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七章 コルベルク公国編
50 満腹ジェリー
しおりを挟むブルグンドがオフジェ川に放った水棲魔獣が、リザード人種(トカゲ人種あるいは竜人といえなくもない)リザートイドの家畜だったとは。
まだ川に生き残って、ノイジードル王国の頭痛の種になっている水棲魔獣ウィンプルは、この人たちに話せば何とかなるか。
クリスティアン殿下は渡りに船と考える人だった。
スライムがいたらウィンウィンと踊るだろう。
トニョが彼らに付けられていた首枷を拾ってダールグレン教授に渡す。クリス殿下も教授と一緒に首枷を見る。
「教授、これは彼らには効かないのでは」
「そうだねえ、これは人用だから、彼らの言葉と自由を奪うだけだねえ」
「さよう、動きを封じられておった」
リザートイドの中で一番大きな男が頷く。
それで襲い掛からずに喚いていたのか。知らなければ、襲われると思って攻撃していただろう。殺気も闘気もなかったので何かの罠かと思ったが、危ない所だった。
クリス殿下たちは少し冷や汗をかいたのだった。
* * *
梨奈は侯爵家の侍女に案内されて、別部屋でお茶の接待を受けた。
椅子に座って、やれやれと出されたお茶を飲んで、お菓子を食べていると侯爵が近侍や護衛を引き連れてやって来た。
コルベルク侯爵は部屋でのんびりお茶を喫している梨奈を見て目を眇めると、自分の侍女を咎めた。
「どうした、寝ていないではないか。薬も効いていないようだが」
梨奈は侯爵の言葉に「どういう意味だ」とその顔を見る。
侯爵は脂下がって、唇の端を捻じ曲げた顔で梨奈に近付く。
「まあ、たまには素面も良いか。この女にはきついだろうが。ふっふっふ」
いやらしい笑顔で手を出そうとする。
しかし、手を取ろうとしたが取れない。梨奈はのんびり椅子に座っている。
「あら、あまりおいしくないと思ったのよ。色々入っていたのね」
顔を顰めて水を飲んだ。
「何をしている、マリア手伝わんか!」
側に居るマリアジェリーに文句を言った。
マリアが何も反応しないで、のんべんだらりとしているので、焦れて引き連れてきた護衛に命令した。
「ええい、お前らこの女を押さえ付けろ」
「奥様に何をなさいます!」
ミランダが侯爵の連れて来た護衛を次々に投げ飛ばした。侯爵は舌打ちして、マリアジェリーに呼びかける。
「マリア、皆で盛り上がろうぞ。そこな侍女も混ぜてやろう」
言う事がゲスすぎる。
梨奈は騒ぐ侯爵に嫌気がさして、スライムに文句を言う。
「ちょっと、ジェリー! 食べないの?」
いつもは梨奈が引き留める方なのに。
『食べないー、昨日、沢山食べた―、ウィンウィン』
あああー、梨奈がちょっとくたびれ気味なのはクリス殿下の所為なのだ。昨夜、ねちこくしつこく、好き勝手してくれた。歩くのもだるい。話すのもだるい。扇を口元に当てて座っているのが精いっぱいなのだ。
「ンもう、ジェリー! 何とかして!」
侯爵が本格的に手を伸ばし抱込もうと近寄るのを、扇でぺしっと引っ叩きながらスライムに文句を言う。
『はーい』
ジェリーはどわあーと広がって侯爵を巻き込んだ。
「ぎゃあぁぁーー!」と悲鳴を上げたが敵う訳もない。
「うわあああーー!!」
護衛達がそれを見て悲鳴を上げた。
「リナ!」
そこに悲鳴を聞きつけて、クリス殿下たちが駆け付けた。
後ろに恐竜っぽいトカゲたちがいる。
「殿下、襲われているの!?」
梨奈が攻撃の体勢を取った。
「リナ、攻撃するな!」
殿下に抱き込まれて腕を掴まれて、危うく女神の怒り攻撃の発動が止まった。
ジェリーはその場にペッと侯爵を吐き出した。
侯爵はスライムに吐き出されてその場に転がり、何が起こったのか分からず床に両手をついて周りを見回す。この侯爵は男より先に女に目が行くらしい。梨奈を見つけて思わず「これ、助けてくれれば、お前のような地味な女でも可愛がってやっても良いぞ」とクリス殿下が激怒するような言葉をほざいた。
「何をしておいでか」
梨奈に手を出そうとした侯爵にクリス殿下が切れる。魔王様みたいになった。
「我が最愛の妃に何をしてくれる。消毒しろ」
ミランダがどこから取り出したのか、リネンで手やら肩の辺りを拭く。
いや、触られていないけれど。
「きさま、いい加減にしろ。こちらが下手に出ていればいい気になって」
「な、な、何だと」
「私は覚えているぞ。思い出すとはらわたが煮えくり返って今まで封印していたが、リナにまで手を出そうとするとは許せん」
「ゆ、ゆ、ゆ……」
「きさまが前大公の弟を語らい、ブルグンドの軍勢を手引きし、大公宮殿に引き入れたのを知っている」
「八つ裂きにしても飽き足らん。きさまの評判は聞いた。もはや地に堕ちているぞ。ここから持ち逃げした財宝共々そっくり返してもらう。西域の鉱山で働かせてやろう」
クリス殿下の白い顔がニヤリと恐ろしげに笑った。
「すでに議会の承認も得た」
クリス殿下は懐からぐるぐると丸めてある書状を取り出した。
侯爵は恐ろしさに震えながら自分の側近たちを見やる。誰も皆へたり込んでいた。
「な、な、な、皆の者、この男を捕らえよ」
クリス殿下はコルベルク侯爵の目の前にパラリと丸めてあった羊皮紙を開く。
「このコルベルク公国は先の戦の後、ノイジードル王国が統治することとなった。この条約は周辺諸国によって確定された。これが条約締結の書類だ」
「そ、そ、そんなものが本物かどうか、信じられるか──」
侯爵の言葉を無視して、さらに違う羊皮紙を出す。
「ノイジードル国王陛下より公爵位を賜り私が公国を統治することとなった。これが感状だ。ちなみにこれらは写しだ」
侯爵の鼻先にぴらぴらと突き付けた後「捕らえられるのはお前の方だ。未来永劫こき使ってやるからそう思え」と睨みつけた。
ギードが衛兵を引き連れて来て、侯爵以下をお縄にした。
「大公宮の制圧は完了しました」
「ご苦労だった」
ちょっと早すぎないか。何を此処でぐずぐずしていたのだ。何だか一番いい所をクリス殿下に取られた気がする。梨奈は疲れただけだった。また拗ねちゃおうかな。
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