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六章 戦争

35 結界

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 朝起きるとクリスティアン王子はもう起きていた。
 早い時間に驚きながら、怠い身体を起こす。
 食事の後、テラスに誘われた。
 今日の殿下はいつもの軍服姿だ。
 離宮のテラスを出て、街道に向かう小道を少し歩く。

「ブルグンド帝国軍が砦を出陣したと、サボーナ侯爵から、出陣の要請があった」
 クリス殿下が乾いた声で言う。
「リナ、腕輪を──」
 何気ない様子で言われて、ジェリーの細胞が付いた腕輪の嵌まった手を差し出すと、殿下はそれを外して胸のポケットに収める。

「これから出陣する」
 行く手の木立の側に馬がいる。青鹿毛の綺麗な馬だ。
 兵士が一人、手綱を持って待機している。
「私も行きます」
「ダメだ、来るな。置いてゆく」
 思いがけない返事だった。
「どうしてですか」
「お前が一緒だと、お前ばかりに目が行き、正常な判断が出来ない」
「そんな」

「馬車で襲撃を受けた時を思い出せ。あの時のジジはイレギュラーだ。戦場では、いつイレギュラーが起きるか分からない。お前が攫われても、私は戦場を抜け出せない。お前はここに居てくれ」

「いや」
 首を横に振る。
「私は必ず戻って来る」
「いや、いや、いや」
 涙だけがあふれる。
「殿下が怪我をしたらどうするんです。弓も槍も魔法の攻撃もあるんでしょう!? あの大きな水棲魔獣だっているんでしょう!?」
 不安で、心配で、こんな所でのうのうと待っていられるものか。
「私も行く!」
 大体、ずっと一緒に居たではないか。
「どうして──!」
 梨奈は一歩、クリス王子に詰め寄った。

「一緒にいる方がいい」
 王子が一歩下がる。
「一緒にいる方がいいのよ!」
 王子の手に魔力が籠められる。
「ついて行く!」
 梨奈はクリス王子の方に足を踏み出した。その途端、彼の手が前に出る。バチッと光が弾けて、梨奈を引き留める。
「あ」
 目の前を金色の光が遮った。光は縦横無尽に走って、梨奈とその後ろの離宮をすっぽりと覆って消えた。
「な……に、これ……」
 呆然とクリス王子を見る。王子の金の髪が風に揺れて、青い瞳を遮る。白い彫像のように整った容貌は、何の表情も映さない。

 クリス王子はこの離宮に結界を張った。
 十重二十重に、外から何かが入ってくるのを防ぐのではなくて、梨奈が外に出られないように。
「ひどいじゃない。人を何だと思っているのよ! まるで動物園の檻じゃないの! 私はクマかゴリラなの!?」
 梨奈の詰った声が、風に千切れて流れてゆく。

 王子は手綱を受け取って馬に跨り、梨奈を真っ直ぐ見る。
 馬が嘶いて、棹立ちした。
 くるりと向きを変えて、そのまま走り去った。

 梨奈は、置いて行かれてしまった。

  * * *

 呆然と佇む梨奈に『主ー』と、スライムの姿になったジェリーが聞く。
「行って、クリス殿下に加勢を──」
「主殿」
 三人の魔族が聞く。
「行って、殿下を頼んだわよ」
 三人と一匹は森を駆けて、あっという間に見えなくなった。

 梨奈は怒っていた。非常に怒っていた。
 何に対して。自分にだ。この期に及んで、まだ温い夢を見ていた。
 平和な世界など、ここにはありはしないのに。


 何故クリス王子は腕輪を外したのか。腕輪には転移の魔法陣が仕込んである。一方通行の梨奈の許へ飛ぶことだけができる。彼はそれを封印した。
 それが王子の覚悟なのだ。

 クリス王子は疾走する馬に跨り戦場に行く。戻って来れるか、いや絶対に戻って来なければならない。梨奈を誰にも渡さない。その為にも──。
 そんな彼の想いも、置いて行かれた梨奈に届きはしない。


  * * *


 さあ、みんな行った。梨奈は一人になった。

「私は残るよ。ユースフに頼まれているからね」
 ニコニコとダールグレン教授が言う。とても頼もしい。
「奥様、お屋敷にお戻りになって」
 ミランダが心配そうに言う。後ろに家令、従僕たちや侍女たちがいる。
 そっか、まるっきり一人でもないんだな。

「お見送りなさらないんですの? 皆出発しましたわ」
 クロチルドが、優し気なご令嬢と侍女を引き連れて、離宮に来た。

「あいにく、ここから出られないんですよ」
 あっさり梨奈の言葉を流して、側の令嬢を振り返った。
「ご紹介しますわ、スチュアート様の婚約者のイルマ様」
「ようこそ、梨奈ですわ」
「初めまして、イルマと申します」
「フォルカーがこちらが安全だと申しますの。しばらくお願いしますわね」
「はい、お引き受けいたしました」
 なかなかに大人数であった。


 離宮に戻りかけた梨奈だったが、バラバラと騎乗した一団が現れて立ち止まる。
中の一人が鞭で指して言う。
「貴様が、リナと申す悪女か? 王宮にて詮議をする。この者を捕らえよ」
 この前、ランツベルク将軍と一緒だった兵士と同じ軍服を着ている。
 兵士たちが馬から降りて剣を抜き近付いて来た。

「王国騎士団の方々かしら」
「引き立てよ」
 問答無用のようだ。
「加勢がいるかな?」
 ダールグレン教授が、一応という感じで聞いた。
「うーん、分かんないんで、見ていて下さい」
「リナ様!」
 誰かが声をかけたが振り向かない。


 クリス殿下はいない。行ってしまった。
 ジェリーもいない、魔族もいない。
 殿下の取り巻きも皆行ってしまった。
 梨奈は離宮から出られない。

 教授を戦闘に引っ張り出す訳にはいかない。
 令嬢方も、使用人も、梨奈が守る立場だ。
 梨奈の前には刃の壁。


 ──さあ、どうする?
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