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1巻
1-3
しおりを挟む 私も笹塚も、黙って食事を続ける。しばらくして、また笹塚のほうから話しかけてきた。
「ホントに何も作れねえの? 料理」
「うん」
「まじで? 何一つ?」
「しつこいな。……おにぎりくらいなら作れるけど」
「ああ、おにぎりね。羽坂の家が米農家だからか?」
「それは関係ないと思うけど。でも田植えや稲刈りは手伝いに行くから、その時におにぎりをいっぱい作ってる」
繁忙期は、家族総出で働くのが我が家のしきたりだ。両親や姉夫婦はもちろん、じいちゃん、ばあちゃん、おじさん、おばさんも手伝う。だから昼食に、大量のおにぎりとおかずを作るのだ。おかずは母さんと姉ちゃんが作るけど、おにぎりは私が作る。
笹塚は「なるほどなー」と相槌を打って、味噌汁に口をつけた。……もうおにぎりを三つ食べたらしい。私はまだお弁当の半分が残っているというのに。
しかし、こうして笹塚と話してると、さすがに周りが気になってくる。素の口調がバレそうでヒヤヒヤだ。
「笹塚さん。会社ではあまり私に話しかけないでくれないかな? 仕事の話は除くけど」
「なんでだよ。昼飯食ってる時くらいはいいだろ」
「笹塚さんがよくても、私はよくない。私たちの会話が聞こえて、お嬢様が実は根暗ゲーマーだってバレたらどうしてくれるんだ」
すると笹塚は「はぁ?」と呆れたような顔をした。そして何か考えこむような表情を浮かべ、菓子パンの袋をぴりぴり開けながらぼそりと呟いた。
「……お前は別に根暗じゃねえよ。ゲーマーなことは否定しねえけど」
「へ?」
何を言っているんだ。私が根暗じゃない? どこが?
首を傾げていると、笹塚は言葉を続けた。
「根暗っていうのはな、文字通り根が暗いってことだ。だが、お前は別に暗い性格でもなければネガティブでもないだろ。だからもう、自分のことを根暗って言うな」
「……夜ごとパソコンやテレビに向かって黙々とゲームしてる私は、充分暗いと思うんだけど」
「それなら俺だってそうだろ。夜はいつも、お前とゲームしてるじゃん」
「そ、それはそうだけど。休みの日だって、一日中ゲームしてるもん。あと、面白いことがあったら『グフフ』って笑っちゃうし。パソコンの前で一人グフグフ笑うのは、我ながら絶対暗いと思う」
「……それはお前が変なだけであって、暗いわけじゃない。俺だって、一人でテレビ見て笑ってるよ。それは暗いのか?」
変なだけって、失礼だな。……否定できないけど。
それはさておき、テレビを見て笑うことは、確かに暗いわけじゃないと思う。ということは――
「私は……根暗じゃなかったのか」
「ああ。おかしな奴ではあるけどな」
「……それは褒め言葉じゃないよね? 怒っていいとこだよね?」
「真実だろ。だから怒る必要はない。褒め言葉じゃないことは確かだけどな」
笹塚は私を見てニッと笑う。
……なぜか顔がカァッと熱くなった。なんで? え、まさかこれ、私、照れちゃってるの?
どうしよう、すごく居たたまれない。話題を変えるべきだ。何を話そう……ってああ、思いつくのはゲームの話題しかない!
「あれだ! えっと、そう、レベル15!」
「は?」
「レ、レベル15になったら、馬に乗れるクエストができるの。そ、それで、そのクエストはちょっと時間かかるから、今度の休みにでもやらない!?」
「今度の休み? あー、土曜ならいいけど日曜は……」
言葉を濁す笹塚。そこでハタと思い出す。そういえばさっき、水沢さんが笹塚と出かけると言っていた。
「私、今週の休みはずっと家にいるつもりだし、土曜日でいいよ。日曜日は水沢さんと二人でボードを見に行くんでしょ?」
「……なんで知ってるんだ? って、水沢が言ったのか」
「うん。今年もスノボに行くから、ボードを買おうかなって」
するとなぜか笹塚は黙ってしまい、パクパクと菓子パンを食べた。すごい、あれだけ大きくて細長いパンを三口で食べた。口の中、パサパサにならないのかな?
笹塚はゆっくりお茶を飲むと、湯呑みをテーブルに置く。
「……二人じゃねえよ」
「ん?」
「だから、水沢と二人で行くわけじゃねえよ。皆でボードを見に行くんだ。他にも園部とか総務の高畠とか……高畠目当てに事務の子とか、色々来る」
「そうなんだ」
「そうだよ」
結局、笹塚は何が言いたいんだろう?
『俺、会社に友達いっぱいいるリア充なんだぜ』って自慢してるのかな? ちなみに私は、会社の人と出かけたことなど皆無である。当たり前だけど。
「いいね、友達多くて」
「……いや、言いたいのはそうじゃくて……まぁ、いいや。そういうことだから。勘違いするなよ」
「勘違い? 何を勘違いするのかも、さっぱりわからないよ。実は友達が少ないとか?」
「ちげえよ。友達の多い少ないから離れろ。……ハァ、もういい」
言いたいことがあるなら言えばいいのに。なんで呆れたようなため息なんかつくんだ? ちょっと悔しい!
それから笹塚、前から思っていたけど、大食漢を超えて食べすぎだ! 炭水化物を取りすぎだ!
◆ ◇ ◆
――賑やかな街から馬に乗ってしばらく走れば、海の見える街が見えてくる。少し寂れた雰囲気のある、のどかな漁村だ。
これは、もちろんゲームの世界の話。私はユリネを操作して馬から降りると、後ろからついてきたコッコちゃんも同じように馬を降りた。
『ここがセーテの街?』
チャット画面に表示された、笹塚からのメッセージ。私はキーボードを叩いた。
『そう。街から定期船が出てるんだよ。それに乗って、次はラズナの街に行こう』
先日の土曜日、晴れてレベル15になった私たちは乗馬クエストを終わらせた。……ちなみに、日曜日についてどうなったのか知らない私は、月曜日にロッカールームで水沢さんが楽しそうにスノーボードの話をしているのを聞いた時、なぜか胸がざわざわして、すぐに事務所に向かってしまった。
昼休みにそれとなく笹塚にメールしてみたら、早々に返事が来た。
どうやら日曜日は、水沢さんに園部さん、総務の高畠さんと事務の人たち、さらには製造部からも何人か来たようで、繁華街のスポーツショップに行って買い物をしたらしい。笹塚からのメールには、『興味があるなら一緒に来ればよかったのに』と書かれていた。
別に興味はない。スノーボードなんてやりたいとも思わないし。ただ、笹塚のメールの内容に、どこか安心する自分がいた。その理由はさっぱりわからないのだが……
そして今日は火曜日。仕事を終えた私たちは、相変わらずゲームの世界を一緒に冒険している。
セーテの街を歩いていくと、ほどなくして港に到着。丁度船が来ていたのでそれに乗りこみ、しばらくすると船が動き出した。
波の効果音に、爽やかなBGM。私はユリネを操作して、コッコちゃんと一緒に甲板に出る。そして釣竿と餌を差し出した。
『これは?』
『ラズナの街まで十五分くらいかかるから、お金稼ぎも兼ねて甲板で釣りでもどうかなって』
甲板から海に向かって釣り糸を垂らすユリネ。すると、隣でコッコちゃんも釣りをはじめた。
『釣りができるなんて面白いな。それに、船から見える景色もどんどん変わっていって綺麗だ』
『でしょ? 飛行船に乗れるようになったら、もっと面白いよ! 空からフィールドが見下ろせてね、絶対感動すると思う。レベル30になったら飛行船クエストができるようになるんだ。頑張ろうね』
『そうだな、楽しみだ』
ぱちゃんと水の撥ねる音がする。釣り糸を引いてみると、イワシだった。……これは、ハズレ。
『ユリは、実際に海とか行くのか?』
『行くわけないじゃん。リアルで海に行っても、何が楽しいのかさっぱりわからないもん』
ラズナの街に船が着くまでもう少し。その間に、一匹くらい高価な魚を釣りたいな。そんなことを考えていると、笹塚からのメッセージが届く。
『リアルな海もいいもんだと思うけどな。そうだユリ、今週の木曜、空いてるか?』
『木曜って、仕事の後だよね。別に、ゲームする以外には何もないけど?』
『じゃあ、ちょっと出かけないか? 俺たちがやってるフットサル、見に来いよ』
フットサル? そういえば、営業部の面々で週に一回フットサルをしているんだっけ。平日の夜にやっていたとは……仕事の後だというのに、元気だな。
私は笹塚たちの体力に感心しつつ、だが断る、とキーボードを叩いた。
『嫌だよ、興味もないし。それに色々と気を遣わないといけないでしょ。皆にお夜食用意したりとかさ』
会社を出た後にまで、お嬢様面はしたくない。
『いや、そんなのいらないよ。コンビニで適当に弁当とか買ってくし』
『それでも、手ぶらってわけにはいかんのですよ! 料理好きって設定があるんだから! そして私は、仕事の後に惣菜屋で購入したおかずを重箱に詰める作業なんてしたくない』
『だから、いらないって。それより俺に弁当作ってくれよ。おにぎりだけでいいから』
え、おにぎり?
なぜに私が笹塚におにぎりを作らねばならないんだ。もしかして、お弁当代を浮かしたいとか? 今月、厳しいのかな。この間、居酒屋で奢ってもらったことを考えると、おにぎりくらい作ったほうがいいのかな……いや、でもやっぱり面倒くさい!
『確かにウチのお米は実家から送ってもらってタダだ。でも、嫌だ!』
『なんでだよ。それにしても、やっぱり実家の米なんだな。ホント羨ましい。俺、米好きだしさ』
そういえば、確かに笹塚はよくお米を食べている。明らかに食べすぎだと思うが。
……そうか。お米好きなのか。米農家の娘としては嬉しい限りだ。お米の需要が年々伸び悩む昨今、笹塚のような人間は貴重である。ここは一つ、米食推進のために一肌脱いでもいいかもしれない。もしかしたら、ウチのお米を気に入って購入してくれるかもしれないし。
『仕方ないな。おにぎりだけでいいなら、作ってもいいよ。あ、でも、こっそり渡すからね?』
普段はお嬢様仕様の手作り弁当なのに、差し入れはおにぎりのみだなんて、格好悪くて誰にも見せられない。
『いいよ。ありがとうな』
『美味しかったら、是非ともウチのお米を買ってください。ネット通販もしております』
『しっかりしてるなー。それじゃ、よろしく』
笹塚は釣り糸を垂らしながら、キャラクターを操作してお辞儀をさせる。
――おにぎりの具は何にしようかな。釣りをしつつ、私はそんなことを考えていた。
◆ ◇ ◆
約束の木曜日は、あっという間にやってきた。定時に会社を出てアパートに帰った私は、朝に炊飯予約をしていた炊飯器をぱかりと開けて、ご飯をかきまぜる。
ふんわりと漂う、ご飯のいい香り。うん、すごく美味しそうだ。
私は料理の腕はからきしだが、おにぎりだけは自信がある。何しろ小学生の頃から実家で握ってきたのだ。はっきりいってプロ並みと言えよう!
ボウルに塩水を張り、三角おにぎりを握る。具は梅干と塩昆布だ。五つできたところで、海苔を巻いてラップで包む。
ふぅ、ミッションコンプリート!
……時計を見ると、まだ七時。フットサルがはじまるのは九時半だと聞いている。考えてみれば、おにぎりを作るのには三十分もかからないのだし、もっと後で握ればよかったかも……
どうしようかな、ちょっとだけパソコンを起動してゲームをしようかな。それとも、別のゲームで暇を潰そうか。
ふと、おにぎりを見る。五つ並んだおにぎり。
さすがに寂しすぎるだろうか? ちょっとしたおかずでも用意するべき?
面倒くさいなあ。こういう、つまらないところで悩んでしまう自分が嫌になる。
仕方がないと、私はスマートフォンを手に取った。そして数少ないアドレス帳を開き、電話をかける。
「もしもし、姉ちゃん?」
『もしもしー、久しぶりねぇ。稲刈り以来だっけ? 元気ぃ? 米、食べてる?』
「お米も食べてるし、おかずも食べてるよ! それより、簡単に作れるお弁当のレシピ教えてくれない? 二品くらい、可及的速やかに」
『は? 由里がお弁当作るの? うわぁ、どうしたの? ――って男か。男しか理由はないわね! そうかぁ、とうとう由里にも男がねぇ、母さーん! 由里がねぇ~、とうとう――』
「待って! 母さんにバレたら、絶対話が長くなるからやめて!」
姉は、婿入りしてくれた旦那さんと一緒に、両親と同居している。
電話の向こうから『何なに、由里ちゃんがどうしたの~』と母の声が聞こえてきて、恐々とした。母は話が長い上に、根掘り葉掘り聞いてくるから、時間がない時は非常に困るのだ。
『ごめん母さん、後で話すよ~。んじゃ、さっそく由里にお弁当レシピを伝授してあげましょう。スタンダードに、卵焼きとアスパラベーコン巻きでいいかな? 簡単だし、早く作れるよ~』
「なるほど、簡単で早く作れるのは素晴らしいね。ちょっと待って、メモメモ……っと、はい、どうぞ!」
その後、私は姉から卵焼きとアスパラベーコンの作り方を教えてもらい、材料を買うべくスーパーへ走った。どちらも、すごく簡単なレシピだった。要は巻けばいいのだ、巻けば。こんな簡単なものでも料理と言えるのなら、もっと早くに作っておけばよかった。何しろ、惣菜屋で卵焼きを買うと三切れで九十円もする。割高だ。これからは、卵焼きくらい手作りしようと思いながら、卵とアスパラ、ベーコンを購入した。
そして――
いつの間にか、時計の針が八時四十分を指している。そろそろ出なければ、約束の時間に間に合わない。
だが、しかし!
私はタッパーを前に、葛藤していた。これを持っていくべきか、いかざるべきか。ちなみに、出来については聞かないでほしい。
やがて私は覚悟を決め、おかずが入ったタッパーとおにぎり五つをハンカチで包み、トートバッグに詰めこんだ。……もういい。笑いたければ笑えばいい。そしてこれに懲りたら、私にお弁当など頼んでくれるな!
アパートを出て鍵をかけ、駅に向かって夜道を走る。それから電車に乗って数駅。改札を出ると、切符売り場の前で笹塚が待っていた。いつものスーツに黒いハーフコート、肩がけのスポーツバッグ。笹塚は私を見つけると、「よっ」と手を上げた。
「お疲れ」
「笹塚さんも、お仕事お疲れ様。――ところで、誰にも見られなかった!?」
さながらスパイ映画のように壁に張りついてきょろきょろする私に、笹塚は不思議そうな顔をしている。しかし、すぐに「ああ」と手を打った。
「安心しろ。俺以外のメンバーは、先に行ってるから」
「よかった……。じゃあこれ、おにぎりと……その他。開けて驚愕するがいい」
感動とは一八〇度違う方向で、驚くがいい! 自分でもびっくりだからね。
笹塚は嬉しそうな顔をして私から包みを受け取る。……そんなにウチのお米が食べたかったのかな? ありがたい話だ。
「ありがとうな。じゃ、行こうか」
肩に手を置かれて、ビクッと体が震えた。思わず笹塚を見上げてしまう。
奴は首を傾げて、「どうした?」と声をかけてくる。
どうしたも何も……か、肩に、手が置かれているのですが……。さらには、ちょっと抱き寄せられた気もするんですが……。これはどうツッコめばいいんだろう。笹塚にとってはなんでもないことなのだろうか。笹塚流のスキンシップってこと? 私が意識しすぎ?
フットサルができるというスポーツクラブに向かうまでの間、私の思考はずっとグルグル回っていた。笹塚の手をどけることもできず、気がつけば、もう目的地に到着だ。
挙動不審な感じで立ち止まった私に、笹塚は顔を近づけてくる。そして――
「じゃあ、また後でな、由里」
耳元で囁かれ、顔がカァッと熱くなった。
「ち、近いですっ……。そ、それに笹塚さん、私のこと、呼び捨てにしました!? しかも名前で!」
「あー、ネットでの呼び方がクセになったのかな? じゃあ俺、ロッカーに行くから。由里はコートのほうに行ってろよ」
ポンと私の背中を叩き、すたすたとスポーツクラブに入っていく笹塚。私は呆然とする。開いた口が塞がらないとは、このことを言うのだろうか。
「ネットでの呼び方って……そもそも、ユリネなのに……」
私は一人呟き、笹塚の背中を見送ったのだった。
フットサル専用のコートに入ると、コートを囲む金網の外側に、女性が何人か集まっているのが見えた。
あれは……うちの会社の女子社員たち? 嘘、あんなに見学に来てるの?
お嬢様スマイルは、時間が経てば経つほどボロが出やすい。気をつけないと。
ぐっと頬の筋肉を動かして笑みを作り、皆のほうへ近づく。すると向こうも私に気づいたらしく、手を振ってくれた。
「あれー、羽坂さんだ。珍しいね~」
「こんばんは。見学に来ないかって誘われて、見に来てみたんです。皆さんは毎週来てるんですか?」
「うん! だって高畠さんがいるんだもん! そりゃあ見るよね~」
女子社員たちが頷き合う。なるほど、よくよく見ると、総務の人ばかりだ。
高畠さんは美形で、会社でも大人気である。フットサルはてっきり営業部だけでやっているのかと思っていたけど、総務部も参加しているのか。
「もしかして、営業部や総務部の他にも、色んな人が参加してるんですか?」
「うん。工場勤務の人とか、製造部の人とか。時々、社長も参加してるし」
えっ、社長まで!? それはもはや、社内イベントでは?
よくよく見ると、コートには各部署でも人気の男性社員たちの姿がある。もしかしたら、皆、目の保養も兼ねて応援に来ているのかもしれない。
「あら、羽坂さんじゃないですか。こんばんは」
振り返ると、そこには水沢さんが立っていた。手には大きなバッグを持っている。
「こんばんは。水沢さんも来ていたんですね。誰かの応援ですか?」
「え、ううん。その、前にも営業さんに誘われて……試合を見てみたら面白いし、それからはなんとなく見に来てるの。羽坂さんこそ、どうしたの?」
「私も、今日は営業さんに誘われたんです。フットサルって、サッカーとは違うんでしょうか?」
「サッカーの縮小版みたいな感じですね。ただ、フットサルは勝負が早くつくから、見ていて楽しいですよ」
へぇ、と相槌を打ちながらコートに目を向ける。確かに、サッカーのコートよりずっと狭い印象だ。
それにしても、スノボといいフットサルといい、水沢さんはスポーツが好きなのかな? やるのも見るのも好きだなんて、私とは真逆だな。
しばらく皆と話していると、やがて試合がはじまった。営業・総務・製造チームと、工場チームに分かれて戦うようだ。
黒いジャージ姿の笹塚は、意外なほど活躍していた。サッカーすらほとんど見ない私にはよくわからないが、きっとうまい部類に入るのだろう。
自然と笹塚の姿を目で追っていることに気づき、慌てて他の人にも目を向ける。
周りにいる女子社員たちは、高畠さんに声援を送っている人が多かった。一方、工場チームを応援している皆さんも、目当ての男性社員を応援しているみたいだ。ちなみに、笹塚への声援はほとんど聞こえない。よかった。
……ん? あれ、何が『よかった』のだろう?
やがて勝負は営業・総務・製造チームの勝利で終わり、男性陣がこちらにやってきた。
「高畠さん、お疲れ様です~!」
「これ、よかったらどうぞ~。皆さんも召し上がってくださいね」
なんだろう。まるで少女漫画みたいだ。女子社員の皆さんは手作り弁当をベンチに並べ、目当ての男性にタオルを渡しつつ、他の男性陣にもお弁当をすすめている。
……こんなことを毎週やっているのか。すごいな。
私はそのノリについていけず、少し離れた場所に座る。笹塚は、お弁当の並ぶベンチの脇に座っていて……あ! 私の渡した包みを開けようとしてる! やばい!!
「あれ? 笹塚、弁当用意してきたの?」
ツッコんでくれるな、園部さん! 笹塚はいないものとして、放っておいてあげて!
……本当に計算外だった。こんなに女子社員たちが来ていて、気合いも充分なお弁当を用意しているなんて――知っていたら、ちゃんとしたお弁当を用意したのに。惣菜屋でおかずを買って重箱に詰めて……いや、そもそも断っていたかも。そうだよ、来なければよかったんだ!
私は殺意のこもった目を笹塚に向ける。一方の笹塚は、何が嬉しいのか笑顔で「まあな」と返事をし、包みを開けてしまった。そこには、五つのおにぎりと小さなタッパー。
周りにいる人たちも、笹塚の膝に置かれているそれを覗きこむ。なぜだ。高畠さんも見ないでくださいお願いだから! あなたが見ると、他の女子社員たちもつられて見ちゃうんです!
「な、なんか笹塚さんのお弁当……シンプルだね」
「あの、笹塚さん。よかったらこっちもどうぞ? おにぎりだけじゃ、おかずが足りないでしょう?」
色々と見かねた水沢さんが、バッグから重箱を取り出して笹塚にすすめる。その大きなバッグには、そんなものが入っていたのか。つくづく失敗した。もしかして、ちゃんとしたお弁当を用意してないのって私だけ? 笹塚め、何が『コンビニで適当に弁当とか買ってくし』だ! 男性陣は皆、手ぶらじゃないか! そりゃ、こんなにお弁当を並べられたら買う気にもならんわ!
笹塚は水沢さんに礼を言いながらも、タッパーを開けた。ああ、よりにもよって水沢さんの前でそれを開けるなんて……。せめてもの救いは、あれを作ったのが私だとバレていないことか。
「……え、それ、おか……ず?」
「ちょ、笹塚。それホント、誰が作ったの!? どう見ても酷い出来なんだけど。もしかして自作?」
「なわけないだろ。作ってもらったんだよ」
笹塚の返事に周囲がざわめく。私は、顔を手で覆ってしまった。もう見ていられない。恥ずかしい。
タッパーの中身は、卵焼きとアスパラのベーコン巻きだ。でも、卵液がフライパンの底にくっついてうまく巻くことができず、形の悪いスクランブルエッグと化してしまった。アスパラのベーコン巻きも酷い。ベーコンだけじゃなく、アスパラもカリカリだ。というか焦げているし、カリカリになりすぎたベーコンじゃ、アスパラは巻けなかった。
そう、確かにあれは酷い出来だ。巻くだけなんて簡単なお仕事だと思っていた自分を、ラリアットしてやりたい。
「ふふ、でも、なんだか一生懸命作ったって感じがしますね。微笑ましいというか」
そんなフォローいらないです、高畠さん!
笹塚は「そうだろ?」と言って、卵焼きのようなモノを箸でつかみ……いや、掬って口に入れた。ちなみに爆笑一歩手前みたいな表情をしていて、非常に憎たらしい。
「お、味はいい。美味いな」
「マジで!? 見てくれ酷すぎるのに味はいいって、なんだよそれ。一個くれよ」
「やるわけねえだろ。これは俺の弁当」
園部さんの箸をペシッと叩き、笹塚はおにぎりのラップを剥がしてぱくぱく食べはじめる。
……味がいいのは当たり前だ。味付けだけは、ちゃんと姉ちゃんのレシピ通りにしたんだから。
俯いていると、足元に影が差した。顔を上げれば、水沢さんが立っている。そして「よかったら、いかがですか?」と重箱を差し出してくれた。
色とりどりのおかずは、どれも美味しそうだ。水沢さんは、なんでもできるんだなぁ。
……あれ? このおかず――いや、気のせいかな。
私は、水沢さんの重箱から出汁巻き卵をいただく。彼女は私の隣に腰かけておにぎりを食べつつ、「笹塚さんのお弁当、誰が作ったのかな」と呟いた。「さぁ……」と首を傾げてお茶を濁しておく。もう、すべての記憶を空の彼方に葬り去りたい。二度とお弁当なんぞ作るものかと心に誓ったのだった。
「ホントに何も作れねえの? 料理」
「うん」
「まじで? 何一つ?」
「しつこいな。……おにぎりくらいなら作れるけど」
「ああ、おにぎりね。羽坂の家が米農家だからか?」
「それは関係ないと思うけど。でも田植えや稲刈りは手伝いに行くから、その時におにぎりをいっぱい作ってる」
繁忙期は、家族総出で働くのが我が家のしきたりだ。両親や姉夫婦はもちろん、じいちゃん、ばあちゃん、おじさん、おばさんも手伝う。だから昼食に、大量のおにぎりとおかずを作るのだ。おかずは母さんと姉ちゃんが作るけど、おにぎりは私が作る。
笹塚は「なるほどなー」と相槌を打って、味噌汁に口をつけた。……もうおにぎりを三つ食べたらしい。私はまだお弁当の半分が残っているというのに。
しかし、こうして笹塚と話してると、さすがに周りが気になってくる。素の口調がバレそうでヒヤヒヤだ。
「笹塚さん。会社ではあまり私に話しかけないでくれないかな? 仕事の話は除くけど」
「なんでだよ。昼飯食ってる時くらいはいいだろ」
「笹塚さんがよくても、私はよくない。私たちの会話が聞こえて、お嬢様が実は根暗ゲーマーだってバレたらどうしてくれるんだ」
すると笹塚は「はぁ?」と呆れたような顔をした。そして何か考えこむような表情を浮かべ、菓子パンの袋をぴりぴり開けながらぼそりと呟いた。
「……お前は別に根暗じゃねえよ。ゲーマーなことは否定しねえけど」
「へ?」
何を言っているんだ。私が根暗じゃない? どこが?
首を傾げていると、笹塚は言葉を続けた。
「根暗っていうのはな、文字通り根が暗いってことだ。だが、お前は別に暗い性格でもなければネガティブでもないだろ。だからもう、自分のことを根暗って言うな」
「……夜ごとパソコンやテレビに向かって黙々とゲームしてる私は、充分暗いと思うんだけど」
「それなら俺だってそうだろ。夜はいつも、お前とゲームしてるじゃん」
「そ、それはそうだけど。休みの日だって、一日中ゲームしてるもん。あと、面白いことがあったら『グフフ』って笑っちゃうし。パソコンの前で一人グフグフ笑うのは、我ながら絶対暗いと思う」
「……それはお前が変なだけであって、暗いわけじゃない。俺だって、一人でテレビ見て笑ってるよ。それは暗いのか?」
変なだけって、失礼だな。……否定できないけど。
それはさておき、テレビを見て笑うことは、確かに暗いわけじゃないと思う。ということは――
「私は……根暗じゃなかったのか」
「ああ。おかしな奴ではあるけどな」
「……それは褒め言葉じゃないよね? 怒っていいとこだよね?」
「真実だろ。だから怒る必要はない。褒め言葉じゃないことは確かだけどな」
笹塚は私を見てニッと笑う。
……なぜか顔がカァッと熱くなった。なんで? え、まさかこれ、私、照れちゃってるの?
どうしよう、すごく居たたまれない。話題を変えるべきだ。何を話そう……ってああ、思いつくのはゲームの話題しかない!
「あれだ! えっと、そう、レベル15!」
「は?」
「レ、レベル15になったら、馬に乗れるクエストができるの。そ、それで、そのクエストはちょっと時間かかるから、今度の休みにでもやらない!?」
「今度の休み? あー、土曜ならいいけど日曜は……」
言葉を濁す笹塚。そこでハタと思い出す。そういえばさっき、水沢さんが笹塚と出かけると言っていた。
「私、今週の休みはずっと家にいるつもりだし、土曜日でいいよ。日曜日は水沢さんと二人でボードを見に行くんでしょ?」
「……なんで知ってるんだ? って、水沢が言ったのか」
「うん。今年もスノボに行くから、ボードを買おうかなって」
するとなぜか笹塚は黙ってしまい、パクパクと菓子パンを食べた。すごい、あれだけ大きくて細長いパンを三口で食べた。口の中、パサパサにならないのかな?
笹塚はゆっくりお茶を飲むと、湯呑みをテーブルに置く。
「……二人じゃねえよ」
「ん?」
「だから、水沢と二人で行くわけじゃねえよ。皆でボードを見に行くんだ。他にも園部とか総務の高畠とか……高畠目当てに事務の子とか、色々来る」
「そうなんだ」
「そうだよ」
結局、笹塚は何が言いたいんだろう?
『俺、会社に友達いっぱいいるリア充なんだぜ』って自慢してるのかな? ちなみに私は、会社の人と出かけたことなど皆無である。当たり前だけど。
「いいね、友達多くて」
「……いや、言いたいのはそうじゃくて……まぁ、いいや。そういうことだから。勘違いするなよ」
「勘違い? 何を勘違いするのかも、さっぱりわからないよ。実は友達が少ないとか?」
「ちげえよ。友達の多い少ないから離れろ。……ハァ、もういい」
言いたいことがあるなら言えばいいのに。なんで呆れたようなため息なんかつくんだ? ちょっと悔しい!
それから笹塚、前から思っていたけど、大食漢を超えて食べすぎだ! 炭水化物を取りすぎだ!
◆ ◇ ◆
――賑やかな街から馬に乗ってしばらく走れば、海の見える街が見えてくる。少し寂れた雰囲気のある、のどかな漁村だ。
これは、もちろんゲームの世界の話。私はユリネを操作して馬から降りると、後ろからついてきたコッコちゃんも同じように馬を降りた。
『ここがセーテの街?』
チャット画面に表示された、笹塚からのメッセージ。私はキーボードを叩いた。
『そう。街から定期船が出てるんだよ。それに乗って、次はラズナの街に行こう』
先日の土曜日、晴れてレベル15になった私たちは乗馬クエストを終わらせた。……ちなみに、日曜日についてどうなったのか知らない私は、月曜日にロッカールームで水沢さんが楽しそうにスノーボードの話をしているのを聞いた時、なぜか胸がざわざわして、すぐに事務所に向かってしまった。
昼休みにそれとなく笹塚にメールしてみたら、早々に返事が来た。
どうやら日曜日は、水沢さんに園部さん、総務の高畠さんと事務の人たち、さらには製造部からも何人か来たようで、繁華街のスポーツショップに行って買い物をしたらしい。笹塚からのメールには、『興味があるなら一緒に来ればよかったのに』と書かれていた。
別に興味はない。スノーボードなんてやりたいとも思わないし。ただ、笹塚のメールの内容に、どこか安心する自分がいた。その理由はさっぱりわからないのだが……
そして今日は火曜日。仕事を終えた私たちは、相変わらずゲームの世界を一緒に冒険している。
セーテの街を歩いていくと、ほどなくして港に到着。丁度船が来ていたのでそれに乗りこみ、しばらくすると船が動き出した。
波の効果音に、爽やかなBGM。私はユリネを操作して、コッコちゃんと一緒に甲板に出る。そして釣竿と餌を差し出した。
『これは?』
『ラズナの街まで十五分くらいかかるから、お金稼ぎも兼ねて甲板で釣りでもどうかなって』
甲板から海に向かって釣り糸を垂らすユリネ。すると、隣でコッコちゃんも釣りをはじめた。
『釣りができるなんて面白いな。それに、船から見える景色もどんどん変わっていって綺麗だ』
『でしょ? 飛行船に乗れるようになったら、もっと面白いよ! 空からフィールドが見下ろせてね、絶対感動すると思う。レベル30になったら飛行船クエストができるようになるんだ。頑張ろうね』
『そうだな、楽しみだ』
ぱちゃんと水の撥ねる音がする。釣り糸を引いてみると、イワシだった。……これは、ハズレ。
『ユリは、実際に海とか行くのか?』
『行くわけないじゃん。リアルで海に行っても、何が楽しいのかさっぱりわからないもん』
ラズナの街に船が着くまでもう少し。その間に、一匹くらい高価な魚を釣りたいな。そんなことを考えていると、笹塚からのメッセージが届く。
『リアルな海もいいもんだと思うけどな。そうだユリ、今週の木曜、空いてるか?』
『木曜って、仕事の後だよね。別に、ゲームする以外には何もないけど?』
『じゃあ、ちょっと出かけないか? 俺たちがやってるフットサル、見に来いよ』
フットサル? そういえば、営業部の面々で週に一回フットサルをしているんだっけ。平日の夜にやっていたとは……仕事の後だというのに、元気だな。
私は笹塚たちの体力に感心しつつ、だが断る、とキーボードを叩いた。
『嫌だよ、興味もないし。それに色々と気を遣わないといけないでしょ。皆にお夜食用意したりとかさ』
会社を出た後にまで、お嬢様面はしたくない。
『いや、そんなのいらないよ。コンビニで適当に弁当とか買ってくし』
『それでも、手ぶらってわけにはいかんのですよ! 料理好きって設定があるんだから! そして私は、仕事の後に惣菜屋で購入したおかずを重箱に詰める作業なんてしたくない』
『だから、いらないって。それより俺に弁当作ってくれよ。おにぎりだけでいいから』
え、おにぎり?
なぜに私が笹塚におにぎりを作らねばならないんだ。もしかして、お弁当代を浮かしたいとか? 今月、厳しいのかな。この間、居酒屋で奢ってもらったことを考えると、おにぎりくらい作ったほうがいいのかな……いや、でもやっぱり面倒くさい!
『確かにウチのお米は実家から送ってもらってタダだ。でも、嫌だ!』
『なんでだよ。それにしても、やっぱり実家の米なんだな。ホント羨ましい。俺、米好きだしさ』
そういえば、確かに笹塚はよくお米を食べている。明らかに食べすぎだと思うが。
……そうか。お米好きなのか。米農家の娘としては嬉しい限りだ。お米の需要が年々伸び悩む昨今、笹塚のような人間は貴重である。ここは一つ、米食推進のために一肌脱いでもいいかもしれない。もしかしたら、ウチのお米を気に入って購入してくれるかもしれないし。
『仕方ないな。おにぎりだけでいいなら、作ってもいいよ。あ、でも、こっそり渡すからね?』
普段はお嬢様仕様の手作り弁当なのに、差し入れはおにぎりのみだなんて、格好悪くて誰にも見せられない。
『いいよ。ありがとうな』
『美味しかったら、是非ともウチのお米を買ってください。ネット通販もしております』
『しっかりしてるなー。それじゃ、よろしく』
笹塚は釣り糸を垂らしながら、キャラクターを操作してお辞儀をさせる。
――おにぎりの具は何にしようかな。釣りをしつつ、私はそんなことを考えていた。
◆ ◇ ◆
約束の木曜日は、あっという間にやってきた。定時に会社を出てアパートに帰った私は、朝に炊飯予約をしていた炊飯器をぱかりと開けて、ご飯をかきまぜる。
ふんわりと漂う、ご飯のいい香り。うん、すごく美味しそうだ。
私は料理の腕はからきしだが、おにぎりだけは自信がある。何しろ小学生の頃から実家で握ってきたのだ。はっきりいってプロ並みと言えよう!
ボウルに塩水を張り、三角おにぎりを握る。具は梅干と塩昆布だ。五つできたところで、海苔を巻いてラップで包む。
ふぅ、ミッションコンプリート!
……時計を見ると、まだ七時。フットサルがはじまるのは九時半だと聞いている。考えてみれば、おにぎりを作るのには三十分もかからないのだし、もっと後で握ればよかったかも……
どうしようかな、ちょっとだけパソコンを起動してゲームをしようかな。それとも、別のゲームで暇を潰そうか。
ふと、おにぎりを見る。五つ並んだおにぎり。
さすがに寂しすぎるだろうか? ちょっとしたおかずでも用意するべき?
面倒くさいなあ。こういう、つまらないところで悩んでしまう自分が嫌になる。
仕方がないと、私はスマートフォンを手に取った。そして数少ないアドレス帳を開き、電話をかける。
「もしもし、姉ちゃん?」
『もしもしー、久しぶりねぇ。稲刈り以来だっけ? 元気ぃ? 米、食べてる?』
「お米も食べてるし、おかずも食べてるよ! それより、簡単に作れるお弁当のレシピ教えてくれない? 二品くらい、可及的速やかに」
『は? 由里がお弁当作るの? うわぁ、どうしたの? ――って男か。男しか理由はないわね! そうかぁ、とうとう由里にも男がねぇ、母さーん! 由里がねぇ~、とうとう――』
「待って! 母さんにバレたら、絶対話が長くなるからやめて!」
姉は、婿入りしてくれた旦那さんと一緒に、両親と同居している。
電話の向こうから『何なに、由里ちゃんがどうしたの~』と母の声が聞こえてきて、恐々とした。母は話が長い上に、根掘り葉掘り聞いてくるから、時間がない時は非常に困るのだ。
『ごめん母さん、後で話すよ~。んじゃ、さっそく由里にお弁当レシピを伝授してあげましょう。スタンダードに、卵焼きとアスパラベーコン巻きでいいかな? 簡単だし、早く作れるよ~』
「なるほど、簡単で早く作れるのは素晴らしいね。ちょっと待って、メモメモ……っと、はい、どうぞ!」
その後、私は姉から卵焼きとアスパラベーコンの作り方を教えてもらい、材料を買うべくスーパーへ走った。どちらも、すごく簡単なレシピだった。要は巻けばいいのだ、巻けば。こんな簡単なものでも料理と言えるのなら、もっと早くに作っておけばよかった。何しろ、惣菜屋で卵焼きを買うと三切れで九十円もする。割高だ。これからは、卵焼きくらい手作りしようと思いながら、卵とアスパラ、ベーコンを購入した。
そして――
いつの間にか、時計の針が八時四十分を指している。そろそろ出なければ、約束の時間に間に合わない。
だが、しかし!
私はタッパーを前に、葛藤していた。これを持っていくべきか、いかざるべきか。ちなみに、出来については聞かないでほしい。
やがて私は覚悟を決め、おかずが入ったタッパーとおにぎり五つをハンカチで包み、トートバッグに詰めこんだ。……もういい。笑いたければ笑えばいい。そしてこれに懲りたら、私にお弁当など頼んでくれるな!
アパートを出て鍵をかけ、駅に向かって夜道を走る。それから電車に乗って数駅。改札を出ると、切符売り場の前で笹塚が待っていた。いつものスーツに黒いハーフコート、肩がけのスポーツバッグ。笹塚は私を見つけると、「よっ」と手を上げた。
「お疲れ」
「笹塚さんも、お仕事お疲れ様。――ところで、誰にも見られなかった!?」
さながらスパイ映画のように壁に張りついてきょろきょろする私に、笹塚は不思議そうな顔をしている。しかし、すぐに「ああ」と手を打った。
「安心しろ。俺以外のメンバーは、先に行ってるから」
「よかった……。じゃあこれ、おにぎりと……その他。開けて驚愕するがいい」
感動とは一八〇度違う方向で、驚くがいい! 自分でもびっくりだからね。
笹塚は嬉しそうな顔をして私から包みを受け取る。……そんなにウチのお米が食べたかったのかな? ありがたい話だ。
「ありがとうな。じゃ、行こうか」
肩に手を置かれて、ビクッと体が震えた。思わず笹塚を見上げてしまう。
奴は首を傾げて、「どうした?」と声をかけてくる。
どうしたも何も……か、肩に、手が置かれているのですが……。さらには、ちょっと抱き寄せられた気もするんですが……。これはどうツッコめばいいんだろう。笹塚にとってはなんでもないことなのだろうか。笹塚流のスキンシップってこと? 私が意識しすぎ?
フットサルができるというスポーツクラブに向かうまでの間、私の思考はずっとグルグル回っていた。笹塚の手をどけることもできず、気がつけば、もう目的地に到着だ。
挙動不審な感じで立ち止まった私に、笹塚は顔を近づけてくる。そして――
「じゃあ、また後でな、由里」
耳元で囁かれ、顔がカァッと熱くなった。
「ち、近いですっ……。そ、それに笹塚さん、私のこと、呼び捨てにしました!? しかも名前で!」
「あー、ネットでの呼び方がクセになったのかな? じゃあ俺、ロッカーに行くから。由里はコートのほうに行ってろよ」
ポンと私の背中を叩き、すたすたとスポーツクラブに入っていく笹塚。私は呆然とする。開いた口が塞がらないとは、このことを言うのだろうか。
「ネットでの呼び方って……そもそも、ユリネなのに……」
私は一人呟き、笹塚の背中を見送ったのだった。
フットサル専用のコートに入ると、コートを囲む金網の外側に、女性が何人か集まっているのが見えた。
あれは……うちの会社の女子社員たち? 嘘、あんなに見学に来てるの?
お嬢様スマイルは、時間が経てば経つほどボロが出やすい。気をつけないと。
ぐっと頬の筋肉を動かして笑みを作り、皆のほうへ近づく。すると向こうも私に気づいたらしく、手を振ってくれた。
「あれー、羽坂さんだ。珍しいね~」
「こんばんは。見学に来ないかって誘われて、見に来てみたんです。皆さんは毎週来てるんですか?」
「うん! だって高畠さんがいるんだもん! そりゃあ見るよね~」
女子社員たちが頷き合う。なるほど、よくよく見ると、総務の人ばかりだ。
高畠さんは美形で、会社でも大人気である。フットサルはてっきり営業部だけでやっているのかと思っていたけど、総務部も参加しているのか。
「もしかして、営業部や総務部の他にも、色んな人が参加してるんですか?」
「うん。工場勤務の人とか、製造部の人とか。時々、社長も参加してるし」
えっ、社長まで!? それはもはや、社内イベントでは?
よくよく見ると、コートには各部署でも人気の男性社員たちの姿がある。もしかしたら、皆、目の保養も兼ねて応援に来ているのかもしれない。
「あら、羽坂さんじゃないですか。こんばんは」
振り返ると、そこには水沢さんが立っていた。手には大きなバッグを持っている。
「こんばんは。水沢さんも来ていたんですね。誰かの応援ですか?」
「え、ううん。その、前にも営業さんに誘われて……試合を見てみたら面白いし、それからはなんとなく見に来てるの。羽坂さんこそ、どうしたの?」
「私も、今日は営業さんに誘われたんです。フットサルって、サッカーとは違うんでしょうか?」
「サッカーの縮小版みたいな感じですね。ただ、フットサルは勝負が早くつくから、見ていて楽しいですよ」
へぇ、と相槌を打ちながらコートに目を向ける。確かに、サッカーのコートよりずっと狭い印象だ。
それにしても、スノボといいフットサルといい、水沢さんはスポーツが好きなのかな? やるのも見るのも好きだなんて、私とは真逆だな。
しばらく皆と話していると、やがて試合がはじまった。営業・総務・製造チームと、工場チームに分かれて戦うようだ。
黒いジャージ姿の笹塚は、意外なほど活躍していた。サッカーすらほとんど見ない私にはよくわからないが、きっとうまい部類に入るのだろう。
自然と笹塚の姿を目で追っていることに気づき、慌てて他の人にも目を向ける。
周りにいる女子社員たちは、高畠さんに声援を送っている人が多かった。一方、工場チームを応援している皆さんも、目当ての男性社員を応援しているみたいだ。ちなみに、笹塚への声援はほとんど聞こえない。よかった。
……ん? あれ、何が『よかった』のだろう?
やがて勝負は営業・総務・製造チームの勝利で終わり、男性陣がこちらにやってきた。
「高畠さん、お疲れ様です~!」
「これ、よかったらどうぞ~。皆さんも召し上がってくださいね」
なんだろう。まるで少女漫画みたいだ。女子社員の皆さんは手作り弁当をベンチに並べ、目当ての男性にタオルを渡しつつ、他の男性陣にもお弁当をすすめている。
……こんなことを毎週やっているのか。すごいな。
私はそのノリについていけず、少し離れた場所に座る。笹塚は、お弁当の並ぶベンチの脇に座っていて……あ! 私の渡した包みを開けようとしてる! やばい!!
「あれ? 笹塚、弁当用意してきたの?」
ツッコんでくれるな、園部さん! 笹塚はいないものとして、放っておいてあげて!
……本当に計算外だった。こんなに女子社員たちが来ていて、気合いも充分なお弁当を用意しているなんて――知っていたら、ちゃんとしたお弁当を用意したのに。惣菜屋でおかずを買って重箱に詰めて……いや、そもそも断っていたかも。そうだよ、来なければよかったんだ!
私は殺意のこもった目を笹塚に向ける。一方の笹塚は、何が嬉しいのか笑顔で「まあな」と返事をし、包みを開けてしまった。そこには、五つのおにぎりと小さなタッパー。
周りにいる人たちも、笹塚の膝に置かれているそれを覗きこむ。なぜだ。高畠さんも見ないでくださいお願いだから! あなたが見ると、他の女子社員たちもつられて見ちゃうんです!
「な、なんか笹塚さんのお弁当……シンプルだね」
「あの、笹塚さん。よかったらこっちもどうぞ? おにぎりだけじゃ、おかずが足りないでしょう?」
色々と見かねた水沢さんが、バッグから重箱を取り出して笹塚にすすめる。その大きなバッグには、そんなものが入っていたのか。つくづく失敗した。もしかして、ちゃんとしたお弁当を用意してないのって私だけ? 笹塚め、何が『コンビニで適当に弁当とか買ってくし』だ! 男性陣は皆、手ぶらじゃないか! そりゃ、こんなにお弁当を並べられたら買う気にもならんわ!
笹塚は水沢さんに礼を言いながらも、タッパーを開けた。ああ、よりにもよって水沢さんの前でそれを開けるなんて……。せめてもの救いは、あれを作ったのが私だとバレていないことか。
「……え、それ、おか……ず?」
「ちょ、笹塚。それホント、誰が作ったの!? どう見ても酷い出来なんだけど。もしかして自作?」
「なわけないだろ。作ってもらったんだよ」
笹塚の返事に周囲がざわめく。私は、顔を手で覆ってしまった。もう見ていられない。恥ずかしい。
タッパーの中身は、卵焼きとアスパラのベーコン巻きだ。でも、卵液がフライパンの底にくっついてうまく巻くことができず、形の悪いスクランブルエッグと化してしまった。アスパラのベーコン巻きも酷い。ベーコンだけじゃなく、アスパラもカリカリだ。というか焦げているし、カリカリになりすぎたベーコンじゃ、アスパラは巻けなかった。
そう、確かにあれは酷い出来だ。巻くだけなんて簡単なお仕事だと思っていた自分を、ラリアットしてやりたい。
「ふふ、でも、なんだか一生懸命作ったって感じがしますね。微笑ましいというか」
そんなフォローいらないです、高畠さん!
笹塚は「そうだろ?」と言って、卵焼きのようなモノを箸でつかみ……いや、掬って口に入れた。ちなみに爆笑一歩手前みたいな表情をしていて、非常に憎たらしい。
「お、味はいい。美味いな」
「マジで!? 見てくれ酷すぎるのに味はいいって、なんだよそれ。一個くれよ」
「やるわけねえだろ。これは俺の弁当」
園部さんの箸をペシッと叩き、笹塚はおにぎりのラップを剥がしてぱくぱく食べはじめる。
……味がいいのは当たり前だ。味付けだけは、ちゃんと姉ちゃんのレシピ通りにしたんだから。
俯いていると、足元に影が差した。顔を上げれば、水沢さんが立っている。そして「よかったら、いかがですか?」と重箱を差し出してくれた。
色とりどりのおかずは、どれも美味しそうだ。水沢さんは、なんでもできるんだなぁ。
……あれ? このおかず――いや、気のせいかな。
私は、水沢さんの重箱から出汁巻き卵をいただく。彼女は私の隣に腰かけておにぎりを食べつつ、「笹塚さんのお弁当、誰が作ったのかな」と呟いた。「さぁ……」と首を傾げてお茶を濁しておく。もう、すべての記憶を空の彼方に葬り去りたい。二度とお弁当なんぞ作るものかと心に誓ったのだった。
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