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アフター編

24.悪辣な策

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 後日、日を改めて私達は「作戦」の為に動き出す。
 私は岸さんを。笹塚は宗像さんを。

「岸さん! こ、今度のお休みって空いてますかっ?」

 時に会社のお昼休み。ヤツがトイレから出てきた所を待ち伏せして、通せんぼをするように私は岸さんの前に立つ。
 彼は突然出てきた私に驚き、キョトンとした顔をして足を止めた。

「今度って日曜日? 空いてるけど……なんで?」
「えーっとその、お、おでかけなんて一緒にいかがなものかと思いまして。どど、どうでしょう?」

 目が泳がないように岸さんの顔をガン見する。睨んでるようにも見えるかもしれない。笑顔笑顔。警戒されないように! 長年培わされたお嬢様スマイルを復活させるのだ、羽坂由里!

「おでかけねぇ……どういう風の吹き回しかな?」
「あのですね、ええと、あれです! ほら、岸さんは前に私とつきあいたいって言ってくれたでしょう?」
「うん、ちゃんと覚えててくれてたんだね。それで?」
「それでその、お茶でも飲みつつお話でもどうかなって思いまして。岸さん私の事、あまり知らないでしょうし。もしかすると百年の恋も醒めるっていう事があるかも……あれ?」

 必死すぎて段々何を言ってるか自分でもわからなくなってきた。しかし岸さんは突然「あははっ」と笑い出し、意地悪そうな目で私を見下ろしてくる。

「なるほど~。そういう作戦で来るんだ」
「えっ、作戦?」

 ぎくりと背中が冷たくなる。企みがバレたのだろうか。岸さんは人差し指を立てて、軽くぴこぴこと揺らす。

「自分がオタクって所を僕に見せつけて、幻滅させようって魂胆なんでしょ」
「えっ、そ、そんなこと、ないですよ。お、お茶するだけですもん」
「そうなの? フフ、何を企んでるのかな? でも面白そうだから行ってあげるよ。日曜日だね?」
「は、はい。ありがとうございます! えと、それじゃあ待ち合わせですね。11時に会社近くの駅でいいですか?」
「了解。楽しみにしてるよ」

 岸さんは私からの誘いに喜ぶというより、私が彼に何をするかを楽しみにしているような雰囲気がした。
 やっぱり、あの時の「好き」は本気の好きじゃなかったのかな。でも、本人にその本意を聞くわけにもいかない。
 何より、もう決めた事なのだ。彼が本気で私のことを好きであろうが、遊びの好きであろうが、私のやる事は変わらない。
 何故なら、私が笹塚だけなのだと決めているから。
 岸さんが私に言った『好き』が冗談だったら、真に傷つくことはないだろう。だけどもし、言葉通りの『好き』だったとしたら、私は今度の日曜日、確実に彼の心を傷つける。
 それでも中途半端は駄目だと判っているから。私の心が彼に傾いていない以上、諦めてもらうしかないから。

 2年前、笹塚が水沢を振った時、彼も同じ気持ちを味わったのだろうか。
 人を傷つけるという気持ちを。

 私は過去、人からいじめを食らっていた。その頃、あいつらはさぞかし虐める事を楽しんでるのだろうと思っていた。
 人を傷つける行為は麻薬みたいに止められなくなる、快楽なんだと思っていた。
 でも、今の私はちっともワクワクしない。楽しくもならない。
 ただ、何となく『嫌われたくない』。その気持ちだけで優しくするのは駄目な事なのだと私は知っているから。
 誰の為でもない。私は私の為に、岸さんと宗像さんを傷つけるんだ。
 自分の恋を守る為に。私が笹塚と一緒にいたい為に。それが例えエゴイスティックな行動だとしても。

◆◇◆◇

 日曜日。私は岸さんを連れて、予め決めていた場所へ向かう。隣で話しかけてくる岸さんはとても機嫌が良くて、ぺらぺらと私に話しかけてくる。
 主な話題はやっぱりゲームの話。この話さえすれば私が食いつくと思っているのだろうか。実際釣られそうになるから、彼の判断はまぁ間違ってはいないけど。
 でも、岸さんが次々に話してくる話題を聞いていて、やっぱり、と確信した。
 彼はやっぱり、ただのゲーマーなんだ。
 世間一般から見ればそれもオタクなのかもしれないけど、私とは微妙に違う。彼はただ普通にゲームを楽しんでる、そんな感じがするのだ。
 いや、本来それが当たり前の姿なんだけど、私や悠真君はそれより50歩…いや、120歩ほど踏み外してるというか、ナナメ方向に突き進んでるっていうか。ともかく、悠真君の判断は間違っていなかったのだ。
 きっとこの作戦は、うまくいくはず。
 ちなみに、私が抱く懸念はひたすらに岸さんの事だけである。笹塚次第だが、宗像さんはほぼ100%諦めると予想している。ただ、岸さんが『アレ』に対する耐久力が強かったらと思うと、やはり心配になる。
 ……大丈夫だと思うけど、ね。

 岸さんと共に、かららんと可愛らしい鐘の音を立ててお店のドアを開ける。そこでは……異世界が待ち受けていた。

「まじっく☆きゃんぱすにようこそ~! らぶきゅんまじっくでめろめろにしちゃうニャン!」
「にっ……。にゃにゃーんっ! 羽坂ですにゃー!」
「これはユリお嬢様~! お待ちしておりましたニャン! さぁさぁどうぞ、ずずっと奥へ。すぺしゃるまじっくをご賞味あれ!」

 胸元が少し開いた可愛いミニスカメイド服にネコミミ、ネコシッポ。魔法使いが使っていそうな細いスティックを片手に、チャーミングなポーズを決めた店員さんが、しっぽふりふりニャンニャンとテーブル席まで案内してくれる。
 私が語尾にニャーとつける日が来るとは思ってもみなかったが、コレは作戦なのだ。あくまで私はこの店の常連。超ノリノリの痛い子を演じなければならない。
 岸さんを連れていった店。ここは、ちょっと不思議なノリの入ったメイド喫茶なのである。
 ちらりと後ろを伺うと、岸さんが固まっていた。
 おっし! 手ごたえありだよ悠真君!
 でも同時に何故かとても大切なモノがゴリゴリと削り取られていくようだよ!

 ひきつった顔の岸さんとニコニコ顔の私が席につき、やがて店員が注文を取りにくる。
 ニャンニャンと愛想よく笑ってる女の子に私は手を軽く振って、注文は少し待って下さいとお願いした。

「ど、どうしたの? 注文しないの?」

 どもりつつも何とか平静を取り戻した岸さんが聞いて来る。彼がこの状況に慣れてはまずい。矢次ばやに次の手を打たなければ。
 そう思ってる間に、早くも『次の手』がやってきた。
 かららんと音がする。店内に入ってきたのは笹塚と、ガチリと固まる宗像さん。
 時計を見れば丁度11時半。彼等は時間通りにやってきた。

 私達と同じセリフとポーズで出迎える店員さんに、笹塚が若干緊張をはらんだ声で対応している。そこで私は、初めて笹塚を見つけたような顔をして「浩太さん!」と声を上げた。

「由里、どうしたんだ? こんな所で」
「うん、岸さんにチョット話があってね。お茶ついでに連れて来たの」
「はは、俺もだ。宗像と用事があってな。ついでだからここに寄ってみた」
「そうだったんだ。最近はよくここ使ってるもんね? どうせなら一緒にお茶しようよ!」

 私は笑顔で手招きする。店員は「じゃあ相席ですニャン」と言って2人用のテーブルにもう1つテーブルをくっつけて4席にしてくれた。
 笹塚が戸惑う宗像さんを連れてやってくる。そこで初めて彼女と岸さんが顔を合わせた。

「えっ」

 二人の声がハモり、岸さんと宗像さんが再び固まる。まさかこんな所で会うとは思っていなかったんだろう。しかしこれで確信した。二人のこの反応、やっぱり裏で手を組んでいたんだ。
 笹塚が腹を括ったのか私の隣の席に座り、空いてる席……岸さんの隣に宗像さんを誘導する。

「どうした? 座れよ」
「……え、あ、うん」
「こちらメニューになりますニャン」

 確実にこんな店に入ったことがない宗像さんが、非常に居心地悪い顔をしている。それはそうだ。周りにいる店員は皆ニャンニャン言ってるわネコミミだわ、さらに客層は彼女の最も苦手とする部類だわ、少し顔を横にすれば店員といい歳した男性客が猫の真似をして「はいポーズニャン!」なんて写真撮ってるし、どこに目をやればいいのかわからないといった感じがする。
 それは岸さんも同じような感じだった。
 だが、私と笹塚は向かいに座る二人の動揺を全く気にせず、メニューを見る。

「何にしようかな。いつものヤツにするか?」
「あ、いいね~。丁度おなかもすいてきたし。セットにしよ?」
「決まりだな。宗像と岸はどうする?」
「えっ、と、ど、どれにしようかな、はは」
「……メニューが難解なんだけど、このもえ……。なんとかマジックってなんなの?」

 二人とも引きまくりだが、岸さんはまだ何とかこの場に順応しようと頑張ってるフシがある。宗像さんは引きを超えて顔が超不機嫌だ。なんでこんな所に私を連れてきたのと言わんばかりである。
 そんな彼女の雰囲気など真っ向から素無視で可愛い店員さんが「ご説明しますにゃん!」と元気に答えてくれた。

「それは萌えラッテになりますにゃん。お嬢様に幸せをお届けする『もえもえ☆まじっく』を、私達が心をこめてかけてあげますにゃん!」
「そ……。そう」

 超不機嫌な顔が蒼白に青ざめ、ドン引きの顔になる。宗像さんの陥落は早そうである。

「じゃあ俺はこのはーとふるハンバーグにしよう、かな」
「お目が高いですニャー。そのハンバーグは後で私達がおまじないをかけてあげますにゃん」
「おまじない? あはは、そう。じゃあ楽しみにしてるね」
「それから萌えラッテとらぶりんオムライスふたつ。カップル仕様でよろしくニャン」
「かしこまりましたですにゃ! 少々お待ちくださいませっ」

 ハンバーグを頼んだ岸さんが引きつった笑いをしながらできるだけ店員と目を合わせないようにして注文し、私はノリノリの語尾ニャンつきで店員に注文する。
 この店の『常連』は自分も店員みたいな話し方をしたり、一緒に『魔法』と称した痛いポーズやジェスチャーをやったりする。……らしい。全て悠真君情報だからよくわからないが、彼の言う事なので間違いないだろう。事実、自分たちの後ろではやや腹の出た兄ちゃんがニャンニャン言って店員となんかポーズつけてるし。
 ちなみにその光景が宗像さんや岸さん側からだとバッチリ見えるのか、二人とも目をそらしている。きっと見ていられないのだろう。

「……ちょっと、浩太」
「なんだ?」

 あくまで平静な笹塚に宗像さんがやっと食ってかかる。しかし私達の後ろで店員と一緒にハートマークを手で作ってる男は見ないようにしてるのか、目が泳いでいる。

「なに、ここ。どうせ羽坂さんの趣味なんでしょうけど。どうして私をこんな所に連れてきたのよ」
「元々は由里に教えてもらった店だけどさ、案外居心地がいいんでよく使ってるんだ」
「そんな訳っ! こんな店が居心地いいなんてありえない。どうせ嘘なんでしょ!」
「嘘つく必要ねえし。ほら、ポイントカードもあるぞ?」

 え? と聞き返す宗像さんに、笹塚は自分の財布からこの店のポイントカードを取り出して見せてきた。カードの裏側には会員ナンバーと笹塚の名前。そしてズラーッと捺印されたポイントマーク。
 どこから見てもこの店の常連と分かる証拠である。

「こっ……こんなに通ってるの?」
「ああ。由里と貯めてるんだ。なー?」
「うん! 10個たまると『すぺしゃるまじっく』してもらえるんだよ。ね~?」

 ニッコリと笑いあう私と笹塚。いや、彼はちょこっとだけ顔が引きつってる。ああ、笹塚は必死だ……。
 ちなみにポイントカードはあるスジから手に入れたものである。絶対このポイントを悪用しないと約束して手にいれた、正真正銘笹塚浩太のポイントカードだ。

「そっ、それにしても、さすがは羽坂さんだね。こういう店、よく行くんだ」
「はい。このお店はお気に入りなんです。店員もノリノリだし、可愛いし。注文品にそれぞれかける魔法が違って、楽しいんですよ。ちなみにこの店の最大のウリはカップルまじっくなんです!」
「か、かっぷるまじっく?」

 はいっ! と大きく頷いて私は少し前のめりになり、全身に必死さをみなぎらせて岸さんに熱弁した。もうすでに戦いははじまっているのである。
 彼が店員のテンションに引いたように、私自身にも引いてもらわなければならない。
『この娘ないわー』と思われなければならない!

「恋人限定の魔法があるんですよ。カップルと店員さんと、3人でやるんですよ。これがもうすっごく可愛くて、堪らないほど楽しくなるんです。私達らぶらぶって感じで、幸せいっぱいになるんですよ!」
「そ、そう、なんだ」
「はい。後で見せてあげますからね! 浩太さんと頼んだの、丁度ソレですから!」
「いや、別に俺、見たくな……」
「ええっ!? 見たくないんですか。そうですか……」

 しゅんとした顔をして俯く。笹塚が私を慰めるように優しく頭を撫でてくれた。これも全て台本通りである。

「可哀想に、由里。お前って個性的だもんな。仕方ないよ」
「うん。……私、あのカップルまじっくがうらやましかったんだ。岸さんは見たくないみたいだけど、私にとってはやりたくて仕方ない、長年の夢だったのに……」
「そうだな。でも、今は俺がいるだろ? 俺は楽しいよ。あの、か、かっ……ぷるまじっく」

 若干口がまごついたようだったが、何とか言い切る笹塚。ああ……彼の大事な何かがごりごりと削られていく。
 私と笹塚は手を取り合ってきらきらと見つめあった。二人の世界、というやつである。

「うん。嬉しかったよ浩太さん。あなただけなの。私のことを理解してくれるのは……」
「当たり前だろ? あんなに俺達のことを祝福してくれる魔法はないさ、由里」

 萌え萌えアニメボイスのBGM、周りでニャンニャン言ってる店員と野太い男性客の声、あちこちで聞こえる『魔法』と称した痛いセリフ。
 そして公衆の面前で二人の世界を作り上げる、痛いカップル。
 いっそペアルックまでしたらどう? と水沢に言われたが、そこまで矜持を削ることはできなかった。
 岸さんと宗像さんが呆気にとられた顔で私達を見る。そんな中に、空気読まない店員が「お待たせしましたですニャー!」と注文品を盆に乗せてやってきた。
 私達のテーブルに広がる料理や飲み物。手作り感が満載で、味もファミレスレベルである。なのに単価はファミレスより3割ほど高い。
 それにはちゃんと理由がある。いわゆる店員のサービス料金が上乗せされているのだ。それが先ほどから何度か単語に出ている『魔法』なのである。
 この店のウリは注文品に『魔法』と称して、店員が痛いセリフと見ていて切なくなるほど恥ずかしいジェスチャーとポーズを決めてくれることだ。ホント店員お疲れと言ってしまいたくなる。

「じゃあまずは、萌えラッテにもえもえ☆まじっくをかけますニャン!」

 宗像さんの前に置かれたただのカフェラッテに店員のメイドさんがスティックをくるくるとまわして「魔法」をかけてくる。

「お嬢様に恋の魔法を~めろめろきゅんきゅ~んっ! さぁお嬢様、リッカが心を込めてお絵かきするニャン、何がいいですかにゃ?」
「えっ!? おえ、かき?」
「はいですにゃー。くまさん? ねこさん? リッカでもいいですにゃ」
「……そっ、じゃ、ねっ、ねこ、で」

 苦しそうな声で何とか注文する宗像さん。引いてはいるが店員に罵詈雑言は言えないのだろう。こういう所で何となく彼女は意地の悪い人だけど決して悪人ではないんだな、と思う。
 宗像さんのカフェラッテに可愛いねこさんがチョコデコペンで描かれる。結構可愛い。ラブリーなねこさんを宗像さんは恐ろしいものでも見るようにまじまじと凝視した。

「こちらはらぶりんオムライスになりますニャ。浩太ご主人様、由里お嬢様、いつものかっぷるまじっく、使っちゃうにゃん?」
「使っちゃうにゃーん!」
「ノリノリですにゃー! じゃあお二人にラブラブハッピーな恋の魔法をっ!」

 いえーい! と私は拳を上げ、リッカというメイド店員さんと「イェイイェイ!」と手を合わせる。この人こそ、今回の件について協力を仰いだ伏兵なのだ。悠真君が通う大学に在籍している同期の女の子。彼が大学で作った「友達」のひとりだ。ちなみにちゃんと彼氏がいたりする。勿論その彼氏も同じ大学で、悠真君の友達だ。

 あからじめセリフとポーズは教わってある。何度か笹塚と練習した。
 私が彼と目を合わせ「やるぞ!」と意気込むと、笹塚が覚悟を決めたようにぐっと頷いた。……笹塚は最後までこの『かっぷるまじっく』は受け入れる事ができなかったのである。
 私だってダメージがでかいのだから、笹塚のそれは計り知れないだろう。
 だが今は頑張ろう。愚痴なら後でいくらでも聞く! 我らの明るい未来のためなのだ!

 私と笹塚は向かい合って両手をぱしっと当てる。そしていわゆるカップル繋ぎをするように指を交差させて握り合うと、その手にリッカさんが片手を乗せてきた。
 そしてスティックをくるくるっと回した後、空中にハートマークを描く。

「いきますにゃーん。このはっぴーらぶらぶなカップルさんに心をこめて祝福を! せーのっ」
「由里ちゃんとー」
「浩太くんのー」
「ふるふるらぶりんしゃわー!」

 ぱらぱら~と私達の頭上にピンク色の紙ふぶきが落ちていく。サポートに入った別の店員がニコニコ顔でカゴから紙ふぶきを取り出し、かけてくれる。
 ちなみに由里ちゃんと言ったのは笹塚で、後者が私、最後の掛け声は二人合わせて。
 本来、厳密に言うとこの世界は『ちゃん』付けではなく「由里たん」と言わなければならないお約束があるのだが、笹塚に「それだけは…」と非常に困った顔で断られ、妥協に妥協を重ねて「由里ちゃん」になったという悲しすぎる閑話がある。
 二人揃って向かいに座る岸さんと宗像さんに体を向け、私は片手を鉤のように曲げる。笹塚も同じような手の形にして、二人であわせると見事なハートマークができあがった。

「はっぴーまじっくにゃん!」

 私と笹塚の声がハモる。周りの常連客や店員がパチパチと拍手をしてくれて、ヒューヒューと囃したててきた。笹塚は頭を搔きつつまんざらでもなさそうな顔で、私はもじもじして「えへへ」なんて言ってみる。
 無事に『かっぷるまじっく』を終えてオムライスの横に置いてあったスプーンを取り、改めて向かいを見た。
 岸さんと宗像さんが完全凍結している。
 顔に「どん引き」と書いてある。うむ、ダメージはかなりでかかったであろう。勿論私達もでかい。悠真君は笑顔でなんて悪魔な策を考え付いたのか。
 しかし、それに乗ったのは私と笹塚だ。どんだけ余裕なかったんだ。
 二人が固まってるのを他所に、私達は手を合わせて「いただきまーす」とオムライスを食べ始めた。そこにリッカさんが最後の攻撃を岸さんに食らわせる。

「最後になりましたが、こちらはーとふるハンバーグになりますにゃん。ご主人様にもおまじない、かけてあげますにゃん!」
「……え?」

 ギクリと岸さんが挙動不審にリッカさんの方を見ると、彼女はにっこにっことスティックを振り上げた。

「はーとふるハンバーグにもちゃんと魔法がありますにゃん。私と、もう二人のニャンコでかけますので、ご主人様もぜひぜひ一緒にやって欲しいにゃん」
「お、俺もやるの!?」
「勿論ですにゃ。きっとハッピーな気持ちになれますにゃん。私達がくるくる~ってした後、ご主人様は指をくるくる~ってして、お手手でハートマークを作って欲しいにゃん。そして最後は一緒に『はーとふるきゅんきゅん』って言うにゃん!」

 そ、それは、20を超えた社会人の男がやっていいポーズとセリフではない。でも周りを見ればお客の男はみんなやってるし、ここでは普通なんだろう。
 しかしそんな『普通』なんてこの店だけだ。そして岸さんはそんな『普通』が受け入れ難いのだろう。顔が完全にひきつり、引いている。
 ここだ! ここでトドメをさすんだ羽坂由里! 今しかない!

「わぁ! 私、岸さんのはーとふるきゅんきゅん聞きたいです! 私もしたことありますけど、すごく楽しくなれますよ? あ、ちょっと練習しましょうか。いきなりだと難しいかもしれないですし。こうですよ、こう。ハートマーク」

 そう言って私は両手を使ってハートマークを作る。ほらやれ! とばかりに期待に満ちた目で岸さんを見れば、彼は冷や汗をかいているのか、しきりに腕でこめかみを拭っていた。

「あ、いや、その。それをするのはちょっと、っていうか、ああそう、手が、今手の調子がよくなくて」
「そうなんですか?」
「うん。仕事のしすぎかな。腱鞘炎で」

 ははは、と笑う岸さん。よっぽどしたくないのだろう。ちょっと手を曲げてハートマーク作るだけなのに、それだけできっと彼の重大な何かが削られるのだ。その何かとは『プライド』である。
 だが、私は彼のそのプライドをバキコーンと割るかのごとく、笑顔で彼に畳み掛けた。

「大変ですね~。じゃあせめて、魔法をかけてもらって癒されましょうよ。最後のセリフは言ってくださいね。はーとふるきゅんきゅん! ですよっ」
「はっ、はーと……っ!?」

 目をくわっと見開かせてのけぞる岸さんに、リッカさんを含めた店員さんが早速、と『魔法』をかけてくれる。
 くるくるっとスティックで回したあと、三人そろってお手手でハートマーク。そしてちょっとお尻を突き出して可愛くポーズを取った。

「ご主人様にめいっぱいのハッピーとセラピーをあげますにゃ~ん! せーのっ」
「はーとふるきゅんきゅん!」

 三人の可愛い声が店内に響く。
 岸さんは……口を真一文字に引き締め、一言も言葉を発しなかった。
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