悪魔のカナリア

はるの すみれ

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第一章 カナリアのデスゲーム

六ページ グッドモーニング&バットコール…二

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    時刻は午後二時。
  僕は約束通り平が来るのを部屋で待っていた。
  平が部屋を出てから一時間程が経過した。

  トントンっ。


  「はい、開けます!」


  僕が図鑑から顔を上げ、扉を開けると僕の視界にはすぐに平が入った。


  「よっ!咎愛!留守番ありがとうな!」


  「おかえり、平、何か情報は掴めた?それより、九条さんに酷いこと言われたりしてない?」


  平は僕の心配を打ち消すようにピースサインを作って僕の顔に掲げてみせた。


  「咎愛が思っているような事はなかったよ、情報もしっかり掴めた!安心してほしい」


  僕は平の言葉に頷いた。平の話している事は嘘ではないようだ。僕は安心感から肩の力を抜いた。


  「よかった…それで情報は…?」


  「まぁ今から話すから落ち着いて聞けよ!」


  平は僕をベットに座らせると、自分も机の前にある椅子にドスッと腰掛けた。


  「んー、何から話すっかな…取り敢えずこの端末についての話からするか…」


  平は着ていた上着のポケットから小さな手帳を取り出すとメモしてある内容を僕に見せながら話を始めた。


  「端末を弄って調べたんだけど…この端末に俺達の情報が入っているのは分かってた事何だが、一人一人、端末によって入っている情報が違うんだ、分かりやすく言うと、俺の端末には俺の情報が入っていて、俺が死んだら俺の端末から情報が送信されるようになってるんだ…この話は九条さんが教えてくれた、芙蓉さんの端末をこっそり回収してたらメールの送信履歴が残っていた事が証拠だと言っていた」


  「じゃあ、僕の端末には僕の情報が入っているって事、でも亡くなったカナリアの端末からどうやってメールを送信しているの…?茶トラが殺した後に送ってるの?そうじゃないとすれば幽霊…?」


  僕は自身の左腕の端末をじっと見つめてみる。
  幽霊なんて非科学的なものは信じない性格ではあるけれど、もしもの事を考えると背筋がゾッとするような感覚に襲われた。そんな僕を見て平は嘲笑するように笑ってみせた。


  「咎愛、お化け怖いのかよ、本当にお子様だな!まぁ続きを話すから安心してくれ」


  「うん…」


    「咎愛の言う心霊的現象は有り得ない、先に断言しておくぜ、この端末を外して端末が人の皮膚に触れている部分の一角に目を良く凝らすと目視できる位の小さなチップが見えるんだ、恐らくこれで体温を感知して、持ち主の体温が一定の温度を下回ると自動的にメールが送信される仕組みになっていると俺は考えた。」


  平の考察に僕は息を飲んだ。


  「成程、平の仮説なら亡くなったカナリアからのメールについて筋が通る、これなら心霊現象疑惑はゼロに近くなる」


  「まぁ、飽くまで仮説で考察なんだけどな、それより、ガエリゴからのメールについてはよく分からない…九条さんが回収した芙蓉さんの端末を調べたら、ガエリゴからのメールは芙蓉さんの端末には送信履歴はなかった」


  「じゃあ、ガエリゴは別に存在しているって事?!」


  平は僕の言葉にゆっくりと頷いた。


  「現時点ではデータだけではない存在があると思うんだ…この件については九条さんたちも調査中みたいな話で終わった」


  「そっかぁ…まだ謎は残ってるんだね…」


  「あぁ、他にも沢山話したんだけど、収穫はなかった、というか目の前でアンさんと濃厚なキスが始まちゃって気まずくなって退散してきた」


  僕の頭には朝の二人の足を絡め合う姿が頭に浮かんできて思わず顔を両手覆って隠した。


  「おいおい咎愛、大丈夫か?顔真っ赤だぜ?本当にピュアな奴だな…」


   そんな僕を見た平は呆れたように溜息を吐いた。


  「だって…朝からあの光景は過激過ぎたよ…あんなの始めて見た…」


  「おいおい、あれは流石に俺にも応えたぜ…あんな黒の透けたようなパンティー…現実で目にする日が来るとはな…」


  平の言葉にあの光景がはっきりと思い出されて僕の顔は火が灯ったかのように熱くなってくる。


  「平、この話はやめにしようよ…僕にはちょっと刺激が強過ぎて思い出すだけで恥ずかしくなるよ…」


  「へーへー、この話はお終いにするぜ」


  ほっと胸を撫で下ろした僕等は昼食を摂るのも忘れて他愛もない話で盛り上がっていた。 


      時刻は午後六時を回る頃、平の空腹を知らせる合図が盛大に部屋にこだました。


  「悪りぃ、腹減っちまった…咎愛は腹減ってねぇか?」


  「言われてみればお腹空いているような気がする」


  平に言われるまで意識していなかったけれど、昼食を摂っていないんだから空いていないわけがない。


  「よしっじゃあ食堂に行こうぜ!昼飯の分も食わねーとな」


  「そんなに食べるの!?」


  驚く僕を他所に平はスタスタと部屋を飛び出して歩いて行ってしまった。僕も慌てて後を追いかけた。


  数メートル続く廊下を歩いていると、僕らの視界に信じられない光景が飛び込んできた。その瞬間、鼓膜を劈くような狂気混じりの悲鳴も上がる。


  「何なんだよっ…」


  「えっ?何?」


  僕と平が騒ぎの中心に近付くと、目を疑うような光景が明らかになった。
  そこには僕等以外のカナリア三人の姿があった。一番最初に目に入ったのは、黄瀬さん、その周りを囲うようにして立っているアンさん、九条さんの姿。


  「人殺し…どうして…どうして…どうして…どうして…どうして…どうして!!!!私だけが…どうして…!!!みんなみんな殺してやる!!!」


 奇声を発していたのは、手に握るナイフと身体を血で真っ赤に染めた黄瀬さんだった。


  僕等が近付くのを見た誰かが大声で僕等の足を止める為に叫ぶ。
  それは先程僕の視界には入らなかった彼方さんの姿だった。


  「お前達!!!早く逃げろ!!!こっちに来てんじゃねー!!!」


  「か…か…か…彼方…さ…ん…?」


  僕等に逃げるように声を上げた彼方さんは地面にお腹を抑えるようにして倒れこんでおり、その身体の周囲には真っ赤な血溜まりが鉄の匂いを放ちながらタラタラと広がりを見せていた。


  「咎愛…ここに居ろ!絶対に動くな!」


  平はそう言って僕の側から離れると、黄瀬さん達の方へズカズカと歩み寄って行く。


  「平!」


  僕の叫びも虚しく、黄瀬さんは歩み寄る平の方に視線を合わせた。


  このままでは平が危ない…。


  だけど、僕という情けない生き物は足が竦んで一歩もその場から動く事が出来ずにいた。


  「なぁに…あんたから…殺す…の…?痛いよ…痛いよ…?殺す…?いいよ…いいよ…殺す?…どうして…殺す…?」


   黄瀬さんの目は狂気に満ちていて、正気とは思えなかった。


  僕等の死っている黄瀬さんは何処かに消え、目の前には殺意を纏った狂乱なカナリアが存在しているだけだった。


  「こっちおいで…こっちおいで…刺しちゃうぞ…痛いの…刺しちゃうぞ…死んじゃうの…みんな…痛いよ…殺しちゃうよ…?」


  平の背中からは表情は分からなかったけれど、きっと死の恐怖と隣り合わせという状況に平然となんてしていられるわけがなかった。きっと平も怖いんだ。


  「あーあ…死んじゃうの…?そうするの…?こっちに来たら死んじゃうよ…?」


  彼方さんは黄瀬さんの動きを惹きつけようと黄瀬さんのハイソックスを纏った細い足に手を伸ばすが指先も掠る事なく力なく崩れ落ちる。


  そんな事を気にもせず黄瀬さんの右手に持つナイフが平の直線上に構えられた。


  「やめろ…やめろ…黄瀬さんやめてくれ!!」


  いくら僕が喚いたって黄瀬さんの耳には届きはしない。


  黄瀬さんは不気味に口角を上げてニヤリと笑うと勢いをつけて平目掛けて走り出した。


  ドン…。


  僕が恐怖で目を閉じた瞬間、聞いたことのない鈍い音が廊下に響き渡った。
  その瞬間、黄瀬さんの身体が糸の切れた操り人形のようにピタリと動かなくなりグニャリとその場に倒れ込んだ。何が起こったのか分からずに目を見開いたままの僕。
  黄瀬さんに殺される寸前だった平も呆然とその場に立ち尽くしたまま動かずにいた。


  「おい、それ以上はやめろ!!!」


  突然上がった平の声に僕は慌てて目の前の光景に視線を合わせる。僕はやっと動くようになった足を動かして、騒ぎの中に近付いて行く。
  一歩、一歩、近付くにつれ、僕の視界には悍ましく、恐ろしい光景が広がる。


  「これ以上、何の意味もない!!やめろ!このっ」


  僕の視界には、血塗れで倒れ込む彼方さんとその横に倒れ込む黄瀬さん、そして黄瀬さんに馬乗りになってナイフを突き立てている九条さん、それを抑えようとしている平と、九条さんの邪魔をさせまい為に平を抑えているアンさんの姿があった。


  僕等の目の前で九条さんは何度も何度もサクサクと軽い音を立てながら黄瀬さんの首、胸、腹部、足、手の至る所にナイフを突き立てている。
  その度に黄瀬さんの身体は浮いたり沈んだり、血飛沫をあげていた。


   「あ………う…ぁ………」


  僕は声にならない悲鳴をあげ、急に込み上げてきた吐き気を抑えることに必死だった。
  アンさんと平の顔には黄瀬さんの血液が飛び、生々しく辺りに充満している鉄の匂いや僕の足元まで広がっている血溜まり、ここから逃げ出したい思いでいっぱいなのにそれすらできないこの現実から死んでもいいから解放されたいと心の中で思っていた。


  ドサっという音と共に僕の足元に突き飛ばされた平をアンさんが不気味な笑みを浮かべて見つめていた。
  平は僕の方へ歩み寄ると僕を庇うように前に立って口を開いた。


  「咎愛、見るな、これ以上見るな…」


  そう言うと平は僕の目を隠すように両手て覆ってくれた。僕は平の手の隙間から、涙が伝うのを感じていた。


  「う…ぅ…ぁ」


  僕は涙を流しながらその場にへたり込んだ。平も僕に合わせて身を屈めてくれた。
  平は僕の目を隠したまま九条さん達の方を怒りの宿った目で見つめると叫び声に近い怒号を飛ばした。


  「あんたら、そんな事して何がしたいんだ!黄瀬さんは頭を殴られた時点で動けなかっただろう?ここまで残虐に殺す必要性が俺には分からないね!いくらカナリアとは言えあんたら正気じゃねぇ!」


  平の声を聞いてアンさんと九条さんが鼻を鳴らして嘲笑する。


  「あんただって百合がこの女を殴ってなければ死んじゃっていたのにねぇ…感謝の言葉くらい聞きたいわぁ…」


  チッと平は大きな舌打ちをして、九条さんをキッと睨んだ。


  「おぉ怖い怖い…アン助けて…」


  九条さんは返り血に染まった身体をアンさんに密着させると僕等の方をきつく睨みつけた。


  「百合、大丈夫デース!みんなもう動けません!後は僕等が生きて帰れればそれでいーデス!」


  「アンったら、気が早いんだから、こいつらもそのうち殺さないと百合達が安心できないわ…そうだせっかくだから宣言しとこうかしら」


  九条さんはそう言うと一瞬口を噤んでから言葉を発した。


  『茶トラさん、見ているなら百合を殺して御覧なさい…どうやって殺すのかしら?黄瀬さんを殺したようにナイフで何回も何回も刺して殺す…?いいわよ受けて立つわ、悪魔のカナリアならもっと面白い殺り方も出来るんじゃないかしら…?楽しみにしているわ』


    そう言うと九条さん達は足音を響かせて廊下を歩き去って行った。


  誰も気が付いていなかった。この時この中の一人が九条の挑発に笑みを浮かべていた事を…。勿論、僕の目にもそれは映らなかった。


  「平…此処から離れたい…部屋に帰りたいよ…」


  子供のように泣きながら、僕は平の服を掴んでそう懇願していた。
  この場所から離れて早く平と二人になりたかった。
  安心出来る場所に帰りたかった。


  「立てるか…?その前にセキュリティハンターに知らせねーと、彼方さんはまだ息がある、最新の医療なら助けられるんじゃねーかな」


  僕は平の言葉を虚ろな意識で聞いていた。ぼんやりと頭に言葉が届くようなそんな感覚だった。


  「おっ、呼ばなくても、きた来た」


  平が僕を立ち上がらせている時、後方から数台のセキュリティハンターがやって来て、黄瀬さんの真っ赤な身体と彼方さんを担架に乗せて運んでいった。


  「霊安室みたいなところに行くのかな…そもそもこの施設にそんな場所あるのか…?死体は何処に行っているんだ?あっそれよりお前を部屋に連れてくのが先だな、歩けるか…?」


  平は優しい言葉を掛けながら僕を平の部屋まで運んで寝かしつけてくれた。


  「一人じゃ心細いだろう?俺も今日は一人で居たくねーから此処で休んで行けよ…あいつらが何をしてくるかも分かんねーしな」


  そう言うと平はシャワー浴びてくると言ってベット傍から離れて行った。


  僕は平の言葉に甘えてゆっくりと目を閉じた。


  「平…ありがとう…」


  平には届かないと分かっていながら僕は部屋にポツリと言葉を放った。


  *僕が目を覚ましたのは午後十時を回る頃だった。
     あの事件から四時間程眠っていたらしい。


  「よっ!起きたか?俺もさっきまでちょっと寝てたんだ、おっそうだそうだこれ」


  平は身体をベットから起こした僕にティーカップを差し出してくれた。


  「これ何?」


  カップからは甘い香りとほんのり嗅いだことのあるような花の香りが漂っていた。


  「俺もお茶には詳しくねーんだけど、セキュリティハンターがローズピーチティーとか言って渡してくれたんだ、後、面白い話も教えてくれたぜ」


   「いただきます…面白い話って何?」


  ティーカップから上がる白い湯気に少し飲むのを待ちながら僕は先に質問をすることにした。平はそれに気が付いてにかっと笑うと口を開いた。そして思い出したように上着のポケットから小包になったクッキーを取り出して僕に手渡した。


  「猫舌さんの時間埋めには丁度いい話だぜ、今日そのお茶と一緒にこのクッキーをセキュリティハンターがくれたんだけどさ、その時に俺用と咎愛の分を分けてくれたんだ、んで、俺と咎愛の分を間違わないようにって言うんだよな、咎愛の方にはビタミン何ちゃらが多く入っているんだと」


  僕は平の言葉に首を傾げた。


  「僕と平の分で入っている成分が違うって事?」


  平は僕の言葉に首を縦に振った。


  「あぁ、詳しく聞いてみたら、端末に付いているセンサーでカナリアの体調を管理しているらしいんだ、それで俺と咎愛に足りてない栄養素を把握して食事に混ぜてるって言ってた」


  「そんな事やってたんだ…知らなかった」


  僕が驚いて口をぽかんと開けていると、平はそれを見てふっと笑った。


  「俺も今日初めて知った、そろそろお茶も冷めたんじゃねーか?クッキーもちゃんと食べろよ、何も食わねーでいると気が狂っちまうからな…」


  「うん、ありがとう」


  僕は右手に持ったお茶一口、口に含んだ。
  甘い香りと爽やかな風味が僕の疲れを癒してくれるみたいに、心も身体も温かくなっていく。


  「美味しい」


  「よかったぜ、って俺が作ったわけじゃねーんだけどな」


  悪戯っぽく笑う平と僕の間に鳴り響いたのはあの不吉なメロディだった。


  「黄瀬さんか…何があったんだろう?」


  僕が端末を開きながら呟くと、平は苦し気な表情を浮かべながら口を開いた。


  「アンさんから事情は聞いてきたよ、九条さんの入浴の隙に俺に電話を寄越したんだ、要件は宣戦布告だったんだけど…」


  宣戦布告…内容は聞かなくても僕らを殺すという事、それは、言葉にしなくてもはっきりしていた。あの二人は僕等を殺して二人でこの施設から出る気でいるんだ。


  平は僕の顔を見つめると言葉の続きを紡いだ。


      「まぁそれは置いといて、本題は、黄瀬さんが暴れ出した理由なんだけど、アンさんが言うには大声が聞こえて近付いてみたら黄瀬さんが半狂乱で彼方さんをナイフで刺してたらしい、それでアンさんと九条さんが止められない程に黄瀬さんが彼方さんに襲い掛かっていたのが事の発端だってアンさんは話していた」


  「黄瀬さんが狂った原因は何なんだろう?」


  僕の疑問に平は苦笑いしながら口を開いた。


  「はっきり言っちゃうと心の拠り所を失ったのが大きいんじゃないか…栞さんの事、慕ってたみたいだったから…あれから黄瀬さんも部屋に籠ってたんだよな…」


  僕と平は言葉を発する事なく俯いた。
  誰かにとっての大切な人…それが誰かにとっての恨む対象であり、殺されてしまう…此処はそういう世界なんだ。


  僕と平は言葉を閉ざしたまま、端末のメールに目を走らせた。


  『黄瀬檸檬  二十四歳  囚人番号四百九十六


  制約、一日一回、服薬する事。

  彼女は昔から子供が好きで短大を卒業後は保育園教諭として労働していた。


  そんな彼女は高校時代から交際していた一回り歳上の会社経営者の男性と婚約を発表した。


  時同じくして、彼女は子宮に大きな病気があることが発覚する。会社を営む身の彼女の婚約者は後継者の事を考え、彼女との婚約を破棄、その後子宮を全摘出した彼女は、自身の子供を授かれない苦しみ、愛していた男性から見捨てられた事への底知れない悲しみとストレスから重度の鬱病を発症してしまった。


  半年間の投薬治療で日常生活を送れるまで回復した彼女は職場復帰を果たした。


  だが、彼女を待っていたのは同僚や上司からの嘲笑と彼女に対する虐めだった。


  そんな生活が一年過ぎた時、彼女は幼稚園の送迎中のバスの運転手をナイフで刺し殺害、バスの主導権を得ると、児童を乗せたままバスを池に落下させ、多数の児童を殺害した。児童はシートベルトを締めていて逃げる事も出来ず溺死、彼女は窓ガラスを割って生き延びるとその後すぐに警察へと自首し、カナリアとして収監された。


  この過去に残る連続十七人殺人事件に続く多数の犠牲者を産んだ事件となった。』


    「十七人連続殺人事件…」


  メールを読み終わった僕が徐に呟くと、平がその言葉に反応してポツリと呟いた。


  「茶トラ…」


  「へ?」


「茶トラ…その事件の犯人…」


  「平…?」


  僕は平の言葉を信じたくなくて敢えて分かっているのに聞き返した。


  だって…平の言葉が本当なら、此処にそんな恐ろしい殺人犯が紛れている事になるからだ。


  「嘘でしょ…?平…?」


  僕の問いかけに平は重たい口を開いた。


  「俺が此処に来る前に追ってた事件なんだ、茶トラについて、児童施設の当直職員とその施設で暮らしていた十五人を一日で殺した恐ろしい事件」


  僕は平の言葉に生唾を飲み込んだ。


  「犯人は特定出来なかった…というか世間から隠された事件なんだ…」


  「そっかぁ…そんな恐ろしい奴が此処に居るんだね…」


  平は僕の顔を見てゆっくりと頷いた。そして僕を安心させる為の言葉を投げ掛ける。


  「咎愛…俺達此処から出ようぜ!絶対に」


  僕は平の言葉に頷いた。


  「平…此処から出たい…」


  僕は自分の頬に涙が伝うのを感じていた。


 「おいおい、泣くなよ…今日はそれ食ってゆっくり休め、色々考え過ぎんなよ」 




  僕は涙を拭ってから頷いた。


  「今日はこの部屋で寝ろよ、俺は机で寝るから」


  「でも悪いよ、平が身体壊したら大変だし…」


  「大人の男二人で同じベットに一緒に寝るのはちょっと世間的にまずいだろ、大丈夫だ、言っただろ?昔は引き籠ってて机で寝てたりしたから気にすんなって」


  起き上がろうとした僕を平は無理矢理寝かしつけて、ウインクをして見せた。


  「こういう時は俺の言葉に甘えろって」


  「うん…ありがとう…恥かしいんだけど…僕も一人だと心細かったんだ、だから、今日は此処にお邪魔する事にする…」


 僕は握っていたクッキーを平らげると、平の部屋の洗面室を借りて、整容を済ませた。


  *時刻は午後十一時、平は部屋の電気を落とした。


  咎愛はすーすーと幼子のような寝息を立てていた。
  平は眠れずに咎愛の元にこっそり歩み寄った。


  「咎愛…お前の制約…そんなものないんだぜ」


 そうポツリと呟くと平は咎愛の着ている衣服の袖口をそっと捲り上げる。


    「これは痛々しいな…どうしてこんなになるまで…まだ皮が捲れてる部分もあるのか…こんな事…」


  平はそっと咎愛の衣服を元に戻した。


 「栞さんの話は本当だったんだ…制約なんてないんだ…よしっ…俺も寝るか」


  平は机に突っ伏した。ひんやりとした感覚が頬に伝わり思わず懐かしい光景を思い出す。


  「昔はこうやって寝てた日もあったなぁ、それに」


  そう言いながら、平は左腕の衣服の袖を捲り上げ自称行為の後を指でなぞった。


  「こうやって自分を確かめてたんだよな…こんな事になるなんて思ってなかったな…」


  平の意識は薄らいでいった。まるでゆっくりと夢の世界に歩き出していくようなそんな感覚だった。いつもより心地の良い寝入りに平は抗えずに寝息を立て始めた。


  *『さぁ、始まるぞ!』


  皆が寝息を立てる中悪魔はひっそりと動き出した。


  『まずはあいつから…今日は大仕事だ…』


  悪魔は迷う事なく歩き出した。廊下にはコツコツと足音が不気味に響き渡る。


  『宣戦布告…?どうやって殺そうか…?プランはいくつかあるけれど、面白いのが良いよね…俺的にも面白くなくちゃ退屈だもの…』


  悪魔が足を運んだのは真夜中の厨房だった。


  『こんばんは、此処で何をしているの…?』


  悪魔の問い掛けに男は歪な笑みを浮かべて答える。


  「グッドナイト、×××、そう言うユーは夜遊びですか?」


  悪魔は男、アン・スリウムの言葉を鼻で笑って返した。


  「何が面白いデース?」


  『いいや、今はまだ面白くはないよ…それに俺は夜遊びはしないんだ、あんたと違って』


  悪魔は冷たく言い放つと、アンの前にある大きな鍋に押し込められるようにして入れられている不気味な物体に視線を注いだ。


  『それは何…?というより、誰って聞いた方がいい…?』


  悪魔の問い掛けにアンはニヤリと歪に笑うと、赤い舌を覗かせて舌なめずりをした。


  「何と言われれば仕込み中の料理デス…誰と言われればミスター彼方デス」


  悪魔は乾いた笑い声を上げた。


  『ハハッハハ…最っ高にインモラルな回答だね!!!安心したよ』


     「アンシン…どういう事デス…?」


  悪魔はニヤリと笑いながらアンに言葉を返した。


  『あんたを安心して殺せるって事だよ!!』


  「そんな事言って僕を惑わせようとしても無駄デス!ユーが僕を殺せる事はありません!!」


  アンはそう言って悪魔との間合いを詰めた手には包丁を握りしめて。
  それでも悪魔は動ずる事なく、その場に立ち続けている。


  そんな悪魔に苛立ちを煽られたアンは更に勢いを増して悪魔に近付いたその時、不意に襲ってきた眠気に足を取られ滑稽に躓いて動けなくなる。


  『残念…ゲームオーバー…じゃあ始めようか…私…×××がアン・スリウムの死刑を執行致します』


  アンは薄れゆく意識の中で一つの思いに駆られていた。


  「この料理を完成させるまでは死ねません…」


  そう呟いたアンの言葉に悪魔は笑みを浮かべて頷いた。


  『大丈夫、俺が完成させてやるよ、あんたの料理をとびきり美味しくして…食わせてやるよ…ハハハ、どんな感想が聞けるのか楽しみだな、その前に下拵え…活きがいいうちに捌かないと質が落ちちゃうから…始めるよ』


  アンの意識は完全に消え失せた。
  悪魔はアンの握っていた包丁をアンの心臓に向かって突き落とした。


  ザクッという軽い音と共に、アンの身体はピクリとも動かなくなった。


  『さぁて後は盛りつければ完成ってところかな…端末から通知がこなかったのはそういう絡繰か…俺が操作していないのにも関わらず通知が来ないのも頷ける』


  悪魔の視線はラップに包まれて電子レンジで温められている彼方の逞しい腕に注がれていた。悪魔は包丁でアンの端末の付いている右腕を切り取った。
  太い血管が切れると、溢れるように赤い雫が滴ってくる。


  悪魔は彼方の腕を見本にアンの腕をラップで包むと、電子レンジの中に押し込んでスイッチを作動させた。


  『低温で反応するセンサーだから、高温を保つ事で通知を遅らせる…面白い事、考えるじゃないか…頭の切れる奴だったなアン・スリウム』


  悪魔はアンの耳を切り取った。


  『遠目で見たら豚の肉に見えるような気がする…僕は好みじゃないけれど、あいつは気に入ってくれるかな』


  悪魔は厨房の食器の入った棚から広めの皿を取り出した。


  取り出した皿に鍋に入っている狂気に満ちた料理を取り分けて、添えるように切り取ったアンのピアスの着いた耳を置いた。


  『最っ高にインモラルな料理が完成したよ…あの女が気に入ってくれるといいけれど』


  悪魔は女の部屋を目指して歩き出した。


  『そういえば規約違反だ…仮面を付け忘れていた、これじゃあ俺が殺った事になってしまう、だけど今回はまぁいいか、メインはこれからだし…よしっ、もう一仕事…』


  悪魔はニヤリと歪な笑みを浮かべると、女のカナリアの部屋を目指して歩き出した。


  目的の部屋に到着すると、悪魔は大きめのノック音を立てて部屋の扉を叩いた。


  コンコンコンっ。


  「だぁれ…?こんな時間にぃ…?アン…?完成したの…?」


  間延びした語尾が特徴的な女の甘ったるい声が部屋の中から聞こえてくる。悪魔は冷たい声色で女の問いに返答する。


  『すみません…アンさんから頼まれて来たんですけど』


  「はぁっ?アンじゃないの?誰よ」


  部屋の扉が怒り任せに大きく開いた。
  悪魔は手に持った皿を落とさないように細心の注意を払いながら女、九条百合に向き合った。


  「あら×××、こんな時間に何?アンに頼まれたってどういう事よ?」


  悪魔は九条の問い掛けに柔らかい笑みを作ると口を開いた。


  『お腹が空いて食堂に行ったら、アンさんが厨房で作業していて、声を掛けられてここに運ぶように言われたんです』


  九条は悪魔の説明を睨みつけるような視線を注ぎながら聞いていたが、やがて怒り任せに部屋に入るように誘導した。


  『失礼します』


  「それで持ってきたのはアンが作った料理なの?何であんたに頼んだのかしら…?」


  九条はバスローブ姿でベットの上に腰掛けると、長い爪を気にするように一つ一つ丁寧に指で触ってチェックしていた。


  『はい、途中まではアンさんが作りました、仕上げは俺も手伝ったんです、それに本当は頼まれて来たんじゃないんですよ』


  悪魔が歪に笑ったのにも気が付かず九条はバスローブの胸元を緩めて胸元を強調するような姿勢を作った。


    「ねぇ、あんたってした事ないでしょ…?可哀想だから一回だけさせてあげてもいいよ…?勿論、アンには内緒…百合に執着しているみたいだから…快楽を知らずに死んでいくのも可哀想じゃない…?だから今日はいいわよ…?」


  『いえ…俺は大切な人が二人、居るんですだからここで貴方と寝る事は出来ない…』


  九条は悪魔の発言に爪を齧り、苛立ちを露わにした。


  「チッ、あんたみたいなの一生童貞よ、この機会を逃した事を後悔すればいいわ!!!」


  九条の怒りに満ちた声が部屋中に響き渡った。


  悪魔は怒りに震える九条の前に手に持っていた料理を差し出した。


  九条は突然の悪魔の行動が理解できずに首を傾げた。


  「何よ?」


  『いつまでも持っているのに疲れちゃって、アンさんからのプレゼントです、食べて下さい』


  九条は何食わぬ顔で料理の入った皿を受け取った。
  だが、その表情も一瞬にして恐怖に歪んだものに色を変えた。
  受け取った皿は恐怖のあまり投げ出され、九条の身体には不気味な赤を纏った肉片が点々と鮮やかに華を咲かせた。


  「キャヤヤヤヤァァァァァァッッァァ!!!!」


  そして、言葉にならない悲鳴が部屋の中を駆け巡った。
  悪魔はニヤリと笑った後、ポケットの中から仮面を取り出して顔に着ける。


  『宣戦布告、しっかり受け取ったよ九条さん、さぁ始めようか、私、×××が、九条百合の死刑を執行致します…』


  「嘘よ嘘よ…アンをあんたが殺したの…?あんたが茶トラ…嘘よ嘘よ嘘よ…!!!来ないで!!あっち行きなさい!!」


  『うるせぇ女だな…それに食べ物を粗末にしちゃいけないって教わらなかったの?』


  悪魔は震えて動けない九条に近寄ると地面に落ちていたアンの耳を指で摘んで九条の口に無理矢理捩じ込んだ。


  『面白い殺し方を所望されたから悩んだんだけど、シンプルなのが一番かなって思ったんだ、安心して、殺した後は面白くしてあげるから』


  悪魔は涙を零す九条に近付いてそっとその細い首に両手を掛けた。


  九条は恐怖のあまり、失禁してしまい、身動きすら取らないまま悪魔の思う通りになっていく。


  『さようなら…これで今日はもういいや』


    ピクリと身体が小さく跳ねて、九条は動かないままの人形のようになってしまった。
  悪魔は容易く動かなくなった九条を蔑むような眼差しで見つめながら悪態をついた。


  『口だけの女だったな…こいつの通知も遅らせよう…さぁ…このインモラルな状況にどう動く…俺を殺すか、生き延びるのか…ハハハ、楽しみだな』


  悪魔は静まり返った廊下を足音を響かせながら歩いていく。


  夜は明ける…悪魔と正義のカナリアを包みながら…。


  *「ん…?何だ…?」


  昨日の記憶を辿りながら平は何故自分が床に転がり落ちているのかを考えていた。


  「昨日、俺は机の上にいて感傷に浸ってて、気が付いたら寝ちまってたって訳か!久しぶりに夢も見ず眠っていたな…安眠ってこういう事言うのかな…なんか昨日は疲れてたし二度寝するのも悪くねーな」


  そう独りでに呟きながら平は備え付けの簡易ベットの方に視線を向けた。


  「あっ!!そうだった!咎愛が居るんだった」


  平の目の前で気持ちの良さそうに眠る咎愛を見つけて身動きが取れないままその場に立ち尽くしていると、端末からアラームの音が部屋に響き渡った。


  「あ…朝…?あれ…?」


  平の端末から流れるアラーム音で咎愛が目を覚ましたらしい、上体を起こして、辺りをキョロキョロと見回している。


  「悪りぃ咎愛、起こしちまったよな?もっと休んでてもらうつもりだったんだけど、アラーム止めるの忘れてたみたいだ」


  僕はぼんやりとした視界の中、平の顔を見て言い表せられないくらいの安心感に包まれた。


  「おはよう、平…気を遣わせてごめん…お陰てゆっくり眠れたよ」


  「俺も久々によく眠れた、高校の時から毎晩夢見てたんだけどさ、昨日は夢も見ずにぐっすり眠ってたんだ」


  僕は平の言葉を聞いて笑顔を作った。


  「よかった、平もゆっくり休めたんだね、僕に気を遣って寝てないのかと思ってたよ、僕ってば無神経だから平の部屋なのに随分寛いじゃった」


  平は僕の頭を優しく撫でてから笑みを浮かべた。


  「一々、気にしていたら神経持たねーだろ?それに今日から生き残りを賭けた攻防戦が始まるんだ、休める時に休んどかねーと何が起こるか分かんねーからな」


    平の言う攻防戦はきっと九条さん達の事を指しているんだろう。このままでは僕も平も、彼方さんも命の危機が迫っている事に変わりない。


  「まず、彼方さんを守らないとな、あの傷じゃ、当分動けないし、意識も戻るか分かんないよな…取り敢えず後で彼方さんの様子を見に行こうぜ!」


  「うん」


  僕等の会話が途切れた瞬間、僕等の空気を引き裂くように恐ろしいあのメロディが部屋中に響き渡る。


  「う…そ…だろ…」


  僕より先に崩れ落ちたのは平だった。


  「なんでだよ…どうやって…昨日…?」


  平は暫く俯いて唇を血が滲む程強く噛み締めていたが、不意に唇から歯を離した。


  「やられた…あの時か…薬…通りでおかしい訳だ…俺があんなに眠れるなんて…眠剤…睡眠薬か!クソっ!!!」


  僕には分からなかった、平がこんなに悔しがっている理由が。
  僕にだって誰かが死んだ事は凄く苦しくて悲しいのに、平は僕よりもずっとずっと感情的だった。


  「平…」


  僕の囁きは平に届いているのだろうか…。
  今の僕に何が出来るんだろうか…。


  「なぁ咎愛…神様って不公平だよな…こんな事…」


  「うん…僕もそう思うよ…」


  僕等の言葉は誰にも届く事はない。


  僕等は呆然とした意識の中、端末を操作して受信したメールを開いた。


  『彼方 茜 二十五歳 囚人番号三百九


  制約、一日三人以上と会話をする


  彼はアーチェリーの日本代表に選出される程の記録の持ち主だった。
  そんな彼は二十歳の時、人生の堕落を味わう。彼方茜は幼い頃からアーチェリーの為だけに生きてきた。友達も成績も恋人も分目も振らずアーチェリーに注いできた人生、それを壊したのは女だった。


  世界大会の前日、彼は用意されたホテルの一室で翌日の為にストレッチや精神統一に勤しんでいた。そんな彼の元を訪れたのは見知らぬ外国人の女性だった。戸惑う彼に女性は覆い被さるように迫ると、彼は経験したことのない事態にたじろぐ事しか出来なかった。


  そのまま彼は彼女の意のままにされ、彼が翌朝目を覚ますと、彼はいきなり恐ろしい現実に向き合わされた。


  彼は昨晩の出来事がきっかけとなり大会の出場権剥奪、世間にはメディアを通して、性犯罪者として扱われる始末。

 
    その後、彼の人生は一変、家族からも見捨てられ、行き場をなくした彼はホームレスとして生活を始める。そんな全てを失った彼に残されていたのは、女性に対する復讐心だった。彼は彼の生活拠点の河原の近くを通る女性に乱暴を働き、カナリアとして収監された。』


  「彼方さん…?あれから亡くなったのか?それとも」


  平が呟いた言葉は部屋の中に消えていった。


  「平…メール…続きがあるみたい、後、二件も入っている…」


  僕等は言葉も発する事が出来ずに、恐怖に目を目を見開いていた。


   「おい…嘘だろ…」


  メールには恐ろしい現実が映し出されている。


  『アン・スリウム 三十三歳 囚人番号 四百四十四番


  制約、自身の犯罪を再現する


  彼はイタリアで料理人として働いていた。そんな彼はテレビで日本食の特集番組を目にし、和食の繊細さや、深い歴史に惚れ込み、自身の料理に取り込めないか考えた末、単身で日本に渡る事を決意、二十六歳という若さで日本に店を構えた彼は、みるみるうちにその腕前を発揮し、有名な料理雑誌にも取り上げられるようになる。


  そんなある日、順調な人生を崩すきっかけとなる出来事が彼を襲う。


  彼の店に訪れた二人の女性が彼の料理を食べてポロリと零した感想、それは今まで彼が言われた事のない事だった。


 『あんまり美味しくない』


  この一言、美味しくない…という一言が彼の心を抉るように染み付いた。


  彼は考えた。


  僕の料理を万人に満足してもらえるようにするにはどうすれば良いのか…。


  彼は考えて考え抜いた末に、一つの結末に辿り着いた。


  そうだ、更に美味しいものを作って提供すればいいだ…。その為には新しい食材と、美味しくないと感じている人間を消せばいいと。


  彼は店に来る客を注意深く観察し、彼の料理に対して少しでも苦言を示すと、食後のデザートと偽り、睡眠薬の入ったデザートを提供し、客を眠らせ、厨房へと連れ出し、その場で解体、食材として料理し、新しい発見をする快感を味わってしまった。


  そんな事を始めてから二年が経過した頃、彼の店を訪れた客が行方不明になっている事を警察が突き止め、彼を連行、こうして彼はカナリアとして収監された。』



  平はゴクリと生唾を飲み込んだ。


  残るメールは後一件。


  僕は切に願った。これ以上誰かの死に関する情報ではない事を。


  もうこれ以上、犠牲者は見たくない…。


  そんな僕の願いは呆気なく打ち砕かれ、僕の端末が映し出しているメールの内容は、僕が今、一番目にしたくないものだった。


 『九条百合  四十歳  囚人番号  四百六十四番


  制約、カナリアを一人殺害する


  彼女は自らの見た目にコンプレックスがあり、大人になると夜の仕事を始め、枕営業を繰り返しては多額の金を手に入れた。


  そんな彼女は手に入れた金で全身を整形、見違える程の美しい見た目を手に入れた。だが、彼女はそれだけでは満足出来なくなってしまっていた。


  彼女は一度味わってしまった、多額の金に囲まれる生活を狂ってしまう程に望んでいた。


  彼女は新しい自分を武器にあらゆる起業家、政治家、医療関係者の男性に近付き、結婚詐欺を働くようになる。
  詐欺行為は段々にエスカレートしていき、時には自らの手を血に汚して多額の保険金を手に入れては身元が割れないように顔面の整形を繰り返した。


  何度も、何度も、別人になりすまし、約十五年間その身柄を捉えることは出来なかった。そして、警 察は彼女を捉える為に彼女の行動パターンを分析し、次のターゲットになりそうな男性を特定、彼女はその罠にはまり、カナリアとして収監される。


  彼女に殺害された男性は計十名に登る。』


  平と僕は端末から目を離すと、静まり返った部屋で何も出来ないまま口を噤んでいた。


  それから十分程した頃、不吉なメロディが僕等の間に響き渡った。


  「チッ、今度は何だってんだ」


  平が乱暴に端末を指で操作すると、そこにはガエリゴからの一件のメールが映し出されていた。平は怒り任せにメールの内容を音読した。


  『ご機嫌麗しゅう…生き残っている二人のカナリア諸君。


  君達はよくここまで生き抜いた。


  その儚い命に敬意を表する。


  君達には残り一週間のゲームの期間を短縮する案内を知らせる為に連絡している。


  君達二人の命のゲームは明日を持って最後にしたいと思う。


  君達が二人で生き残るのか、それとも一人で此処から出るのか、私は楽しみにしているよ。


  それと、君達の奮闘を祝って翌日の夕刻ら教会にて最後の儀式を行おうではないか…。


 君達の儚い命に幸運があらん事を。』 



    「クソっクソっクソっ!!俺達を馬鹿にしてんのか!」


  平は怒りのあまり声を震わせながら言い放った。


  僕も恐怖心から身体中の震えが止まらないでいるのを感じていた。


  「俺達を試しているんだろうな奴は…此処まで来て俺達が殺し合う理由なんてないのにさ…」


  「平…」


  僕がか細く平の名前を呼ぶと平はよろよろと地面から立ち上がって僕の方へ足を進めた。


  「咎愛…生きて帰ろぜ…絶対に」


  僕は平の言葉に大きく頷いた。


  「うん、二人で生きて此処から出る」


  僕等はお互いの手を握り合った。
  固く、そして強く。


  「咎愛、何があっても守るからな…俺達が生き残った事を誇りに思わねーとな…よしっ取り敢えず、飯食いに行くか」


  僕は正直、食事を摂る気分ではなかったけれど、このまま何も食べないのも身体に毒だと思い直して平と一緒に部屋の外へ出て歩き出した。


  「昨日此処で何があったんだろうな…こんなに静かになっちまうなんて思ってなかったぜ、そりゃあ、何かしら揉め事はあるのは覚悟していたけど、こんなに皆居なくなっちまうなんて…」


  平は感慨深く呟くと大きな溜息を吐いた。


  「昨日…僕等が眠っていた間…何があったんだろう…三人も一気に…」


  僕の呟きを平は苦笑して返した。


  いつもより、力のない笑みにどこからか大きな不安が湧き上がってくる。
  この感覚は母親の出て来たあの夢を見ていた時と似ている。


  あれ…あの夢の続き…。


  そうだ…。あの後…来なかったんだお母さんは僕を迎えに来なかったんだ。


  ずっとずっと一人で、泣いて。


 お母さんは僕を置いて遠くへ行ったんだった。


  そうか…僕…どうして…。


  全部思い出した。


  「平、僕の話…明日、話したい事があるんだ、聞いてほしい」


  僕が唐突に平に言葉を放つと、平は作り笑顔を浮かべ僕の頭を優しく撫でた。


  「明日が最終日だからゆっくり話そうぜ、そうして俺達は此処から出るんだ、絶対に」 


    僕は平の言葉を笑顔で返した。


  食堂に着いた僕等は誰も居ない静けさと虚しさを噛み締めながら想い想いに好きな物を注文した。


  平は景気付けになんて言いながら、カツ丼と味噌汁とレタスのサラダとチーズケーキを頼んでいた。


  僕は平の隣でよく食べた目玉焼きの乗ったトーストとコーンスープ、レタスのサラダと栄養ゼリーがあれば欲しいとお願いした。


  僕の注文を聞いていた平は小首を傾げて僕を見つめた。


  「栄養ゼリーなんて可愛らしいもん頼んだんだな、最後の朝食兼昼飯なのにいいのかよ、もっと豪勢にいかなくていいのか?」


  僕は平の言葉に苦笑しながら口を開いた。


  「このゲームに参加する前の牢にいた時の朝食で栄養ゼリーが出されたんだ、僕、それが凄く嬉しくて忘れられなくて、せっかくだから今日、食べておこうと思って、初心に帰ろうかなって意味もあるよ」


  「咎愛は最後まで見てて面白いな」


  平は配膳されたカツ丼を勢いよく口の中にかき込みながらモゴモゴと僕に向かって呟いた。


  「平こそ、ずっと見てて飽きないよ、本当に」


  僕は一心不乱に食事と向き合う平を横目で見て笑みを零した。


  平といると退屈する時間が少なかった。こんな場所に居て不謹慎なのは承知しているけれど、平といると自分がカナリアだという事を忘れて楽しく過ごせた。


  人生で初めての友達…そう呼べるのはこの先ずっと平だけなんだろう。


  僕は心からそう思いながらこの日の食事を楽しんだ。


  「ご馳走さまっ!」「いただきました!」


  「毎日こうやって食事していたのに、もうそんな事もなくなるんだね…なんだか寂しいよ…」


  僕が寂しげに呟くと、平は僕の不安を拭うように口を開いた。


  「こっから出たらまた一緒に飯食おーぜ、こうやって仲良く並んでさ、一緒にいただきますもご馳走さまも何回でも言おうぜ、この先ずっと」


  平の言葉はいつも僕を安心させてくれる。
  いつだってどんな時も。こうやって。


  「うん、約束だよ!」


  僕と平は幼子のように互いの小指を絡めて約束を交わした。


  明日此処を出て、僕等は幸せを手にする。


  そう願っていたのは、平?君も同じだよね…?


 
  

















 














 









 






 






 
  



 














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