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アフター編

18.親友

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 笹塚と共に夜道を歩く。
 今日は泊まりの予定はない。駅まで一緒、である。
 ちなみに完全丸投げ状態で水沢に預けてしまったプレゼントは、どうやら無事に渡してくれたようで、宗像さんとの一件の後、何も知らない園部さんが「これありがとー」と暢気にお礼を言ってきた。
 ちなみにこれは嫌味とかではない。彼のあの気楽っぽい感じは結構好きだ。自分も肩の力が抜けて気分が軽くなる。
 水沢は宗像さんを見ていたので意味ありげに私を見ていたが、結局その時は気を使ってくれて、何も聞いては来なかった。

 夜道を照らす街灯が並ぶ道を歩く。駅につくまで後少し。
 宗像さんを思い出しているのか、笹塚の顔は何だか暗くて元気がない。近頃、彼はこんな顔をよくしている。
 私は力なく歩く足を止めた。笹塚が少し前を歩いて気付き、不思議そうに振り向る。

「あの、浩太さん。もしかして、無理につきあってるとか、ない?」
「え?」
「わ、私のゲーム好きとか、アニメ好きとか、無理して一緒に遊んだり、見たりしてない? も、もしね、つまらないのに無理しているんだったら……」

 コツ、と笹塚の革靴の音が聞こえる。俯いていたら、私の目の前にその黒い靴が現れた。

「何か言われたのか。あいつに」

 さっき、宗像さんに言い放った時のような冷たい声。はっと顔を上げると、笹塚は無表情だった。

「こ、浩太さんが無理して私の趣味につきあってるって、宗像さんは言ってきたんだよ。だからそうなのかなって」
「そんなわけないだろ。俺は楽しんでるよ。お前と一緒にゲームをやるのも、録画したアニメ見るのも」
「本当に? そ、それならいいんだけど」

 私がそう言うと、笹塚は私の手を握ってすたすたと駅に向かって歩く。
 いつもはその手の暖かさに安心するのに、今日は彼の焦りを感じた。妙に早足だからだろうか。私は小走りで笹塚の長い歩幅に合わせる。
 ……どうして笹塚はずっと、何も言ってくれないのだろう。
 彼は何一つ私に零さず、一人で解決しようとしている感じがする。

 心が繋がっていれば大丈夫だと、不安なんて感じる必要もないと思ってた。
 でも、人の心はそんなに簡単なものじゃないのかもしれない。
 こうしたら大丈夫。何の問題もない。そんな確証、どこにもないのかもしれない。
 人の心は揺らぐもの――そう言ったのは誰だったか。

 でも私の不安は、何が原因なのだろう。笹塚のこと? 違う。岸さんのこと? 違う。じゃあ宗像さんの事? ……それも違う、と思う。
 駅で笹塚とキスをして、別れる。
 帰り道をとぼとぼと歩いて、何となく全ての不安の原因は私の「趣味」にあるのではないかと思った。

◆◇◆◇


 日曜日、ぴんぽーんとインターフォンを押すのはおなじみ悠真君の家。いつも優しそうな悠真君のお母さんが出迎えてくれて、スリッパを出してくれた。

「こんにちは、由里ちゃん。久しぶりねぇ」
「はい、ご無沙汰してます。悠真君はその、元気にやってますか?」

 お母さんから見た悠真君は今どんな感じなんだろう、そう思って聞いてみると、お母さんはにっこりと笑った。
 最近はすっかりリラックスしていて、その表情が全てを物語っている。

「大丈夫よ。毎日に元気に、大学に通っているわ」
「そうですか。……良かったです」
「本当ね。悠真は上にいるわよ。後で呼ぶからお菓子を取りにきてね」
「はい。じゃあ。おじゃまします」

 靴を脱ぎ、スリッパを履く。
 ふと、思い出すのは数年前のお母さん。今と変わらず優しい笑顔で出迎えてくれたけど、同時に悲しそうな顔をしていて、私が帰る時にいつも「また来てね」と手を振る姿がまるで縋るようだった。
 どうか悠真を見捨てないで、また遊びにきて、彼を一人にしないであげて、と。
 親にしかできないこともある。だけど、親にはできないこともある。
 私はその部分を少しでも埋められたらと思って、部屋のドアを開けてくれない悠真君の家に何度も通ったんだ。
 私が彼にしたことは大した事じゃない。結局は本人が頑張って乗り越えたから今がある。

 こんこん、と軽くノックをしてドアを開ける。
 中にいた悠真君はパソコンラックに向かう椅子に座っていて、そのままくるりと椅子を回してこちらに振り返ってきた。
 その顔は、ほんわりしたいつもと同じ笑顔。だけど、今までとは違う雰囲気も醸し出している。
 私と同じように、様々なものを受け止めて乗り越えた。ちょっと一枚剥けた感じのする悠真君。
 彼は今、大学二年生である。

「やほー由里ちゃん。リアルでは久しぶり」
「久しぶりー」

 いつもの挨拶を交わして、小さなテーブルの前に置かれた座布団に座る。彼も椅子から降りて向かいに座ろうとして「あ」と思い出したように戸棚の中をごそごそした。

「忘れてた。はいこれ、あげる」
「うおあっ! ニャン太郎のレザーキーホルダーに、エミリィたん全身水着タオル! そ、それに……ヘイムダルサーガの卓上カレンダーだ!」

 必要ないかもしれないが解説しよう。ニャン太郎とは私の大好きな、あるRPGに出てくるマスコットキャラクターである。しっぽのでかいネコの形をしていて愛くるしい。そしてエミリィはそのゲームに出てくるおっぱいでかくて超可愛いヒロインである。
 そしてヘイムダルサーガの卓上カレンダーはそこらの店で売ってるものではなく、公式ですら通販してくれない、イベント限定のレア品だ。

「ど、どうしたのこれ!」
「それ、去年行った冬コミのお土産だよ。企業ブースも回ったからね。カレンダーは僕も欲しかったから2つ買って、ニャン太郎とかは最後に寄ってみたら、まだあったから」
「まじか。ありがとう悠真君。宝物にする!」
「宝物って、あはは! 由里ちゃんコミケ行かないから、こういうの貴重なんだね。本当はすぐにでも渡したかったんだけど、ずっと笹塚さんと一緒で来てたでしょう? カレンダーやキーホルダーはともかく、そのタオルはちょっとレベル高いかなって思って渡せなかったんだ」

 たしかにそうかもしれない。おっぱいたゆたゆさせた水着姿の女の子の等身大バスタオルは、さすがに彼の前では披露できない。
 更にそのタオルを壁にかけて正座してニヤニヤしてる自分など絶対見せられない。
 やっぱりこういう所はつい隠してしまう。隠すなと言われても無理だ。恥ずかしすぎるし、万が一引かれたら泣いてしまう。
 携帯電話に早速レザーキーホルダーをとりつけつつ、ぽそりと心の吐露が零れ出た。

「やっぱりさ、こういうのって大衆的に見ると、あんまり受け入れられないものなのかな」
「え?」

 キョトンと首を傾げる悠真君に「あ」と呟いて、私はなにかを誤魔化すようにぽりぽりと頬を掻く。

「ゲームとかアニメとか好きでさ。更にはこういうグッズに喜んだり、愛でたりする私は、やっぱり世間的には隠さないといけないものかなって思っちゃうんだ。全てを曝け出そうとしても、どうしても無理な部分があって。別に悪い事してるわけじゃないのに、なんでだろう」
「由里ちゃん……」

 気遣うような悠真君の声。続いて彼が何か言おうと口を開けた所で「お菓子とりにきて~」とのんびりしたお母さんの声が聞こえてきた。
 悠真君は「ちょっとごめんね」と一言断って、お菓子を取りに行く。しばらくして、彼はアールグレイの暖かい紅茶と、お菓子の乗ったお盆を持って来た。
 小さなテーブルに配膳して、悠真君はティーポットから紅茶を注いでくれる。

「何も、全てが全て、カミングアウトする必要はないと思うんだよねぇ」
「そう思う? 浩太さんにも隠しておいたほうがいい?」
「隠した方がいいというのはおかしいかな。由里ちゃんが思うようにしたらいいって事だよ。言ってもいいし、恥ずかしいなら言わなくてもいいし」

 悠真君のお母さんお手製ガトーショコラをいただきつつ、そんな会話をする。
 そんなものでいいのかな。何だか私の中で、秘密なんて許されない、笹塚とつきあう以上は全てを彼に知ってもらわなきゃという気持ちと、さすがに秋葉原で同人誌漁る姿とか、クローゼットに大切に仕舞っている素敵コレクションは見せれないという気持ちが常に交差している。
 私が顔を歪ませてアールグレイの紅茶を飲んでいると、ぱくりとガトーショコラを口にした悠真君が少し悩み顔をした後、私に話しかけてきた。

「例えばさ。ゲームやアニメじゃなくて、芸能人のアイドルが好きだったとして」
「うん」
「そのアイドルのブロマイドを一杯集めたり、握手するために何枚も音楽CD買ったりしていて。そういう自分って、他人に面と向かって言えるものかな。私、だれそれのアイドルが大好きで、一杯関連グッズも持ってて、コンサートも欠かさず何度も通ってるんですって」
「うーん。なかなか他人には言えないかな? 友達とかなら別かもしれないけど」
「そうだね。じゃあ同じアイドル好きでも、新曲出たら一枚買う程度、コンサートも適度に行く程度だったらどう? 他人に言える?」
「……それは言えるかな」

 つまり悠真君が言いたいのは程度の問題なのか。
 世の中にはいろんな『オタク』がいる。私みたいなゲーム、アニメオタクもいれば、アイドルオタク、電車オタク、歴史オタク、それこそ種類は数多に登る。
 だけどその趣味を知らない人に言えるか言えないかは、程度のレベルによるんだ。
 電車がどんなに好きでも、興味ない人からしたら「あんな移動手段の一つにすぎないものに、どうしてそこまでのめりこむの?」ってなる。
 人は、自分の理解できないものはどんなに受け入れようとしてもどこかで限界が来る。わからないものはどうやってもわからないから、いずれ拒否に繋がる。
 共感できなければ、否定するしかないのだから。
 そうか、私が不安を感じているのはそこなんだ。私のオタクっぷりは冷静に考えると、自分でも引くなあと思う程だから、笹塚に知られたくない。
 そういう事なんだ。

 何てことはない。ただ、私は彼に嫌われたくないだけ。
 趣味が原因で離れられたら、別れを告げられたら……辛すぎるから。
 笹塚が自分の趣味でもなかったものを、私が好きだというだけでつきあってくれてる事に対し、怖さを覚えているのもそこなんだ。
 私に気を使って、そのうち、気遣いに疲れて離れてしまわないかと。
 だって私も、好きでもない事を何度もつきあわされたら、嫌になってしまう。
 だから笹塚は私のそんな気持ちをちゃんと汲んでくれて、しつこく自分の好きなスポーツを勧めてはこない。夏とか冬とかといったシーズンにちょっと泊まり込みでいかないか? と誘われるくらい。
 それなら私も旅行がてらに少しは楽しめる。
 笹塚は優しいからそういう気遣いが本当に上手だ。……なのに私は。
 彼の家に行く度にノーパソ持ち込んではオンラインゲームをしたり、携帯ゲーム機の通信で協力プレイをしたり、果ては彼の厚意に甘えて深夜アニメを録画してもらって一緒に見たり。
 私は、私が楽しむことに夢中で、笹塚のこと、何も考えてなかった。
 彼が私と一緒にゲームしたりアニメを見たりしてる間、彼が何を考えてるかなんて。勝手に私と同じように楽しんでるって思い込んでた。
 そんな確証、どこにもありはしないのに。

「僕だってさ、大学行けるくらいまでは復活したけど、やっぱ大学では隠すよ?」

 彼の言葉に顔を上げる。何時の間にか俯いていたようだ。
 悠真君の目はいつも優しい。そして、理解者だからこその、私をすべてを知ってる目だった。
 彼にはきっと、私の不安も心の葛藤も、手に取るようにばれているのだろう。

「でもね、昔みたいに『言ったところで理解されないから』っていう諦めで隠してるわけじゃないよ。由里ちゃんと同じなんだ。趣味云々以前に、これは大人の人付き合いとして当たり前の処世術。……わきまえって言うのかな?」
「わきまえ、か」
「うん。でも笹塚さんの場合、関係が深くなっちゃったからこそ、由里ちゃんは悩んでるんだと思うんだ。今まで何も隠さず僕と話していたぶん、笹塚さんにもそうしなきゃいけないってね。だけど『オタクな自分』をどこまで見せていいものか……そのラインを由里ちゃんは考えてる」

 そうか。もし笹塚が、悠真君と同じだったなら、私はきっと悩むことはなかったのだろう。
 笹塚と私、趣味の方向性が全く違うからこんなに悩む事になってしまったんだ。
 それでも私はあの人が好きで、離れるつもりは毛頭ないんだけど、少しだけ自己嫌悪に陥ってしまう。内と外。逆方向ともいえる私の趣味を、ずっと彼に押し付けてしまっていたのだから。

 くす、と小さく笑う声が聞こえて、悠真君は自分と私の皿を重ねると、おせんべいが盛られたカゴから一枚取り出し、ぱきりと割った。

「ちなみにこれは僕個人の感想なんだけど。笹塚さんは幸せ者だと思うんだよねぇ」
「え、なんで?」

 まさに私自身が今、笹塚の彼女としてアリなんだろうかと悩んでいたのに、悠真君がそんな悩みを吹き飛ばすように軽く笑った。

「ふふ、だって、二次元に目を向けてるほうがましじゃない。俳優にしろモデルにしろ、リアルの男に余所見するよりはさ」
「なんですかそれは。それに、マシじゃないぞ。だって浩太さん、ルートヴィッヒ魔王にハマッた話したら怒り出したし、格闘ゲームの神舞君カッコイイって連呼した時も怒ったし」
「あはははっ! なにそれ笹塚さん、ホントそういう所心狭いね。面白いなぁ。本当にごちそうさまだねー」

 なにがごちそうさまなのだ。
 でも、悠真君の気楽な笑い声を聞いてると少しだけ心がほっとした。
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