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55 エリクサー
しおりを挟む王都の後宮にある調剤室でアストリは薬を作っていた。
薬草とバルバロイン、リュバーブの茎を煮てドロドロにすり潰す。それを精製して聖水と王乳とトカイワインを入れ『メランジェ』と唱えると赤と緑の入り混じったキラキラ輝く液体が出来た。
飲んでみると、甘くて酸っぱくて爽やかでそれでいて芳醇な、何とも言えない香りと味がする。何だろう、内側から生き返る感じだ。
「アストリ、ここにいたのか」
「お祖父様、丁度良かったわ。これを」
アストリの調剤室に出入り自由な人間は祖父とミハウ、偶にクルトとマガリが来るくらいであった。
アストリが嬉し気に赤と緑の入り混じったキラキラ輝く液体を小さなグラスに入れて差し出す。レオミュール侯爵は怪しげな液体を眺め、一息に呷った。
「おお、何だこれは。身体が新たに目覚め働き始めたようだ」
アストリは祖父の言葉に嬉しそうに笑って「ジャンがもう一本くれると伝書鳥で知らせてくれましたので、残りを使って作りました」
空のワイン瓶を指す。
「そうか、エリクサーなのだな。アストリ、お前が作ると一段も二段も進化したエリクサーになるだろうよ」
祖父はそう言ってアストリの頭を撫でたのだった。
死ぬ前より確実に若くなっているが、侯爵は生き返ってもなかなか体調が戻らず心配させた。トカイワインで少し体調が良くなったので毎日飲んでもらっていたが、ジャンがくれるのならエリクサーを作ってしまおうと思ったのだ。
「実はミハウ陛下に呼ばれてシェジェルに行くのだ」
「まあ、そうなのですか。大丈夫なのですか?」
アストリはやっとこの頃、少しずつ王宮にも出向き始めた祖父の体調を気遣う。
「ああ、お前のお陰で大事ない。言伝はないか」
「あ、じゃあこの薬を皆様に」
出来上がった薬を小瓶に分けて入れ、蓋をして箱に入れる。
「ええと、ミハウ様と──……」
アストリは指折り数えて余分に箱に詰めて侯爵に渡す。
「何人かお仲間が増えたのです。それに免疫保持者という方もいらっしゃるようです。皆さまがそうなれば、私たちの血がかかっても死なないそうですの」
「そうか、それは良い」
レオミュール侯爵はアストリから薬を受け取ると、アストリに見送られて離宮にある転移の部屋からシェジェルに飛んだ。
◇◇
マリーはボロウスキ公爵の見舞いに行くのを止めた。店の酒場にも行かずにバーテンダーと女給に任せて暫らく過ごしたが、飽きてきた。
その日、後宮のサロンに顔を出したのは、まだ王宮には慣れないユスチナがマリーの同行を願ったからだ。ユスチナが昔のお針子仲間に手紙を出したお陰で、仲間の内の何人かがこのノヴァーク国に流れて来てドレスメーカーで働いている。
ユスチナの居た国は四つの公国のひとつで、戦場の村の東側にあった。どうやら跡継ぎ問題が拗れているらしく、ノヴァーク国に流れて来る者が絶えない。ひとつはシェジェルで既にノヴァーク王国に取り込まれている。
ユスチナの作るドレスは貴族から裕福な商人まで幅広く対応していて、緩くなくきつくもなく絶妙な着心地と、シンプルなデザインだがリボンや刺繍やらレースを使って美しく仕上げると評判が良いのだ。
丁度ドレスを買ってくれそうな女官が何人か増えていて、ユスチナはホクホクと対応している。
マリーはブルトン夫人が居たので、この前行ったボロウスキ公爵の領地に行って見たルーク湖やサーペントについて語った。
「湖はとても水が澄んで景色も綺麗で、白くて首が長い竜が泳いでいて、とっても優美ですのよ。こちらを見ても何もしませんで、まるで絵のようで」
「そうですの。噂では水を吹きかけたり嵐を起こして襲い掛かって来ると聞きましたけれど」
「全然ありませんわ。湖は綺麗だし、食べ物は豊富だし、湖にいるサメのグレーの魚卵は絶品でしたわ。あの地にホテルがあったらと思いました」
「まあ、私も食べてみたいですわ」
マリーの言葉にブルトン夫人は乗り気になった。
しかし、その日少し遅くに参加した公爵夫人は沈んだ顔をしていた。
アストリが優しく出迎えて相手をすると、やがて爆弾発言をした。
「旦那様がわたくしと離縁をすると申されて──」
「まあ大変。どうしてですの? 私お話を伺って──」
「いえ、離縁は別に構いませんの。慰謝料も弾んで下さるそうで、わたくしこれから誰にも文句を言われずお話が書けますもの。でも──」
このサロンが居心地が良い。誰が居ても居なくても。時々あの白い美しい猫が来る。猫は誰にも触らせてくれない。気が付いたらいて、気が付いたらもういない。
暖かな陽だまりのような場所。そんなこの場所に、もう来れないと思うと、公爵夫人の頬を涙がポロポロと転がり落ちるのだった。
「何も心配することはございませんわ。あなたは私の友人として王宮にいつでもいらっしゃることが出来てよ」
「まあ、ありがとうございます」
公爵夫人は自分の居場所を得た。
「あなたの所為じゃないの」
ブルトン夫人に小声で責められて、マリーはちょっと肩を竦める。
◇◇
暫らくして酒場の店に出ると、大型犬がやって来た。
大型犬は入院時とは打って変わって、マリーの手を握り元気溌剌な顔で言う。
「マリー、俺と結婚しよう、どうだ公爵夫人だぞ」
「んー、私ってこの前まで王妃だったのよねー」
ボロウスキ公爵はあんぐり口を開けて固まった。話が違う。平民かせいぜい男爵出くらいのマリーを何とかなだめすかして、この貧乏暮らしから救い出す。はるかな上位の地位に据えてやることで「まあ素敵」とか言って縋り付く、という目論見がパキパキボロボロガタガタと音を立てて崩れたのであった。
「王妃だと? どこの国だ」
「ネウストリア王国よ」
「そういえばあの国にはピンクの髪の王妃がいると聞いたな」
中堅のまあまあの王国であった。近頃がたがたであったが国王が代わって持ち直したという話は、この国でも要職にある者には伝わってくる。
両国の間は離れているし、マリーは死んだことになっているので、どうということはない。
彼はドーンと落ち込んだ。しかし直ぐに浮き上がって来る。忙しい男であった。
「仕方がない、こうなったら俺がこの国を乗──」
どっちの方向に行く気だろうか、この男は。手綱というかリードが必要だ。
「止めときなさい、返り討ちにあって実験材料にされるわよ」
「んな、そんな」
大型犬が尻尾をだらりと下げて、しょげてしまう。
(うーん、こんなの好みじゃない筈なんだけどな)
マリーはそう思いながら、尻尾を下げても手を握って離さない男を見る。
少し痩せて髭もなくなって、見てくれは良くなったが。
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