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1巻
1-3
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――やっぱり敵わないのかな。ヤクザの娘である私は、こんなふうに、知らないヤクザに抱かれる人生しか歩めないのかな。
急激に反抗する力がなくなった。まるで心が諦めたみたいに、身体に力が入らない。
いきなり無気力になった私を、忍さんが不思議そうに見下ろした。
「どうした? 急に大人しくなったじゃないか」
「なんか、どうでもよくなった。お好きにどうぞ」
拘束された両手を上げて、無表情で呟く。
すると忍さんはニヤリと笑って「へえ?」と言った。
「もう諦めたのか。拍子抜けするほど陥落が早いな。もっと暴れてもいいのに」
私はぷいと横を向く。
会話もしたくない。目も合わせたくない。私にできる唯一の反抗といえば、無反応でいる事と、無関心を決め込む事だけだった。
どんな辱めを受けようとも、自分の心だけは守る。心を閉ざして、ひたすら我慢するしかない。セックスなんて、男が吐精したら終わるものなんだから。
黙り込んだ私を、しばらく見つめていた忍さん。
「なるほどなー。そう来るかー」
何か勝手に納得して、うんうんと頷く。
「それならまあ、それでいいか。俺も張り切ってアピールさせてもらおう」
いったい何を言っているの?
そう思った私の首筋を、つつ、と彼の硬い指がなぞる。
思わず――びくっと身体が震えた。
無視無視。無反応でいないと。
私はいっそう身を固くする。すると、脇から腰にかけて、両手でするりと撫でられた。
「ひっ、うっ」
我慢しようとしてもしきれない。恐怖からくるものなのか、悲鳴にも似た声が口から零れ出る。
他人に身体を触られるのは、自分が触るのとはまったく感覚が違っていた。
視線をそらしているから、次にどこを触るのか予想がつかない。やっぱり怖いから? ドッドッと、やけに心臓の鼓動が早く、大きく聞こえた。
「敏感だねえ」
楽しそうに忍さんが笑う。
――私は石。私は石。私は今、石!
自分にそう言い聞かせて、なんとか我慢しようと試みる。
すると、首にちゅっとキスをされた。生温かく、ぞくりとする感覚に、私は再び小さく悲鳴を上げてしまう。
やだ、嫌だ。はやく終わって。
怖さを自覚すると、限界が近いと悟った。これからどうされるのか、未知の世界すぎて、まったく想像できないのが、何より怖い。
いつの間にか、私の身体はカタカタと震えていた。
こんなに恐怖を覚えたのは初めてかもしれない。目の前で組員同士が殴り合いの喧嘩をし始めた時だって、ここまでの怖さを感じなかった。
「震えてるな」
ぽつりと呟いた忍さん。首に唇を這わせながら、拘束した私の手を握る。
「怖がらせるつもりはないんだけどなあ。うーん、思ってたより難しい」
ブツブツ呟き、舌先でつつ、と首筋を辿る。
「ひっ、んんっ」
同時に彼の片手は私の頬を撫で、首を通り、胸元に触れる。
ほわりと乳房を掴み、私の身体はいっそう頑なになった。
手に力が入って、ぎしりと首輪の革が鳴る。
「こら、そんなに強く引っ張ったら、肌に傷がつくだろ」
まるでなだめるように、忍さんは私の手首を撫でた。
擦り傷くらい、いいじゃない。これから私は傷物になるんだし……と、鬱屈した気持ちになる。
「椿ちゃんが意地っ張りなのは分かったから、もう少し力を抜け。身体が痛むだけだぞ」
やけに私を心配している忍さん。何なのこの人、まったく思考が読めない。
「これから強姦する男が、私の身体を気遣わないで!」
つい、反発心から口を出してしまった。無視しようと決めていたのに……。自分の意志の弱さが悔しくて、下唇を噛む。
「強姦? それは誤解だ」
心外だと言わんばかりに、忍さんは不満げな声を出す。
「まあ、コレは確かに、やや無理矢理な感じはするけど」
トントンと猫の首輪を突く。
「ややじゃなくて、全部無理矢理でしょ! し、躾とか言ってたしっ」
「そりゃー猫を飼うのもヨメを迎えるのも、最初が肝心だろ?」
はははと笑った忍さん。私の胸を両手で包む。
「あっ……」
「先に言っておくが、基本的に俺はさ」
胸を触られた恥ずかしさで顔を熱くする私を、忍さんはまっすぐに見つめてきた。
目が……合ってしまった。
不思議とそらせない。彼の視線が私を射貫いたみたいに、身体が動かない。
「お前の事が、好きなんだよ」
目を見開く。何を、言っているの?
そっと忍さんの大きな身体が動く。シャツ越しに私の乳房を掴みながら、唇にキスをした。
「ん……っ」
柔らかくて、温かい。凶悪な見た目に反して、驚くほど彼の唇は優しい。
「わた、し。本当に、あなたの事……知らない、のにっ」
絶え間なく啄むようなキスを繰り返されて、私は息を切らしながら言葉を口にした。
「俺が知ってるから問題ない」
柔らかなリップ音。ふかふかと、彼の大きな手が私の胸を掴む。
「自分勝手すぎるっ」
「それは否定しない。だからこうやって――俺は一生懸命アピールをするんだ」
「アピールって」
そういえばさっきもそんな事を言っていたような。
忍さんは至近距離で隻眼を細める。
「俺がこんなにもお前を求めていた事。大事にしたいと思っている事。今は、それを分かってくれたらいい」
そう言って、彼は茶目っ気のある笑顔を見せた。
「ついでに、俺の愛撫テクニックがうまいのも分かってもらえるといいな」
「な、何を言っているの!」
かあっと顔が熱くなって、私は慌てながら怒った。でも忍さんは笑顔のままだ。
「ほら、嫌がってばかりいないで、少しは大人しく感じてみろよ」
私の身体を軽く持ち上げて、衿シャツの裾から、硬い手が背中に入り込む。
びくっと身体が震えた。
彼の人差し指が、ツツと私の背骨を通る。ぞくぞくと悪寒にも似た感覚がさざ波のように押し寄せた。
「んっ、う」
びくびくと震えると同時に、拘束された手首からギシッと革がしなる音がする。
「まだ何もしてねえのに、本当に敏感な身体だな」
くっく、と喉の奥で笑う忍さんの身体は大きくて、温かい。
背中に回った手は、やがてぷつんとブラのホックを外した。
「……あっ」
装着していたものが解かれ、なんとも言えない開放感に包まれた。しかしその感覚はつかの間で、彼は下着の下からじかに乳房を掴む。
「ひゃっ」
その感覚は初めてのものだった。ドキドキと心臓が高鳴って、身体はぐんぐん熱を孕んでいく。
「顔を真っ赤にして。可愛いなあ」
笑い混じりに忍さんは言って、私の耳にキスを落とす。
「恥ずかしい? それとも、興奮してるのか?」
耳元で囁かれて、私はいっそう顔に熱が集まるのを感じた。
「はっ、恥ずかしい、に、決まってるでしょ!」
やけになって言うと、忍さんは「そっかー」と軽い口調で相槌を打ち、その身体を起こした。
「そう言われると、もっと恥ずかしい目に遭わせたくなるなあ」
「え……?」
首を傾げた途端、彼は私のシャツとブラを問答無用でまくり上げた。
「きゃあーっ!」
私の叫びに、近くで毛繕いしていたツバキが驚いたように顔を上げて、キッチンの裏に走り去っていく。
「きゃあーって、椿ちゃんは悲鳴も可愛いんだなあ」
「そっ、そんな、つもり、ないっ」
羞恥が極まって言葉が詰まる。
無視しよう石になろうと心に決めていたのに、こんなふうにされると反応せざるを得ない。
だ、だって、初めて会った男性に裸を見られるなんて!
まるで愛でるような目で私を眺めた忍さんは、楽しそうに笑って白い歯を見せた。
そして、胸元に視線を下げる。どうするのだろうと何となく見ていたら、彼は赤い舌を出し、露わになった乳首をちろりと舐めた。
「……っ⁉」
途端、身体がびりっと痺れるような感覚が走る。
びっくりしすぎてよく分からなかった。でも、忍さんが何をしたのかは分かる。
「やっ、だめ! そんなところ、舐めちゃ」
慌てて止めるも、手首を拘束されてはまともな抵抗ができない。
忍さんは私の腰を両手で抱き、尚も乳首に舌を這わせる。
「――ひっ、い、ンン……っ!」
それは知らない感覚だった。
くすぐったいような、身体の奥がむずむずするような。何とも言いがたい不思議な感じ。
苦しくもなく痛くもないのに、なぜか無性に止めてもらいたくて堪らない。
ちゅっ、と軽いリップ音を立てて、忍さんは私の乳首に口づけた。
身体が勝手にビクビクと震える。
ぐんぐん顔が火照っていく。
恥ずかしいから身体が熱いの? ううん、それだけじゃない。羞恥はもちろんあるけれど、それ以上の何かを感じた。
何だろう、この感覚。何もかも初めてだから、分からない。
「気持ちよさそうだな」
ふふ、と笑いながら忍さんが呟く。
「気持ち……いい?」
もしかして、このむずむずする感覚が、気持ちいいという事?
私が余程不思議そうな顔をしていたのか、顔を上げた忍さんは私を見るなりぷっと噴き出した。
「本当に箱入り娘なんだなあ」
私はむっと顔をしかめる。
「箱入り娘が嫌なら出て行くから。今すぐ拘束を解いて」
すると忍さんは心外な様子で目を丸くする。
「誰が嫌だって言ったよ」
「態度がバカにしてる」
「バカになんかしてねえよ。可愛いなあって思っただけじゃないか」
ふっと笑って、乳首に熱い息を吐く。
「……っ」
それだけで敏感に感じてしまって、私は思わず身体を震わせた。
「まっさらで、純粋で、無知で、スレてない。まったくお前は奇跡みたいな女だよ」
そう言って、舌を伸ばし、乳首をじっくりと舐める。
「う、ううぅっ」
感じたくない。なぜかそう思った。気持ちいい事を認めたら負けな気がして、私は下唇を噛んで耐える。
忍さんの物言いは、明らかに私を侮辱している。結局のところ、彼は私を『世間知らず』だと言っているのだ。
こういう事を何も知らない。純粋培養された、物を知らない女なのだと。
仕方ないじゃない。
私はこういうふうに育ってしまったのだ。昔から、合気道などの古武道や、華道や茶道を学ぶのが好きだった。
毎日学校帰りに稽古をして、それだけで充実していた。
男性と付き合いたいとか、恋をしたいとか、あまり考えていなかった。
私は普通の恋は望めないから、出来ない事を求めるより、今出来る事をひとつでも多くやり遂げるほうが、ずっと自分のためになると思っていた。
「ああ、なんて顔してんだよ」
そっと頬に触れてくる。
気づけば、忍さんが私の顔を覗き込むように見つめていた。
「なんて言えばいいのかねえ。俺はお前の箱入り娘なところも好きなんだぞ」
「う、嘘っ」
「嘘をついても仕方ない。確かに、世の中には世間知らずな上に頭ん中がお花畑になってるお嬢様もいるけど、椿ちゃんは違うだろ」
ふっと笑って、軽く唇に口づける。
「少なくともお前は自分が箱入り娘である事を自覚し、親に大切にされていた事も理解している。だから自分を安売りしないし、生き方に誇りを持っているんだ」
私は目を丸くした。
――驚いたのだ。まさかそんなふうに言われるとは、思わなかったから。
「俺は、椿ちゃんのそういう信念の強さに惚れたんだ。本当だぞ?」
どうしてこの人は、私の事を私以上に理解しているように言うのだろう。
もしかして、私が気づかなかっただけで、ずっと前から私を見ていたのだろうか?
それなら、いつから……知っていたのだろう。
私が黙り込んだのを見た忍さんは満足そうに頷く。
「やっと俺の気持ちが理解できたようだな。それなら、さっそく続きを――」
「にゃー!」
「わ⁉」
放心していた私に再び触れようと、忍さんが手を伸ばした時。
彼の頭の上に、黒い塊、もとい、ツバキが乗っかってきた。
「こら! 今いいところだっただろ。もう少し空気読めよ!」
「にゃ~にゃ」
床に降り立ったツバキは非難するように鳴いて、べしべしと忍さんの太ももを猫パンチする。
「ああ、もしかしてごはんか? いや、ついさっき食ってたよな。水ならあるし。もしかして、自分の首輪がいつまでも返されないから怒ってるのか?」
ツバキに問いかけつつ、すっかり興が削がれた様子で、身体を起こす忍さん。
まだにゃーにゃー訴えているツバキと私を見比べて、はあ、とため息をつく。
「こりゃタイムアウトかな。つい、口説きに夢中になっちまった」
ちぇっと悔しそうに舌打ちしたあと、彼は私の手首を締め上げているツバキの首輪を外した。
ようやく自由になって、私は手首を軽く振る。そして自分の上半身が大変な事になっている事を思い出し、慌てて起き上がると、高速でブラを留めて、シャツを下に伸ばした。
は、恥ずかしい……。なんて事されていたんだ。しかも、なんだかちょっと気持ち良くなってしまっていた。鍛錬が足りない証拠だ。なんの鍛錬だよって問われると、私も答えられないけど。
チラ、と横を見ると、忍さんはツバキに首輪を巻いていた。
「まったく、何が不満なんだよオマエは。あっ、もしかして妬いたのか? 悪いけどツバキ、俺はヨメさんをたらし込むのに必死なんだよ。だから応援してくれよ、なっ」
「にゃふっ」
自分の首輪が戻って来て満足げな顔をしていたツバキは、ぷいっと横を向く。
「ひでえ。協力する気ゼロかよ。可愛くねえな! いや、お前は可愛いけどさ!」
猫に話しかけている忍さんは、ヤクザなのにどこか可愛げがある。
だが、どんなに愛想がよくてもヤクザはヤクザだ。暴力と強欲に生きる者なのだと、私は嫌という程理解している。
北城組では、真澄さんはもちろんだけど、優しかった父や、物腰柔らかな柄本さんでさえ、それが本質なのだと分かっていた。逆に言えば、そうだからこそ彼らはヤクザの道を選んだのだ。
つまり、忍さんだってそう。秋國一家の総長を張るような人なのだから、彼もまた野蛮なところがあるはず。暴力に身を任せ、笑って誰かを傷つける、鬼畜のようなところがあるのは間違いない。
だから、決してこの人は愛想がいい人だから、なんて心を許してはいけないのだ。
私はしばらく黙ったまま、猫と会話している忍さんを眺めた。
そのうち、つい疑問を投げかけてしまう。
「あの……。どうして、途中で止めたの?」
「んあ?」
私に顔を向けた忍さんは、キョトンとした表情をしている。
「なんだよ。実は最後までヤってもらいたかったのか? それならそうと最初から――」
「ちがーう!」
私が大声で言ってから、ずいと忍さんに詰め寄った。
「……力では、まったく敵わなかったもの。おまけに手の拘束で無力化されていた。あなたなら、私がどんなに嫌がっても力尽くで無理矢理、最後までできたでしょ」
言葉にするとちょっと恥ずかしくなってしまい、私は自分の顔が熱くなるのを感じながら横を向き、早口で言った。
私は純粋に疑問を覚えてしまったのだ。ヤクザは、欲しいものは力尽くで奪い取るのが道理のはず。実際、彼は私を嫁にすると言い、問答無用でここまで連れてきた。
理不尽なほど自分勝手な人だが、それはヤクザだからと言われたら納得せざるを得ない。
でも、そこまで強引だった忍さんは、不思議と私を気遣っていた。
最後までしなかったのも、そう。最後までできる状況だったのに、やらなかった。
どうしてだろうと疑問が浮かんだのだ。最後までされたかったのかと問われたら、もちろんノーなのだけど。
すると忍さんは、ツバキを持ち上げて、私の膝に乗せた。
ううっ、不意打ちの猫攻撃はやめてほしい。可愛いから!
ツバキは大人しく膝で丸まって、私の顔をジッと見つめている。私の手首を拘束した細革の首輪は赤色で、真っ黒なツバキによく似合っている。アイスブルーの瞳は綺麗で、ガラス玉みたいだ。
つい、撫でたい欲求がウズウズと湧き上がってきて、私はそっとツバキの背中を撫でる。まるでベルベット生地みたいに艶やかで、するんとした感触が心地良い。毎日ブラッシングしているようで、毛玉ひとつない。忍さんに大切にされ、可愛がられているのが一瞬で分かる。
「俺は惚れた女をレイプする趣味はないからな」
忍さんは何を今更といった様子で、あっけらかんと言った。
「えっ⁉」
「えっ、て酷えな。さっきから何度もそう言ってるじゃないか。惚れてるって」
「だ、だって、じゃあさっきのは何だったの⁉」
「あれはスキンシップだよ」
スキンシップ……。私はその言葉を頭の中で数度繰り返した後、キッと彼を睨む。
「あんなのスキンシップって言わない! 手首を拘束したし!」
「ジタバタ暴れられたらゆっくり触れねえだろ」
「最初に、躾けるって言った!」
「躾にもスキンシップは必要だ。躾っていうのは、何も罰だけを指すものじゃない。基本的には褒めて、時には叱って、身体に教え込み、訓練するのが躾の正しいやり方なんだぞ」
指をふりふり『俺いい事言っただろ』と、ドヤ顔で胸を張る忍さん。
……本当にこの人、神威会の舎弟頭で、自分の組を持つ総長なの? それにしては、なんか全体的にノリが軽い気がする。
「く、訓練……って?」
「そりゃ、性感だよ。気持ち良く感じるにも慣れが必要なんだ。乳首とか、それから」
「わーっ! それ以上はもういい!」
私は慌てて彼の口を止めた。今、ものすごく卑猥な単語を口にしようとしなかったか。
「まあとにかく、椿ちゃんは俺のヨメさんになるんだから、仲良くしたいし、大事にしたい。だからレイプはしない。うむ、見事な三段論法だな」
腕を組んで満足げに頷く忍さん。私は頭痛を覚えて額を手で抑えた。
「それに何より、セックスおっぱじめる前に、俺に惚れてもらわないとダメだろ!」
「いや、それは絶対にないから。期待しないで」
ぐっと拳を握りしめて力説する忍さんに、私は冷静にツッコミを入れた。
「いやよいやよもいいのうち、って言うだろ」
「私に関しては言わない!」
あと、そのフレーズめちゃくちゃ古い。忍さんって何歳なんだろう?
「まあ、椿ちゃんを口説くのは俺が楽しみにしていた事のひとつだから、じっくり時間をかけて口説かせてもらうさ。ところでさっきの合気道だけど、やっぱり椿ちゃんはすごいな。俺に背を向けていたのに、ひゅってしゃがんでかわすところ、すげえかっこよかったぞ」
ニコニコと忍さんが言う。……その笑顔、本当に心からのものなのだろうか。それとも、やっぱりお腹の中では悪い事を企んでいるのだろうか。
私はツバキの背中を撫でながら、口を尖らせる。
「別に。結局、忍さんを出し抜けなかったんだから。技としてもまだまだ未熟よ」
「そうやって淡々と自己評価できるクールなところも、しびれるなあ」
「もう、茶化さないで!」
私が怒るも、忍さんは全くひるまない。
「本当の事を言ってるだけなんだけどなあ。確か椿ちゃんは、合気道の他にも色々習ってるんだろ。古武道をひととおりと、他にもお茶や華道も習ってると聞いたけど?」
「それ、もしかしてお父さんからの情報なの?」
ツバキを撫でる手を止めて尋ねると、忍さんは「そうそう」と頷く。
お父さん……。ペラペラ娘のプライベートを話してるんじゃないわよ。
心の中で悪態をつきながら、私は渋々自分の事を話した。
「そうよ。あなたの言うとおり、大体の古武術を習ったわ。それから、武道の精神に通じるところがあるという理由で、茶道と華道も習っていたの」
本当、毎日習い事をしていた。あれはあれで充実した毎日だったが、いざ武術が必要な状況になって、まったく役に立たなかったのは、ちょっと虚しい。
「へえ。いいねえ、教養のある女って」
「そ、そんな大したものじゃないから。どれも付け焼き刃みたいなものよ」
「謙遜するなって。古武道は、あれだろ。合気道の他だと、柔道とか剣道とか?」
「いいえ。柔道や剣道は、いわゆる現代武道に属しているわね。それを言うなら合気道も現代武道なんだけど」
私は指先でツバキの耳をぴろぴろと触りながら、説明した。
簡単に言うと、スポーツとして競技試合を目的とした武道を現代武道といい、試合の勝敗を目的とせず、ひたすら己と対峙し心身鍛練に励む武道を古武道という。
例えば弓道とか剣術とか。流鏑馬も古武道の一種だ。
「色々習ったものの、結局続けられたのは合気道と一部の古武術だけだったわね」
「そういや、居合道も習ってただろ。あれは続けているのか?」
「……本当によく聞いているのね、私の事」
じろっと睨むと、忍さんは何故か照れたように頭を掻いた。
「いやあ、そりゃ、惚れた女の事だしなあ」
「そういうのいいからっ!」
顔を熱くして口早に怒る。もう、忍さんは……何が真剣で何が冗談なのか、判断がつきにくくて嫌だ。
「居合道は続かなかったの。私には合わなかった。以上!」
あまり自分の事を話したくない。手短に、淡々と話した。
忍さんは「ふうん」と、納得したのかしてないのか、よく分からない相槌を打った。
「ま、いいか。椿ちゃんの事は、これからゆっくり聞いていけばいいんだし」
「いやいや、教える気なんてないから」
「とにかく今日から椿ちゃんの家はここだからな。結婚式の詳細はまだ全然決めてねえから、追々一緒に決めて行こう」
「ちょっと話が飛びすぎじゃない⁉ 私は了承してないって何度も言ってるでしょ!」
慌てて噛みつくも、忍さんは私の非難をひとつも聞いてくれない。
「結婚式には女の夢がいっぱい詰まってるそうだからなあ。チャペルでウェディングドレスが着たいとか、もしくは神前式で白無垢がいいとか。ちなみに椿ちゃんはどっち派だ?」
「……! 知らないっ、勝手にしたら!」
人の話を聞かない男となんか、会話もしたくない。私がプイッと横を向いて言うと、忍さんは「勝手にしていいのか!」と嬉しそうに言った。
「そうかあ。俺プロデュースでいいのかあ。それならアレでソレなドレスを着せて、一日中たっぷり楽しむという俺にとって夢いっぱいのコースを選んでもいいというわけだ」
「ち、ちょっと待って! 何を企んでいるの」
勝手に不穏な事を言い出すものだから、つい尋ねてしまう。くっ、相手にしたくないのに、この人は聞かざるを得ない事ばっかり言う!
「そりゃあスケスケ下着に、いつでもどこからでも手が出せるようなエロいデザインのウェディングドレスを着せて、披露宴会場で御披露プレイみたいなやつをだなー」
急激に反抗する力がなくなった。まるで心が諦めたみたいに、身体に力が入らない。
いきなり無気力になった私を、忍さんが不思議そうに見下ろした。
「どうした? 急に大人しくなったじゃないか」
「なんか、どうでもよくなった。お好きにどうぞ」
拘束された両手を上げて、無表情で呟く。
すると忍さんはニヤリと笑って「へえ?」と言った。
「もう諦めたのか。拍子抜けするほど陥落が早いな。もっと暴れてもいいのに」
私はぷいと横を向く。
会話もしたくない。目も合わせたくない。私にできる唯一の反抗といえば、無反応でいる事と、無関心を決め込む事だけだった。
どんな辱めを受けようとも、自分の心だけは守る。心を閉ざして、ひたすら我慢するしかない。セックスなんて、男が吐精したら終わるものなんだから。
黙り込んだ私を、しばらく見つめていた忍さん。
「なるほどなー。そう来るかー」
何か勝手に納得して、うんうんと頷く。
「それならまあ、それでいいか。俺も張り切ってアピールさせてもらおう」
いったい何を言っているの?
そう思った私の首筋を、つつ、と彼の硬い指がなぞる。
思わず――びくっと身体が震えた。
無視無視。無反応でいないと。
私はいっそう身を固くする。すると、脇から腰にかけて、両手でするりと撫でられた。
「ひっ、うっ」
我慢しようとしてもしきれない。恐怖からくるものなのか、悲鳴にも似た声が口から零れ出る。
他人に身体を触られるのは、自分が触るのとはまったく感覚が違っていた。
視線をそらしているから、次にどこを触るのか予想がつかない。やっぱり怖いから? ドッドッと、やけに心臓の鼓動が早く、大きく聞こえた。
「敏感だねえ」
楽しそうに忍さんが笑う。
――私は石。私は石。私は今、石!
自分にそう言い聞かせて、なんとか我慢しようと試みる。
すると、首にちゅっとキスをされた。生温かく、ぞくりとする感覚に、私は再び小さく悲鳴を上げてしまう。
やだ、嫌だ。はやく終わって。
怖さを自覚すると、限界が近いと悟った。これからどうされるのか、未知の世界すぎて、まったく想像できないのが、何より怖い。
いつの間にか、私の身体はカタカタと震えていた。
こんなに恐怖を覚えたのは初めてかもしれない。目の前で組員同士が殴り合いの喧嘩をし始めた時だって、ここまでの怖さを感じなかった。
「震えてるな」
ぽつりと呟いた忍さん。首に唇を這わせながら、拘束した私の手を握る。
「怖がらせるつもりはないんだけどなあ。うーん、思ってたより難しい」
ブツブツ呟き、舌先でつつ、と首筋を辿る。
「ひっ、んんっ」
同時に彼の片手は私の頬を撫で、首を通り、胸元に触れる。
ほわりと乳房を掴み、私の身体はいっそう頑なになった。
手に力が入って、ぎしりと首輪の革が鳴る。
「こら、そんなに強く引っ張ったら、肌に傷がつくだろ」
まるでなだめるように、忍さんは私の手首を撫でた。
擦り傷くらい、いいじゃない。これから私は傷物になるんだし……と、鬱屈した気持ちになる。
「椿ちゃんが意地っ張りなのは分かったから、もう少し力を抜け。身体が痛むだけだぞ」
やけに私を心配している忍さん。何なのこの人、まったく思考が読めない。
「これから強姦する男が、私の身体を気遣わないで!」
つい、反発心から口を出してしまった。無視しようと決めていたのに……。自分の意志の弱さが悔しくて、下唇を噛む。
「強姦? それは誤解だ」
心外だと言わんばかりに、忍さんは不満げな声を出す。
「まあ、コレは確かに、やや無理矢理な感じはするけど」
トントンと猫の首輪を突く。
「ややじゃなくて、全部無理矢理でしょ! し、躾とか言ってたしっ」
「そりゃー猫を飼うのもヨメを迎えるのも、最初が肝心だろ?」
はははと笑った忍さん。私の胸を両手で包む。
「あっ……」
「先に言っておくが、基本的に俺はさ」
胸を触られた恥ずかしさで顔を熱くする私を、忍さんはまっすぐに見つめてきた。
目が……合ってしまった。
不思議とそらせない。彼の視線が私を射貫いたみたいに、身体が動かない。
「お前の事が、好きなんだよ」
目を見開く。何を、言っているの?
そっと忍さんの大きな身体が動く。シャツ越しに私の乳房を掴みながら、唇にキスをした。
「ん……っ」
柔らかくて、温かい。凶悪な見た目に反して、驚くほど彼の唇は優しい。
「わた、し。本当に、あなたの事……知らない、のにっ」
絶え間なく啄むようなキスを繰り返されて、私は息を切らしながら言葉を口にした。
「俺が知ってるから問題ない」
柔らかなリップ音。ふかふかと、彼の大きな手が私の胸を掴む。
「自分勝手すぎるっ」
「それは否定しない。だからこうやって――俺は一生懸命アピールをするんだ」
「アピールって」
そういえばさっきもそんな事を言っていたような。
忍さんは至近距離で隻眼を細める。
「俺がこんなにもお前を求めていた事。大事にしたいと思っている事。今は、それを分かってくれたらいい」
そう言って、彼は茶目っ気のある笑顔を見せた。
「ついでに、俺の愛撫テクニックがうまいのも分かってもらえるといいな」
「な、何を言っているの!」
かあっと顔が熱くなって、私は慌てながら怒った。でも忍さんは笑顔のままだ。
「ほら、嫌がってばかりいないで、少しは大人しく感じてみろよ」
私の身体を軽く持ち上げて、衿シャツの裾から、硬い手が背中に入り込む。
びくっと身体が震えた。
彼の人差し指が、ツツと私の背骨を通る。ぞくぞくと悪寒にも似た感覚がさざ波のように押し寄せた。
「んっ、う」
びくびくと震えると同時に、拘束された手首からギシッと革がしなる音がする。
「まだ何もしてねえのに、本当に敏感な身体だな」
くっく、と喉の奥で笑う忍さんの身体は大きくて、温かい。
背中に回った手は、やがてぷつんとブラのホックを外した。
「……あっ」
装着していたものが解かれ、なんとも言えない開放感に包まれた。しかしその感覚はつかの間で、彼は下着の下からじかに乳房を掴む。
「ひゃっ」
その感覚は初めてのものだった。ドキドキと心臓が高鳴って、身体はぐんぐん熱を孕んでいく。
「顔を真っ赤にして。可愛いなあ」
笑い混じりに忍さんは言って、私の耳にキスを落とす。
「恥ずかしい? それとも、興奮してるのか?」
耳元で囁かれて、私はいっそう顔に熱が集まるのを感じた。
「はっ、恥ずかしい、に、決まってるでしょ!」
やけになって言うと、忍さんは「そっかー」と軽い口調で相槌を打ち、その身体を起こした。
「そう言われると、もっと恥ずかしい目に遭わせたくなるなあ」
「え……?」
首を傾げた途端、彼は私のシャツとブラを問答無用でまくり上げた。
「きゃあーっ!」
私の叫びに、近くで毛繕いしていたツバキが驚いたように顔を上げて、キッチンの裏に走り去っていく。
「きゃあーって、椿ちゃんは悲鳴も可愛いんだなあ」
「そっ、そんな、つもり、ないっ」
羞恥が極まって言葉が詰まる。
無視しよう石になろうと心に決めていたのに、こんなふうにされると反応せざるを得ない。
だ、だって、初めて会った男性に裸を見られるなんて!
まるで愛でるような目で私を眺めた忍さんは、楽しそうに笑って白い歯を見せた。
そして、胸元に視線を下げる。どうするのだろうと何となく見ていたら、彼は赤い舌を出し、露わになった乳首をちろりと舐めた。
「……っ⁉」
途端、身体がびりっと痺れるような感覚が走る。
びっくりしすぎてよく分からなかった。でも、忍さんが何をしたのかは分かる。
「やっ、だめ! そんなところ、舐めちゃ」
慌てて止めるも、手首を拘束されてはまともな抵抗ができない。
忍さんは私の腰を両手で抱き、尚も乳首に舌を這わせる。
「――ひっ、い、ンン……っ!」
それは知らない感覚だった。
くすぐったいような、身体の奥がむずむずするような。何とも言いがたい不思議な感じ。
苦しくもなく痛くもないのに、なぜか無性に止めてもらいたくて堪らない。
ちゅっ、と軽いリップ音を立てて、忍さんは私の乳首に口づけた。
身体が勝手にビクビクと震える。
ぐんぐん顔が火照っていく。
恥ずかしいから身体が熱いの? ううん、それだけじゃない。羞恥はもちろんあるけれど、それ以上の何かを感じた。
何だろう、この感覚。何もかも初めてだから、分からない。
「気持ちよさそうだな」
ふふ、と笑いながら忍さんが呟く。
「気持ち……いい?」
もしかして、このむずむずする感覚が、気持ちいいという事?
私が余程不思議そうな顔をしていたのか、顔を上げた忍さんは私を見るなりぷっと噴き出した。
「本当に箱入り娘なんだなあ」
私はむっと顔をしかめる。
「箱入り娘が嫌なら出て行くから。今すぐ拘束を解いて」
すると忍さんは心外な様子で目を丸くする。
「誰が嫌だって言ったよ」
「態度がバカにしてる」
「バカになんかしてねえよ。可愛いなあって思っただけじゃないか」
ふっと笑って、乳首に熱い息を吐く。
「……っ」
それだけで敏感に感じてしまって、私は思わず身体を震わせた。
「まっさらで、純粋で、無知で、スレてない。まったくお前は奇跡みたいな女だよ」
そう言って、舌を伸ばし、乳首をじっくりと舐める。
「う、ううぅっ」
感じたくない。なぜかそう思った。気持ちいい事を認めたら負けな気がして、私は下唇を噛んで耐える。
忍さんの物言いは、明らかに私を侮辱している。結局のところ、彼は私を『世間知らず』だと言っているのだ。
こういう事を何も知らない。純粋培養された、物を知らない女なのだと。
仕方ないじゃない。
私はこういうふうに育ってしまったのだ。昔から、合気道などの古武道や、華道や茶道を学ぶのが好きだった。
毎日学校帰りに稽古をして、それだけで充実していた。
男性と付き合いたいとか、恋をしたいとか、あまり考えていなかった。
私は普通の恋は望めないから、出来ない事を求めるより、今出来る事をひとつでも多くやり遂げるほうが、ずっと自分のためになると思っていた。
「ああ、なんて顔してんだよ」
そっと頬に触れてくる。
気づけば、忍さんが私の顔を覗き込むように見つめていた。
「なんて言えばいいのかねえ。俺はお前の箱入り娘なところも好きなんだぞ」
「う、嘘っ」
「嘘をついても仕方ない。確かに、世の中には世間知らずな上に頭ん中がお花畑になってるお嬢様もいるけど、椿ちゃんは違うだろ」
ふっと笑って、軽く唇に口づける。
「少なくともお前は自分が箱入り娘である事を自覚し、親に大切にされていた事も理解している。だから自分を安売りしないし、生き方に誇りを持っているんだ」
私は目を丸くした。
――驚いたのだ。まさかそんなふうに言われるとは、思わなかったから。
「俺は、椿ちゃんのそういう信念の強さに惚れたんだ。本当だぞ?」
どうしてこの人は、私の事を私以上に理解しているように言うのだろう。
もしかして、私が気づかなかっただけで、ずっと前から私を見ていたのだろうか?
それなら、いつから……知っていたのだろう。
私が黙り込んだのを見た忍さんは満足そうに頷く。
「やっと俺の気持ちが理解できたようだな。それなら、さっそく続きを――」
「にゃー!」
「わ⁉」
放心していた私に再び触れようと、忍さんが手を伸ばした時。
彼の頭の上に、黒い塊、もとい、ツバキが乗っかってきた。
「こら! 今いいところだっただろ。もう少し空気読めよ!」
「にゃ~にゃ」
床に降り立ったツバキは非難するように鳴いて、べしべしと忍さんの太ももを猫パンチする。
「ああ、もしかしてごはんか? いや、ついさっき食ってたよな。水ならあるし。もしかして、自分の首輪がいつまでも返されないから怒ってるのか?」
ツバキに問いかけつつ、すっかり興が削がれた様子で、身体を起こす忍さん。
まだにゃーにゃー訴えているツバキと私を見比べて、はあ、とため息をつく。
「こりゃタイムアウトかな。つい、口説きに夢中になっちまった」
ちぇっと悔しそうに舌打ちしたあと、彼は私の手首を締め上げているツバキの首輪を外した。
ようやく自由になって、私は手首を軽く振る。そして自分の上半身が大変な事になっている事を思い出し、慌てて起き上がると、高速でブラを留めて、シャツを下に伸ばした。
は、恥ずかしい……。なんて事されていたんだ。しかも、なんだかちょっと気持ち良くなってしまっていた。鍛錬が足りない証拠だ。なんの鍛錬だよって問われると、私も答えられないけど。
チラ、と横を見ると、忍さんはツバキに首輪を巻いていた。
「まったく、何が不満なんだよオマエは。あっ、もしかして妬いたのか? 悪いけどツバキ、俺はヨメさんをたらし込むのに必死なんだよ。だから応援してくれよ、なっ」
「にゃふっ」
自分の首輪が戻って来て満足げな顔をしていたツバキは、ぷいっと横を向く。
「ひでえ。協力する気ゼロかよ。可愛くねえな! いや、お前は可愛いけどさ!」
猫に話しかけている忍さんは、ヤクザなのにどこか可愛げがある。
だが、どんなに愛想がよくてもヤクザはヤクザだ。暴力と強欲に生きる者なのだと、私は嫌という程理解している。
北城組では、真澄さんはもちろんだけど、優しかった父や、物腰柔らかな柄本さんでさえ、それが本質なのだと分かっていた。逆に言えば、そうだからこそ彼らはヤクザの道を選んだのだ。
つまり、忍さんだってそう。秋國一家の総長を張るような人なのだから、彼もまた野蛮なところがあるはず。暴力に身を任せ、笑って誰かを傷つける、鬼畜のようなところがあるのは間違いない。
だから、決してこの人は愛想がいい人だから、なんて心を許してはいけないのだ。
私はしばらく黙ったまま、猫と会話している忍さんを眺めた。
そのうち、つい疑問を投げかけてしまう。
「あの……。どうして、途中で止めたの?」
「んあ?」
私に顔を向けた忍さんは、キョトンとした表情をしている。
「なんだよ。実は最後までヤってもらいたかったのか? それならそうと最初から――」
「ちがーう!」
私が大声で言ってから、ずいと忍さんに詰め寄った。
「……力では、まったく敵わなかったもの。おまけに手の拘束で無力化されていた。あなたなら、私がどんなに嫌がっても力尽くで無理矢理、最後までできたでしょ」
言葉にするとちょっと恥ずかしくなってしまい、私は自分の顔が熱くなるのを感じながら横を向き、早口で言った。
私は純粋に疑問を覚えてしまったのだ。ヤクザは、欲しいものは力尽くで奪い取るのが道理のはず。実際、彼は私を嫁にすると言い、問答無用でここまで連れてきた。
理不尽なほど自分勝手な人だが、それはヤクザだからと言われたら納得せざるを得ない。
でも、そこまで強引だった忍さんは、不思議と私を気遣っていた。
最後までしなかったのも、そう。最後までできる状況だったのに、やらなかった。
どうしてだろうと疑問が浮かんだのだ。最後までされたかったのかと問われたら、もちろんノーなのだけど。
すると忍さんは、ツバキを持ち上げて、私の膝に乗せた。
ううっ、不意打ちの猫攻撃はやめてほしい。可愛いから!
ツバキは大人しく膝で丸まって、私の顔をジッと見つめている。私の手首を拘束した細革の首輪は赤色で、真っ黒なツバキによく似合っている。アイスブルーの瞳は綺麗で、ガラス玉みたいだ。
つい、撫でたい欲求がウズウズと湧き上がってきて、私はそっとツバキの背中を撫でる。まるでベルベット生地みたいに艶やかで、するんとした感触が心地良い。毎日ブラッシングしているようで、毛玉ひとつない。忍さんに大切にされ、可愛がられているのが一瞬で分かる。
「俺は惚れた女をレイプする趣味はないからな」
忍さんは何を今更といった様子で、あっけらかんと言った。
「えっ⁉」
「えっ、て酷えな。さっきから何度もそう言ってるじゃないか。惚れてるって」
「だ、だって、じゃあさっきのは何だったの⁉」
「あれはスキンシップだよ」
スキンシップ……。私はその言葉を頭の中で数度繰り返した後、キッと彼を睨む。
「あんなのスキンシップって言わない! 手首を拘束したし!」
「ジタバタ暴れられたらゆっくり触れねえだろ」
「最初に、躾けるって言った!」
「躾にもスキンシップは必要だ。躾っていうのは、何も罰だけを指すものじゃない。基本的には褒めて、時には叱って、身体に教え込み、訓練するのが躾の正しいやり方なんだぞ」
指をふりふり『俺いい事言っただろ』と、ドヤ顔で胸を張る忍さん。
……本当にこの人、神威会の舎弟頭で、自分の組を持つ総長なの? それにしては、なんか全体的にノリが軽い気がする。
「く、訓練……って?」
「そりゃ、性感だよ。気持ち良く感じるにも慣れが必要なんだ。乳首とか、それから」
「わーっ! それ以上はもういい!」
私は慌てて彼の口を止めた。今、ものすごく卑猥な単語を口にしようとしなかったか。
「まあとにかく、椿ちゃんは俺のヨメさんになるんだから、仲良くしたいし、大事にしたい。だからレイプはしない。うむ、見事な三段論法だな」
腕を組んで満足げに頷く忍さん。私は頭痛を覚えて額を手で抑えた。
「それに何より、セックスおっぱじめる前に、俺に惚れてもらわないとダメだろ!」
「いや、それは絶対にないから。期待しないで」
ぐっと拳を握りしめて力説する忍さんに、私は冷静にツッコミを入れた。
「いやよいやよもいいのうち、って言うだろ」
「私に関しては言わない!」
あと、そのフレーズめちゃくちゃ古い。忍さんって何歳なんだろう?
「まあ、椿ちゃんを口説くのは俺が楽しみにしていた事のひとつだから、じっくり時間をかけて口説かせてもらうさ。ところでさっきの合気道だけど、やっぱり椿ちゃんはすごいな。俺に背を向けていたのに、ひゅってしゃがんでかわすところ、すげえかっこよかったぞ」
ニコニコと忍さんが言う。……その笑顔、本当に心からのものなのだろうか。それとも、やっぱりお腹の中では悪い事を企んでいるのだろうか。
私はツバキの背中を撫でながら、口を尖らせる。
「別に。結局、忍さんを出し抜けなかったんだから。技としてもまだまだ未熟よ」
「そうやって淡々と自己評価できるクールなところも、しびれるなあ」
「もう、茶化さないで!」
私が怒るも、忍さんは全くひるまない。
「本当の事を言ってるだけなんだけどなあ。確か椿ちゃんは、合気道の他にも色々習ってるんだろ。古武道をひととおりと、他にもお茶や華道も習ってると聞いたけど?」
「それ、もしかしてお父さんからの情報なの?」
ツバキを撫でる手を止めて尋ねると、忍さんは「そうそう」と頷く。
お父さん……。ペラペラ娘のプライベートを話してるんじゃないわよ。
心の中で悪態をつきながら、私は渋々自分の事を話した。
「そうよ。あなたの言うとおり、大体の古武術を習ったわ。それから、武道の精神に通じるところがあるという理由で、茶道と華道も習っていたの」
本当、毎日習い事をしていた。あれはあれで充実した毎日だったが、いざ武術が必要な状況になって、まったく役に立たなかったのは、ちょっと虚しい。
「へえ。いいねえ、教養のある女って」
「そ、そんな大したものじゃないから。どれも付け焼き刃みたいなものよ」
「謙遜するなって。古武道は、あれだろ。合気道の他だと、柔道とか剣道とか?」
「いいえ。柔道や剣道は、いわゆる現代武道に属しているわね。それを言うなら合気道も現代武道なんだけど」
私は指先でツバキの耳をぴろぴろと触りながら、説明した。
簡単に言うと、スポーツとして競技試合を目的とした武道を現代武道といい、試合の勝敗を目的とせず、ひたすら己と対峙し心身鍛練に励む武道を古武道という。
例えば弓道とか剣術とか。流鏑馬も古武道の一種だ。
「色々習ったものの、結局続けられたのは合気道と一部の古武術だけだったわね」
「そういや、居合道も習ってただろ。あれは続けているのか?」
「……本当によく聞いているのね、私の事」
じろっと睨むと、忍さんは何故か照れたように頭を掻いた。
「いやあ、そりゃ、惚れた女の事だしなあ」
「そういうのいいからっ!」
顔を熱くして口早に怒る。もう、忍さんは……何が真剣で何が冗談なのか、判断がつきにくくて嫌だ。
「居合道は続かなかったの。私には合わなかった。以上!」
あまり自分の事を話したくない。手短に、淡々と話した。
忍さんは「ふうん」と、納得したのかしてないのか、よく分からない相槌を打った。
「ま、いいか。椿ちゃんの事は、これからゆっくり聞いていけばいいんだし」
「いやいや、教える気なんてないから」
「とにかく今日から椿ちゃんの家はここだからな。結婚式の詳細はまだ全然決めてねえから、追々一緒に決めて行こう」
「ちょっと話が飛びすぎじゃない⁉ 私は了承してないって何度も言ってるでしょ!」
慌てて噛みつくも、忍さんは私の非難をひとつも聞いてくれない。
「結婚式には女の夢がいっぱい詰まってるそうだからなあ。チャペルでウェディングドレスが着たいとか、もしくは神前式で白無垢がいいとか。ちなみに椿ちゃんはどっち派だ?」
「……! 知らないっ、勝手にしたら!」
人の話を聞かない男となんか、会話もしたくない。私がプイッと横を向いて言うと、忍さんは「勝手にしていいのか!」と嬉しそうに言った。
「そうかあ。俺プロデュースでいいのかあ。それならアレでソレなドレスを着せて、一日中たっぷり楽しむという俺にとって夢いっぱいのコースを選んでもいいというわけだ」
「ち、ちょっと待って! 何を企んでいるの」
勝手に不穏な事を言い出すものだから、つい尋ねてしまう。くっ、相手にしたくないのに、この人は聞かざるを得ない事ばっかり言う!
「そりゃあスケスケ下着に、いつでもどこからでも手が出せるようなエロいデザインのウェディングドレスを着せて、披露宴会場で御披露プレイみたいなやつをだなー」
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