悪魔のカナリア

はるの すみれ

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第二章 悪魔のカナリア

*愛のないマリオネット

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    「それじゃあ、また…成功を祈ってるよ…それとアリスさんも…また」


  いつものように右手をひらひらさせながら、俺の異母兄弟の萩野目奈津は面会室から歩き去って行った。今回の奈津は片時も神妙な面持ちを崩さなかった。


  それには理由があった。


  明日はいよいよ、俺達の計画を実行する日…。つまり、アリスの出産予定日だった。アリスの手術を執刀してくれる医者と話し合って決めた日付に、気がついた頃には染まりつつある事に不安感と絶望感、産まれてくる子供に対しての期待感を抱きながら一日を過ごしていた。


  アリスは愛おしそうに自身の下腹部に手を当てて、柔らかい笑みを浮かべていた。そして優しい声色で呟く。


  「ねぇ…ママは貴方のことをこの腕に抱けなくても…ずっとずっと愛しているからね」


  アリスの言葉を聞いて、俺は涙が込上げてくるのを掌でそっと隠しながら面会室を後にした。


  明日、アリスは確実に死んでしまう…。


  母として生きる事もなく…アリスは死んでしまうんだ。


  先に部屋から出ようとした俺に気が付いて、アリスが小走りで俺を追いかけて来る。


  「おい!勝手に行動したらいけないぞ…咎愛…置いていくなよ」


  俺はアリスが追いつくのを待ってから再び足を動かした。アリスが俺の手を優しく握ると、俺もそれに答えるよに優しく手を握り返した。


  「アリス…アリスは俺と出会った事…こうやって妊娠して死んでしまう事…後悔していないの…?俺と出会はなければ…俺をあの時殺していればこんな事にならずに済んだんじゃないの…俺が生きていたからアリスの親友の榊栞だって失った…俺はアリスを殺したんだ…俺がいなければよかったんだ」


  こんな事、今更言っても何も変わらない事は分かっているのに、涙と共に情けない言葉と感情が溢れ出してはアリスに向かって溶けて行った。


  急に俺の頭はアリスの柔らかい胸に押し当てられた。


  「はぁ…咎愛は馬鹿だな…まぁ、そんな咎愛だから僕は君を好きになったんだけれど…何回も伝えたように僕には一切の後悔はないよ、それと、僕は咎愛と出会っていなければ死んでいたも同然だったんだ、栞の事は咎愛を恨んだりはしないさ、だってあれは栞本人が望んだ結末だったんだ、僕が止められる事ではなかった…栞は幸せだったと思う…咎愛は何も気に病むことはない」


    「アリス…」


  「咎愛は優しいよ、本当に、お母さんの育て方が良かったんだな、僕も産まれ変われるとしたら今度こそちゃんとしたママになりたいな」


  俺はアリスの胸の中で涙を流し続けた。アリスはそれを優しく受け止めてくれる。俺も産まれ変われるとしたら、今度こそちゃんと家族を持って、家族を守れるような生活をしたいな…。


  何て…。


  そんな妄想を抱きながら俺はアリスの甘い香りを思い切り吸い込んだ…明日からもうこの暖かさは感じることが出来なくなるんだと思うと、胸が張り裂けそうになった。


  「さて、咎愛…こんな廊下でいつまでもこうしているのは恥ずかしいから、そろそろ部屋に戻ろう」


  俺は涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げて歩き出した。アリスはそんな俺を見て、ふふっと笑みを零すと寝室の方に歩き出した。


  長い廊下を歩いていると、前方から恐ろしさと美しさを湛えた一人の女性が歩いて来た。女性はハイヒールの音を響かせ鮮やかな紅を引いた厚い唇を動かして俺達に声を掛けてくる。


  「あら、猫ちゃんにアリス…こんな所で夫婦喧嘩?それとも猫ちゃんはアリスに虐められていたのかしら?」


  俺はキッと女性を睨みつけてから言葉を返した。


  「あんたには関係ないだろう?それより何故、あんたがこんな場所に居るんだ…ブラッドマザー?」


  俺はマザーを睨み続けながらマザーの返答を待った。マザーは警戒心を剥き出しにしている俺にクスリと笑ってから口を開いた。


  「猫ちゃんはいつも毛を逆立てて、私を威嚇するのね…?可愛い子猫に懐かれないのは寂しいわ、アリスは猫ちゃんに懐かれて良かったわね、まぁ、飼い慣らせていないのかもしれないけれど…」


 アリスが表情を歪めるのが視線を合わせなくても分かってしまった。アリスも俺もこの女には屈さないという姿勢を剥き出しにしていた。


  マザーは呆れたように溜息を吐くと、大きな胸を腕を組んで持ち上げるような仕草をしながら言葉を発した。


 「はぁ…貴方達は本当につまらないカナリアよね…私の愛を受け取らずに二人で幸せごっこしているんだもの…本当に滑稽だわ、まるで水の上に落ちてしまった蝶を死ぬまで助ける事なく見ているような気分よ…本当に滑稽で笑うのにも飽きちゃった…私に懐かない子供達何て生かす意味もないのよ…本当は…ね」 


    俺は苛立ちを露わにして大きな舌打ちを一つ響かせた。アリスは俺を落ち着かせようと俺の手を優しく握った。それを見ていたマザーが俺達を嘲笑しながら唇を動かした。


  「うふふ、可愛らしい愛の喜劇ね…明日までのおままごとに一生懸命、精を出すといいわ…最後にさっきの問いに特別に答えてあげる…私が何処へ向かっているのか…その答えは何処でもない…が、答えよ…私の向かう道は気紛れに戯れ付いてくる猫ちゃんに答えられるような道ではないの…じゃあ、そろそろ時間がないから御暇するわね…明日までには此処に帰るから…それまでは馬鹿な気を起こすんじゃないわよ…うふふ、またね」


  長い紫色のパールめいた爪を煌めかせながらマザーは歩き去って行った。俺とアリスはマザーの姿が見えなくなるまでその背中を睨み続けていた。


 「ちっ!あの女…いつ見ても気色が悪い」


  俺の言葉に同意を示すようにアリスは頷いた。


 「僕も苦手なタイプの人間だ…本当にあの女は恐ろしい…今だって僕等を刺激して叛逆してこないか窺っていたんだ…その証拠に僕の逆上を誘うような言葉をチラチラ発していた…僕が顔色を変えていたら弱みに付け込んで来たかもしれない…本当に抜け目のない女だよ…あいつは」


  俺はアリスの言葉に首を傾げた。情けない事にアリスの言っている逆上を誘う言葉というのが分からなかったのだ。


  「アリス…アリスの言う逆上を誘う言葉というのを教えて欲しい…俺にはさっぱり分からなかった」


  俺の言葉にアリスはやれやれという表情を浮かべると俺に優しく答えてくれた。


  「あの女は言っていた『気紛れに戯れ付いてくる猫』と」


  「確かに言っていたような気はするけど、それがどう逆上に繋がるんだ…?」


  俺の言葉を聞いたアリスは美しい顔で苦笑すると言葉を紡いだ。


  「簡単な事さ、言葉の内訳をすると咎愛があの女に気紛れでもじゃれつくと言ったんだ…僕を挑発する為に…僕の性格を知っているが故に」


  俺はアリスの言葉を聞いて驚きと怒りの感情が溢れてくるのを感じた。


  「そんな事、あるわけないだろう…俺があの女に気紛れでも戯れつくなんて、死んでもごめんだね」


  アリスはふふっと柔らかく笑ってから俺の腕に甘えるようにしがみついて来た。


  「咎愛は僕だけしか愛さない…あの女はそれが気に食わないんだ」 


     俺はアリスの髪を指で梳くように触りながら答えた。


  「俺があの女に屈する日なんて来ない…絶対に」


  「あぁ…僕もそう思うよ…あの女は明日死ぬんだ…大丈夫…きっと上手くいく」


  俺はアリスの言葉に頷いた。作戦は成功への道を進み始めている。あの女が何処に向かったのかは知らないが、明日には戻って来ることはジルとジンからの情報で分かっていた。二人とは仕事の関係でしか滅多に会話をしないが、その事が吉と出て、怪しまれる事もなくマザーの予定を聞き出すことに成功したのだ。


 俺は二人に尋ねた。十二月二十五日、あの女はどうしているか?…と。
  彼等は答えた。何故、お前にそれを教える必要があるのか…?…と。


  俺は予想通りの答えが返って来たことにニヤリと笑みを浮かべながら、こう言った。アリスの出産予定日だからマザーにはこの施設にいて欲しいのだが、もし、不在なら手術の日を変えなければいけない、だから、マザーの日程を知りたいと。


  彼等は納得したように頷いた。元々、俺達がどんな性格でどんな風に過ごしているのかも知らない彼等は俺達を疑うこともなかったのだろう。彼等はマザーの予定を知っている限り教えてくれた。今日の午前に外出することも、翌朝には戻る事も…。


  俺は彼等を率直に可哀想な人間(カナリア)だな、と思った。彼等は生まれながらにしてカナリアに仕立てられ、こうして今も執行人として生きていくしか道がないのだから…。


  そんな事も思い返していると、俺の腕にしがみついているアリスがこちらをじっと見つめている事に気が付いた。


  「ん?どうしたの?」


  俺の問いにアリスは笑みを浮かべて口を開いた。


  「ううん、ただ、松雪咎愛を見ていたかっただけ」


  「なんだよそれ、そんな可愛い事ばっかり言っていると、今日一日抱きしめて離さなくなるよ?」


  アリスは笑っているが、俺の言葉は本心から出たものだった。このまま、アリスを抱きしめて俺が死ぬまでずっと…愛していたい。
  そんな事を本心では思っていたんだ。


  アリスと笑いながら寝室まで戻ると、機械の中に浮かんでいるクローンベイビーを二人で観察していた。この子も順調に大きくなってくれて本当に良かった。機械的に作られていても、俺達の愛しい子供には変わりないのだから…。 


    俺はクローンベイビーに向かって声を掛けた。


  「千愛紀(ちあき)…もうすぐだね…俺もアリスも君が産まれてくるのを楽しみにしてるよ」


  千愛紀…この名前は二人で話し合って決めた名前だった。千よりも多い愛情を受けて育つように…と。俺達が貰えなかった愛情もこの子には注がれるように願って付けた名前…きっと平なら、この名前に相応しい子供に育て上げてくれると信じて。


  アリスは自身のお腹に手を当てて声を掛けた。


  「千幸紀(ちゆき)…千幸紀も無事に産まれて来いよ…」


 千幸紀…この子はオリジナルベイビーとして明日、誕生する。おそらくこの子が姉として人生を歩んでいく事になるだろう。二人の人生がどんな道であれ、俺達は二人を愛している。その事実は何があっても変わることはない。


  「さて、そろそろ俺は動き出すよ…計画の成功率を上げる為にもね…」


  アリスは黙って頷いた。俺はこれから執行人として最後の仕事に取り掛かる、その為の準備を始めないといけない。


  「あ、そうだ!アリスのチェンソーを貸してくれないか?最期だからアリスの代わりに使ってから廃棄したいし」


  「咎愛が使うのはいいけど、僕のチェンソーを使って返り討ちに合うような事はやめてくれよ…絶対に…これは、部屋の鍵だ、部屋の一番奥の棚にチェンソーは入っている」


  俺は頷いた。


  「あぁ、約束するよ」


  俺はアリスから鍵を受け取って、アリスをベットに寝かせてから部屋を出た。俺はアリスが俺と共同生活する前に使っていた部屋を訪れた。部屋の中は必要最低限の家具しかなく、こじんまりとしていて女性の生活していた部屋とは思えない場所だった。


  この部屋の空気は少しだけアリスから香る甘い香りが含まれていて、呼吸する度にアリスの事を思い出してしまう自分がいた。俺は首を思い切り横に数回振って自分の意識を集中させた。そして部屋の奥にある小さな棚を見つけて歩み寄る。


  「この棚がそうか…あった!」


  俺は小型のチェンソーを手に取った。刃の部分は綺麗に手入れされており、金属の光沢も確認出来た。このチェンソーでアリスは何人も死の世界へとカナリアを誘ってきたんだ…。そう思うとチェンソーを持っているだけで背筋に虫が這って来るような寒気を覚えた。


    ガチャリ…。


「茶トラ…何しているんだ?」


  アリスの部屋から出た途端、背後から誰かに声を掛けられて声のした方向へ向き直った。  俺に声を掛けたのはジルかジンのどちらかなのだが、俺はこの双子の見分けが付かないため、思わず困ったような表情を浮かべていた。


  「えっと、アリスがどうしても死ぬ前にチェンソーを見ておきたいって言ったから取りに来たんだ、失礼だけど、兄?弟?」


  俺の返答に納得しながら双子のどちらかの男は顔色を変えずに答えを返した。


  「俺はジンだ!弟、兄さんの方が声色が低いだろ?それに兄さんはお前を見掛けても声は掛けないと思うぞ、なんたって毛嫌いしているからな」


  「辛辣な事言わないでくれよ…もうすぐお別れするんだから」


   俺はジンに対してそう呟くと、ジンは呆れたように大きな溜息を吐いた。


  「はぁ…お前の事、嫌わない方がどうかしているんだ、俺達の親愛なる母に対して忠誠心のないカナリアなんて生きている必要がないのだからな!マザーの加護を受けないで生きるお前なんて生きている意味が分からない…!」


  「どうかしている…か、そうだよね、俺もそうは思っているんだ」


  ジンは俺の言葉の意味が分からないとばかりに大きく首を傾げて見せた。その拍子にサラサラと肩まである金の細い髪が溢れ落ちるように傾く。執行人として仕事をしている時は隠されているラベンダー色の瞳には怒りの色も窺えた。


  「自分で分かっていてマザーに逆らっているなんて、ますますどうかしている…これ以上、お前と話しているとノミが移りそうだ…ノミは嫌いだ、知らぬ間に体に寄生しては血を吸うんだ、そうして捕まえようとすると大きく飛んで逃げていく、前から思っていたんだ…猫というお前にアリスという汚らしいノミが寄生している、そんな滑稽な様を見ているようだ、とね」


  俺はジンの話を聞いてクスリと鼻で笑ってみせた。


  「アリスはノミより大きいさ、ノミよりもダニよりも大きく俺の心に寄生しているよ…俺もあんたと話している時間が惜しいからそろそろ御暇するよ…じゃあまたね」


  俺はジンに背を向けて歩き去った。
  ジンも俺に背を向けて歩いていく。


  俺は懐から一丁の拳銃を取り出した。弾丸はもうセットされている。
 躊躇いはない、ジン・ベンダー…どうかしているのはお前等の方だよ。


  俺はアリスのチェンソーを地面に音を立てないようにそっと下ろした。拳銃を深呼吸をしながらターゲットに向けて構える。 そして、躊躇う事なく、俺は廊下の角を曲がる直前のジンを目掛けてトリガーを弾いた。


  「私、松雪咎愛がジン・ベンダーの死刑を執行致します。」


  俺の執行宣言と同時に弾丸がジンの脳天を貫いたのは同時だった。赤く染まった小さな肉片を飛ばして、ジンはまるで支えを失ったマネキンのように崩れ落ちて動かなくなった。それと同時に倒れているジンの周りには血溜まりが出来始める。


  俺は辺りを確認してからジンに近付いて、チェンソーの電源を起動させた。本来の茶トラ(俺)ならこんな殺し方はしないだろう、それもジンが油断をしていた根源なのかもしれない。


  俺はジンのを肢体から小さくしていくと、首に付いていたネックレスに気がついた。俺は引き千切るようにしてネックレスを手に取った。ネックレスは銀製のもので、飾りの部分には小さな写真が入るような作りになっていた。俺はそっと飾りの部分を開いて、中の写真を確認すると、そこに映る恐ろしい光景に生唾を飲み込んだ…。


  俺はアリスから以前、ジルとジンについて聞かされていた事を思い出して身震いした。
  それは…この狂った双子は産まれながらにしてカナリアなんだ…と。俺の握っているネックレスにはこいつ等の恐ろしい事実が証明されるように残されていた。俺は込み上げる吐き気を生唾と共に飲み込むと、チェーンが赤く染まったネックレスを服のポケットに雑に押し込んだ。


  十分程でジンの身体は元々の体積の半分程に変わってしまった。目の前で変わり果てたジンの姿は残酷という言葉よりも抽象的なアートという風な表現が似合う程に人間味のないものだった。


   俺は服のポケットから腕時計型の端末を取り出して近くのセキュリティハンターを呼び出した。セキュリティハンターの機械音声が俺の鼓膜を震わせる。


  「五十二番様のお呼び出しに応答致しました…ご用件をどうぞ」


  俺はセキュリティハンターに早口で要件を伝えた。


  「執行人室の前の廊下に死体があるから処理してほしいんだけど、それと…この死体は霊安室じゃなくて、直接火葬してほしいんだ…燃やして出た骨は花壇の肥料でもセメントに混ぜてくれても構わない…」



   「了解致しました…お骨の処理はこちらで判断して行います…その他に要件はございますか?」


  俺はセキュリティハンターに告げる。


  「この後、同じ作業を一時間後にお願いしたいんだ…死体の場所は此処ではなくてトリックルームって言えば伝わるかな?」


  俺の問いにセキュリティハンターは無機質な機械音で返答する。


  「トリックルームはジル・ベンダー様の権限で入室制限が掛かっております…ですから、五十二番様のご用件では入室出来ません…」


  俺はニヤリと口角を上げた。


  「じゃあ、ジル・ベンダーの端末から要請すれば応答してくれるんだね?」


  「はい、そのようなシステムになっております」


  俺は自分でも不気味だと思うくらい、気分が高揚しているのを感じた。


  「了解、じゃあ、一時間後にトリックルームから連絡すると思うから出動の用意だけはしておいて、それじゃあ、俺からの要件は終わり」


  俺の言葉にセキュリティハンターは了解しました、と告げて通話を終了させた。


  俺は深呼吸をして血生臭い空気を肺に送り込むと、ジンの死体からどんどん遠ざかって行った。俺は次の目的を果たすために歩いて五分程の距離にあ る場所に来ていた。それは勿論、ジル・ベンダーの元だ。


  彼は今、彼等の管理下にあるトリックルームの中に居た。二人は一週間交代制で一人のカナリアを拷問していると聞いていた。俺の予想通りなら、二人の拷問が上手くいけば今日辺り、拷問されているカナリアは死んでいるだろう…。


  俺はトリックルームの前で深呼吸をすると、ノックもせずに部屋へと足を踏み入れた。


  それに気が付いたジルが大きな声で俺を牽制する。


  「おいっ!!!足を止めろ!!何の用だ?このカナリアはもう死んだ!確認の為に一日放置して様子を観察していたところだ、汚い野良猫に手を出されるほどの仕事ではないはずだが?」


  俺の予想通り、パイプ椅子に座らされた男性のカナリアは、既に生き絶えて泡を吹きながら項垂れているのが目に入った。


  それにしても兄弟揃って俺の事を罵倒し過ぎている気がする。俺は、ジルの方を見つめながら声を発した。ジルからは俺に対する殺気が見ているだけで伝わってきた。

 
    「仕事中に悪いとは思っているんだ、許してほしい、だけど急な要件があって此処に来たんだ、そうでなければ君達と話なんて俺は望んでしないのは分かっているだろう…?」


  俺の言葉に怪訝な表情を浮かべてジルは吐き捨てるように言い放った。


  「要件を早く言って出て行けっ!ノミに塗れた野良猫!!」


  「はいはい、そう急がなくても…最期なんだからさ」


  俺はポツリと呟いてジルに向かってポケットの中から取り出したネックレスを投げつけた。ジルはそれを受け取ると、不審そうに掌の中のネックレスを見つめて声を出した。


  「ん?これは?ジンの?」


  俺は頷いた。


   「噂は本当だったんだね、あんた等とマザーが実の母子関係だって噂、そのネックレスを見て吐き気がしたよ…あんた等は実の父親を殺して母をここのトップに仕立て上げた、それでこうやって今も生きている…あ、それと…弟はもう死んだよ…兄さんに形見を持って来てあげたんだ、俺って優しい奴だよね」


  俺の言葉にジルが分かりやすく発狂するのが目に入った。だからこそ、敢えて挑発するような声色を出してみたのだが、功を奏したらしい。

  「お前、お前、お前、お前、お前、お前、お前、お前、お前、!!!殺してやる!!!殺してやる!!!」


  俺の目の前でジルは自身の細い金の髪を掴んでブチブチと一気に引き抜いた。怒りのあまり、痛みすら感じないようになってしまったらしい。ジルは自身の顔を血が滲むほど掻き壊して見せると、俺の方へ人間とは思えない不気味な動きで近寄って来た。


  「はぁ、滑稽な生き物だね、片方の翼をもがれた鳥はこうなるのか…なんて思っちゃったよ…ジル・ベンダー君の人生はとてもインモラルで可哀想だ…赤ちゃんは産まれる前に母親を選ぶという話は君を見ていると大嘘だと思えてくるよ」


  「殺す!殺す!殺す!殺す!殺す!殺す!殺す!」


  俺はジルを前にしてチェンソーを構えた、ジルはもう目の前の俺の行動すら分からないほど錯乱している。


  俺はチェンソーの電源を起動させて、ただ、その場に立っていた。俺は分かっていた…彼はきっと、何も手を加えなくても死んでいくと…。


  チェンソーを起動させて目の前にただ構えるだけ、たったそれだけで彼は死んでいった。


  「私、松雪咎愛がジル・ベンダーの死刑を執行致します…さようならクレイジージェミニ…さようならジル・ベンダー」


   チェンソーから伝わってくる骨を刻む感触は心地の良いものではなく、激しい嫌悪感と吐き気を催しては、俺はそれを堪えるように大きく息を吸って飲み込んだ。


  室内にはジルの骨を刻む音が響き渡り、ジルがパタリと動かなくなるまでには多くの時間は要さなかった。


  「もう…終わりなんだ…これで、後はあの女を殺せば…俺達も安心して旅立てる…それにこれで白黒ついたな、ジル、ジンが殺せたって事はマイクロチップに少しでも異常が出ている事を証明出来た、これで安心してアリスの出産に挑める」


  俺は部屋を出る前に冷たくなっていくジルの亡骸を遠目に眺めた。彼等の人生は幸せだったのだろうか…。ロゼッタ・アルティメリアという偉大な母に支配され操られ、それに喜びを感じて生きるだけの人生…。


  幼い頃から洗脳され、育ってきたのなら、本人達に母を嫌悪するという感情は当たり前に存在していなかったのだろう。


   彼等の舞台は幕を閉じた。エンドロールまで一ミリも面白くない舞台だった。見ているだけで後味の悪い、まるで味のなくなったガムを永遠に噛み続けているようなそんな不快感を味わう舞台だった。


  「さて、リハーサルは終了…ここからは本気出さないとね」


  俺はジルの死体の左腕をチェンソーで切り取ると、左腕に付けられていた端末からセキュリティハンターを呼び出した。


  「出動要請をお願いしたいんだけど…ジル・ベンダーの許可は取ったよ…約束通り来てくれる?」


  俺の言葉にセキュリティハンターは先程と同じく無機質な音声で応答した。


  「約束と言いますと五十二番様の要件でよろしいでしょうか?」


  「そうだよ、五十二番から、トリックルームの死体の処理の要請だ…あ、後もう一人死体があるからそれも片付けてほしい、椅子に座っている方の死体は身分を確認してから処理してほしいから、霊安室に運んでくれる?床にある方は君達に任せるよ」


  「かしこまりました…すぐに出動致します」


  俺はジルの腕を乱暴に床に投げつけてその場を後にした。 俺は身体中、血塗れのまま、不気味な静寂に包まれている廊下に足音を響かせ歩き去った。


 *寝室に入り、アリスの寝顔を眺めてからシャワーを浴びるために浴室へと足を運んだ。俺の身体には小さな赤い肉片が所々にプチプチと付着していて、髪の毛からは人間の持つ生臭い香りが漂ってくるのを感じた。


    「気持ち悪いな…本当に…」


  俺はシャワーの蛇口を捻り、全身に暖かいお湯を浴びせた。髪の毛を湿らせるとシャンプーの入った容器を乱暴に掴んで、ポンプを二回、プッシュして掌で泡立ててから乱暴に髪の毛を洗い始めた。


  シャワーも水も嫌いだけど、身体中が血で汚れているこの感覚が何よりも嫌いだった。


  この血生臭い香りと、排水溝に流れていく赤い透明な液体を見る度に自分の犯した罪が押し寄せるように思い返されて嗚咽を堪えきれずに涙が溢れる。


  俺は…松雪咎愛は恨まれるべき犯罪者。
  倫理観のない罪人(カナリア)なんだ。


  だけど、明日になれば全てが終わる…そんな事を考えるとホッとしている自分がいた。犯罪者としての自分の人生が終わることに何よりも安心感が湧き出してくる。


  今まで生きて来た十九年の歳月は当初の予定のアリスが三十歳になった時に死ぬよりかなり短くなったけれど、俺は自分が死ぬ事について何の躊躇いも感じていなかった。


  強いて言えば、千幸紀と千愛紀の人生を見守りたい、アリスに長生きしてほしいなんていう思いはあるけれど、それは実現出来ない願いだから俺の人生は続ける意味はない。


  心からそう感じていた。


  俺は目を閉じて俺の人生に母がいたら…。という妄想に耽ってみた。


  もし、松雪幸が生きていて、あの日も一緒に家に帰っていたら…。俺はこうして犯罪者にはならなかったのかもしれない。外の世界で何も知らずにノコノコと生きている人生があったのかもしれない…。


  そう思う自分が馬鹿らしくて鼻で笑い飛ばしたくなる。


  きっと、母がいても同じだったかもしれない…。


  俺は産まれた時点で人生の選択を間違っていたんだ…。



  俺はシャワーの水が口に入り込むのも気に留めず、大きな深呼吸をした。
  これ以上、くだらない妄想に耽るのを止める為に…。



  五分程、シャワーを浴びてから、洗髪、洗身を終えると、バスタオルで色味のない色白の身体から水滴を適当に拭い去って外へ出た。


   「本当、鳥の水浴びを見ているより早い風呂だよな」


  「アリス、起こしちゃった?」


  俺の前に立っていたのは先程まで寝息を立てていたはずのアリスだった。アリスは笑みを浮かべるとバスタオルで下半身を隠したままの俺に飛びつくように抱きついて来た。


  「おいおい、まだ水気が残っているから、アリスが濡れちゃう」


  困惑する俺を他所にアリスは子供のような屈託のない笑みを浮かべて俺の頬にキスをした。


  「いいんだ…少しでも咎愛と触れていたいから…それにジルとジンの事…成功したんだな…これで咎愛が帰って来なかったらどうしようって不安になっていたんだ」


  俺はアリスを強く抱きしめながら言葉を返した。


  「大丈夫…俺はこうして帰って来れた…それにあの噂は本当だった、これであの女を殺せるのはほぼ間違いないだろう…二人を殺した事でマイクロチップの異常は確認出来たも同前だから」


  アリスは俺の言葉に驚きの表情を浮かべていた。


  「あの噂は本当だったのか…?二人はあの女の実の子供…ここの署長との間に産まれた子供…何て恐ろしいんだ」


  俺はアリスの髪に顔を埋めて息を吸い込んだ。アリスの髪から香る、甘い花のような香りにうっとりしながら言葉を続けた。


  「二人は親愛なる母の為に自身の父親を殺したんだ…彼等の身に付けていたネックレスに写真が付けられていて、その中にマザーと署長と写る二人がいたよ…」


  「そうか…手を血に染めてまで母親を持ち上げたかったのか…」


  俺は首を傾げた。


  「さぁね…あいつ等の事はよく分からない…今、分かっているのはあいつ等が此処にいた署長を殺してマザーを署長に仕立て上げたって事くらいかな」


  「一体、何の目的であの女は署長の座に着いたんだ、金銭目的なら署長の妻という時点で中々の収入を得ていたと思うんだが、その他に理由があるのかもしれないな…まぁ、僕にはこれ以上、詮索の余地もないから、考えるのはやめにするよ」


  俺はアリスの考察に頷いてから、優しくアリスの髪を撫でた。


  「何にせよ、咎愛が戻って来てくれて嬉しい…これで安心して僕も出産に挑めるよ…」


  「あぁ、安心してくれ」 


    アリスは俺に暫く甘えていたが、俺の格好を思い出して苦笑してから身を離した。


  「ごめん、咎愛…服、着てなかったな…すっかり忘れていた」


  俺は申し訳なさそうにしているアリスに笑みを向けて、安心させようとした。アリスはそんな俺に笑みを返してから、ベットにゆっくりと腰を下ろした。


  「明日、外部から奈津を侵入させる計画はそのまま実行するのか?今日の成果を見ると、奈津が此処に来る必要は無いような気がするんだ、咎愛が直接外部に出向けばいいだろう…?」


  アリスはベットに横になりながら俺の方に声を掛けて来る。俺は素肌に服を通してからアリスの元へと足を進めた。


  「アリスの言う通り、奈津は子供の譲渡だけしてもらえればいいんだけど、やり残した事をこの機会に片付けておきたいんだ…」


  アリスは小首を傾げると全てを理解したのか、ふわりと笑ってから口を開いた。


  「咎愛…直接会いに行くんだな…ふふっ…咎愛らしいよ…」


  俺はアリスの方へ近寄るとアリスを力一杯抱きしめた。


  「ん…咎愛…苦しいよ…」


  「ちょっとだけ…抱きしめさせて…だって今日が最期だろ…もう、アリスに会えなくなるんだろ…だから、今はこうして抱きしめさせてほしい…」


  アリスは俺にされるがままになって俺の腕の中で暖かい体温を分け合っていた。


  「咎愛…愛してる」「アリス…愛してる」


  二人が同じ事を口にした事に驚きながらも安心している自分がいた。この安心感は死ぬまで心に残り続けるような気がする。いや、残り続けるんだ。


  俺はアリスが眠ったのを確認すると自分も束の間の休息を得る為に横になった。


  目を閉じて、薄れゆく意識の中を何度も何度も、最期という言葉が浮かんでは消えていった。もうこれが最期…。本当の最期なんだ…。


  *翌朝、俺は早朝にアリスと共に分娩室代わりになる医療室を訪れていた。アリスは俺に手を伸ばして小さな声で呟いた。


  「多分…これが咎愛と話せる最期の時間だよな…僕は咎愛と出会えて本当に幸せだった、本当に後悔はないよ…それと…これを…愛美に渡してほしい…こっちは咎愛に…恥ずかしいから、僕が死んでから読んでくれよ…それと…咎愛…愛している…誰よりも、何よりも…僕を選んでくれてありがとう…」 


    俺はアリスの震える手から二通の手紙を受け取って服の中にしまい込んだ。アリスの右目からはキラキラとダイヤのような涙が一粒、零れ落ちていく。あの日…俺達が初めて出会った日のようなその涙に俺の心は大きく揺るぎそうになる。


  「咎愛…僕は…いや、私はこれからママになるね…」


  俺はアリスの小さな手を握り締めた。もう戻れない…。アリスの小さな手は暖かくて、強く握ると壊れてしまいそうな程に弱々しいものだった。


  「アリス…俺もすぐ行くから…待ってて」


  アリスは俺の言葉に頷いた。そしてゆっくりと目を閉じた。


  アリスの目が開くことはもう二度とないだろう…。


  俺もアリスと出会えて幸せでした。


  俺はアリスからどんどん遠ざかっていった。振り返る事は決して許されない、全てが終わるまでは…。


  俺は寝室に向かって歩いて行った。俺の目的は胎児の入っている人工の胎内だった。そこから胎児…千愛紀を取り出して、マザーに会いに行く…。千愛紀には悪いが、生まれて早々に倫理観のない現場に付き合ってもらう事になる…。


  俺は寝室に入ると、機械を操作して人工の胎内の中から千愛紀を取り出して、背中を強く叩いて刺激を与えた。


  ゴボっというような咳き込む音と共に口内の水を吐き出して、千愛紀は大きな産声を上げてくれた。


  こんな時なのに、俺は腕の中で泣き?る小さな千愛紀を抱きしめて涙を流した。


  「良かった…無事に産まれてくれて…良かった…千愛紀…良かった…」


  何度も何度も、腕の中にいる千愛紀の顔を見ては嬉しさから涙を零してしまう自分が恥ずかしくありながらも、嬉しかった。


  俺はこうして父親になれた…ありがとう…アリス…。


  「よし…それじゃあ、行こうか…」


  俺は千愛紀を用意していたお包みに包んでから、部屋を後にした。俺はエレベーターを使って一階の玄関に近い場所で待機していた。


  予定通りなら、マザーがそろそろ此処に戻って来るはずだ。俺は腕の中で泣き?る千秋愛紀を不器用にあやしながら、マザーの姿が現れるのを待つ。


  五分…。十分…。


  待ち始めて、二十分が経過した時、その時は訪れた。


  外部から戻って来たマザーは俺の抱く千愛紀の姿を見て、クスリと鼻で笑って見せた。


  「あら、無事に産まれたのね…」 


    俺はマザーの言葉にゆっくりと頷いた。


  「目鼻立ちはアリスに似てるけど、髪の色は猫ちゃん似かしら…まぁ、無事に産まれて来れたなら良かったわ…それじゃあ、お決まりのチップを入れなくちゃね…私の部屋まで付いてきて…」


  俺はマザーを睨みつつ、マザーに言われるままに、後ろをついて歩いた。千愛紀は大きな声で泣き続けているにも関わらず、マザーはそれに対して何も言う事はなかった。


  「さて、じゃあ、入ってちょうだい」


  俺はマザーに同意して、部屋の中へ足を踏み入れた。


  「失礼します」


  「はい、どうぞ…猫ちゃんベイビーは思っていたより可愛いじゃない?将来はきっと美人さんになるわね」


  俺は返答する事なく、腕の中の千愛紀にちらりと視線を移した。


  「猫ちゃんベイビーは元気一杯ね…猫ちゃんの心臓の音を聞かせてあげたら?泣き止むんじゃない?」


  俺はマザーの言葉に従ってみる事にした。千愛紀の小さな耳を俺の心音が聞こえる位置に当てがう。


  すると、まるで、魔法にかけられたように千愛紀の泣き声が小さくなっていった。俺は思わず感歎の声を漏らす。


  「本当だ…すごい」


  俺の言葉を聞いてマザーはふふっと笑みを零した。


  「子供が子供を抱っこしてるのを見ているのは滑稽ね…さぁ、猫ちゃん、こっちへ来なさい…」


  俺は警戒しながら、千愛紀と一緒にマザーの方へ足を動かした。一歩、一歩、近付く度に俺の心臓はバクバクと、飛び出しそうな程に心音を響かせていた。


  俺がマザーの目前まで迫った時、マザーがポツリと氷のように冷たい声で呟いた。俺はその声を聞いて背筋に虫が這ったような寒気に襲われた。


  「ところで猫ちゃん…どうして、ジルとジンを殺したの…?失礼、言い方を変えるわ…どうして、私の愛しい息子を殺したの…?」


  俺は思わず、生唾をゴクリと飲み込んだ。どうして…この女がその事について知っているんだ…この件について知っているのは、殺された彼等と、俺と、アリス、それと…計画に手を貸してくれている、平と奈津だけのはずだ。


  この中に、裏切り者がいる…?


  マザーが外部に行っていたのは平か奈津にコンタクトを取っていたとしたら…?


  もしそうならば、全ての歯車が噛み合う。 


    俺はこの後の自分の回答次第で、この計画が水の泡になってしまうと予想した。俺は深呼吸をしてからマザーの瞳をじっと見つめた。マザーの表情は無感情という表現が最も相応しい…そんな顔をしていた。


  「あら、猫ちゃん…急がなくていいのよ…それに貴方のマイクロチップはもう機能していないわ…貴方の計画がスムーズに行くように私の意思で機能を停止させたの…だから、いつでも私を殺せるわ」


  俺は下唇を強く噛みながらマザーへの回答を探していた。そして、漸く口を開く。


  「ジルとジンを殺したのは、あいつらの倫理観がなかった…それだけだよ…もし、付け足すなら、今回の計画をより効率的に終わらす為の下準備ってところかな」


  俺はマザーの表情を探る為に視線を逸らす事なくマザーを見つめ続けた。マザーは俺の回答に納得したように頷いてから口を開いた。


  「そう…あの子たちの死に様はどうだったかしら?きっと無残に散ったんでしょうに…そうよ…あの子たちはそれでいいのよ…」


  俺はマザーの言葉に耳を疑った。きっとマザーはジルとジンを殺した犯人を前に冷静さを欠いて襲いかかってくる事を俺は想定していたからだ。


  「驚いたでしょう…猫ちゃん…?私はね、ずっと後悔していたのよ?ジルとジンを身籠ってしまったことを…こんな事を貴方に話したら怒るのでしょうけど、あの子たちは私が望んで産んだ子ではないのよ…親同士が勝手に決めた結婚で好きでもない男との間に出来た子供…毎日、毎日、私は後悔していたわ…子供がいなければあの男から離れる手段もあったのかもしれない…だけど、あの男はそれをさせなかった」


  俺はマザーの話に耳を傾け続けた。この女の原点を聞くのは始めてだったからだ。


  「あの男は結婚を取り消せないように抵抗する私に無理矢理、乱暴して、その結果、私はあの子たちを身籠った、それはあの男から逃げられない証明になってしまった…自殺も考えた…だけど、あの時の私にはそれは出来なかった…そうして、私はあの子たちを出産したわ、ジルとジンはあの男によく似ていた、髪の色も瞳の色も、相手の心に踏み込んでくるような話し方も、乱暴な態度も…」


  俺は口を挟むようにマザーの話に言葉を放った。


    「ジルとジンの苗字があんたと違うのはそういう事なのか、実の母子関係にありながら、他人として振る舞って生きてきた…」


  マザーは俺の言葉に大きく頷いてみせた。


  「もっと言ってしまうと、私はあの子たちを洗脳するように…私を崇拝するように育て上げた、父の恐ろしさを真っ暗闇の部屋で聞かせ、私の素晴らしさをあの子たちに理解出来るように話し続けた。ある日、あの子たちは父親に反抗的な態度を見せ始めた、あの子たちの父はそれに対して暴力で返した…その事が私達の人生の分岐点になったの…」


  「彼等の父が本当に恐ろしい人間だという証明になった…母から聞かされていた事が事実だと確証を得たんだな…」


  俺の言葉にマザーは頷いた。そして口角をニヤリと上げて言葉を続けた。


  「そうよ…そして、あの子達は父親を殺した、それは私が指示をしたわけではないのよ…あの子たちの意思で父親を殺したの、貴方も知っての通り、私の旦那であの子たちの父親はここの署長だった、そう、ここのトップだった、私は彼の死を誤魔化す為、此処に足を運んだわ、それからはだった」


  俺はマザーの言葉に首を傾げて見せた。…マザーの言った言葉の意味が理解出来なかったからだ。俺は腕の中で大人しくしている千愛紀を気にしながらマザーに視線を戻した。


  「ふふっ、だったのよ…此処の副署長と話がしたいと持ち出して、副署長の前で裸になったの…そしたらもう、そこからは男女の関係に発展したわ…その時から、もう、私の心は壊れていたのね…そこから、副署長を一年程、交際して私の地位を作り上げた頃、ジルとジンに彼を始末させたわ、自分でも驚くくらいに後悔はなかったわ…それと少しの安心感を覚えた…私はあの子たちの父親を忘れたい一心で子宮を摘出したの…あの子達を産んだ事実も消し去りたかったから…」


  「それじゃ、俺が彼等を殺した事であんたは救われたような気になっているんだ、そして、あんたは此処の関係者達を次々殺してもらってトップに着いたわけ?」


  俺の言葉にマザーは笑みを零す、不気味なくらい優しい表情で。


  「そうよ…あの子たちを利用するだけして、本当はあの子たちすら消したかったのよ…それに此処に来て沢山の男と寝たわ…寝るたびにあの子たちの父親を忘れられるような気がしたから…」 


    俺はマザーを一瞥するように睨みつけた。この女は恐ろしい程に狂っているんだ…。同情など、この女には必要ない。


  「さぁ…お話も済んだ事だし、そろそろ潮時かしら…一回も、ジルとジンに母親らしい事したことないのよね…だからせめて、死んだ後くらいは一緒にいてあげないといけないような気がしているの…この後の事は貴方のプラン通り進めたらいいわ…貴方も死ぬんでしょう?アリスが待っているから…ふふっ、最後まで貴方達の喜劇はつまらないわね…」


 俺の視線を受けながら、マザーは歪な笑みを浮かべると、机から一丁の拳銃を取り出して慣れた手付きで弾丸を込め始めた。


  俺はその様子を見て、警戒心を剥き出しにした。


  「ふふっ…猫ちゃんには何もしないわ…最期に一つだけ…私と貴方はよく似ているわ…まるで同じ舞台を午前と午後で演じているみたいね…うふふ…これで演目はお終いね…もうドレスで着飾って踊らなくていいなんて…ホッとしているわ…さぁ…最高の拍手が聞こえるうちに…」


  バンっ…。


  「うぎぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


  ロゼッタ・アルティメリアが床に倒れると共に、千愛紀が大きな鳴き声を上げた。俺は泣き噦る千愛紀を慣れない手付きであやし始める。


  「泣いちゃだめだよ…もう終わったんだ…もう…」


  俺は千愛紀とマザーの部屋を後にした。そして俺はよく知った顔と廊下ですれ違う。


  ピタリと二つの足音が止まった。


  「やぁ、兄さん…大金を注ぎ込んで此処に潜入してきたよ、そっちの計画は成功したみたいだね」


  俺は声の主、萩野目奈津の方を振り返って冷たい視線を向けた。


  「なんでそんな怖い顔しているのかな?もしかして、僕がロゼッタ・アルティメリアと接点を持った事に対して怒ってるのかな…?」


  俺は奈津に対して大きな舌打ちを一つ投げた。


  「ちっ…、やはり、お前があの女に情報をばらしてたのか」


  俺の言葉に奈津は肩を竦めながら笑って見せた。俺はその仕草や態度の一つ一つに苛立ちを隠せなかった。


  「怖い、怖い、そんなおっかない顔しないでよ…なんにせよ結果オーライだったんだからいいじゃない、あの女にはあれがベストな作だったんだ」


    「ベストな作…?もし、失敗していたらどうするつもりだったんだ?俺やアリスの犠牲無駄にしてノコノコとあの女と此処の施設でも占拠するつもりだったのか?」


  俺の声には怒気が含まれ、千愛紀が声に反応して大きな泣き声を上げ続ける。そんな様子には目もくれず、奈津は涼しい顔のまま口を開く。


  「僕なりに色々調べて出した結果、この結末は百パーセント予想のついたものだった、それに、兄さんが殺されそうになった時点で僕が介入しようと思ってたんだ、計画の失敗は可能性としてゼロだったんだ」


  俺は奈津を睨みながら言葉を続けた。


  「萩野目家はすごいな、金であの女を動かせるんだから…最初からこんな手を使わなくても、お前ならあっという間に解決出来たってわけか…馬鹿馬鹿しい話だ…まったく…」


  「まぁ、そうかもね…だけど、僕も多少の犠牲は払ったんだよ…兄さんには話さないけどね…金で愛は買えないって良く言ったもんだなってつくづく思ったよ…それはともかく、兄さんはこの計画を完成させないといけないだろ…?早くアリスさんのところに行って赤ちゃんを愛美さんに届けたら?待っているよ彼?」


  俺は奈津に怒りの篭った眼差しを向けながらもその場を走って後にした。


  「兄さん…最期なんだから褒めてよ…あーあ、なんかモヤモヤしたお別れになっちゃったな…でもいいんだ、これで、最初から僕と兄さんはこういう運命なんだから…」


  人気のなくなった廊下に奈津の小さな呟きだけが響いていた。奈津の漆黒の瞳には異母兄弟の兄の背中はもう映っていない…。


奈津は大きな溜息を吐いた。そして無人の廊下にポツリと呟く。


  「兄さん…」


   と。





  *俺はアリスのいる医療室に飛び込むようにして入室した。


  俺の目には何人かの職員と、うな垂れるようにして目を閉じて動かなくなったアリス。その横に寝かされている小さな娘…千幸紀の姿が目に入った。


  俺はアリスの側に近寄ると、色味のない、冷たい手を掬うように握りしめ、手の甲にキスをした。


  「アリス…ありがとう…千愛紀も元気に産まれたよ…千幸紀も…本当にありがとう…ありがとう…すぐ、俺も行くから…寂しがるなよ」


  俺はアリスの亡骸を潤む瞳で見つめてから、千幸紀をそっと抱き上げた。


  「松雪さん…アリスさんは最期まで頑張っていました…母親として…」 


    俺はその言葉を聞いて?に涙が伝うのを感じた。


  「ありがとう…アリス…」


  俺は室内にいる職員に頭を下げた。そして、千幸紀と千愛紀を腕に抱いて室内から飛び出した。


  俺が目指すのはこの施設の外…。平の待つ公園だ。


  最初の計画では、この役目は奈津に託す予定であった。だが、マイクロチップの支配のない今、俺自身の手で二人を平に託したいと強く思った。


  俺は、この辺りの地形には詳しくないが、奈津から此処のすぐ近くに公園があると聞かされているから、不思議と不安にはならなかった。奈津の事を信用しきっている訳ではないが、今は、騙されるしか他がないだろう。


  俺は急ぎ足で悪魔の鳥籠(監獄)の出口まで辿り着いた。出口には制服を着たガードマンがいて、俺の姿を見るて不審そうに眉根を寄せながらその内の一人が近付いて来た。


  「ストップ!ストップ!貴方は外出許可のあるカナリアですか?お名前と囚人番号をお願いします!それと、その赤ちゃんは一体…?何にせよ、外出申請がないと、困りますよ!」


  俺はガードマンの目をじっと見つめてから口を動かした。


  「俺の名前は松雪咎愛、囚人番号は五十二番、外出申請はマザーからの直々な案件なんで、情報漏洩は厳禁だと言われてる、この子達はマザーから預かって来た子なんだ、俺も詳しくは分からない…このまま、外出出来ないなら、マザーを呼び出して説明してもらうけど、どうすればいい?」


  ガードマンは俺の名前、囚人番号を聞いた時点で小さく身体を震わせていた。俺は普段、猫の仮面を纏っているから、素顔だと気付かれない事を忘れていた。それに、マザーを呼び出して説明させるなんて事はもう二度出来ないくせに、恐ろしいくらい、躊躇いもなく嘘が喉を通り抜ける自分が恐ろしい程不気味だった。


  俺は恐怖心からか、次の行動に出ないガードマンに苛立ちを覚えて怒気混じりの声を出す。


  「ねぇ、どうするの?早くしてもらわないとマザーに怒られるんだけど…?」


  俺の言葉にガードマンは小さな悲鳴のような声を漏らして尻餅をついた。そして、それを見兼ねたもう一人のガードマンが慌ててやって来て、震える声で俺に告げる。


  「茶トラ様…どうぞ、お通り下さい…マイクロチップが作動していない事を見ると、マザー様の要件というのは本当なのですね…大変失礼致しました!!」


   俺はガードマン達に目もくれず、目の前の鉄のゲートが開く様を呆然と眺めていた。俺の腕の中の小さな二人の娘は泣き疲れたのかスヤスヤと気持ち良さそうに眠りについていた。


  「じゃあ、通るよ…多分、すぐ戻るから、その時はまたよろしくね」


  俺は冷たい声色でポツリと言い残すと、ゲートを越えて鳥籠の外へと踏み出した。


  そこはまるで別の世界に来たように穏やかな風景が広がっていた。


  「外の世界か…こんなに同じ場所でも見え方が違うんだな…俺達は本当に鳥籠の中の鳥なんだ…四年前の俺はこんな世界に居たんだな…」


  俺が独り言を呟きながら歩いている道を親子や年老いた夫婦、忙しそうに歩くスーツ姿のサラリーマン、仲睦まじい若い男女が何も知らずに歩き去って行く。


  俺はその様子がなんとも不思議で暫く呆然と見つめていたい気持ちに駆られていた。


  悪魔の鳥籠の前とは思えないような温かい時間がそこには溢れていて、自分の存在があまりにも小さく滑稽に思えてしまう…。俺は自身の頬に涙が伝うのを感じて我に引き戻された。


  「行こう…此処は俺のいるべき世界じゃない…此処にはアリスがいないから…」


   俺は深呼吸をして、辺りの光景に目を向けた。悪魔の鳥籠の前は公道になっていて、当たり前のように人が忙しなく行き来している。道案内の看板のようなものは目に付かない…。奈津の言っていた公園らしきものは視界には入って来ないところを見ると、少しばかり歩いてみるしかなさそうだ。


  俺は全身、漆黒な服を着ている事と、二人の赤ちゃんを抱いている事から周囲の人の目を集めてしまっているようだった。


  通りすがりの人々の視線が突き刺さっては離れていく。あの赤ちゃん双子かな…。何て話し声も何回か耳にした。


  そんな事を繰り返し、五分程辺りを散策していると噴水のある広い公園が目に入った。俺は公園を目にした途端、慌てたように走って公園の中をぐるぐると見渡した。


  奈津は言っていた。既に平は待っていると。


  俺は千幸紀と千愛紀が泣くのを考慮して大きな声を出せないまま、暫く公園内を散策していた。


  すると。


  「遅かったじゃねーか、もしかして咎愛と上手く合流出来なかったのか?」


  背後からよく知った男性の声を耳にしてゆっくりと振り返った。 


    そして、情けない事に涙混じりの声で男性に返答する。


  「平…?」


  俺の声を聞いた男性は目を丸くして暫く言葉を失っていた。


  「おい…奈津じゃねーのか…嘘だろ…咎愛!?」


   俺は平の顔を潤んだ瞳でじっと見つめた。オレンジ色の髪にオレンジ色の瞳、愛想の良い表情は相変わらずで、カナリアのデスゲームで一緒に過ごしていた時よりも少しだけ体格が大きく見えた。


  「久しぶり…平、腕の怪我は良くなった?」


  俺の問い掛けに平は苦笑しながら、涙を零した。そして、平は涙声でこう答える。


  「久しぶりだな…お陰様で一ヶ月は寝込んだよ…痛かったぜ、おまけに熱は出るし困ったよ、全く…あ!それと、手紙に書いてあった松雪って送り主、俺の心友は萩野目って苗字だったんだけど、間違うなよな!」


  俺は平の言葉を聞いて肩の力が抜けるのを実感した。


  「ははははは…久しぶりに会ったのに怒られるなんて思ってもみなかったよ」


  俺の笑い声を聞いた平もつられたように大きな声で笑い出した。


  「そりゃあ、怒るだろ?たまには喧嘩もしないといけないからな、友達ってもんは」


  「そうなのかな?」


  俺は首を傾げて平を見つめた。平はそんな俺を笑顔で見つめ返す。


  「そんなもんだよ、友達って、本音で向き合うから喧嘩もするし、その分仲良くなる!良く覚えておけよ」


  俺は自然と笑顔で頷いた。平といると自分がアリスと過ごしている時みたいに自然体に戻るから不思議だ。平と暫く談笑した後、平は俺の腕で眠っている千幸紀と千愛紀に目を移して呟いた。


  「よく寝てるのな…可愛いな、髪の色はお前に似てるけど後は釘井に似てるのか?なんとなく顔立ちがハーフっぽい気がするぜ、二人も抱いてると肩が疲れるだろ、一人抱かせてくれよ」


  俺は平の腕に千幸紀をそっと引き渡した。


  千幸紀は動じる事なく、平の腕にすんなりと収まって寝息を立て続けていた。


  「千幸紀と千愛紀…平の抱いている方が千幸紀でお姉ちゃんになるんだ、その子がオリジナルの赤ちゃん…二人ともアリスに似て可愛い顔になると思うよ」


  俺の言葉を聞きながら、平は千幸紀に優しく声を掛けた。


  「咎愛と釘井の分も俺がちゃんと幸せにするからな…絶対」


   「ありがとう…平」


  それから一時間程、平と談笑をして自身の決意が固まった頃、平に一通の手紙を差し出した。平は手紙を首を傾げながら受け取った。


  「これは…?」


  俺は平の問いに答える。


  「この封筒には俺とアリスからの手紙と、俺達の写真が入ってる…この子達が自分の事について気になりだして、理解が出来るくらい大きくなった時、平の判断でこれを見せてほしいんだ、勿論、平が必要ないと感じたらこれは破棄してくれて構わない…自分達の親が犯罪者だったなんて知らないで生きた方が幸せに決まっているからね…俺はこれを平に託したいと思ったんだ、お願いしてもいいかな…」


 俺の言葉を聞いて、平は大きな深呼吸をしてから手紙をしっかりと受け取った。


  「咎愛の子供なら、いつかきっと事実を受け入れる日が来ると信じてる…もし、その時が来たら、俺の口からちゃんと伝えるし、これを見せようと思う、もし、この子達が自身の事について知らずに生きる道を歩んだ時には、俺はこれをお前の心友として墓場まで持っていくつもりだ…約束する」


  俺は平の言葉に涙混じりに頷いた。


 「平と心友になれて良かったよ…本当に…本当にありがとう…」


  俺の言葉に平は照れくさそうに頭を掻いてから呟いた。


  「おいおい、照れるような事言うなよな…」


  そこまで呟くと、平は突然真面目な表情になって俺に問い掛けてくる。


  「なぁ咎愛、本当にいくのか?」


  俺は平の言葉に頷いて返した。平の言う『いく』が『死ぬ』と同義語なのは聞かなくても分かっていた。


  そして俺は平に言葉を返した。


  「俺はいくよ、アリスが待っているんだ…アリスは歳上なのに寂しがりやだから一人には出来ないし、それに俺、ホッとしているんだ、松雪咎愛として、茶トラとして…これい以上、誰も殺さなくていい事に…心底ホッとしているんだ」


  「咎愛…」


  「それに産まれ変わったらアリスとまた恋人になって、平とも心友になりたい!そんな妄想を抱いて死ねる事に感謝もしてる、本当に後悔はないよ」


  俺は素直な気持ちを平にぶつけて、平の方に手を差し出した。

 
    平は俺の手を強く握って涙混じりの笑みを浮かべた。


  「咎愛!また会おうな絶対にっ!」「また会おうね!」


  俺と平は暫く無言で見つめ合った。これが本当に最期の平との会話なんだ…。


  「よし、俺は帰るよ…千愛紀の事もよろしくね…」


  俺はゆっくりと千愛紀を平に託して立ち上がった。そして最期に二人の娘のおでこにキスを落とす。


  「千幸紀、千愛紀、幸せになるんだよ…たくさん、たくさん、愛してもらうんだよ…たくさん、遊んで、たくさん、勉強して素敵な大人になって、平の事、幸せだって思えるようなお父さんにしてあげてね…俺は…パパとママはずっと二人の味方だからね…愛してる…ずっと、ずっと、愛してる」


  俺は目に浮かぶ涙を右手の甲で拭い去ると平に背中を向けて歩き出した。平はそんな俺を涙を流しながら見送ってくれた。俺には何も言わないで見つめ続けてくれる平の優しさが痛いくらいに嬉しかった。


  本当に、平と心友で良かった…アリスと恋人になれて良かった…二人のパパになれて良かった…ありがとう…ありがとう。


  *「お帰り…愛美さんと合流出来たんだね」


  俺は悪魔の鳥籠に戻って来た。そして、アリスの亡骸を抱き抱えて医療室を後にした。そして、二人で過ごして俺の寝室へと戻って来ていた。


  その途中で、まだ建物の中にいた奈津について来るように頼んで俺は奈津を寝室に入室させた。


  「平と話せたよ、子供を引き渡せた…奈津には今後も迷惑かけるけど後の事は任せるよ
、それと俺がこの後死んだら、俺達を火葬して同じ墓に入れてほしい、資金なら俺が今まで稼いだ金がそこの金庫に入ってる…それと此処の新しい署長については…」


  俺の言葉を強引に遮って奈津は口を開いた。


  「金なんて要らないよ、僕には玩具のように金があるからね…それに地獄に落ちた時に金がないと困るだろ?金も一緒に火葬するから安心して、そして此処の新署長さんについては萩野目家の大金を叩いて外国の方から着任してもらうように手配済みだよ、それと僕も将来的に警察になろうと思っているんだ…兄さんに話せて良かったよ」


  俺は奈津の言葉を聞いて頷いた。


  「最期までありがとう…娘と平の事もよろしく頼む…後は金庫に入ってるメモリーカードを奈津か平の手で保管してほしい、内容はカナリアのデスゲームについての映像になってる」 
 

    奈津は俺の言葉に頷いて返した。


   「そんな重要機密を僕等が取り扱っても平気なの?」


  俺は奈津の問いに答える。


  「平と奈津だから任せるんだ、それと執行官の暮らしてい施設と、執行部屋の取り壊しは早めにお願いしたい…後、冤罪で捕まっているカナリアと高齢で此処にいるカナリア、保護対象のカナリアは保釈するか、別に施設を作って暮らせるようにしてほしい、お願い出来るか?」


  それは俺の身勝手な願いだった。


  俺が殺してきた罪のないカナリアの贖罪にはならないのは分かっているが、これ以上苦しむカナリアを産まない為に、これからの時代は本当に死刑のないものになるように…そう願った結果だった。


  奈津は俺の言葉を涼しい顔で聞いていた。そして簡単に頷いて見せる。


  「任せてよ、兄さん…絶対に死刑はなくすから…兄さんの願った世界を僕が作るから、安心して眠ってよ…」


  俺は奈津言葉に笑みを浮かべてから頷いた。


  「ありがとう、それじゃあ、そろそろアリスのところに行くか…」


  俺は右手で拳銃を構えて自身のこめかみにそっと当てがった。後悔はない。心からそう思っている。


  奈津は俺を見て、漆黒の瞳から大粒の涙を零し始めた。さっきまで顔色一つ変えなかったのは、強がっていたからなのかな…なんて、口には出さないけれどそう感じた。


   「兄さん…」


  俺は最期に奈津の瞳を見つめた、そして俺の横にいる亡骸のアリスに優しく微笑む。


  「アリス…愛してる…私、萩野目咎愛が、松雪咎愛の死刑を執行致します…」


  俺は人差し指でトリガーを弾いた。


  「兄さん…」


  奈津は嗚咽混じりの声で呟いた。さっきまで言葉を放っていた義兄の唇は二度と動く事はない。もう二度と動く事はない。


  奈津は乱暴に目から溢れ出る涙を拭うと、セキュリティハンターを呼び出して二人を火葬する手配を済ませた。


  「兄さん…短い間だったけど、兄弟で良かった…僕だけ何も知らないで生きててごめん…これからは兄さんの分も頑張るよ」


  奈津の決意は固かった。誰よりも何よりも…。


  西暦三千年…廃止されていたはずの死刑は本当の意味で廃止された。これからの未来は始まったばかりだ。


  未来はこれから始まっていく。 


    *釘井アリス、松雪咎愛の死から二十年が経とうとしていた。人々がクリスマスムードに染まる中、朝一番で七人の家族が一つの墓標の前を訪れていた。


  「ちょっと、パパ!お線香は?千愛紀はお花飾るの手伝って!」


  「おいおい、千幸紀、パパも四十歳過ぎてるんだからあんまりこき使うなよな!それに、こんなとこ見られたら咎愛に怒られるぞっ!まぁ、あいつなら甘やかしそうだけどな」


  パパと呼ばれた男性は墓標に向かって優しく微笑んだ。そんな男性の横で忙しなく墓標を磨いたり、花を飾っている女性が二人。


  二人はくっきりと美しい顔立ちに柔らかいブラウンの髪、深緑色の目をしていた。瓜二つの女性達は墓標の前でにこやかに微笑むとそっとしゃがんで胸の中で今は亡き両親に言葉を捧げる。


  『お父さん、お母さん…千幸紀も千愛紀もこんなに大きくなりました、今日は私達の二十歳の誕生日でこれからパパが美味しいランチに連れて行ってくれます!パパは私達にとっても優しくて大好きです、パパと結婚して私達のママになってくれた紅花さんも本当に優しくて私達はとっても幸せです…それと、三人の弟達も無事に大きく育ってくれてます!お父さん、お母さん、私達を産んでくれてありがとう!千幸紀も千愛紀も世界で一番幸せです!』


  二人の女性の横で手を合わす男の子達が三人と夫婦が一組。


  この墓標に眠る二人の存在はこの家族…愛美家にとって大きなものなのにはいつになっても変わりがなく、かけがえのない存在…。


  ここまでの道のりは決して楽なものではなかったけれど、世界は大きく変わりつつある…。此処に眠る二人を中心にして。


  悪魔のカナリアと呼ばれ、恐れられた二人は誰かにとっての家族になり、誰かにとっての愛すべき人になった世界。


  この世界はまだまだ始まったばかり…。





 
  



 







 




 
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