夢幻世界

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第二章 3120番の世界「IASB」

第46話 見えない鎖

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「初めからこうしとけば早かったな」

 カチャリという音と共に首に圧迫感を感じた。数秒間、思考が停止する。何が行われたのかは見えなかったが、見なくても全てを察することができた。
 だんだんと心臓の音が大きくなり、加速していく。苦しい。必死に酸素を取り込もうと呼吸を繰り返すが、肺に穴が開いてしまったかのだろうか、一向に苦しさが消える兆しが見えなかった。いつの間にか零の呼吸音は、ある程度距離があるはずのKIPにも聞こえるほどになっていた。

 零の明らかな様態の変化に満足した様子のイグニスと、何が起きているのか分からず困惑した様子のKIP、そして今この状況が何を意味するのかを理解している様子のアース。反応は様々だった。

「おい大狼、過去に縛られる必要はないって言ってたよな? 言うのは簡単だ。忘れることだってできないわけじゃない。だが完全に過去を捨て去ることなんて、どれだけの月日が流れようと、どれだけ仲間に囲まれて幸せでも不可能だ。それを今から証明してやるよ」

 零の前にイグニスが立つ。すかさずアースが地面を蹴り、イグニスのやろうとしていることを止めるために2人の間に入った。

「主人思いの良いペットだなあ。でも無駄だ、もう遅い。あの時殺されとけば、苦しむことなく一撃で死ねたのに、変な希望なんか持って抗おうとするからこうなるんだ」

 アースは何も言わずに後ろを振り返り、零の様子をうかがった。呼吸が乱れ、額には脂汗が浮かび、起き上がろうとした際の四つん這いの状態で硬直している。
 もう、イグニスが後ろにいることを気にもせず、アースは零の顔の高さにしゃがんだ。

「レイ……、いや、我が主よ。先ほども申し上げましたが、主には私を含め多くの仲間がついています。決して一人ではありません。その首輪は偽物です。今の主なら必ず――」
「俺を無視しておしゃべりか。まあいい。その様子じゃ忘れてねえんだろ? 俺が再現して作ったものだから、声に反応して電気が流れるか、何もしなくても流れるか、それに電流の強さ、すべて俺次第だ。さてと、お前は一体地下牢で何を学んできたんだろうなあ?」

 零が顔を上げ、虚ろな目、歪む視界でアース……の奥のイグニスを見つめる。そして、そのままゆっくりと片膝をついて、頭を下げた。零の体は細かく震えていた。
 イグニスの口角が上がる。抑えきれなくなったように笑う声が漏れた。
 それとは正反対に、アースは悲しそうに目を伏せ、慎吾は驚きを隠せない様子で固まった。

「このやり方も悪くないな。最後は俺に殺されるように指示すればすべて終わりだ」

 アースは立ち上がり、短剣を二つ作り出した。それを前に構えてイグニスを見据える。零の奪還のために、イグニスを取り押さえようと走り出した。
 イグニスは躱そうともせず、佇んだまま口を開く。

「とめろ」

 その一言が発されると同時に、影がアースの横を通り過ぎる。それがイグニスを守るように立ちはだかり、アースは足を止めた。

「レイ……」

 ただただ悲しそうな表情、声色でアースが呟く。自身の主人に止められたら、もう何もできない。
 零はアースに向かって、ごめん。と口を動かした。声は出なかった。

「その犬、しまっとけ。邪魔だ」

 アースの足が影に覆われていく。

「……今の貴方なら必ず乗り切れます。仲間の声を聴いてください。私も影の中で、最善を尽くします」

 それだけ言い残して、アースは零の影に溶けるように消えていった。

 「さて」とイグニスはさっと辺りを見渡す。緊迫した空気の中、二人の様子をうかがうKIPの人達は、何が起こっているのかを理解しないまま、いつでも動けるように構えていた。
 そしてイグニスは慎吾を見つけて視線を止める。

「あの時お前が邪魔しなければもっと簡単に終わらせられたのにな」
「悪いが人殺しを許容するほど腐ってないんでね」
「人殺し? こいつは人じゃなくて世界の型にはまってない半端物だからそれは違う。死んだって害は無いし世界を正す行為なんだよ」
「理由が何であろうと関係ない。零を放せ」
「別に捕まえてねえよ。こいつが『自分の意志』で従ってるだけだ。なあ?」

 同意を求めるようにイグニスは零を見る。一方で慎吾は、否定の言葉を待つように見つめた。そして零は迷いながらイグニスの方を見る。しばらく何も答えないでいると、一瞬だけイグニスの手から首輪に静電気程度の稲妻が伸びた。それだけで零の頭に過去の記憶が駆け抜ける。抵抗が許されないことを暗に伝えているようだった。
 ゆっくりと首を縦に振る。慎吾が「お前……」とつぶやいたのが聞こえた。そして少しの沈黙の後、KIPの一人が叫んだ。

「一緒にいるのは人質ではなく共犯だ! 明らかに危険な思想から、武器およびクラリスを使用し、速やかに捕獲するように! 一般市民や我々に致命的な危害を加えることが予想された場合、致死能力を使用してでも制止しろ!」
「おい、大久保おおくぼ! まだ決まったわけじゃ――」
「自分で共犯を認めたじゃねえか。なら人質がいるからって見るだけは終いにしようぜ」

 大久保と呼ばれた男の指示と同時に残りの3人のKIPが攻撃態勢に入る。慎吾が止めようとしたが、この状況で零を助ける方向にはできなかった。

「共犯だってよ。残念だったな、お前を助けるために来た組織が牙を剥くようだ」

 相も変わらず、この状況を楽しむように笑いながらイグニスは言う。
 KIPに今の状況を理解できる訳もなく、零がイグニスに従っている、ということだけが目に映る事実なのだ。この対応は何一つ間違ってはいないのだろう。

 がたいの良い男が、零とイグニスに向けていた銃の引き金を引いた。偶然か必然か、その弾は零とイグニスのどちらにも当たらず地面に当たった。
 その弾に気を取られていると、銃を撃った男がすぐに「神田かんだァ! 水野みずのォ!」と名前を呼んだ。すると、氷で作られた剣のような物を持った女隊員が素早く距離を詰めてきた。そのまま氷の剣を勢いよく振り下ろす。イグニスは飛び退き、反応の遅れた零はスレスレで身を引いてかわした。
 さらに左から男隊員が接近し、蹴りが飛んでくる。零が左腕で受け止めると、ただの蹴りではありえない強さの衝撃とともに、接触している腕と足の間で爆発が起こった。爆発直前に後ろに下がったため致命的なダメージはなかったが、左腕にはヒリヒリと痺れが残っていた。

 神田と呼ばれた女隊員と水野と呼ばれた男隊員は、どちらも自分の攻撃が外れたと分かると、すぐに後ろに下がる。そしてその陰では、先ほど指示を飛ばした大久保の周りを炎をまとった槍が数本、先をこちらに向けて構えられていた。
 大久保がタイミングを見計らって手を動かす。余裕そうなイグニスと予想外の連撃に体勢を崩していた零に向けて、浮いた槍が矢のように飛んだ。
 全てかわすイグニスとは違い、零は全ての槍を受けた。槍は零に当たると火力を増して、あっという間に零の姿が見えなくなるほどの火柱になった。

「まずは一人だな、お前らよくやった」

 大久保がそう言って隊員を労う。どうやら慎吾以外のこの場にいるKIP隊員はチームのようだった。慎吾は何も言わずにこの状況を見ているだけだった。

「いやはや、相変わらず大久保さんのクラリス強いっスねー! それに比べて長谷川はせがわさん、銃打っただけっスよね?」
「おめェなあ、誰が敵の気ィ散らしてやったと思ってんだァ?」

 水野が銃を撃った男、長谷川をからかうようにケラケラと笑う。

「まだ気を抜くには早いですよ。もう一人、始末しなくてはいけないんですから」
「俺らのチームワークなら余裕っスよ! 神田さんの動きも相変わらず早かったっスねー、未だにそのスピード追いつけないっス」
「んじゃまァ、もう一人もやるぞォ!」

 気の抜けた会話をしている隊員たちが、イグニスに視線を集中させた。イグニスは構えるわけでもなく立っているだけだった。

「お? 相手、やる気ないみたいっスよ。大久保さん、どうします?」
「手は抜かずにやれよ、見た目だけじゃ分からねえ場合の方が多いからな」
「了解っス!」

 水野は元気に返事をすると、その場でピョンピョンとジャンプした。攻撃の準備に入っているようだった。それを見たイグニスは鼻で笑ってから声を出した。

「おい、いつまでそこにいるつもりだ? さっさと始末しろよ。手加減したらわかってんだろうな」
「もう真っ黒焦げっスよ、仲間は!」

 イグニスの言葉が零に向けられたものだと理解した様子の水野は、そう言ってからジャンプの反動で強く地面を蹴り、先ほどよりも早く距離を詰めた。そして、零の時と同じようにイグニスに向かって足を延ばした。
 その足がイグニスに当たる直前、水野の体が大きく後ろに吹き飛ぶ。大久保たちを通り過ぎ、その後ろの壁に叩きつけられて、水野は地面に落ちた。

「……は?」

 状況を理解しきれなかった様子の大久保が、唖然と立ち尽くした。我に返った長谷川が「水野!」と駆け寄る。生きてはいるが意識はなく、多くの骨が折れていることは見た目から明らかだった。
 大久保がイグニスの方を見ると、イグニスの前には狼の半妖へと姿を変えた零が立っていた。しかし、これを零と同一人物と見れるほどの情報は大久保は持っていなかった。

「お前……誰だ?」

 そう大久保が尋ねた時には、零の周りには大久保の攻撃を模した、炎をまとった槍が浮いていた。そして次に大久保が何か言おうとした瞬間にその槍は本家の攻撃よりも早く、目で追えないほどのスピードで発射され、気づいたときには大久保の両足に合計三本の槍が深々と突き刺さり、そこから足を燃やし始めた。
 声にならない悲鳴を上げ、その場に倒れこむ大久保に、横にいた神田が慌てて氷を作り出し、それを溶かした水をかけて消火する。足を燃やす火は消えたが、右足に二本と左足に一本の槍が刺さっており、もう動くことはできなくなっていた。

 大久保の火を消し終わり、立ち上がろうとすると、神田は自分の足が動かなくなっていることに気が付いた。目線を落とすと立っている地面がアスファルトから氷に代わっており、神田の足は氷で固定されていた。そのまま氷は膝、腰と徐々に上までせり上がり、最終的に氷は神田の全身を覆った。

 残った長谷川が、怒りの表情で零をにらみつけた。

「……俺の仲間に何してくれてんだァ?! 捕獲じゃ済まさねェ、ぶっ殺す!!」

 長谷川の体が何倍にも大きくなる。様子からして筋肉増強のクラリスのようだった。ドスンドスンと地面を揺らしながら走って向かってくる巨体に、零は魔力で作り出した拳銃のようなものを向ける。

「この俺に銃なんざ効かねえぞォ!!」

 そう言って怯むことなく向かってくる長谷川の頭に標準を合わせ、零はためらいなく引き金を引いた。
 軽い発砲音とともに銃弾に似せた丸い光が発射される。その弾は綺麗に長谷川の額へと飛んで行き、当たると同時にパチッとはじけて火の粉のようなものが散った。それは長谷川に降り注ぎ、体に溶けるようにして消えていった。

「だから効かねえって……あ?」

 ピタリと長谷川の動きが止まる。筋肉増強で大きくなっていた体は元の大きさに戻り、力が抜けたようにその場に倒れこんだ。そして起き上がることはなかった。





 慎吾はこれまで光景を全て、ただ立って見ていた。見ていることしか出来なかった。零から色々と聞かされていたとはいえ、この非現実的な状況を整理することだけで手一杯だった。
 大久保たちは、KIPの中でも実績が上位のグループだったのだ。平たく言えば、彼らは強い。そのはずなのに目の前の獣人によって秒で片付けられた。
 獣人の正体が零であることは、慎吾は簡単に見抜いていた。でも、それならなぜ零は先程まで争っていた奴の味方をしている?

 様々な情報がグルグルと頭の中で暴れ、硬直している慎吾の横から、昭が声をかけた。

「佐々木さん、戻りました。これは……どういう状況ですか?」
「……俺にも分からない」
「え、今まで見てたんじゃ?」
「だから尚更分からないんだ。ただ一つ言えるのは、間違いなく悪い方向に進んでいる」

 昭のなかで疑問と困惑が混ざっていた。

「とりあえず、大久保さんのチームが危険な状況なのはわかるので、治療班を呼んでおきます。佐々木さん、僕は何もわかりませんが、まずはとにかく目の前のことから整理していきましょう」

 携帯を取りだし、電話をかけながら昭は後ろに下がった。

「……ああ。そうだな」

 慎吾は呟き、零を見つめた。零も視線を感じて慎吾の方を見る。零の表情には誰が見てもわかるほどに苦痛が現れていた。

 少しの時が流れ、慎吾が何かを言おうと口を開いた時、先にイグニスが声を出した。

「おい、手加減するなと言ったよな?」

 零は何も言わずに俯いたままだった。しびれを切らしたようにイグニスが舌打ちをする。

「もういいわ、そっちの奴を片付けろ」

 イグニスが指さした先には慎吾が立っていた。

「……!」

 零がバッとイグニスの方を振り返る。拒否権がないことは重々承知していた。それでも零はこの指示に従うことができなかった。
 その様子にイグニスは小さく鼻で笑う。

「壊すには惜しいんだが、仕方ねえか。じゃあ遊びはここまでだな」

 もう何が起こるのか、零には簡単に予想ができたが、それを考える間もなくイグニスが指を鳴らす。同時にあの衝撃が零を襲った。もうしばらく忘れていた痛み。首を通して全身に広がった。
 今まで街だったはずの零が立っている地面は、いつの間にかあの独房の冷たい石畳に変わっている。それが現実なのか、それとも記憶が見せる幻なのか、もう判断はできなかった。
 自分がどうなっているのか、どういう反応を示しているのか、全くわからない。
 暗転していく視界で最後に見たのは、慎吾が何か言いながら駆け寄ってくる光景だった。
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