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四話 殺し文句

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 電車を降りると男が待っている。もうこれで幾日目になるのか。
 少しやつれて横顔に影が差した男は、それでも甘い二枚目で、一穂と一緒に降りた女の子たちは、この頃では二人を見比べてひそひそと囁き、くすくす笑って行ってしまう。

 一穂はこの男と一度だけ契った。いやこの男に憑いた宇都宮と。
 宇都宮は交通事故で既に死んでいて、思いを遂げたいと、夜毎一穂の許に、この世のものならぬ姿で現れた。そして、この男南部が一穂に付き添った夜、南部に乗り移り思いを遂げた。
 一穂は承知した事だったが、南部にとっては否応無しだった。

「俺はどうしたらいいんだ」
 南部は一穂に訴える。忘れられないと。
「ご迷惑をかけて……」
「そんな事が聞きたいんじゃない」
 南部はイライラと遮った。
「じゃあどうすればいいんですか?」
 一穂は聞き返した。
「とにかく二人っきりで話がしたい」
 南部は人通りの多い駅を振り返った。一穂にとっても、こんな所で何時までも南部と押し問答するのは困る。もし姉が通りかかったら…。

 車のキイを示す南部にとうとう頷いた。南部は一穂の肩を押すようにして、駐車場に停めてある自分の車まで連れて行く。先に一穂を乗せて、ご丁寧にドアをロックしてから自分も乗った。
 そして行き先も言わずに車を発進させる。濃紺のスポーツタイプの車は、一穂も知っている外車で、堅いシートと大きなエンジン音に、こんな時なのに少し心が弾んだ。

 車は海沿いの道を暫く走って、道路わきの駐車スペースに止まった。
 南部はかけていたCDを消した。車内に沈黙が訪れる。
 フロントガラスの向こうはどんよりと曇った空の色。海も空の色を映して暗い。暗い空と海を見ながら、一穂は宇都宮の事を考えた。
 宇都宮もこんな風に車に乗っていたのだろうか。学校とグラウンドにいる宇都宮しか一穂は知らない。そして居眠り運転の車が宇都宮の命を奪ったのだ。

 あの日を境に宇都宮は来ない。成仏できたのだろうか。それは宇都宮にとっていい事なのだろうか。何より、あの日から眠れるようになった自分は、なんて薄情な人間なのか……。


「一度、寝てみないか」
 一穂の思惑を他所に南部が言った。
「いや、無理にとは言わない。しかしこのままじゃ俺は…。それにちゃんと役に立つかどうか分からないし…、その、一度はしたことがあるんだし…。いやなら又別の機会に……」
 その支離滅裂な言葉に南部の方を見ると、南部はハンドルを両手で握り締め、一穂の視線に唇を噛んで顔を伏せた。一穂は首を傾けてそれから言った。
「いいですよ」
 一穂の言った言葉の意味が分からないという風に、南部は暫く一穂を見ていた。それから二、三度頷いて車を発進させる。

 南部は一穂を自分のマンションに連れ込んだ。広いワンルームの部屋の片隅に置いてある低いベッドに一穂を誘う。
 キスをして、服を脱ぐのももどかしげに体を絡めてきた。役に立たないと言ったけれど、南部のそれは充分に充実していた。
(この人は宇都宮さんじゃないんだ。この唇もこの腕もこの体も、そして意思も南部さんのものなんだ。この人に抱かれて、宇都宮さんにサヨナラを……)

 ブラインドを下ろした薄暗い部屋の中。ただ二人の息遣いだけが絡む。一穂は目を閉じて南部のなすがままに任せた。
 この前とは違う愛撫。慣らすのもそこそこに押し入ってくる熱い塊。一穂を引き裂き、突き上げ、揉みくちゃにする。
 苦しくて涙が零れた。

 突然南部の動きが止まった。一穂の頬を指がゆっくりと拭う。
「いやなのか…?」
 聞いてくる声が苦い。
一穂は目を開き南部の方を見る。一穂が目を開くと南部は目を逸らせた。
「いえ、そんなに経験が無いから……」
 一穂の答えに南部は背けていた顔を戻した。
「え、まさかこの前のが……」
 一穂は頷いた。
「ええ、はじめてです。だから、よく分からなくて…」
 南部は頭を抱えた。
「すまん、無理をさせたようだ。大丈夫か?」
「大丈夫です」
 一穂は頷いて目を閉じた。南部は暫くためらってから動きを再開した。

 この前は夢の中にいるようだった──。
 今は現実に南部の腕の中に一穂がいる。自分のこの手で、夢の中と寸分変わらない一穂を抱いている。
 熱い体と吐息。汗ばんだ体。恥じらいを含んだ声。男の体だ。ちゃんと。胸は無いし、男の性器がある。
 南部はそれに指を絡めた。優しく動かすと一穂の唇からため息が零れた。ゆっくりとそれに合わせて動いた。狭い器官が締め付けてくる。動きを合わせている内に夢中になった。本能のままに突き上げた。あえかな声。手を伸ばしてくる。その手を掴んで指を絡めた。
 一穂の頬を涙が伝う。南部はそれを舌で掬った。そして唇を啄ばんだ。一穂は目を開いた。綺麗な瞳が少し潤んでいる。
 南部の顔に視線を合わせそしてゆっくりと目を閉じた。留まっていた涙がほろと落ちた。


 家に帰ると十時を過ぎていた。
 あの後、暫く動けなかった一穂のために、南部が焼き飯とスープを作ってくれて一緒に食事をした。そして家の近くまで送ってくれたのだ。
「あら一穂、遅かったのね」
 突然声をかけられて一穂は慌てた。振り向かずに、
「友達のところに行っていた」と嗄れ声で答えた。
「どうしたの? 声が変よ。風邪でも…」
 伸ばしてきた詩織の手を一穂は振り払った。
「一穂…」
「ごめん」
 驚く詩織に謝って一穂は逃げた。姉の顔をまともに見られなかった。

 暫く付き合わないかと言う南部に、一穂は頷いていた。
 姉に友人だと紹介された南部。一穂の為と言いながらも嬉しそうに頬を染めていた詩織に、羨望に似た嫉妬を覚えた。
 異性に興味を持てない一穂の目から見て、南部は恋愛対象として充分に上位のランクに位置付け出来た。
 もし宇都宮が取り憑いたのが南部でなかったら、一穂は思いを遂げたいという願いに頷いたかどうか分からない。
 南部が残した体の痛みに姉に対する優越感を見出した。自分は汚い。卑怯で、そして薄情だ。自己嫌悪に苛まれて、一穂は何も考えまいと首を振ってベッドに潜り込んだ。

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