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二話 紙吹雪舞うシンデレラボーイ

03

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 浴室から出て之彦は鏡の前に立った。千布があまり褒めるから鍛錬を怠らない。練習にも身が入った。千布との仲もうまくいっている。

『あなたも囚われているのじゃないですか』

 不意にあの若い男の言葉が蘇った。
 ──何に囚われていると言うんだ。
 之彦は首を振った。俺はただ一人の愛する女と結婚するんだ。
 その為に……。

「之彦? どうしたんだい」
 千布が浴室を覗きに来た。
「あまり遅いから湯にのぼせてるのかと思ったよ」
「あ、いや、鏡を見てて……」
「ああ、綺麗だねえ。之彦の体は……。あんまり私を待たせないでおくれ」
 千布が之彦に手を差し伸べる。
 千布との夜が始まる。

 ──優しく丁寧にじっくりと燃え上がらせてゆく。
 この愛撫に慣れるのが怖い。
 貫かれて羞恥より快感に喘ぐのが怖い。
 愛していると囁かれるのが怖い──。

「急な用事が出来て、明日、浜松まで行かなければならないんだ」
 情事の後。千布は之彦を引き寄せて言った。
「明日……?」
「君も一緒に行くかい?」
「いや、俺は講義があるから……」
「そうかい、仕方が無いねえ」
 千布は残念そうに言った。手が之彦の胸の筋肉をなぞる。抱き寄せて愛していると囁いた。

 薬を粉々にして、コーヒーの中に入れると丁度いい。溶けて混ざって、千布の胃の中に落ちるだろう。眠っている内に死ねるんだから楽だろう……。そして、俺は晴れて佳奈美と一緒になるんだ。
 ただ一人の愛する人と……。

『あなたも囚われているのでは……!?』

 ──何に囚われていると言うんだ。
 之彦は首を振った。俺はただ一人の愛する女と結婚するんだ。
 その為に……。


 * * *

 玄関にチャイムの音──。
 之彦が出ると佳奈美が立っていた。
「どう、巧く行った?」
 にっこり笑って佳奈美が言った。美しい女神のような佳奈美。之彦は自分の気持ちが分からなくなった。
「この家も今日から私達の物なのね」
 之彦はただ突っ立っている。

 外に車の音がした。
 佳奈美がはっと振り向く。之彦は項垂れて立っていた。玄関のドアが開き千布が帰って来た。
「ただいま、お客さんかい」
 之彦の手から、使わなかった薬がぱらぱらと床に落ちた。
「之彦、意気地なしね」
 佳奈美が決め付けた。
「私の勝ちなんじゃないのかい」
 千布が之彦を庇う。
「あら分からないわよ。之彦が優しいから」
 二人の会話がよく飲み込めない。
「何がどういう……」
 佳奈美が腕を組んで言った。
「賭けをしたの」
「賭け……?」
「そう私が勝ったら、この人の財産を貰うの」
「でもどうやって」
「あら死んじゃうでしょう」
(死ぬ、死ぬって……!? 千布が俺の所為で……。この薬で。賭けって……!?)
 之彦は足元に散らばった白い錠剤を見た。それからゆっくりと千布の方を……。
 ──何を賭けたんだ……?

「君を見たんですよ。ほら春の大会で。君は綺麗だった。一目ぼれだった。それから君の出る大会には必ず行った。かなうはずの無い恋だと思っていました。でも、友達に嶋田さんを紹介されて、君のことを話したら……」
「そんな!! 賭けなんて、死んじゃうじゃないか!」
 之彦は千布に向かって叫んだ。
「君を抱ける。本望だと思いました。でも、昨夜はちょっと残念でしたが」
 昨日、千布は何時までも之彦を抱きしめていた。
 ──抱きしめて愛していると……。

「だめよ之彦、絆されちゃあ」
 佳奈美が之彦の方に来た。手に持ったバックから、何かを取り出した。
 ──何を……? 小型の銃ではないか。どうしてそんなものを…!?
 佳奈美はゆっくりと千布の方に銃口を向けた。
「佳奈美!!」
「死んでもらうの」
 之彦は佳奈美の手から銃を奪おうとした。しかし、一瞬早く、佳奈美は身を翻し、二人に銃を向けた。
 之彦は慌てて千布を庇った。
「いいんですよ之彦。望みは叶ったんだから。」
 千布がそう言って、前に出ようとしたが、之彦は譲らなかった。
「一緒に死にたいの?」
 すっと目を細めて佳奈美が聞いた。
 美しい佳奈美。女神のような佳奈美。こんな時でさえ──。
 之彦は銃口を見て佳奈美を見た。何か言おうとしたが、言葉が出て来ず唾を飲み込んだ。死にたくはない。しかし千布が前に出ようとすると、千布を庇って両手を広げて前に出た。
 どんな顔をしているのだろう、自分は。女に頼まれ男に抱かれて、その男にほだされ死んで行く、アホで滑稽で馬鹿な自分は……。
「一緒に死ぬのね」
 佳奈美が最後通牒を出した。
 ──嫌だ。死にたくない!
 しかし、之彦の体は頑として千布の前から動かなかった。

 佳奈美は引き金を引いた。

 パーン!!

 銃口から、赤や青や色とりどりのテープが飛び出した。一緒に紙ふぶきが宙に舞う。
 之彦は呆気に採られた。

「私の負けね」
 佳奈美が言った。銃を放り投げ、軽く手を振って、あっさりと出て行った。

 バタンと玄関のドアの閉まった音に、之彦は我に帰った。
「俺は……」
 之彦は何か言おうとしたが、千布に抱きしめられた。

 床に散った薬──。
 その上に七色の紙テープと紙ふぶき。

 之彦は千布の背に手を廻して目を閉じた──。


 二話 おわり

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