悪魔のカナリア

はるの すみれ

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第一章 カナリアのデスゲーム

五ページ グッドモーニングコール&バットコール

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   ピピピピッピピピピッピピピピ…。


  「ん…?朝…?あれ…夢?」


  間抜けな声を上げながら目を覚ました僕の頬には一筋の涙が伝っていた。その理由は僕が先程まで見ていた夢にあった。
  僕が此処の施設に来てから記録では一ヶ月と二週間が過ぎていた。蝶番さん…榊栞さんが居なくなった知らせが届いてから一週間、僕と平は顔を合わす事なく生活を送っていた。


  それは平から届いた一通のメールがきっかけだった。


  『咎愛へ、暫く一人になって考える時間が欲しい、落ち着いたらまた一緒に飯食いに行こうぜ、心配させて悪りぃな』


  僕は平のメールを読んで心配させまいと無理に明るい文面を装った。


  『大丈夫だよ!ゆっくり休んでね、僕も僕なりに頑張るよ!』


  それから昨日まで、僕は勇気を振り絞って独りきりで過ごした。食事も図書館に行くのも、見えない恐怖に怯えながらも僕は何とか乗り切った。その間、他のカナリアに平はどうしたのか尋ねられたりもした。
  彼方さんには、喧嘩でもしたのか?と言われ、九条さんにも一人でいるところを見られて鼻で笑われた。


  そんな事を言われたり、されたりするうちに、僕の中で平の存在はこんなに大きくなっていたんだと思い知らされた。


  それと、この一週間で大きく膨らんだ平に対しての疑問は、本人の口から話してもらうまで解決しそうになかった。あの日、平に確認した訳では無いけれど、何故だか平は蝶番さんが亡くなるのを知らせが来る前から知っていたような気がする。知らせがあった日の前日、櫓櫂さんの死を知らせたメールの話をした日、平は一時間も僕と一緒に過ごす前に部屋に帰ってしまった。


   平は何を知っていて何を背負って生きているのだろうか。


  確かに、皆の心の支えになっていた蝶番さんの死はカリア達の心に大きなダメージを与えたのは目に見えて感じている。平だけではなく黄瀬さんもここの所、公に姿を見せていなかった。彼女もまた、蝶番さんを失った喪失感に苛まれているのかもしれない。勿論、僕も心に大きな穴がぽっかり空いたような喪失感に襲われていたのは言うまでも無い。


  そして今朝、何の前触れもなく、久しぶりに僕の部屋を訪れた平は、僕が想像平していたより窶れてはいなかったが、よろよろとした足取りで僕に近付くと、申し訳無さそうな笑みを浮かべて口を開いた。


      「ごめんな咎愛、一人にしちまって…暫くはこんな調子かもしんねーけど、見捨てないでくれ」


  「見捨てる訳ないじゃないか、久しぶりに一緒にご飯でも食べよう…ねっ?」


  「変わんねーのな、咎愛は、一週間で別人みたく変わってて冷たくされんのかと思って怯えて来たのに、そんなにニコニコしやがって、本当、憎めない奴」


  僕は平の言葉に苦笑しながら口を開いた。


  「一週間で変われる性格なら苦労しないよ…本音を言うと平がいなくて寂しかった、十九歳にもなってこんな事言う日が来るなんて顔から火が出そうなくらい恥ずかしい…」


  そう言いながら俯く僕の頭を平はぐしゃぐしゃになるまで撫で回す。いつもなら嫌がって身を捩るこの行為もとても懐かしく感じて、暫く身を預けたままにしていた。


  「おいっ、いつまでそうしてるんだ?咎愛?大丈夫か?」


  「だって、すごく懐かしい感じがしたから」


  平は僕の背中を思い切り突き飛ばした。僕はその力に押されて思い切り、体勢を崩して転びそうになり、ギリギリのところで踏みとどまった。


  「いきなり、何するんだよ!?」


  僕が平の方を振り返りながらそう言うと、平はお腹を抱えて笑い出した。


  「ハハッ!アッハハ!!ハハ…あぁ面白い、咎愛を見ていると飽きないな、はぁ、何かもっとしんみりするつもりがお前のせいで俺の計画が台無しになっちまったぜ!この落とし前は付けて貰わねーとな!」


  僕は笑い過ぎたあまり、目に涙を浮かべている平に視線を合わせた。視線が合うと平は何も言わずに小首を傾げた。この居心地の良さが懐かしくて僕も思わず笑みを浮かべる。


  「お帰り、平」


  「ただいま咎愛」


  この時、僕は切に願った。


  平を失いたくない…そう思ったんだ。


  「咎愛、そろそろ行こうか、この一週間ろくなもん食ってねーんだ、食欲湧かなくてさ、毎日夜にパンを頼んで齧って、食べきれずに部屋に持って帰って翌朝に食ったり、パン生活も飽きちまった…そろそろ白米が恋しいぜ」


  「えっ!!そうだったの!?ちゃんと食べないと身体に悪いよ…今日からはちゃんと食べるようにしてね」


  平は僕の言葉を苦笑して返すと、食堂を目指して歩き始めた。


     歩き出した平を追いかけながら一週間ぶりだからか少しだけ目の前を歩く平の姿に違和感を感じて、僕は違和感の原因を目を凝らして探り始めた。


  すると僕の目に入ったのは平の左耳に銀色に光るピアスだった。


 「あれっ?平ってピアスなんて付けていたっけ?」


  平は左耳に付いている銀のピアスに指を当てながら僕の質問に答える。


  「ああ、これな…栞さん…蝶番さんが持っててくれたんだ、元々ピアスは開けてあったから、簡単に付いたんだけど、これ俺の姉さんのお気に入りだったピアスなんだ」


  「平にお姉さんがいるんだ!それはさておき、平のお姉さんのピアスをどうして蝶番さんが持っているの?」


  僕は思った事を考え無しに口に出してしまったが、すぐに自分の言動を訂正したい気持ちに襲われた。
  それは僕が、蝶番さん絡みの話は平にとって早く忘れたい記憶だろうと判断していたからだった。


  せっかく元通りの仲に戻れたのに今の言動がきっかけでギクシャクするのは嫌だと強く思った。


  だけど、そんな僕の発言を気にする事なく平は僕の方に目をやると笑顔で口を開いた。


  「咎愛…今日、お前に話したい事があるんだ、色んな事、今まで話せなかった分、ゆっくり話したい…お前には気遣わせてるのも分かってるし、そろそろ俺もけじめ付いたっていうか、吹っ切れたというか、本調子とまではいかないけど、気持ちの整理付いたからさ、聞いて欲しいんだ」


  僕は平の言葉に首を縦に振った。


  「僕で良かったら聞かせて欲しい、僕も話したい事があるんだ、くだらない事なんだけど…平には話しておきたくて」


  「どんな話でも聞くさ、あっ!もしかしてガールフレンドの話だったりするか?!」


  平の発言に僕は自分でも顔が真っ赤に染まるのが分かった。身体中の血液が顔に集中して湯気が出そうになる。


  「なっ何言いだすんだよ!そんな人居る訳無いだろう!!僕なんかにガールフレンドなんて…友達だって平しか居ないんだから、揶揄わないでよ」


  平は僕の顔をじーっと怪しげな表情で見つめるとプッといきなり吹き出した。


  「ふははっ確かに咎愛にガールフレンドは居なさそうだな、ガールフレンドなんて居たら尻に敷かれて大変な事になってそうだぜ」


    「そんなに笑わないでよ…覚えていないだけで居たかもしれないだろう?」


  「悪りぃ、悪りぃ、咎愛の反応が面白くてつい揶揄っちまった」


  「今日は許すけど、次からは怒るからね」


  「おー怖い怖い」


  僕等が冗談を言いながら歩いているうちに、廊下を歩き終え、食堂へと辿り着いた。


  食堂には僕等の他のカナリア達が点々と座っており、アン・スリウムさんと九条さんが僕等の姿を目に入れると二人で手招きをしてきた。


  「ん?なんだ…?あの二人に呼ばれるって珍しいな」


  「確かに珍しいかも…」


  僕はアン・スリウムさんとも、九条さんともしっかり向き合って話をした事は数えられる程度にしかなかった。二人の座るテーブルに平の後を付いて歩いて向かう。


  「おはよ、チェリーボーイ達!」


  「グッドモーニング!」


  開口早々に失礼な事を九条さんに言われて僕は口をあんぐり開けて固まってしまう。そんな僕を見て九条さんは馬鹿にしたように鼻でクスッと笑うと、僕等の反応を楽しんでいるかのように隣に座るアン・スリウムさんに長い綺麗な白い足を絡めてみせる。


  短いスカートの下から黒いレースの下着がちらりと顔を見せ、僕と平は真っ赤になった顔を両手で覆って隠した。


  「あーら、見えちゃってた?ごめんなさいね」


  またまた、クスッと鼻で笑った九条さんに両手で顔を覆ったままの平がモゴモゴと言葉を発した。


  「あの…九条さんとアンさんが僕等を呼んだ理由を教えて欲しいんだけど…用が無いなら腹減ってるしもう行ってもいいかな…?」


  「まだ行っちゃダメよ…ねぇ…百合たちともぉお喋りしてよぉ、あんた達だって色々知っているんでしょう…茶トラさんの事…?」


  平と僕の表情は一瞬にして青ざめたものに変わっていった。


  茶トラ…。


  そういえばこの二人、櫓櫂さんが殺害された日も…。


  『最初の被害者にならなければ…』


  そんな事を仄めかしていた。


  「ねぇ…どうなの…?茶トラさんの正体知っているの…?百合達は此処に居ない筈の十三人目を疑っているのぉ…だって一番怪しかった蝶番さんが死んじゃったから、百合の仮定も強ち間違いじゃないかもよぉ」


  平は僕の顔をちらりと見てから生唾を飲み込んだ。
 

    そんな平の様子を高く二つに結った桃色の巻き髪をクルクルと指に絡めながら九条さんは舐めるように見つめていた。まるで獲物を見つけた蛇のようなねっとりとしたその視線を気にしつつも、平は神妙な面持ちのまま口を開いた。


  「仮に十三人目が居たとして、それは一体誰なんだ?」


  九条さんは濃い紫色のネイルの施された指を巻いた髪からから解放して口元に寄せてからニヤリと笑った。


  「十三人目はガエリゴとかいうホログラムのカエルなんじゃないのぉ?だってカナリアが死ぬ度にメールが来るじゃないの?まぁ前回はイレギュラーだったけどね…だけどそのおかげで百合達の仮定も本当の証明に変わりつつあるよぉ、だってもしカナリアが死ぬ度にメール届くのならこの変な端末に組み込まれたシステムから来るメールだって分かるけど、だけどぉ…」


  九条さんの言葉を平が遮った。


  「今回、ガエリゴからのメールは届いていない…確かにガエリゴがプログラムではなく意思のあるものだったら…誰かが操作しているんだとしたら、十三人目も視野に入ってくる」


  九条さんはアン・スリウムさんに密着していた身体を離して床に足をついた。フリルの付いたハイヒ ールの音を響かせて僕等の表情を舐め回すように見つめながらゆっくりと歩いて回る。


  「ねぇ…本当は知っているんでしょ…?あんた…愛美君だったっけ…毎晩毎晩、あの女…蝶番さんと一緒に居たわよねぇ…百合ぃ知っているんだよぉ…毎晩毎晩何をしていたのぉ…それともぉ…大事な大事なお友達の前では話せないような事をしていたのかなぁ…?」


  九条さんがニヤリと笑い平に更に詰め寄ろうとしていた。


  僕はそんな二人の間に思い切って飛び込んだ。


  「もう止めてください!!平にこれ以上近付かないで!九条さんの言う十三人目のカナリアの話と平と蝶番さんの話は別件じゃないですか!」


  九条さんは平から視線を僕に移すと桃色の目を鋭く光らせ僕の方へジリジリと歩み寄ってきた。


  「ふうん…そう言うお口も聞けるんだぁ…萩野目君はお友達思いだねぇ、でもそうやって良い子ぶっていると、後で痛い目に合うよ…?」


  「いいんです…痛い目見ても、それで皆が無事ならいいんです…」


  僕の言葉を聞いた九条さんは片眉をピクリと動かすとアン・スリウムさんの方に駆け戻って行った。 


    「はぁ…百合ぃ、あんた達とお話しするの疲れちゃった…もういいよぉ…あーあ、今日はせっかくアンの作った料理が食べられるっていう楽しみがあったのにぃ…あんた達のせいでなんだか疲れちゃった…」


  九条さんはアン・スリウムさんの膝の上に人形のように綺麗な姿勢で座るとネイルの施された綺麗な手でしっしと僕等を追い払うような仕草をして見せた。


  「失礼します」


  僕は一刻も早く九条さん達から離れたくて一礼して歩き出した。平はそんな僕の様子を驚いたように見つめていたが、僕と一メートル程の距離が空くと、僕の後を慌てて追いかけてきた。


  「珍しいな、咎愛があんなに感情的になるなんて、だけど正直、助かったよ、ありがとうな」


  平の言葉に僕は首を横に振った。


  「お礼なんて言われる事していないよ…ただ嫌だったんだ、平の事何にも知らないくせに悪く言われるのが、そう思ったら身体が勝手に行動していたよ」


  「咎愛…九条さんの話が本当だったら…俺の事、どう思う?」


  平と僕は話しながら、九条さん達からある程度離れた位置のテーブルに腰を落ち着かせた。


  平の言葉に対しての返事は迷う事なく決まっていた。


  「 どうも思わないよ、理由も聞いてないのに物事は考えられないから」


  「本当、お前には感謝しねーとな、よしっ嫌な事は一旦忘れて、うまいもん食うぞ!」


  「うんっ!!!」


  それから僕等は楽しく会話をしながら朝食を楽しんだ。一人で食べるご飯より、二人で食べるご飯がこんなに美味しいものに感じる事に驚いた。


   「ごちそうさま!」 


     ちらりと横目で見ると、平の前に置かれていた朝食の入った器がいつの間にか空っぽになっていて僕は目を疑った。


  「平もう食べ終わったの?」


  「あぁ、腹減ってたから慌てて食っちまった、咎愛はまだ食い終わってねーのか?相変わらず食うの遅いな」


  「だって出来立てだと熱くて食べられないから、冷ましてからじゃないと…」


  僕はそう言うと味噌汁の入った器を持ち上げて、味噌汁にふーっと息を吹きかけて少しでも冷めるように努力していた。


  「まぁ、俺の事は気にしないでゆっくり食えよ」


  「ありがとう」


  僕が朝食を食べ終わる頃、周りを見渡すと他のカナリアの姿は見えなくなっていた。ただ一人、朝から丼の器を持ち上げている大きな背中を除いては…。


  「朝から何食べているんだろう…?」


  僕がポツリと呟くとその呟きを聞いていた平は大きな背中の主を眺めながら口を開いた。


  「あの人、朝から沢山食わねーとエネルギーが足りねぇとか前に言ってたぜ、彼方さんなら朝から揚げ物でも、辛いもんでもなんでも食えるんじゃねーの?」


  平は悪戯っぽく僕に笑って見せた。僕もそれに返すように笑みを浮かべる。



「ごちそうさまでした、今日も美味しくいただきました」


  僕は空になった食器に手を合わせてから立ち上がった。僕等の椅子を引く音に反応した彼方さんは僕等の方を眺め見ると爽やかな笑顔を浮かべて筋肉質な腕を振ってくれた。


  僕等も彼方さんに会釈をしてその場を立ち去った。


  食堂から出ると、開口真っ先に平は先程の話題を持ち出した。


  「咎愛、さっき話していた事なんだけど、他のカナリアには聞かれたくないし俺の部屋で話してもいいか?」


  僕は断る理由もないから、平の提案に首を縦に振った。


  「うん、いいよ」


  「ありがとうな」


  僕等は約束通り平の部屋に着くと、平は備え付けの机の椅子に、僕は平の使っているベットに腰を下ろした。


  「んじゃあ、話し始めるか…と、その前に、咎愛の話から聞かせてくれよ、お楽しみは取っておいた方がいいだろう?」


 「えぇ!!!僕から話すの、正直笑われちゃうくらいくだらない話だよ?」


  「言っただろう?どんな話でも聞くって」


  僕は平の言葉に背中を押されて、恥ずかしい思いを振り切りながら話す事にした。


    「あのさ…僕、今朝方夢を見ていたんだ、はっきり断言は出来ないんだけど、今朝見た夢は僕の幼い頃の記憶だと思うんだ、だって目が覚めた時、とても懐かしい気持ちだったんだ、暖かくて、でもとても寂しくて、何でだろう、僕の頬には涙が伝っていたんだ」


*  僕は五歳の誕生日に大好きな母親と大型のショッピングモールに来ていた。
 広々とした店内には様々な年齢の人々が溢れかえり賑やかな声がこだましていた。


  「お母さん、僕、ソフトクリーム食べたい!」


  子供ながらに我儘を言った僕に、柔らかい笑みを浮かべて母は優しい声を掛ける。


  「あらあら、咎愛ったら、食いしん坊さんね」


  「えへへ、だってお母さんお昼ご飯あんまり食べてなかったから、ソフトクリーム半分こしようと思って」


  「ありがとう咎愛、咎愛はとっても優しい子…母さんの宝物だわ、よしじゃあソフトクリーム買いに行こうか!」


  「やったぁ!早く行こうお母さん!」


  小さな手で母の大きな手を引く僕の姿が鮮明に夢の中では映されていた。


     僕の母という人は僕と同じ髪の色と瞳の色をしていて笑顔がとても素敵な人だった。僕は母の柔らかくて甘い匂いが大好きだった。


  僕は母が買ってくれたソフトクリームを約束通り半分こにして食べた。ソフトクリームを食べ終わった僕のかおをじっと母が見つめるそして、花柄のレースのハンカチを鞄から取り出すと僕の顔に向けてそれを近付けた。


  「咎愛、じっとしてて…はい、取れた!綺麗なお顔になりましたよ」


  「本当!?僕、顔にアイス付いてた?」


  「うん、いま母さんが綺麗にしたから大丈夫だよ」


  そう言いながら笑みを浮かべる母の顔、母を見て笑みを返す幼い僕、その光景は何処にでもある仲睦まじい親子の光景そのものだった。


  「ありがとう、お母さん!」


  大好きだった。
 母が、僕の唯一の家族で心を許せる人だった。
  僕には母しか家族がいなかったから。


  「咎愛、そろそろ帰ろうか!」


  「うん!」


  「その前に母さんちょっとトイレに行ってくるからあそこで待ってて…」


  母が僕に待つように言った場所は積木や滑り台、ボールのプールなどの遊具のあるキッズスペースだった。 子供なら喜んで駆け寄るようなスペースだが、その時の僕は母と離れる不安に襲われていた。


  「あそこで遊んでていいの?すぐに戻ってくる?」


       不安に駆られ、問いただす僕に母は視線を合わすために屈んで頭を優しく撫でた。


  「うん、すぐに戻ってくるからね」


  「うん!僕待ってるね」


  「咎愛、こっちおいで、咎愛が寂しくないようにおまじない」


  そういうとお母さんは僕をぎゅうっと抱きしめた。
 母は僕が留守番をする時や僕が一人になる場面でこうして抱きしめて安心感を与えてくれたのを覚えている。


  あの日は特に鮮明に覚えていた。
 鼻腔をくすぐる柔らかくて甘い匂いも、母の髪が僕の顔に当たりくすぐったかったのも、母が少しだけ寂し気な表情を浮かべていたのもしっかり覚えいる。


  「じゃあ行ってくるね…咎愛、お母さんは咎愛を愛してるよ」


  幼いながらに母の表情、言葉に違和感を覚えた僕は立ち去ろうとする母の顔をまじまじと見つめていた。


  「ん?お母さん?」


   母の違和感に疑問を抱いた僕を安心させるように母は僕の大好きだった笑みを浮かべて僕を安心させようとしてくれた。


  「ふふっ何でもないわ、じゃあお利口に待っててね」


  「はぁい!」


  最後に母はそう言うとだんだんに僕からゆっくり離れて行った。僕もそれを見るとキッズコーナーに歩みを進めた。


    僕は目に入った積木に手を伸ばし一生懸命に遊び始めた。 最初は楽しくて無中になっていたけれど僕の中の違和感は徐々に膨れ上がっていく。


  幼くて時計の見方が分からない僕にも、母の帰りが遅いということに気が付き始める。 膨れ上がった違和感は不安に変わり、孤独に耐えられなくなった僕はとうとう、母を探しに小さな足を動かして歩き始める。


  「お母さん、お母さん?どこ~?」


  覚えている限りの記憶を辿り、母の立ち去った方向に歩いていると、女性用のトイレを発見し足を進め母を探す。


  「お母さん~、お母さん!どこ~?」


  何回も何回も母を呼ぶ声が室内に響く。だが、僕の呼び掛けに答える大好きな優しい母の声は聞こえてこなかった。


  僕は溢れ出した不安を涙に変えて盛大に泣き崩れた。


  「お…か…うっ…っひ…さ…ん…どこ…」


  そんな僕を見兼ねた優しい初老の男性が近寄ってきて頭を撫でてくれた。


  「おやおや、僕、迷子さんかい?」


  「っ…ひっ…うん…お母さん…いなく…なっ…っちゃった…っん…ひっ…」


    「よしよし、じゃあおじさんに付いておいで、お母さんをお店の人に呼んでもらおう」


  「…うん」


  僕は見知らぬ優しい男性に手を引かれ、迷子センターに連れて行ってもらった。


  「あの、すみません…この子のお母さんを探して欲しいんですが」


  「はい、分かりました!ありがとうございます!あとはこちらで引き受けますので」


  「はい、お願いします、じゃあね僕、お母さんが見つかるといいね」


  僕は男性に大きく頷いて返事をすると、男性は迷子センターの若い女性の職員に僕を預けて笑顔で立ち去って行った。
 迷子センターの職員は僕に向かって母親の名前と僕の名前、年齢を尋ねてきた。


  僕は涙を堪えながら一生懸命、質問に答えた。


  「お母さんの名前はえっと…まつ…えっと…」


  母の下の名前は幸…『さち』だった事は記憶していた、だけど僕は母の苗字をはっきりとは言えなかった。そんな僕を見兼ねた迷子センターのお姉さんは僕の頭を安心させるために優しく撫でてくれた。


  「まだ難しくて言えないのかな?じゃあ僕のお名前は?」


  「僕は萩野目咎愛…五歳」


  「うん、よく言えました!じゃあ、お母さん呼んでみるね」


   迷子センターのお姉さんはそういうと店内放送で僕の情報を伝えてくれた。


  『お買い物中のお客様にご連絡致します、水色の猫のシャツを着た五歳の萩野目咎愛君を迷子センターで預かっております、保護者の方はご連絡ください』


    迷子センターのお姉さんはアナウンスが終わると僕に向かって優しく笑いかけた。


  「咎愛君、もう大丈夫だよ!お母さんすぐに来てくれるからね」


  僕は涙を拭きながら頷いた。


  「うん…!僕…お母さん来るの待ってる」


  「うふふ、お利口さんだね!よしっ!お母さん来るまでお姉さんと遊んでようか」


  僕は迷子センターのお姉さんに連れられて待合室の奥に足を進めた。
 幼い頃の僕には分からなかったが、待ち合い室におもちゃがたくさんあったのは僕みたいに不安で押し潰されている子供を少しでも安心させる為の配慮なのだと分かるようになったのは、それだけ僕が大人になってしまったからなのだと思うと、十四年前の僕が別人のように遠い存在に思えた。


  アナウンスを流してもらってから暫く時間が過ぎた。
  それでも母の姿を見る事は出来なかった。僕はその不安を迷子センターのお姉さんにぶつけた。


    「ねぇ…お母さんまだかな…」


  「きっとすぐ来るよ!大丈夫だよ咎愛君!」


  そんな会話を何十回も繰り返した。何時間も何時間も僕は母を待ち続けた。泣いたり泣き止んだりを繰り返しては迷子センターのお姉さんを困らせた。
 遂に店内は閉店のため灯を消し始めた。


  迷子センターでは対応しきれなくなった為、僕の身は連絡を受けた警察へと預けられた。


  「お母さんと逸れちゃったんだね…大丈夫だよ!お兄さん達がすぐ見つけてあげるからね!」


  「うん…」


  泣き疲れていた僕は警察のお兄さんに体を預けてゆっくりと目を閉じた。
  そこで僕の夢は幕を閉じた。



  *「僕が見たのはこんな夢だよ、なんか恥ずかしいな…あはは、それから先はまだ思い出せてないんだ…だけど、この日のことははっきりと覚えてるんだ」


  僕の話が終わると平は僕の顔をじっと見つめてから優しく微笑んだ。その表情から平は僕の話を馬鹿にしていない事が伝わってきた。


   「咎愛のお母さんか…きっと優しい人だったんだろうな、咎愛を見ていればよく分かるぜ、俺の母さんはスパルタママだったんだ、ちょっとでもテストで悪い点取ると山のような参考書をプレゼント 


  されてたなぁ…」


  懐かしむように呟いた平に僕は笑みで返答をした。


  「咎愛の夢の続きがいい物語だといいな、また夢見たら教えてくれよ、此処を出るまでには全部記憶が戻るかもな」


  「そうだといいね…だけどちょっぴり怖いんだ、この夢の先を見るのが…」


  本心を吐露してしまうと、この夢の先、何が待っているのか、僕が此処にいる意味を知るのが怖かった。


  そんな僕に気が付いた平は僕の方に立ち上がって、歩み寄ると僕の頭を優しく撫でた。
 

    「咎愛、色々考え過ぎるのは疲れちまうぜ、こんな時だからこそ、楽しい事考えていかないとな、って一週間塞ぎ込んでた俺が言えた立場ではないけどな」


  僕の顔を見つめながら平は苦笑を浮かべた。僕は平の言葉を聞いて心が軽くなったような気がした。


  「ありがとう、元気出てきたよ!そうだね、まだ分からない事を気にしていてもしょうがないもんね」


    「おう、そうだそうだ、元気出せよな!よしっ、咎愛の話も聞いた事だし俺も話そうかな…はぁ、なんか緊張すんなこういうの、改まって話すようなことでもないんだけどな…」


  僕は平に向かって笑顔を浮かべた。


  平は僕の顔を見つめてからゆっくりと重たい口を開いた。


 「俺には姉さんが居たんだ、歳は俺より二つ上で学校でも美人で有名だったんだ。
 俺は両親が事故で亡くなってから親戚の家を転々としてて、姉さんが高校生になったのを機に親の残した金を使って二人で暮らすようになった」


  平は目を閉じてから懐かしむような眼差しを向けた。


  * 愛美平は記者をしていた両親と一人の姉と暮らす平凡な少年だった。彼が十五歳になったばかりの桜の季節に両親を交通事故でなくしてしまう。その 事がきっかけとなり明るかった彼の性格は一変し他者との関わりを拒むようになった。
  そんな彼の唯一の心の支えになっていたのは二つ歳上の姉の愛美灯だった。


  灯は平が入学したばかりの高校を不登校なのを気にして少しずつでも外に出るように毎日優しく声を掛けていた。


  「平…学校行こう?姉さんも一緒に行くから」


  「学校なんて行きたくない…放って置いてくれよ!!!」


  平が学校へ行かなくなった理由は両親の死だけではなかった。入学したばかりの平を待っていたのはクラスメイトからの激しい虐めだった。平の教科書は破かれ、どのページもペンで彼を罵倒する言葉を書かれ、通学用に使っていた鞄や制服も入学したばかりの高校生だとは思えない程にボロボロに傷付いていた。


  平は全ての事柄が自分の中に重荷になって外へ出るのを拒んでいた。


  だけど、灯はそんな平に毎日、毎日声を掛け続けた。


  そんな生活が二ヶ月くらい続いたある日、平は人生で始めて姉に反抗的な態度を見せた。 


     最初に反抗したのは姉の言葉に平が嫌気がさした時だった。


  「うるせぇな!あっち行けよ!」


  この日を境に平の態度はエスカレートしていき、平は自室に閉じ籠って必要最低限部屋から出る事はなくなった。


  真っ暗な部屋に一人の平はポツリと虚空に向かって呟いた。


   「姉さんなんて大嫌いだ…皆、大嫌いだ…」


  平は自室の机からカッターを取り出すと刃を繰り出し左手の手首に当てがった。
  刃をゆっくりと引けば丸くて赤い粒がプチプチと湧き出して線を作る。
  何本も何本も感情を刃にのせて…。


  滴る赤い雫に合わせて涙が重なり痛みで刃を動かす手を休めた。


  「くそっ…俺なんて…生きててもしょうがないのに…」


  自己嫌悪に陥る俺を他所に姉の足音が部屋の前まで迫って来た。
  何も変わらないあれからずっと…。毎日毎日姉は自分の心配をして部屋までやってきては帰っていく。そんな生活が続くのか…。


  トントントンっ。


  「平?平?ご飯出来たよ、今日は平の好きなお豆腐のハンバーグだよ、早くおいで」


  「要らないっ!」


  「平…食べないと元気でないよ?」


  「うるさいっ!」


  「平…?私何かしたかな?…ちゃんとお話ししないと分からないよ」


  ドア越しにいた姉の声が震え始め、泣き出したのが分かった。こうなると罪悪感が芽生え始める。


  「別に姉さんは悪くないよ、俺はもう大丈夫だから放って置いてくれ」


  平の言葉を聞いた姉は涙を堪え平の部屋からリビングへと立ち去って行った。


  毎日こうして姉に涙を零させて、俺は何をしているんだ。平は呆然と傷だらけの自分の腕を見つめて溜息を零した。


  「このままじゃいけないよな…」


  平はゆっくりと椅子から立ち上げると、暗い自室から扉を開けて飛び出した。
  リビングに続く廊下から、柔らかいライトの光が平を優しく包んだ。


  リビングの扉を開けて一番に目に入ったのは、ダイニングテーブルの上で突っ伏して眠る灯の姿だった。


  「姉さん…毎日、俺を待ってこんなところで眠っているのか…?」


  平の声に反応したのか、灯が小さく声を出したのを耳にして、平は慌てて浴室に逃げ込んだ。


  そういえばちゃんとシャワーも浴びてなかったな…。
  何やってんだ俺…。


  平は脱いだ服を洗濯機に投げ込むと、浴室のシャワーの蛇口を捻り、暖かいお湯に身体を浴びせた。


    ふと自分の痩せ細った全身を映し出した鏡に視線を移すと、そこにはまるで別人に成り果ててしまった自分の姿が写されていた。


  「こんなに髪の毛伸びてたんだ…ダッセー俺…」


  平は鏡に映る自分を見つめ直すと伸びた髪を掴んで浴室内にあった、剃刀を当てがった。ゆっくりと横に刃を当てて髪の毛を束で切り裂いた。


  「変わるんだ…俺…もう姉さんを泣かせたりしない!」


  オレンジ色の髪が束になり排水口に吸い込まれていく。


  「俺はちゃんとした人間になりたい」


  平は不揃いになった短い髪と骨が浮いた身体を洗い終えるとシャワーのお湯を止めてバスルームを後にした。


  短くなった髪をタオルで拭きながらリビングに戻ると平は寝間着の上着を眠っている灯の肩からふわりと掛けてその場を後にしようとした。


  「平…髪、切ったんだ…さっぱりしたね、それと上着ありがとう、嬉しいよ」


  平は立ち去ろうとした足を止めてゆっくりと振り向いた。


  「姉さん、起きてたの…?あっ俺が起こしちまったのか…悪ぃ…」


  悪びれてみせた平に灯は椅子から立ち上がり近付いた。


  「姉さん…!?」


  次の瞬間、平は驚きのあまり声を上げた。 


    平の背中には灯の体温が伝わり、髪の毛から伝わる甘い香りや心臓の音が二人の空間を作り出していた。


  平の背中越しに抱き着いて腕を回した灯に平はそっと自分の痩せ細った手を重ねた。


  「姉さん、今までごめん…俺、逃げてたんだ、学校からも人生からも」


  「うん…でも私はそんな平に何もしてあげられなかった…本当はこれでいいって思っていたのかも…平とずっと二人で暮らせたらそれでいいって…失うのが怖かったの…」


  灯の流した涙が平の背中にじんわりと広がって平はその事に痛く感傷を受けた。


  「これからは俺が姉さんを守るよ…姉さんが側に居て欲しいなら、何処にも行かなから…」


  平は灯の腕をゆっくりと引き離すと灯に向き合う形になって抱きしめ直した。


    「平…こんなに大きくなったのね…」


  灯はそう呟くと背伸びをして平の唇に自分の唇をゆっくりと重ねた。


  「姉さん…今の何!?どうしたんだ?」


  灯が唇を離すと平は灯の行動を理解出来ずにたじろいだ。


  「私…平と恋人になりたいの…ずっと一緒に居たいの…ダメかな…?」


  「姉さん…姉さんがそれを望むなら俺はずっと一緒に居るよ…」


  「ありがとう…平…」


  平はこの時に、灯の中の不安が招いた事だと解釈していた。両親が亡くなってから不安だった灯を置き去りにした自分に責任があると…。
  こうして二人の関係は姉と弟から恋人と呼ばれる関係に変わっていく。
  おかしいと分かっていても、平には抗う術はなかった。

  平はそれから少しずつ外出する機会も作り、学校へも通うようになった。
  彼を虐めていた生徒達は彼の変貌振りに驚き、虐めも段々に消失していった。


  そんな事もあり、平は高校を卒業後、両親と同じ記者として灯とペアで仕事をしていた。

  「でっかいスクープになるわよ!だってまだ誰も潜入したことがないんですもの!」


  「灯、流石にそれは危険だよ」


  平穏な二人を変えることになったのは一年前に灯が提案した悪魔の鳥籠への潜入という未知なる試みだった。


  「死刑はまだ廃止になっていなかった、なんて記事を書くことが出来たら国を揺るがす記者になれるわ!」


  興奮気味の灯を横目に平は乗り気ではなかった。


  「だけど、リスクが高すぎるよ、もしばれて捕まったらどうすんだよ…」


  「その時はその時でしょ、」


  「簡単に言うなよな…てか、どんな小さい罪でも捕まったら出てこれないって噂が本当なら俺達の人生、終わりだろ」


  「まぁ、なんとかなるでしょ」


  「はぁ…楽観視ほど恐いもんはねえよ…」


  「平!行こう!」


  平は最後まで灯の提案に首を縦に触れずにいた。


  その日から三ヶ月後、姉は忽然と姿を消した。


  二人の住む家には灯の代わりに置き手紙が一枚置かれていた。


  『大好きな平へ


  私は記者として二人で有名になりたい気持ちが抑えられません。


  だから私は行きます!ちゃんと帰るから待っててね!愛してる。


  愛美 灯』


    平は手紙を握りしめ、覚悟決めた。
  きっと灯は待ってる。そう分かりきっていながら、灯の事を放って置けない自分を恨みながら、悪魔の鳥籠に潜入する意思を固めたのだった。


  灯がこんな行動に出たのは自分の責任だと…。灯が自分に依存した結末を…。
  灯の本当の真意を確かめる為に…。


* 「そっからは咎愛も知っての通り、此処に忍び込んで今に至るってわけさ…まぁ分かってるんだけどな…って、なんか気持ち悪りぃ話聞かせてごめんな!」


  「そんな事があったなんて、今の平を見ていると信じられないな」


  「悪いな咎愛、本当は姉さんなのに先輩とか言って誤魔化してて…」


  僕は首を横に振った。平にとって話したくない話をきかせてくれた、それにどれだけの勇気が必要なのかは僕に伝わっていた。大切な人…僕にも残る大切な人との記憶、それは生きる糧に変わるんだ。


  「話してくれてありがとう!僕、平の事尊敬するよ!」


  僕は平の話を聞いて、思った事を素直に平に伝えてみた。すると、平は一瞬、目を丸くしてから僕に言葉を返した。


  「尊敬!?何で?俺なんてただの近親相姦野郎だぜ?嫌われて当然なのに…」


  そう言って俯いた平の肩に僕はそっと自分の手を置いた。どんな事をしていようと僕は嫌いになれなかった。きっと平に倫理観がなくたって僕が平を嫌う事はないのだろうとこの時はそう思っていた。


  「嫌ったりなんかしないよ!だって平は好きな人の為に自分を犠牲にしてまで此処にやってきたんだ!そんな人を嫌えるわけないよ!」


  「咎愛って変わってるぜ、本当に…後、これを話さねーとな」


  そう言うと、平は机の引き出しから見覚えのある髪飾りを取り出した。


  平は僕の顔をじっと見てからゆっくりと頷いてから口を開いた。


  「さっきの話の続きになるけれど…蝶番さん、榊さんは俺の姉を知ってたんだ、昔、三人で仲良くしてたみたいだから…お前も俺達を見て他のカナリアと空気が違うって言ってたよな、それは栞さんがこのゲームが始まった時に、俺を見て灯の弟だって気が付いて声を掛けてくれたからだったんだ。それで、死ぬ二日前に俺に話をしに来てくれたんだ…俺は結局、灯も栞さんも守れなかった…」


  僕は平の言葉に幾つかの疑問を抱いて首を傾げた。


  「平、聞いてもいい?」


     「何でもどうぞ」


  平は僕にウインクをして見せた。僕はそんな平に笑顔を返してから口を開いた。


  「平の話を聞いていて思ったんだけど…平の言う、蝶番さんと灯さん以外のもう一人って誰なの?三人で仲が良かったって話していたのが気になったんだ、それと、平は栞さんと灯さんを守れなかったって言ったどそれって…」


  平は苦笑しながら僕の疑問に答えを与えてくれた。


  「咎愛って人の話をちゃんと聞いているんだな、よし、説明するぞ、俺が栞さんから聞いていたのは、灯、栞さんとそのもう一人は釘井アリスだったんだ」


  僕は平の口から出た人名に耳を疑った。悪魔のカナリアの一人…釘井アリス…彼女に殺されるくらいなら自殺を選ぶカナリアが多いと噂される程の残虐な死刑の執行人…。
 一度この話を聞いただけで身震いを起こすくらいの恐ろしいカナリアの名前の登場に僕は言葉を失う。


  「いいか…咎愛…、ここから話す事は重大機密事項だ、誰かに聞かれても絶対に口を割るなよ!」


  平の顔が真剣味を増したことによって、僕等二人の空間には緊張感が立ち込める。僕は平の顔を見つめながらゆっくりと頷いた。それを確認すると平は深呼吸をしてから言葉を続けた。


  「この話は栞さんが残した髪飾りと一緒に置いてあった手紙に書かれていて知った情報なんだ…そこにはこう書かれていた…」


  平はゴクリと生唾を飲み込んでから口を開く。


  「このゲームの末路は悪魔のカナリアへの道、生き残った勝者は執行人として生きていく為の権利を得る、そしてこのゲームに集められているカナリアは大量に死刑執行する為の材料だ…こういった事が書かれていたんだ」


  「つまり、勝者は悪魔の鳥籠から出れる事はないって事…?それじゃあもしかして…釘井アリスは…カナリアのデスゲームの勝者…?」


  平は神妙な面持ちで僕の言葉に頷いた。


  「栞さんが教えてくれたのは、灯と栞さんと釘井は何年か前のカナリアのデスゲームで一緒だったらしいんだ…さっきの答えていない質問の答えを話しちまうと、灯はそのデスゲームで何人か人を殺してタイムアップ間際で自殺を図ったらしい…そのゲームで生き延びた釘井と栞さんは悪魔のカナリアとしてブラッドマザーに飼われていた、そう聞かされたよ」


  「ブラッドマザー…何の為にこんな殺人ゲームなんか…」


    「そんなの簡単だよ、重犯罪者、軽犯罪者、保護対象、様々なカナリアを閉鎖空間に閉じ込める事によってお互いで殺し合えば死刑を執行する手間が省けるだろ…だけど今回ばかりは聞いた話だと仕様が違うらしい、灯達三人が参加していたカナリアのデスゲームは此処とは違う一軒家みたいな空間で行われて、参加者は皆、女性しか居なかったらしい…」


  「女性だけ…毎回ルールは違うって事なのかな…」


  平は顎に手を当てて真剣な表情で続ける。


  「どうだかな…そんなに根掘り葉掘りは栞さんにも聞かなかったからな…俺が知りたかったのは、灯が今何処で何をしているのかって事が本心だったから、まぁそれも今となっては無意味な疑問だったんだけどな」


  平は拳を力強く握りしめた。ぎゅっという骨が皮膚に食い込むような音が僕の鼓膜を震わせる。


  「俺の憶測だと、今回のカナリアのデスゲームの目的は茶トラにしか分からない事なんだと思う…俺は決めたんだ、灯も栞さんも失って、俺には怖いものがなくなったから、だから、俺は生き延びて茶トラと話がしたい…こんな事に意味があるのか、知りたいんだ…記者としての愛美平、いや、人間としての俺が知りたがっているんだ」


  平は力強い眼差しで何処か遠くを見つめていた。
  格好いい、何かを決意した男の顔は、こんなにも格好いいものなんだ…。
  この時の僕はそれを初めて知った。


  「平、格好いい!僕も平に協力するよ!だからなんでも言って」


  「ありがとうな咎愛、それと今まで色々話せずに隠していてごめんな…」


  僕は首を横に振った。


  「話してくれて嬉しかったよ、僕も平みたいに自分の生き方を決めてその道を歩けるような人間になりたいって思ったよ」


  僕の言葉に平は照れ笑いをした。僕等の間に漂っていた緊張感は解れていき、いつもの僕等の居心地の良い穏やかな雰囲気が帰ってきていた。


    「咎愛、お前って俺の事買い被りすぎだぜ!程々にしといてくれよな、この先の人生を失敗出来なくなっちまうから」


  そう言って平は歯を見せてにかっと笑っていた。その顔を見た僕も平と一緒に笑い声をあげた。


     僕等の笑い声が部屋から消えると、僕等の周りには緊張感が再び姿を表した。僕は九条さん達の言っていた十三人目のカナリアの話を思い出した。

「そういえば…話を戻すようで悪いんだけど…九条さんが蝶番さんの事怪しんでいたよね?それに十三人目のカナリア…ガエリゴから来るメール…僕には全然分からないんだけど、平はどう思ってるの…?」


  平は顎に手を当ててから溜息を吐いた。


  「蝶番さんについては…変な話、お前と一緒に居ない時はほとんど一緒に居たからアリバイはある…詳しい事は想像にお任せするけど…それより十三人目のカナリア説は正直分からねー…今の段階だと有り得ない話だと思う気持ちも半分、櫓櫂さんの殺され方を見ると十三人目を疑う気持ちも半分ある」


  「櫓櫂さんの殺され方って…?それと不謹慎なのは承知で聞くけど…蝶番さんの死体は…見つかってるの…?」


  僕と平は生唾をゴクリと飲み込んだのは同タイミングだった。


  「櫓櫂さんの殺され方は、あまりにも残酷だった…もし、茶トラが殺ったなら、櫓櫂さんの犯罪歴を知っていないとあの殺り口は強いを殺意を抱いていないと…出来ないぜ…蝶番さんの死体はプールの更衣室にあったと思うんだ、手紙にそう書いてあっ たから…よくは俺も知らないけど、零時に茶トラから処刑をしてもらう…そう書いてあった、髪飾りと一緒に手紙はもらったんだ…その中に灯の付けていたピアスも入ってた…蝶番さんは焼死体だった…俺が行った時にはもう塵程度の灰しか残ってなかった…」


  「そうだったんだ…色々聞いてごめん…でも、蝶番さんは茶トラに殺されたんだよね…櫓櫂さんを殺したのは十三人目…ガエリゴかもしれないって事か…」


  「ガエリゴ…奴は意志を持って動いているのか…?あいつは何処にいて俺達を見ているんだ…?まだ分からない事だらけで頭痛くなっちまうぜ…」


  平は頭を抱えて蹲るような仕草をして見せた。


  「僕等も残り六人…半分になっちゃたんだよね…正直、怖いよ…」


  平は蹲っていた身体をぐっと伸ばしてから僕に向かって笑顔を向けた。


  「まぁ、思い詰めるのも身体に毒だよな、取り敢えず情報を集めてから意見を纏めるのが一番の安全策だな」


  「それもそうだよね」


  「九条さんとは話したくないけど、あの人達が一番詳しい話を知ってそうだよな…」


    正直に言うと、僕も九条さんに話し掛けたいとは思わなかった。あの獲物を睨む蛇のような視線に耐えられるか分からないから…。


  「取り敢えず俺一人であの人達のところに行ってくる、咎愛が居るとそれを餌にまたああやって尋問ごっこされたらムカつきそうだからな」


  「えっ?平一人で行くの…?大丈夫…?」


  不安気な表情を浮かべた僕に平は優しく微笑んだ。


  「あっそうだ咎愛、俺が戻って来るまで俺の部屋に居てくれねーか?部屋に帰ってきた時に誰か居ねーと寂しいしな」


  平はぺろっと舌を出して見せると恥ずかしそうに頭を掻いた。


  「今までは栞さんが居てくれたけど…もう居ないからさ…もう少し一人に慣れるのには時間が掛かりそうだ」


  僕は平の言葉に頷いた。


  「分かったよ、平が情報収集に行く前にちょっとだけ部屋に図鑑を取りに行ってもいい?平と離れていた時に新しい図鑑を借りてきたんだ、今度はウイルスなんだけど、気持ち悪いのに何だか夢中になっちゃってさ、見てて飽きないんだよね」


  僕が恥ずかしそうに言うと、平は快くそれを了承してくれた。


  「勿論いいぜっ!頼んでるのは俺なんだからな、それくらい安いもんだ 」


  「ありがとう!平も気を付けて行って来てね」


  僕は笑顔で平の部屋から出ると、自室を目指して走り出した。


  僕は知らない、平が何を考えて僕に部屋に居てほしいと言ったのかも…。
  平が今どんな表情で僕の帰りを待っているのかも…。


* 一人になった部屋で平は真っ白な天井を見上げていた。


  「成るように成れってよく言ったもんだぜ…さぁてここからどうしようかなっと…」


  一人でに呟いた言葉は虚空に霧のように吸い込まれていく。


  「咎愛…どう思ったかな…俺の始めての友達か…友達なら…分かってくれるよな…」


  一人きりの静かな空間、平は咎愛の帰りを待ち詫びていた。


  「お待たせっ何冊かあって厳選するのに迷っちゃった」


  十分程経った頃、僕は平の部屋に数冊の本を抱えて戻ってきた。


  「お帰りっ!じゃあ俺行くわ!何もねー部屋だけど寛いどいてくれよな」


  「うん、お言葉に甘えるよ」


    平に笑顔を向けると、平も笑顔で僕に返してくれた。


  ガチャン。


  平が扉を閉める音が部屋にこだました。


  僕は平の背中が見えなくなるとベットに腰掛けて、『世界のウイルス』と書かれた図鑑のページを捲り始めた。


  「平、大丈夫かなぁ…九条さんに虐められなければいいけど…」


  この呟きに答える声は聞こえては来なかった


  僕は平の帰りを待ちながら図鑑のページを捲り続ける。


  平の笑顔を待ち詫びて…。








 
 
  


  




 




 



 





 


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