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第一章 メッキが剥がれた日
人は誰しも、多かれ少なかれ己を偽るものではないだろうか。自分の印象をよくするため、円満な人間関係を構築するため――その理由は様々で、ありのままの『素顔』をさらけ出せる人間はごく一部に過ぎないと思う。
私――羽坂由里は、とある事情により素顔を隠している人間の一人だ。
短大を卒業して入社した、中堅の印刷会社。その会社で営業事務として二年弱働いている私は、頭のてっぺんから足の先まで、しっかり猫を被っていた。
『清楚なお嬢様』という猫を被りはじめたのは短大に入学した頃。その演技にも、今ではすっかり磨きがかかっている。
会社の人間は私の本性など知る由もなく、育ちのよいお嬢様だと思いこんでいるであろう。
――私は、自信を持っていた。これからも、絶対に本性を隠し通せると思っていたのだ。
それなのに、まさかあんなことになるなんて――
思い返すと、その日は朝から不吉な予感があった。テレビで見た『今日の星占い』は最下位だったし、やたらと赤信号に足止めされ、電車も遅延――そのせいでいつもより出社時間が遅くなり、ようやく席に着いたと思ったら、お気に入りのマグカップにヒビが入っていた。
仕事中にも、パソコンの動作が遅く何度もフリーズしたり、私が使う時に限ってコピー機の用紙やトナーが切れたりした。
ついていない日は、さっさと帰ってしまおう。今日は大事な予定もあるのだし……
そう思っていたのに、終業間際、営業の笹塚から発注書をバサバサ渡された。しかも「それの処理、今日中な」とか言ってくる。
この笹塚という男は、いわゆるイケメンの部類に入る容姿をお持ちで、シャープな顔立ちに、通った鼻筋、背は高くて一八〇センチはあるだろう。爽やかな笑顔も素敵な、好青年と呼ばれるタイプの人間だ。
こういった、いかにもリア充なオーラがみなぎる人間は、私が最も苦手とする人種なので、あまり関わりたくない。だが、仕事ではそんなことも言っていられない。
突然の残業を言い渡した笹塚に殺意を覚えつつ、死ぬ気でパソコンに向かった。なぜなら私は、なんとしても約束の時間までに帰らなければならないのだ。
高速で発注書を処理し、笹塚にチェックをしてもらった時点で、時計の針は七時二十分を指していた。笹塚は「悪かったな、メシでも奢ってやるよ」なんて言ってくるけれど、それどころではない。とにかく一刻も早く帰りたいのだ。
表面上では申し訳なさそうにお断りし、営業部のフロアを出て、ロッカールームで制服を着替える。そして会社を出た瞬間、私は秋の肌寒い空の下を全力で走りはじめた。
現在の時刻は、七時半。約束の時間は八時。ここから自宅アパートまでは、最短で四十分。
……絶対に間に合わない。
仕方がないので、駅前のネットカフェに向かって走った。何度か利用はしたことがあるが、会社から近いため、同僚に見られる可能性も高い。だからあまり使いたくなかったけど、背に腹は替えられない。
息を切らして入店し、受付の店員に会員カードを差し出す。ここでも、私はついていなかった。個室はすべて埋まっていて、ほぼ仕切りのないオープン席かペアシートのカップル席しか空いていないという。さすがに、カップルシートに一人で座るのは気が引ける。げんなりしながらオープン席を選んだ私は、席に着くや否や、あるゲームを起動させた。
そう、私の用事とはコレである。多人数同時参加型のオンラインゲーム。
すごく簡単に説明すると、自分好みのキャラクターを作成して仮想世界を冒険し、仲間と一緒にモンスターを倒したり、協力して謎を解いたりするゲームだ。
今日は八時に、私が所属しているクランのメンバーで、難度の高いイベントに挑戦しようと約束していた。ちなみにクランというのは、仲の良い者同士で作ったグループのようなもののこと。もちろん、メンバーは全員ゲームを通じて知り合った人たちである。
IDとパスワードを入力してゲームにログインすると、私以外のメンバーはすでに全員揃っていた。私はキーボードを叩いて、チャット画面にメッセージを書きこむ。
『ごめん、待った?』
『エカリナおつかれー。待ったも何も、まだ八時前w 早くも全員揃ったな』
エカリナというのは、私のキャラクター名だ。メンバーとチャットをしつつ、手持ちのアイテムや装備を確認する。うん、大丈夫だね。あとは消耗品だけ用意すれば、準備万端だ。
『エカリナは残業だったの?』
『そうだよ。営業が定時直前に仕事持ってきてさ。まじ、空気読めって思った』
『エカリナさん大変ですねww おつw』
『本当だよw マジあの営業ハゲろww』
「ほぉ……悪かったな、空気読まなくて」
まったくだよ。そもそも残業前提で仕事を渡してこないでほしい。繁忙期でもないのに、納期が今日中なんて! 明日の朝イチでいいじゃん。
「あと俺の家系は毛根が丈夫でな。だから禿げない」
ああ、そうですか。じゃあ、もげろ……って、え!?
背後から聞こえてくる低い声には、聞き覚えがある。
恐るおそる振り向いてみれば、そこにはよく見知った……というか、さっき会社で別れたばかりの男がいた。
笹塚浩太。
――本当に、今日の私はついてない。
どうしよう、どうしよう、どうしよう……
その答えが見つからなかった私は、ギギギと音がするほど硬直しながらパソコンに向き直る。
『皆、用意すんだ? そろそろ行くよー』
『あああ! 待ってもうちょい』
思わず高速でキーボードを叩き、消耗品の準備をしていると、再び背後から低い声が聞こえてくる。
「羽坂さぁ」
背中を冷たい汗が伝っていく。
「趣味は、編み物とお菓子作りじゃなかったっけ?」
ぎくぅ!
脳内に浮かんだ選択肢は三つ。一、ガン無視する。二、『羽坂さんって誰ですの?』と誤魔化す。三、脅……いや、口封じする。
テンパっていた私は、どういうわけだか二を選んでしまった。
「羽坂さんって誰ですの? オホホ――」
「いや、お前だよ。うちの営業事務で、さっきまで一緒に残業してただろ」
「た、他人の空似でございます。羽坂さんなんてグレイトチャーミングな人、まったく知りません」
「自分のことをグレイトチャーミングなんて言う女、はじめて見たよ。何はともあれ、お前は羽坂だ。信じたくねえけど」
そう言って笹塚は、私の座る回転椅子をくるりと回して自分に向けた。
うぅ……仕方がない。かくなる上は、次の選択肢――その三!
私はピースサインを作ると、笹塚の目に向かって指を突き出した。
「とりゃあ!」
「なんだ!?」
「口封じ! 目潰しだ! その目を潰してくれる!」
「はぁ? 口封じなのに目潰しって……っていうかお前、それが『素』なんだな?」
ぎくぅ!!
私は無言で椅子を回し、パソコンに顔を向けた。
……やっぱり、選択肢その一だ。ガン無視しよう。それがいい。最初からそうすればよかった。
『準備できた。遅れてごめん!』
『いいよ~。このイベント、失敗したらまたアイテム集めからしなきゃいけないし、頑張ろうね』
そうそう。このイベントはとにかく準備が面倒なんだよ。絶対に失敗できない。
「羽坂ー」
だから無視だ。私には、こんな男を相手にしている暇などない。消耗品は、ちゃんと揃えた。アイテムも装備も問題なし。攻略サイトを見て事前に予習もしたから、準備万端。
「羽坂由里ちゃーん」
ちゃん付けするな! ……いや、ここは無視無視。このまま相手にしなければ、笹塚も諦めてどこかに行くはず――
「おー、園部? 今さぁ、ネカフェなんだけど。なんか羽坂が――」
園部って、営業部の園部さん!?
「ちょっと待って!!」
超高速で椅子を回して立ち上がる。しかしヤツは、携帯電話など持っていなかった。しまった、はめられた!
笹塚は悪人みたいな笑みを浮かべる。
「やっと反応したな? 羽坂」
「くっ、いくらですか!」
「は?」
「いくらなら手を打ちますか!? 今は月末でお金がないけど、来月なら、ごっ、五千円くらいなら」
「安すぎだろ、それ。別に金なんていらねえよ。……それより、場所を変えないか?」
笹塚はにっこりと笑って、入り口近くの受付に親指を向けた。
「ペアシートのあるカップル席に移動しよう。そっちで話をしたい」
「は、話すことなんてありません。お願いですから、私のことは放っておいて……ひぇっ!」
オープン席のテーブルに、すっと手が置かれた。今まで仕事のやりとりしかしてこなかった笹塚が、いきなり至近距離まで近づいてくる。
ち、近すぎますよ!? 笹塚さん!
彼は今まで聞いたこともないくらい意地悪な声色で囁いてくる。
「今日のこと、ばらされたくないだろう? 『お嬢様』の羽坂さん」
耳に笹塚の息がかかり、肩が震える。耳の奥がぞくりとする低い声に、背中を冷や汗が伝った。
笹塚に弱みを握られた以上、私に拒否権はない。仕方なくゲームのパーティメンバーに一度断ってログアウトした後、店員に席移動の処理をしてもらう。そうしてカップル席に座ったのだけれど――
ペアシートは思いのほか狭く、密着度が無駄に高かった。笹塚からはお洒落感満載の香りがほのかに漂ってくるし、腕も当たって妙に意識してしまう。なんだ、この状況。
チラリと隣を見れば、笹塚が興味深そうにパソコンのモニターを見つめている。
移動する際、ゲームを続けても構わないと言われたので、お言葉に甘えることにした。しかしこの状況、はっきり言って非常に恥ずかしい。これはいわゆる羞恥プレイってやつだろうか。
とにかく現実から逃避したくて、私はゲームに集中した。
一方の笹塚は食事のメニューに目を向けて、電話の受話器を手に取る。
「あ、注文お願いします。チャーハンとオムライス一つずつ。羽坂、何か食う?」
「……ケッコウです」
「ああ、あとたこ焼き一つ、追加でください」
どうでもいいけど、チャーハンとオムライスにたこ焼き? よく食べる男だな。
「飲み物取ってくる。羽坂も、なんか飲む?」
「……メロンソーダ」
すると笹塚は「メロンソーダ!」と言って笑い出した。……さっきから失礼極まりない。
「好きな飲み物はアールグレイの紅茶じゃなかったのか?」
笹塚のツッコみに、私はハッとして答える。
「……っ! じゃ、じゃあ、紅茶でいいです」
「今さらだろ。メロンソーダだな」
クックッと笑いながら、笹塚は飲み物を取りに席を立つ。くそぅ、なんで出入り口のドアに鍵が付いてないんだ! もしくは板と釘と金槌があったら、絶対ヤツを締め出すのに……
それにしても、どんどんメッキが剥がれていく。笹塚の言葉じゃないけど、メロンソーダは失敗だったよね。せめてお茶って言えばよかった。
私がくさくさしている間にも、ゲーム内ではイベントが進んでいく。
……やがてモニターの中に、巨大な敵が現れた。これを倒さなければ、イベントは終わらない。
すごくどきどきする。皆で強敵に挑むこの一瞬がとても好きだ。それに、勝利した時の達成感も堪らない。現実では、手に入らない感情だ。
ワクワクしながらキャラクターを操作していると、目の前にたこ焼きが現れた。
「食う?」
……空気ぶち壊し野郎め。
私は、無言でぱくりとたこ焼きを食べた。……美味しい。夕飯を食べてないからなおさら美味しく感じる。でも今の私は、たこ焼き食べてる場合じゃないんだよ! 強敵が目前にいるんだよ!
「ちょっと今から集中します。邪魔しないでください」
「はいはい。あ、メロンソーダここ置いとくぞ?」
「……ありがとう」
「どういたしまして」
すぐ傍から、くすくすと笑い声が聞こえる。くそぅ、本当に面白がってるよね。覚えてろ、後で絶対に話し合いだ!
――戦闘がはじまる。私は黙々とキャラクターを操作して、攻撃を繰り出していく。
「おぉ、すげぇ。よく指が動くな。それに、その超真剣な顔。会社じゃ見たことねえな」
……ほっとけ! オンラインゲームは遊びじゃないんです!
「いや、そういえば、今日の残業中はすげー必死だったか。眉間に皺寄せて、キーボード叩いてたもんな」
当たり前だ。私にとっては、リアルよりゲームの約束が大事なんだから!
内心ピリピリしつつもキャラクターをいつも通り動かし、仲間たちと協力して、敵を追いつめていく。
しばらくして、戦闘は終了した。崩れ落ちるモンスター。もちろん、我々の勝利である。いつもなら『よし!』とか言ってガッツポーズをするところだけど、今はとてもそんな気分になれない。
はーとため息をついて隣を見たら、笹塚がニヤニヤしていた。殺意よ、こんにちは。
「お疲れ。夕飯、食わねえの?」
「……後で食べます。それで、どうして笹塚……さんが、ここにいるんですか?」
なんだか今さらな気もするが、私は眉間に皺を寄せつつ笹塚に尋ねる。
「そりゃあ、清楚なお嬢様キャラの羽坂さんがネットカフェでオンラインゲームしてて、しかもいつもと全然違う言葉遣いでチャットしてたら気になるだろ? 普通」
ぐっと私の顔が歪む。確かに、私は会社で『清楚なお嬢様』スタイルを貫いている。盛大に猫を被っているのだ。
「趣味は、編み物とお菓子作りだったよな。これは、嘘?」
「……はい」
ただし、編み物には挑戦したことがある。マフラーという名のボロキレが完成し、以来やっていないだけだ。……お菓子作りは、そもそも料理ができないので真っ赤な嘘である。
「じゃあ去年のバレンタインデーで配ってた手作りチョコクッキーは、なんだったんだよ」
「あれは近所のケーキ屋で売ってる手作りチョコクッキーを包装しなおしたものです」
「お前……手が込んでるっていうか、それは詐欺の域だぞ……」
うるさいな、バレなきゃ問題ないでしょう。……今、バレたけど。
「好きな飲み物はアールグレイの紅茶。好きな食べ物はなんだっけ?」
「さ、最近はパンケーキにはまっています」
無駄かもしれないけど、目を逸らしつつ取り繕う。すると笹塚は、鋭くツッコんできた。
「それも嘘だろ。本当は?」
「……特にありません、なんでも好きです。強いて言うなら、コンビニ惣菜が手軽で味もいいと思います」
はぁ、とため息をつかれた。落胆というより、呆れてモノが言えないという感じだ。普段は適当な惣菜を夕飯にして缶チューハイを飲んでるんです、とか言ったら怒り出すかもしれない。
「じゃあ、いいとこのお嬢様っていうのも嘘なのか。確か親が社長とか言ってなかったか?」
「社長ですよ。米農家ですけど」
またため息をつかれた。何よ、そのバカにした表情――米農家をなめんなよ、日本人の主食を作ってるんだから!
「……お前、嘘が多すぎだろう。バレたらどうするつもりだったんだ?」
「バレない自信はありました」
「今まさにバレてるけどな、俺に。……なんでそんなに嘘をついてるんだ?」
「……じゃあ、逆に聞きますけど。趣味はゲームで、休みの日もネットばかりしている根暗な女なんですって会社でカミングアウトする奴と、仲良くなりたいって思いますか?」
私の問いかけに、笹塚が黙りこむ。
「普通、引きますよね? 男の人なら、中には引かない人だっているかもしれませんけど……問題は女性なんです。普通の女性は、根暗なゲーマーと仲良くなりたいなんて思わないんですよ。遠巻きにされたり、冷たくされたり、最悪イジメられます。それなら、最初から嘘をついて猫被ってるほうが気楽なんです。どうせ会社だけの付き合いなんですから」
誰でも趣味は持っているものだ。なのに、なぜかゲームやアニメが好きだとドン引きされる。特にお洒落で華やかで集団行動の好きな女性は、『気持ち悪い』と眉をひそめることが多い。……全員がそうだとは言わないけれど。
だからこそ私は、普段、ゲーマーで根暗な自分を隠しているのだ。
清楚ぶって育ちのよいお嬢様を演じていれば、男女関係なく円満な人間関係を構築できる。趣味も無難なものにしておけばいい。私を理解してくれる友達はいるから、会社の人間にまでそれを求めない。そのほうが断然楽だから。
それなのに、まさか同じ会社の人間にバレてしまうなんて――
チラリと笹塚をうかがえば、奴は納得したような表情で頷いた。
「……なるほどな。お前の嘘は、いわゆる処世術ってやつか」
「そうです。理解してもらえて光栄です。……それで、どうするんですか? 皆にバラすんですか?」
「バラさねえよ。そんなことしたってなんの得にもならねえだろ」
「……そうですか。私の本性に引きつつも黙っていてくれるなんて、笹塚さんは優しい人ですね」
あははーと乾いた声で笑ってやる。半分以上は嫌味だ。そもそも奴がネットカフェに来なければこんな事態にならなかったのだ。本当にどうして来たんだよ。一体、なんの用があったの?
眉間に皺を寄せていると、笹塚が少しつまらなさそうな表情を浮かべる。
「別に引いてねえよ」
「そうですか」
「信じてねえだろ」
「別に。引いてないって言っても、内心ドン引きしてる人はよく見てきましたから」
「色々とひん曲がってる奴だなー。引くわけねえだろ。だって俺もそのゲーム、やってるし」
……は?
私は多分、呆けた顔をしたのだろう。笹塚はニヤリと笑うと、目でモニターを示した。
「『ヘイムダルサーガ』だろ? 俺もやってんだよ」
「え、ええーっ!?」
驚愕の声が出る。仕方ないだろう。笹塚がオンラインゲームをやっているなんて意外すぎる。しかも、私と同じゲームをやっているとは……
私の反応に、奴は満足そうに笑って顔を近づけてくる。そして――
「ひぇっ!?」
「安心しろよ。誰にもバラさないから。二人だけの秘密な?」
……いきなり耳元で囁くな! びっくりするじゃないか、リア充野郎め!
第二章 秘密の関係
翌日――出社して制服に着替えた私は、ロッカールームの鏡で自分の姿を念入りに確認していた。
丁寧にブローしたセミロングの髪、ファッション誌で研究した清潔感のあるメイク、爪に薄く塗った珊瑚色のネイル。
ちなみに、このヘアセットとメイクは一時間かかるので、非常に面倒くさい。しかし、その甲斐あって私の『お嬢様スタイル』は今日も完璧だ。あとは丁寧な口調で微笑みを絶やさずに過ごせば問題なし。
「羽坂さんおはよ~」
始業十五分前、わらわらと女性社員たちがロッカールームに入ってくる。私はにこやかに微笑んで挨拶を交わした。
「おはようございます」
「そういえば、聞いた? 年明けにまたスノボ旅行やるらしいよ」
「あ、聞いた聞いた! 前に営業部で企画したのが好評だったんでしょ? 今回は総務部も行くみたい」
「え、じゃあ高畠さんも行くのかな? それだったら私も行きたい!」
高畠さんとは、総務部所属のイケメンだ。女子社員の間で、結構人気があるらしい。
……それはさておき、朝から本当に賑やかだ。パタンとロッカーの扉を閉め、鍵をかけていると、話を振られてしまった。
「羽坂さんは参加するの?」
「うーん、どうしようかな。私、スポーツ苦手だから……ちょっと悩み中なんですよね」
困ったように笑って、軽く首を傾ける。あくまでお嬢様っぽく、清楚さを忘れない。私のようなメッキ女は、いつボロが出るかもわからないから、常に注意を払う必要がある。
ちなみにスポーツが苦手なのは本当だ。むしろ嫌いの部類に入る。正直なところ、スノボなんぞに行く暇があるなら、レアモンスターを狩るべく日がな一日パソコンに向かっていたい。
「あはは、確かに羽坂さんってスポーツは苦手そう~」
「そうなんですよ。参加しても、麓の施設で待機することになっちゃいそうです」
「それじゃ行く意味がないよ~。そうだ、教えてもらいなよ。結構、面倒見のいい人いるよ? 営業部だと……笹塚さんとか?」
笹塚――その名前を聞いて、私の鉄壁スマイルが一瞬引きつった。
「そういえば、笹塚さんは面倒見がよかったよね。スノボがはじめてな人にも丁寧に指導してくれて」
「うんうん。前回、水沢さんも教えてもらってたよね?」
「はい。教え方がとても丁寧でしたよ。運動が苦手な私でも、ちょっとは滑れるようになりましたし……」
水沢さんはそう言って、頬をうっすらと染めた。メッキな私と違って、彼女は本当にお嬢様然としている。きっと、自分を偽る必要なんてないんだろうな……羨ましい限りだ。
「良かったねぇ。笹塚さんって、スノボの他にもサーフィンが得意なんだって。見てみたいよねー。来年の夏にも、何か企画してくれないかなー」
……スノボにサーフィン。本当、私からは最も遠い人種だな、笹塚。そんな奴が、オンラインゲームをやっているなんて――やっぱり信じられない。
私は、昨晩のことを思い出す。
『安心しろよ。誰にもバラさないから。二人だけの秘密な?』
耳元でそう囁かれた後、私は動揺を隠すべく、奴のゲームキャラクターを見てみたいとせがんでみた。しかしIDとパスワードを覚えていないと言われ、会話は終了。その後、ネットカフェを出た私たちは、夕飯を一緒に食べてから解散した。
笹塚は「残業のお礼に」とトンカツ定食を奢ってくれたのだが、奴も同じ定食を食べていた。ネットカフェでもあれだけ食べていたというのに……どれだけ食べるんだ。びっくりしたよ。
他の女子社員たちと一緒にロッカールームを出て、事務所に移動する。こうしてできるだけ集団行動を取ることも、処世術の一つなのだ。
やがて始業時間となり、朝礼がはじまる。恒例のラジオ体操をしながら、私はちらりと後ろを見た。
そこには、眠たげな顔でダルそうに体操している笹塚の姿。
ナチュラルに後ろへ流した髪、涼しげな目元、シャープな輪郭、高い鼻梁。
……やっぱり、見た目はイケメンだ。加えて背が高く、体格もいい。
噂によると、週に一回、営業部の仲の良いメンバーでフットサルをしているのだとか。夏はサーフィン、冬はスノボ、おまけに毎週フットサル……絵に描いたようなリア充ぶりである。
奴に私の秘密がバレてしまったのは痛い。どこかでポロリとバラされてしまったらどうしようと不安に駆られるが、同時に、笹塚はそんなことをしないのでは……という妙な信頼感もあった。笹塚は基本的に誠実な人間なのだ。二年ほど共に過ごしていれば、それくらいはわかる。おそらく笹塚の人柄によるものも大きいのだろう。昨夜はちょっと意地悪な感じもしたが、彼は『いい人』のはず。これまでだってずっと、そう思って彼と接してきた。
私は気持ちを切り替えるために何度か首を振り、体操に集中する。そして朝礼を終え、今日の業務に取りかかったのだった。
人は誰しも、多かれ少なかれ己を偽るものではないだろうか。自分の印象をよくするため、円満な人間関係を構築するため――その理由は様々で、ありのままの『素顔』をさらけ出せる人間はごく一部に過ぎないと思う。
私――羽坂由里は、とある事情により素顔を隠している人間の一人だ。
短大を卒業して入社した、中堅の印刷会社。その会社で営業事務として二年弱働いている私は、頭のてっぺんから足の先まで、しっかり猫を被っていた。
『清楚なお嬢様』という猫を被りはじめたのは短大に入学した頃。その演技にも、今ではすっかり磨きがかかっている。
会社の人間は私の本性など知る由もなく、育ちのよいお嬢様だと思いこんでいるであろう。
――私は、自信を持っていた。これからも、絶対に本性を隠し通せると思っていたのだ。
それなのに、まさかあんなことになるなんて――
思い返すと、その日は朝から不吉な予感があった。テレビで見た『今日の星占い』は最下位だったし、やたらと赤信号に足止めされ、電車も遅延――そのせいでいつもより出社時間が遅くなり、ようやく席に着いたと思ったら、お気に入りのマグカップにヒビが入っていた。
仕事中にも、パソコンの動作が遅く何度もフリーズしたり、私が使う時に限ってコピー機の用紙やトナーが切れたりした。
ついていない日は、さっさと帰ってしまおう。今日は大事な予定もあるのだし……
そう思っていたのに、終業間際、営業の笹塚から発注書をバサバサ渡された。しかも「それの処理、今日中な」とか言ってくる。
この笹塚という男は、いわゆるイケメンの部類に入る容姿をお持ちで、シャープな顔立ちに、通った鼻筋、背は高くて一八〇センチはあるだろう。爽やかな笑顔も素敵な、好青年と呼ばれるタイプの人間だ。
こういった、いかにもリア充なオーラがみなぎる人間は、私が最も苦手とする人種なので、あまり関わりたくない。だが、仕事ではそんなことも言っていられない。
突然の残業を言い渡した笹塚に殺意を覚えつつ、死ぬ気でパソコンに向かった。なぜなら私は、なんとしても約束の時間までに帰らなければならないのだ。
高速で発注書を処理し、笹塚にチェックをしてもらった時点で、時計の針は七時二十分を指していた。笹塚は「悪かったな、メシでも奢ってやるよ」なんて言ってくるけれど、それどころではない。とにかく一刻も早く帰りたいのだ。
表面上では申し訳なさそうにお断りし、営業部のフロアを出て、ロッカールームで制服を着替える。そして会社を出た瞬間、私は秋の肌寒い空の下を全力で走りはじめた。
現在の時刻は、七時半。約束の時間は八時。ここから自宅アパートまでは、最短で四十分。
……絶対に間に合わない。
仕方がないので、駅前のネットカフェに向かって走った。何度か利用はしたことがあるが、会社から近いため、同僚に見られる可能性も高い。だからあまり使いたくなかったけど、背に腹は替えられない。
息を切らして入店し、受付の店員に会員カードを差し出す。ここでも、私はついていなかった。個室はすべて埋まっていて、ほぼ仕切りのないオープン席かペアシートのカップル席しか空いていないという。さすがに、カップルシートに一人で座るのは気が引ける。げんなりしながらオープン席を選んだ私は、席に着くや否や、あるゲームを起動させた。
そう、私の用事とはコレである。多人数同時参加型のオンラインゲーム。
すごく簡単に説明すると、自分好みのキャラクターを作成して仮想世界を冒険し、仲間と一緒にモンスターを倒したり、協力して謎を解いたりするゲームだ。
今日は八時に、私が所属しているクランのメンバーで、難度の高いイベントに挑戦しようと約束していた。ちなみにクランというのは、仲の良い者同士で作ったグループのようなもののこと。もちろん、メンバーは全員ゲームを通じて知り合った人たちである。
IDとパスワードを入力してゲームにログインすると、私以外のメンバーはすでに全員揃っていた。私はキーボードを叩いて、チャット画面にメッセージを書きこむ。
『ごめん、待った?』
『エカリナおつかれー。待ったも何も、まだ八時前w 早くも全員揃ったな』
エカリナというのは、私のキャラクター名だ。メンバーとチャットをしつつ、手持ちのアイテムや装備を確認する。うん、大丈夫だね。あとは消耗品だけ用意すれば、準備万端だ。
『エカリナは残業だったの?』
『そうだよ。営業が定時直前に仕事持ってきてさ。まじ、空気読めって思った』
『エカリナさん大変ですねww おつw』
『本当だよw マジあの営業ハゲろww』
「ほぉ……悪かったな、空気読まなくて」
まったくだよ。そもそも残業前提で仕事を渡してこないでほしい。繁忙期でもないのに、納期が今日中なんて! 明日の朝イチでいいじゃん。
「あと俺の家系は毛根が丈夫でな。だから禿げない」
ああ、そうですか。じゃあ、もげろ……って、え!?
背後から聞こえてくる低い声には、聞き覚えがある。
恐るおそる振り向いてみれば、そこにはよく見知った……というか、さっき会社で別れたばかりの男がいた。
笹塚浩太。
――本当に、今日の私はついてない。
どうしよう、どうしよう、どうしよう……
その答えが見つからなかった私は、ギギギと音がするほど硬直しながらパソコンに向き直る。
『皆、用意すんだ? そろそろ行くよー』
『あああ! 待ってもうちょい』
思わず高速でキーボードを叩き、消耗品の準備をしていると、再び背後から低い声が聞こえてくる。
「羽坂さぁ」
背中を冷たい汗が伝っていく。
「趣味は、編み物とお菓子作りじゃなかったっけ?」
ぎくぅ!
脳内に浮かんだ選択肢は三つ。一、ガン無視する。二、『羽坂さんって誰ですの?』と誤魔化す。三、脅……いや、口封じする。
テンパっていた私は、どういうわけだか二を選んでしまった。
「羽坂さんって誰ですの? オホホ――」
「いや、お前だよ。うちの営業事務で、さっきまで一緒に残業してただろ」
「た、他人の空似でございます。羽坂さんなんてグレイトチャーミングな人、まったく知りません」
「自分のことをグレイトチャーミングなんて言う女、はじめて見たよ。何はともあれ、お前は羽坂だ。信じたくねえけど」
そう言って笹塚は、私の座る回転椅子をくるりと回して自分に向けた。
うぅ……仕方がない。かくなる上は、次の選択肢――その三!
私はピースサインを作ると、笹塚の目に向かって指を突き出した。
「とりゃあ!」
「なんだ!?」
「口封じ! 目潰しだ! その目を潰してくれる!」
「はぁ? 口封じなのに目潰しって……っていうかお前、それが『素』なんだな?」
ぎくぅ!!
私は無言で椅子を回し、パソコンに顔を向けた。
……やっぱり、選択肢その一だ。ガン無視しよう。それがいい。最初からそうすればよかった。
『準備できた。遅れてごめん!』
『いいよ~。このイベント、失敗したらまたアイテム集めからしなきゃいけないし、頑張ろうね』
そうそう。このイベントはとにかく準備が面倒なんだよ。絶対に失敗できない。
「羽坂ー」
だから無視だ。私には、こんな男を相手にしている暇などない。消耗品は、ちゃんと揃えた。アイテムも装備も問題なし。攻略サイトを見て事前に予習もしたから、準備万端。
「羽坂由里ちゃーん」
ちゃん付けするな! ……いや、ここは無視無視。このまま相手にしなければ、笹塚も諦めてどこかに行くはず――
「おー、園部? 今さぁ、ネカフェなんだけど。なんか羽坂が――」
園部って、営業部の園部さん!?
「ちょっと待って!!」
超高速で椅子を回して立ち上がる。しかしヤツは、携帯電話など持っていなかった。しまった、はめられた!
笹塚は悪人みたいな笑みを浮かべる。
「やっと反応したな? 羽坂」
「くっ、いくらですか!」
「は?」
「いくらなら手を打ちますか!? 今は月末でお金がないけど、来月なら、ごっ、五千円くらいなら」
「安すぎだろ、それ。別に金なんていらねえよ。……それより、場所を変えないか?」
笹塚はにっこりと笑って、入り口近くの受付に親指を向けた。
「ペアシートのあるカップル席に移動しよう。そっちで話をしたい」
「は、話すことなんてありません。お願いですから、私のことは放っておいて……ひぇっ!」
オープン席のテーブルに、すっと手が置かれた。今まで仕事のやりとりしかしてこなかった笹塚が、いきなり至近距離まで近づいてくる。
ち、近すぎますよ!? 笹塚さん!
彼は今まで聞いたこともないくらい意地悪な声色で囁いてくる。
「今日のこと、ばらされたくないだろう? 『お嬢様』の羽坂さん」
耳に笹塚の息がかかり、肩が震える。耳の奥がぞくりとする低い声に、背中を冷や汗が伝った。
笹塚に弱みを握られた以上、私に拒否権はない。仕方なくゲームのパーティメンバーに一度断ってログアウトした後、店員に席移動の処理をしてもらう。そうしてカップル席に座ったのだけれど――
ペアシートは思いのほか狭く、密着度が無駄に高かった。笹塚からはお洒落感満載の香りがほのかに漂ってくるし、腕も当たって妙に意識してしまう。なんだ、この状況。
チラリと隣を見れば、笹塚が興味深そうにパソコンのモニターを見つめている。
移動する際、ゲームを続けても構わないと言われたので、お言葉に甘えることにした。しかしこの状況、はっきり言って非常に恥ずかしい。これはいわゆる羞恥プレイってやつだろうか。
とにかく現実から逃避したくて、私はゲームに集中した。
一方の笹塚は食事のメニューに目を向けて、電話の受話器を手に取る。
「あ、注文お願いします。チャーハンとオムライス一つずつ。羽坂、何か食う?」
「……ケッコウです」
「ああ、あとたこ焼き一つ、追加でください」
どうでもいいけど、チャーハンとオムライスにたこ焼き? よく食べる男だな。
「飲み物取ってくる。羽坂も、なんか飲む?」
「……メロンソーダ」
すると笹塚は「メロンソーダ!」と言って笑い出した。……さっきから失礼極まりない。
「好きな飲み物はアールグレイの紅茶じゃなかったのか?」
笹塚のツッコみに、私はハッとして答える。
「……っ! じゃ、じゃあ、紅茶でいいです」
「今さらだろ。メロンソーダだな」
クックッと笑いながら、笹塚は飲み物を取りに席を立つ。くそぅ、なんで出入り口のドアに鍵が付いてないんだ! もしくは板と釘と金槌があったら、絶対ヤツを締め出すのに……
それにしても、どんどんメッキが剥がれていく。笹塚の言葉じゃないけど、メロンソーダは失敗だったよね。せめてお茶って言えばよかった。
私がくさくさしている間にも、ゲーム内ではイベントが進んでいく。
……やがてモニターの中に、巨大な敵が現れた。これを倒さなければ、イベントは終わらない。
すごくどきどきする。皆で強敵に挑むこの一瞬がとても好きだ。それに、勝利した時の達成感も堪らない。現実では、手に入らない感情だ。
ワクワクしながらキャラクターを操作していると、目の前にたこ焼きが現れた。
「食う?」
……空気ぶち壊し野郎め。
私は、無言でぱくりとたこ焼きを食べた。……美味しい。夕飯を食べてないからなおさら美味しく感じる。でも今の私は、たこ焼き食べてる場合じゃないんだよ! 強敵が目前にいるんだよ!
「ちょっと今から集中します。邪魔しないでください」
「はいはい。あ、メロンソーダここ置いとくぞ?」
「……ありがとう」
「どういたしまして」
すぐ傍から、くすくすと笑い声が聞こえる。くそぅ、本当に面白がってるよね。覚えてろ、後で絶対に話し合いだ!
――戦闘がはじまる。私は黙々とキャラクターを操作して、攻撃を繰り出していく。
「おぉ、すげぇ。よく指が動くな。それに、その超真剣な顔。会社じゃ見たことねえな」
……ほっとけ! オンラインゲームは遊びじゃないんです!
「いや、そういえば、今日の残業中はすげー必死だったか。眉間に皺寄せて、キーボード叩いてたもんな」
当たり前だ。私にとっては、リアルよりゲームの約束が大事なんだから!
内心ピリピリしつつもキャラクターをいつも通り動かし、仲間たちと協力して、敵を追いつめていく。
しばらくして、戦闘は終了した。崩れ落ちるモンスター。もちろん、我々の勝利である。いつもなら『よし!』とか言ってガッツポーズをするところだけど、今はとてもそんな気分になれない。
はーとため息をついて隣を見たら、笹塚がニヤニヤしていた。殺意よ、こんにちは。
「お疲れ。夕飯、食わねえの?」
「……後で食べます。それで、どうして笹塚……さんが、ここにいるんですか?」
なんだか今さらな気もするが、私は眉間に皺を寄せつつ笹塚に尋ねる。
「そりゃあ、清楚なお嬢様キャラの羽坂さんがネットカフェでオンラインゲームしてて、しかもいつもと全然違う言葉遣いでチャットしてたら気になるだろ? 普通」
ぐっと私の顔が歪む。確かに、私は会社で『清楚なお嬢様』スタイルを貫いている。盛大に猫を被っているのだ。
「趣味は、編み物とお菓子作りだったよな。これは、嘘?」
「……はい」
ただし、編み物には挑戦したことがある。マフラーという名のボロキレが完成し、以来やっていないだけだ。……お菓子作りは、そもそも料理ができないので真っ赤な嘘である。
「じゃあ去年のバレンタインデーで配ってた手作りチョコクッキーは、なんだったんだよ」
「あれは近所のケーキ屋で売ってる手作りチョコクッキーを包装しなおしたものです」
「お前……手が込んでるっていうか、それは詐欺の域だぞ……」
うるさいな、バレなきゃ問題ないでしょう。……今、バレたけど。
「好きな飲み物はアールグレイの紅茶。好きな食べ物はなんだっけ?」
「さ、最近はパンケーキにはまっています」
無駄かもしれないけど、目を逸らしつつ取り繕う。すると笹塚は、鋭くツッコんできた。
「それも嘘だろ。本当は?」
「……特にありません、なんでも好きです。強いて言うなら、コンビニ惣菜が手軽で味もいいと思います」
はぁ、とため息をつかれた。落胆というより、呆れてモノが言えないという感じだ。普段は適当な惣菜を夕飯にして缶チューハイを飲んでるんです、とか言ったら怒り出すかもしれない。
「じゃあ、いいとこのお嬢様っていうのも嘘なのか。確か親が社長とか言ってなかったか?」
「社長ですよ。米農家ですけど」
またため息をつかれた。何よ、そのバカにした表情――米農家をなめんなよ、日本人の主食を作ってるんだから!
「……お前、嘘が多すぎだろう。バレたらどうするつもりだったんだ?」
「バレない自信はありました」
「今まさにバレてるけどな、俺に。……なんでそんなに嘘をついてるんだ?」
「……じゃあ、逆に聞きますけど。趣味はゲームで、休みの日もネットばかりしている根暗な女なんですって会社でカミングアウトする奴と、仲良くなりたいって思いますか?」
私の問いかけに、笹塚が黙りこむ。
「普通、引きますよね? 男の人なら、中には引かない人だっているかもしれませんけど……問題は女性なんです。普通の女性は、根暗なゲーマーと仲良くなりたいなんて思わないんですよ。遠巻きにされたり、冷たくされたり、最悪イジメられます。それなら、最初から嘘をついて猫被ってるほうが気楽なんです。どうせ会社だけの付き合いなんですから」
誰でも趣味は持っているものだ。なのに、なぜかゲームやアニメが好きだとドン引きされる。特にお洒落で華やかで集団行動の好きな女性は、『気持ち悪い』と眉をひそめることが多い。……全員がそうだとは言わないけれど。
だからこそ私は、普段、ゲーマーで根暗な自分を隠しているのだ。
清楚ぶって育ちのよいお嬢様を演じていれば、男女関係なく円満な人間関係を構築できる。趣味も無難なものにしておけばいい。私を理解してくれる友達はいるから、会社の人間にまでそれを求めない。そのほうが断然楽だから。
それなのに、まさか同じ会社の人間にバレてしまうなんて――
チラリと笹塚をうかがえば、奴は納得したような表情で頷いた。
「……なるほどな。お前の嘘は、いわゆる処世術ってやつか」
「そうです。理解してもらえて光栄です。……それで、どうするんですか? 皆にバラすんですか?」
「バラさねえよ。そんなことしたってなんの得にもならねえだろ」
「……そうですか。私の本性に引きつつも黙っていてくれるなんて、笹塚さんは優しい人ですね」
あははーと乾いた声で笑ってやる。半分以上は嫌味だ。そもそも奴がネットカフェに来なければこんな事態にならなかったのだ。本当にどうして来たんだよ。一体、なんの用があったの?
眉間に皺を寄せていると、笹塚が少しつまらなさそうな表情を浮かべる。
「別に引いてねえよ」
「そうですか」
「信じてねえだろ」
「別に。引いてないって言っても、内心ドン引きしてる人はよく見てきましたから」
「色々とひん曲がってる奴だなー。引くわけねえだろ。だって俺もそのゲーム、やってるし」
……は?
私は多分、呆けた顔をしたのだろう。笹塚はニヤリと笑うと、目でモニターを示した。
「『ヘイムダルサーガ』だろ? 俺もやってんだよ」
「え、ええーっ!?」
驚愕の声が出る。仕方ないだろう。笹塚がオンラインゲームをやっているなんて意外すぎる。しかも、私と同じゲームをやっているとは……
私の反応に、奴は満足そうに笑って顔を近づけてくる。そして――
「ひぇっ!?」
「安心しろよ。誰にもバラさないから。二人だけの秘密な?」
……いきなり耳元で囁くな! びっくりするじゃないか、リア充野郎め!
第二章 秘密の関係
翌日――出社して制服に着替えた私は、ロッカールームの鏡で自分の姿を念入りに確認していた。
丁寧にブローしたセミロングの髪、ファッション誌で研究した清潔感のあるメイク、爪に薄く塗った珊瑚色のネイル。
ちなみに、このヘアセットとメイクは一時間かかるので、非常に面倒くさい。しかし、その甲斐あって私の『お嬢様スタイル』は今日も完璧だ。あとは丁寧な口調で微笑みを絶やさずに過ごせば問題なし。
「羽坂さんおはよ~」
始業十五分前、わらわらと女性社員たちがロッカールームに入ってくる。私はにこやかに微笑んで挨拶を交わした。
「おはようございます」
「そういえば、聞いた? 年明けにまたスノボ旅行やるらしいよ」
「あ、聞いた聞いた! 前に営業部で企画したのが好評だったんでしょ? 今回は総務部も行くみたい」
「え、じゃあ高畠さんも行くのかな? それだったら私も行きたい!」
高畠さんとは、総務部所属のイケメンだ。女子社員の間で、結構人気があるらしい。
……それはさておき、朝から本当に賑やかだ。パタンとロッカーの扉を閉め、鍵をかけていると、話を振られてしまった。
「羽坂さんは参加するの?」
「うーん、どうしようかな。私、スポーツ苦手だから……ちょっと悩み中なんですよね」
困ったように笑って、軽く首を傾ける。あくまでお嬢様っぽく、清楚さを忘れない。私のようなメッキ女は、いつボロが出るかもわからないから、常に注意を払う必要がある。
ちなみにスポーツが苦手なのは本当だ。むしろ嫌いの部類に入る。正直なところ、スノボなんぞに行く暇があるなら、レアモンスターを狩るべく日がな一日パソコンに向かっていたい。
「あはは、確かに羽坂さんってスポーツは苦手そう~」
「そうなんですよ。参加しても、麓の施設で待機することになっちゃいそうです」
「それじゃ行く意味がないよ~。そうだ、教えてもらいなよ。結構、面倒見のいい人いるよ? 営業部だと……笹塚さんとか?」
笹塚――その名前を聞いて、私の鉄壁スマイルが一瞬引きつった。
「そういえば、笹塚さんは面倒見がよかったよね。スノボがはじめてな人にも丁寧に指導してくれて」
「うんうん。前回、水沢さんも教えてもらってたよね?」
「はい。教え方がとても丁寧でしたよ。運動が苦手な私でも、ちょっとは滑れるようになりましたし……」
水沢さんはそう言って、頬をうっすらと染めた。メッキな私と違って、彼女は本当にお嬢様然としている。きっと、自分を偽る必要なんてないんだろうな……羨ましい限りだ。
「良かったねぇ。笹塚さんって、スノボの他にもサーフィンが得意なんだって。見てみたいよねー。来年の夏にも、何か企画してくれないかなー」
……スノボにサーフィン。本当、私からは最も遠い人種だな、笹塚。そんな奴が、オンラインゲームをやっているなんて――やっぱり信じられない。
私は、昨晩のことを思い出す。
『安心しろよ。誰にもバラさないから。二人だけの秘密な?』
耳元でそう囁かれた後、私は動揺を隠すべく、奴のゲームキャラクターを見てみたいとせがんでみた。しかしIDとパスワードを覚えていないと言われ、会話は終了。その後、ネットカフェを出た私たちは、夕飯を一緒に食べてから解散した。
笹塚は「残業のお礼に」とトンカツ定食を奢ってくれたのだが、奴も同じ定食を食べていた。ネットカフェでもあれだけ食べていたというのに……どれだけ食べるんだ。びっくりしたよ。
他の女子社員たちと一緒にロッカールームを出て、事務所に移動する。こうしてできるだけ集団行動を取ることも、処世術の一つなのだ。
やがて始業時間となり、朝礼がはじまる。恒例のラジオ体操をしながら、私はちらりと後ろを見た。
そこには、眠たげな顔でダルそうに体操している笹塚の姿。
ナチュラルに後ろへ流した髪、涼しげな目元、シャープな輪郭、高い鼻梁。
……やっぱり、見た目はイケメンだ。加えて背が高く、体格もいい。
噂によると、週に一回、営業部の仲の良いメンバーでフットサルをしているのだとか。夏はサーフィン、冬はスノボ、おまけに毎週フットサル……絵に描いたようなリア充ぶりである。
奴に私の秘密がバレてしまったのは痛い。どこかでポロリとバラされてしまったらどうしようと不安に駆られるが、同時に、笹塚はそんなことをしないのでは……という妙な信頼感もあった。笹塚は基本的に誠実な人間なのだ。二年ほど共に過ごしていれば、それくらいはわかる。おそらく笹塚の人柄によるものも大きいのだろう。昨夜はちょっと意地悪な感じもしたが、彼は『いい人』のはず。これまでだってずっと、そう思って彼と接してきた。
私は気持ちを切り替えるために何度か首を振り、体操に集中する。そして朝礼を終え、今日の業務に取りかかったのだった。
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