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1巻
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しおりを挟む ――終業後、私はイライラしながらネットカフェの前に立っていた。
なぜかというと、今日の夕方、ある付箋の貼られた発注書を受け取ったからだ。付箋に書かれていたのは、『十九時、昨日のネットカフェ前』というメッセージ。もちろん、これを渡してきたのは笹塚である。
我が社の終業時間は十七時半なので、待ち合わせの時間までは一時間半もある。秋も深まった夜はさすがに寒く、外で待つのは苦行すぎると、近くのカフェで時間を潰した。……ものすごく暇だった。そんな時間があるなら、ゲームをしていたい。
そして十九時を過ぎた今、私はこうしてネットカフェの前で奴を待っているのだが――
笹塚はなかなかやってこない。
というか寒い。くそ、付箋なんて見なかったことにしてさっさと帰ればよかった! そもそも、どうして私は一時間半も奴のことを待っているんだ!!
……いや、私は怯えているんだ。
根暗なゲーマーであることがバレてしまったから。この約束をすっぽかすことで、笹塚に手のひらを返されないか恐れているんだ。
つまり弱み! 弱みを握られているも同然! なんということだ!
「おー、羽坂。待たせてすまんな。ミーティングが――」
私はようやく現れた笹塚に、勢いよく詰め寄る。
「後生だ、笹塚さん! なんとか六千円で手を打ってください! 来月、必ず払うから!」
「はぁ? だから金なんていらねえって何度も――」
「クッ、金じゃなびかないか! じゃあお米! うちのお米をあげるから、昨日のことはすっぱり忘れて、私のことは放っておいてください! バラさないでください! お願いします頼みます!」
私の必死の懇願に、なぜか笹塚はものすごく不満げな顔をした。
「金も米もいらないし、バラさねえって言ってるだろ。信じろよ」
「うう、じゃあどうしてこんなふうに呼び出したんですか? 一時間半も待たせて……その上、お米もいらないとか……うちのお米はすごいんですよ! お米への価値観が変わること間違いなしなのに!」
「コメコメうるさいな。待たせたのは悪かったよ。週一のミーティングが長引いてな。あと、呼び出した理由はコレだよ」
そう言って笹塚がポケットから取り出したのは、IDとパスワードの書かれたメモ用紙。
……そういえば、昨日、キャラクターを見せてってせがんだんだっけ。
「わざわざ持ってきたんですか? 律儀ですね……」
「まぁ、俺だけ羽坂のキャラクターを見るのもな。お前ほどレベルは上げてねえけど」
「私のキャラクターレベルはなんというか……廃人の域なんで」
「なんでそこで照れ顔なんだよ」
ぺしっと頭にチョップされた。軽く痛い! 今のはツッコミか!
「先にキャラクター見せてもいいけど、ネカフェはろくな食い物ないし、先に何か食いに行こうぜ」
「私はネカフェのカップ麺でいいです。月末だからお金がないんです」
「奢ってやるよ」
ななな、なんというブルジョア発言。私もかるーく『奢ってやるよ』なんて言って不敵に笑ってみたい。でも現実は厳しい。今の私は、悲しいかなお金がない。
「いいんですか? 笹塚さん、ありがとうございます! 嬉しいです!」
「……その『お嬢様面』やめろよ。素を知った後で会社のお前見ると、鳥肌立って仕方なかったぞ」
「失礼ですね。笹塚さん、私、焼肉食べたいです」
「俺は焼き鳥が食いたい。だから居酒屋」
そう言って、笹塚はスタスタと歩きはじめる。奴の足は長く、歩幅も広い。私は小走りで笹塚を追いかけた。
居酒屋でとりあえずビールを注文するのは、サラリーマンのお約束なのだろうか。
私は小ジョッキ、奴は中ジョッキで乾杯する。「お疲れ」と言い合ってジョッキをかちんと合わせ、ぐびぐび飲んだ。美味しい。
笹塚はジョッキの半分以上を一気に飲むと、メニューを広げて私に向けてくる。
「何食う?」
「鶏なんこつとタコワサをお願いします」
即答すると、笹塚が肩を震わせて笑う。昨日から笑われてばっかりだ。どうせ『会社の飲み会ではシーザーサラダとか頼むくせに』とか思っているんだろう。その通りだよ。会社の飲み会でタコワサなんか頼めるわけないでしょ!
眉根を寄せる私に、笹塚は笑いを堪えながら声をかける。
「すまん。別に悪い意味で笑ったんじゃなくてな」
「……悪い意味以外に、どんな意味があるっていうんですか?」
「うーん、なんていうか――羽坂は面白いヤツだなぁって」
「面白いは褒め言葉じゃありませんからね。お嬢様面するなって言うから、普通にしてるのに……それで笑うんなら、会社の対応で行きます」
「悪い悪い、もう笑わねえよ。だから敬語もやめて普通に話してくれ。あの会社での喋り方は寒気がする」
寒気って……本当に失礼な奴だな!
笹塚は店員を呼んで、鶏なんこつとタコワサ、焼き鳥の盛り合わせ、ししゃも焼きとオムそばを頼んだ。……本当によく食べるよね。
やがて料理がテーブルに並び、笹塚はビールをおかわりする。私はレモンサワーを注文した。
「それで、羽坂。いつからやってるんだ? そのお育ちのよいお嬢様面」
「……短大の頃から」
なんでこんな身の上話をしているんだろう。それも、昨日はじめてまともに話したような笹塚に。
口を尖らせる私に、笹塚は続けて尋ねてくる。
「ふうん。理由、聞いてもいいか? 趣味を隠したいのはわかるけどさ、なんでお嬢様面をする必要があるんだ?」
「別に、笹塚さんには関係ないでしょう?」
「俺は自分を偽ったことがないから気になるんだよ。なんでそんなことするのかなって」
「……色々とふかーいくらーい事情があるんですよ。リア充の笹塚さんは、一生おわかりにならないかもしれませんけど。あとは黙秘です」
私の言葉に、笹塚が眉をひそめた。そんな顔しても絶対に話さないぞ。そこまで話す必要性はまったくないし、話したところで面白くともなんともない。
その後は当たり障りのない話をして食事に集中し、居酒屋を出た。
そして改めて、笹塚とともにネットカフェへ向かう。その道すがら、笹塚の話を聞いた。
彼は、二十二歳である私より五歳年上の二十七歳。割と有名な大学出身で、スポーツが趣味。学生時代にはアウトドアサークルに入っていたそうで、夏にはツーリングやサーフィン、冬はスノボと年中出かけていたらしい。
「そういやさ、次回のスノボは羽坂も行くのか? 前回は行かなかっただろ」
「うん。この前の冬は、ドゥンケルでの活動が忙しかったから。スノボに行くかはまだ考え中」
「は? ドゥンケル……?」
「ドゥンケルエリア、知らないの? 『ヘイムダルサーガ』のエリアの一つだよ。時間制限つきだけど、レア装備が狙えるんだ。去年はそれが欲しくて、休みの日はずっと家にこもってたの」
「なるほど。で、その装備は取れたのか?」
「もちろん! 頭から足装備までフルコンプした!」
「ふはは」と笑えば、笹塚が疲れた表情を浮かべる。
そして二人一緒に昨日のネットカフェに入り、再びカップル席を選んだ。……この席、ペアシートが狭くてあんまり好きじゃないんだけどな。
「ねえ、やっぱりオープン席にしようよ。隣同士にしてさ」
「隣同士で取れる席がねえ。行くぞ」
えぇっ、どれだけ人気があるんだ、このネットカフェ。駅前だから仕方ないのかな。
カップル席のペアシートに座ると、今日は笹塚がゲームを立ち上げた。そしてIDとパスワードを入力し、ログインする。
ぱっと現れた笹塚のキャラクター画面。それを見て私はビックリした。
「えっ、これ?」
「うん」
「レベル7じゃない! え、セカンドキャラじゃなくて、メインでそれなの?」
「お前が何を言っているのか、俺にはさっぱりわからん。しかし、育てているのはこのキャラだ」
笹塚のキャラクターは、育てているという言葉を使うのはどうかと思うほど弱かった。私なら、一時間もあればレベルを10くらい上げられるというのに……
私は笹塚に許可を取り、装備やアイテムなどを確認させてもらった。すると装備は初期設定のままで、アイテムボックスもスッカラカンだった。
「……笹塚さん、初心者? このゲーム、いつからやってるの?」
「うーん、一ヶ月前くらいかな」
「えっ、一ヶ月!? そんなに時間かけて、どうしてまだレベル7なの!? 何やってたの!?」
「何やってたって……とりあえず街中を歩き回ったな。その後、外に出て適当な敵を殴ってみたらすげえ強くて瞬殺されてさ。仕方ないから街に近いところで弱そうな敵を倒してた」
私は頭を抱える。笹塚の行動は、どう考えても――
「……ねぇ、笹塚さん。もしかして、超初心者なの? 他のオンラインゲームはしたことない?」
「おう。このゲームがはじめてだぞ」
笹塚の言葉に、私は唖然とした。よりによってはじめてのオンラインゲームが『ヘイムダルサーガ』だなんて! このゲーム、最初の一週間こそ無料だけれど、その後は課金しなくちゃいけない玄人向けのゲームなのに!
「どうしてわざわざこのゲームを選んだの?」
「ああ~、いや…………友達がさ、面白いって誘ってきたんだ」
笹塚は、妙に歯切れ悪く答える。
「ふぅん。その友達とは、一緒にゲームをしないの?」
「……お前と同じ感じで、やりこんでる奴だからな。ゲーム上では、会えずじまいだ」
なんという放置プレイ! せめて装備を買うお金くらいあげたらいいのに! 友達でしょ!?
「それは……大変っていうか、可哀想っていうか……つまんないでしょ?」
「つまらんというか、何が面白いのかよくわからんな。敵を倒したら虫の石ってアイテムをもらえるだろ? でもそれで鞄が一杯になっていくんだよ。最近は捨てるようにしてる」
「もったいない! その虫の石はクエストアイテムなの! 五つ集めると、お金をもらえるんだよ!」
初心者にとって、一番手軽にお金を貯められる方法なのに、そんなことも知らないなんて……
「そうなのか」とのんびり頷く笹塚を、私は同情の目で見てしまった。
うう、むくむくと湧き上がるこの気持ち。
……放っておけない。
何が面白いかわからないのなら、教えてあげたい。一緒に冒険する楽しみを伝えたい。
それは、オンラインゲームをやりこんでいる人特有の感情なのかもしれない。上級者があれこれ世話を焼くと初心者ゆえの楽しみを奪ってしまう、と言う人もいる。ただ、笹塚は明らかにこのゲームを面白いと思っていない。課金したから、仕方なくやってる感じがする。
……それなら、ちょっとだけ。ほんの少し手助けするだけ。それでこのゲームを『楽しい』と思ってくれたら――
「あの、さ。あの……」
「ん、なんだ?」
あれ、どうしたんだろう。なんでこんなに緊張してるの、私! 言葉がうまく出てこない。ネットなら、ゲームなら、『手伝おうか?』って簡単にメッセージを送れるのに。
戸惑ったところで、ハッと思い至る。――そっか。私、現実世界でこんなことを言うのははじめてなんだ。
黙りこんでいると、笹塚は不思議そうに顔を覗きこんできた。うう、余計言いづらい。でも、意を決して口を開いた。
「てて、て、手伝おう……か?」
「手伝う?」
「そ、その……何が面白いのかわからないなら、お、教えようか? 余計なお世話じゃないなら」
「……へぇ? 羽坂が教えてくれるのか?」
器用に片方の眉を上げて、笹塚が聞いてくる。私はこくりと頷いた。なんだか体が熱い。このネットカフェ、暖房が効きすぎているのかもしれない。
「教えてくれるなら、ありがたいな。正直、途方に暮れてたし」
「このゲームさ、初心者には優しくないって有名なんだよ」
「なるほどなぁ。つっても、どうやって教えてくれるんだ?」
「帰宅後に、お互い家からログインしよう。それでフレンド登録すれば、一緒に遊べるし。夜は大体ログインしてるから、私のほうはいつでも大丈夫。笹塚さんの都合がいい時に、ログインしたら声かけて」
「それって、毎晩でもいいの? 今夜も?」
意外なほどやる気な笹塚の反応に、私はちょっと驚く。
「……いいけど」
「わかった。――ついでだし、携帯の番号も交換しないか? 連絡しやすいほうが便利だろ」
それもそうか。
私と笹塚は、携帯の番号を教え合って解散した。
笹塚、妙に嬉しそうだったけど――気のせいかな?
一方の私は、秘密を共有した仲みたいに思えて、ちょっと恥ずかしかった。
笹塚と別れた後、電車に揺られ、ようやくアパートに辿り着いた。
私はさっそくコタツに置いていたパソコンを起動し、ゲームにログインする。
私のキャラクター・エカリナは、レベル85である。笹塚のレベルに合わせて敵と戦えば、一撃で倒してしまうだろう。そんなキャラクターと一緒に遊んでも、笹塚は楽しくないに違いない。
だから私は、新たなキャラクターを作成することにした。性別はエカリナ同様、女にする。キャラクター名をどうしようか少し悩んだが、笹塚が見てもわかりやすいよう『ユリネ』にした。
キャラクター作成後、ようやく鞄やコートを仕舞い、スマートフォンをコタツの端に置いて半纏を着る。そして、手前にノートパソコンを引き寄せた。
新しいキャラクターでログインした私は、さっそく友人にチャット機能でメッセージを送る。
『ゆーま君、エカリナです』
『おっす。エカちゃん新しいキャラクター作ったの?』
『うん。初心者さんと遊ぶんだ。しばらく、顔出せないと思う』
『了解。メンバーにも言っとくよ。初心者さんによろしくね』
ありがとうと返して少し世間話をしていると、スマートフォンが鳴る。笹塚からだった。
『ログインした』
メールには、件名もなく必要事項しか書かれていない。短っ! まぁそんなものかと思いつつ、私もぽちぽちとメールを返す。
『ちょっと待ってて。ユリネってキャラクターで向かうから』
友人にも『またね』とメッセージを送った後、私はユリネを操作して街をウロウロする。程なくして、笹塚のキャラクターが見つかった。
私はゲームのチャット機能を使って、笹塚にメッセージを送る。
『お待たせー』
『よろしくな、先生』
先生と呼ばれて気をよくした私は、笹塚と一緒にさっそく街の外に出かけた。
ちなみに、笹塚のキャラクターはなぜか女の子である。名前はコッコ。本名がコウタだから、女の子風に子をつけてコッコにしたらしい。
……それにしても、コッコちゃんはすごく可愛い。現実世界でも女である私が作ったキャラクターより可愛いって、どういうことだろう?
『ユリ』
笹塚からのメッセージに、私は眉をひそめる。
『何? ユリじゃなくて、ユリネだってば』
『略してユリでいいだろ。なんでキャラ変えたんだ? エカリナってキャラは?』
『あれは育ちすぎだから。そんなのと遊んでも面白くないでしょ?』
街の外には野原が広がっていて、モンスターがあちこちでフラフラしている。私は説明を交えつつ、コッコちゃんと一緒に敵を倒して回った。
気がつくと、時計の針は深夜零時を指していた。お互いレベル9になったところで、街に戻って解散する。『またな』と言う笹塚に、私は『またね』と返した。
ゲームをログアウトしてシャワーを浴び、歯を磨いて布団に潜りこむ。そして寝るまでの間、私は今後のことを考えた。
レベル10を超えた頃には、簡単なイベントに挑戦できるかも。そのうち、仲のいい他のメンバーにも紹介したいなぁ。あと、簡単にお金を入手できる方法を教えておかないと。馬に乗れるようになったら、あちこち冒険して……そうだ、海の見える街に行こう。あのあたりの敵は、レベルを上げるのに丁度いい。
そこまで考えて、私はふと我に返った。自分がとてもワクワクしてることに気がついたのだ。どうしてだろう?
その答えは出ないまま、私は睡魔に身を任せたのだった。
◆ ◇ ◆
私が勤めている印刷会社の営業部には、三人の営業事務がいる。新婚ほやほやの横山三咲主任、水沢愛莉さん、そして私の三人だ。
事務所には営業部、製造部、総務部があり、隣接する印刷工場には技術部がある。
女性事務員は営業事務もあわせて八人。会社全体の雑務は、ローテーションを組んで行っている。来客対応や給湯室の片づけ、毎朝のフロア掃除にゴミ出し、出前注文を兼ねた昼当番、その他にも色々ある。
本日の私の担当は、昼当番。
朝九時半までに出前希望者から注文を取り、十一時半頃に出前の電話をしなければならない。
今日の出前希望者は――製造部の宗方さんが天ぷらうどん、総務部の高畠さんが親子丼、椎名部長がたぬきそば。あ、珍しい、社長も出前だ。天ぷら丼、特上って……さすが社長。あとは営業部の園部さんが南蛮そばで――笹塚はカツ丼か。今は外回りしてると思うけど、昼には帰ってくるのかな?
――笹塚とゲームをするようになってから約一週間。私たちは平日の夜、欠かさず一緒にゲームをしている。笹塚がログインする時間は、だいたい夜の九時頃。それから二、三時間ほどレベル上げをしたりクエストをしたりして遊ぶ。
気がつくと私は、夜の九時が近づくと用事を終わらせ、笹塚を待つようになっていた。
普段の私はオタクであることを隠しているし、笹塚も自分がオンラインゲームをやっていることを公にするつもりはないらしい。そのため会社での私たちは、あくまで仕事の話しかしない。でも、夜になると友人のように二人で遊ぶ。
そんな関係がなんだかこそばゆいし、不思議だ。こんな気持ちは、はじめてだった。
――正午を知らせるチャイムが鳴る。
仕事をしていた人たちはきりのいいところで席を立ち、ぞろぞろと休憩フロアに向かっていった。
「今日の昼当番は誰だっけ?」
「あ、私です」
「羽坂さんか。じゃあ、あとはよろしくねー」
横山主任はそう言ってひらひら手を振ると、水沢さんと一緒に事務所を出ていった。昼当番のもう一つの役割は、休憩時間中、事務所で待機すること。急な来客や電話応対をするためだ。その後、一時から二時が休憩時間になる。
お腹減ったなぁ……私は、ぐうぐう鳴るお腹を押さえた。
黙々と仕事を進めていると、事務所のドアがカチャリと開いて水沢さんが帰ってくる。時計を見ると、まだ十二時三十分だ。
「お帰りなさい、水沢さん。早いですね?」
「休憩フロアがいっぱいになっちゃって。こっちでゆっくりしようと思ったんです」
困ったように笑うと、水沢さんは自分の席に着いて鞄から本を取り出す。
「そうだ、羽坂さん。はい、チョコレート。お腹すいたでしょ?」
「わぁ! ありがとうございます。いただきますね」
わざとらしくない程度に喜んで、チョコレートを受け取る。いや、実際チョコは好きなんだけど、少しオーバーに喜ぶのが大事なのだ。ただし女性限定である。男性に対して同じ態度を取ると、逆に女性の反感を買ってしまう。相手に応じて喜び方を変える必要があるなんて、つくづく人付き合いは難しい。
「羽坂さん、今回のスノボは行くんですか?」
「まだ考え中なんですよ。水沢さんは行くんですか?」
「うん。思い切ってボードも買おうかなって。今度の休み、笹塚さんに見てもらうんですよ~」
……なぜそこで笹塚の名前が出る? いや、別に関係ないけど。
それにしても、スノーボードか。高いんだろうなぁ。冬はクリスマス商戦に向けてたくさん新作ゲームが出る時期だから、私には他のものを買う余裕なんて一切ない。
もちろん、そんな話をするわけにもいかないので、私は適当に話を合わせておく。
「ボードって、やっぱり買ったほうがいいんですか?」
「続けるつもりなら、買ったほうがいいですよ。レンタル品はあまりいいものがないですからね~。でも、一シーズンに一、二回しか行かないならレンタルでいいかも」
「そうなんですか。じゃあ私はレンタルで充分ですね」
そもそもゲレンデに行ったところで、滑れる気がしない。正直にそう言うと、水沢さんは口元に手を当ててクスクスと笑う。
……私は『なんちゃってお嬢様』だけど、水沢さんは『リアルお嬢様』という感じだ。育ちがよさそうで、とても可愛らしい。ふわふわした髪型もいいなぁ。私は剛毛なので、ああいうナチュラルパーマはかけられない。羨ましい限りだ。
その後、再び仕事に取り組んでいると、程なくして一時になった。私は事務所に戻ってきた横山主任に挨拶し、水沢さんにも頭を下げてから休憩フロアへ向かう。
弁当を手に休憩フロアへ入れば、いつもよりざわざわしていた。そういえば今日、別の支社の人たちが来てるんだっけ。朝礼で言ってたよね。
空いてる席を探していた時、ふと、カツ丼を頬張る笹塚が目に入ってしまった。
……どうしよう。
いや、なぜ悩むんだ、私。関係ないだろう。会社では他人だ。奴とは、ただ一緒にゲームをやっているだけの間柄なんだから。
笹塚から離れたところに空いてる席を見つけて座り、弁当を開ける。そしてもぐもぐと惣菜を食べていると、目の前に影ができた。顔を上げれば、カツ丼とビニール袋を手にした笹塚の姿がある。
「なんでそんな隅っこで食うんだよ」
「……いや、ここが空いてたから」
「俺の向かいだって、空いてるだろ。来ればいいじゃん」
「……や、その……まぁ、そうなんだけど……」
なぜどもるんだ、私。そしてなぜ私の向かいに座るのだ、笹塚よ。
奴はガツガツとカツ丼の残りを食べ、脇に置いたビニール袋からコンビニおにぎり三つとインスタント味噌汁、菓子パン二つを取り出した。……それ全部を食べるつもりか。
笹塚はインスタント味噌汁のフタを開けると、「ん」と言って私に差し出した。
「何?」
「お湯入れてきて。どうせお前、お茶汲んでくるんだろ?」
「……お茶は淹れてくるつもりだったけど、キサマはお願いしますの一言も言えんのか」
「お願いします」
即答か! まぁいいけど。なんか悔しいのはなぜだ!
仕方がないと給湯室へ向かい、二人分のお茶を用意する。それから味噌汁に湯を注ぎ、盆に載せて休憩フロアに戻った。
「お湯、入れてきたよ」
「ありがとう。あ、俺のお茶まで淹れてくれたのか。気が利くな」
「……いや、これは私が飲むんだ。お茶を二杯飲むつもりだったんだ」
「なんだそれ? もらうぞ」
「クッ、なんか笹塚さんにお茶を渡すのが腹立たしい! 淹れなきゃよかった!」
意味がわからんと笹塚はツッコみ、コンビニおにぎりのフィルムを剥がして食べはじめた。
私も自分の弁当に箸を伸ばす。すると笹塚は、物珍しそうに眺めてきた。
「羽坂さ、料理はできるのか?」
「できないよ。これは、近所の惣菜屋で買ったおかずをお弁当箱に詰めたもの」
「……それも、あれか? お嬢様面のためか?」
「うん。手作り弁当はポイントが高いからね、女子力が高いと思われる」
「お前なー。絶対、詐欺だからな? それは手作り弁当って言わねえ」
「惣菜と言ってもお店の手作りだし、厳密に言えばこれだって手作り弁当でしょ」
「それを詭弁と言うんだよ」
笹塚は呆れたように言って、コンビニおにぎりをパクパクと食べる。すごい、三口でおにぎり食べたよ。口が大きいというか、食べ方が潔いというか……
なぜかというと、今日の夕方、ある付箋の貼られた発注書を受け取ったからだ。付箋に書かれていたのは、『十九時、昨日のネットカフェ前』というメッセージ。もちろん、これを渡してきたのは笹塚である。
我が社の終業時間は十七時半なので、待ち合わせの時間までは一時間半もある。秋も深まった夜はさすがに寒く、外で待つのは苦行すぎると、近くのカフェで時間を潰した。……ものすごく暇だった。そんな時間があるなら、ゲームをしていたい。
そして十九時を過ぎた今、私はこうしてネットカフェの前で奴を待っているのだが――
笹塚はなかなかやってこない。
というか寒い。くそ、付箋なんて見なかったことにしてさっさと帰ればよかった! そもそも、どうして私は一時間半も奴のことを待っているんだ!!
……いや、私は怯えているんだ。
根暗なゲーマーであることがバレてしまったから。この約束をすっぽかすことで、笹塚に手のひらを返されないか恐れているんだ。
つまり弱み! 弱みを握られているも同然! なんということだ!
「おー、羽坂。待たせてすまんな。ミーティングが――」
私はようやく現れた笹塚に、勢いよく詰め寄る。
「後生だ、笹塚さん! なんとか六千円で手を打ってください! 来月、必ず払うから!」
「はぁ? だから金なんていらねえって何度も――」
「クッ、金じゃなびかないか! じゃあお米! うちのお米をあげるから、昨日のことはすっぱり忘れて、私のことは放っておいてください! バラさないでください! お願いします頼みます!」
私の必死の懇願に、なぜか笹塚はものすごく不満げな顔をした。
「金も米もいらないし、バラさねえって言ってるだろ。信じろよ」
「うう、じゃあどうしてこんなふうに呼び出したんですか? 一時間半も待たせて……その上、お米もいらないとか……うちのお米はすごいんですよ! お米への価値観が変わること間違いなしなのに!」
「コメコメうるさいな。待たせたのは悪かったよ。週一のミーティングが長引いてな。あと、呼び出した理由はコレだよ」
そう言って笹塚がポケットから取り出したのは、IDとパスワードの書かれたメモ用紙。
……そういえば、昨日、キャラクターを見せてってせがんだんだっけ。
「わざわざ持ってきたんですか? 律儀ですね……」
「まぁ、俺だけ羽坂のキャラクターを見るのもな。お前ほどレベルは上げてねえけど」
「私のキャラクターレベルはなんというか……廃人の域なんで」
「なんでそこで照れ顔なんだよ」
ぺしっと頭にチョップされた。軽く痛い! 今のはツッコミか!
「先にキャラクター見せてもいいけど、ネカフェはろくな食い物ないし、先に何か食いに行こうぜ」
「私はネカフェのカップ麺でいいです。月末だからお金がないんです」
「奢ってやるよ」
ななな、なんというブルジョア発言。私もかるーく『奢ってやるよ』なんて言って不敵に笑ってみたい。でも現実は厳しい。今の私は、悲しいかなお金がない。
「いいんですか? 笹塚さん、ありがとうございます! 嬉しいです!」
「……その『お嬢様面』やめろよ。素を知った後で会社のお前見ると、鳥肌立って仕方なかったぞ」
「失礼ですね。笹塚さん、私、焼肉食べたいです」
「俺は焼き鳥が食いたい。だから居酒屋」
そう言って、笹塚はスタスタと歩きはじめる。奴の足は長く、歩幅も広い。私は小走りで笹塚を追いかけた。
居酒屋でとりあえずビールを注文するのは、サラリーマンのお約束なのだろうか。
私は小ジョッキ、奴は中ジョッキで乾杯する。「お疲れ」と言い合ってジョッキをかちんと合わせ、ぐびぐび飲んだ。美味しい。
笹塚はジョッキの半分以上を一気に飲むと、メニューを広げて私に向けてくる。
「何食う?」
「鶏なんこつとタコワサをお願いします」
即答すると、笹塚が肩を震わせて笑う。昨日から笑われてばっかりだ。どうせ『会社の飲み会ではシーザーサラダとか頼むくせに』とか思っているんだろう。その通りだよ。会社の飲み会でタコワサなんか頼めるわけないでしょ!
眉根を寄せる私に、笹塚は笑いを堪えながら声をかける。
「すまん。別に悪い意味で笑ったんじゃなくてな」
「……悪い意味以外に、どんな意味があるっていうんですか?」
「うーん、なんていうか――羽坂は面白いヤツだなぁって」
「面白いは褒め言葉じゃありませんからね。お嬢様面するなって言うから、普通にしてるのに……それで笑うんなら、会社の対応で行きます」
「悪い悪い、もう笑わねえよ。だから敬語もやめて普通に話してくれ。あの会社での喋り方は寒気がする」
寒気って……本当に失礼な奴だな!
笹塚は店員を呼んで、鶏なんこつとタコワサ、焼き鳥の盛り合わせ、ししゃも焼きとオムそばを頼んだ。……本当によく食べるよね。
やがて料理がテーブルに並び、笹塚はビールをおかわりする。私はレモンサワーを注文した。
「それで、羽坂。いつからやってるんだ? そのお育ちのよいお嬢様面」
「……短大の頃から」
なんでこんな身の上話をしているんだろう。それも、昨日はじめてまともに話したような笹塚に。
口を尖らせる私に、笹塚は続けて尋ねてくる。
「ふうん。理由、聞いてもいいか? 趣味を隠したいのはわかるけどさ、なんでお嬢様面をする必要があるんだ?」
「別に、笹塚さんには関係ないでしょう?」
「俺は自分を偽ったことがないから気になるんだよ。なんでそんなことするのかなって」
「……色々とふかーいくらーい事情があるんですよ。リア充の笹塚さんは、一生おわかりにならないかもしれませんけど。あとは黙秘です」
私の言葉に、笹塚が眉をひそめた。そんな顔しても絶対に話さないぞ。そこまで話す必要性はまったくないし、話したところで面白くともなんともない。
その後は当たり障りのない話をして食事に集中し、居酒屋を出た。
そして改めて、笹塚とともにネットカフェへ向かう。その道すがら、笹塚の話を聞いた。
彼は、二十二歳である私より五歳年上の二十七歳。割と有名な大学出身で、スポーツが趣味。学生時代にはアウトドアサークルに入っていたそうで、夏にはツーリングやサーフィン、冬はスノボと年中出かけていたらしい。
「そういやさ、次回のスノボは羽坂も行くのか? 前回は行かなかっただろ」
「うん。この前の冬は、ドゥンケルでの活動が忙しかったから。スノボに行くかはまだ考え中」
「は? ドゥンケル……?」
「ドゥンケルエリア、知らないの? 『ヘイムダルサーガ』のエリアの一つだよ。時間制限つきだけど、レア装備が狙えるんだ。去年はそれが欲しくて、休みの日はずっと家にこもってたの」
「なるほど。で、その装備は取れたのか?」
「もちろん! 頭から足装備までフルコンプした!」
「ふはは」と笑えば、笹塚が疲れた表情を浮かべる。
そして二人一緒に昨日のネットカフェに入り、再びカップル席を選んだ。……この席、ペアシートが狭くてあんまり好きじゃないんだけどな。
「ねえ、やっぱりオープン席にしようよ。隣同士にしてさ」
「隣同士で取れる席がねえ。行くぞ」
えぇっ、どれだけ人気があるんだ、このネットカフェ。駅前だから仕方ないのかな。
カップル席のペアシートに座ると、今日は笹塚がゲームを立ち上げた。そしてIDとパスワードを入力し、ログインする。
ぱっと現れた笹塚のキャラクター画面。それを見て私はビックリした。
「えっ、これ?」
「うん」
「レベル7じゃない! え、セカンドキャラじゃなくて、メインでそれなの?」
「お前が何を言っているのか、俺にはさっぱりわからん。しかし、育てているのはこのキャラだ」
笹塚のキャラクターは、育てているという言葉を使うのはどうかと思うほど弱かった。私なら、一時間もあればレベルを10くらい上げられるというのに……
私は笹塚に許可を取り、装備やアイテムなどを確認させてもらった。すると装備は初期設定のままで、アイテムボックスもスッカラカンだった。
「……笹塚さん、初心者? このゲーム、いつからやってるの?」
「うーん、一ヶ月前くらいかな」
「えっ、一ヶ月!? そんなに時間かけて、どうしてまだレベル7なの!? 何やってたの!?」
「何やってたって……とりあえず街中を歩き回ったな。その後、外に出て適当な敵を殴ってみたらすげえ強くて瞬殺されてさ。仕方ないから街に近いところで弱そうな敵を倒してた」
私は頭を抱える。笹塚の行動は、どう考えても――
「……ねぇ、笹塚さん。もしかして、超初心者なの? 他のオンラインゲームはしたことない?」
「おう。このゲームがはじめてだぞ」
笹塚の言葉に、私は唖然とした。よりによってはじめてのオンラインゲームが『ヘイムダルサーガ』だなんて! このゲーム、最初の一週間こそ無料だけれど、その後は課金しなくちゃいけない玄人向けのゲームなのに!
「どうしてわざわざこのゲームを選んだの?」
「ああ~、いや…………友達がさ、面白いって誘ってきたんだ」
笹塚は、妙に歯切れ悪く答える。
「ふぅん。その友達とは、一緒にゲームをしないの?」
「……お前と同じ感じで、やりこんでる奴だからな。ゲーム上では、会えずじまいだ」
なんという放置プレイ! せめて装備を買うお金くらいあげたらいいのに! 友達でしょ!?
「それは……大変っていうか、可哀想っていうか……つまんないでしょ?」
「つまらんというか、何が面白いのかよくわからんな。敵を倒したら虫の石ってアイテムをもらえるだろ? でもそれで鞄が一杯になっていくんだよ。最近は捨てるようにしてる」
「もったいない! その虫の石はクエストアイテムなの! 五つ集めると、お金をもらえるんだよ!」
初心者にとって、一番手軽にお金を貯められる方法なのに、そんなことも知らないなんて……
「そうなのか」とのんびり頷く笹塚を、私は同情の目で見てしまった。
うう、むくむくと湧き上がるこの気持ち。
……放っておけない。
何が面白いかわからないのなら、教えてあげたい。一緒に冒険する楽しみを伝えたい。
それは、オンラインゲームをやりこんでいる人特有の感情なのかもしれない。上級者があれこれ世話を焼くと初心者ゆえの楽しみを奪ってしまう、と言う人もいる。ただ、笹塚は明らかにこのゲームを面白いと思っていない。課金したから、仕方なくやってる感じがする。
……それなら、ちょっとだけ。ほんの少し手助けするだけ。それでこのゲームを『楽しい』と思ってくれたら――
「あの、さ。あの……」
「ん、なんだ?」
あれ、どうしたんだろう。なんでこんなに緊張してるの、私! 言葉がうまく出てこない。ネットなら、ゲームなら、『手伝おうか?』って簡単にメッセージを送れるのに。
戸惑ったところで、ハッと思い至る。――そっか。私、現実世界でこんなことを言うのははじめてなんだ。
黙りこんでいると、笹塚は不思議そうに顔を覗きこんできた。うう、余計言いづらい。でも、意を決して口を開いた。
「てて、て、手伝おう……か?」
「手伝う?」
「そ、その……何が面白いのかわからないなら、お、教えようか? 余計なお世話じゃないなら」
「……へぇ? 羽坂が教えてくれるのか?」
器用に片方の眉を上げて、笹塚が聞いてくる。私はこくりと頷いた。なんだか体が熱い。このネットカフェ、暖房が効きすぎているのかもしれない。
「教えてくれるなら、ありがたいな。正直、途方に暮れてたし」
「このゲームさ、初心者には優しくないって有名なんだよ」
「なるほどなぁ。つっても、どうやって教えてくれるんだ?」
「帰宅後に、お互い家からログインしよう。それでフレンド登録すれば、一緒に遊べるし。夜は大体ログインしてるから、私のほうはいつでも大丈夫。笹塚さんの都合がいい時に、ログインしたら声かけて」
「それって、毎晩でもいいの? 今夜も?」
意外なほどやる気な笹塚の反応に、私はちょっと驚く。
「……いいけど」
「わかった。――ついでだし、携帯の番号も交換しないか? 連絡しやすいほうが便利だろ」
それもそうか。
私と笹塚は、携帯の番号を教え合って解散した。
笹塚、妙に嬉しそうだったけど――気のせいかな?
一方の私は、秘密を共有した仲みたいに思えて、ちょっと恥ずかしかった。
笹塚と別れた後、電車に揺られ、ようやくアパートに辿り着いた。
私はさっそくコタツに置いていたパソコンを起動し、ゲームにログインする。
私のキャラクター・エカリナは、レベル85である。笹塚のレベルに合わせて敵と戦えば、一撃で倒してしまうだろう。そんなキャラクターと一緒に遊んでも、笹塚は楽しくないに違いない。
だから私は、新たなキャラクターを作成することにした。性別はエカリナ同様、女にする。キャラクター名をどうしようか少し悩んだが、笹塚が見てもわかりやすいよう『ユリネ』にした。
キャラクター作成後、ようやく鞄やコートを仕舞い、スマートフォンをコタツの端に置いて半纏を着る。そして、手前にノートパソコンを引き寄せた。
新しいキャラクターでログインした私は、さっそく友人にチャット機能でメッセージを送る。
『ゆーま君、エカリナです』
『おっす。エカちゃん新しいキャラクター作ったの?』
『うん。初心者さんと遊ぶんだ。しばらく、顔出せないと思う』
『了解。メンバーにも言っとくよ。初心者さんによろしくね』
ありがとうと返して少し世間話をしていると、スマートフォンが鳴る。笹塚からだった。
『ログインした』
メールには、件名もなく必要事項しか書かれていない。短っ! まぁそんなものかと思いつつ、私もぽちぽちとメールを返す。
『ちょっと待ってて。ユリネってキャラクターで向かうから』
友人にも『またね』とメッセージを送った後、私はユリネを操作して街をウロウロする。程なくして、笹塚のキャラクターが見つかった。
私はゲームのチャット機能を使って、笹塚にメッセージを送る。
『お待たせー』
『よろしくな、先生』
先生と呼ばれて気をよくした私は、笹塚と一緒にさっそく街の外に出かけた。
ちなみに、笹塚のキャラクターはなぜか女の子である。名前はコッコ。本名がコウタだから、女の子風に子をつけてコッコにしたらしい。
……それにしても、コッコちゃんはすごく可愛い。現実世界でも女である私が作ったキャラクターより可愛いって、どういうことだろう?
『ユリ』
笹塚からのメッセージに、私は眉をひそめる。
『何? ユリじゃなくて、ユリネだってば』
『略してユリでいいだろ。なんでキャラ変えたんだ? エカリナってキャラは?』
『あれは育ちすぎだから。そんなのと遊んでも面白くないでしょ?』
街の外には野原が広がっていて、モンスターがあちこちでフラフラしている。私は説明を交えつつ、コッコちゃんと一緒に敵を倒して回った。
気がつくと、時計の針は深夜零時を指していた。お互いレベル9になったところで、街に戻って解散する。『またな』と言う笹塚に、私は『またね』と返した。
ゲームをログアウトしてシャワーを浴び、歯を磨いて布団に潜りこむ。そして寝るまでの間、私は今後のことを考えた。
レベル10を超えた頃には、簡単なイベントに挑戦できるかも。そのうち、仲のいい他のメンバーにも紹介したいなぁ。あと、簡単にお金を入手できる方法を教えておかないと。馬に乗れるようになったら、あちこち冒険して……そうだ、海の見える街に行こう。あのあたりの敵は、レベルを上げるのに丁度いい。
そこまで考えて、私はふと我に返った。自分がとてもワクワクしてることに気がついたのだ。どうしてだろう?
その答えは出ないまま、私は睡魔に身を任せたのだった。
◆ ◇ ◆
私が勤めている印刷会社の営業部には、三人の営業事務がいる。新婚ほやほやの横山三咲主任、水沢愛莉さん、そして私の三人だ。
事務所には営業部、製造部、総務部があり、隣接する印刷工場には技術部がある。
女性事務員は営業事務もあわせて八人。会社全体の雑務は、ローテーションを組んで行っている。来客対応や給湯室の片づけ、毎朝のフロア掃除にゴミ出し、出前注文を兼ねた昼当番、その他にも色々ある。
本日の私の担当は、昼当番。
朝九時半までに出前希望者から注文を取り、十一時半頃に出前の電話をしなければならない。
今日の出前希望者は――製造部の宗方さんが天ぷらうどん、総務部の高畠さんが親子丼、椎名部長がたぬきそば。あ、珍しい、社長も出前だ。天ぷら丼、特上って……さすが社長。あとは営業部の園部さんが南蛮そばで――笹塚はカツ丼か。今は外回りしてると思うけど、昼には帰ってくるのかな?
――笹塚とゲームをするようになってから約一週間。私たちは平日の夜、欠かさず一緒にゲームをしている。笹塚がログインする時間は、だいたい夜の九時頃。それから二、三時間ほどレベル上げをしたりクエストをしたりして遊ぶ。
気がつくと私は、夜の九時が近づくと用事を終わらせ、笹塚を待つようになっていた。
普段の私はオタクであることを隠しているし、笹塚も自分がオンラインゲームをやっていることを公にするつもりはないらしい。そのため会社での私たちは、あくまで仕事の話しかしない。でも、夜になると友人のように二人で遊ぶ。
そんな関係がなんだかこそばゆいし、不思議だ。こんな気持ちは、はじめてだった。
――正午を知らせるチャイムが鳴る。
仕事をしていた人たちはきりのいいところで席を立ち、ぞろぞろと休憩フロアに向かっていった。
「今日の昼当番は誰だっけ?」
「あ、私です」
「羽坂さんか。じゃあ、あとはよろしくねー」
横山主任はそう言ってひらひら手を振ると、水沢さんと一緒に事務所を出ていった。昼当番のもう一つの役割は、休憩時間中、事務所で待機すること。急な来客や電話応対をするためだ。その後、一時から二時が休憩時間になる。
お腹減ったなぁ……私は、ぐうぐう鳴るお腹を押さえた。
黙々と仕事を進めていると、事務所のドアがカチャリと開いて水沢さんが帰ってくる。時計を見ると、まだ十二時三十分だ。
「お帰りなさい、水沢さん。早いですね?」
「休憩フロアがいっぱいになっちゃって。こっちでゆっくりしようと思ったんです」
困ったように笑うと、水沢さんは自分の席に着いて鞄から本を取り出す。
「そうだ、羽坂さん。はい、チョコレート。お腹すいたでしょ?」
「わぁ! ありがとうございます。いただきますね」
わざとらしくない程度に喜んで、チョコレートを受け取る。いや、実際チョコは好きなんだけど、少しオーバーに喜ぶのが大事なのだ。ただし女性限定である。男性に対して同じ態度を取ると、逆に女性の反感を買ってしまう。相手に応じて喜び方を変える必要があるなんて、つくづく人付き合いは難しい。
「羽坂さん、今回のスノボは行くんですか?」
「まだ考え中なんですよ。水沢さんは行くんですか?」
「うん。思い切ってボードも買おうかなって。今度の休み、笹塚さんに見てもらうんですよ~」
……なぜそこで笹塚の名前が出る? いや、別に関係ないけど。
それにしても、スノーボードか。高いんだろうなぁ。冬はクリスマス商戦に向けてたくさん新作ゲームが出る時期だから、私には他のものを買う余裕なんて一切ない。
もちろん、そんな話をするわけにもいかないので、私は適当に話を合わせておく。
「ボードって、やっぱり買ったほうがいいんですか?」
「続けるつもりなら、買ったほうがいいですよ。レンタル品はあまりいいものがないですからね~。でも、一シーズンに一、二回しか行かないならレンタルでいいかも」
「そうなんですか。じゃあ私はレンタルで充分ですね」
そもそもゲレンデに行ったところで、滑れる気がしない。正直にそう言うと、水沢さんは口元に手を当ててクスクスと笑う。
……私は『なんちゃってお嬢様』だけど、水沢さんは『リアルお嬢様』という感じだ。育ちがよさそうで、とても可愛らしい。ふわふわした髪型もいいなぁ。私は剛毛なので、ああいうナチュラルパーマはかけられない。羨ましい限りだ。
その後、再び仕事に取り組んでいると、程なくして一時になった。私は事務所に戻ってきた横山主任に挨拶し、水沢さんにも頭を下げてから休憩フロアへ向かう。
弁当を手に休憩フロアへ入れば、いつもよりざわざわしていた。そういえば今日、別の支社の人たちが来てるんだっけ。朝礼で言ってたよね。
空いてる席を探していた時、ふと、カツ丼を頬張る笹塚が目に入ってしまった。
……どうしよう。
いや、なぜ悩むんだ、私。関係ないだろう。会社では他人だ。奴とは、ただ一緒にゲームをやっているだけの間柄なんだから。
笹塚から離れたところに空いてる席を見つけて座り、弁当を開ける。そしてもぐもぐと惣菜を食べていると、目の前に影ができた。顔を上げれば、カツ丼とビニール袋を手にした笹塚の姿がある。
「なんでそんな隅っこで食うんだよ」
「……いや、ここが空いてたから」
「俺の向かいだって、空いてるだろ。来ればいいじゃん」
「……や、その……まぁ、そうなんだけど……」
なぜどもるんだ、私。そしてなぜ私の向かいに座るのだ、笹塚よ。
奴はガツガツとカツ丼の残りを食べ、脇に置いたビニール袋からコンビニおにぎり三つとインスタント味噌汁、菓子パン二つを取り出した。……それ全部を食べるつもりか。
笹塚はインスタント味噌汁のフタを開けると、「ん」と言って私に差し出した。
「何?」
「お湯入れてきて。どうせお前、お茶汲んでくるんだろ?」
「……お茶は淹れてくるつもりだったけど、キサマはお願いしますの一言も言えんのか」
「お願いします」
即答か! まぁいいけど。なんか悔しいのはなぜだ!
仕方がないと給湯室へ向かい、二人分のお茶を用意する。それから味噌汁に湯を注ぎ、盆に載せて休憩フロアに戻った。
「お湯、入れてきたよ」
「ありがとう。あ、俺のお茶まで淹れてくれたのか。気が利くな」
「……いや、これは私が飲むんだ。お茶を二杯飲むつもりだったんだ」
「なんだそれ? もらうぞ」
「クッ、なんか笹塚さんにお茶を渡すのが腹立たしい! 淹れなきゃよかった!」
意味がわからんと笹塚はツッコみ、コンビニおにぎりのフィルムを剥がして食べはじめた。
私も自分の弁当に箸を伸ばす。すると笹塚は、物珍しそうに眺めてきた。
「羽坂さ、料理はできるのか?」
「できないよ。これは、近所の惣菜屋で買ったおかずをお弁当箱に詰めたもの」
「……それも、あれか? お嬢様面のためか?」
「うん。手作り弁当はポイントが高いからね、女子力が高いと思われる」
「お前なー。絶対、詐欺だからな? それは手作り弁当って言わねえ」
「惣菜と言ってもお店の手作りだし、厳密に言えばこれだって手作り弁当でしょ」
「それを詭弁と言うんだよ」
笹塚は呆れたように言って、コンビニおにぎりをパクパクと食べる。すごい、三口でおにぎり食べたよ。口が大きいというか、食べ方が潔いというか……
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