恋人は午前三時に会いに来る

拓海のり

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三話 午前三時の恋人

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「いい加減で機嫌を直して下さい」
 美統はさっきから腕を組んだままで、一言も喋らない蘇芳に堪り兼ねて声をかけた。
 ふたりは食事の後、二階の一穂の部屋に陣取った。一穂は南部と客間で休む事になっている。蘇芳は一穂のためにお札を貼り、部屋から出ないよう言った。
「私はいつもの通りだが」
 と蘇芳は長い足を折りたたんで目の前に座り込む男に言った。蘇芳の白い顔と淡いグレーの着物が、闇の中で浮かんで見える。蘇芳の薄い唇は今はへの字では無い。美統を見る切れ長の目に走ったのは、怯えの色のような気がした。
 美統は我知らず男の自分よりは細い肩に手を伸ばしていた。
 その時、階段から足音が聞こえた。
 ギシッ、ギシッ、と……。

 美統が蘇芳の肩から手を放す前に、足音は部屋の前に来て止まった。何かが部屋に入ってきた。
 蘇芳がそれを見極めようとする前に、いきなり美統が蘇芳をがばっと押し倒した。
「み、美統!?」
 こんな時に、こんな所で、どういう積もりだと、蘇芳は伸し掛かってくる美統を押しのけようとしたが、美統は蘇芳を抱きしめてキスをしようとしてきた。蘇芳は美統を突っぱねて顔を左右に逃がす。
 しかし、大男で力の強い美統に押さえ込まれそうになった。
 蘇芳は美統の腕の中で、必死になって藻掻くうちに気が付いた。美統の気配がいつもと違うということに。
 これは美統本人がしている事ではない。
 そうと分かると腹が立った。私のものに何をする! とばかりに九字を切って気合を発した。
「カ───ッ!!」
「わっ!!」
 美統は蘇芳の体から吹っ飛んで、ベッドの下に落ちた。
 ドスンと重い音がする。どこを打ったか「ってえ」と頭を押さえて首を振った。
 蘇芳が切れ長の目できつく美統を睨んで聞いた。
「どうしたんだ美統。お前には守護もついているし修行もしている。憑かれるなんて……」
 美統は自分の手を見て、もう一度頭を押さえて首を振った。
「すいません、蘇芳さん。来た奴に共鳴したようで……」
「共鳴……?」
 蘇芳が額に乱れ散った髪を掻き上げて聞く。
「来た奴、ここの一穂君に惚れてたみたいで、思いを遂げたい一心で来ているようです」
 美統はもう一度、蘇芳ににじり寄ってきた。
「お前、まだ憑かれているのか?」
 蘇芳が腕を組んで言った。口がいつものへの字になっている。
「いいえ。でも来た奴の気持ちはなんとなく。僕は思いを告げないうちに死んじまうのなんて嫌だ。蘇芳さん」
 美統は蘇芳をもう一度抱きしめた。今度は自分の意思で。蘇芳はまだ腕を組んでいたが、大人しく美統の腕の中に居た。
「好きです。ずっと」
 美統はそう言って、もう一度キスしようとしたが、腕の中の蘇芳は俯いたままだ。美統は無理にキスしようとしないで、蘇芳を抱きしめてその黒髪の中に顔を埋めた。
 蘇芳がゆっくりと腕を解いて言う。
「私が好きか? ならばお前が受けるか?」
「は…?」
 蘇芳は切れ長の目でチラと斜めに見上げた。
「私がお前を抱いてやろう。分かったか? 分かったなら今夜、私の部屋に来い」
 美統は蘇芳の驚きの発言にガクと顎を落とした。
 この話は終わりだとばかりに、蘇芳は固まっている美統の腕から抜け出すと「まだいる」と呟いて数珠を手に部屋を見回した。
 蘇芳の言葉にガックリと落ちた顎をえんやらやっと引き上げて、慌てて部屋を見回す美統であった。


  ***

 さてこちらは南部と一穂。一穂の部屋には拝み屋が陣取っている。客間に姉が近頃付き合っている男と仲良く布団を並べて、如才ない男と話している内に一穂は久しぶりに気持ちよく眠りについた。

 夜半、ドタバタと騒がしい音に南部の方が目を覚ました。隣の一穂はぐっすりと眠っている。南部はそっと障子を開けて外を窺った。途中、チラと蘇芳と美統に障子を開けるなと言われたことが頭を過ったがもう遅い。いきなり耳にわあんと雑音が襲い掛かった。

 ──自分はどこにいる?
 校庭にいる。グラウンドのフェンスの向こうに彼がいる。今日も来ている。あの綺麗な瞳で誰を見ているのか。
 館林──。俺はお前が好きなんだ。抱きたいんだ。夜毎この思いは募る一方だ。男相手にこんな気持ちを持つなんて。
 告白したら笑うだろうか…。
──俺はお前が…、俺はお前を……。

 息苦しくて一穂は目を覚ました。
 体が動かない。目の前に南部の顔があった。どうしたのか聞く暇もなく唇をふさがれた。覆い被さった南部の体が興奮しているのを知って、一穂は体を震わせた。身を捩って逃れようとしたが、南部は一穂を押さえつけて、パジャマのズボンと下着を引き摺り下ろした。
 南部の逞しい腕に押さえつけられて一穂は身動きできない。南部の逞しいモノが、一穂の入り口をこじ開けて押し入ろうとしてくる。
 辛くて一穂は助けを呼んだ。
「誰か!」
 しかし誰を呼べばいいのか。一穂は心に浮かんだ、ただ一つの名前を叫んだ。
「宇都宮さん!!」

 南部の腕から力が抜けた。


「それは君を好きだった男だ」
 突然の声に起き上がれず、一穂は首だけをそのほうにねじ向けた。
 障子の外に蘇芳と美統が立っていた。声をかけたのは美統、共鳴したときの想いがまざまざと蘇る。
「フェンスの向こうにいる君を、いつも見ていた。君が好きだった。こんな事になるのならどうして思いを告げなかったのか……。悔やんでも悔やみきれない。もう一度、会いたい。そして君を……」
「待って…」
 美統の言葉を一穂は遮った。
「じゃあ、あいつは誰? 夜毎、僕の部屋に来た奴は……」
「君が今、呼んだ人」
 蘇芳が答えた。
「こんな事に、なったって……」
 一穂は南部の方を見る。南部は俯けていた顔を上げた。どこかいつもの姉の恋人とは違う雰囲気。一穂を見て、眩しそうに目をそらせた。一穂の瞳が大きく見開かれた。
「宇都宮先輩……?」
 南部がガクリとうな垂れた。
 部屋に沈黙が訪れた──。

 最初に沈黙を破ったのは一穂だった。
「思いを遂げたい……?」
 南部に手を伸ばし言った。南部がおずおずと一穂に手を伸ばす。一穂を抱きしめた。
 蘇芳と美統は障子を閉めて出て行った。

 一穂は南部、いや南部に憑いた宇都宮に腕を絡めた。宇都宮は何も言わずただ熱い吐息だけで答えた。
「ああ…、先輩…、宇都宮さん……。好きだった、僕もずっと…」
 抱きしめ、深く、より深く結びつきたいと互いの体を絡め合う。
 深く、熱く、身も心も溶け合いたいと……。

 やがて終わりの時が来る。愛し合った想いを胸に、最後のキスを交わす。
「宇都宮さん……」
 一穂の涙を手向けに、宇都宮は一穂の体から離れた。静かな読経の声が聞こえる。南部がゆっくりとその場にくずおれた。一穂は顔を覆って蹲った。

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