蒼天の城

飛島 明

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第一部 再興編

逆襲

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 寝てまつこと、暫し。

 時苧の小屋を、一人の娘がおとずれた。娘の訥々とした、だが一生懸命な報告に耳と傾ける。
「たしか、か。阿蛾」
 時苧の声は満足気であった。

 武具を磨き、馬を整え。
 密やかに、瘤瀬の里は闘気に包まれた。
 土雲に先じねばならない。事は迅速と、隠密を必要とした。しかし、里の意気は高揚していた。


 征伐隊が出立しようとする、まさに其のとき。
「あたしも連れていけっ、兄者!これはあたしの戦いだっ」
 戦装束に身を固めた娘の一人が進み出た。
 菜をの頬が戦気で上気し、目がくるめいた。

 菜をが正体を明かさぬよう気を配っていた時苧と草太であったが、このときばかりは油断した。
 もう、時苧の術もきかない。最大の不覚であった。

 しかし、草太は予想していた。
 いや、いつか。菜をは言うだろうと無意識のうちに知っていた。

「あたしは諏和賀の諏名姫だっ! いつまでも、皆の後ろに隠れていることは出来ないッ」

「菜をが……、諏名姫……?」
「お館様亡きあと。それでは諏和賀のご領主は。……菜を、ということ、か?」

 里の者の気が揺れた。

 そこに菜をは、いや諏名姫は声を張り上げた。
「皆を護るのが領主の勤めであるならば、あたしこそが土雲と戦う!」


「只者ではないと思っていたが、まさかご領主の血筋とは!」
「オレは菜をなら、ついていくぜ!」
「皆!土雲を倒すぞ!」
「断じて瘤瀬には奴らを入れねェ!」
「オレ達の姫君を護るんだっ!」
「応!」

 初めは歓声であった。

 しかし。
 里の者の気が揺れ始めた。
 納得から困惑、狼狽。
 そして憎悪へ。

 草太が土雲襲撃の出立を促したが。

 菜をの周囲には、猜疑の眼が渦巻いていた。
 信じていいのか、受けいれてよいのか。自分自身の感情がわかっておらぬような、みなの眼差し。
 それは、里に残る者も征伐隊の者も、等しく同じであった。
 燻っていたものが、爆発した。

「何を言ってるんだ、お前ら?オレ達は、土雲に家族を殺されたんだぞ!」
「そうだっ。土雲の狙いはご領主一族だった。いわば、オレ達はご領主に家族を殺されたんだ!」
「今のやりとり……、小鷲は知ってたんだな? ということは頭領もっ!」
「菜をは、おめおめとその事実を隠していた!」
「オレ達は、じい様と小鷲兄者にもずっと謀られていたんだぞ!」

 次第に怒号が歓声を凌駕していった。ついには、怒号のみが交差した。
 時苧は密かに、これを恐れていたのだ。


「でも!」
 一人の声が決意したようにさえぎった。
 普段あまり喋らない男の声であったので、皆が鎮まった。その声は、最後に征伐隊に名乗りをあげた、羅生丸の四郎であった。
 後ろに八雲もいる。
 二人とも、今の衝撃から顔は青ざめていたが、瞳には強い光があった。

「羅生丸?
 お前、八雲に子が出来たから、護衛で瘤瀬に残るのではなかったか?」
 仲間も彼が征伐隊に加わっていることを初めて知った者もいたぐらいであった。

「だからだ。オレは、土雲を倒す。オレの力でこの里を、八雲を護るんだ」
 羅生丸の言葉に誰かが首を振った。

「だが、羅生丸。オレ達は確かに城下から頭領に連れてこられた。
それは感謝しているが、そもそもご領主と土雲の戦いのとばっちりを食ったんだ」
「そうだ!」
「そうと知ったからにはオレ達は、この戦いに参戦しない」
「俺達はいわば、諏和賀の御家の犠牲者だ。瘤瀬に残って当然なんだぜ?
戦いたいなら、頭領と小鷲が戦えばいい」

 同意者がばらばらと隊列から抜けていく。
 そうだ、そうだという同意の中、羅生丸は必死にかぶりを振った。

「違う!
 オレも、八雲とこの里から逃げようと思ってた。
諏和賀への想いにつまったこの里に、押しつぶされそうで。
でも、違うんだ。
きっかけは、ご領主一族の殲滅だったかもしれない。
でも、もう事はオレ達にも及んでいるんだ」

「だからっ」
 俺達には関わりがない、と言いかけた者達に羅生丸は押し被せるように言葉を叫んだ。

「俺達はもう巻き込まれてるんだと、何故わからないんだっ!
あの戦乱は、誰かをえり好みしてくれていたか?!」
「……」

「それとも今度は菜をの首を差し出したら……、土雲はオレ達を見逃してくれるとでも?」
「!」
 何人かはそう考えていたのだろう、読まれた事で押し黙った。
 激情がさり、羅生丸は弱々しく呟いた。

「諏和賀の里の徹底的な殲滅を見たら、そんな事をしてくれる訳ないだろう……?」
 屈強の青年たちが、幼少の頃に骨身の髄まで沁み込まされた恐怖に、ぶるりと震えた。

 羅生丸は、気弱な男であった。
 それが、惚れた女と、その体内の子供を護ろうと決めた時、勁くなったのだ。
「……」
 羅生丸の気迫に、反対していた者達も気おされた。




「……お前達を置いて、八雲を連れて逃げ出そうと思っていた。
菜をはそんな俺達に『一刻も早く逃げ出せ』と勧めてくれた」
 羅生丸はぽつりと言った。
「『この里は諏和賀の亡霊にとりつかれている。この瘤瀬にいなくていい。
皆には諏和賀を忘れて幸せになる権利があるのだから』と」

「おためごかしだ」
 くすぶっていた者の一人が、苦し紛れに言った。

 羅生丸は構わず続けた。
「『ただ、くれぐれも土雲の脅威の及ばぬ処を探して』と」

「……」

「『生まれてくる子に、幸せな人生を送らせてあげて』と。
 オレは……、オレはそれを聞いて、恥ずかしくなった。
今まで一緒に暮らしてきた兄姉弟妹を見捨てようとしたことにも。
あんなに土雲の事を憎んでいたにも関わらず一矢も報いぬまま、別の土地で暮らそうとしたことにも」

 羅生丸は一瞬、口を噤み、そして、その言葉を口にした。

「これからも、ずっと土雲の影に怯えながら、生きようとしたことにも」



「……」
「今なら、わかる。何故、あんなに菜をの顔が辛そうだったのか。
皆、忘れたのか?
菜をが今まで、どんなにオレ達のことを大事に思っていたか。
あれは、あれは。おためごかしなんかじゃない!」

(そうだ、菜をはいつだって、俺達の事を大事に思っていた)
 だからこそ、裏切られたと思ったのだ。
 だからこそ、許せなかったのだ。

「オレは、諏和賀の為じゃない。
オレの為に……、おみつと子供の為に土雲を倒すんだ!」
 反対していた者たちの表情から、燻っていたたものが消えた。



 緊迫した空気のなか、草太がのんびりと場を遮った。

「そんなことだから、行ってくるな。
いい子で留守居役を頼むぞ」
 菜をの頭に、ポンと手を載せた。

 いたただしげに、菜をは兄の手を払った。
「子供扱いするなッ」

「してるか、このたわけ猿。
いいか? 自分の命を盾にしても意味はないと教えただろう。
そんなもん使えば使う程、安くなる。
お前まで土雲襲撃に行ったら、誰がこの里を護るんだ?
残りは年寄りと子供だけだ、あとはまかせたからな」

「それは、兄者たちは生きて還ってこないということかッ!!」
 菜をが吠えた。


「……飯炊いておいてくれ」
 およそ緊迫感に欠けたやりとりだったが、目にみえて菜をは緊張を解いた。
 それでも、言い募る。まだ殺気の充分残った瞳で。

「わかってるだろうな、兄者。
一人でも欠けて還ってみろ。地の果てまでも土雲を追い、みなの仇を討つぞ。
諏和賀の再興など、関係ない。命の限り、奴らを追うからな!」

 後ろも振り返らず、草太は手をひらひらと振った。
「おう、好きにしろ。念を押しておくが、うまい飯だからな。不味かったら、承知せんぞ」
「わかった」
 言うなり菜をは、くるりと踵を返した。


「出立する!」
 草太が号した。




「兄者」
 疾風が馬を駆りながら、隣をやはり馬で疾走している草太に声をかけた。
「なんだ」
 草太は、疾風を見ない。
 ただ、その先に目指す土雲を見ていた。

「殴っていいから、とりあえず、聞いてくれ」
「……?」
 何を言い出すのか。
 草太はちらっと疾風をみた。

「兄者は、本当にこはとが好きだったのか」
「?」
「菜をのかわりに、こはとを選んだのじゃないのか」
「!」

 疾風がいいはてぬうち、草太から刀子がとんだ。
 いつもなら、まともに疾風に入って馬からもんどりうって落馬するのがお約束なのだが。
 疾風は眉間の前でがっちりと、刀子を受けとめた。

 弟の、いつも楽しそうに踊っている瞳が、今は真剣であった。
 草太が、あらためて面を糺し、疾風をみた。

「菜をへの想いを叶えてはいけないと思ったからこそ、かわりの幸せを見い出そうとしたんじゃないのか?
なんで、そんなふうに思い込むんだ、兄者。
あんなにいつも、菜をのことを見つめてるのによ!」

 疾風が吠えた。
 菜をを諫めた草太の瞳は、慈しみに満ちていた。

 刺し違えても、土雲を倒す。
 おそらく、時苧と草太だけはそう考えている筈だ。
 だから、菜をを連れて行かない。
 旗印であり、諏和賀の血を残す為に。
 普段の草太であれば、時苧が反対しようとも、皆の志気を高揚させる為に菜をを同行させている筈だ。

 今回、思い人を残して戦地に赴く男達がいた。
 八雲のように、愛する男の子種を宿らせている者もいた。
 中には愛する男と共に戦うことを望んだ女もいたが、一様に男達は女を瘤瀬の地に残すことを希望した。
 ――それが、忍ぶとしての愛なのかもしれぬ。
 己こそが身をもって楯となり。
 次世代へと血を繋ぐ為に。

 疾風には兄の行動も、男たちのそれと同じに思えたのだ。

「なにかあってからじゃ、遅いからだ!
あれは、諏和賀の諏名姫だ!
オレは、再興の切り札を護っているだけだ!」
 草太も叫び返す。

(諏和賀の、諏名姫……!)
 疾風は、先程の驚愕を思い出した。
 以前の、菜をと草太の激しい言い争いは、疾風は憶えていない。
 菜をのかけた暗示によって、一切疾風の記憶からなくなっていたのだ。

「兄者……。それで、自分に暗示をかけてしまったのか?」
 疾風が悲しそうにいった。

「身分違いて、なんだ?諏名姫であろうが、菜をは女だ。
 惚れた女の為に、その女を護るのに四の五の言い訳をつけねぇと、傍にいられねぇのかよ!」
 疾風の魂からの叫び。



「あいつとオレは、本当の兄妹だ……」
 草太が口の中で呟いた。
 その言葉は、疾風にまで届かない。自分にすら、聞こえるのを恐れているかのようであった。
 あの痣。
(なんで、俺達にあの痣があるんだ……ッ!)




「オレの任務は土雲を倒すこと! 諏和賀の再興だ!」
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