蒼天の城

飛島 明

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幕間(1)

真の名(4)

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 ◆



「”阿蛾”を名乗るそうよ」
 時苧のつけた名前を選ぶことは、忍ぶの衆として生きることを選んだことを意味する。
「あのじじー……、最初から阿蛾に眼をつけていやがったな!よくも齢一つか二つかの童女に対して邪な想いを抱きやがって」
 草太が苦々しげに呟いた。
「?」
 菜をが首をかしげる。
「”阿蛾”ってのは、ばあ様の名前なんだ」
 時苧の二番目の女房で、吉蛾の棟梁の総領娘、草太の祖母の名前であった。
「え?」

「吉蛾衆の棟梁は、代々男は初代の一勘から名を貰い、『一』か『勘』の字をつける。もし頭領に女しか生まれなかったら、その子は吉蛾に由来した名を貰うんだ」
 阿蛾や胡蝶、於蝶、はては吉蛾という名の女もいたらしい。



 初代の吉蛾は、一勘の一人娘であったが、女だてらに二代目棟梁を名乗る際、名を『吉蛾』と改めた。
 その吉蛾は神職にあった務印(むいん)という男に恋をし、純潔を守っていた務印の寝所に忍び込み、子を成したという豪傑でもある。

 その年、天変地異が続き、神職を神から盗んだ報いではないかという風評が飛び、吉蛾は子を産んだのち、『神職の純潔を神にお返し申し上げる』と叫んで諏河に身を投げたという。

 その生まれえた男児が草太の祖先、ひいては吉蛾の何代目か前の棟梁だともいうが……。
 口伝では、最後まで豪胆ではあったが、吉蛾衆の棟梁としても優秀であったらしい。以来、女が棟梁を継ぐ時は、『吉蛾』の名を継ぐようになったと言われる。
 実際に何人かは女の棟梁も出たらしい。ともあれ、棟梁の跡を継ぐ娘は、伴侶を得る際に、吉蛾に由来する名に改めることになったのだ。

 が、なにぶん闇から闇に蠢く忍ぶのことだ。
 そもそも、明文化されている歴史がある訳でもない。口から口へと、いわば年寄りが童に語ってきかせる昔語りだ。どこまでが真実であるかは誰にもわからない。




「え。そんな謂れのある名を?」
 諏名姫は眉を顰めた。
 女として、惚れた男から、前の女房の名前とつけられたと知るだけでも切ない筈なのに、阿蛾は自らその名を選んだというのだ。

 時苧にしてみれば、幼女に『阿蛾』と名付けたのは、純粋に恋女房への追慕の念と、自分と女房の間に娘が生まれれば、目の前の幼女のようであったかもしれぬという思いからで、決して邪な想いなど毛頭ない。それまでに数十人の子供に名を与えて、いい加減名のネタも尽きていたという事情もあった。

 長じて阿蛾に押し切られるようにして恋仲になり、彼女が”阿蛾”と名乗る、と言い出した時に、誰あろう、一番慌てふためいたのは、とうの時苧であったのだ。
「じい様は”来女”で瘤瀬衆になればいいと言ったらしいんだが。阿蛾が”きかぬ”と」
 草太が言った。その場を思い出し、また草太は苦虫を噛んだような顔つきになった。

『いやです!頭領から頂いた御名です!頭領から頂いたものはなんでも大事にしたいの!』
 終始甘やかな雰囲気で、時苧は弱りきってはいたが、満更でもなく、草太はあてられっぱなしであったのだ。

「あの子も芯が堅いからな……」
 菜をはため息をついた。


 祝言の日取りはあらためて、当事者の時苧と来女、いや阿蛾を交えて決めることにし、草太は瘤瀬に戻っていった。
 草太を見送った後、起床にはもう少し時間があった。諏名姫は寝床の中で物思いに沈んでいた。


 草太の将来のことである。
 草太は現在、諏和賀の武の要であり、祭祀や商業を束ねている者達も他にいるが、いまや実質的な長の一人といってもいい。そして、なによりも瘤瀬の次期頭領であった。
(なにもかも、兄者に頼ってしまっている)
 荷がかちすぎるのではないかと思ったのだ。
 力量はある。
 そして、人望も。

 しかし、同時に二つの場所を統べることは、物理的には無理だ。
 諏和賀と瘤瀬は忍ぶの脚をもってしても、1日かかる。つまり、それだけ離れているということだ。

 有事がどちらかにあった場合、草太は間に合わない。そして、草太はどちらかを喪えば、どちらにも責めを感じる。それは一人の人間に求めるものとしては、酷であろう。

 ならば、どちらかを選べと言われたら。
 草太は忍ぶを統べる長となるべく、元吉蛾の棟梁時苧より薫陶を受けた身だ。当然、時苧の引退した後、その跡を継ぐ。草太の性格からして、時苧に子が出来れば、跡を譲ろうとするであろう。

 その子の、20年は後見として、己より若い叔父を忍ぶの次期棟梁として育てていくであろう。
(ではその後は?)
 諏名姫は衾の中で身じろぎも出来なかった。
 草太の双眸は、今は諏和賀を見てくれてはいるが、その魂は諏和賀に根ざしてはいない。
 今でも『探索の為』と称して、次期棟梁ともあろうものが、諏和賀の里長ともあろうものが自ら旅に出ている。
『お前がいる場所が、オレが護る場所なんだ』
 そう言ってくれているのは、まだ諏和賀の復興が終わらないからだ。諏和賀城を視界に収めながら、その瞳は遠くを見ている。菜をを見ている訳ではない。役目を終えた、と草太が判断したのなら、流浪の旅に出るのではないか。
(生涯、諏和賀に戻らぬ旅へ)


 菜をはそれが怖かった。


 ふと、草太の旅に己もついていきたい。
 そう思いついた時、その願望は菜をを突き破ってしまうのではないかというくらい、膨れ上がった。
 草太と共に諸国の風に吹かれ、珍しい物を見聞きし、一つの事象について、二人で笑いあい、語り合えれば。

 しかし、それは無理だと諏名姫はすぐ悟った。
 領主の座が惜しいのではない。
 外の国は知らぬが、諏和賀は人材に恵まれていると思う。新取の気鋭に燃え、その気は若く、健やかだ。その気になれば、自分に替わって諏和賀を治めてくれる人物など、すぐみつかる。むしろ、自分はその人物がみつかる迄、諏和賀を預かっているだけなのかもしれないのだ。

 だが。
 諏名姫の表情は暗く沈んだ。
 こはとを死なせた原因の自分が草太についていける訳がない。諏和賀の為に流された血も、自分が諏和賀の里を棄てるのを赦しはしないだろう。

 諏名姫はまぶたをぎゅっと固くつむり、衾を被った。




 日がすっかり昇り、諏和賀の境で疾風と落ち合った草太は寝所での菜をとのやりとりを聞かせた。
「へぇ……菜をの寝所でねえ」
 疾風が意味ありげに呟いた。
「ああ。来女、じゃなかった、阿蛾が来訪したあとだったから、起きてたしな」
 草太は疾風の当てこすりに、気付かない。

「知ってるか?瘤瀬の者は皆、居間迄しか忍び込めないんだぜ?」
 疾風はにやにやとした。
 草太は疾風の言わんとすることがわかった。顔に血が上るのがわかる。

「菜をがさあ、鋭くてさー、よっぽど忍ばないと次の間で気取られるんだよなああ」
「……」
「瘤瀬の衆の間じゃ、どれだけ姫の居間に近く忍べるかを競ってるんだぞおぅ?また、護衛はいかに姫より先に気配に気付くかってな。気を菜をに向かって発してるからとはいえ、今迄菜をより先に気付けた者はいないんだぜ?」
「……」
 草太は頑固にだんまりを続け、疾風はここぞとばかりに草太を揶揄いまくる。
「それを兄者は寝所の衾近くまでときた。いやー、今日の宿直の功刀(くぬぎ)が言ってたよ。阿蛾の気配はわかったけど、次がいたとは気付かなかったってな」
 疾風が愉快そうに告げた。

「功刀だったのか」
 草太は呟いた。
(道理で、宿直の者の気配がわからなかった筈だ)
 新参者ではあったが、戦乱で護るべき領主を喪い、失意のうちにさまよい歩き、ひよんな事から草太と闘い、諏名姫に拾われた。その功刀が『忍ぶ』として最大限に力量を発揮するのが、己を忍ばせることよりも、実は相手の気配を読み取ることなのだ。

 時苧ですら、舌を巻くことがある男なのだ。どの程度気配が殺せるかで、瘤瀬の誰あたりかは見当がつく。だが、手練はわざと気配をおさえず、相手に己の力量や存在の見当をつけづらくさせてしまうのだ。そして、相手を幻惑させ、己の術中に嵌めてしまう。
 功刀の今迄の相手の中には、目指す功刀と戦いながら、息を引き取る瞬間まで功刀と知らず、死んでいった者もいるという。

「功刀が言ってたっけ。
『オレ達は気配の中に、違う波長が混じるのを感じ取る。だが、ある気配とあまりに似通ってくると、あらたな気配を読み取れぬ』
 てな」
「……」
「『諏名姫』の寝所から出てきた影をみて、今更ながらに次期頭領の術に、功刀のやつ感服してたぜ?『このオレを騙し通せるとはな』ってな」
 疾風が笑った。
「功刀は感服させられても、生粋の瘤瀬衆の目はごまかせないぜ?まあ、そういうことにしておいてやってもいいけどさ。寝所まで行き着くことの出来る男、それは」

 ここまでが草太の我慢の限界であった。

「言うなッ」
 いきなり草太の手から黒い刀子が飛び、疾風は最後まで言い終えることが出来なかった。疾風がげらげら笑いながら身を起こすと、草太の姿は既になかった。



 警戒の厳しい乙女の寝所に行き着くことの出来る男。
 それは。
 乙女が受け入れた男ということだ。
 更に言えば、次の間も、居間も通らず、直接寝所に訪れる男。
 それは、乙女との逢瀬に忍んでくる恋人と言えまいか。
 生粋の瘤瀬衆にとって、草太と諏名姫の中は暗黙ながらも、公認ということであった。



 風に乗って、疾風の笑い声が草太の背中を追いかけてくる。
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