京都式神様のおでん屋さん

西門 檀

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1巻

1-3

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         二


 次の日。
 十七時五分前になると、『結』では、木陰が奥の間に『ご予約席』と書いたプレートを置いた。
 そこへ、日向が白装束しろしょうぞくを着て二階から下りてくる。

「木陰、僕の方は準備万端だよ~」

 足取りが軽い日向は、奥の間の座敷にちょこんと座る。
 彼の手には、昨日の田辺の玉が入った、瓢箪の置き物が握られていた。
 木陰が置き物を日向から受け取ると、その置き物に向けて話しかける。
 いよいよ、交霊が始まるようだ。

「田辺さん、今からあなたが入る器を用意します。瓢箪のせんを抜いたら、すぐ近くにある白装束の人形へ、お移りください。しかし、何点か注意事項がありますので、今から説明します」

 木陰は浅く呼吸を整えると、日向に目くばせをした。
 日向はというと、木陰の合図のあとにすぐ、ただの木の人形と化してしまう。
 本当に、木でできたのっぺらぼうの人型だ。
 思業式神は、あらゆる姿に変わることができるのだが、こののっぺらぼうが素の姿である。

「いいですか、田辺さん。あなたは少しの間、生きていた頃に近い状態へと戻ります。それは、生きている人に認識してもらえ、食すことはできませんが、食べ物の匂いや味がわかるようになります……お酒や飲み物もたしなむことができます。中井さんとの時間は、あまり長くはありません。二時間をお過ごしいただいたあとは、用意した器から出て、この瓢箪にお戻りください」

 瓢箪の中の玉が、コロコロと鈴のような音を出す。
 どうやら、田辺が木陰の説明に対して、承諾をしている音のようだ。
 次の瞬間――木陰がスポッと瓢箪の栓を抜く。
 開いた途端、光の玉がスッと瓢箪から出てきて、器である木の人形を見つけると、その中へ入っていった。
 十七時を過ぎると、のっぺらぼうはちゃんと田辺という人間の姿になっている。
 さも不思議そうに、器である身体をしげしげと見つめながら、やや興奮している様子だった。

「田辺さん」

 と木陰が声をかけると、田辺はびくりと身体を震わせた。

「あ、ああ。大丈夫です……ちょっと、不思議な感覚だったもので」
「そりゃそうだろうにゃ」
「うわっ! 猫がしゃべった!?」
「田辺さん、すみません。セイメイ様、急にしゃべるとびっくりするでしょ」
「田辺、私は見た目は猫だが、中身は人間なのだ。そう驚くことはない」
「ひぃっ!」

 私がすり寄ると、田辺はって全身で驚きを表現する……これは面白い。

「いや……驚きますって。みんな普通は、化け猫だと思うものです」
「また化け猫などと……木陰、お前は少し言葉を選んだ方がいい」
「これでも言葉は選んでいます。それに、わざと田辺さんを驚かせていることも知っているんですよ?」
「フニャ~! いいだろうが、生きた人間を驚かせているわけではないのだから」

 私と木陰が言い合っていると、様子を見ていた田辺が困惑した面持ちで近寄ってきた。

「あの……だ、大丈夫です。少し驚いただけですから。それより……」
「ああ。もう間もなく開店します。そうすれば、中井さんが来るはずです」

 木陰はそう言って、おでん鍋の様子を見に、カウンターの中へ入った。
 落ち着かないのか、少しソワソワしている田辺。
 木陰は日向がいない分、今夜の営業のことを心配しているように見える。

「そんなに心配なら、店の前に『本日貸し切り』と貼ればいいのに」

 と私が声をかけるのだが……

「……このおでんを求めて来る方々に悪いので、それはしません」

 と強い口調で返事をした。
 木陰のこういうところは、嫌いじゃない。
 まあ、私の思念でできているのだから、こういう真面目まじめなところがあるのだろう。
 などと、ぼんやりと考えていたとき――
 ほんのわずか。数秒といってもいいほどの間……私と木陰は、田辺から目を離してしまっていた。

「にゃ! 田辺がいない!」
「あっ、待って!! クッ……セイメイ様ぁ!!」

 身体が勝手に動いていた。
 私は田辺を追うべく、すぐさま店の外へと飛び出していたのだ。
 走りながら以前、日向から聞いていたことを思い出す。
 身体を与えられた玉は『欲』が出る、と。

(うぅっ。猫の身体能力を舐めるな――!)


 十月の日の入りは早い。
 既に街頭がともり、一方通行の新町通を行く車もヘッドライトが点いている。
 路地を出て、北か南か……田辺はどちらへと向かったのか。
 おそらく、人の多い繁華街へと出るには、ここから近い四条通しじょうどおりへと向かうだろう。
 身の安全を考え、私は屋根から田辺を追うことにした。
 すっかり暮れた空に昇る、丸いお月様の光が、私の白い身体を照らしはじめる。
 屋根から屋根へ、いくつか飛び越えた、そのとき――
 変な走り方をする、白装束の男を見つけた!

(いた! 田辺だ! ここからなら……取り押さえられるか……!)

 その瞬間、私は飛んだ。
 猫がその背に飛び乗れば、きっと田辺も立ち止まるに違いない……と思ったのだ、が。

(あれ? あれ? なんだか、身体がおかしい……?)

 急に身体のあちこちが膨らんでいるような気がした。
 それに、田辺の背中に近づいていくたび、月に照らされた私の影が徐々に大きくそこに映し出されていく。
 私の視界いっぱいになりつつある田辺の背中……その私と彼の間に、急に木陰の姿が現れた。

「えっ? うわぁぁっ! 木陰! ぶつかるっ!」

 あっという間の出来事だった。
 木陰は、片手で田辺の首根っこを捕まえ、もう片方の手で私をやすやすと受け止めた。
 抱きかかえられた腹部に衝撃が走り、ぶらんと揺れる人間の子供の手足が私の視界に入った。

「はっ? な、な、な、なんだーぁ、これは!!」

 これは私の……もの? 私は今、猫ではなく人間の子供になってしまったのか!? それも裸の……
 捕まった田辺はというと、いきおいよく木陰に頭を下げた。

「すすす……すみません! 木陰さん、これにはわけがあって!」
「田辺さん、セイメイ様。ひとまず、店に戻ります。話はそのあとで」

 冷静な木陰が、私を地面へ降ろすと、伏し目がちに着ていたジャンパーを脱ぎ、私をそのジャンパーで包む。
 そして、再び私を抱き上げた。
 項垂れる田辺の肩には手を添えて。
 木陰は裸の子供と、白装束のおじさんを連れ、人目が集中するこの場をあとにした。
『結』へ戻ってくると、店の前に中井さんが立っていた。

「田辺さん! 来てくれたんか! ……あれ、どうしたんや、その格好。もしかして、まだ病院に入院しとったんか?」

 まあ、今の田辺の姿を見ると、入院患者に見えないこともない。
 どちらかというと、棺桶かんおけから出たばかりのような姿だが、ここは中井の勘違いも、木陰からするとありがたいのではないか。
 それにしても寒い。
「寒いから、中に入ろう」と私は木陰にそっと耳打ちした。
 しかし、どうして私は人の子の姿になっているのだろうか?
 木陰は、おじさん二人を奥の間に通すと、ビールと熱燗あつかんとアテの用意をして振る舞った。
 なんとも愛想のない振る舞い方だが、話がいい感じで盛り上がるおじさん二人にとってはどうでもいいことらしい。
 木陰はニコリともしないまま、一旦外に出て、入り口の表側に張り紙をして戻ってきた。

「おお、木陰。やはり今夜は『本日貸し切り』か?」
「当たり前です。こんなことになっているのに、他の客の相手なんてしていられません」
「こんなこととは?」
「まったく。ほら、行きますよ。裸ジャンパーのままで過ごすんですか?」
「あ、なんだ。私のことか」

 木陰はヒョイと私を肩に担いだ。

「おい! 私は荷物ではないぞ」
「……大人しくしていないと、落としますよ」
「ひぃ。お前ならやりかねない……だが、ここを離れて、また逃げられたらどうする?」

 すると木陰は、おじさんたちを一瞥いちべつしてフッと鼻を鳴らした。

「大丈夫です。ここから出られないように結界を張りましたから」

『結』の二階は住居スペースで、主に寝屋ねやとなっている。
 部屋は二つあり、一つは式神たちの部屋で、もう一つは今は亡き結子の部屋だ。
 裸ジャンパーの私を連れて木陰がやってきたのは、その結子の部屋だった。

「ここは……結子の部屋ではないか」
「はい。結子様の部屋です。ここになら、その姿に合った服があるかもしれません」
「子供用の、か?」
「そうです」
「……結子の部屋に子供用の衣類があるわけがなかろう?」
「あ、ありました!」
「なに?」

 結子の部屋の片隅にある、年季の入ったタンス。
 その一番下の引き出しには、赤子から十五歳くらいまでの、男女の真新しい衣類がそろえてあった。
 もしかして、噂で孫ができたと聞いたから、会う予定もないだろうに買っていたということか。

「木陰、ここに子供用の服があるのを知っていたのか?」
「いえ。ですが、結子様は時折、百貨店の紙袋を手に帰ってきたことがありました。包みにはその時々によって、ブルーやピンクのリボンがかけられていて、プレゼント用のお買い物をされたのだと、すぐわかりました……そのプレゼントの包みが、数日後にはゴミ箱へ捨てられていました。では、中身はどうしたのだろう? とずっと考えていたのです」
「では……」
「はい。私の勘が当たりました。中身はここにあった」

 結子が孫のためにと買っていたプレゼント。
 使われることなく綺麗きれいに仕舞われているのを目の当たりにすると、なんだか胸が詰まる。

「こちらを拝借しましょう。裸のままでいられては、通報されますから」
「わかった。そういう時代なのだから、仕方ない」

 木陰は、淡いピンクの長袖のワンピースを手に取ると、私に合わせてみた。

「……それは、女子用であろうが。何かの当てつけか?」

 私は、いつもの木陰の嫌がらせもここまで来たかと思って、にらみを利かせると、木陰が小さく溜息を吐いた。

「セイメイ様、お気づきではないんですか?」
「何をだ」
「その身体ですが、女の子です。あえて言うなら、猫の姿のときにも、ついていませんでしたけど」
「ついていない?」
「はい。そうです。ついていません。先ほど、ジャンパーをかけたときにもチラッと確認しましたが」
「!?」

 私は、かれこれ二百年近くは猫の姿だった。
 やけにオス猫が寄ってくると思ってはいたが……それは、私に天性の人気があるのだと思い込んでいた。
 いやはや、まさか性別が違って生まれてきたなどとは思いもよらなかった。
 なんだったら、猫の姿ではあるが、中身は人間である。
 この姿であっても、人間のつもりで生きてきたのだ。

「メス猫の身体で生まれてきた……? まったく気がつかなかった……」
「今は、人間の女の子の姿です」

 木陰は服を選んでくれた。
 コーデュロイ生地の淡いピンクの長袖のワンピースだ。
 それだけでは寒いので、と結子が生前に着ていた、結子の手編みの赤いニットのベストを着ろと言う。
 私はそれを受け取り、木陰が一階へと戻っていく足音を聞きながら着替えた。
 結子の部屋にある姿見すがたみで容姿を確認すると、十歳から十二歳くらいの女の子がそこに立っている。
 猫のときと同じく、目の色が片方ずつ違うこと以外は人間の姿だった。

「……どうして、このようなことになったのだか。神がいるとしたなら趣味が悪い……でも、まあ……なかなかの可愛かわいさではないか?」

 このような経験もなかなかできることではないと思い直し、私は一階へと下りていった。
 そして一階では――
 何やら楽しそうに話をしている、おじさん二人の声が聞こえてきた。



         三


「セイメイ様、すぐお野菜出しますから、そこのカウンターに座って待っていてください」
「わ、わかった!」

 木陰の方から野菜を用意してくれるなど、はじめてな気がする。
 女の子の姿だからか、気を使ってくれているのかもしれない。
 木陰は黒檀こくたん盛箸もりばしで、おでんを一品一品小皿に盛りつけている。
 玉子は半分に切り並べ、お出汁を注ぎ浅葱あさつきを散らす。
 牛筋は甘辛く煮込んだものを茶碗蒸ちゃわんむし用の器へ入れて、そこにも浅葱と一味を入れ、お出汁を注ぎ蓋をした。
 言わば懐石料理のように、この店はおでん種を器の中で仕上げて、見目麗みめうるわしい状態でお客様に出しているのだ。
 盛りつけが完成したおでんを、木陰がテーブルへと運ぶ。

「こちら、玉子と牛筋です。熱燗、おつけしましょうか?」
「ああ、悪いな。頼むよ」

 と田辺が答える。すると、中井も口を開いた。

「いやぁ、こういう風におでんを出す店だった。思い出した。ちょうど一年前だった」
「あの日も、こういう料理の出し方が、客をかさないというか、ゆっくりできてええなぁって言っていたな。『これは、おでんじゃない』って、お前は言うてたけど」
「そうだったか?」
「そうや」

 ははは、とおじさん二人は声を上げて笑った。

「おい、もっと食べんと元気にならんで?」

 中井は、田辺が食べていないことに気がついたのか、玉子の皿を勧めた。

「ああ。食べたいが……あんまり食べられないんだ」
「明日、病院で検査なんか?」
「まあ、そういった感じだ」
「そうか」

 病気のフリをするとは、なかなかやるな田辺。
 しかし、せっかく中井に会えたのに、あまり嬉しそうに見えない。

「そんなことより、私に会いたいって思ってくれてありがとう」

 田辺は、私たちから聞いていたから、そう口にしたのだろう。
 すると続けて……「もう会えないから、私も会っておきたかった」と言う。

「え? なんや、そんなに病状が良くないんか?」
「あ、いや。俺のことはいい。ところで中井さん、仕事はどうなんだ?」

 田辺は自分が死んでいることを、中井に伝えられない。
 このような席を設けるのは、自分が死んでいることを知らない人とだけだからだ。
 木陰は、田辺にそう説明していた。
 死んだ人間に会えるとなると、口止めをしても、どこからか情報が漏れ、希望者が殺到する。
 そんなこの世の摂理せつりに反したことをし続けていたら、いずれ様々な問題が出てくるだろう。
 実際、木陰と日向はそれが理由で住処すみかを転々としていた時期もあったらしい。
 京都に戻ってきたのも、私と合流してからの話だ。
 二体と合流したときに、お互い京都弁ではなくなっていたことに一番驚いたものだった。


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