55 / 60
55 エリクサー
しおりを挟む王都の後宮にある調剤室でアストリは薬を作っていた。
薬草とバルバロイン、リュバーブの茎を煮てドロドロにすり潰す。それを精製して聖水と王乳とトカイワインを入れ『メランジェ』と唱えると赤と緑の入り混じったキラキラ輝く液体が出来た。
飲んでみると、甘くて酸っぱくて爽やかでそれでいて芳醇な、何とも言えない香りと味がする。何だろう、内側から生き返る感じだ。
「アストリ、ここにいたのか」
「お祖父様、丁度良かったわ。これを」
アストリの調剤室に出入り自由な人間は祖父とミハウ、偶にクルトとマガリが来るくらいであった。
アストリが嬉し気に赤と緑の入り混じったキラキラ輝く液体を小さなグラスに入れて差し出す。レオミュール侯爵は怪しげな液体を眺め、一息に呷った。
「おお、何だこれは。身体が新たに目覚め働き始めたようだ」
アストリは祖父の言葉に嬉しそうに笑って「ジャンがもう一本くれると伝書鳥で知らせてくれましたので、残りを使って作りました」
空のワイン瓶を指す。
「そうか、エリクサーなのだな。アストリ、お前が作ると一段も二段も進化したエリクサーになるだろうよ」
祖父はそう言ってアストリの頭を撫でたのだった。
死ぬ前より確実に若くなっているが、侯爵は生き返ってもなかなか体調が戻らず心配させた。トカイワインで少し体調が良くなったので毎日飲んでもらっていたが、ジャンがくれるのならエリクサーを作ってしまおうと思ったのだ。
「実はミハウ陛下に呼ばれてシェジェルに行くのだ」
「まあ、そうなのですか。大丈夫なのですか?」
アストリはやっとこの頃、少しずつ王宮にも出向き始めた祖父の体調を気遣う。
「ああ、お前のお陰で大事ない。言伝はないか」
「あ、じゃあこの薬を皆様に」
出来上がった薬を小瓶に分けて入れ、蓋をして箱に入れる。
「ええと、ミハウ様と──……」
アストリは指折り数えて余分に箱に詰めて侯爵に渡す。
「何人かお仲間が増えたのです。それに免疫保持者という方もいらっしゃるようです。皆さまがそうなれば、私たちの血がかかっても死なないそうですの」
「そうか、それは良い」
レオミュール侯爵はアストリから薬を受け取ると、アストリに見送られて離宮にある転移の部屋からシェジェルに飛んだ。
◇◇
マリーはボロウスキ公爵の見舞いに行くのを止めた。店の酒場にも行かずにバーテンダーと女給に任せて暫らく過ごしたが、飽きてきた。
その日、後宮のサロンに顔を出したのは、まだ王宮には慣れないユスチナがマリーの同行を願ったからだ。ユスチナが昔のお針子仲間に手紙を出したお陰で、仲間の内の何人かがこのノヴァーク国に流れて来てドレスメーカーで働いている。
ユスチナの居た国は四つの公国のひとつで、戦場の村の東側にあった。どうやら跡継ぎ問題が拗れているらしく、ノヴァーク国に流れて来る者が絶えない。ひとつはシェジェルで既にノヴァーク王国に取り込まれている。
ユスチナの作るドレスは貴族から裕福な商人まで幅広く対応していて、緩くなくきつくもなく絶妙な着心地と、シンプルなデザインだがリボンや刺繍やらレースを使って美しく仕上げると評判が良いのだ。
丁度ドレスを買ってくれそうな女官が何人か増えていて、ユスチナはホクホクと対応している。
マリーはブルトン夫人が居たので、この前行ったボロウスキ公爵の領地に行って見たルーク湖やサーペントについて語った。
「湖はとても水が澄んで景色も綺麗で、白くて首が長い竜が泳いでいて、とっても優美ですのよ。こちらを見ても何もしませんで、まるで絵のようで」
「そうですの。噂では水を吹きかけたり嵐を起こして襲い掛かって来ると聞きましたけれど」
「全然ありませんわ。湖は綺麗だし、食べ物は豊富だし、湖にいるサメのグレーの魚卵は絶品でしたわ。あの地にホテルがあったらと思いました」
「まあ、私も食べてみたいですわ」
マリーの言葉にブルトン夫人は乗り気になった。
しかし、その日少し遅くに参加した公爵夫人は沈んだ顔をしていた。
アストリが優しく出迎えて相手をすると、やがて爆弾発言をした。
「旦那様がわたくしと離縁をすると申されて──」
「まあ大変。どうしてですの? 私お話を伺って──」
「いえ、離縁は別に構いませんの。慰謝料も弾んで下さるそうで、わたくしこれから誰にも文句を言われずお話が書けますもの。でも──」
このサロンが居心地が良い。誰が居ても居なくても。時々あの白い美しい猫が来る。猫は誰にも触らせてくれない。気が付いたらいて、気が付いたらもういない。
暖かな陽だまりのような場所。そんなこの場所に、もう来れないと思うと、公爵夫人の頬を涙がポロポロと転がり落ちるのだった。
「何も心配することはございませんわ。あなたは私の友人として王宮にいつでもいらっしゃることが出来てよ」
「まあ、ありがとうございます」
公爵夫人は自分の居場所を得た。
「あなたの所為じゃないの」
ブルトン夫人に小声で責められて、マリーはちょっと肩を竦める。
◇◇
暫らくして酒場の店に出ると、大型犬がやって来た。
大型犬は入院時とは打って変わって、マリーの手を握り元気溌剌な顔で言う。
「マリー、俺と結婚しよう、どうだ公爵夫人だぞ」
「んー、私ってこの前まで王妃だったのよねー」
ボロウスキ公爵はあんぐり口を開けて固まった。話が違う。平民かせいぜい男爵出くらいのマリーを何とかなだめすかして、この貧乏暮らしから救い出す。はるかな上位の地位に据えてやることで「まあ素敵」とか言って縋り付く、という目論見がパキパキボロボロガタガタと音を立てて崩れたのであった。
「王妃だと? どこの国だ」
「ネウストリア王国よ」
「そういえばあの国にはピンクの髪の王妃がいると聞いたな」
中堅のまあまあの王国であった。近頃がたがたであったが国王が代わって持ち直したという話は、この国でも要職にある者には伝わってくる。
両国の間は離れているし、マリーは死んだことになっているので、どうということはない。
彼はドーンと落ち込んだ。しかし直ぐに浮き上がって来る。忙しい男であった。
「仕方がない、こうなったら俺がこの国を乗──」
どっちの方向に行く気だろうか、この男は。手綱というかリードが必要だ。
「止めときなさい、返り討ちにあって実験材料にされるわよ」
「んな、そんな」
大型犬が尻尾をだらりと下げて、しょげてしまう。
(うーん、こんなの好みじゃない筈なんだけどな)
マリーはそう思いながら、尻尾を下げても手を握って離さない男を見る。
少し痩せて髭もなくなって、見てくれは良くなったが。
0
お気に入りに追加
78
あなたにおすすめの小説

貧弱の英雄
カタナヅキ
ファンタジー
この世界では誰もが生まれた時から「異能」と「レベル」呼ばれる能力を身に付けており、人々はレベルを上げて自分の能力を磨き、それに適した職業に就くのが当たり前だった。しかし、山奥で捨てられていたところを狩人に拾われ、後に「ナイ」と名付けられた少年は「貧弱」という異能の中でも異質な能力を身に付けていた。
貧弱の能力の効果は日付が変更される度に強制的にレベルがリセットされてしまい、生まれた時からナイは「レベル1」だった。どれだけ努力してレベルを上げようと日付変わる度にレベル1に戻ってしまい、レベルで上がった分の能力が低下してしまう。
自分の貧弱の技能に悲観する彼だったが、ある時にレベルを上昇させるときに身に付ける「SP」の存在を知る。これを使用すれば「技能」と呼ばれる様々な技術を身に付ける事を知り、レベルが毎日のようにリセットされる事を逆に利用して彼はSPを溜めて数々の技能を身に付け、落ちこぼれと呼んだ者達を見返すため、底辺から成り上がる――
※修正要請のコメントは対処後に削除します。

【完結】王女様の暇つぶしに私を巻き込まないでください
むとうみつき
ファンタジー
暇を持て余した王女殿下が、自らの婚約者候補達にゲームの提案。
「勉強しか興味のない、あのガリ勉女を恋に落としなさい!」
それって私のことだよね?!
そんな王女様の話しをうっかり聞いてしまっていた、ガリ勉女シェリル。
でもシェリルには必死で勉強する理由があって…。
長編です。
よろしくお願いします。
カクヨムにも投稿しています。

少女漫画の当て馬女キャラに転生したけど、原作通りにはしません!
菜花
ファンタジー
亡くなったと思ったら、直前まで読んでいた漫画の中に転生した主人公。とあるキャラに成り代わっていることに気づくが、そのキャラは物凄く不遇なキャラだった……。カクヨム様でも投稿しています。


婚約破棄され逃げ出した転生令嬢は、最強の安住の地を夢見る
拓海のり
ファンタジー
階段から落ちて死んだ私は、神様に【救急箱】を貰って異世界に転生したけれど、前世の記憶を思い出したのが婚約破棄の現場で、私が断罪される方だった。
頼みのギフト【救急箱】から出て来るのは、使うのを躊躇うような怖い物が沢山。出会う人々はみんな訳ありで兵士に追われているし、こんな世界で私は生きて行けるのだろうか。
破滅型の転生令嬢、腹黒陰謀型の年下少年、腕の立つ元冒険者の護衛騎士、ほんわり癒し系聖女、魔獣使いの半魔、暗部一族の騎士。転生令嬢と訳ありな皆さん。
ゆるゆる異世界ファンタジー、ご都合主義満載です。
タイトル色々いじっています。他サイトにも投稿しています。
完結しました。ありがとうございました。

【完結】火あぶり回避したい魔女ヒロインですが、本気になった当て馬義兄に溺愛されています
廻り
恋愛
魔女リズ17歳は、前世の記憶を持ったまま、小説の世界のヒロインへ転生した。
隣国の王太子と結婚し幸せな人生になるはずだったが、リズは前世の記憶が原因で、火あぶりにされる運命だと悟る。
物語から逃亡しようとするも失敗するが、義兄となる予定の公子アレクシスと出会うことに。
序盤では出会わないはずの彼が、なぜかリズを助けてくれる。
アレクシスに問い詰められて「公子様は当て馬です」と告げたところ、彼の対抗心に火がついたようで。
「リズには、望みの結婚をさせてあげる。絶対に、火あぶりになどさせない」
妹愛が過剰な兄や、彼の幼馴染達に囲まれながらの生活が始まる。
ヒロインらしくないおかげで恋愛とは無縁だとリズは思っているが、どうやらそうではないようで。
婚約破棄からの断罪カウンター
F.conoe
ファンタジー
冤罪押しつけられたから、それなら、と実現してあげた悪役令嬢。
理論ではなく力押しのカウンター攻撃
効果は抜群か…?
(すでに違う婚約破棄ものも投稿していますが、はじめてなんとか書き上げた婚約破棄ものです)
30代社畜の私が1ヶ月後に異世界転生するらしい。
ひさまま
ファンタジー
前世で搾取されまくりだった私。
魂の休養のため、地球に転生したが、地球でも今世も搾取されまくりのため魂の消滅の危機らしい。
とある理由から元の世界に戻るように言われ、マジックバックを自称神様から頂いたよ。
これで地球で買ったものを持ち込めるとのこと。やっぱり夢ではないらしい。
取り敢えず、明日は退職届けを出そう。
目指せ、快適異世界生活。
ぽちぽち更新します。
作者、うっかりなのでこれも買わないと!というのがあれば教えて下さい。
脳内の空想を、つらつら書いているのでお目汚しな際はごめんなさい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる