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一章 異世界に転移しました

05 馬車に乗って王宮へ

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「すまないが──」
 梨奈が馬車の中で鬱々と考えていると、向かいに座ったクリスティアン王子が声をかけてきた。
「その着ぐるみから顔だけ出せるか?」
「あ、ちょっとファスナーを下してもらえます?」
「分かった」
 王子が梨奈の横に移動して、後ろ頭のファスナーを掴む。
「下まで一気に下ろさないでくださいよ」
「分かった」
 王子はもう一度返事をして、慎重にファスナーを引き下げる。首のあたりまで下ろすと梨奈が顔を出した。

「ふう……」
 ブツブツという呪文が聞こえなくなって、息を吐く。隣でクリスティアン殿下も息を吐いている。
「どうも気分が良くなくてな」
 梨奈が王子の顔を見ると憂鬱そうな顔をしている。
「リナがそれを着ていないと大分マシだが」
 王子もあの呪文のような音が聞こえるのだろうか。顔色も良くないし頭痛もするのかもしれない。

 この着ぐるみの娘、結構可愛い顔をしているし胸も大きい。そういや王子は好みじゃないとか言っていた。ロリで爆乳は男のロマンではないのか。この人何歳だろう。

「あの、殿下のお年を聞いても?」
「私は十八歳だ。リナは?」
「もうすぐ十七歳になります」
 そういえば季節は同じなのだろうか。向こうは六月の終わり頃だったけれど。
「そうか、私の事はクリスと呼べ」
「ええと、いいのですか?」

 確か身分の高い方は、親しくないと愛称呼びなんて出来ないはず。会ったばかりの梨奈にそんなことを許してもいいのだろうか。面倒に巻き込まれない内に早いとこ帰りたいものだと、梨奈は思う。

「構わん。リナは親兄弟はいるのか?」
「はい、両親は仕事をしていて、兄は大学生、弟が中学生……」

 梨奈は家族の話をしている内にホームシックに襲われた。
 父はクマみたいな大男で陽気で優しかった。梨奈の容姿は父親に似て栗色の髪、榛色の瞳をしていて『私に似て美人になるぞ』といつも言っていた。母はショートカットの眼鏡美人ゴリラで開けっ広げな人だった。性格は母に似たのかもしれない。兄は母似のゴリラで弟は生意気な美少年だった。割と普通の家族だったと思う。叱られたり、喧嘩したり。
 友達も梨奈が頭が痛いと言うと、たくさん本を貸してくれて……。
 何でこんな訳の分からない所にいるんだろう。

 帰りたい。帰れるのかしら。今更のように不安がどんどん膨れ上がる。
「うっ……」
 ポロポロと涙が溢れ出て止まらなくなった。
 クリス殿下が慌ててハンカチを出して、さらに抱き寄せてきた。
 なんかいい匂いがする。高貴な感じと爽やかな感じの。まだ大人になりきっていない、若い男の──。

「ヒクッ……」
 涙が止まってしまった。この状況を整理してみたい。
 しかし、さらに殿下の手が梨奈の頭を撫でて、心臓の音がやかましくなってきた。

 ドキドキドキドキ──。
 心臓の音に耐えられない。
 経験値が全然足りない。

 顔を上げると至近距離に青い目があった。手が頬に添って涙の跡を拭った。そのまま下に行って顎を持ち上げられる。
「え」
 唇に柔らかいものが触れた。
「きゃっ……!」
 梨奈の手が上がる。パシンと男の頬を引っ叩いた。
「何すんねんっ!」
 梨奈の間の抜けたセリフが馬車の中に響く。
(ヤバイ!)
 本日二回目の引っ叩きをやらかしてしまった。

 梨奈に引っ叩かれて少し横を向いた王子はその顔をゆっくりと戻す。何か言うかと梨奈は身構えたが、青い瞳がじっと見透かすように見るだけであった。

 馬車は夜目にもキラキラしい王宮に向かって走る。やがて立派な門に着いて衛兵が迎えるなかを馬車は駆け抜ける。王宮の広場には見上げるように立派な騎馬像がある。王子がノイジードル建国の王の像だと説明する。
 馬車が王宮に着いて、今度は近衛兵や文官が出迎えた。

 王子は、馬車が着く前に梨奈の顔を、着ぐるみに隠してファスナーを上げた。頬に梨奈の手形を付けたまま馬車を降りようとするので慌てる。
「私の手の跡がついちゃってる──」
「名誉の負傷だろう」
 軽く流して臣下の並ぶ前に降りて行く。

 この世界の男は手が早いんだろうか?
 クリスティアン王子と知り合ったのはつい先ほどで、お互い何も知らなくて。

 しかし、彼は梨奈の素っ裸を見ている。
 身体だけ知っている男って、どういう関係?
(ぎゃああ!)
 余計な事を考えた梨奈は、着ぐるみの中で身悶えた。

 馬車を降りた王子が手を差し出す。これはもしかしてエスコートとかいうアレだろうか。そっと手を出すと待ちかねたように手を取った。
「殿下、国王陛下がお待ちでございます」
「分かった、このまま伺おう」
「はっ」

 王子は梨奈の手を腕に回して歩き始める。このまま国王陛下の御前に行くのか。ちょっと心構えとか必要だと思わないのか。王子にエスコートされてサッサと向かえば否応なしに行くことになるが。いやでも、これは着ぐるみを着ているから私ではない訳で……。梨奈が余計な事をごちゃごちゃ考えている間も歩き続けて回廊に出る。

 回廊を歩いてしばらく行くと建物の内側に中庭が広がる。夜の庭園は所々に置かれた庭園灯と回廊の明かりだけで薄暗い。
 回廊を進んでいるとバラバラと黒い軍服の近衛兵が来て二人を取り囲んだ。

 クリスティアン王子が誰何する。
「何事か。私は国王陛下に謁見を賜りたい。すでに先触れを出しお許しを頂いている」
「しかし、その女は逮捕するよう命令が出ております」
「クリスティアン殿下、その女、マリア・シェルツ男爵令嬢をこちらに──」

 近衛兵は二人を取り囲んで引き離そうとする。もう、先ほどのクリス殿下の所業が王宮に伝わっているのだ。
 今、この王子と引き離されたら断罪まっしぐらではないだろうか。牢屋とか塔とか嫌過ぎる。梨奈の顔が青くなる。着ぐるみの内部を冷たい汗が流れた。
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