃったから…先生ももう寝てるかと思って…チビ達の顔を見に来たんですけど…すみません」
慌てて私に近付いて背中を優しく摩ってくれた。情けない事に私は、涙目になりながら愛美さんに謝罪の言葉を贈る。
「すみません…こんな醜態を晒してしまって…驚いてビールが変なところに…ごほっ」
「こちらこそ、すみません、連絡しておくべきでした」
愛美さんは頭を掻きながら困り笑顔で私を見つめた。
私も愛美さんを見つめ返して、深呼吸を一つする。
「愛美さんもビールいかがですか?何か眠れなくて…月を見ながらビールを飲んでいたんです…」
私は何か言わないと、と焦った結果、愛美さんに缶ビールを手渡して再び握っていたビールを口に運んだ。
「ありがとうございます、それじゃあ遠慮なく」
愛美さんも私の手渡したビールの缶を心地の良い音を立てながら開けて、グッと口に当てた缶を傾けた。
「あぁ!旨い!大人になるってこういう事なのかな…成人したばかりの頃は酒なんて死んでも飲まないと思ってたのに、今じゃ寝る前に一杯は必ず飲んでますから…俺も歳を取ったな…」
愛美さんは夜空に浮かぶ、綺麗な月を眺めながら口を零した。私は、愛美さんの言葉ににこりと笑って、頷いて返した。
それから、私達は夜空に浮かぶ月に視線を送っていた。
暫くの沈黙の後、先に口を開いたのは愛美さんの方だった。
「あの、紅花先生、昼間の事…」
「あの事はいいんです!忘れて下さいっ!」
私は愛美さんの言葉を慌てて遮って終わりにしようとした。だけど、愛美さんは穏やかな表情のまま言葉を紡いだ。
「俺は、忘れたくないんです…ただ、先生が俺を知ってどう思うのかちょっと臆病になってしまって…」
「えっ…?」
愛美さんは形の良い唇をキュッと噛んでから口を開いた。
「俺の事知りたいですか?」
「愛美さんの事ですか?」
私の返答に愛美さんはゆっくりと頷いた。愛美さんの表情は、ほんのりと緊張が浮かんでいた。その緊張は私にも伝わってきて、私のビールを握る右手はうっすらと汗が滲み始める。
そして、数秒の間を開けてから、私はゆっくり頷いた。
愛美さんは意を決したように形の良い唇を動かして言葉を紡ぎ始めた。
「俺、隠し事は下手だし、嫌いなんです…だから、まずは話せる範囲から俺の事話します…まず最初に俺は、六年前までカナリア(罪人)として、悪魔の鳥籠に居ました…」
私は愛美さんの話に生唾を飲み込んだ。愛美さんは、遠くの月を見つめながら小さく息を吸った。
「何故…俺があの場所にいたのかは、誤解を解くために結論だけ急ぐと、悪魔の鳥籠の秘密漏洩防止って言うのが一番分かりやすいですね…俺は当時、姉と記者の仕事をしていて、姉は悪魔の鳥籠の情報に狙いを定めて俺の前から姿を消しました…」
「愛美さんのお姉さんが先にあの監獄に潜入したんですか?」
私の問いに愛美さんは頷いた。
「俺は姉の本心を知りながらも追いかけました…」
「本心?」
愛美さんは苦笑いを浮かべてから唇を動かした。
「先生には言いたくないんですけど…俺、実の姉と恋愛関係にあったんです…両親を失って、精神的におかしくなってた俺を介抱してくれた二つ歳の上の灯の事、好きだったんです」
普通なら、どんなリアクションをしていいのか考えるシチュエーションなのかもしれない…。だけど私は迷う事なく、言葉を発した。
「それだけ素敵なお姉さんだったんですね…愛美さんが虜になるような、素敵な女性…それで、お姉さんは?」
愛美さんは私に向かって柔らかく笑いながら呟いた。
「姉は俺の事、好きになり過ぎたんだと思います…こんな事を話して嫌われるのは分かってますけど…男女の関係もありました…姉は俺を独占したい気持ちと俺から離れたい気持ちがあったんでしょうね…知り合いから聞きましたけど…姉の最期は自殺だったみたいです…」
愛美さんは困ったように口を噤んでから、ビールの缶を口に運んだ。そして、ビールをグッと飲み干してから言葉を紡ぐ。
「それにっ…俺は灯を忘れるために姉の知り合いを抱いたり…千幸紀達の父親に銃を向けた事もある…だから、先生が思ってるような良い奴じゃないんですよ…ははっ、なんかすみません…」
私は愛美さんの話を聞いて一つの結論を出した。
夜空の月は二人の影を照らしながら微笑むように光を届ける。
私は大きく深呼吸をして、愛美さんの顔をじっと見つめた。そして、ゆっくりと愛美さんに気持ちを伝える。
愛美さんに…この気持ちが届くと良いな…。
「愛美さんのお話、真摯に受け止めたいと思いました、だけど、こんな事、口では簡単に言えます…だから、これから私の気持ちが真剣だと証明したいと思ってます!だからっ、私とお付き合いして下さいませんか?」
普段はお酒で酔う事はないけど、今日は酔ってしまったのか、私らしくない程に素直だった。自分でも驚く程に。
「紅花先生…俺で良いんですか?子持ちです
よ?」
私は頷いた。私は愛美さんがいい…。
それに、二人の母親にもなりたい…。
「私、昔付き合っていた人に暴力を振るわれていたんです…だから、もう恋はしないって思っていたんです…だけど…だけど、千幸紀ちゃんと千愛紀ちゃんと接する愛美さんを見ていて、この人と、この子達と家族になれたらなって…勝手に思ってしまって…私…私…」
自分でも抑えられない感情が溢れて涙が溢れ始めた。
「紅花先生…泣かないで…!あのっ!紅花先生…これから、俺の隣にいて下さい!」
愛美さんの長い指が私の涙を優しくそっと拭ってくれた。
これ以上、好きになったら心臓が壊れちゃいそうなのに…。
この日から私は愛美さんの隣にいる。
きっとどちらかが深い眠りに落ちるまで…。
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