夢幻世界

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第二章 3120番の世界「IASB」

第55話 心の世界

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「うおー、でっけえ……」

 小さな孤島に架かっている大きな橋を見て、颯太が言葉を漏らす。橋の行き先には黒い霧がかかっていて、どこに繋がっているのかはわからなかった。

 この孤島は地面に芝が生えているはずなのに無臭だ。他の生物の存在も感じない。そのせいか、自分たちが動いたり喋ったりして出る音以外、無音だった。
 普通に生活していれば、嫌でも何かしらの匂いを感じて、何かしらの雑音を聞いている。その日常が存在しない今の空間は、とても異様で、とてつもなく怖かった。

「ね、ねえ。さっきアース、想像より染まってるって言ってたけど、もともとは今とは違ったの?」
「ええ、全く。そもそも時間の流れこそ違えど、朝昼晩の概念がありましたし。地面が明るいことを考えると今は昼頃なのでしょう。空は妖力に染まってますが……」
「アースは前にも来たことあるんだろ? あの橋の先ってどうなってるんだよ?」
「来たことはありますが、心境の変化によって度々変わることがあるんです。恐らく前に来た時から大きく変わっていると思います。なんせ、最後に来たのはレイが皆さんに会う前だったので」
「じゃあ零君がいそうなところに心当たりもないよね。まずは探すところからかな」
「そうですね。とりあえず言えることは、基盤になっているのは浮遊島です。島から落ちたらどうなるか、私は落ちたことがないのでわかっていません。落ちないように気を付けてくださいね」

 突然の脅し文句に、五人は顔を見合わせてあからさまに動揺する。なるべく島の中心にいようと、団子になって固まった。アースはその様子を楽しむように笑った後「冗談ですよ、私が拾いに行くので安心して落ちてください」と言い放った。

「なんかアースってさ、真面目そうな顔して……」
「意外と意地悪だよね」

 呆れたような、困ったような表情で秋と美咲は言った。そして、冗談だといわれてもなお、足を震えさせて立つのも困難になっている颯太の手を風が引きながら、橋へと近づいた。

 石造りの橋は既に劣化しているのか、ところどころに穴が開いていたり苔が生えていたり、あの黒紫の液体が落ちていたりと、体を預けるには心もとない見た目をしていた。空いている穴からは底の見えない真っ暗闇が見え、思わず息を呑む。
 そんな橋に何のためらいもなくアースは足をかけた。アースの乗ったところの石から、サラサラと砂のようなものが落ちる。いつ崩れてもおかしくなさそうだった。

「これ、崩れないよね……?」

 秋の問いにアースは振り返って「大丈夫です」と短く言った。どうしてそんなに自信満々に言えるのか、秋たちには理解できなかったが、ここで止まっているわけにもいかない。アースの言葉を信じて、秋は橋に乗った。
 一歩進むたびに、いつ崩れるのかという不安だけが積み重なっていく。それでも先にズンズン進んでいくアースの様子からは、少しだけ焦りが見えた気がした。
 どれだけ余裕そうに振る舞っていても、零が心配であることに変わりはないのだろう。自分の歩く足場の心配なんてしている暇もないくらいに。
 秋は不安を拭い去って、アースの足取りに合わせて進んだ。後ろから瑞希や陸斗も来ている音がする。気が変わらないよう、振り返らずにアースの背だけを見て進み続けた。





 しばらく進むと、先に大きな陸が見えた。目で見える範囲に収まらないということを踏まえると、相当大きいようだ。遠くのほうは靄で見えないが、ところどころに建物らしきものがあるのも見えた。
 橋を渡り終えた先でアースが立っていた。何も言わずにあたりを見渡している。
 秋が着いた後、すぐに瑞希と陸斗も着き、遅れて風と颯太がやってきた。颯太は地面に足を付けたとたん、緊張の糸が切れたように座り込んだ。

「こ、怖かったあ……」
「成瀬、お前さすがにヘタレすぎるだろ。俺の腕にしがみ付きやがって。落ちるのが怖いならなおさら俺の腕つかむなよ、一人で落ちろ」
「だってさあ……!」

 今にも泣きそうな声色で颯太は声を上げる。風は大きくため息をつき、一度伸びをした。

「もう大丈夫ですよ。恐らくこの島がレイの世界でしょう」
「視界がいいとは言えないね。この島、結構広そうだけど、どうやって零君を探すつもりなんだい?」
「そうですね……。あてもなく探しても途方もない時間がかかりそうですし」

 うーんとうなり声をあげるアースの近くが突然、少しだけ明るくなる。違和感に気づいて全員が光の正体を探ると、それはアースの足元にいた。
 小さな体から弱弱しい光を放つその生き物は、今まで生きてきた中で本でも見たことのない、奇妙な姿をしていた。
 狼にドラゴンの角が生えたような真っ白な本体に、四肢と尻尾の両脇から一本ずつ、合計六本の真っ黒な帯のようなものが伸びている。帯は重力を知らないかのようにヒラヒラと揺れながら、行き場のないまま宙を漂ったり足や尻尾に巻き付いたりしていた。
 目や口はなく、ただ光が生き物の形を持っただけのように思えるが、その生き物は間違いなくジッとアースを見つめていた。

「なにこれ、生き物?」
「さっきの白い球に似てるけど、今回はなんか黒い部分もあるな」
「アース、なにか知らない?」

 アースはしゃがみこんで、その生き物を見つめ返す。しばらくしてから立ち上がって、五人の方を振り返った。

「春杉さんが言ったように、先ほどの神力の球と同じです。ただ、私はこの生き物を見たことがありません。今まで出会った幻獣や妖怪の中にもいませんでした。それにこの子、神力と妖力の両方からできています。こんなのって……」
「それってどういうことなの?」

 考え込むアースに秋は続く言葉を促した。

「さっき神力が妖力に包まれたベッドに触れたとき、どちらも消えましたよね? あのように、神力と妖力というのは相反する力です。そのため、神力は神力だけ、妖力は妖力だけで存在し、決して交わることのないはずなんです。それが、この子は合わさって存在している。それなのにどちらの力も消えるどころか、真っ白と真っ黒でしっかりと質が保たれています。そして白と黒の境界線、お互いの力が混ざり合ったかのようになじんでいるんです」
「……てことは」
「神力と妖力が共存しています。それも、お互いの力を全く衰えさせずに」

 これが何を意味するのか、秋たちには想像もつかなかった。それがどれだけ凄いことなのかを判断するには経験が足りなかったからだ。それでも、説明するアースの様子を見れば一瞬で分かる。ありえないことが起きているのだということが。

 光はすっと立ち上がり、帯を後ろになびかせながら四本の足でゆっくりと歩きだした。少し進むとこちらを振り返り、再びじっと見つめてくる。まるでどこかに案内しようとしているみたいだった。

「ついて来いって言ってるのかな」
「……そのようですね、行ってみましょう」

 アースたちが光についていくように足を進めると、光は満足そうに尻尾を揺らしてとことこと歩き出した。

 進むたび、次第に当たりの霧が濃くなっていく。たまに、芝の上に瓦礫のようなものが転がっていたり、苔の生えた岩が落ちていたりするものの、目立った目印のようなものはないように感じた。こんなに進んで大丈夫なのだろうか。帰り道なんて全くわからない。
 そんなことを考えながら進んでいると、気が付けば半径2メートルほどしか見えないくらい、霧に包まれていた。秋は横にアースがいることを確認してから後ろを振り返り、他のみんながいることも目を合わせて確認する。

「不安ですか?」
「え?」

 落ち着きなくキョロキョロとあたりを見渡す秋に、アースは光を見ながら声をかけた。図星の質問に、秋はなぜだか少しばつが悪くなり、目が合っているわけでもないのに視線を落とした。
 アースはその様子を横目でちらりと見てからまた前に向き直った。

「その不安は一体、何に対するものなんでしょうね」
「どういう意味?」
「霧のせいで周りが見えなくなって、仲間がいなくなったり帰れなくなったりするかもしれない状況に対するものですか?」

 秋の問いを無視してアースは逆に質問した。質問の意図が分からずに、秋は地面を見たまま固まる。そうに決まってる。なのに頭の中は今の状況と同じように晴れなかった。

「そうだと思う……けど」
「……そうですか。私にはこの不安感が自身の内からくるものではなく、外からくるものに感じますが」

 ハッと顔をあげる。アースの表情は明らかに曇っていた。それは、秋が正しい答えを言わなかったせいではなく、別の何かによるものだと秋は瞬時に察する。
 そして後ろを振り返ると、同じように瑞希や颯太の表情からは恐怖や不安が見て取れる。陸斗や風は平然を装ってはいるが、今までとは違う雰囲気で身構えているようにも見えた。
 心臓の鼓動が早まっていくのを感じる。この漠然とした不安は……。

――な

「あ……」
「聞こえました?」
「い、今……」

 声が聞こえた。

――るな

「まただ」
「この声は、この不安は」

――くるな

「レイのものです」

――来るな!!!!!

 頭に声が響き、キーンと耳鳴りがする。まるでフラッシュを焚かれたように視界が真っ白になった。同時に、立っていられないほどの眩暈と、胃が締め付けられるような強烈な感覚におそわれる。
 後ろで音がして振り返ると、霞む視界に倒れた四人の姿が映った。それを最後に秋の意識は途切れた。
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