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四章 恋に落ちた暗殺者

女王様が目の前におられる

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 目が合った!? 気づかれた!?

「ハッ……ア……ぅ……」

 立ちあがろうとしても脚は震え、手は土をかくばかり。
 息ができない! 胸が苦しい!

 あ、そうだ……逃げ――逃げないと。

 

「――おい。――おい」



 誰?

「いつまでのたうち回っている、青年?」
「え……あ、ル・ハイドさん?」

 声をかけられて、じょじょに意識が、体が、『自分』に戻っていく。
 手足と感覚がつながって、なんとか膝で立つことができた。

 彼が立っている場所は、さっきと同じ。崖から離れたところにいる。たぶん……そこからまったく動いていない。
 だから、彼女と目が合ってしまったことは知らないはずだ。

 あ……『彼女』だなんて。心の中とはいえ気安いような、恥ずかしいような……心臓がきゅっとなった。



「えっと、そのぅ……」

 そうだ、『あの人』なら! まだ名前も知らないのだし、失礼にならないはずだ。
 名前か……なんて名前なんだろう?

「射線にジャマが入ってしまって……ここはいったん仕切りなおすべき、と」

 離れていても僕には見えた。星のまたたきのような瞳が。あんな目は生まれて初めて見た。
 どんな家族と、どんなところで育ったのかな?

「とすると、どうする。やつらは町に――」
「町……」

 町へは何をしに行くのだろう? それとも、どこかへ行く途中? 一泊はしていくんだろうな。

「――弓の腕がどれほどかは知らぬが、大衆環境で――」
「知る……」

 もっと相手のことを知るべきだ。知らないまま射るなんて礼を失するというもの。これは動物を相手にした『狩り』とは違うのだから。
 
「――よって、接近して仕留めるほうがよかろう」
「接近……」

 もしあの人に近づいて、あの目をもう一度むけられたら……僕はどうなってしまうのだろう。



 疑う余地はなかった。
 経験したことはない。だけど、本能で理解した。



 これは――恋だ。

 僕は、あの人を好きになってしまったんだ。



「そうだ、追いかけよう!」
「――ふむ。その執念……おもしろい。やつが町から出るまでに終わらせろ。さもなくば失敗とみなす」
「……はい!」

 残された時間は少ない。急ごう!





「とはいっても……ハァ……」

 町に追いかけてきたはいいものの、どこにいるかがわからない。
 目をこらし、行き交う人たちを見渡してみても――

「あっ、あれはもしかして――!」

 と、反応しかけては違った……そんなことをくりかえすばかり。でもあきらめるもんか。
 気合をいれなおしたそのとき。

『グゥ~~』

「あ……」

 僕のおなかが大きく鳴る。そういえば起きてから何も食べてない。自覚するとますます空腹感が強くなってきた。

「うぅ……さすがに何か食べないとだめか」

 あの人の前でこんな醜態をさらしたら、恥ずかしいこと極まりない。
 日はまだまだ高い。大通りの屋台が営業しているはずだ、そこへ行こう。






「さあさあ、よってらっしゃい、みてらっしゃい! お代は観てのお帰りやでー!」

 屋台からただよう香ばしいにおい……とは少しずれたところに人だかりができていた。背伸びしてのぞいてみると、女性の旅芸人のようだ。
 両手に扇子をもって舞う姿は、芸術にうとい僕からしてもみごとなもので、しばし空腹も忘れて見入ってしまった。

「はいはい~おひねり~おひねり~」

 メイド服を着た女の人が、観客から小銭を回収してまわっている。どうやら同行者のようだ。

 そしてこっちに来た。にこやかな表情で、小銭をいれるお皿を持っている。
 懐によゆうがあれば銅貨の一つあげたいくらい……なのだけど、今はちょっと厳しい。

 すみません、といった顔をすると向こうもわかってくれたみたいで、隣の人へとうつっていった。



 あぶなかった。
 ふたりともすごくきれいで、魅力的な人だった。いつもの僕だったら気持ちで負けて、食事代をけずってでも払ってしまったと思う。

 そうならなかったのは、きっと――

 あの人に劣っていると言いたいわけではないんです。ただ、ちょっと巡り合わせがわるいだけなんです。
 もうしわけありません!

 おひねりをもらって回っている二人に、心のなかで謝りながら頭を下げた。
 どこかで見た覚えがある人だし、また見る機会もあるはず。
 次はちゃんと用意しますから!



『グゥ~~~~』

 僕はさっきから何を考えているんだ? お腹を満たさなくては、頭も回らなくなってくる。
 屋台……屋台に行かなきゃ。
 近くでクスクスと笑い声が聞こえたような気がした。





 ああ、食欲をそそるにおいの源! イモの塩だれ焼き!
 日ごろの稼ぎからするとちょっとぜいたく。だけど大事な用をこなす前となれば、食べる理由には十分だ。

 昨日もらった賃金があるし――



 あれ?

「ああああああっ!?」



 財布がない!?

 必死にこれまでの行動を思い起こす……

 頭をかかえた。
 朝あわてて出ていったから、持っていくのを忘れたんだ!

 もどって取ってくる?
 でも、時間が……いや、でも……
 全身がどんどんと沈んでいくような感覚……



 そのとき。



「おひとついただけますか?」
「はいよ、まいどあり!」

「はい、どうぞ。お食べになってください」
「え?」
「差し出がましいとは思いますが、お困りのようでしたので」

「いいのです……か?」



 言われるがまま、ほかほかのイモ焼きを手渡される。
 同時にやってきた衝撃は、雷でもかなわないだろう。

 窮地を救ってくれたのは『あの人』だったからだ!

 両手は頭にあったわけで、イモを渡すにはまず腕をとってって、手って!?
 触れた?
 あの人のほうから?

 おそるおそる顔をあげると、僕の心を射抜いた、あの瞳が……僕を見ていた。慈しむような優しい光とともに。

 もはやイモより自分の体のほうが熱い。
 恥ずかしいところを見せた感情よりも、会えた喜びのほうが勝った。



「ははははじめまして! 僕、トーマスといいます!」
「まあ。ご丁寧にありがとうございます、私はエルミーナと申します」

「あ……こちらこそ、これ……ありがとうございます。エ、エ、エ、エ、エ――」

 がんばれ! がんばれ! トーマス!

「エルミーナ……さん……」
「どういたしまして。ふふっ」

 あ……笑っ――

「これ! すごくおいしいので……自分だけ食べるのもなんだか申しわけないような!」

 とにかく、とにかく一緒にいられるようにしなきゃ!

「はんぶんこして、どこかで食べませんかっ!?」
「まあ、はんぶんこ! 素敵なご提案ですね」




 わが人生に悔いなし……心から、そう思った。
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